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『大阪市・天下茶屋公園』

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 大阪市西成区岸里東1丁目にある「天下茶屋公園」の中央の主要部である。
 左側の柵の中は安倍寺の塔心礎、右手の石碑は明治天皇駐蹕遺址碑である。
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 天下茶屋公園へは、南海電車の天下茶屋駅から東へと歩き、南北に通る紀州街道を南へ下がる。
 そしてしばらく行くと、右手に公園の木々が見えてくる。
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 公園の東北の角から入園する。
 東の遊歩道を進むと、丁度中央辺りに石碑が建っている。
 表は「明治天皇聖躅(せいちょく)」碑、そして裏側には「舊天下茶屋是斎屋(ぜさいや)」と刻されている。
 明治天皇聖躅とは、明治天皇が大阪を訪れた時に立ち寄った個所を示すもので、30ヶ所が存在し、その一つである。
 また是斎屋とは、江戸時代この公園に屋敷と店があり、和中散を商い、店頭でも飲ませていたとのことで大いに賑わったと云われている。
 そのことから、この是斎屋は一つの天下茶屋とされている。
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 公園内には、子供の遊戯設備、大人用のトレーニング設備などがあり、また由緒は不明であるが、小祠が祀られている。
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 公園には花の公園との表示があるが、時節柄、現在の花は僅かである。
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 公園を後に紀州街道を南へと向かう。
 左手に紹鴎森天満宮が鎮座する。
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 天満宮の前に街道と直交して西へと向かう道がある。
 この道を少し行くと右手に天下茶屋遺跡がある。
 豊臣秀吉が住吉大社や堺の往復の時に立ち寄って湯茶の接待を受けたと云うもう一つの天下茶屋である。
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 ここまでくると、最寄り駅は南海電車の岸里玉出駅である。
 この駅から電車に乗り、探索は終了とした。
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『宇治市植物公園』

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 京都府宇治市にある「宇治市植物公園」である。
 下図のように中央は階段を降りると「花と水のタペストリー」
 右手は温室、左手は修景池、そして花の間の遊歩道で構成されている。

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 先ずはエントランスである。
 ゲートを潜り、ブリッジを渡ると、水の向こうにヒメコリウス、コリウス、ベゴニアで構成される図柄が見える。
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 順路は右手の温室からである。
 温室の中は、熱帯系の植物ばかりで、この時期でも生き生きとしている。
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 温室を後に、中央階段の上からタペストリーを眺めてみる。
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 そして、階段を降り、傍で見てみる。
 7月のテーマは「七夕」である。
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 目ぼしい花はあまりないが、向日葵、百日紅を見かけた。
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 左方向の修景池へと向かう。
 池にもほとんど花は無く、池の周りに蓮の鉢植えが並んでいるばかりである。
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 また池中の植物では、ガマの穂見がられたばかりである。
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 あとは遊歩道を辿り、エントランスまで戻ってきた次第である。
 エントランスからは、遠くに生駒山を望むことができる。
 また植物公園の隣には、立命館宇治高校がある。
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『京都府八幡市・木津川流れ橋』

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 京都府南部の木津川に架かる「流れ橋」、正式名称「上津屋(こうづや)橋の標柱である。

 橋の全長は356.5mで、左岸(南岸)の八幡市と右岸の久御山町を結び、歩行者と自転車の通行が可能な橋である。
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 橋は、木津川の水が増水した場合、固定されていない橋板が橋脚の上から流される構造になっていて、1953年の竣工以来、過去には22回もの橋板の流出があったと云われている。
 下は、数年前の流出時の写真である。
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 橋桁は以前は木製であったが、現在はコンクリート製に変えられ(但し両端は木柱)、桁の間隔も2倍程度に広げられている。
 また橋面もかさ上げされている。(左写真が過去)
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 また、橋上や周辺からは、京都市内の山である愛宕山、比叡山を眺めることができ、周辺は電柱等の構造物があまりなく、時代劇のロケに使われたりする所である。
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『大阪城公園(東部分)』

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 大阪市の大阪城公園の東部分を、北から南へと歩いてみる。

