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『奈良県桜井市・桜井茶臼山古墳』

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 奈良県桜井市外山にある前方後円墳、桜井茶臼山古墳である。
 場所は、JR・近鉄の桜井駅の東方で、住宅街の中の道を10分ほど歩いた所である。
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 住宅街の中を進み、古墳らしきが見えるようになったところで、栗原川を渡ると、後円部に到着する。
 冒頭の説明板も設けられている。
 後円部から時計回りに古墳の周りを回って見るが、畑や住宅街に遮られ、思うようには見えない。
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 後円部から時計回りに古墳の周り進んで行くと、側面に到着する。
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 そして前方部である。
 前方部は細く、手鏡式古墳の様相を呈している。
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 左の側面へ回り込もうとするが、重機のレンタル会社の敷地の向こうに見ることができるだけである。(右がm前方部)
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 尚、この古墳は墳丘長208mとされ、全国順位27位である。

『奈良県桜井市・箸墓古墳』

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 奈良県桜井市箸中、纏向遺跡の中にあり、一説には卑弥呼の墓と云われている「箸墓古墳」である。
 宮内庁により標柱に刻されている如く「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)太市墓」に治定されている。

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                               (右が北方向)

 JR桜井線巻向駅の南方で、箸墓古墳の前方部は西向きてある。
 その西側には国道169号線が通っている。

 先ずは国道から眺めた古墳である。
 そして前方部に近づくと拝所も見られる。
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 右側面(南側)である。向こうに後円部が見える。
 そして後円部近辺まで進み、同様に墳丘を見返したものである。
 更に 少し離れたところから見た墳丘全景である。
 この古墳の墳丘長は276mとされ、全国順位で11位の大きさである。
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 後円部である。
 後円部に沿っている道は、山の辺の道の表示がある。
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 古墳の北側は大きな池である。
 ため池百選にも選ばれている箸中大池と云う。
 そして池を挟んで北側から眺めた墳丘全景である。
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 池の西側の堤防まで進み、墳丘を眺める。
 後円部の向こうに大神神社のご神体である三輪山が見える。
 そしてこの堤防は前方部へと繋がっている。
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『奈良県天理市・衾田陵』

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 奈良県天理市中山町にある西殿塚古墳、宮内庁により「継体天皇皇后手白香皇女(たしらかのひめみこ)衾田陵」に治定されている墳丘長234mの前方後円墳である。
 墳丘長のこの長さは、全国順位18位の大きさである。

 古墳は奈良盆地の東部、竜王山から延びる丘陵上にある。
 古墳へは念仏寺の山門前を通る山の辺の道を東へと向かう。
 お墓と桃畑の中を進むと衾田陵が見えてくる。
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 南側は前方部で、拝所が設けられている。
 また拝所には説明看板もあり、上空写真(右手が北)もある。
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 古墳の右手から、反時計回りに回って見る。
 先ずは東側面と、その前方・後円の接合部の閉じられた入り口である。
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 そして後円部、墳丘の内部を望むこともできる。
 更に後円部の西側から望んだものである。
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 墳丘から少し遠ざかると、全景が望める。
 この場所も山の辺の道の一部である。
 桃畑の背景に墳丘が見える。(右が前方部)
 桃の花が咲くと、見事な風景になるのではあろう。
 また、少し歩くと西南側に大和三山が見える。
 写真は、遠く耳成山と畝傍山である。
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 諸説ある。
 手白香皇女は6世紀の人物であるが、この古墳は3世紀後半の築造であることからして、被葬者は別人物であり、この古墳は卑弥呼の墓と云われる箸墓古墳に次ぐ大王の墓と云う意見である。

『奈良県河合町・乙女山古墳』

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 奈良県北葛城郡河合町の馬見丘陵公園中央エリアの北端にある「乙女山古墳」である。
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 全長130mの大型の帆立貝形古墳であり、前方部は東向きで、後円部は西である。(上図の右が北)
 
 周濠が巡っているが、結構荒れたままになっている。
 南からスタートし、一周してみる。

 南から見た後円部と周濠である。
 また造り出し経由で後円部へ渡るための土橋も掛かっている。
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 次に東側の前方部と周濠である。
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 北側の周濠である。
 こちらも土橋が架かっていて、墳丘に入ることができる。
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 墳丘へ登ってみる。
 後円部の頂上には、三等三角点が設置されている。
 71.5mである。
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 最期に後円部を西から眺めてみる。
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 これで一周完了である。
 最後に全体図で古墳の形を再確認したのであった。
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『奈良県河合町・ナガレ山古墳』

