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阪急宝塚線12・箕面線 箕面駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねている。

 前々回から、「石橋阪大前駅」を起点とする支線「阪急電鉄 箕面線」へと横道にそれていて、今回は「石橋阪大前駅」から3つ目の駅で終点の大阪府箕面市の「箕面駅」である。

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 「箕面駅」で下車する。
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 駅の東側はロータリーになっていて、その北側は「箕面大滝」への遊歩道で商店街となっている。
 またこの場所は、「東海自然歩道」の起点でもある。
 そいて、商店街の先の山麓には、「箕面観光ホテル・箕面スパーガーデン」が建っている。
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 商店の間を進む。
 箕面名物の「もみじ天ぷら」の店が並び、進むと「箕面川」を渡る「一ノ橋」を渡り、紅葉の「滝道」に入る。
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 「滝道」を進む。
 右手に「梅屋敷」がある。
 左手に「箕面公園昆虫館」がある。
 そして、その先の鳥居を潜り、「瀧安寺(りゅうあんじ)」の参道へと入る。
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 紅葉の中を進むと、門前には「箕面公園」の広場がある。
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 そして「瀧安寺」の「山門」、「観音堂」である。
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 「瀧安寺」は、奈良時代になる前に、「役行者」により開山されたとされる。
 「本山修験宗」の寺院で、宝くじの起源である「富籤発祥の地」ともされている。

 右手には朱塗りの橋「瑞雲橋」があり、「箕面川」を挟んで、紅葉と共に「客殿」などが建っている。
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 境内を進んで行くと、「大鳥居」が建ち、石段を昇ると、「行者堂」の前に出る。
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 更に進むと、「鳥居」、左手に「大黒堂」、そして正面は「本堂」の「弁天堂」が祀られている。
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 「滝道」に戻り、登って行く。
 「箕面大滝」が見えて来る。
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 到着である。
 水量と云い、紅葉と云い、申し分のない落差33mの「大滝」である。
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 戻りは、「滝道」ではなく、山の中腹で箕面川」の左岸の山道を下る。
 目の高さの紅葉が広がる。
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 途中に、「ライオン岩」、「姫岩」がある。
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 紅葉を見ながら進むと、山道は自然と「滝道」に合流する。
 「滝道」には、旅館のような建物が並ぶ風景もある。
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 「滝道」は終わり、市中の道を進む。
 途中に左折れすると、「高野山真言宗 聖天宮西江寺」がある。
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 神仏習合の寺社である。
 奈良時代になる前に、「役小角(役行者)」によって開山されたという。
 「大聖歓喜天」を祀り、「役小角」はこの箕面を日本最初の歓喜天霊場としたとされている。
 かつては、「摂津国神宮寺」と称していたが、明治時代末期に「聖天宮西江寺」と改称した。

 境内には、「役小角」作と伝わる「大聖歓喜天像」を祀る「本堂」、「大黒天」を祀る「大黒堂」、集合祠などがある。
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 そして、「客殿」があり、紅葉の遠くに「スパーガーデン」も見える。
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 「聖天宮西江寺」を後にして、駅へと戻り、「箕面駅」のミニ探索を終了したのであった。
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阪急宝塚線11・箕面線 牧落駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねている。

 前回から、「石橋阪大前駅」を起点とする支線「阪急電鉄 箕面線」へと横道にそれていて、今回は、「石橋阪大前駅」から2つ目の駅の大阪府箕面市にある「牧落(まきおち)駅」である。

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 「牧落駅」で下車する。
 東西に出口があり、西の出口(下右の写真)から出る。
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 「牧落」とは、 平安時代、諸国から献上された牛馬を放飼いしていた「てしままき」と云う牧場があったが、その後消滅、「牧村」という地名となり、更にその村が分割され、村の外れと云う意味で「牧落」となったと云う説があるところである。

 駅の少し北側に、「中央線」という車道が東西に通っているので、これを西方向へと進む。
 駅の近くは「桜」と云う住所地である。
 そして、「箕面川」を渡ると、「桜ヶ丘」となる。
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 しばらく進んで行くと、右手北側に神社への参道があるので、これを進む。
 「式内社大社 阿比太(あびた)神社」の表参道である。
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 「玉垣」で囲まれた神社の神域を廻ってみる。
 東側には、「東南参道」、そしてその北側には、「東北参道」が設けられている。
 そして、3つの参道には名前が付けられている。
 「半町(はんじょ)」、「桜」、「新稲(にいな)」であり、氏子地域の地名である。
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 元の表参道へと戻り、鳥居を潜る。
 境内中央にて、参道が合流する。
 そして境内正面は鳥居が建ち、その先は「拝殿」である。
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 「拝殿」前には「狛犬」も祀られている。
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 そして、「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「素盞嗚尊」とされている。
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 この神社の創建は「応神天皇」の時代とされ、当初は「箕面駅」の北に祀られていたとされている。

 境内社が祀られている。
 「大杉稲荷神社」である。
 また、「本拝殿」と「稲荷」を結ぶ「無事通り抜け参道」と云い、「厄難・入学試験などを無事通り抜ける縁起のよい参道」とされている。
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 そして神社を一周したところで、この地点で「牧落駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急宝塚線10・箕面線 桜井駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねている。

 今回から、「石橋阪大前駅」を起点とする支線「阪急電鉄 箕面線」へと、横道にそれる。
 この「箕面線」は、阪急電鉄の前身である「箕面有馬電気軌道」が最初に敷設した路線でもある。

 今回は、「石橋阪大前駅」の次の駅の大阪府箕面市にある「桜井駅」である。

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 「桜井駅」で下車する。
 駅のホームは、相対する2面2線である。
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 「桜井駅」と線路の北側には、「西国街道」が通っている。
 先ずは、駅前から東へと進む。
 途中「西国街道」の標柱が立っている。
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 阪急線と交差する踏切まで進み、Uターンして、西へ戻る方向へと進む。
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 左側に蔵を連ねた町屋がある。
 回り込んでみると、堂々とした「主屋」も見える。
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 進んで行くと、右手に「虫小窓」の民家、左手に蔵が映える民家もある。
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 進んで行くと、左手に先ほどの標柱が「瀬川・半町(はんじょ)」方向を案内している。
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 左手に「桜井駅」を見て、更に進む。
 道は少し細くなる。
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 こちらにも、趣のある町屋が見られる。
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 そして、「半町2丁目」の交差点に到達したので、この地点で「桜井駅」のミニ探索を終了したのであった。
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阪急宝塚線9・石橋阪大前駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねている。
 今回は、「阪急宝塚線」の起終点の「宝塚駅」から8つ目の駅で、大阪府池田市にある「石橋阪大前駅」である。

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 「石橋阪大前駅」で下車する。
 この駅名は、今から2年前に「石橋駅」から「阪大前」を付加した形の変更がなされたものである。
 そして駅の西口から出る。
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 駅前はアーケード商店街「いしばし商店街」である。
 先ずは、南方向へと進む。
 アーケードを出た所は、「国道171号線」の高架橋である。
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 高架橋脇の側道を東へと進む。
 「阪急宝塚線」の踏切を渡るついでに、駅を眺め、更に東へと進む。
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 広い道路との交差点に出る。
 交差点名は「石橋阪大下」である。
 中央の広い道路は「国道171号線」で、左の斜めに入る小路は「西国街道」、右手の人が集まっている道路は「阪大坂」である。
 そして、「阪大坂」を進む。
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 「阪大」即ち「大阪大学」の入り口へと到達する。
 「阪大 豊中キャンパス」へは、右の坂道を登って行くことになるが、前に「大阪モノレール 柴原駅」の探索で訪れているので、今回はこの地点で引き返すことにする。
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 駅へと戻る。
 今度は、アーケードを北方向へと進む。
 商店街は尽きて、赤い橋を渡ることになる。
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 「箕面川」に架かる「箕面川橋」と川の流れである。
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 アーケードのゲートには、「能勢街道」と記されている。
 この「能勢街道」はアーケード商店街として南下し、先ほどの「西国街道」と交差することになる。
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 アーケードの途中に、「宝塚線」のホームの下を潜る小路があり、これを東進する。
 「阪急箕面線」とに挟まれた部分には、コンビニ、居酒屋など、雑多な商店が集積している。
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 歩いてみると、ラウンジやスナックなどもあり、歓楽街ともいえる一角である。
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 そしてすぐ先は駅の東口である。
 この時点で「石橋阪大前駅」のミニ探索を終了し、駅へと入ったのであった。

