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和歌山線35・田井ノ瀬駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から33駅目で和歌山市岩橋(いわせ)にある「田井ノ瀬駅」である。

2104m田井ノ瀬駅 (2)

 「田井ノ瀬駅」で下車する。
 駅は相対式ホーム2面2線で、電車の行き違いができる構造である。
 またホームには、「和歌山線」の特徴である絵画も掲げられている。
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 駅の外へ出る。
 駅前は少しの広場となっている。
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 駅から北方向(紀ノ川方向)へと進む。
 堤防上の県道に出ると、そこは「岩橋(いわせ)」の交差点であり、紀ノ川の流れを少しだけ見ることができる。
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 その交差点の南東側に、大きな施設がある。
 「社会福祉法人 麦の郷」である。
 身障者の生活向上や、地域の健康弱者の生活向上を目指した施設であり、多くの事業に取り組んでいる。
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 「麦の郷」から南へと進むと、直ぐに線路が現れる。
 線路の手前を右折して、「田井ノ瀬駅」へと戻り、「和歌山駅」へと向かったミニ探索であった。
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 そして、起終点の「和歌山駅」へと到着し、「和歌山線」のミニ探索を終了したのであった。
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和歌山線34・千旦駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から32駅目の和歌山県和歌山市の「千旦(せんだ)駅」である。

2104l千旦駅

 「千旦駅」が設置されているところは、かつての「和佐村」である。
 「和佐」と云えば、電器産業「パナソニック」の創業者である「松下幸之助」の出身地として知られているので、それを訪ねてみる。

 「千旦駅」で下車する。
 駅構造は単式ホーム1面1線であり、駅舎はない。
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 南側の出口を出て、駅から少し離れ道路から周囲を眺めると、田園・住宅の風景が広がる。
 東側は頂上に神社が鎮座する「高積山」が、北側は線路の向こう遠くに「紀ノ川」の先の「和泉山脈」が見える風景である。
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 住宅の間を西へと進むと「和佐児童公園」がある。
 公園内には、神社の小祠、そして石碑が建っている。
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 石碑には、「松下幸之助君 生誕の地 湯川秀樹」と刻されている。
 この地が幸之助の生誕地とのことである。
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 この公園から道路を挟んで斜め向かいに大きな公園がある。
 「松下公園」と云う。
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 遊具あり、グラウンドありの公園である。
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 両公園に挟まれたところが「松下家」である。
 邸宅や墓もあり、幸之助氏が偲ばれるところである。
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 余談である。
 この「和佐」と云えば、江戸時代前期の紀州藩士で弓術家の「和佐大八郎」の出身地としても知られる。
 大八郎は、京都「三十三間堂」の通し矢にて、最高の記録8,133本を出し、いまだに破られていない天下一である。

 その顛末を拙作「三十三間堂通し矢物語」に記しているので、ご興味の方はご覧頂きたい。
    https://fujishirorei.com/2018/07/28/%e4%b8%89%e5%8d%81%e4%b8%89%e9%96%93%e5%a0%82-%e9%80%9a%e3%81%97%e7%9f%a2%e7%89%a9%e8%aa%9e/

 そしてこの時点で「千旦駅」のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線33・布施屋駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から32駅目の和歌山県和歌山市の「布施屋(ほしや)駅」である。

2104k布施屋駅

 「布施屋(ほしや)」という地名・駅名は、この地区に「熊野古道」が通っていて、この辺りの人々が、旅人を接待(お布施)したことに由来するとされる。
 「おふせ」が訛って、「ほしや」となったとのことである。

