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泉北高速鉄道6・中百舌鳥駅

 「南海電鉄高野線」の「中百舌鳥駅」から分岐する「泉北高速鉄道」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、起終点の「和泉中央駅」から5つ目の駅で、起終点で堺市北区にある「中百舌鳥(なかもず)駅」である。
 「中百舌鳥駅」は、元々は「南海電鉄高野線」の駅であるが、そこへ「泉北高速鉄道」が乗り入れるという形の駅である。
 そして、「泉北高速鉄道」は、そのまま「南海電鉄難波駅」に向かう電車もある。

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 「中百舌鳥駅」で下車する。
 駅ホームは2面4線で、外側の2線は「南海電鉄高野線」、内側の2線は「泉北高速鉄道」が使用する形である。
 そして駅の南口から出る。
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 駅前には、「西高野街道」が通っているので、これを西へと向かい、南折れし進む。
 そして、「国道310線」を渡った先で、「百舌鳥川」に沿うように右折し、住宅街の中を右左折し進む。
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 しばらく進むと、神社の南向きの参道に到着する。
 「百舌鳥八幡宮」である。
 鳥居、社号柱が建つ。
 そして、参道を北上する。
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 途中に「百舌鳥川」を神橋で渡り、参道を進む。
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 左手に神池と中島があり、「市杵島社」が祀られている。
 また右手には「稲荷社」が祀られている。
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 そして参道の先は石段である。
 石段の上には鳥居が建ち、境内へと入る。
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 境内正面は「拝殿」である。
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 「拝殿」の前には、一対の「狛犬」、そして「百舌鳥神社」と記された灯篭も建っている。
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 「拝殿」の背後には、「本殿」が祀られている。
 祭神は、主祭神が「応神天皇」、配祀は「神功皇后」、「仲哀天皇」とされている。
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 この「百舌鳥八幡宮」は、「神功皇后」が「三韓征伐」の帰路、この地に幾万代まで天下泰平を祈願し、この地を「万代(もず)」と称し、創建したものとされている。
 平安時代には、「石清水八幡宮」の別宮となったとされている。
 その後も多くの公武の崇敬があったととのことである。

 境内には、「若宮神社」が祀られている。
 また、樹齢800年とされる大楠もある。
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 更に、「絵馬殿」も見事である。
 そして、「拝本殿」を眺め、神社から退出したのであった。
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 そしてこの地点で、「中百舌鳥駅」のミニ探索を終了したのであった。

泉北高速鉄道5・深井駅

 「南海電鉄高野線」の「中百舌鳥駅」から分岐する「泉北高速鉄道」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、起終点の「和泉中央駅」から4つ目の駅で、堺市中区にある「深井駅」である。

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 「深井駅」で下車する。
 駅ホームは、1面2線の島式である。
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 駅の東口へと出る。
 東方向に道路が延びているので、これを進む。
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 左手に公園「水賀池公園」があるので、覗いてみる。
 大きな「水賀池」を伴った公園である。
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 元の道路を東進する。
 右手に「土塔町公園」がある。
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 「山門」があり、その先に「土塔」が見えるので、これを潜る。
 「土塔」とは、奈良時代に「僧行基」らによって土と瓦で築かれた十三重の塔である。
 12層の瓦で覆われた土壇と、13層目に多宝塔が鎮座する模型が置かれている。
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 「土塔」の周りを時計回りに廻ってみる。
 正面は西面で瓦である。
 次に、北面は草に覆われている。
 北面と東面のコーナーである。
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 東面である。
 草面も草に覆われているが、中央に道が設けられている。
 そして東面と南面のコーナーである。
 南面は瓦で覆われている。
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 南面と西面(正面)のコーナーと最初の西面である。
 両面とも瓦で覆われている。
 瓦の組み合わせ状態も見ることができる。
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 「土塔」は、一辺が53.1メートル、高さが8.6メートル+αで、元々は「大野寺」の境内に築かれていたものとされている。
 近年に発掘調査が行われ、現在の形に復元されたものとされている。
 また「土塔」は国の史跡でもある。

 そしてこの地点で、「深井駅」のミニ探索を終了したのであった。

泉北高速鉄道4・泉ヶ丘駅

 「南海電鉄高野線」の「中百舌鳥駅」から分岐する「泉北高速鉄道」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、起終点の「和泉中央駅」から3つ目の駅で、堺市南区にある「泉ヶ丘駅」である。

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 「泉ヶ丘駅」で下車する。
 駅ホームは、1面2線の島式である。
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 先ずは駅の北側である。
 高層住宅が主の景観がある。
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 次に駅の東側、南側である。
 駅の改札から続くコンコースを抜け、階上へと上る。
 東側(左手)には、「高島屋」などのショッピングゾーンがある。
 そして南側(右手)には、変わった建物が建っているのが見える。
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 右手へと進む。
 変わった建物は、大型児童館「ビッグバン」である。
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 「ビッグバン」の隣には「ビッグアイ」という建物がある。
 こちらは、国際障害者交流センターで、イベントなどが行われたりする建物である。
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 「ビッグバン」、「ビッグアイ」の南側には、池がある。
 「濁池」と云う。
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 西側の広い道路に出て南方向へ進むと公園の入り口がある。
 「大蓮池」を中心とした「大蓮公園」である。
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 公園内では、子供や若者が遊ぶ姿もある。
 「くらしテラス」と云う建物などもある。
 この公園では、バーベキューやキャンプもできるとのことである。
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 「蓮池」の方へ降りてみる。
 池には水が無い状態であった。
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 そして橋を渡り、駅へ戻る方向へと進む。
 途中に、「陶邑(すえむら)窯跡群」がある。
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 「泉ヶ丘駅」へと戻る。
 気になることがあるので、「ビッグバン」とは反対方向へと階上の通路を進む。
 左手に聞き慣れない建物がある。
 「日本熱供給事業協会」である。
 吸収冷凍機・蒸気ボイラー等を備え、駅周辺の文化施設や商業施設等へ冷温水・蒸気の供給を行っているものである。
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 進んで行くと、右手に駐車場のビルがあるので、屋上まで上がる。
 そして、「近畿大学医学部・病院」の移転予定地を眺めたのであった。
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 この地は元は公園であったが、現在は更地となっている。
 そして移転予定は、3年後の令和7年11月とのことであり、建設工事は始まっていないのであった。
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 そしてこの地点で、「泉ヶ丘駅」のミニ探索を終了したのであった。

