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近鉄橿原線17・橿原神宮前駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から16駅目で起終点の奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」である。

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 「橿原神宮前駅」で下車する。
 終点駅なので、「橿原線」の線路はここまでである。
 隣のホームには特急電車も停まっている。
 「橿原神宮前駅」は、「橿原線」と「南大阪線・吉野線」との共用駅、乗換駅である。
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 以前の「南大阪線」の探索で、「橿原神宮前」を訪ねたので、今回はもっと近場で、古代に創建された寺社を訪問してみる。

 駅西口から出る。
 駅ロータリーから西方向に延びる県道を進み、交差点を右折する。
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 そして、左手の住宅街の中の斜めの道を進むと、神社の杜に突き当たる。
 杜に沿って進むと、左手は趣のある町屋である。
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 神社は「久米御縣(くめみあがた)神社」と云う「式内社」である。
 鳥居を潜ると、「狛犬」、「拝殿」、「本殿」と並ぶ。
 祭神は、「高皇産霊命」、「大来目命」、「天櫛根命」とされている。
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 この神社は垂仁天皇の時代に、皇室の御料地である「来目邑(くめむら)」に創建されたと考えられる。
 「久米氏」は、ヤマト政権で軍事部門を担当していたとされるが、「久米氏」の衰退と共に神社は衰微した。
 しかし、隣に「久米寺」が創建されると、その鎮守社として再建されたとされる。

 神社前には、その「来目邑」跡の石柱や磐座もある。
 また、飛鳥方向を示す「右おかてら たち花」と記された石柱も建っている。
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 神社前の道を北へと進むと直ぐに「久米寺」である。
 「山門(仁王門)」、「寺号柱」が建ち、「扁額」が掲げられている。
 「久米寺」は、「真言宗御室派別院 霊禅山 東塔院」と標示されている。
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 「山門」には阿吽の「仁王像」が祀られている。
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 「山門」を潜る。
 正面には「東塔跡」の「礎石」がある。
 そして、その奥には「金刀比羅神社」が祀られている。
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 その先には、「不動明王像」が建ち、「多宝塔」が建っている。
 「多宝塔」は、重要文化財で、京都の「仁和寺」から移築されたものとされている。
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 境内右手には、「大師堂」、「六重石塔」、「地蔵堂」が並んでいる。
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 また境内左右には、「鐘楼」、「弘法大師の石」、「薬師如来の石」などが見られる。
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 境内正面は「本堂」である。
 本尊は薬師如来坐像」である。
 そして「本堂」前には、「久米仙人像」が建てられている。
 この「久米寺」の開基は、「聖徳太子」の弟である「来目皇子」とされるが、「久米仙人」との説もあり、逸話も語られている。
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 「本堂」右側面である。
 そして、「本堂」右手に並ぶ堂宇の「観音堂」、「阿弥陀堂」である。
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 「観音堂」の南側の横の参道には、金色の「大日如来像」が祀られ、「虫塚」もある。
 そして、そのまま横の参道から退出したのであった。
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 尚、この「久米寺」は、唐の留学から帰国した「空海」が、この寺で真言密教を宣布したと云われる。
 従って、「久米寺」は「真言宗発祥の地」とされ、「空海」が「真言宗」を開く端緒を得た寺ともされている。

 「久米寺」の寺塀に沿って、駅方向へと進む。
 そして今度は「橿原神宮前駅」の正面口へと到着し、この駅と「近鉄橿原線」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄橿原線16・畝傍御陵前駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から15駅目の奈良県橿原市の「畝傍御陵前駅」である。

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 「畝傍御陵前駅」で下車する。
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 駅のロータリーから西方向を眺めると、正面道路の先に「畝傍(うねび)山」が見える。
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 西へと進み、突き当りを右折すると、左手に「神武天皇陵」の参道入り口がある。
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 「神武天皇御陵」の標柱が傍に建つ神橋を渡り、進む。
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 参道は右にカーブする。
 正面に御陵の鳥居が見え、次の神橋を渡る。
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 「神武天皇陵」の正面の拝所である。
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 左右に広がっている拝所である。
 先ずは左側である。
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 そして右側である。
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 参拝を終え、右方向へと進む。
 そこには宮内庁書陵部の「畝傍陵墓監区事務所」が建っている。
 この事務所は、奈良県、三重県、岐阜県、愛知県、静岡県内の陵墓を管理しているとのことである。
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 駅へと戻る。
 駅前の南西には「橿原市保健センター」、北西には奈良県病院協会の「看護専門学校」がある。
 そして、ホームへ出て、「畝傍御陵前駅」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄橿原線15・八木西口駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から14駅目の奈良県橿原市の「八木西口駅」である。