 「布施屋駅」で下車する。
 駅は単式2面2線のホーム構造で、跨線橋で行き来する。
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 駅の直ぐ東に踏切がある。
 南北に通っている「熊野古道」である。
 それを北(紀ノ川方向)へと向かう。
 説明板n「川辺王子」とは、「紀ノ川」の北、JR阪和線「紀伊駅」の南にある王子である。
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 堤防の道路へと出るが、河川敷は広いので川面は見えない。
 しかしそこには「布施屋の渡し跡」の説明板がある。
 ここから北300mに川があり、それを渡し船で渡っていたとのことである。
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 元の踏切まで戻り、今度は南へと進む。
 「熊野古道」の提灯やら、案内板がある。
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 進んで行くと「川端王子」の祠がある。
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 詳しく見てみると、旅人はこの「川端王子」から東方向の「吐前(はんざき)王子」へと進んだとのことである。
 但し、「川端王子」が設けられたのは、江戸時代とのことで、それまでは「紀ノ川」を「吐前王子」へと渡っていたとのことである。
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 「熊野古道」の一端に触れたことで、この「布施屋駅」のミニ探索は終了となったのであった。

和歌山線32・紀伊小倉駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から31駅目の和歌山県和歌山市の「紀伊小倉駅」である。

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 「和歌山線」はこの「紀伊小倉駅」から和歌山市へと入る。
 「紀伊小倉駅」で下車する。
 駅は単式ホーム1面1線である。
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 駅周辺は田園と住宅が織りなす風景である。
 駅の南側の近場を探索してみる。

 駅から南下すると、まず小学校が見つかる。
 「小倉小学校」と云う。
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 正門前の通りは、「あいさつのこみち」と云う。
 子供たちの元気な声が交わされるところであろう。
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 小学校から東方向へと進む。
 そこには大きな建物がある。
 「小倉保育所」と云う。
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 駅の方向へと戻る。
 途中、南の山を見上げると、中腹にソーラー畑の風景があった。
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 そして、駅に戻った所で、「紀伊小倉駅」のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線31・船戸駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から30駅目の和歌山県岩出市の「船戸(ふなと)駅」である。

2104h船戸駅

 「和歌山線」は「岩出駅」を過ぎると「紀ノ川」を渡り、左岸を「和歌山駅」に向けて進むことになる。
 その最初の駅が「船戸駅」である。
 「大和街道」もこの地点で「紀ノ川」を渡ることになっていて、その渡しの船小屋が沢山あったことから「船戸」と云う地名が付けられたとされているが、単純に「船渡」の言い換えであるかも知れない。
 「船戸駅」で下車し、駅前を北へと進む。
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 「紀ノ川」縁に出ると、「岩出橋」が見えてくるので、それを渡る。
 上流には「和歌山線」の鉄橋が架かっていて、その向こうに「紀州富士」が見える。
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 「岩出橋」を渡ると左側に大きな神社がある。
 「大宮神社」と云う。
 鳥居、社号柱が建っているが、社号柱には「郷社 岩出神社」と記されている。
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 この「大宮神社」は、奈良時代和銅年間に熱田神宮より日本武尊を勧請して創建されたとされる。
 そして、高野山の高僧「覚鑁(かくばん)」が「根来寺」創建に際し、三部権現を祀ったとされ、鳥羽上皇の勅願所に定められたとされる。
 更に、古代に出雲民族がこの地を開拓し、多くの樹種を蒔き、育った木が他国より優れていた事から、木の国と呼ばれる所以であり、その守り神である素戔嗚尊を祀ったとされる。
 しかし、秀吉の根来攻めで神社は焼かれ、その後紀州徳川家の手で再建され、現在の姿となっている。

 正面は拝殿である。
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 その背後は本殿エリアである。
 拝所には、多くの神々が一覧で記されている。
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 そして本殿である。
 本殿には、日本武尊を主祭神として、仏法の守護神である 神祇官八神が祀られている。
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 本殿の一つ置いて右は、素戔嗚尊他12神を祀る拝所・本殿である。
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 境内社が祀られている。
 年神社、祇園神社、五社宮である。
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 他にも、稲荷神社、魔除獅子殿が祀られている。
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 神社を後にして、道路へと上がる。
 神社を振り返ると本殿、道路の反対側にはホテルが建っている風景である。
 そして「船戸駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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