泉北高速鉄道3 栂・美木多駅

 「南海電鉄高野線」の「中百舌鳥駅」から分岐する「泉北高速鉄道」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、起終点の「和泉中央駅」から2つ目の駅で、堺市南区にある「栂・美木多(とが・みきた)駅」である。

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 「栂・美木多駅」で下車する。
 「美木多」とは、先の「光明池駅」で関連があった「和田(みきた)」を読みやすい漢字として当てはめたものであろう。
 駅ホームは、1面2線の島式である。
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 駅ホームから北方向に、「南堺警察署」、「栂文化会館」が見える。
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 駅構内から続くり陸橋を出る。
 その出口の斜め前には、「南区役所」が建っている。
 その市役所前の道を北東方向へと進む。
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 「石津川」を渡り、約1.5km進むと「小谷城跡」へと到着する。
 「小谷城」はこの泉北地域では最も古い城と云われている。
 平安から鎌倉時代にかけて、「平家」の係累の「小谷氏」が、「小谷城」、「東の城」、「西の城」の三つの城を築いたのが始まりとされる。
 現在の城跡は大部分が「阪和泉北第一病院」となっているのはファンにとっては残念である。
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 「小谷城」は南北朝時代には南朝方として戦った。
 また戦国時代は、紀州根来寺に与した根来党であったため、織田信長の軍に攻められ、三つの城(鼎城ともいう)は落城したと云われている。
 その後に「小谷氏」は大坂夏の陣に徳川方として参戦し、武功をたて郷士となった。
 そして江戸時代は、「伯太藩主渡辺家」に仕えるとともに庄屋も務めたと云われる。

 その後も「小谷氏」はこの場所に住み続け現在に至っていて、住宅を「小谷城郷土館」として開設している。
 館正面の長屋門は「藩主渡辺氏」の「伯太陣屋」のものを移築したものである。
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 郷土館を西に回ったところにも小谷氏の御殿の石碑と登城口がある。
 こちらは「西小谷氏」の居館であったと云われる。
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 そしてこの地点で、「栂・美木多駅」のミニ探索を終了したのであった。

泉北高速鉄道3・栂・美木多駅

 「南海電鉄高野線」の「中百舌鳥駅」から分岐する「泉北高速鉄道」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は、起終点の「和泉中央駅」から2つ目の駅で、堺市南区にある「栂・美木多(とが・みきた)駅」である。

2206iIMG_2440 (2)

 「栂・美木多駅」で下車する。
 「美木多」とは、先の「光明池駅」で関連があった「和田(みきた)」を読みやすい漢字として当てはめたものであろう。
 駅ホームは、1面2線の島式である。
    2206iIMG_2437.jpg  2206iIMG_2436.jpg  2206iIMG_2446.jpg

 駅ホームから北方向に、「南堺警察署」、「栂文化会館」が見える。
         2206iIMG_2448.jpg  2206iIMG_2450.jpg

 駅構内から続くり陸橋を出る。
 その出口の斜め前には、「南区役所」が建っている。
 その市役所前の道を北東方向へと進む。
    2206iIMG_2445.jpg  2206iIMG_2441.jpg  2206iIMG_2444.jpg

 「石津川」を渡り、約1.5km進むと「小谷城跡」へと到着する。
 「小谷城」はこの泉北地域では最も古い城と云われている。
 平安から鎌倉時代にかけて、「平家」の係累の「小谷氏」が、「小谷城」、「東の城」、「西の城」の三つの城を築いたのが始まりとされる。
 現在の城跡は大部分が「阪和泉北第一病院」となっているのはファンにとっては残念である。
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 「小谷城」は南北朝時代には南朝方として戦った。
 また戦国時代は、紀州根来寺に与した根来党であったため、織田信長の軍に攻められ、三つの城(鼎城ともいう)は落城したと云われている。
 その後に「小谷氏」は大坂夏の陣に徳川方として参戦し、武功をたて郷士となった。
 そして江戸時代は、「伯太藩主渡辺家」に仕えるとともに庄屋も務めたと云われる。

 その後も「小谷氏」はこの場所に住み続け現在に至っていて、住宅を「小谷城郷土館」として開設している。
 館正面の長屋門は「藩主渡辺氏」の「伯太陣屋」のものを移築したものである。
    2206iCIMG0571.jpg  2206iCIMG0568.jpg  2206iCIMG0570.jpg

 郷土館を西に回ったところにも小谷氏の御殿の石碑と登城口がある。
 こちらは「西小谷氏」の居館であったと云われる。
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 そしてこの地点で、「栂・美木多駅」のミニ探索を終了したのであった。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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