阪急宝塚線8・池田駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねている。
 今回は、「阪急宝塚線」の起終点の「宝塚駅」から7つ目の駅で、大阪府池田市にある「池田駅」である。

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 「池田駅」で下車する。
 駅舎は3階建てで、最上階がホームである。
 駅ビルの北側へと出る。
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 駅前には、バスロータリーの他に、独立した広場がある。
 ソーラー発電の「ふくまるの家」もある。
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 駅前の「国道176号線」を挟んで向かい側はアーケード商店街「サカエマチ1番街」の入り口である。
 アーケードの下を北へと向かう。
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 進んで行くと、道路を挟んで、「サカエマチ2番街」である。
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 アーケードを通り抜け、振り返ってみる。
 この通り抜けた交差道路は、「ほんまち通り商店街」と云う。
 通りの西方向北側には、登録有形文化財の「旧加島銀行 池田支店」、「落語みゅーじあむ」が建っている。
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 また、道路の斜め向かい南側には大衆演芸場の「呉服座」がある。
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 先ほどのアーケードの出口まで戻り、前の小路を北へと入る。
 そこには、江戸元禄の頃に創業し、「伊丹酒・池田酒」と一世を風靡した「池田酒」の蔵元「呉春」がある。
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 「呉春」の横の酒蔵に沿った道を東へと進む。
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 右折、左折を繰り返し、北東方向へと進んで行くと、城のような建物が上部に見えて来る。
 「池田城」である。
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 城の大手は東側なので、東へと回り込む。

 「池田城」は五月山から南に延びる50m程度の尾根に、鎌倉時代に国人領主の「池田氏」が築城し居城としたとされる。
 当時は豊島郡と云われた現在の池田市、豊中市、箕面市などを支配下に置いていた。
 以来、「応仁の乱」や「細川氏」、「三好氏」そして「織田信長」の侵攻などで紆余曲折があったが、最終的には「荒木村重」に滅ぼされた。
 しかし「村重」はこの城を重要視せず、そのまま「池田氏」が城主を務めていたとも云われる。

 現在は、城跡公園として、「櫓台」が模擬復元されている。

 大手門は東側にある。
 再建された橋を渡り、「大手門」から入城する。
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 城郭の領域は塀で囲まれている。
 中には、茶室、ユリ園、礎石のみの「本丸跡地」がある。
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 そして、南の端に「櫓台」が建っている。
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 「櫓台」からの風景である。
 南西方向に「六甲山」、北側に「本丸跡」と「五月山」、下には庭園も見える。
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 城郭の東側は堀であった。
 現在は「空堀」で唯一の遺構である。
 底は遊歩道となっている。
 土塁の一部と、周囲を回ると「虎口」、「南門」がある。 
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 最後は西側である。
 当時西側は崖になっていた。
 現在は急な階段が設けられている。
 上り詰めると「西門」に到着する。
 塀の外から見上げた「櫓台」は趣のある構図となっている。
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 そしてこの地点で、「池田駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急宝塚線7・川西能勢口駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねている。
 今回は「阪急宝塚線」の起終点の「宝塚駅」から6つ目の駅である兵庫県川西市にある「川西能勢口駅」である。

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 「川西能勢口駅」で下車する。
 この駅では、ホームを並べて、「妙見山」や「日生ニュータウン」へと向かう「能勢電鉄」が出ている。
 車両は「阪急電鉄」から譲渡されたもので、「阪急」と同じ「マルーン色」で区別がつかない。
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 駅舎を北側へと出る。
 駅前は、地上はロータリー、円形の高架歩道橋など、賑やかな構成である。
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 駅横には、幅広い県道が南北に通っている。
 「能勢電鉄」沿いの道路を、北東方向へと進む。
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 しばらく歩いて行くと、「川西市役所」が現れる。
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 市役所の横には「能勢電鉄」の高架橋があるが、これを潜り、東方向へ進むと、東向きに「式内社 小戸(おおど)神社」が鎮座している。
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 神社の境内へは、「社号柱」脇の水路に架けられた神橋を渡り進む。
 正面は「一ノ鳥居」であり、それを潜る。 
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 その先は「二ノ鳥居」、そして正面は「拝殿」である。
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 その背後、瑞垣の中に覆屋の「本殿」、その手前に古そうな一対の狛犬が祀られている。
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 現在の祭神は、「大山津見尊」、「素盞嗚命」、「天児屋根命」である。
 この神社は、「応神天皇」の皇子「大山守命」の末裔である「榛原公」の一族が「大山津見尊」を祀ったのが創建とされている。

 「本殿」の左には、境内摂社が祀られている。
 扁額には、「鹿島神社」、「稲荷神社」と書かれているが、以前は「藤森神社」も合祀されていたと云われる。
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 また、拝本殿の左手には、根回り約12m、樹高約30m、推定樹齢500年で、兵庫県指定天然記念物の大楠がある。
 尚、この辺りの住所地は神社名の「おおべ」ではなく、「小戸(おべ)」である。
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 神社を後にして、「川西能勢口駅」に戻り、駅舎の南側へと出てみる。
 「JR宝塚線」の「川西池田駅」へと向かう方向である。
 階上の広場であるが、ハートのデコレーションが立てられている風景がある。
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 そしてこの地点で「川西能勢口駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急宝塚線6・雲雀丘花屋敷駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねている。
 今回は「阪急宝塚線」の起終点の「宝塚駅」から5つ目の駅である兵庫県宝塚市と川西市の境界にある「雲雀丘花屋敷駅」である。

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 「雲雀丘花屋敷駅」で下車する。
 この駅は、島式2面4線のホームで、「大阪梅田駅」との間で、各駅停車が運行され、その起終点でもある。
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 駅の北側は丘陵地である。
 そして閑静な住宅地でもあり、大きな屋敷もある。
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 この宝塚の雲雀丘は、約100年前に「阿部元太郎氏」が自然に拘って開発した住宅地とされている。
 神戸の山手の異人館街にならい、土地が安くてまとまった広さがあるこの丘陵地を開拓したとのことである。

 丘を登って行くと、「高碕記念館」という国の「登録有形文化財」の建物・庭園がある。
 宝塚市の「景観重要建造物」第1号でもある。
 入場可能なので、入ってみる。
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 石段を登って行くと、変わった形の灯篭、そして「ライオン像」がある。
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 そして正面は、著名な建築家「ヴォーリズ」のコロニアルスタイルの作品である。
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 建て物の西側が入り口のようであるが、改修工事中であったのは残念である。
 そして西の門から退出したのであった。
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 そのまま西方向へと、住宅街の小径を進む。
 メタセコイアもしっかりと色づいている。
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 赤い屋根の建物が見えて来る。
 正面へと回り込んでみる。
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 「正司邸」で、これも「登録有形文化財」である。
 また、宝塚市の「景観重要建造物」第2号でもある。
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 正面、側面、背面を眺めてみる。
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 この「正司邸」は、洋館、和館併存住宅とのことであるが、道路からは和館は見えない。
 また庭園は、洋風のバラ園、和風のアジサイ園となっているそうである。
 更に、この邸は、NHK朝ドラの「ふたりっ子」の舞台になったとのことである。

 そしてこの地点で「雲雀丘花屋敷駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急宝塚線5・山本駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねている。
 今回は「阪急宝塚線」の起終点の「宝塚駅」から4つ目の駅である宝塚市の「山本駅」である。

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 「山本駅」で下車する。
 駅の北側はバス停・ロータリーで、山麓に掛けて住宅地が広がっている。
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 西側の「最明寺川」を渡ると正面に顕彰碑が建っている。
 「木接太夫彰徳碑」である。
 「木接太夫」とは、豊臣秀吉の時代に、この山本地区に住み、「接ぎ木」の技術を揮発した武士「坂上頼泰」のことで、「秀吉」から「木接太夫」の称号が与えられた人物とのことである。
 また、宝塚市からも、4年前に名誉市民の称号が贈呈されている。
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 顕彰碑の右手の小径には「右 中山道」の石柱が立っていて、「中山観音」へ行くことができるようである。
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 踏切を渡り、南方向へ進み、「山本交番前」と云う交差点を右折する。
 「沢池」の手前に出る。
 池の向こうに、英国風の建物が見える。
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 池の南側の道路は「国道176号線」である。
 その南には「新池公園」がある。
 そして北側の英国風は「あいあいパーク」と云う。
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 園芸・ガーデニングのパークである。
 建物の間を入ってみると、販売用の苗木が並んでいる。
 時節柄、サンタクロースも、お迎えである。
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 中の方へ進んで行くと、今度は花苗である。
 かなりの広さなので、沢山の品種と量が並べられていて、目を楽しませてくれる。
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 しばらくして、北方向へと退出である。
 建物を振り返り、駅へと戻り、「山本駅」のミニ探索を終了したのであった。
 「木接太夫」と「あいあいパーク」の「山本」は園芸・ガーデニングの街であったのである。
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阪急宝塚線4・中山観音駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねている。
 今回は「阪急宝塚線」の起終点の「宝塚駅」から3つ目の駅である宝塚市の「中山観音駅」である。

