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阪神なんば線11・尼崎駅

 「大阪難波駅」から「近鉄奈良線」を引き継ぐ形で「尼崎駅」に向かう「阪神なんば線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪難波駅」から10番目駅で、「阪神なんば線」の起終点となる尼崎市の「尼崎駅」である。

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 「尼崎駅」で下車する。
 ホームから、南東方向間近に、復元された「尼崎城」が見える。
 そして駅南口へと出る。
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 駅の東側には、「庄下(しょうげ)川」が流れていて、「庄下橋」が架かっている。
 橋の東側には、阪神電鉄の尼崎工場・車両基地があり、開業当時の煉瓦造りの「発電所」が倉庫として残されている。
 そして、橋の南東側には、城が建っている。
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 橋を渡ると「尼崎城址公園」の入り口である。
 公園には、子供向けの遊具設備も設けられている。
 そして、石垣塀を介して復元天守が近づく。
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 石垣塀の中へと入る。
 2018年に復元された四重天守には、堀も設けられている。
 そして隣の「中央図書館」も望める。
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 堀に沿って天守の東側へ廻ると、入り口がある。
 そして南側である。
 二重の付け櫓も設けられている。
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 この尼崎城は、江戸時代になって「戸田氏鉄(うじかね)」が5万石で入封し築いたものである。
 その後、「桜井松平家」の「松平忠喬(ただたか)」が4万6千石で入り、桜井松平家の支配で、幕末を迎えたとされる。
 但し、その時の本丸の場所は、現在地の南東300m程度の所で、この復元天守の地は「西三之丸」跡地である。

 余談であるが、「荒木村重」が「織田信長軍」に攻められ、逃げ込んだのが「尼崎城」と云われる。しかしその城は「大物(だいもつ)城」とも云われ、ずっと東の「大物」地域にあったとされている。

 「城址公園」と「中央図書館」の南側の道路沿いに、、江戸時代中期の真言宗の僧で、水戸黄門に仕えた国学者の「契沖」の生誕碑が建っている。
 そしてその向かい側(南側)には「桜井神社」が祀られている。
 神社の社頭は南側なので、回り込む。
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 「桜井神社」の境内へと入る。
 正面は拝殿である。
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 そして背後は本殿である。
 この「桜井神社」は「桜井松平家」の創始の「信定公」から、最後の尼崎城主「忠興公」までの十六柱を祀る神社で、明治15年に創建されたものである。
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 境内には、「瓢箪山稲荷神社」から勧請された「瓢箪山稲荷社」や「契沖社」などが祀られている。
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 神社を後にして、「尼崎駅」に戻る。
 今度は駅の北側である。
 駅前は、広い公園となっている。
 そして公園西側に、アーケード商店街「尼崎中央商店街」の入り口ゲートがある。
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 アーケードを進む。
 進むに従って、「阪神タイガース」色が濃くなってくる商店街である。
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 商店街の南に、「尼のえべっさん」の提灯が見えるので、行ってみる。
 「本戎 事代主神社」の社号柱が建っている。
 そして拝殿である。
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 拝殿の横や背後からの本殿である。
 そして、拝殿前を東へと進み、朱塗りの大鳥居を潜って退出し、「尼崎駅」へと戻り、「尼崎駅」と「阪神なんば線」のミニ探索を終了したのであった。
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阪神なんば線10・大物駅

 「大阪難波駅」から「近鉄奈良線」を引き継ぐ形で「尼崎駅」に向かう「阪神なんば線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪難波駅」から9番目駅の、兵庫県尼崎市にある「大物(だいもつ)駅」である。

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 「阪神なんば線」は、「神崎川」、「左門殿(さもんど)川」を渡り、兵庫県尼崎市へと入る。
 その最初の駅である「大物駅」で下車する。
 この駅で「阪神なんば線」に左側から「阪神本線」が合流する。
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 駅の北側には、右手直ぐに病院、左手遠くに100m高さの白いビルが見える。
 ビルはホテルとのことで、その左手に「尼崎アルカイックホール」も見える。
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 今回は、この「大物駅」の周辺を、反時計回りに探索してみる。
 
