fc2ブログ

和歌山線22・大谷駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から21駅目の和歌山県伊都郡かつらぎ町の「大谷駅」である。

2103z大谷駅

 「大谷駅」で下車する。
 駅は単式ホームで、ホームは和歌山に向けて右側(山側)にある。
    2103yIMG_5146.jpg  2103yIMG_5142.jpg  2103yIMG_5116.jpg

 駅の南側を探索してみる。
 駅の東側の道路を南下すると、左手に「大谷神社」がある。
 創建は不明であるが、明治年間に15社が合祀され、この地区全体の鎮守社として「大谷神社」と改められたとのことである。
 主祭神は、天照皇大神、大国主命、事代主命、素盞鳴尊、伊弉諾尊、伊弉那美命で、配祀神は多数である。
    2103yIMG_5118.jpg  2103yIMG_5119.jpg  2103yIMG_5120.jpg

 境内には、先ずは拝殿が祀られている。
    2103yIMG_5127.jpg  2103yIMG_5121.jpg  2103yIMG_5122.jpg

 その先は本殿が祀られている。
    2103yIMG_5123.jpg  2103yIMG_5124.jpg  2103yIMG_5130.jpg

 また東側には裏参道もあり、鳥居が建っている。
 そして付近に「大谷小学校跡」の石柱も建っている。
         2103yIMG_5128.jpg  2103yIMG_5129.jpg

 「大谷神社」を後にして、西へと進む。
 少し進むと住宅街の外れに寺院「薬王山 元興寺」がある。
    2103yIMG_5133.jpg  2103yIMG_5136.jpg  2103yIMG_5132.jpg

 境内には弘法大師像、四国八十八ヶ所霊場も設けられている。
 また、無縁墓も集積された塔が設けられている。
    2103yIMG_5135.jpg  2103yIMG_5138.jpg  2103yIMG_5139.jpg

 寺院を後に駅方向へと戻る。
 途中には、水仙が咲き、柿がたわわに実っている風景があった(昨年12月)。
         2103yIMG_5140.jpg  2103yIMG_5145.jpg

 そして、「大谷駅」のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線21・妙寺駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から20駅目の和歌山県伊都郡かつらぎ町の「妙寺駅」である。

2103z妙寺駅

 「妙寺駅」が立地する「かつらぎ町」は、かつて「伊都町」「妙寺町」「見好村」そして平成の大合併で「花園村」を吸収合併した町で、
町名は北部の大阪府と境を接する「和泉葛城山」に由来する。
 また、「かつらぎ町」は南北に細長い自治体で、南部では紀伊山地となっている。

 「妙寺(みょうじ)駅」で下車する。
 そして駅前から東へと進み右折、南方向へと延びる道を進む。
    2103xIMG_5112.jpg  2103xIMG_5110.jpg  2103xIMG_5086.jpg

 この道はで行き止まりであるが、その右手に公園がある。
 「妙寺児童公園」の標柱が建っている。
 そして、「平和祈念館」の石碑がある。
         2103xIMG_5087.jpg  2103xIMG_5094.jpg  

 その背後には2棟の建物が建ち、右手は祈念館で、その屋上に地蔵尊が建っている。
         2103xIMG_5097.jpg  2103xIMG_5088.jpg

 この祈念館と祈念像は、戦後15年経って、世界平和を祈念して、地元出身の有志の人達により建設されたものである。
 祈念館正面には、一対の狛犬、そして祈念館の中には、戦没者の霊と地蔵尊像が祀られている。
    2103xIMG_5091.jpg  2103xIMG_5092.jpg  2103xIMG_5093.jpg

 屋上の祈念像であるが、高さ22m、彫刻家の保田龍門氏の作である。
 また、台座には日本を含む計45ヶ国から集めた小石「祈りの石」が埋め込まれているとのことである。
    2103xIMG_5090.jpg  2103xIMG_5102.jpg  2103xIMG_5100.jpg

 祈念像の背後は紀ノ川の堤防で、その先の河川敷にはサッカー場が開設されている。
         2103xIMG_5098.jpg  2103xIMG_5101.jpg

 元に戻る。
 祈念館の西側には、体育館、そして多目的グラウンドなどがある。
         2103xIMG_5104.jpg  2103xIMG_5107.jpg

 体育施設の道路を挟んだ北側は学校の校舎がある。
 よく見て見ると「紀の川高等学校」で「閉校」の石碑も建っている。
 この高校は定時制・通信制の高等学校であったが、3年前に閉校となり、その機能は「高野口駅」近くの「伊都中央高校」に併合されたとのことである。
         2103xIMG_5105.jpg  2103xIMG_5106.jpg

 そして校舎の傍の道を北へと進み、「妙寺駅」へと戻り、電車に乗って次の駅へと向かったのであった。
         2103xIMG_5085.jpg  2103xIMG_5113.jpg

和歌山線20・中飯降駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から19駅目の和歌山県伊都郡かつらぎ町の「中飯降駅」である。

2103wIMG_5061 (2)

 「中飯降(なかいぶり)駅」で下車する。
 この駅も切り通しの底にあり、単式ホーム(1面1線)の駅で駅舎も無い。
    2103wIMG_5081.jpg  2103wIMG_5082.jpg  2103wIMG_5080.jpg

 駅ホームから上に上がると、駅の北側へと出る。
 そして駅前広場はロータリーと駐車スペースになっていて、新しいトイレも設けられている。

 ロータリーの道路を挟んで西側は、寺院である。
 真言宗山階派「有乳山 東光寺」と云う。
         2103wIMG_5079.jpg  2103wIMG_5077.jpg

 本堂、御堂などが並んでいる。
    2103wIMG_5075.jpg  2103wIMG_5078.jpg  2103wIMG_5076.jpg

 立派な民家を見ながら北方向へと進むと、高速道路「京奈和自動車道」の下へと至る。
    2103wIMG_5074.jpg  2103wIMG_5068.jpg  2103wIMG_5073.jpg