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 「中山観音駅」で下車する。
 この駅は、「中山観音/中山寺」の直ぐ近くの駅で、ホームから「山門」や「多宝塔」が見える。
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 以前の「JR宝塚線 中山寺駅」のミニ探索で、「中山寺」に参拝したので、今回は別の場所を訪れることにする。

 駅の南口へと出る。
 ロータリーから南方向への道路を進むと、「国道176号線」に突き当たる。
 この国道を東へと進む。
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 神社の杜が見えて来る。
 そして10分程度で、神社の門前に到着する。
 「中筋」の「八幡神社」である。
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 「八幡神社」は南向きである。
 神社正面には「鳥居」が建つ。
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 「鳥居」を潜ると、正面には石段があり、その上は「拝殿」である。
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 「拝殿」の幕には鳩の神紋が、そして「拝殿」手前には一対の狛犬が祀られている。
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 「拝殿」の背後は「本殿」であるが、覆屋の中なので、拝見はできない。
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 「本殿」の祭神は「誉田別尊(ほんだわけのみこと、応神天皇)」で、「宇佐神宮」から勧請されたとされている。

 神社の創建は不明ではあるが、「本殿」の棟札には室町時代のものがあり、それ以前である。
 尚、「本殿」及び棟札は国の重要文化財に指定されているとのことである。

 神社には境内社が祀られている。
 先ずは「厄神社」で祭神は、「仲哀天皇」の皇子で、「応神天皇」の異母兄弟の「麛坂(かごさか)皇子」、「忍熊(おしくま)皇子」の兄弟である。
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 そしてもう一社は、「九頭龍神社」で、祭神は「木花咲屋比売(このはなさくやひめ)神」である。
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 阪神淡路大震災の時に、この「八幡神社」も例にもれず倒壊したとのことである。
 その後、「本殿」は修復、その他の社殿は新築されたとのことである。

 「八幡神社」の国道を挟んで西側には、濠に囲まれた寺院がある。
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 「法華宗 妙玄寺」と云う。
 濠に囲まれた珍しい風景なので、寄り道をしてみたのであった。
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 そしてこの地点で「中山観音駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急宝塚線3・売布神社駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねている。
 今回は「阪急宝塚線」の起終点の「宝塚駅」から2つ目の駅である宝塚市の「売布(めふ)神社駅」である。

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 「売布神社駅」下車する。
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 駅の北西側に駅名の通り「式内社 売布神社」が祀られているので、それを訪れてみる。

 駅横の道を北へと進む。
 灯篭が建ち、その先で東西の道路と交差する。
 この道は「巡礼街道」と云い、道標が立っている。
 西へ行けば、「清荒神」、東へ進めば、「中山観音」である。
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 案内に従って、「売布神社」へと進む。
 途中右手に、「カトリック女子 御受難修道会」がある。
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 進んで行くと、正面に「売布小学校」がある。
 そして右手に、「鳥居」、「社号柱」があり、これを潜る。
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 そして参道を進む。
 途中、注連縄柱を潜ると石段である。
 苔を戴いた灯篭もある。
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 そして境内である。
 拝殿前には、一対の狛犬、そしてかつての社号標「賣布社」が祀られている。
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 先ずは「拝殿」である。
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 背後は「本殿」であるが、覆屋に覆われている。
 「本殿」の主祭神は「下照姫神」、配祀は「 天稚彦(あめのわかひこ)神」とされている。
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 神社創建の由来には、古代この地を訪れた「下照姫神」が、住民が飢えと寒さで困窮しているのを見かね、稲を植え麻を紡ぎ布を織ることを教え、その後、豊かになった村人達は「下照姫神」を祀ったとされる言い伝えがある。
 尚、この神社の創建は「推古天皇」の時代とされている。

 境内には幾つかの境内社が祀られている。
 「豊玉神社」、「稲荷神社」、「市杵島比売神社」である。
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 そして神社の参拝を終えたところで、「売布神社駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急宝塚線2・清荒神駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねてみることにする。
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 今回から「阪急宝塚線」に入る。
 この「宝塚線」と、途中に訪れる「箕面線」は、阪急電鉄の前身である「箕面有馬電気軌道」が最初に敷設した路線である。
 今回は、その起終点の「宝塚駅」の次の駅である宝塚市の「清荒神(きよしこうじん)駅」である。

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 「清荒神駅」で下車する。
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 「清荒神駅」の直ぐの南には、「宝塚市立中央図書館」がある。
 また、駅の北側には、市場・商店街がある。
 これらを通り抜ける参道の先に「真言三宝宗総本山」の「清荒神清澄(せいちょう)寺」という神仏習合の寺院があり、それを訪問してみる。
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 商店街の入り口は、参道の入り口でもある。
 そして、商店街を過ぎた所で車道と交差し、鳥居が建っていて参道らしくなる。
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 参道を進む。
 この参道は緩やかな登りで、約1kmの道のりがあるとのことである。
 また途中に短いアーケードも設けられている。
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 途中、飲食の店や占いの館なども見られる。
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 その先、高速道路を潜る。中国自動車道である。
 そして両側に灯篭が建つ辺りから、神聖な領域となる。
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 その先、荒神川の神橋を渡る。
 神具・仏具の店舗もある。
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 更に進む。
 同様の店舗が、ところどころに見られる。
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 参拝者用の駐車場を左手に見て、参道を進む。
 参道には屋台の店が現れる。
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 そして、いよいよ山門に到着である。
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 清荒神は神仏習合である。
 山門を潜り、少し行った左手には、神社が祀られている。
 「三宝荒神社」である。
 鳥居を潜ると、神社境内で、先ずは「拝殿 天堂」、その奥は「本殿 護法堂」である。
 「天堂」の祭神は、「三宝荒神王」、「大聖歓喜天」、「十一面観世音菩薩」などである。
 また「護法堂」の祭神は、「大勝金剛転輪王(如来荒神)」、「歓喜童子」、「弁財天」である。
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 また、神社域には、「眼神祠」、「龍王堂」、「宝稲荷神社」などが祀られている。
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 次に、山門の正面の寺院の「本堂」である。
 「本堂」には「大日如来」、「不動明王」、「弘法大師」、「四天王」が祀られている。
 そして、「本堂」手前右手には、「一願地蔵尊」が祀られている。
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 また「本堂」前には、「池苑」、そして「史料館」もある。
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 この「清澄寺」は、平安時代前期に、「宇多天皇」の勅願により創建されたとされる。
 当時は、旧清(もときよし)と呼ばれる山の尾根に建てられていたが、戦国時代に被害を受け、江戸時代に現在地に移動したとされる。
 また、「三宝荒神社」は、当時からこの場所に鎮守社として祀られていたとの経緯を辿っている。

 そして、参拝を済ませたところで、「清荒神駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄今津線10/阪急宝塚線1・宝塚駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねてみることにする。
 今回は、「今津駅」から9駅目で、「宝塚線」の起終点である「宝塚駅」である。

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 「阪急今津線」の終点の「宝塚駅」で下車する。
 駅は、「阪急宝塚線」との接続駅で、ホームは2面4線である。
 駅舎の南側へと出る。
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 駅前のビル内を通り抜けると、「宝塚大劇場へと続く「花のみち」である。
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 進んで行くと、「大劇場」が見えて来る。
 また、途中には、阪急グループの創業者「小林一三氏」の胸像も建てられている。
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 かつて、この「大劇場」の北側から東方向に掛けて「宝塚ファミリーランド」と云う遊園地があったが、2003年に閉園されている。
 今回は、その跡地の活用の様子を眺めて見ることにする。

