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『そぐわない看板』

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 京都府南部のある市の高速道路の建設現場で見かけた看板である。
 田畑を潰し高速道路に作り変えているが、「緑豊か」や「田園都市」を目指すこの市の都市像に逆行しているのではないかと思われてならない。

 それでは高速道路は、「文化」を推進するものなのかと言えば、観光という点で少しはあるだろうが、それほどの関係があるようにも思えない。

 市当局や工事事業者はどのような判断でこのような看板を掲げているのか理解に苦しむ。
 場所はそれこそ田園地帯のど真ん中である。
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 実はこの工事現場の向こうには既に一本の高速道路が設置され、運用されている。
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 この高速道路工事の左手の先を見てみると、小さな丘を越えてやはり田圃の真ん中、そしてその先も小山を切り裂いている。
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 現代社会では、高速道路は交通の利便性や産業の活性化に寄与する大事なインフラであるので、建設することは時代の流れでであり、むしろ賛成である。
 しかしこの看板が目指しているこの市の都市像との整合はどうなのか?
 

『淡路北淡・野島断層』

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 兵庫県淡路島北淡(ほくだん)町の野島断層の断面である。
 今から20年近く前、六甲・淡路島断層帯が北淡地区で断層活動が活発化し、マグニチュード7.2の兵庫県南部地震の主要因となった。
 その活動の跡が「北淡震災記念公園」内の「野島断層保存館」に保存されている。
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 断層は10kmの長さにおよび、縦ずれ横ずれとも約1mに及んだと云われ、その様子が当時のまま残されている。
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 また館外には、断層上にあって被災した住宅が「メモリーハウス」として、これもそのままの形で残されている。
 当時の上空からの写真も添えられている。
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 更に公園内には「神戸の壁」と呼ばれる太平洋戦争の空爆でも、今回の地震でも倒壊しなかった神戸市長田区の市場の防災壁が移転され展示もされている。
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 余談であるが、歴史好きな方にはお馴染みの江戸時代になる前の秀吉の時代に慶長大地震と云うのが起きたのもこの同じ活断層であると云われている。
 その当時は京都の伏見で大地震が起き、伏見城が倒壊し、千人もの死者を出したと云われている。

『祇園祭・復活大船鉾』

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 今年の京の祇園祭には変化があった。
 大船鉾(おおふねほこ)が150年ぶりに復活したのをきっかけに、山鉾巡行が本来あるべき姿の前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の2度に分けて行われることである。

 大船鉾は神功皇后の三韓征伐の時の船を形どったもので、神功皇后や住吉大神などを祀っているものである。
 幕末の長州藩が引き起こした禁門の変、いわゆる蛤御門の変の大火で焼失していたもので、この度復活し、24日の後祭りの最後尾で巡行することになっている。
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 鉾見物に出かけたが、3日前と云うのに凄い人出であった。
 おまけに祇園提灯に前後が挟まれ、両側面は狭い通路で全容を見ることはできなかったが、巡行でその姿を拝観できる楽しみとなった。
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『郡上おどりin京都』

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 京都市役所前の広場で開催されていた「郡上おどり」のイベントに出遭った。
 開催時刻になると、降ったり止んだりしていた雨が上がり、青空も覗いてきた。
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 開会式の後、リーダーにより踊りの指導が行われる。
 「かわさき」「春駒」の基本動作の練習である。
 練習を終え、若いグループの作戦会議の場面もある。
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 踊り会場の真ん中にある屋台では「生演奏」が始まり、踊りの輪が広がって行った。
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 ちょっとした梅雨の晴れ間のイベントで、もう7回目だそうである。
 
 郡上おどりは、この地の国人領主、遠藤慶隆公が関ヶ原の戦いの後、郡上八幡の城主に返り咲き、郡上藩が立藩されたこと、そして大坂の陣の後に再び、城主として返り咲いたのを領民、藩主共々が大いに喜び、藩主の奨励で徹夜盆踊りが始まったのが起源である。
 現在は国の重要無形民俗文化財となっている。
 
 尚、郡上おどりの開催期間は長く、7月12日のおどり発祥祭に始まり、9月6日のおどり納めで終了する。
 この間の8月13日からの4日間は徹夜おどりが行われる。
 また8月2日には、城主慶隆公の妹で内助の功で知られる山内一豊夫人千代を偲んだ夕べも開催される。

『春の甲子園決勝』

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 4月2日、阪神甲子園球場にて春の選抜高校野球の決勝戦が行われ、見に出かけた。
 京都の竜谷大附属平安高校と大阪の履正社高校との間の京阪決戦であった。
 決勝まで来ると両校投手には疲れが見える。そのせいか一進一退の打撃戦が続いた。
 激戦であったが、9回に2ランホームランで相手を突き放した平安高校の勝利となった。
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 平安高校の歴史は古い。
 中等野球・高校野球の当初から強豪校であるが、全国優勝はもう60年近くも遠ざかっている。
 今回の優勝は、まさに古豪復活であった。

 平安高校は浄土真宗本願寺派の学校である。
 形は違うが、500年近くも前に行われた石山本願寺と織田信長の戦争に思いを馳せてしまう。
 摂津国のこの甲子園の付近でも、本願寺支援の毛利軍との戦いが繰り広げられた。
 その戦いで本願寺は敗れたが、今度は本願寺は勝った。

 引き続き閉会式が行われた。
 最近は応援団のコンテストもあるようである。
 奄美の大島高校が最優秀賞を受賞した。
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 甲子園の球場に隣接して素戔嗚神社が鎮座する。
 お参りして、甲子園の決勝戦観戦、お開きとしたのであった。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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