 この高架道路の下が縄文時代後期の竪穴住居跡などが発掘された「中飯降遺跡」である。
 西日本最大級と云われている。
 高速道路建設にて付近で発掘されたものであるが、今後、発掘が進むとその規模は計り知れない。
    2103wIMG_5072.jpg  2103wIMG_5069.jpg  2103wIMG_5071.jpg

 次に、駅を見ながら、線路の南側へと移る。
 南側には国道24号線が通っていて、東方向には酒蔵らしき看板が見える。
         2103wIMG_5063.jpg  2103wIMG_5064.jpg

 前まで行ってみると、初桜酒造と云う名称である。
 杉玉が掲げられた玄関から入ってみる。
 酒銘は、高野山に因んでいるのであろうか、「般若湯」であった。
    2103wIMG_5065.jpg  2103wIMG_5067.jpg  2103wIMG_5066.jpg

 この辺りは、沢山の地酒の酒蔵が並ぶ地域であったが、京阪神の大手酒造に押され、現在はこの初桜酒造の1社のみが酒造りを行っているとのことである。

 そして、駅に戻り、ホームに出て、やってきた電車にて次の駅へと向かったのであった。
         2103wIMG_5083.jpg  2103wIMG_5084.jpg

和歌山線19・高野口駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から18駅目の和歌山県橋本市高野口町の「高野口駅」である。

2103v高野口 (2)

 「高野口駅」は、大正から昭和にかけて南海電鉄の高野線が開通するまでは高野山参詣の鉄道拠点であった。
 現在もその面影を留めている。
 また、「高野口駅」が立地する高野口町は、平成の大合併にて橋本市に合併れるまでは町政を敷いていた町であった。

 この「高野口駅」で下車する。
 駅ホームには、明治45年と刻まれた開業当時のホーム屋根の柱が残されている。
    2103vIMG_5055.jpg  2103vIMG_5054.jpg  2103vIMG_5053.jpg

 駅の正面には3階建ての建物がある。
 高野山参詣者用の旅館「葛城館」である。
 国の登録有形文化財であるが、現在は営業を終えている。
    2103vIMG_5059.jpg  2103vIMG_5050.jpg  2103vIMG_5008.jpg

 駅前広場からは、高野山麓の九度山に向けて南下する県道と、駅舎に沿って東へと行く小路のかつての高野山参詣道がある。
         2103vIMG_5005.jpg  2103vIMG_5007.jpg

 この小路はすぐに右折れする。
 両側の住宅はかつての雰囲気を留めている。
    2103vIMG_5009.jpg  2103vIMG_5011.jpg  2103vIMG_5012.jpg

 出た交差点を斜めに横断し、細い道へと入る。
 「大和街道」の表示がある下りの坂道である。
    2103vIMG_5033.jpg  2103vIMG_5015.jpg  2103vIMG_5016.jpg

 この通りは「ババタレ坂」と云う。
 かつて、高野山の杉材を運ぶ牛馬が、「高野口駅」に向けて坂を上る際に、踏ん張って糞を落としたことが名前の由来となっている。
 両側には、趣のある町屋も見られるところである。
         2103vIMG_5017.jpg  2103vIMG_5019.jpg

 「ババタレ坂」から東向きの小路へと入る。
 そこには「滝の井戸」が祀られている。
         2103vIMG_5020.jpg  2103vIMG_5022.jpg  

 この井戸は、「紀の国名水」として清水が豊富に湧き出ている井戸で、池には、カラフルな錦鯉が泳いでいる。
 背後には、稲荷神社や薬師堂などが祀られている。
    2103vIMG_5024.jpg  2103vIMG_5029.jpg  2103vIMG_5032.jpg

 今度は北へと進み、和歌山線の線路を渡る。
 渡った左手には、工業協同組合の「紀州繊維センター」がある。
         2103vIMG_5036.jpg  2103vIMG_5035.jpg

 そして、左手に一つ置いて「パイル織物資料館」がある。
 高野口が世界に誇る地場産業、パイル織物の歴史や魅力を発信する資料館である。
         2103vIMG_5037.jpg  2103vIMG_5038.jpg

 資料館の中では、再織手織機などが展示され、再織の体験や教室も開催されているとのことである。
    2103vIMG_5041.jpg  2103vIMG_5040.jpg  2103vIMG_5039.jpg

 また、製品や販売品なども展示されている明るい雰囲気の資料館である。
         2103vIMG_5045.jpg  2103vIMG_5046.jpg

 そしてこの地点で、「高野口駅」のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線18・紀伊山田駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から17駅目の和歌山県橋本市の「紀伊山田駅」である。

2103uIMG_5002 (2)

 「紀伊山田駅」は北側の「大和街道」、南側の「国道24号線」に挟まれた切通しの中の駅である。
 「紀伊山田駅」で下車する。
 駅は単式ホーム1面1線で駅舎は無く、街へは坂を上る。
    2103uIMG_4997.jpg  2103uIMG_4974.jpg  2103uIMG_4996.jpg
 
 上った所は国道24号線である。
 線路には歩道橋が架かっているので、駅を見下ろしながら北方向へと進む。
    2103uIMG_4976.jpg  2103uIMG_4995.jpg  2103uIMG_4977.jpg

 植え込みの中の細い道を進むと、「大和街道」と交差する。
 「大和街道」の西方向、東方向である。
    2103uIMG_4978.jpg  2103uIMG_4994.jpg  2103uIMG_4992.jpg

 「大和街道」の東側の左手の直ぐには、公園状の広場がある。
         2103uIMG_4991.jpg  2103uIMG_4990.jpg

  その左側は公民館、右側は神社である。
         2103uIMG_4987.jpg  2103uIMG_4993.jpg

 右側の手前にある神社は「王子権現社」である。
    2103uIMG_4986.jpg  2103uIMG_4984.jpg  2103uIMG_4985.jpg

 その奥は稲荷神社で「於染稲荷神社」である。
         2103uIMG_4982.jpg  2103uIMG_4983.jpg

 更に広場の西側の道路沿いには「住吉神社 跡」の石柱とモニュメントが建っている。
         2103uIMG_4979.jpg 2103uIMG_4980.jpg