 「宝塚大劇場」の横で「阪急今津線」の高架線路を潜り、次の交差点まで進む。
 そこには「手塚治虫記念館」がある。(但し、閉園の9年前に建てられたもの)
 記念館の玄関横には、「火の鳥」のモニュメントも建っている。
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 また、記念館の横に廻ってみると、「ジャングル大帝」のレオのモニュメントが建っている。
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 「手塚治虫記念館」の東側は「ファミリーランド」の跡地であるが、昨年に「市立文化芸術センター」が建てられている。
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 両館の間の南側は庭園である。
 もともとあったものかも知れない。
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 そして、東側の高架道路を潜ると、広場となっていて、正面には遊具、北には、これも以前からあった「宝塚音楽学校」が、現在は「宝塚文化創造館」として活用されている。
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 遊具の向こうは、2本の高いマンションビルであるが、後程、距離を取って眺めることにする。
 「文化創造館」の東側には、趣のあるデザインのビルが建っている。
 「サンタクルス」と銘打たれた産婦人科の総合病院である。
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 東へと進む。
 この辺りは、カーディーラーが並んでいる。
 また、2本の高層マンションの入り口もある。
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 その東は学校である。
 「関西学院初等部」の表示がある。
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 そして、この辺りからは高層マンションの全体が眺められる。
 33階建てで、総戸数287戸とのことである。
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 「宝塚駅」へと戻る。
 国道を挟んで、「阪急駅」と、少し前に訪問した「JR駅」と並ぶ風景を見て、「阪急駅」に戻り、今回の「宝塚駅」と「阪急今津線」のミニ探索を終了したのであった。
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阪急電鉄今津線7・小林駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねてみることにする。
 今回は前後するが、「今津駅」から6駅目の「小林(おばやし)駅」である。

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 「小林駅」で下車する。
 駅正面には、モニュメントが建てられている。
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 駅前を少し東へと進み、左折北上する。
 途中から、もう一本東の、「良元街道」に乗り換える。
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 この「小林駅」がある地域は、かつては「良元(りょうげん)村」と云った。
 「良元街道」とは、西宮から宝塚小浜に抜ける「馬街道」とも呼ばれる「西宮街道」の、この付近を通る部分の名称である。
 その「良元街道」を北上する。
 途中に、分厚い門構えの邸宅も見られる。
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 左手に神社の参道が見える。
 その先の北方向も街道は続き、住所地は「小林」である。
 西方向の参道に入ると、「一ノ鳥居」が建っている。
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 鳥居を潜ると、右手には「金毘羅社」が祀られている。
 そして、その先は踏切である。
 踏切を渡り終えると、丁度、阪急電車が通り掛かったのであった。
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 参道を昇って行く。
 参道はヘアピンに折れ曲がっている。
 昇って来た坂は「正直坂」、これから昇る坂は「清明坂」と名付けられている。
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 その「清明坂」を昇ると、左手に「二ノ鳥居」、「宝塚神社」と記された「社号柱」が建っている。
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 鳥居を潜ると境内である。
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 境内の北側には、朱塗りの鳥居が建ち、その左側には「恵美須社」、右側には「天満神社」が祀られている。
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 そして「恵美須社」の並びには、左から、「大神社」、「愛宕社」、そして石の「三社」、続いて「塞神社」、「八幡社」が祀られている。
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 西側は「拝殿」である。
 丁度、正月の準備中であったので、完成された形で見ることができなかったのは、やむを得ない。
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 「拝殿」の背後は本殿である。
 祭神は、「大山咋命」、「素盞嗚尊」とされている。
 この神社の創建は不詳であるが、隣にある「平林寺」の開基が「聖徳太子」とされていることから、同時期との考えもある。
 また、神社の北側隅には、震災の遺構がまとめられている。
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 「宝塚神社」の境内は見晴らしの良い場所である。
 宝塚や川西の市街地はもちろんのこと、大阪平野を介して、東の正面に「生駒山」、東南方向に「葛城・金剛」の山々が見える。
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 神社を後にして、境内北側の朱塗りの鳥居を潜り、隣の「平林寺」へと向かう。
 「鐘楼」、そして「本堂」、「不動明王像」が見られる。
 「本堂」の本尊は「釈迦如来」で、創建は飛鳥時代で、「聖徳太子」並びに「用明天皇」の開基とされる。
 また宗派は、真言宗系単立である・
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 境内には、「観音堂」、「薬師堂」、そして「宝篋印塔」などが祀られている。
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 この隣り合わせの神社と寺院、明治時代にまでは、神仏習合で一体であったと思われるが、明治政府の神仏分離令にて、別々となってしまったものと思われる。

 そしてこの地点で、「小林駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄今津線9・宝塚南口駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねてみることにする。
 今回は、「今津駅」から8駅目の「宝塚南口駅」である。

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 「宝塚南口駅」で下車する。
 ホームの北方向に見える赤い屋根の建物は「宝塚大劇場」である。
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 駅の東側には、時節柄、クリスマスのデコレーションがある。
 駅舎から出て、駅を眺めて見る。
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 デコレーションの東側はサンビオラと云うショッピングビルであるが、その3階に「宝塚市立国際文化センター」がある。
 また、ビルの北側には、県道が通っていて、直進すると、「逆瀬川駅」の付近を通り、「六甲山」へと行くことができる。
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 今度は駅の西側である。
 駅の西側は、工事現場用の白いシートで囲われている。
 仕方がないので、再度駅舎へと上がり、眺めて見る。
 広いエリアはビルの取り壊し中である。
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 聞いてみると、「宝塚ホテル」であったとのことである。

 それでは、「宝塚ホテル」はどこへ行ったのか?
 新しい「宝塚ホテル」は「武庫川」を渡って、「宝塚大劇場」の並びの「宝塚駅」に近い所に移動していたのであった。
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 そしてこの地点で、「宝塚南口駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄今津線8・逆瀬川駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねてみることにする。
 今回は、「今津駅」から6駅目の宝塚市の「小林(おばやし)駅」を都合で後程とし、7駅目の「逆瀬川(さかせがわ)駅」である。

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 「逆瀬川駅」で下車する。
 先ずは駅舎の西側である。
 西側は、バスの溜り場を伴うバス停である。
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 そして、駅名の「逆瀬川」が流れている。
 この「逆瀬川」は、「土木遺産」とのことで、堰堤などに色んな工夫がなされたものとのことである。
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 今度は駅舎の東側である。
 東側は、バスやタクシーのロータリーである。
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 ロータリから東方向へと進む。
 5分程度歩くと、神社の社頭に到着する。
 「式内社大社 伊和志津神社」の横からの参道である。
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 鳥居を潜って参道を進む。
 参道にも鳥居があり、社号柱も建っている。
 社号柱には、「伊和志豆神社」と、かつての神社名が記されている。
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 進んで行くと「拝殿」前に出る。
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 「拝殿」の背後は「本殿」である。
 「本殿」祭神は、「須佐之男命」とされている。
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 この「伊和志津神社」の創建であるが、平安時代初期以前と考えられている。
 この地は、「伊蘇志臣(いそしのおみ)」が拠点としていた地で、伊蘇志臣が祖神を祀ったのが創建とされている。
 そして現在の地名も、文字は違うが「伊孑志(いそし)」と云う。

 またこの神社には、安土桃山時代、「加藤清正」が「文禄・慶長の役」で朝鮮から持ち帰った虎を境内で飼育したとも伝えられている。

 境内社が祀られている。
 左側が「安徳天皇」を祀る「宝塚水天宮」、右側は「加具土命(かぐつちのみこと)」を祀る「愛宕社」である。
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 その他、右から「八幡宮」、「春日大明神」、「天照皇大神宮」、「山神社」、「大将軍社」が並ぶ「洋拝所」、そして神仏習合の名残の「地蔵舎」も祀られている。
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 一旦、神社の境内から退出する。
 神社の北側の角は、県道の交差点となっていて、神社の塀沿いを東へと進む道路にはトンネルがある。
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 交差点を北へと渡り、住宅街の中の道を東へ進むと、丁度トンネルの東側にあたるところに鳥居が現れる。
 「表参道」であり、鳥居を潜って石段を昇る。
 山頂付近は、社叢である。
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 進んで行くと丘を下る。
 そして、正面に「拝殿」が見えて来て、正面からの参拝ができることになる。
 このように、トンネル上を通過する参道は珍しいものであるが、様々な経緯があったのものと推察される。
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 そして、神社境内に戻った所で、「逆瀬川駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄今津線6・仁川駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねてみることにする。
 今回は、「今津駅」から5駅目で、宝塚市に入った最初の駅の「仁川(にがわ)駅」である。

