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『弘前市・弘前天満宮』

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 青森県弘前市西茂森に鎮座する「天満宮」の社頭の社名標柱である。
 場所は、弘前城の南に続く台地の上で、西は大きく落ち込んでいて、岩木山の眺めが絶大なところである。

 神社は南面していて、先ずは一ノ鳥居を潜る。 
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 続いて正面の二ノ鳥居を潜る。
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 更に三ノ鳥居であるが、その手前に右手東からの脇参道の鳥居も見える。
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 拝殿の手前には一対の狛犬がある。
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 その先は拝殿、本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、菅原道真朝臣命、文殊菩薩である。
 学問の神と知恵の菩薩が同時に祀られていて、ご利益は倍以上になるのであろう。

 本殿の左隣には稲荷神社が祀られている。
 これは津軽ダム建設により水没する砂子瀬地区の稲荷神社が遷宮されたものとのことである。
 住宅も水没となったが、住民の方々も別の場所に移動したとのことであった。
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 境内には樹齢500年以上の県天然記念物の枝垂桜がある。
 「大行院の枝垂桜」とも云われ、その脇に少彦名神、若木神を祀る若木社が祀られている。
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 かつてこの地は、弘前藩初代藩主の津軽為信が大行院栄尊を招き、開基したといわれる「大行院」という修験の寺院があった所と云われている。
 明治になって修験廃止令が出され、「大行院」も廃寺となったので、橋雲寺から天満宮をこの場所に遷宮し、天満宮と称するようになったと云う経緯があるとのことである。

 境内は広く、多くの石碑や句碑が建てられている。
 その中に「芭蕉翁」と彫られたのがある。
 芭蕉は1688年春、「笈の小文」の旅の途上で「しばらくは花の上なる月夜哉」を詠んだとのことである。
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 最後は西の風景、雄大な岩木山である。
 但し、頂上付近に雲が掛かり、少しは残念である。
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『新宿区・成子天神社』

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 東京都新宿西口の青梅街道に参道入り口がある「成子(なるこ)天神社」である。
 参道を進むと両側には、七福神のうち恵比須神、大黒天、毘沙門天の3神が祀られている。
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 参道の先の随身門を潜る。
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 境内の右手には御輿庫、左手には神楽殿がある。
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 そして左手には、七福神のうちの弁財天、その後部に並んで境内社の大鳥神社、大神宮、鳴子稲荷神社が祀られている。
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 更に並んで水神宮、そしてその前の三ッ鳥居に囲まれて井戸が祀られている。
 また、参道向かいには撫牛が祀られている。
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 随身門の正面は本拝殿である。
 もちろんのこと、祭神は菅原道真公である。
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 由緒は、道真公が大宰府で亡くなったとの知らせを受けた家臣の佐伯と斎宮は、公の遺徳を偲び、京都より公の手彫りの像を持ち帰り、この柏木村に祀ったのがこの神社の始まりである。

 その後、徳川時代になって将軍家光よりこの柏木鳴子の地を賜った春日局は、社殿を造営して天満天神社とした。
 そして明治になって成子神社、そして昭和になって成子天神社と改称されたものである。

 拝殿の左には、7個の力石が祀られている。
 力石には、40貫や58貫余と云う重量や、持ち上げた人の名前が書かれている。
 またその北参道を挟んだ左に福禄寿が祀られている。
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 本拝殿の北参道を奥へと進むと、七福神のうち残りの寿老人、布袋尊が祀られている。
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 そして左手に富士塚と浅間神社が祀られている。
 富士塚は元々あった天神山に大正時代に富士山の溶岩を配して築かれた12mの模擬富士山である。
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 成子天神社の御朱印は一風変わったものであるが、見事なものである。
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『東京都・平河天満宮』

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 東京都千代田区平河町に鎮座する平河天満宮の正面鳥居である。
 場所は東京メトロ半蔵門駅の少し南のところである。

 平河天満宮は、徳川家康が入府する前の江戸城主太田道灌が菅原道真公の霊夢を見て、江戸城(平河城)内に天満宮を創建したものである。
 天満宮の周りに多くの梅の木を植え、梅林坂と呼ばれるようになり、現在もその名前が残っている。
 