 神社と神社跡そして「大和街道」を眺めて駅のホームへと戻る。
 ホームにはモザイク調の駅名標やタイル壁画が並んでいる。
 これらは近くの紀北工業高校の生徒が創作したものである。
 また、和歌山線活性化委員会と記された大きな絵画も飾られているカラフルなホームである。
    2103uIMG_4998.jpg  2103uIMG_4999.jpg  2103uIMG_5000.jpg

 そしてやって来た電車に乗って、「紀伊山田駅」のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線17・橋本駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から16駅目の和歌山県橋本市の「橋本駅」である。

2103tIMG_4501 (2)

 「橋本駅」で下車する。
 「橋本駅」はJR和歌山線と南海電鉄高野線との共用駅で乗換駅である。
 即ち、高野山への鉄道の玄関口でもある。
    2103tIMG_4973.jpg  2103tIMG_4569.jpg  2103tIMG_4479.jpg

 駅舎から出ると、駅舎前には「万葉歌碑」も建っている。
    2103tIMG_4487.jpg  2103tIMG_4484.jpg  2103tIMG_4485.jpg

 駅前から南へと歩くことから始め、冒頭地図の矢印のように、時計回りに駅近を一周することにする。
 先ずはロータリー、商店街を南へと進む。
    2103tIMG_4568.jpg  2103tIMG_4546.jpg  2103tIMG_4545.jpg

 商店街を抜けると、国道24号線と交差する。
 その向こうは「橋本第一公園」である。
 「紀ノ川」の上流側には、南海電鉄の高野山へ行く鉄橋が、下流には「橋本橋」が見える。
    2103tIMG_4502.jpg  2103tIMG_4496.jpg  2103tIMG_4493.jpg

 国道を西へと進む。
 登録有形文化財の橋本宿本陣「池永家住宅」がある。
 紀州藩藩主が伊勢参宮の往復時に来泊したと云われる本陣である。
 その西には、「御剣(みつるぎ)大明神」、そして「紀ノ川」に架かる「橋本橋」へと至る。
    2103tIMG_4544.jpg  2103tIMG_4506.jpg  2103tIMG_4507.jpg

 更に西へと進み、「橋本川」を渡ると旧の「高野街道」である。
 「紀ノ川」との合流点には常夜灯が建っている。
 また、高野山女人堂と書かれた標柱、歯痛地蔵尊も祀られている。
    2103tIMG_4517.jpg  2103tIMG_4514.jpg  2103tIMG_4516.jpg

 高野街道を北へと進む。
 途中で東西の「大和街道」と交差する。
    2103tIMG_4518.jpg  2103tIMG_4519.jpg  2103tIMG_4521.jpg

 その「大和街道」を東へと進む。
 「橋本川」を「松ヶ枝橋」で渡り返すと、そこには「一里塚」が建っている。
 「大和街道」の「一里塚」で、出発点の和歌山城下京橋口から十一里目にあたるとのことである。
    2103tIMG_4522.jpg  2103tIMG_4525.jpg  2103tIMG_4523.jpg

 またこの地点には、太神社(だいじんじゃ)も祀られている。
 そして少し東方向へ行くと、登録j有形文化財の「みそや呉服店別館」、「犬伏医院」がある。
    2103tIMG_4528.jpg  2103tIMG_4530.jpg  2103tIMG_4532.jpg

 今度は北方向へと進む。
 キリスト教会、延命地蔵尊、鎌倉大将軍社がある。
 鎌倉大将軍社とは、「先の利生護国寺」にゆかりがある鎌倉幕府執権の北条時頼に由来するのではという説もある。
    2103tIMG_4555.jpg  2103tIMG_4553.jpg  2103tIMG_4552.jpg

 更に北へと進むと、登録有形文化財の小林家住宅がある。
         2103tIMG_4548.jpg  2103tIMG_4549.jpg

 次に少し南へと下がる。
 そこには高野山真言宗の「応其寺(おうごじ)」がある。
    2103tIMG_4534.jpg  2103tIMG_4533.jpg  2103tIMG_4540.jpg

 「応其寺」は、豊臣秀吉の時代に、秀吉から古佐田村の一部を免許地として与えられ、僧侶木食応其が開いたのが始まりとされている。
 またこの時を同じくして、「紀ノ川」に長さ約130間の橋を架け、これが「橋本」の地名の由来となったとされ、その中心にあったのが「応其寺」とのことである。

 本堂、鐘楼、そしてにこやかな尼さんの像がある。
    2103tIMG_4535.jpg  2103tIMG_4539.jpg  2103tIMG_4537.jpg

 「応其寺」から北へと戻り、「小林家住宅」前の道を東の駅方向へと進む。
 駅に近づいた辺りに、「平林医院」、その前に2階建ての印刷所があり、風情を添えている。
         2103tIMG_4547.jpg  2103tIMG_4488.jpg

 そして「橋本駅」へと戻り、今回のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線16・下兵庫駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から15駅目の和歌山県橋本市の「下兵庫駅」である。

2103s下兵庫駅

 「下兵庫駅」で下車する。
 駅は単式ホーム1面1線で、駅舎も簡易なものである。
    2103sIMG_4428.jpg  2103sIMG_4429.jpg  2103sIMG_4477.jpg

 駅前を西へと進み、踏切を北へと渡ると、国道24号線の交差点「大寺前」へと出る。
    2103sIMG_4432.jpg  2103sIMG_4433.jpg  2103sIMG_4466.jpg

 交差点には、「利生護国寺」の表示もある。
 古代からの寺院「利生(りしょう)護国寺」である。
 交差点の北側に、工事テントで覆われた山門、塀の向こうには本堂が見える。
    2103sIMG_4435.jpg  2103sIMG_4437.jpg  2103sIMG_4436.jpg

 「利生護国寺」は、真言律宗西大寺末の寺院で、地元では「大寺」と呼ばれている。
 奈良時代の僧行基が畿内四十九院の一つとして創建したとされる寺院である。
 その後、寺は荒廃したが、鎌倉時代に北条時頼が再興したとされている。

 山門は工事中なので、東の通用口へとまわる。
 入ってみると、右手には庫裏、左手には護摩堂が建っている。
    2103sIMG_4439.jpg  2103sIMG_4438.jpg  2103s護摩堂