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 「仁川駅」で下車する。
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 駅舎の外壁には、「馬」が描かれたパネル映像が掲げられているのは、「仁川駅」は「阪神競馬場」の最寄駅であることによるものであろう。
 駅舎の隣には、六体の地蔵尊が並べられている。
 これは「六道」を現すもので、その「六道」とは、仏教における衆生がその業の結果として輪廻転生する6つの世界のことで、「天道」、「人間道」、「修羅道」、「畜生道」、「餓鬼道」、「地獄道」のことである。
 これら地蔵尊は、この地区の葬送の場に設置されていたもので、「仁川駅」の設置の際に、この場所に移されたものとされる。
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 「仁川駅」東側のロータリー・県道を北へと進むと、「阪神競馬場」の全体が見えて来る。
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 更に進むと、「阪神競馬場」の入り口へと到達する。
 そして、アプローチの広い歩道橋を進む。
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 突き当りの左側にはスタンドへの入り口がある。 
 数人のガードマンがいて、聞いてみると、予約が無ければスタンドへは入場できないとのことであった。
 仕方がないので、そこから競馬場を眺め、陸橋を降りて、外周道路にて駅へと帰ったのであった。
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 そして、残念ではあるが、「仁川駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄今津線5・甲東園駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねてみることにする。
 今回は、「今津駅」から4駅目の「甲東園駅」である。

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 「甲東園駅」で下車する。
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 駅前から、西方向に向かう道路は「学園花通り」と云う。
 この学園とは「関西学院(かんせいがくいん)大学」と「関西学院中・高」のことである。
 今回はその「関西学院」へと向かってみる。

 駅から「学園花通り」を進む。
 商店街を抜けると、右手前から来る「やくじんさん筋」と交差する。
 交差点には地蔵尊が祀られている。
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 「学園花通り」を直進する。
 右手に、「穎川(えがわ)美術館」の看板が建っている。
 「兵庫県立美術館西宮分館」とのことである。
 美術館の先に、丘へと登る階段があるので、これを辿る。
 恐らくは、折れ曲がる「学園花通り」の短縮路であろう。
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 石段の先には、また石段が続く。
 そして坂道となり、幼稚園に突き当たる。
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 左へ折れると、「学園花通り」に出る。
 先ほど突き当った建物は、「仁川幼稚園」と「関西学院教会」であった。
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 境界に沿って右折れすると西向きの広い平面道路となる。
 これも「学園花通り」であり、「関西学院」の正門へと続く道路である。
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 直進し、「関西学院大学」の正門から入ってみる。
 正面はお馴染みの時計台であり、現在は「博物館」である。
 そして、背後は「図書館」で、左側から眺めてみた。
 その左奥に見えるのは、「法学部」の建物とのことである。
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 大学を少し眺めたところで、駅へと戻る方向とする。
 今度は、折れ曲がる「学園花通り」を歩いてみる。
 この道は駅から「関学」に向かうバス道でもある。
 また途中に、丘に登る別の石段もある。
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 左右によく曲がっている。
 車も通るが、歩道と云うスペースが無く、危険を感じる場所もある。
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 歩きながら思った。
 関学の学生さんや中高の生徒さんは、「石段」、「つづら折り」、「バス」のどのルートを選ぶのであろうか?

 そして、出発点の「甲東園駅」まで戻り、この駅のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄今津線4・門戸厄神駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねてみることにする。
 今回は、「今津駅」から3駅目の「門戸厄神(もんどやくじん)駅」である。

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 「門戸厄神駅」で下車する。
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 駅の西側・北側に斜めに通っている道路は、「西国街道」である。
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 駅の北側の線路に沿う「門戸厄神」方向と標示された道を北進する。
 左手(西側)の丘の上に、「神戸女学院」と思われる建物が見える。
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 進んで行くと、灯篭が建つ交差点に出る。
 これを左折れして、丘に向けて進む。
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 住宅街の中を進んで行くと、少しの登りとなり、「門戸厄神 東光寺」の門前「正門」に到着する。
 そして石段を昇ると、境内正面の「表門」へと到着する。
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 「門戸厄神」の正式名称は、「高野山真言宗 別格本山 松泰山 東光寺」である。
 「東光寺」は、平安時代の初期、「嵯峨天皇」の勅願により、「弘法大師 空海」が開山したとされている。
 そして「空海」は、「愛染明王」と「不動明王」が一体となった「厄神明王像」を三体刻むと、高野山の天野大社、山城国の石清水八幡宮、そしてこの東光寺へ祀ったとされている。

 「表門」を潜った上部には「中楼門」が建っている。
 これを潜ると、周囲に沢山の堂宇が建つ光景となる。
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 眼下の平野部を眺め、右手(北側)から堂宇を巡ってみる。
 先ずは「薬師堂」である。
 寺の本尊の「薬師瑠璃光如来」が祀られている。
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 境内中央の「厄神堂」である。
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 「厄神堂」の背後には、鳥居が建ち「日本三体 厄神明王」の扁額が架かっている。
 そして背後はその「本堂」であろうか?
 また左隣には、石盤の「不動明王」が祀られている。
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 「厄神堂」の左隣は「大黒堂・愛染堂」である。
 そして、杉の大株である「延命魂」が祀られている。
 この株は、「高野山奥の院」の「弘法大師御廟」近くで、樹齢八百年の生命をまっとうした杉根を譲り受けたものとされている。
 更には、その左前方に「大師堂」が祀られている。
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 そして、「門戸厄神」の境内を一巡したところで、「門戸厄神駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄今津線3・西宮北口駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねてみることにする。
 今回は、「今津駅」から2駅目の「西宮北口駅」である。

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 「西宮北口駅」で下車する。
 駅は、「阪急電鉄神戸線」との乗換駅でもある。
 「今津駅」からの電車は、この駅が終点である。
 従って、「宝塚駅」方面への「今津線」は、コンコースを経由して、別のホームから乗り換えることになる。
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 先ずは駅の西側へと出てみる。
 駅の西側には「津門(つと)川」が流れていて、「球場橋」と云う橋が架かっている。
 かつてあった「阪急西宮球場」に由来するものであろうう。
 また、橋の東側には、「県立芸術文化センター」が建っている。
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 駅へと戻り、今度は駅の東側へと出る。
 広場の北側に線路を潜る道路があるのでしばらく進んで行くと、「高木八幡通り」に入り、これを進む。
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 神社の社殿が見える。
 神社裏の交差点には、「厄神明王・・・」と記された道標が下部が埋もれた形で建っている。
 「厄神明王」とは、「門戸(もんど)厄神」のことであろう。
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 そして神社の社頭である。
 神社は「高木八幡宮」と云う。
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 鳥居を潜り参道を右折すると、正面は「拝殿」である。
 「拝殿の両手前には、一対の「狛犬」が祀られている。
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 「拝殿」の背後は「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「誉田別命」、「伊邪那美命」、「火産霊(ほむすび)神」とされている。
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 そして「本拝殿」の風景と、境内社の「稲荷社」である。
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 この神社もそうであるが、平成7年の「兵庫県南部地震」にて、社殿や鳥居などが倒壊し、新たに建造されたものである。
 その名残が境内の隅に保存されている。
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 また、神社の創建は明らかではないが、江戸元禄の文書には、往古産土神として崇敬されて来たとされている。

 神社を後にして、駅方向へ戻る。
 途中に寺院がある。
 高野山真言宗の寺院で、「慈眼山 法心寺」と云う。
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 この寺院は、「織田信長」の甲山「神呪寺(かんのうじ)」の焼き討ちにて、灰燼の中に残っていた「十一面観音像」を移設し、創建されたとの謂れがある。
 また、「法心寺」は、「摂津国八十八箇所霊場」の 七拾七番札所でもある。

 境内には、上部写真の「本堂」・「庫裏」の他、「行者堂」、「宝篋印塔」、「稲荷社」などが祀られている。
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 「西宮北口駅」へと戻る。
 階上のコンコースには、「阪急西宮ガーデンズ」への通路もある。
 そして、「宝塚駅」方面の「今津線」のホームに降りて、「西宮北口駅」のミニ探索を終了したのであった。
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阪急電鉄今津線2・阪神国道駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねてみることにする。
 今回は、「今津駅」の次の駅である「阪神国道駅」である。