 家康の江戸入城に伴い、天満宮は平川門外に移され、そして秀忠将軍の時代に現在の場所に移され、地名も天満宮に因み、平河町と云われるようになったと云う経緯を有する。

 拝本殿には、菅原道真公、応神天皇、そして徳川家康が祀られている。
 境内を飾る梅の花は、少しづつ咲き始めている様子である。
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 境内社には、三殿宮、稲荷神社などが祀られている。
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 また境内には、区の文化財も多数である。
 冒頭の銅の鳥居、石燈籠、狛犬などである。
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 更に境内には五頭の神牛が奉納されている。
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 そして、下の一頭は撫で牛とのことである。
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 尚、神社によると、平河天満宮は江戸三大天神の一つとされている。

『横浜・永谷天満宮』

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 菅原道真公に関わる聖蹟の一つ、横浜市港南区、地下鉄上永谷駅の近くに鎮座する永谷(ながや)天満宮である。
 
 道真公は大宰府に流されてから、自分の姿を鏡に写し、自身の像を三体彫り、その一体を子の敦茂に授けた。
 敦茂はこの像を帯同し関東に下向し、永谷郷に住まいし、日々拝したと云われる。
 
 室町時代の終わりごろ、この相模国八郷を領し、永谷郷に城を構えた上杉刑部太夫藤原乗国に夢のお告げがあり、天満宮の社殿を造営して天満宮が祀られたという経緯を辿る。

 三体像のうち、一体は大宰府の安楽寺に、もう一体は河内の道明寺に安置されたと云われるが、現在はそれぞれの天満宮にて祀られている。
 これらを称して、日本三躰天満宮と云われる。

 永谷天満宮へは、横浜市市営地下鉄上永谷駅で下車し北西方向へ向かう。
 直ぐに丘が見えてくるが、かつてはこの丘の手前山麓に天満宮が鎮座していたが、江戸時代に丘の向こう山麓に移転されている。
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 丘の右手に遊歩道が設けられている。
 今は、躑躅の花がきれいに咲いていて、良い香りもしている。
 程なく鳥居、そしてその横には別当寺であった天神山貞昌院の伽藍が並ぶ。
 子の敦茂はこの寺院の前身である天性院の宿坊下之坊で住まいしたと云われている。
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 鳥居を潜り、リアルな神牛像を見て、正面の石段に向かう。
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 本殿にお参りし、その上の富士が望める天神山に登りかけるが、靄なのか黄砂なのか見通しが悪く、残念ながら中断した。
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 その後、神官がいらっしゃたので御朱印を頂き、駅へと戻ったのであった。
 
 

『東京・町田三天神』

 東京都町田市には菅原道真公を祀る天満宮が3社鎮座している。
 町田三天神と云われ、本町田の菅原神社、原町田の町田天満宮、南大谷の天神社である。
 元々は本町田村の菅原神社のみであったが、本町田村の分村により、原町田村、大谷村が独立し、それぞれに天満宮が勧請されたと云う経緯を辿る。

菅原神社
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 この写真は、この度新しく造営された拝殿の神社である。

 本町田は町田駅の北方で、当時から町田の交通の要衝として鎌倉街道と鶴川街道の交差点である。
 この地は井出沢古戦場と云われる。
 鎌倉時代に、鎌倉を目指す北条時行軍と、それを阻止しようとする足利直義軍との間で合戦が繰り広げられたと云われている。

 室町時代になって本町田村の村長大沢氏が村の平穏を望み、京都北野天満宮に詣でた時に道真公の像を拝領し、この地に祀ったのが始まりである。

 バス停付近から登る女坂、正面鳥居を潜り登る男坂の参詣路がある。
 交通の便の良いところなので、多くの参詣者があると云われる。
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町田天満宮
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 分村された原町田村には小さな祠があっが、戦国時代にこの地を統括する北条氏照が領民の拠り所として新たに天満宮を創建したと云われている。

 鎮座地はJRと小田急の町田駅の直ぐ東南側で、駅からの陸橋を渡り、階段を下って鳥居を潜ることになる。
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 境内には七福神の恵比寿神をはじめ、多くの神が祀られている。


南大谷天神社
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 鎮座地は、町田市南大谷で、菅原神社の南東方向、町田天満宮の北西方向で、直角三角形の直角のところにある。
 郊外の住宅地の小高い山に鎮座しているため、バスが便利である。
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 この神社も大谷村として分村された後、江戸時代に創建されたものである。
 大谷村の村長五十嵐氏が道真公の神像を島山屋法春に彫らせ祀ったものであるとされている。

 石段の途中に「南松寺跡」がある。
 禅宗南松寺は神社と同時期に創建され栄えていたが、明治の神仏分離令により廃寺となったものである。

 尚この神社は京都の北野天満宮を本社としている。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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