奈良県磯城郡川西町下永に鎮座するもう一つの八幡神社「高堂(たかんど)八幡神社」を訪問する。
先に訪問した八幡宮は、結崎駅の北方であったが、今回の高堂八幡神社はそこから東方向へ大和川を渡り、駅から同じ距離ぐらいを進んだところである。
先ずは結崎駅で下車する。
駅のホームには、「観世発祥之地 面塚」の石柱が建っている。
観阿弥・世阿弥の能芸の発祥地である。
駅の東側の通りを北へと進む。
駅近に大きなスーパーがある。
「OY」というが、元々は10年前にあったサティの後進だそうである。
大和川を渡ることができる唯一の橋が、前回の神社の東にある「下永橋」である。
橋上からみた大和川、そして金剛・葛城・二上の山なみ、そして生駒山である。
この下永橋を渡り川沿いに進む。
そして高架道路の国道24号線を潜ると、高堂八幡神社である。
この神社の地には、明治時代になるまで前回に触れた「白米寺」があった。
そして白米寺は、この神社の神宮寺であったとのことである。
神社の全景、そして正面である。
また神社の横は高架道路で、広いエリアである。
そしてこの高架道路建設時に、奈良時代の瓦が出土したとのことで、
この辺りに、白米寺があったのではないかと思われる。
その白米寺が明治の廃仏毀釈で廃寺になった後、仏像は川向うの八幡神社の収蔵庫へ、石造り類はこの東の教願寺に収蔵されているとのことである。
さて、高堂八幡神社である。
鳥居を潜る。
正面は拝殿である。
拝殿の背後は本殿であるが、その前に一対の狛犬が祀られている。
そして本殿である。
本殿は春日造りで、祭神は品陀別命(応神天皇)である。
神社を後にして駅へと戻る。
駅の北西側には、金網で囲まれた土盛がある。
近寄ってみると、佐々木塚古墳とのことであった。
この古墳からは、5世紀中ごろの須恵器、円筒埴輪、形象埴輪などが出土されているとのことであった。