 先ずは線路の北の西側である。
 公園の端に、「大物くづれの戦跡碑」が建てられている。
 「応仁の乱」に引き続き行われた細川家の内紛の戦跡である。
 「赤松政祐」「細川晴元」「三好元長」の連合軍が、「細川高国」「浦上村宗」の連合軍を破った戦いであった。
 そして「高国」は自害したことで、細川家の内紛は終了し、統一されたとのことである。
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 その公園から線路を潜り、右手に阪神電鉄の車両基地を眺めながら南下する。
 住所地は「大物町」である。
 「大物」とは、この後に訪れる「大物主神社」に由来するものであろうと思われる。
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 少し東へ行くと、「深正院(じんしょういん)」という浄土宗の寺院がある。
 この寺院は、尼崎に入封した尼崎藩主「松平忠喬」が先代の「忠倶」の菩提を弔うためその院号を寺名として建立したとされている。
 以後、尼崎藩主桜井松平氏の菩提寺となり、境内には松平氏一族や家臣の墓が祀られている。
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 東へと進む。
 「若宮公園」と云う公園がある。
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 その公園に隣接して、「大物主神社」が鎮座している。
 この神社の創建は不詳であるが、「崇神・垂仁天皇」の時代に、疫病退散を願い、「大物主命」の子孫の「大田田根子」のさらに子孫となる「鴨部」がこの地に、大和の「大神神社」から「大物主大神」を勧請したのが始まりとされている。
 その後、平清盛が「厳島神社」から宗像三柱神」を勧請合祀しとされている。
 また、源義経もこの神社に宿を取り、平家討伐に向かったとされている。
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 鳥居を潜ると拝殿・幣殿・本殿である。
 本殿の祭神は、主祭神が「大物主大神」、配神は宗像三神の「市杵島姫命」、「田心姫命」、「湍津姫命」である。
 そして相殿には、「西宮大神」、「菅原道真公」などが祀られている。
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 更に東へと行く。
 「浄土真宗本願寺派 西教寺」がある。
 戦国時代にこの地に移転し、隣の常念寺とともに、石山本願寺のもとに有力な武力を有し、大物総道場として一向一揆の拠点であったとのことである。
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 付近には「大物川緑地 歴史の散歩道」がある。
 かつて、「大物浦」と呼ばれた入り江で、「源頼朝」に追われた「源義経」が「静御前」に別れをつげて船出をした場所とされていて、能楽「船弁慶」にて演じ継がれている。
 そして、南方向へと進み、この緑地を横切る。
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 緑地から少し南下した所に、「ユニチカ記念館」がある。
 「ユニチカ記念館」とは、1900年に尼崎最初の大工場「有限責任尼崎紡績会社」(現ユニチカ㈱)の本社事務所であり、経済産業省の「近代化産業遺産」などに指定されている建物である。
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 「ユニチカ記念館」でUターンする。
 「大物川緑地」の東側を歩き、駅舎の南口へと到着し、「大物駅」のミニ探索を終了したのであった。
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阪神なんば線9・出来島駅

 「大阪難波駅」から「近鉄奈良線」を引き継ぐ形で「尼崎駅」に向かう「阪神なんば線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪難波駅」から8番目駅の、大阪市西淀川区にある「出来島駅」である。

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 「出来島駅」は「神崎川」の左岸にある駅である。
 「出来島」とは、江戸元禄年間に、摂津茨木在福井村の倉橋彦坂四郎兵衛が開拓した町人請負新田で、その完成を記念して「出来島新田」と名づけられたものとされる。

 「出来島駅」で下車する。
 駅舎を北東側へと出ると、「出来島第2公園」がある。
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 電車の高架を潜り、「神崎川」の堤防道路を南西方向へ進むと、そこには「なにわ自転車道」の終点の看板が建っている。
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 「なにわ自転車道」の地図が示されている。
 ①この終点からは、「神崎川」の左岸を遡行する。
 ②「淀川」との分流点まで遡行し、今度は「淀川」の右岸を下り、「赤川鉄橋」を渡り、右岸を下る。
 ③そして「淀川」から分流される旧淀川の「大川」の左岸を下り、「中之島」へと至る。
 このようなルートであるが、初めてなので、興味深いものであった。
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 「神崎川」に架かる国道43号線の橋に上がってみる。
 川に沿って「出来島駅」が見える。
 そして「阪神高速 3号神戸線」の下向こうに「阪神なんば線」の鉄橋が見え、その鉄橋の先は「佃島」である。
 また、手前の突出している部分は「中島」である。
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 そしてこの地点で「出來島駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神なんば線8・福駅

 「大阪難波駅」から「近鉄奈良線」を引き継ぐ形で「尼崎駅」に向かう「阪神なんば線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪難波駅」から7番目駅の、大阪市西淀川区にある「福駅」である。