 JR大阪環状線の京橋駅からOBP(大阪ビジネスパーク)の中を通り抜け、第二寝屋川に架かる「大阪城新橋」を渡ると、公園内である。
 新橋の直近左岸には、水上バスの「大阪城港」がある。
 そして橋を渡った左手向こうには、JRの大阪城公園駅が見える。
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 橋を渡った右手は「大阪城ホール」である。
 この日もコンサートの準備が行われていた。
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 しばらく進むと左手に「大阪砲兵工廠跡」の石碑がある。
 戦時中まではアジア最大の規模を誇った武器製造工場であったところである。
 その背後にはかなり広い広場がある。野球場などが設けられている。
 かつては大阪メーデーなどが行われたところである。
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 そして右手へ進み、外堀に架かる土橋を渡ると再建された青屋門へと達する。
 江戸時代は開かずの門であったとも云われている。
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 門を入ると内堀に出る。
 内堀には、遊覧の御座船が出ている。
 また、この内堀と外堀との間は良くご存じの大阪城梅林となっている。
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 内堀を眺めながら梅林沿いを昇って行くと左手に、南無阿弥陀仏と彫られた石柱がある。
 石山本願寺に関係したものである。
 またその背後に「蓮如上人袈裟懸の松」がある。
 上人がこの地で一宇の坊舎を建て、石山本願寺を開いたところとされている。
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 東方向へ進むと玉造口を出る。
 そこにでは内堀の向こうに一番櫓を望むことができる。
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 更に、東へと降りる。
 そこには、野外の大阪城音楽堂というコンサート会場がある。
 毎金曜日には、「たそがれコンサート」が開催されているとのことである。
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 更に、東方向へ進むと、そこは森ノ宮からのエントランスとなっている。
 噴水、遊戯施設、コンビニ等がある。
 また、観光列車「ロードトレイン」も発着している。
 そして、森ノ宮の出口となる。
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 交差点の向こうはJR森ノ宮駅である。
ここで大阪城公園の東部分の探索は終了とする。
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『大阪府枚方市・王仁公園』

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 大阪府枚方市王仁公園にある「王仁(わに)公園」の園内図である。

 枚方市の東北部にある王仁公園は、JR学研都市線の藤坂駅の東北部約500mの丘上にある。
 公園入口の左にあるプールは、50mの競泳プールや流水プール、造波プールを備え、この時期は多くの市民でにぎわうところである。
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 また、入り口の右手は、児童遊戯施設、相撲土俵、テニスコートなどが備わり、さらにその奥に野球のグラウンドが設けられている、総合的なスポーツ公園である。
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 藤坂駅から公園へ向かう途中に、資料館が設置されている。
 旧田中家鋳物民族資料館と云い、江戸時代、枚方公園の辺りにあった主屋と鋳物作業所が移設されたものである。
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 主屋とその内部は、当時の生活様式のまま再現されている。
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 そして鋳物工場とその内部である。
 溶解炉の模型や鋳造品が展示されている。
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 更に、王仁公園の名前の由来となっている「王仁博士」の墓所である「伝王仁墓」が公園の東北部600m程度の所にある。
 王仁博士は、朝鮮半島百済から渡来した中国人と云われ、日本文化に大いに貢献した人物とされている。
 また、応神天皇の皇子である莵道稚朗子(うじのわけいらつこ)に学問を教えた学者で、日本に論語と千字文をもたらしたともいわれている。
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 墓の前の建造物は韓国様式にて設えられている。
 門を入ると、石畳の奥に王仁博士の墓が設けられている。
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『大阪府堺市・大仙公園Ⅱ日本庭園』

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 大阪府堺市の大仙公園の西に位置する日本庭園の入り口である。
 この庭園は、中根金作し設計による「築山林泉廻遊式庭園」で、堺市制100周年を記念して、平成元年3月に開園されたものである。

 入り口を入ると広い池泉が広がる。中国大陸と堺をつなぐ大海を表現しているとのことである。
 池泉の左手には印月橋(いんげつきょう)、そして高い所にある傘亭、そして廬山がある。
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 右手は、大陸式の甘泉殿(かんせんでん)、緑が広がっている。
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 回遊は先ずは、南の高い部分へと向かう。
 最も高い所は桃源台と云い、泉北丘陵を想定している。
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 そこから西側の遊歩道を下る。
 清流は石津渓で、堺の古来からの川である石津川を模したものである。
 また途中に青苔亭(せいたいてい)と杜若池(とじゃくち)があり、シーズンには花菖蒲が咲き誇る所である。
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 今の花は、桔梗が元気である。
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 更に下ると傘亭へと到着、向かいの休憩舎が見える。
 この建物は中世末期に納屋衆(のちに会合衆とも)呼ばれた堺の豪商たちが会合等に利用した集会所を想定して建てられたものである。
 また、休憩舎の向こうに平和塔を望むことができる。
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 また、甘泉殿に近づくと庭園には不可欠な滝である飛竜滝がある。
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『大阪府堺市・大仙公園Ⅰ』