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 「八木西口駅」で下車する。
 駅南側の道路を踏切を渡り、西へと進む。
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 直ぐに左折し、「JR万葉まほろば線」の線路を潜る。
 右手に朱塗りの橋が見えて来る。
 川は「飛鳥川」、橋は「蘇武(そぶ)橋」と云う。
 橋を渡った所に大きな「エノキ」が見える。
 高さ約150m、樹齢約420年とのことである。
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 橋を渡った先は、今回の探索地である「今井町」である。
 案内看板がある。
 「今井町」は、「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)」で、江戸時代からの建物が数多く保存されている所である。
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 「今井町」は、東西600m、南北310mの周囲に環濠を伴った「寺内町」である。
 最も北側の道は「北尊坊通り」である。
 入り口に「北尊坊門」があったとの表示がある。
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 進んで行くと、右手に「山尾家住宅」、左手に「吉村家住宅」がある。
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 更に進むと寺院の寺門に突き当たる。
 「浄土真宗本願寺派 順明寺」である。
 「順明寺」の裏手に迂回し、更に西へと進むと、「八幡宮」が祀られている。
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 今度は南へと進む。
 そこには、「今西家住宅」が建っている。
 「今西家」は、自治権が認められていた「今井町」の惣年寄の筆頭で、領主、代官などの役割を努めていた名家である。
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 そして「今西家」の西側は環濠である。
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 南へと進む。
 「旧常福寺」の「表門」があるので入ってみる。
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 境内右手には、「行者堂」、「観音堂」が並んでいる。
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 そして正面には、「春日神社」の拝殿もある。
 また、「山車庫」もある。
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 この寺社は、明治の廃仏毀釈にて「常福寺」が廃寺となったもので、現在は「春日神社」のみが機能しているのではと思われる。

 東方向へと進む。
 この道路は「御堂筋」と云う。
 進んで行くと、右手に「今井御坊 真宗本願寺派 稱念(しょうねん)寺」の山門がある。
 「寺内町」の中心寺院である。
 寺院には、重要文化財の「本堂」、そして「太鼓楼」も立派である。
 創建は、戦国末期とされ、顕如上人から寺号を得て、念仏道場を構築したものとされる。
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 町内の建造物を順不同で訪ねてみる。
 先ずは、「豊太閤本陣跡」、重要文化財の「中橋家住宅」及び「豊田家住宅」である。
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 そして、重要文化財の「上田家住宅」、「音村家住宅」、「旧米谷家住宅」である。
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 他にも、「今井町景観支援センター」、2つ星ホテルの「嘉雲亭」、そして「郵便局」なども見られる。
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 「今井町」をほぼ一巡したので、東南側の外れに行くと、そこには「」今井まちなみ交流センター 華甍(はないらか)」が建っている。
 明治36年に、「高市郡教育博物館」として建設されたもので、役場として使用されたと云う建物である。
 また、東南方向に目をやると、そこには「奈良県立医大」も見られる。
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 そしてこの地点で、「八木西口駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線14・大和八木駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から13駅目の奈良県橿原市の「大和八木駅」である。

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 「大和八木駅」で下車する。
 この駅は、「近鉄大阪線」との交差駅で、地上は「橿原線ホーム」、階上は「大阪線ホーム」となっている。
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 駅の南側はバス停を含むロータリーである。
 その南側の道路を西へと進み、「近鉄橿原線」の踏切を渡り、更に進む。
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 途中、「飛鳥川」を渡る。
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 少し進み南下すると、案内柱のある交差点へと出る。
 この西には「入鹿(いるか)神社」、そして「正蓮寺」があり、北方向には「人磨(ひとまろ)神社」があるとの案内である。
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 先ずは西の「入鹿神社」とその境内である。
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 「蘇我入鹿」は、飛鳥時代に無類の権勢を誇った「蘇我一族」の頂点にいた人物であるが、「乙巳の変(いっしのへん)」により、中大兄皇子・中臣鎌足らに暗殺された。
 これにより、蘇我氏が滅亡となり、「大化の改新」へと繋がり、以降、「中臣(⇔藤原)氏」が勢力をふるう時代が長く続くことになったことは良く知られている。