 左手の山門の所まで進む。
 山門の近くには、宝篋印塔、布袋像や地蔵尊祠がある。
    2103sIMG_4445.jpg  2103sIMG_4461.jpg  2103sIMG_4462.jpg

 また、本堂手前右手には「太閤秀吉 駒繋ぎの松」もある。
         2103sIMG_4442.jpg  2103sIMG_4443.jpg

 そして正面は本堂である。
 本堂は国の重要文化財である。
    2103sIMG_4441.jpg  2103sIMG_4444.jpg  2103sIMG_4450.jpg

 本尊は大日如来像で、平安後期の作とされている。
         2103sIMG_4447.jpg  2103sIMG_4448.jpg

 本堂裏には、「隅田一族」の墓が集められている。
 中世の動乱期に「紀州 隅田党」の武士団が活躍したとされ、それらの武士の墓が裏山に散在していたものを、彼らの氏寺であるこの寺に集められたとされている。
         2103sIMG_4453.jpg  2103sIMG_4454.jpg

 「利生護国寺」を後にして、和歌山線の線路を南へと渡り、住宅街の中を進む。
         2103sIMG_4467.jpg  2103sIMG_4468.jpg

 途中で東西の道路と交差する。「大和街道」である。
 趣のある町屋もある。
    2103sIMG_4472.jpg  2103sIMG_4473.jpg  2103sIMG_4474.jpg
 
 その先南側は「紀ノ川」の川縁へと出るが、雑木林で良くは見えないのは残念である。
 そしてこの地点で、「下兵庫駅」のミニ探索を終了したのであった。
    2103sIMG_4469.jpg  2103sIMG_4470.jpg  2103sIMG_4471.jpg

和歌山線15・隅田駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に各駅下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から14駅目の和歌山県橋本市の「隅田(すだ)駅」である。

2103r隅田駅

 JR和歌山線はこの「隅田駅」から、和歌山県へと入り、「紀ノ川」と国道24号線、そして「旧大和街道」に沿って、西方向に進んで行く。
 その「隅田駅」で下車する。
 駅のホームはカラフルである。
 地元の隅田中学校美術部員によりイメージキャラクターや祭りの風景画が描かれている。
    2103rIMG_4378.jpg  2103rIMG_4423.jpg  2103rIMG_4379.jpg

 駅舎の外へ出て見ると同様に絵が満載である。
 また、駅舎の傍には「紀ノ川河口から60km」のツーリングのゴール表示もある。
    2103rIMG_4414.jpg  2103rIMG_4385.jpg  2103rIMG_4382.jpg

 駅から線路沿いに西へと進む。
 隅田八幡神社への道標があり、右折れする。
    2103rIMG_4386.jpg  2103rIMG_4387.jpg  2103rIMG_4388.jpg

 国道24号線へと出る。
 そして西へ進むと「隅田八幡神社入口」の交差点へと至る。
    2103rIMG_4391.jpg  2103rIMG_4394.jpg  2103rIMG_4396.jpg

 その交差点を北へと入る。
 「隅田八幡神社」の参道である。
 一本東側の道に小学校があるので、少し寄り道をしてみる。
 「隅田小学校」である。
    2103rIMG_4398.jpg  2103rIMG_4405.jpg  2103rIMG_4406.jpg

 参道に戻り、神橋、一ノ鳥居を潜り、進む。
    2103rIMG_4400.jpg  2103rIMG_4402.jpg  2103rIMG_4403.jpg

 進んで行くと神社境内が近づく。
 先ずは神門である。
 そして神門を潜ると広い境内である。
    2103rCIMG4196.jpg  2103rCIMG4197.jpg  2103rCIMG4203.jpg

 正面は拝本殿などの社殿である。
 中央は拝殿、そして背後に本殿である。
 本殿の祭神は、誉田別尊、足仲彦尊、息長足姫尊の三柱ご一家である。
    2103rCIMG4198.jpg  2103rCIMG4199.jpg  2103rCIMG4200.jpg

 この八幡神社の地は、古代、神功皇后が三韓征伐の帰路に滞留した旧跡てあり、その後、859年に京都府石清水八幡宮から「隅田八幡神社」が勧請されたとされている。

 またこの神社には「人物画象鏡」が伝わっている。
 日本最古の金石文の一つとして国宝に指定されているもので、社殿前にはレプリカが展示されている。
         2103rCIMG4202.jpg  2103rCIMG4204.jpg  

 また拝殿両側には、東西の神楽殿が配置されている。写真は西神楽殿である。
 その他境内には、境内社、神具庫などが配置されている。
    2103rCIMG4201.jpg  2103rCIMG4210.jpg  2103rCIMG4209.jpg

 本殿裏には別当寺が祀られている。
 「大高能寺」と云い、創建は同時期で、古義真言宗仁和寺派の大寺院であったとのことである。
         2103rCIMG4207.jpg  2103rCIMG4208.jpg

 そして「隅田八幡神社」を後にして「隅田駅」に戻り、駅舎・2面2線のホームを眺め、ミニ探索を終了したのであった。
         2103rIMG_4413.jpg  2103rIMG_4421.jpg

和歌山線14・大和二見駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に途中下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から13駅目の奈良県五條市の「大和二見駅」である。

2103qIMG_4368 (2)

 「大和二見駅」で下車する。
 駅前広場は車の駐車場となっている。
    2103qIMG_4370.jpg  2103qIMG_4365.jpg  2103qIMG_4369.jpg

 この広場から南方向の直ぐには国道24号線が通っている。
 国道を東方向、「五条駅」方向へと進む。
    2103qIMG_4361.jpg  2103qIMG_4358.jpg  2103qIMG_4357.jpg

 「寿命川」を渡ると、その先に国道に直交して高架橋の遺構がある。
 かつて計画し、建設された「五新鉄道」である。
 国道を横切る上部は撤去された形となっている。
    2103qIMG_4356.jpg  2103qIMG_4355.jpg  2103qIMG_4352.jpg