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 大阪府堺市にある公園「大仙公園」の案内図である。
 堺市の仁徳天皇陵(大仙陵古墳)は良く知られているが、その直ぐ南に隣接するのが、大仙公園である。(図の下に仁徳天皇陵あり)

 大仙公園はJR阪和線百舌鳥(もず)駅が最寄りである。
 百舌鳥駅から西への通りは御陵通と云う。
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 その右手(東側)に仁徳陵の拝所がある。
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 御陵通りを挟んだ公園側には、仁徳天皇が鹿の口から百舌鳥を取り出した白い像が建っている。
 ある時、野の中から鹿が現れたが倒れて死んでしまい、その耳から百舌鳥が飛び出したと云う由来に基づくものである。
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 公園の入り口を入ると、先ずは堺市博物館へと向かう遊歩道となっている。
 そしてその両側に、武野紹鴎像、千利休像が建てられている。
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 その像の背後に、黄梅庵という茶室が建てられている。
 奈良県橿原市今井町の豊田家住宅にあった江戸時代中期の茶室を移築したものとのことである。
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 茶室を過ぎると、博物館である。
 博物館には、古代の古墳にまつわる展示やら、中世の鉄砲鍛冶にまつわる展示等がなされている。
 尚、博物館の側面の池は「どら池」と云う。
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 どら池の北畔には、平和塔が建てられている。
 また池の南側は大芝生広場となっている。
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 西へ向かうと日本庭園があるが、これは次回とする。
 更に進むと堺市立中央図書館があり、半球儀を通して先ほどの平和塔が重なる。
 そして公園の西の端から出ると、バス停「大仙公園西」となる。
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『大阪市阿倍野区・桃ヶ池公園』

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 大阪市阿倍野区桃ヶ池町にある大阪市管轄の「桃ヶ池公園」のエントランスである。

 桃ヶ池公園は、あべの筋と松虫通が交差する大阪メトロ「昭和町駅」の約500mほどの東方で、松虫通に面している。
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 公園は、池と広場で構成されている。
 下図は上方が南で、緑の部分が池である。
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 公園には中央に広い運動広場がある。
 また公園の東側には、公園に沿ってJR阪和線の高架橋がある。
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 公園の西の部分に「股ヶ池(ももがいけ)明神」が鎮座している。
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 石段を昇ると二ノ鳥居、そして一対の狛犬が祀られている。
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 境内には、拝殿本殿が2棟ある。
 一つは本来の祭神(丸高竜王、丸長竜王)を祀る本殿、もう一つは股ヶ池明神、弘法大師を祀っているようである。
 また一段と下に不動明王も祀られている。
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 また反対側に裏参道石段も設けられている。
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 神社の前の池の部分は蓮で覆いつくされている。
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 またその南の部分も同様な蓮池である。
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 東側は噴水のある池で、その向こうに阪和線の電車が通っている。
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 ここで、桃ヶ池公園は南の端となる。
 西の阿倍野筋まで移動すると、そこには桃山学院中高校の校舎がある。
 しかし、少し前までは、桃山学院大学もこの場所にあったはずである。
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『摂津国・幣久良山城跡』

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 大阪府茨木市耳原(みのはら)の耳原公園内の南部分にある小高い山「幣久良(てくら)山」の頂上にある「幣久良山御野立所」の石碑である。
 戦国時代、和田惟政・茨木重朝連合軍の本陣で、眼下の白井河原を挟んで、荒木村重・中川清秀連合軍と対峙したと云われる。
 そして戦いは1571年に行われ、和田惟政、茨木重朝は戦死、以降、摂津北部は荒木・中川の支配するところとなったと云われている。

 城跡は現在「耳原(みのはら)公園」として市民の憩いの場となっている。
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 公園の正面入り口は北西隅である。
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 入り口から入ると直ぐに耳原大池が広がる。
 中之島もあり、白いものが散りばめられている。
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 よく見ると、白いものは白鷺である。
 鳴き声も伝わってくる。
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 池の南側は運動広場や遊具設備が設けられている。
 その遊具の横に幣冥山への登山道がある。
 そして頂上には、冒頭の石碑ともう一つ、大正天皇に関わる石碑が建てられている。(手前の碑)
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 幣久良山の耳原大池側の山裾には、2つの滝、そして「白龍大明神」の石碑が建てられている。
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 かつては、辺りに式内社「幣久良神社」があったとのことであるが、現在は「安威神社」に合祀されている。

