金沢市の金沢城の南方向、香林坊の向こうの犀川の左岸に広がっている重伝建「寺町台」である。
保存地区内には約70の寺院があると云われる。
上の写真と下の写真は、その中心付近にある妙立寺(みょうりゅうじ)、通称忍者寺である。
本堂の頂上にあるのは望楼で、周囲の状況を見ることができる天守台のような役目を果たしていたと云う。
この寺町台も含め金沢の寺院は、浅野川の右岸の卯辰山山麓、浅野川と犀川の上流の小立野とそしてこの寺町台に三代藩主利常公の時に集められた。
その目的は金沢城が攻められたことを想定し、その第一段の守備にあたることである。
それほど徳川家は前田家を疑っていたという証拠でもある。
また一向宗の寺は一切、寺町には集めなかったそうである。
散在させ、纏まるのを防ぐと云う意味もあったと云われる。
妙立寺の隣に、願念寺という寺がある。
松尾芭蕉の弟子で、金沢の蕉風の第一人者「小杉一笑」の菩提寺でもある。
門前には、芭蕉が一笑の死を知って詠んだ句「塚もうごけ我が泣く声は秋の風」 が掲げられている。
また境内には、一笑塚も建てられている。
保存地区外になるが、保存地区の西隣に「にし茶屋街」がある。
ひがし茶屋街と同様に加賀藩の公許を得て栄えてきたところである。
元々は上町と下町に分かれていたと云われるが、現在見られるのは上町の部分である。
もちろん現在も茶屋の営業は続けられていて、芸妓さんも二十数名と金沢では最も多い。
「ひがし」に比べ観光客は少ないので、ゆったりと眺めることができる。
この北には、前田利家公の四女で宇喜多秀家の正室豪姫の菩提寺大蓮寺がある。
そしてその隣に、金沢五社参りで知られる神明宮も鎮座している。
犀川に向かうと川との間に、室生犀星が養子となり二十歳まで過ごした金比羅大権現を祀る雨宝院、そして犀川を渡り、繁華街の片町、香林坊へと続いて行く。