 「五新鉄道」の高架橋から南へと行ってみる。
 少し行くと重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)の「五條新町」に至る。
 先ずは、「五新鉄道」の高架橋である。
 「五新鉄道」は、明治時代に五條と和歌山県の新宮との間に鉄道敷設が計画され、昭和12年に着工された新路線である。
 戦時中は中断されたが、戦後再開され、路盤工事は完成したものの、最終的には線路敷設までには至らなかった路線である。
         2103qCIMG4271.jpg  2103qCIMG4270.jpg

 また、「五條新町」は江戸時代の初めに、この五條藩の藩主「松倉重政」の命により、建設された商家群である。
 その重政の偉業を称える顕彰碑が「五條新町」の通りの少し東の「松倉公園」の中にあるので、覗いてみる。
 また、松倉公園の向かいには趣のある町屋もある。
    2103qCIMG4285.jpg  2103qCIMG4286.jpg  2103qCIMG4288.jpg

 元に戻り、五條新町の重伝建街を西へと進む。
 趣のある町屋が続いている。
    2103qCIMG4272.jpg  2103qCIMG4274.jpg  2103qCIMG4281.jpg

 更に町屋が並ぶ。
 二見神社の御旅所もある。
    2103qCIMG4283.jpg  2103qCIMG4284.jpg  2103qCIMG4282.jpg

 更に西へと進むと左手に寺院がある。
 高野山真言宗の「西方寺」である。
 この寺院の中に「松倉重政」の墓碑がある。
    2103qCIMG4275.jpg  2103qCIMG4279.jpg  2103qCIMG4277.jpg

 そして西へと進むと重伝建「五條新町」は終わる。
 南方向へと行く。
 「日蓮正宗 妙住寺」がある。
         2103qCIMG4296.jpg  2103qCIMG4299.jpg

 この寺の境内は松倉重政が改修した「二見城」の二ノ丸であったとのことである。
 重政は、関ケ原の戦いでの功が認められ、五條藩一万石の藩主となり、二見城を改修し、政庁とした。
    2103qCIMG4298.jpg  2103qCIMG4297.jpg  2103qCIMG4304.jpg

 本丸は吉野川に面していたとされる。
 また吉野川河畔からは、金剛山系が良く見える。
         2103qCIMG4302.jpg  2103qCIMG4303.jpg

 尚、余談であるが、重政は大坂の陣で功をなし、肥前島原藩四万三千石に加増移封され、五条藩は廃藩となったが、その島原で、幕府の命によりキリシタンを弾圧したことから、「島原の乱」が起こったことは良く知られているところである。

 「大和二見駅」へと戻る。
 ホームへ出てよく見ると、2面2線の駅であったようであるが、今は1線しかない。
 
 そして、駅の北にある金剛山を眺め、やって来た電車に乗って、「大和二見駅」のミニ探索を終了したのであった。
    2103qIMG_4371.jpg  2103qIMG_4372.jpg  2103qIMG_4373.jpg

和歌山線13・五条駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に途中下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から12駅目の奈良県五條市の「五条駅」である。

2103pIMG_6705.jpg

 「五条駅」で下車する。
 尚、市名は「五條市」であり、駅名だけが「五条駅」のようである。
    2103pIMG_4304.jpg  2103pIMG_4298.jpg  2103pIMG_4299.jpg

 五條市と云えば、幕末の「天誅組」で知られている所である。
 今回はその「天誅組」に関連した遺構を訪ねてみることにする。
 「天誅組」は、幕末の騒乱期に大和行幸を計画した朝廷の呼応し、幕府の機関である五條代官所へ討ち入り、幕府領を朝廷直轄地として「五條御政府」を打ち立てた。
 しかし、反対派の宮中クーデターにより行幸は中止となり、逆に「天誅組」は朝廷や幕府方から反逆者の烙印を押され、東吉野村で多くの隊士が戦死し、壊滅してしまったのであった。

 駅前から右手に商店街があるので、先ずはそれを辿る。
 途中で南へ下ると、天誅組隊士「乾十郎」の顕彰碑が建っている。
    2103pIMG_4305.jpg  2103pIMG_4307.jpg  2103pIMG_4308.jpg

 更に南へ下がると国道24号線へと出る。
 それを西方向へ進むと、右手に「桜井寺」の門前へと出る。
         2103pIMG_4311.jpg  2103pIMG_4312.jpg

 「桜井寺」は「天誅組本陣跡」とされている。
    2103pIMG_4313.jpg  2103pIMG_4314.jpg  2103pIMG_4316.jpg

 西へと進む。
 国道24号線と国道310号線の交差点を西へ進み、少し北方向へと入ると「五條市役所」がある。
 市役所の道路に面した所に「五條代官所跡」、「明治維新百五十年記念碑」の石碑が建っている。
    2103pIMG_4318.jpg  2103pIMG_4321.jpg  2103pIMG_4319.jpg

 その西側は「五條小学校」である。
 小学校を回り込むと、グラウンドの外側に隊士であった「井澤宜庵宅跡」の石碑が建っている。
 井澤宅は元々は小学校のグラウンドにあったとのことである。
    2103pIMG_4323.jpg  2103pIMG_4328.jpg  2103pIMG_4325.jpg

 国道24号線へと戻り、西へ進む。
 「明治維新発祥の地」の大看板が建っている。
 「天誅組」の変の翌年(1864年)に代官所がこの地に移設されたところである。
    2103pIMG_4331.jpg  2103pIMG_4350.jpg  2103pIMG_4351.jpg

 公園状になっていて、坂道を登ってみる。
 明治維新や天誅組の石碑が見られる。
    2103pIMG_4349.jpg  2103pIMG_4348.jpg  2103pIMG_4333.jpg

 正面は「五條代官所」の長屋門である。
 左半分は資料館として活用されている。
    2103pIMG_4335.jpg  2103pIMG_4336.jpg  2103pIMG_4339.jpg

 長屋門の右手は奈良地検五条支部、そしてその右は福祉センターである。
 そして、北には金剛山が見える風景がある。
    2103pIMG_4345.jpg  2103pIMG_4344.jpg  2103pIMG_4347.jpg