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 「阪神なんば線」は淀川を渡ると、「福駅」に到着する。
 「福駅」で下車する。
 踏切を渡って、駅の東側へと行く。
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 駅の東側には、新しい病院が建っている。
 4年前に建てられた「愛仁会 千船病院」である。
 「千船病院」は「佃島」の「千船駅」に隣接していたが、一部機能を残したまま、工場跡地のこの場所に新築移転されたものである。
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 「福駅」の西側には、「大野川緑陰道路」が整備されている。
 かつてこの地を流れていた大野川は、地域の舟運や治水などに利用されてきたが、時代と共に工場排水によって河川の汚濁が目立つようになり、環境改善として1972年に埋め立てられ、約4kmの緑陰道路として公園化されたのものである。

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 線路脇から、緑陰道路へ降りて見る。
 南へ進むと、国道43号線をトンネルで潜る。
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 歩行者・自転車の専用道路である。
 トンネルを潜って進んで行くと、左手には児童公園が見える。
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 そして進んで行くと、神社の玉垣が見えて来る。
 「福住吉神社」である。
 横の参道があり、鳥居も建っている。
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 神社の社頭は南側なので回り込む。
 社号柱、鳥居、扁額が設けられている。
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 境内へと進む。
 「茅の輪潜り」、そして正面は拝殿である。
 複数対の狛犬が祀られているのも珍しい。
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 背後は本殿である。
 祭神は、「表筒男命」、「中筒男命」、「底筒男命」、「神功皇后」の住吉4神である。
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 また境内には、「金刀比羅神社」、「福稲荷神社」、「楠祠」などの境内社が祀られている。
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 この「福住吉神社」の創建は江戸時代初期とされる。
 この地に移り住んだ村人は、航海の安全と豊漁を願って、宮地を築き上げ、殿社を建てて、住吉大神を勧請したとのことである。

 宮司のお話を聞いた。
 「福」と云う地名は、西から風が「吹く」ところとの謂れであるが、もちろんのこと「福」に通ずる名称で、太平洋戦争の時にはこの地の戦死者は一人もなく、また軍需工場もあったが、被災は逃れたとのことで、「福」に通じている。

 また、神社の東上空に「逆さ虹」が出たことがあるとのことで、その写真を頂いたのであった。
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 そして神社を後にして、「福駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神なんば線7・伝法駅

 「大阪難波駅」から「近鉄奈良線」を引き継ぐ形で「尼崎駅」に向かう「阪神なんば線」を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪難波駅」から6番目駅の、大阪市此花区にある「伝法駅」である。

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 「伝法」という地名・駅名は、一説には、古代には「浪華八十嶋(なにわやそしま)」と云われ、風光明媚な場所であり、外海との航路の港であった時に、大陸から仏教が伝えられたという謂れとされる。
 「伝法駅」は淀川左岸にある駅で、付近には淀川を渡る国道の「伝法大橋」も架かっている。

 「伝法駅」で下車する。
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 駅出口の向かいには「市立伝法幼稚園」がある。
 幼稚園との間の道を、線路を潜り、「西光寺」という寺院の門前東方向へと進む。
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 少し進むと、「浄土宗 寶泉寺」があり、その先に「澪標(みおつくし)住吉神社」が祀られている。
 「澪標」とは、船の航路を案内する導標で、川口にはそれが建てられ、そして航海の安全を祈願する祠が祀られたのがこの神社の起源とされている。
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 神社境内では丁度、8月1日の例祭の準備中で、「ふとん太鼓」が出され、その準備中であった。
 聞いてみると、例年よりも規模を縮小して、「ふとん太鼓」と「しし舞」を実施するとのことであった。
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 正面は拝殿・本殿である。
 祭神は、住吉大神、天照皇大神、八幡大神、神武天皇、神功皇后とされている。
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 拝殿前には、一対の狛犬が祀られ、神紋は「澪標」に「三ツ巴」である。
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 境内社が祀られている。
 「事平社」、「榎稲荷社」、そして「長末社」である。
 尚、「長末社」の祭神は、「釼大連守屋」、「大直日神」、「大海神」、「春日大神」、「大國神」、「船玉神」、「蛭子神」、「少名彦神」、「宇賀御魂」、「菅原道真公」、「猿田彦神」と多数である。
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 他にも境内社が祀られている。
 「光石神社 大阪えびす神社」である。
 江戸時代、荷役で賑わう仲士たちが力比べをしたと云う「力石」が祀られている。
 その重さは、150kgとされている。
 また境内には、安政5年の灯篭も置かれている。
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 神社前の通りのもう一つ南の通りに「旧鴻池本店」の建物がある。
 並んで趣のある町屋も建っている。
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 横へと回り込んでみる。
 門には、「株式会社 鴻池組 技術研究所」の社名板が掲げられている。
 門の外から内部を少し眺めたのであった。
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 そしてこの地点で「伝法駅」のミニ探索を終了したのであった。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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