『広島府中町・多家神社』
広島県の広島駅の東、周囲は全て広島市である安芸郡府中町に鎮座する式内社名神大社「多家(たけ)神社」の社名標柱である。
多家神社は紆余曲折があり、現在は府中川の分流の榎川畔の「誰曽廼森(たれそのもり)」に鎮座している。
社頭の鳥居を潜ると、右手に冒頭の標柱、そしてその標柱の側面には神武天皇の東征の折この地に居留したとも刻まれている。
鳥居の先は綺麗な石段である。
石段を登り詰めると、二ノ鳥居があり、その先に社殿が広がる。
右手には、神楽殿そして広島城の稲荷神社の遺構とされる宝蔵がある。
正面には注連縄柱、そして一対の狛犬が祀られている。
そして拝殿、本殿である。
本殿の主祭神は「神武天皇」と安芸国の開祖神とされる「安芸津彦命」、そして相殿神は神功皇后、応神天皇、大己貴命である。
また境内には「おもいで石」という子供たちの身長を計測する石板が祀られているのは珍しい。
石段の下の左脇に貴船神社が祀られている。
祭神は、高竜神(たかおかみのかみ)、別雷神(わけいかづちのかみ)、大山津見神(おおやまづみのかみ)である。
古代に創建された式内多家神社は、神武天皇が東征の折に7年間滞在した阿岐国の「多祁理(たけりの)宮」あるいは「埃(えの)宮」の跡に創祀されたものとされている。
しかし、中世には武士達の抗争により衰退し、その所在が分からなくなったと云われる。
江戸時代になって、安芸国総社である「総社」と「松崎八幡宮」が多家神社の後継を主張し論争となった。
その結果、明治になって両社は廃止され、現地「誰曽廼森」に両社祭神を合祀した「多家神社」が創建されたという歴史を辿っている。
尚、「誰曽廼森」とは、神武天皇がこの土地の者に「曽は誰そ?」と尋ねたことから名付けられたと云われている。
また、神社前の榎川を挟んで「府中町歴史民俗資料館」もある。