 また、長屋門の右手前にはSLが静展示されている。
 このSLは我が国で最初に製造された蒸気機関車で8620型という。
 和歌山線では、雄大な金剛山麓を走り続け、その勇壮な姿と86型から「金剛・ハロー号」と名付けられたとのことである。
    2103pIMG_4340.jpg  2103pIMG_4341.jpg  2103pIMG_4342.jpg

 鉄道に関係するSLを眺めたことで、今回の「五条駅」のミニ探索をこの地点で終了したのであった。

和歌山線12・北宇智駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に途中下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から11駅目の奈良県五條市の「北宇智(きたうち)駅」である。

2103oIMG_4262 (2)

 JR和歌山線は南下して五条市へと入り、その最初の駅が「北宇智駅」で、ここで下車する。
 この駅の駅舎は新しい。
    2103oIMG_4274.jpg  2103oIMG_4261.jpg  2103oIMG_4289.jpg

 それには理由がある。
 実はこの「北宇智駅」は今から14年前の平成19年までは、関西地域で唯一のスイッチバック方式の駅であったのである。
 駅の南側(五条側)からの線路の登りはそれほどきついものでは無いが、路線開設当時は蒸気機関車が牽引していたため、動力不足な場面もあることから、スイッチバックとなっていたのであった。

 そのスイッチバックとは、南の五条から来た列車は、「北宇智駅」を左に見て行き過ぎ、引き上げ線へと入り、バックして駅へ入ったとのことである。
 北の御所市方面からの列車は、先ずは駅のホームに入り、出発時にバックで引き上げ線に入り、五条方面に向かうと云う運行を行っていた。

 「北宇智駅」には当時の駅の姿は残っていないが、それぞれの用地が残っている。

 先ずは現在駅の単式のホームで、駅舎と共に新しく造られたものである。
         2103oIMG_4259.jpg  2103oIMG_4268.jpg

 ホームから北側(御所市側)を眺めて見る。
 現在の線路の右手の空き地は「引き上げ線」が敷設されていた用地で、空き地である。
    2103oIMG_4288.jpg  2103oIMG_4260.jpg  2103oIMG_4267.jpg

 次に、ホームの南西側である。
 旧の駅舎・ホームがあった所である。
         2103oIMG_4255.jpg  2103oIMG_4276.jpg

 駅の外からも眺めて見る。
 雑草が多く生えているので、当時の形が分かりにくいのは残念である。
         2103oIMG_4273.jpg  2103oIMG_4270.jpg

 駅の西、遠くには「金剛山」が見える。 
 ホームから見たものと、住宅街の外から見たものである。
         2103oIMG_4272.jpg  2103oIMG_4285.jpg

 また、駅ホームから東側には「テクノパーク・なら」の工場も見える。
 30社以上が工場を構える工場団地である。
         2103oIMG_4290.jpg  2103oIMG_4291.jpg  

 そしてやってきた電車に乗って、「北宇智駅」のミニ探索を終了したのであった。
               2103oIMG_4296.jpg

和歌山線11・吉野口駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に途中下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から10駅目の奈良県御所市の「吉野口駅」である。

2103n吉野口駅

 「吉野口駅」で下車する。
 こちらの駅舎も明治29年設置の伝統ある駅舎である。
    2103nIMG_4247.jpg  2103nIMG_4236.jpg  2103nIMG_4237.jpg

 また、「吉野口駅」は近鉄吉野線との共用の駅である。
 駅舎は共用、ホームはそれぞれとなっている。
    2103nIMG_4253.jpg  2103nIMG_4252.jpg  2103nIMG_4254.jpg

 駅からの出口は東側のみである。
 駅前には、唯一の店舗、そして民家がある。
 そして、駅前の道路を北へと進む。
    2103nIMG_4238.jpg  2103nIMG_4240.jpg  2103nIMG_4239.jpg

 少し行くと左手の線路との間に小さな神社がある。
 式内社「大倉比売神社」の論社の一つ「大倉姫神社(古瀬)」である。
 祭神は「大倉比売命」である。
    2103nIMG_2047.jpg  2103nIMG_2046.jpg  2103nIMG_2053.jpg

 実はもう一つ論社がある。
 少し北の線路の西側で同神社名の「大倉姫神社(戸毛)」であるが、今回は割愛する。

 北へと進む。
 この道は「巨勢(こせ)の道」と云う。
 趣のある町屋が並ぶ所である。
    2103nIMG_2061.jpg  2103nIMG_2059.jpg  2103nIMG_2060.jpg

 その先には、聖徳太子の創建と伝わる古代寺院の「巨勢(こま)寺」の跡がある。
    2103nIMG_2064.jpg  2103nIMG_2065.jpg  2103nIMG_2066.jpg

 塔跡があり、礎石が保存され、お堂も建っている。
    2103nIMG_2069.jpg  2103nIMG_2071.jpg  2103nIMG_2072.jpg

 線路を潜って、西側へと進む。
 線路の西側の山手には国道309号線が通っている。
 そして山側には「式内大 巨勢山口神社」の標柱が建つ参道である。
 参道はダムの所まで自動車道が続く。
 そして、ダムの上部から歩行参道が始まる。
    2103nIMG_3115.jpg  1802IMG_3148.jpg  1802IMG_3118.jpg

 参道は林の中を曲がりながら進む。
    1802IMG_3120.jpg  1802IMG_3121.jpg  1802IMG_3122.jpg

 そして、山の中腹の鳥居へと到着する。
    1802IMG_3123.jpg  1802IMG_3124.jpg  1802IMG_3125.jpg

 その先はまだ少し参道が続く。
 そして社殿・玉垣下の境内へと至る。
         1802IMG_3126.jpg  1802IMG_3128.jpg  

 そして石段を昇ると鳥居が建ち、そして本殿である。
         1802IMG_3141.jpg  1802IMG_3140.jpg

 本殿は朱色、春日造である。
 現在の祭神は、伊弉那岐命(いざなぎのみこと)、伊弉那美命(いざなみのみこと)であるが、かつては山口神社にふさわしい大山衹命(おおやまづみのみこと)と云われている。
 また、境内社が一社祀られていて、神明神社とされている。
    1802IMG_3138.jpg  1802IMG_3136.jpg  1802IMG_3135.jpg