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 「阪神国道駅」で下車する。
 駅は相対式ホーム2面2線の高架駅である。
 階段を降りて地上の駅出口から出る。
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 駅前は、駅名が示すように「国道2号線」が通っている。
 国道を渡る歩道橋があるので、上がってみる。
 歩道橋上からの国道の風景で、東の大阪方向、西の神戸方向である。
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 歩道橋から、駅東側を眺めてみる。
 駅の東側は、空き地である。
 その更に東側は、北に「マンション群」が建ち、南には「ショッピングゾーン」が形成されている。
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 この地は、元「アサヒビール 西宮工場」であった所で、平成24年8月の工場閉鎖以後、新たな活用が始まっている所である。
 跡地は、東に「名神高速道路」、北に「JR東海道線」、西に「阪急電鉄今津線」、南に「国道2個号線」囲まれた変形台形形状である。
 駅から遠い東の約2/3は民間の事業地として活用が始まり、駅側の1/3の更地は公共用地で、病院、体育館、公園などに活用されるとのことである。

 地上へ降り、東へと進む。
 直ぐに「今津橋」と記された橋の親柱と欄干がある。
 川は自転車置き場となっているが、かつては駅の下を流れる川があったのであろう。
 そして、更地南側の中央あたりに進む。
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 中央あたりから、左手に駅舎、右手にマンション、そして中央の奥に、「深津中学校」の校舎と、その手前に「JR東海道線」の電車が走る風景が見える。
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 そして、この地点で、「阪神国道駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄今津線1・今津駅

 兵庫県西宮市の「今津駅」を起終点とする「阪急電鉄 今津線」の各駅と、それに続く「阪急電鉄 宝塚線」の各駅を途中下車にて、大阪市の「大阪梅田駅」まで訪ねてみることにする。
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 今回は、第一番目の「今津駅」である。

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 「今津駅」へは、「阪神電鉄 本線」で向かう。
 そして、阪急駅から乗車することになるが、その前に付近を訪ねてみる。
 駅の南側に、「阪神高速」と「国道43号線」あり、それを渡って、東方向へと進む。
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 しばらく進むと、「今津小学校」がある。
 そこには、校門横に「六角堂」と呼ばれる明治15年に建てられたレトロモダンな建物がある。
 コンサートなどのイベントに利用されるとのことで、この日も「酒道展」と云う催しが開催されていた。
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 その南には、「大関酒造」の本社や酒蔵・工場がある。
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 「大関」の南側の道路に「今津灯台」との道しるべが掲示されている。
 その案内に沿って道路を南下すると「今津港」の入り口へと到達する。
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 入って行くと、陸揚げされたり、繋留されたりのモーターボートが並んでいる。
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 更に進むと、灯台がある。
 「今津灯台」である。
 そしてその西側は広い湾である。
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 灯台の周りを回ってみる。
 灯台の建設は「文化7年」、「安政5年」に再建されたとの標示があり、日本では最古のものとされる。
 また、この灯台は「大関酒造」が建設し管理する民営で、当初は油点灯であったが、今でも現役で、電気式の自動点灯となっている。
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 灯台の水路を挟んだ南側には、こんもりとした杜がある。
 「今津砲台跡」とされている。
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 灯台の北側である。
 そこには、野球グラウンドがある。
 グラウンドと水路の間を北進する。
 「東川」と水門の風景である。
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 野球の北は陸上のグラウンドである。
 そして北の入り口まで進むと、「大阪ガス 今津総合グラウンド」であることが分かった。
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 その辺りから水路の対岸を見てみる。
 「JFEスチール」の西宮工場の風景である。
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 川べりを遡る。
 左手に、大型ショッピングの「グルメシティー」がある。
 そして、街中の道「今津西線」を北上すると、左手に「JT バレー部体育館」がある。
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 更に北へと進み、国道を渡り、阪神駅を過ぎて、「阪急電鉄今津線」の「今津駅」に到着した。
 そしてこの時点で、「今津駅」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄田原本線8・新王寺駅

 奈良県田原本町の「西田原本駅」と、奈良県王寺町の「新王寺駅」を起終点とする「近鉄田原本線」の各駅を途中下車して探索してみる。
 今回は、「西田原本駅」から7番目の駅で、終点の北葛城郡王寺町の「新王寺駅」である。

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 「新王寺駅」で下車する。
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 駅舎を出ると、その先には「JR大和路線」の「王寺駅」、JR駅の向こうには「近鉄生駒線」の起終点の「王寺駅」があり、3つの路線が集まっている所でもある。
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 JR駅の階段を上り、コンコース前を過ぎると、南方向へ向かう長い歩道橋となっていて、これを進む。
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 そして地上へと降りると、駅前広場となっている。
 広場の東端に、南へ行ける道路があり、歩道の部分を進む。
 この道路は「駅前幹線」と名付けられている。
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 道路は川を渡る。
 川は「大和川」に合流する「葛下川」、橋からの上流・下流の風景である。
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 川を渡り、東へ進むと大きな交差点に出る。
 「国道25号線」と「国道168号線」が交わるところである。
 「王寺町」は、鉄道もそうであるが、道路も集まる交通の要衝でもある。
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 この交差点には、王寺らしいモニュメントが建っている。
 ゆるキャラの「雪丸」と「和(やわらぎ)の鐘」である。
 「雪丸」は「聖徳太子」の愛犬をモチーフにしたもの、また「和の鐘」も「聖徳太子」の十七条憲法の「以和為貴(わをもってとうとしとなす)」の精神から、「王寺町」の街づくりのシンボルとして建てられているものとされている。
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 南へと国道を進む。
 
 左手(東側)に寺院がある。
 「聖徳太子」が開基となる古代の寺院で、現在は「臨済宗南禅寺派 達磨寺」である。
 南側の「山門」から境内へと入る。
 広い境内である。
 右手の塀の中に「方丈」の屋根が見える。
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 進んで行くと、左の塀際に、「聖徳太子」の愛犬「雪丸」の像、この地の豪族の「片岡氏」の墓、そして信貴山城」で自爆したとされる「松永久秀」の墓が並んでいる。
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 正面は「本堂」である。
 本尊は、「千手観音」、「達磨大師」、「聖徳太子」とされている。
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 寺院を後にして、国道向かい(西側)の神社へと進む。
 「式内社名神大社 片岡神社」である。
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 朱塗りの鳥居を潜ると、正面は「拝殿」である。
 そして背後には「本殿」が祀られている。
 「本殿」の祭神は、「八幡大神」、「住吉大神」、「豊受大神」、「清滝大神」、「天照大神」とされている。
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 神社創建については不詳であるが、隣にある「聖徳太子」の開基とされる「片岡王寺(現:放光寺)」の鎮守社でもあったことから、同時期であると考えられる。
 尚、「王寺」と云う町名は、この「片岡王寺」を由緒とするとされている。

 「拝殿」左手に境内社の拝所がある。
 境内社は、「大原神社」、「金計神社」、「住吉神社」、「弁天神社」で本殿の方を向いている。
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 また「拝殿」右手には鳥居があり、その奥に「本殿」と並んで「稲荷神社」が祀られている。
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 神社を後にして、北の駅方向へと進む。
 「葛下川」を渡った左手に、「王寺町役場」がある。
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 役場を廻り込んだところには、文化施設「王寺町やわらぎ会館」がある。
 中に入ってみると、一階は「図書館」であった。
 その東側には、「NTT」、「郵便局」があり、「王寺町」の街の中心部である。
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 そしてこの地点で「新王寺駅」と「近鉄田原本線」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄田原本線7・大輪田駅

 奈良県田原本町の「西田原本駅」と、奈良県王寺町の「新王寺駅」を起終点とする「近鉄田原本線」の各駅を途中下車して探索してみる。
 今回は、「西田原本駅」から6番目の駅で、北葛城郡河合町の「大輪田駅」である。