 「入鹿神社」境内の正面は「拝殿」と両脇の「狛犬」である。
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 「拝殿」背後には「本殿」が祀られている。
 祭神は「蘇我入鹿」であるが、明治になって「素戔嗚尊」も合祀されたとされる。
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 境内社も祀られている。
 左から、「稲荷神社」、「八幡神社」、「秋葉神社」、そして「弁天社」である。
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 境内左側(北側)には、「大日如来」を祀る「大日堂」が建っている。
 元々は、神宮寺の「普賢寺」の「大日堂」であったが、明治の神仏分離の際に、建物と本尊の仏像は残されて、南隣の「正蓮寺」の「大日堂」として現存しているものである。
 尚、「大日堂」、「大日如来木像」は重要文化財に指定されている。
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 その他、境内には「神具庫」や地元の「コミュニティーセンター」がある。
 また時節柄、十月桜も咲いている風景がある。
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 南隣の「正蓮寺」を覗いてみる。
 この寺院は、「浄土真宗興正派」とのことである。
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 北へと進む。
 町名は「地黄(じお)町」と云い、薬草サオヒメ(地黄)を栽培していたことに因んでいるとのことである。
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 北の突き当りに「人麿神社」が鎮座している。
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 社頭左手の社号柱には「柿本人丸神社」と標示されている。
 その脇には「人磨」の「歌碑」が建てられている。
 歌は、「秋山乃 もみぢを茂み 迷ひぬる 妹をもとめむ 山道知らずも」である。
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 右手は「鳥居」「扁額」である。
 「扁額」には、「人磨神社」と標示されている。
 そして境内へと入る。
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 正面は「拝殿」である。
 そして背後は、重要文化財の「本殿」である。
 勿論のこと、祭神は「柿本人麻呂」である。
 尚、この神社は、「葛城市新庄駅」の近くの柿本神社から鎌倉時代末期に分祀されたと伝えられている。
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 神社を後にして、「大和八木駅」へと戻る。
 途中には虫小窓の町屋も見られる。
 気づいたが、この辺りの車のナンバーは「飛鳥」となっていて、雰囲気がある。
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 そして「大和八木駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線13・新ノ口駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から12駅目の奈良県橿原市の「新ノ口(にのくち)駅」である。

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 「新ノ口駅」で下車する。
 この駅から一つ南の「大和八木駅」に向けて、「京都駅」―「賢島駅」間の直通特急のための連絡線が西方向へと別れ、「近鉄大阪線」へと繋げている。
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 駅舎を出て、駅前の風景を眺め、北東方向へと進む。
 今回の目的地は、駅の北東方向にある「十市(とおち)城跡」、「十市御縣坐神社」である。
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 住宅街や田園風景の中を1.5Km、途中に「寺川」を渡り、20分程度歩くと、「十市城跡」が近づく。
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 「十市城跡」には石碑が建っているのみである。
 「十市城」は、興福寺大乗院の国民である「十市氏」が、鎌倉時代後半から江戸時代にかけて居城した城で、この石碑のところには「主郭」があり、城下も含めた規模は、東西550m、南北430mと推定されている。
 また、「十市氏」は、「竜王山城」をも築き、「筒井氏」と和睦するなりして、大和国の戦線を戦ったとされている。
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 「十市城跡」を後にして、次はその南東部にある神社へと向かう。
 一旦南下し、そして東進すると、5~6分で神社の社頭に到着する。
 社号柱に記されている神社名は「式内大社 十市御縣坐神社(とおちのみあがたにますじんじゃ)」である。
 また、左手には「神池」がある。
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 神社社地へと入り左折すると、そこには「鳥居」が建つ。
 「鳥居」の扁額には、「豊受大神」と記されている。
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 境内は細長い。
 正面には、玉垣の中に「拝殿」が建つ。
 「拝殿」前には一対の「狛犬」も祀られている。
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 「拝殿」の背後は「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、主祭神「豊受大神」、配祀は「市杵島姫命」とされている。
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 この「十市御縣坐神社」は、奈良時代以前からの古社で、皇室の御料地に鎮座する「大和国六御県神社」の一座とされ、皇室の崇敬が篤かったとされている。

 幾つかの境内社が祀られている。
 先ずは、「玉津島神社」、「八坂神社」、「八幡神社」である。
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 そして、「五社神社」、「四社神社」である。
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 その他境内には、「神具庫」、そして歌碑がある。
 歌碑は、十市氏の最盛期を築いたとされる十市城主の「十市遠忠」のもので、
 「かすみきて 天のかく山 明るより とをちの里に 春をしるかな」と詠われている。
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 そして、神社入り口の「神池」をもう一度眺め、神社の杜を確認して、「新ノ口駅」のミニ探索を終了したのであった。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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