 そしてこの地点で「吉野口駅」のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線10・掖上駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に途中下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から9駅目の奈良県御所市の「掖上(わきがみ)駅」である。

2103m掖上駅 (2)

 「掖上駅」で下車する。
    2103mIMG_4077.jpg  2103mIMG_4070.jpg  2103mIMG_4065.jpg

 駅周辺は住宅地であるが、田畑も入り混じっている。
 駅の東側へと行くと、大きな民家もある。
               2103mIMG_4071.jpg

 駅近くには、保育園や福祉施設がある。
 社会福祉法人の「葛城福祉園」、その傘下の保育園の「第一葛城学園」である。
    2103mIMG_4074.jpg  2103mIMG_4072.jpg  2103mIMG_4073.jpg

 それ以外には民家しか見えないので、駅へと戻り、次の電車で次の駅に向かい、「掖上駅」のミニ旅を終了したのであった。
               2103mIMG_4078.jpg

和歌山線9・玉手駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に途中下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から8駅目の奈良県御所市の「玉手(たまで)駅」である。

2103l玉手

 「玉手駅」で下車する。
 「玉手駅」は単式ホームの無人駅である。
    2103lIMG_4159.jpg  2103lIMG_4155.jpg  2103lIMG_4154.jpg

 今回は、「玉手駅」の南側を時計回りに探索してみる。
 南へと進み、県道から町道に入ると左手に「役小角 たらいの森」の標柱が土塁の上に建っている。
 修験道の開祖として知られる「役小角(えんのおづぬ)」が生誕し、その産湯を使った「たらい」が埋められている所とのことである。
 そして町道を南へと進む。
 右手に学校が見えるが、後程とする。
    2103lIMG_4080.jpg  2103lIMG_4081.jpg  2103lIMG_4082.jpg

 満願寺川を渡り、更に進む。
 丘に差し掛かると、「考安天皇陵」の参道となる。
 正式には「考安天皇玉手丘上陵」と云う。
    2103lIMG_4083.jpg  2103lIMG_4084.jpg  2103lIMG_4087.jpg

 参道を進む。
    2103lIMG_4086.jpg  2103lIMG_4088.jpg  2103lIMG_4089.jpg

 そして頂上付近で、天皇陵へと到達する。
 考安天皇は、初代の神武天皇から数えて第6代目の天皇とされている。
    2103lIMG_4090.jpg  2103lIMG_4091.jpg  2103lIMG_4092.jpg

 天皇陵から西方向を眺めると、眼下に寺院「満願寺」、遠くに金剛山が見える。
         2103lIMG_4093.jpg  2103lIMG_4095.jpg

 参道から西側へ抜ける道は「掖上(わきがみ)の道」と云う。
 御所市の市制60周年の記念事業で造られた道である。
 これを進む。
    2103lIMG_4104.jpg  2103lIMG_4105.jpg  2103lIMG_4106.jpg

 進んで行くと、右手、左手に神社がある。
 右手の神社は「孝安天皇神社」と云う。
         2103lIMG_4107.jpg  2103lIMG_4108.jpg

 更に、左手の神社は「金毘羅神社」と云う。
 鳥居を潜ると拝殿である。
    2103lIMG_4114.jpg  2103lIMG_4115.jpg  2103lIMG_4116.jpg

 その先は本殿である。
         2103lIMG_4120.jpg  2103lIMG_4123.jpg

 神社から西方向へと石段坂道を降りると鳥居が建っている。
 恐らくはこちらが表参道であろう。
         2103lIMG_4124.jpg  2103lIMG_4127.jpg

 鳥居前には寺院がある。
 「浄土宗 満願寺」である。
    2103lIMG_4136.jpg  2103lIMG_4135.jpg  2103lIMG_4128.jpg

 変わった三重蛙の塔がある。
 そして本堂、石造宝塔、檀信徒研修道場である。
    2103lIMG_4134.jpg  2103lIMG_4129.jpg  2103lIMG_4132.jpg

 「満願寺」から下に降りると、県道交差点に出る。
 交差点は「御所実業南」で御所実業高校のグラウンドの端である。
 そこから丘を見上げると、「満願寺」檀信徒道場の向こうに天皇陵が見える。
    2103lIMG_4140.jpg  2103lIMG_4139.jpg  2103lIMG_4141.jpg

 「御所実業高校」の正面まで回り込んでみる。
 ラグビーの強い学校で、全国大会常連校である。
    2103lIMG_4147.jpg  2103lIMG_4146.jpg  2103lIMG_4145.jpg

 「御所実業」を後にして、駅方向へと進む。
 葛城山、金剛山が見える田園景色である。
    2103lIMG_4148.jpg  2103lIMG_4149.jpg  2103lIMG_4161.jpg

 京奈和高速道路の下を進む。
 「玉手駅」は高速道路の下にある。
 そして「玉手駅」のミニ探索を終了したのであった。
         2103lIMG_4162.jpg  2103lIMG_4163.jpg

和歌山線8・御所駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に途中下車して訪ねてみる。
 今回は、「王寺駅」から7駅目の奈良県御所市の「御所(ごせ)駅」である。

2103kIMG_4168 (2)

 「御所駅」で下車する。
 駅舎は、明治29年の開業当時の建築である。
    2103kIMG_4166.jpg  2103kIMG_4171.jpg  2103kIMG_4173.jpg

 駅の南側は踏切の所から、両方ともアーケードで、南向きの「末広商店街」、東向きの「新池商店街」が設置されている。
    2103kIMG_4176.jpg  1910IMG_1220.jpg  1910IMG_1219.jpg

 先ずは南北方向の「末広商店街」である。
    1910IMG_1220.jpg  1910IMG_1221.jpg  1910IMG_1222.jpg

 洋服店と居酒屋がある商店街である。
 JRの線路に沿ったアーケードで、その長さ約70mである。
    1910IMG_1223.jpg  1910IMG_1224.jpg  1910IMG_1225.jpg

 踏切に戻り、今度は東西方向の「新地商店街」である。
 商店街を進む。
    1910IMG_1219.jpg  1910IMG_1227.jpg  1910IMG_1228.jpg