 公園内に唯一と云っていいと思われる花を見つけた。クチナシである。
 また、公園内から大池の向こうに、阿武山の地震観測所を望むことができる。
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『大阪市住之江区・住吉公園』

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 大阪市住之江区にある住吉公園の住吉大社側からのエントランスの標柱である。

 下図は公園の概要図である(上が南方向)。
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 南海電車本線の住吉大社駅に隣接していて、住吉大社の境内は左手向こうに、有名な反橋が見える。    
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 公園は右手である西側に広がっている。
 駅から公園を眺めると狛犬が祀られ、広い遊歩道が公園を左右に分割している。

 この遊歩道は「潮掛け道」と云い、元は住吉大社の表参道であり。公園は馬場であったと云われる。
 この遊歩道を進むと公園の西入口へと到達し、国道を介して高灯篭が建てられている。
 高灯篭は鎌倉時代の建立で、もっと西にあったが、近年この場所に再建されたものである。
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 潮掛け道の右側(北側)には、花と水の広場があるが、良く見るとアオサギの広場となっている。
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 左側には芭蕉の句碑が建てられている。
 「升買うて 分別かはる 月見哉 芭蕉」とある。
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 句碑に続いて管理事務所があり、その庭は花壇となっている。
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 潮掛けみちの両側は花壇となっている。
 時節柄、紫陽花、向日葵である。
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 また、夾竹桃なども綺麗な花を付けている。
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 公園の南側は、野球場や運動広場、体育館、桜広場等で構成されているが、中央に心字池が整備されている。
 また心字池には、たいこ橋も設けられている。
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『大阪市城東区・八劔神社』

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 大阪市城東区鴫野(しぎの)東に鎮座する「八劔(やつるぎ)神社」の正面参道口(東口)の標石である。

 八劔神社は、JR学研都市線鴫野駅の東方約500m程度の所に鎮座する。
 正面の鳥居を潜ると、石畳の参道となる。
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 その正面は、近代的な拝殿、そして背後は本殿である。
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 本殿の主祭神は八劔大明神で、合わせて北御座に武速須佐雄大神、竒稲田姫大神、八頭大神、南御座に罔象女大神、天照皇大御神、春日大神となっている。

 この神社の由緒は、以下のようにされている。
 室町年間に、鴫野村の住人らが同じ夢を見た。その夢に従って淀川畔にやって来ると、一匹の子蛇が現れ、その蛇は鴫野村までやってきて、この神社の地に留まった。
 夢のお告げの熱田の神であるとのことで、住人らが祠を建てて祀ったのがこの神社の創始である。 

 そして、大正4年に天王田村の八坂神社と、永田村の水神社を合祀して、今に至っている。
 また、近年に六百年祭が斎行されたとのことである。

 神社の境内は、大坂の陣の時の上杉景勝の本陣であった。
 また、大坂城の刻印石も並べられている。
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 また狛犬もまとめて置かれ、境内には3社の境内社が覆屋に祀られている。
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 さらに、祭礼用のだんじりを治める格納庫も3基分設けられている。
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 神社には、参拝口はあと2ヶ所ある。
 先ずは西口である。
 西口の道路を挟んで小学校の裏門の横に、大坂の冬の陣の戦闘地であったと云う標柱が建てられている。
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 南口の鳥居と標柱である。
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 また、南口に隣接して真言宗大日寺が佇んでいる。
 坊舎の脇には桔梗が盛りであった。
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『大阪市・住之江公園』

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 大阪市住之江区南加賀屋に設けられている大阪府営5公園の1つ「住之江公園」のエントランス部の標石である。
 場所は、大阪メトロ四ツ橋線の南の終点「住之江公園駅」に隣接している。

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 南北に長い公園で、エントランスは南の住之江公園通りに面し、先ずは児童遊技場、運動広場、野球場と続く。
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 テニスコートやプールも設けられている。
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 また道路上には幾つかの花壇も設けられている。
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 更に北へ行くと、大池となる。
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 大池の対岸に蓮の花が見えるので、そこまで近づいてみる。
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 真っ盛りの花が見事である。
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 大池の西側は整備された広い花壇である。
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 公園の入り口まで戻ると、そこには神社が祀られている。
 大阪護国神社で、太平洋戦争の英霊を祀っている神社である。
 神社入り口の玉垣の中に、夾竹桃がピンクの花を付けている。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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