
大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町にあり、宮内庁により「反正(はんぜい)天皇百舌鳥耳原北陵」に治定されている百舌鳥古墳群のうちの田出井山古墳(たでいやまこふん)である。
最寄りは南海電鉄高野線「堺東駅」で、駅の東口からカラー舗装された道路を東へ進むと綺麗に整備された拝所へと至る。

拝所には説明看板が掲げられ、南向きの墳丘長が148mの前方後円墳であることが分かる。

古墳の周囲を巡ってみるが、保護柵で囲まれているため、十分な観察が難しい。
先ずは左の側面である。
策の間から見た後円部、そして周濠が僅かに見える前方部である。

次に右側である。
ここも前方部の周濠が僅かに見えるだけである。
そして墳丘の側面を住宅の間から眺めたものである。

後円部へ向かうと、外堤は神社の境内となる。
神社は「方違(ほうちがい)神社」で、この地は摂津、河内、和泉の国の境の三国山にあり、どの国にも属さない地で、方位のない地であるとして、古くから方位、地相、家相などの方災除けの神社として信仰を集めてきた神社である。
祭神は、天神地祇(方違幸大神)の他、素盞嗚尊、住吉三神、神功皇后である。

社殿は丁度一年前に建て替えられたところで、真新しい。

神社境内からは後円部を見ることができる。

この陵は、現在残っている内濠の外側に外濠もあったとされている。
反正天皇陵の東には2つの陪塚がある。(上掲の古墳図面にあり)
先ずは天王古墳である。

そして鈴山古墳である。

この反正天皇陵と、仁徳天皇陵、履中天皇陵の3陵を巡る遊歩道を「百舌鳥三陵周遊路」と云う。
そして反正天皇陵と方違神社の北側の道は古代の街道で奈良へと至る「長尾街道」である。