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 「大輪田駅」で下車する。
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 駅の南側は「西大和ニュータウン」であるが、今回は北側の古い集落内を、先ずは北へ、そして東へと進む。
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 5分程度歩くと神社の鳥居の前に出る。
 地図によると「春日神社」となっているが、「天満宮」の灯篭も建っている。
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 境内へと入る。
 正面は「割拝式 拝殿」である。
 「拝殿」内には、赤ちゃん誕生を祝う絵画額が掲げられている。
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 「拝殿」を潜ると、鳥居、中門、瑞垣の「本殿」エリアである。
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 「本殿」を中央に、両側に境内社が祀られているが、詳細は不明である。
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 神社を後にして、北方向へと向かう。
 「大和川」の河畔に出ると、珍しい橋が架かっている。
 「大城橋」と云われ、「沈下橋、潜水橋」である。
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 「沈下橋」は、四国高知の「四万十川」に数多く架かっていることで、良く知られている。
 川の増水時に流木などが橋の上を通過すると云う仕掛けである。
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 丁度、車が渡っている風景に出会った。
 幅には、あまり余裕が無いようであるが、無事通過である。
 尚、右側の突出部は、歩行者の避難場所とのことである。
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 橋の下流方向の風景である。
 丁度、「JR大和路線」の電車が鉄橋を渡っているところである。
 下流は「斑鳩町」で、電車の向こうには町の北部の山が見える。
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 橋を後にして、東へと進む。
 振り返った「大和川」とその下流の風景である。
 正面の小高い森は、百人一首にも詠われている「三室山 紅葉ヶ丘公園」と思われる。
 そしてバス停の表示から、「城内」と云う住所地であることが分かる。
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 そしてこの地点で、「大輪田駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄田原本線6・佐味田川駅

 奈良県田原本町の「西田原本駅」と、奈良県王寺町の「新王寺駅」を起終点とする「近鉄田原本線」の各駅を途中下車して探索してみる。
 今回は、「西田原本駅」から5番目の駅で、北葛城郡河合町の「佐味田川駅」である。

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 「佐味田川駅」で下車する。
 この駅も、単線1面ホームである。
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 改札・駅舎は階上であり、その南面である。
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 先ずは、階上からの線路とホームの眺めである。
 北の「新王寺駅」方向、南の「西田原本駅」方向である。
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 次は、階上から駅の南側の風景の眺めである。
 正面は「町民運動場」、右手は住宅街である。
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 地上へと降りる。
 「町民運動場」、道路を挟んでの住宅地を眺めてみる。
 住宅地は奥へ奥へと続いている。
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 この住宅地は、「西大和ニュータウン」の北東端の「高塚台」である。
 「西大和ニュータウン」は、河合町」と南の「上牧町」に跨るニュータウンである。
 少し前のデータであるが、約6,500世帯、約17,000人が住んでいる大住宅地である。
 そしてこの「佐味田川駅」は、「西大和ニュータウン」の北東端の駅である。
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 駅の西側から北側にかけて、高速道路と側道が線路を跨いでいる。
 「西名阪自動車道」である。
 道路上から「佐味田川駅」を眺め、北へと進み交差点を西へと渡る。
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 高速道を潜ることになり、その先は農地である。
 近づいて見ると、多くの「貸し農園」の風景がある。
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 高速道路を潜り直し、そのまま「佐味田川」沿いの道路を進む。
 「佐味田川駅」の北側へと出る。
 北側はロータリーとなっていて、2棟のマンションの風景があり、赤い花も見られる。
 そして、階段を上り、駅構内へと入り、「佐味田川駅」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄田原本線5・池部駅

 奈良県田原本町の「西田原本駅」と、奈良県王寺町の「新王寺駅」を起終点とする「近鉄田原本線」の各駅を途中下車して探索してみる。
 今回は、「西田原本駅」から4番目の駅で、北葛城郡河合町の「池部駅」である。

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 「池部駅」で下車する。
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 「池部駅」は、「河合町」の中心部にある駅である。
 駅舎の隣には、「河合町役場」と記された門がある。
 そして門前には、虎のレリーフがある。
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 門は閉まっていいるので、隣の庭園入り口から入ってみる。
 この門や庭園は、「旧豆山荘」と云い、「近鉄田原本線」の前身の「大和鉄道」の建設を行った森本千吉氏の邸宅であったが、第三者の所有から「河合町」に譲渡され、役場として使われてきたとのことである。
 その後、敷地内に新庁舎が建設され、現在に至っているとの経緯を辿っている。
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 先ずは庭園を周遊してみる。
 庭園は、「池泉回遊式庭園」である。
 石橋も設けられている。
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 そして池畔には、灯篭、石塔が建てられている。
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 庭園から上に登る。
 そこには、「豆山荘」の「主屋」と「離れ」がある。
 そして、紅葉も真っ盛りである。
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 「主屋」の向かいに立派な役場本庁舎がある。
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 庁舎の道路を挟んだ向かいには、町の施設がある。
 先ずは「中央公民館」である。
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 そして、「町立体育館」、「河合神社」である。
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 「河合町」の官庁街から駅前の踏切を渡り、北東方向にある「古墳」を訪れてみる。
 途中には、「太神宮灯篭」も建っている。
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 趣ある民家の前を通過し、右折して県道へと向かう。
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 県道へと出て、北側を眺めると「古墳」の森が見えて来る。
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 古墳は「大塚山古墳」と云う。
 古墳の南東方向から全体を眺めてみる。
 右半分が「前方部」、左半分が「後円部」である。
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 「大塚山古風」の周囲を時計回りに廻ってみる。
 先ずは「前方部」、そして西側の側面である。
 一旦、「古墳」北西部の県道へ出て見ると、そこは「 西穴闇(にしなぐら)」と云う交差点である。
 この地名は「推古天皇」に係る地名とのことである。
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 北側はの「後円部」である。
 そして、北から東側面を眺めたもの、更に東の側面である。
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 東側面には、古墳の内部へと通じる道がある。
 古墳に近づいて見ると、かなりの藪なので、引き返した。
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 最後に、「前方部」眺め、古墳見学を終了したのであった。
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 この辺りには幾つかの「古墳」があり、「大塚山古墳群」として国の史跡に指定されている。
 尚、「大塚山古墳」は、5世紀後半から6世紀前半の築造で、墳丘全長197mとされている。

 そしてこの地点で、「池辺駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄田原本線4・箸尾駅

 奈良県田原本町の「西田原本駅」と、奈良県王寺町の「新王寺駅」を起終点とする「近鉄田原本線」の各駅を途中下車して探索してみる。
 今回は、「西田原本駅」から3番目の駅で、北葛城郡広陵町の「箸尾駅」である。

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 「箸尾駅」で下車する。
 ホームは2面2線式で、列車のすれ違いを可能とするようになっている。
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 駅舎を出ると正面に、「竹取物語」をモチーフにした「かぐやちゃん」の像が立っている。
 この「箸尾駅」が属する「広陵町」は、「竹取物語」の舞台とのことである。
 また駅の南側一帯は「環濠集落」であり、その名残の水路が見られる。
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 駅前の道を西へ南へと進む。
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 この道は古くからの街道と思われる。
 うだつの町屋、大神宮灯篭、商家も見られる。
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 道路は突き当たるので、左折・右折して進む。
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 右手に東向きに大きな寺院がある。
 「箸尾御坊」と云われる蓮如上人開基の真宗大谷派の「安静山 教行寺」である。
 大きな「本堂」、巨大樹の紅葉が見事である。
 この「箸尾御坊」を核として、「寺内町」が形成されていたとされている。
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 「教行寺」前の道を東へと進む。
 少し行くと左手に「箸尾城址」の石碑が建っている。
 城主「箸尾氏」は、室町時代の土豪で、興福寺一乗院に属し、筒井氏、十市氏と共に大和四家の一つであった。
 城郭は、約220m四方の平城であったとされている。
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 城跡碑を少し過ぎ、南方向への道路を進む。
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 そして、少し時間は掛かるが、左折、右折を繰り返すと、「葛城川」の畔に出る。
 そこには、東向きに朱塗りの鳥居が建っている。
 「式内社 櫛玉比女命神社」の「一ノ鳥居」である。
 鳥居から西方向へ参道が続く。
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 社頭には、「社号柱」、「注連縄柱」が建ち、そして「神池」がある。
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 境内正面は「拝殿」、その背後は「本殿」である。
 「本殿」の祭神は「櫛玉比女命」で、「三炊屋媛(みかしきやひめ)」とも「長髄媛(ながすねひめ)」とも呼ばれ、」饒速日命(にぎはやひのみこと)」の妻ともされている神である。
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 この神社の創建は「白鳳時代」とされ、また、大和国広瀬郡五座の一とされている。

 境内社が並んでいる。
 左端の神社は、「八幡神社」である。
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 そしてその隣から、「皇大宮」、「稲荷神社」、「白山神社」が祀られている。
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 そして離れてもう一社、「辯財天社」である。
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 そしてこの地点で神社の参拝を終え、「箸尾駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄田原本線3・但馬駅