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 奈良県北葛城郡河合町の馬見丘陵公園内にある前方後円墳「ナガレ山古墳」である。
 馬見丘陵公園は南北約1kmに長く広がる公園で、中に多くの古墳が含まれている公園である。
 「ナガレ山古墳」はその中央エリアの南西部にあり、良く整備された古墳である。(下図の左が北)
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 ナガレ山古墳は全長105mで、墳丘の東半分は葺石に覆われ、西半分は芝を張って整備されている。(下図の下が東方向)
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 先ずは、公園内遊歩道からの古墳、そして墳丘の全景である。
 古墳の周囲には、円筒埴輪、朝顔型埴輪が並べられている。
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 前方部の東半分の石積み部分である。
 そして階段を昇っての前方部墳丘上からの後円部である。
 東西それぞれで、石積みと芝生がこのようになっている。
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 後円部の頂上と、頂上から前方部墳丘を見下ろした写真である。
 同様に石積み、芝生が確認できる。
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 墳丘を降りて、後円部西側、後円部東側を眺めてみる。
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 尚、この古墳の被葬者は分かっていないが、大王やこの地方の豪族(葛城氏)などとの説がある。

『奈良県広陵町・巣山古墳』

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 奈良県北葛城郡広陵町三吉にある国の特別史跡で馬見古墳群の一つの前方後円墳「巣山古墳」である。

 場所は、近鉄大和高田駅からバス便で終点の「竹取公園東」で下車、少し北へと歩くと古墳南側の後円部へと到着する。
                                               (冒頭の図は左手が北方向)
 また、古墳の北には馬見丘陵公園が整備されている。
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 現在、巣山古墳の後円部の周濠と外堤は改修工事が行われている。
 工事用の道路などが敷設されているので、それを利用して後円部を観察することができる。
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 古墳の墳丘長は204mで、大きさの全国順位は30位である。

 西側側面の周濠である。左が後円部からながめたもの、右が前方部から眺めたものである。
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 東側側面の周濠と墳丘である。
 そして前方部に移動し、東北部から墳丘を眺めたものである。
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 前方部の周濠と墳丘である。
 この辺りの外堤遊歩道は、しっかりと整備がなされている。
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 最後に北西隅から墳丘を眺めてみる。
 この位置からが最も綺麗に見ることができる。
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 外堤の外、馬見丘陵公園の南端では桜が満開である。
 先ずは河津桜。
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 そして緋寒桜である。
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『奈良県広陵町・新木山古墳』

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 奈良県北葛城郡広陵町赤部にある「新木山古墳(にきやまこふん)」である。
 古墳は前方後円墳(左側が前方部)で、馬見古墳群の1つであり、墳丘長は約200m、大きさの全国順位は33位である。
 また宮内庁により「三吉陵墓参考地」に治定されていて、被葬候補者は敏達天皇の皇子である押坂彦人大兄皇子とされている。

 古墳へは、近鉄大阪線の大和高田駅からバスで北上し、竹取公園の手前の「新家」が最寄りである。
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 古墳の北側には大池が伴う。
 池を左手へと回り込み、後円部を眺めると周濠のように奥へと狭くなっている。
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 そして前方部となる。
 前方部には土橋が架けられ、古墳の墳丘と繋がっているが、宮内庁により立ち入り禁止とされている。
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 古墳の南側面へと回る。
 当時は周濠や外堤であったと思われる所が農園となっているのが分かる。
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 後円部である。
 同様に農園である。
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 更に回り込んで行くと、周濠の様相を呈してくる。
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 これで古墳は一周であるが、後円部の外側にもう一つ、整備された帆立貝形古墳がある。
 三吉石塚古墳と云う。
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『奈良県大和高田市・築山古墳』

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 奈良県大和高田市築山にあり、宮内庁により「磐園陵墓参考地(被葬候補者:顕宗天皇)」に治定されている「築山古墳」である。
 墳丘長が210mもある大型の前方後円墳で、馬見古墳群ではもっとも大きいものである。

 場所は近鉄大阪線の築山駅の南約300mの所で、児童公園の向こうに墳丘が横たわっているのが見える。
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 公園の向こうの墳丘に架かった土橋の袂に管理用の建物と冒頭の「磐園陵墓参考地」と彫られた標石が建てられている。
 古墳の前方部は東向きである。
 周濠もあり、その外堤を時計回りに巡ってみる。

 先ずは公園側の北側の側面であるが、かなり崩されているようであり、周濠の幅は狭くなっている。
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 次に前方部の濠と墳丘である。
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 次は南の側面部である。
 住宅との間に遊歩道が設けられている。
 また、前方部と後円部との境に、造り出しが設けられているのが分かる。
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 最後は後円部である。
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 南と後円の周濠は広いものであり、当時の形に近いものであろうと思われる。

 尚、この古墳は中世に 城として使用された可能性があるそうである。
 その証拠に、墳丘の形は崩れ、墳丘上にも小道が巡っているとのことである。

『大阪府堺市・反正天皇陵』

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 大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町にあり、宮内庁により「反正(はんぜい)天皇百舌鳥耳原北陵」に治定されている百舌鳥古墳群のうちの田出井山古墳(たでいやまこふん)である。

