湖西線21・近江塩津駅
京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
今回は「山科駅」から20番目で、湖西線の起終点駅で、滋賀県長浜市西浅井町の「近江塩津駅」である。
「近江塩津駅」で下車する。
「近江塩津駅」では、湖西線と北陸本線が交わる。
線路とホームは最上層にあり、次に駅舎、そして一段下がって町を通る道路がある形である。
駅前を線路と平行している道路は、湖東を通り新潟県へ向かう国道8号線である。
駅前の国道にはバス停がある。
また、駅の西側には、「大川」が流れ、その周辺に集落が形成されている。
集落内の道路を西へと進み「大川」を渡り、山麓へ近づくと神社がある。
「大川神社」と云う。
この「大川神社」は土居通増朝臣を祀る神社である。
土居通増は伊予の河野氏の傍流で、鎌倉幕府の打倒を志す後醍醐天皇に味方した。
南北朝の騒乱が起こると南朝方の新田義貞に属し、楠木正成の湊川の戦いにも従軍している。
南朝側が不利になると、勢力再建のため北国へ赴く義貞に従い、越前へ向かうが、その途中で北朝軍の襲撃に遭い、防戦たがわず、この付近で通増は一族と共に戦死したとされている。
その後明治になって、通増には従四位が贈られ、大正になって創建されたのがこの「大川神社」である。
鳥居を潜ると一対の狛犬が祀られている。
また右手には社務所がある。
そしてその先は拝殿である。
裏側からも見て見ると座敷のような雰囲気である。
その先は石段で、昇り詰めると覆屋の中に土居通増朝臣を祭神とする本殿が祀られている。
本殿の左隣には境内社が祀られている。
説明はないが、通増朝臣の一族約300名の霊が祀られているのであろう。
また神社からの駅方向の眺めである。
駅へと戻り、ホームへと上がる。
先ずは北方向である。
右手が北陸本線のホーム、左が湖西線である。
今度は南方向である。
左が北陸本線、右が湖西線である。
そしてやってきた電車に乗り、「近江塩津駅」と「湖西線」のミニ探索を終了したのであった。
今回は「山科駅」から20番目で、湖西線の起終点駅で、滋賀県長浜市西浅井町の「近江塩津駅」である。
「近江塩津駅」で下車する。
「近江塩津駅」では、湖西線と北陸本線が交わる。
線路とホームは最上層にあり、次に駅舎、そして一段下がって町を通る道路がある形である。
駅前を線路と平行している道路は、湖東を通り新潟県へ向かう国道8号線である。
駅前の国道にはバス停がある。
また、駅の西側には、「大川」が流れ、その周辺に集落が形成されている。
集落内の道路を西へと進み「大川」を渡り、山麓へ近づくと神社がある。
「大川神社」と云う。
この「大川神社」は土居通増朝臣を祀る神社である。
土居通増は伊予の河野氏の傍流で、鎌倉幕府の打倒を志す後醍醐天皇に味方した。
南北朝の騒乱が起こると南朝方の新田義貞に属し、楠木正成の湊川の戦いにも従軍している。
南朝側が不利になると、勢力再建のため北国へ赴く義貞に従い、越前へ向かうが、その途中で北朝軍の襲撃に遭い、防戦たがわず、この付近で通増は一族と共に戦死したとされている。
その後明治になって、通増には従四位が贈られ、大正になって創建されたのがこの「大川神社」である。
鳥居を潜ると一対の狛犬が祀られている。
また右手には社務所がある。
そしてその先は拝殿である。
裏側からも見て見ると座敷のような雰囲気である。
その先は石段で、昇り詰めると覆屋の中に土居通増朝臣を祭神とする本殿が祀られている。
本殿の左隣には境内社が祀られている。
説明はないが、通増朝臣の一族約300名の霊が祀られているのであろう。
また神社からの駅方向の眺めである。
駅へと戻り、ホームへと上がる。
先ずは北方向である。
右手が北陸本線のホーム、左が湖西線である。
今度は南方向である。
左が北陸本線、右が湖西線である。
そしてやってきた電車に乗り、「近江塩津駅」と「湖西線」のミニ探索を終了したのであった。