 奈良県田原本町の「西田原本駅」と、奈良県王寺町の「新王寺駅」を起終点とする「近鉄田原本線」の各駅を途中下車して探索してみる。
 この路線は、奈良県内の磯城(しき)郡/田原本町・三宅町、北葛城郡/広陵町・河合町・王寺町の郡部のみを通り、市部を通らない珍しい路線である。
 今回は、「西田原本駅」から2番目の駅である磯城郡三宅町の「但馬駅」である。

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 「但馬(たじま)」と云う地名駅名は、現兵庫県北部の「旧但馬国」から移住してきた人達が住まいすることから名付けられたとされている。
 奈良県のこの辺りには、旧国名の住所地が幾つか存在する。
 三宅町の「石見(いわみ)」、「三河」、天理市の「丹波市」、「備前」、「上総」、桜井市の「出雲」、「吉備」、「豊前」などである。
 また、三宅町は、古代から皇室の「屯倉(みやけ)」であり、その名付けとされている。

 「但馬駅」で下車する。
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 駅舎を出る。
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 駅前の道を南へと進む。
 直ぐに左折して、東へと進む。
 途中に南への道があるが、後程として、直進する。
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 住宅街を抜けると、「飛鳥川」の河畔へと出る。
 堤防には、「但馬のはま」の説明板が立っている。
 「但馬のはま」とは、鉄道が敷設される前の明治の中頃までは、物流に船が使われていて、その港であったとのことである。
 「飛鳥川」は「河合町」で「大和川」に合流し、その「大和川」で大坂や奈良とのルートが開設されていたとのことである。
 また、堤防には「地蔵尊」も祀られている。
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 「飛鳥川」に架かっている橋は「船つき橋」と云う。
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 橋の上から北方向を眺めると、遠くに「生駒山」が見える。
 また直ぐの上流に、「近鉄田原本線」の鉄橋が架かっていて、電車も見える。
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 先ほどの分かれ道まで戻る。
 そして、住宅街の間を南方向へと進む。
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 少し進むと左手に神社の鳥居が立っている。
 「杵築(きつき)神社」である。
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 境内左手(北側)には、寺院の「堂宇」、神社の「神具庫」が建っている。
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 また、「高灯篭」、神池の中に「弁天社」と思われる小祠が祀られている。
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 そして、三宅町最古の「十三重塔」である。
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 台座には「金剛界四仏」が刻されている。
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 そして、「拝殿」である。
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 「拝殿」の背後は本殿である。
 「本殿」の祭神は、「須佐男命」である。
 この神社は、鎌倉時代の末期の創建で、出雲大社系で、元々は「大国主命」を祀っていたとされている。
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 神社を後にして、駅への道を進む。
 途中に大きな屋敷の風景もある。
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 そして、駅へと戻り、「但馬駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄田原本線2・黒田駅

 奈良県田原本町の「西田原本駅」と、奈良県王寺町の「新王寺駅」を起終点とする「近鉄田原本線」の各駅を途中下車して探索してみる。
 この路線は、奈良県内の磯城(しき)郡/田原本町・三宅町、北葛城郡/広陵町・河合町・王寺町の郡部のみを通り、市部を通らない珍しい路線である。
 今回は、「西田原本駅」の次の駅である田原本町の「黒田駅」である。

2112a黒田駅 (2)

 「黒田駅」で下車する。
 線路は単線、単式1面ホームである。
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 この「黒田駅」の近辺は、紀元前の縄文・弥生時代から歴史に登場する地域である。
 それは第7代の「孝霊天皇」がこの地に「廬戸宮(いおとのみや)」を遷都したことに始まる。

 「黒田駅」の西側には「聖徳太子」の「筋違道」が通っている。
 そしてそこには、古墳時代後期の「黒田大塚古墳」がある。
 全長86mでそう大きなものでは無く、周濠は埋め立てられている。
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 駅側(東側)が後円部、西側が前方部である。
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 古墳の西側は寺院「法楽寺」である。
 寺院前には、「孝霊天皇黒田廬戸宮趾」の石柱、そして「桃太郎誕生伝説地」の標柱も建っている。
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 「法楽寺」の参道へ入る。
 この「法楽寺」は、「廬戸(いおと)宮跡」に、後年、「聖徳太子」により開基されたとされる。
 「桃太郎」の説明石板もあり、当時大寺院であった「法楽寺」の境内図もある。
 境内には、後程訪れる鎮守社の「孝霊神社」も描かれている。
 尚、「桃太郎」は「孝霊天皇」の皇子の「吉備津彦」であるとされ、この宮で生まれたとされている。
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 突き当りは「本堂」である。
 「子安地蔵」との標示がある。
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 また、「本堂」の柱には「法楽寺」の寺号が記され、「鐘楼」も建っている。
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 「法楽寺」を後にして、東南方向へと進む。
 そして「筋違道」を南へ進むと、右手に神社がある。
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 石段の上には「鳥居」が建ち、「扁額」には廬戸神社」と記されている。
 「孝霊天皇」を祀る「孝霊神社」である。
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 境内正面は「拝殿」・「本殿」である。
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 神社の南側は「黒田池」である。
 この池は、明治時代に灌漑用として造られたものとのことである。
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 池の東側は「筋違道」である。
 「桃太郎」の生誕看板も建っている。
 更に東方向を眺めると高架の「京奈和道」が通っている風景がある。
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 そして、この地点で「黒田駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄田原本線1・西田原本駅

 奈良県田原本町の「西田原本駅」と、奈良県王寺町の「新王寺駅」を起終点とする「近鉄田原本線」の各駅を途中下車して探索してみる。
 この路線は、どの線路とも合流しない独立した路線である。

2111EIMG_7288 (2)

 先ずは、「近鉄橿原線」の西側にある「西田原本駅」である。

2111EIMG_4622 (2)

 「近鉄橿原線」の「田原本駅」で下車し、ロータリー脇を西へと進むと、「西田原本駅」がある。
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 乗車は後程にして、ロータリーの「西田原本駅」側を南へと進む。
 そして駅の南を西方向へと進む。
 県道を南下し、直ぐに右折し、街中の道路を西へと進む。
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 「薬王寺」と云う住所地である。
 古代から室町時代にかけて、大きな集落があったとされているところである。

 途中から北へと進むと、「蓮休寺」と云う寺院がある。
 江戸時代後期の開基ではあるが、かつてこの場所で「蓮如上人」が休息したとの標柱も建っている。
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 北西方向へ少し行くと「八幡神社」がある。
 大きな楠が目印である。
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 「拝殿」の裏側は「本殿」である。
 神社名は不明であるが、小祠も祀られている。
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 そして大楠である。
 胴回り約6m、樹高約30m、そして樹齢は約550年とのことである。
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 大楠を後に、北へと進む。
 途中、県道渡り、北へと進む。
 この道路は、「聖徳太子」が飛鳥と斑鳩を往復した「筋違道」とされている。
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 神社の杜があり、手前には濠が形成されている。
 「保津」の環濠集落である。
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 環濠集落の中の道を辿ると、神社の鳥居が見えて来る。
 神社は「式内社(論社) 鏡作伊多神社(保津)」である。
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 鳥居を潜ると左手に「拝殿」「本殿」が祀られている。
 「本殿」は北本殿と南本殿の2棟ある珍しい構成である。
 祭神は、「石許利止売命(いしこりどめのみこと)」とされている。
 そしてこの神社は、物部姓の「保津氏」が祖神を祀ったと推測されている。
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 集落内を北へと進む。
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 環濠集落の北側の道路の向こうに神社の玉垣が見える。
 そして右手に池がある。
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 池畔の道路を回り込むと、北向きに神社の社頭がある。
 「式内社(論社) 鏡作伊多神社(宮古)」である。
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 鳥居を潜ると正面は西向の「拝殿」である。
 背後には「本殿」が祀られている。
 祭神は、先の保津の神社と同じ「石凝姥命(いしこりどめのみこと)」とされている。
 この神社は、古代、この地の氏族である「三宅連」が祖神を祀ったものとされている。
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 境内社がある。
 覆屋の中に、「水乃神社」、「住吉神社」、そして「稲荷神社」である。
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 神社を後にして、南下する。
 池畔を通り、保津の環濠の東側の道を進む。
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 途中、西側に先ほどの保津の「鏡作伊多神社」の杜が見える。
 そして進んで行くと、「薬王寺」との間の県道へと出る。
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 県道の北側には「県立磯城野(しきの)高校」がある。
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 そして、県道は右にカーブして、駅へと近づく。
 「西田原本駅」の改札を入り、えきの外を眺め、始発の「新王寺」行きの電車に乗ったのであった。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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