 最寄りは南海電鉄高野線「堺東駅」で、駅の東口からカラー舗装された道路を東へ進むと綺麗に整備された拝所へと至る。
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 拝所には説明看板が掲げられ、南向きの墳丘長が148mの前方後円墳であることが分かる。
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 古墳の周囲を巡ってみるが、保護柵で囲まれているため、十分な観察が難しい。
 先ずは左の側面である。
 策の間から見た後円部、そして周濠が僅かに見える前方部である。
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 次に右側である。
 ここも前方部の周濠が僅かに見えるだけである。
 そして墳丘の側面を住宅の間から眺めたものである。
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 後円部へ向かうと、外堤は神社の境内となる。
 神社は「方違(ほうちがい)神社」で、この地は摂津、河内、和泉の国の境の三国山にあり、どの国にも属さない地で、方位のない地であるとして、古くから方位、地相、家相などの方災除けの神社として信仰を集めてきた神社である。
 祭神は、天神地祇(方違幸大神)の他、素盞嗚尊、住吉三神、神功皇后である。
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 社殿は丁度一年前に建て替えられたところで、真新しい。
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 神社境内からは後円部を見ることができる。
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 この陵は、現在残っている内濠の外側に外濠もあったとされている。

 反正天皇陵の東には2つの陪塚がある。(上掲の古墳図面にあり)
 先ずは天王古墳である。
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 そして鈴山古墳である。
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 この反正天皇陵と、仁徳天皇陵、履中天皇陵の3陵を巡る遊歩道を「百舌鳥三陵周遊路」と云う。
 そして反正天皇陵と方違神社の北側の道は古代の街道で奈良へと至る「長尾街道」である。
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『京都府京田辺市・大住車塚古墳』

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 京都府京田辺市大住八王寺にある「大住車塚古墳」並びに「大住南車塚古墳」である。
 JR学研都市線大住駅の北方約700mの所にある。
 付近には、式内社の月読神社、重要文化財の澤井家住宅などがある。

 車塚古墳とは、近畿地方に多くある古墳で、古代に前方後円墳を貴人が乗る車に見立てた名称とされている。
 また、この大住車塚古墳に見られるような同様の車塚古墳が2基接近して配されているのは珍しいと云われている。(左手前が南古墳)
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 先ずは北側の大住車塚古墳である。
 前方からの墳丘全体と、前方部である。
 この墳丘は前方後方墳で、前方部の幅は18m、高さは1.5mとされている。
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 後方部と手前にした墳丘全体である。
 そして後方部である。
 後方部は1辺が30m、高さは4.5mである。
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 次に南側の大住南車塚古墳である。
 この古墳の方が若干大きく、かつ現在も周濠の一部が残っている。
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 後方部と後方部から見た墳丘全体である。
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 尚、南古墳は荒れた状態になっていて、墳丘上部も雑木密集で、足を踏み入れるのが困難である。

『奈良市・磐之媛命陵』

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 奈良市佐紀町、コナベ古墳の北西側に位置し、宮内庁により「磐之媛命平城坂上陵」と治定されている佐紀盾列古墳群のヒシアゲ古墳である。

 コナベ古墳から向かうと歩道に万葉歌碑がある。
 歌碑には、中臣女郎(なかとみのいらつめ)が大伴家持に贈ったと云われる歌が記されている。
     「女郎花 佐紀澤に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 戀もするかも」
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 また道の左手には大きな池「水上池」がある。
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 池の北に磐之媛命陵の拝所がある。
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 拝所の両側は周濠であるが、濠としての様相はなしていない。
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 周濠の堤に沿って遊歩道が設けられている。
 陵の右側(東側を辿るが、所々に水が溜まっているのが認められる。
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 この古墳には内濠の外に外濠があったとの説明がある。
 良くは分からないが、この辺がその一部かも知れない。
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 尚、磐之媛は仁徳天皇の皇后で、この陵の墳丘長は218mで、全国25位の規模とされている。

『奈良市・コナベ古墳』

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 奈良市法華寺町、ウワナベ古墳の航空自衛隊奈良基地(幹部学校)を挟んだ西隣にある「コナベ古墳」である。
 
 ウワナベ古墳と同様に幅広い周濠を備えた古墳であり、墳丘長は200m強、全国で30位の大きさの古墳である。

 先ずは東南隅からの全景である。
 そして東側の周濠である。
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 前方部の正面(南側)へと回る。
 そして前方部の周濠である。
 ウワナベ古墳に比べると地質によるものか、水の色が白く濁って見える。
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 続いて西側(左側)の周濠である。
 造り出しが見られる。
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 更に回って後円部である。
 左手には自衛隊の建屋が見える。
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 東側の周濠を見返し、出発点の東南角から前方部の周濠を眺める。
 遠くに山が見えるのは、大阪府との境界の生駒山系である。
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 尚、このコナベ古墳は宮内庁により、「小奈辺陵墓参考地」として陵墓参考地に治定されている。
 被葬候補者は仁徳天皇の皇后の磐之媛命とのことである。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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