 更に進むと自動車道と交差する。
         1910IMG_1230.jpg  1910IMG_1231.jpg

 交差した道路は、ノンアーケードの商店街で、「御国通一丁目」である。
         1910IMG_1241.jpg  1910IMG_1242.jpg

 更に進む。
    1910IMG_1232.jpg  1910IMG_1233.jpg  1910IMG_1234.jpg

 こちらは約170mのアーケード、出口を迎える。
 出口の手前には、環濠の水路もある。
 関ヶ原合戦の後に当地を支配した桑山元晴が、道路・背割り下水等の整備を行った名残だそうで、現在も当時のままだそうである。
         1910IMG_1237.jpg  1910IMG_1239.jpg

 そして出口に交差する道路は行者街道と云う。
 修験道の開祖である御所出身の役小角が、修行のために葛城山、金剛山へ通った道とのことである。
 また、趣のある町屋もある。
    1910IMG_1236.jpg  1910IMG_1238.jpg  1910IMG_1235.jpg

 御所市は、高野山や熊野へ向かう街道の要衝であるので、中世からの歴史が詰まった町である。
 尚、御所の名付けであるが、市内を流れる葛城川に5つの瀬があったとする説や、孝昭天皇の御諸(みむろ)が「御所」に変わったとする説などがある。

 商店街から西へと、先ほどの踏切を右手に御所駅を眺め渡ると、広い交差点へと出る。
 国道168号線である。
 右手は近鉄電車の「御所駅」である。
    2103kIMG_4177.jpg  2103kIMG_4178.jpg  2103kIMG_4181.jpg

 国道を南へと進む。
 柳田川を渡り少し進んで行くと左手に神社がある。
 式内社で名神大社の「鴨都波(かもつば)神社」である。

 このずっと南に、上鴨社と云われる高鴨神社が鎮座し、それに対しこの神社は下鴨社と呼ばれ、この地を起源とする鴨氏が、上鴨の地から移動し、農業をこの地で行ったとされている。
 その証拠に、鴨都波神社の近辺からは、土器や石器などが多数出土し、弥生時代の大規模な集落跡である鴨都波遺跡の存在が確認されているからである。

 鴨都波神社の境内と、拝殿正面である。
         2103kCIMG0001.jpg  1710CIMG0005.jpg

 そして、社名提灯と、中門・本殿である。
         2103kCIMG0004.jpg  1710CIMG0002.jpg
 本殿の祭神は、積羽八重事代主命」(つわやえことしろぬしのみこと)と下照姫命を主祭神とし、建御名方神(たけみなかたのかみ)を配祀している。
 積羽八重事代主命」(つわやえことしろぬしのみこと)は、大和の大神(おおみわ)神社に祀られている大国主命の子にあたる神であり、戎神として知られている神である。

 また神社は、崇神天皇の時代に勅命により太田田根子の孫の大賀茂都美命が創建したと云われている。

 そしてこの地点で「御所駅」のミニ探索を終了したのであった。

和歌山線7・大和新庄駅

 奈良県内の大和路線の「王寺駅」と和歌山市の「和歌山駅」を起終点とする「和歌山線」の各駅を奈良県側から順に途中下車して訪ねてみる。

2103kIMG_5445 1 (2)

2103kIMG_5445 2 (3)

 既に「高田駅」までは下車しているので、今回から次の駅である奈良県葛城市の「大和新庄駅」である。

2103kIMG_4222 (2)

 「大和新庄駅」で下車する。
    2103kIMG_4225.jpg  2103kIMG_4218.jpg  2103kIMG_4219.jpg

 駅舎からの出口は西側で、ロータリーとなっている。
 ロータリーから西へと進む。
    2103kIMG_4221.jpg  2103kIMG_4220.jpg  2103kIMG_4217.jpg

 途中、広い道路と交差する。
 国道168号線であり、その北側、南側の風景である。
         2103kIMG_4215.jpg  2103kIMG_4214.jpg

 更に進むと左手(南側)には、スーパーマーケット、そしてミニアーケード商店街がある。
 更に進む。
    2103kIMG_4213.jpg  2103kIMG_4212.jpg  2103kIMG_4211.jpg
 
 近鉄電車が道路を横断するのが見え、近鉄駅の「新庄駅」もある。
 そして踏切を越える。
    2103kIMG_4210.jpg  2103kIMG_4183.jpg  2103kIMG_4184.jpg

 踏切を越えると、右手に役所の建物がある。「葛城市役所 新庄庁舎」である。
 そして神社の「柿本神社」が鎮座している。
 万葉歌人の柿本人麻呂を祀る神社である。
    2103kIMG_4185.jpg  2103kIMG_4188.jpg  2103kIMG_4189.jpg

 鳥居を潜ると拝殿である。
 そしてその先に本殿が祀られている。
    2103kIMG_4191.jpg  2103kIMG_4196.jpg  2103kIMG_4199.jpg

 境内には、770年に石見の国で没した足される人麻呂の遺骸をこの地に埋葬されたとされ、墓石も建っている。
 また、人麻呂の歌碑も建てられている。
    2103kIMG_4198.jpg  2103kIMG_4194.jpg  2103kIMG_4195.jpg

 その他境内には神名不明の境内社、ぶどう柿とも云われる「筆柿」が祀られている。
         2103kIMG_4200.jpg  2103kIMG_4206.jpg

 また境内は隣接して神宮寺がある。
 高野山真言宗の「影現(ようげん)寺」と云う。
    2103kIMG_4187.jpg  2103kIMG_4202.jpg  2103kIMG_4201.jpg

 そして、この地点で「大和新庄駅」のミニ探索を終了したのであった。

湖西線21・近江塩津駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から20番目で、湖西線の起終点駅で、滋賀県長浜市西浅井町の「近江塩津駅」である。

2103lIMG_6585 (2)

 「近江塩津駅」で下車する。
    2103lIMG_2671.jpg  2103lIMG_2641.jpg  2103lIMG_2639.jpg

 「近江塩津駅」では、湖西線と北陸本線が交わる。
 線路とホームは最上層にあり、次に駅舎、そして一段下がって町を通る道路がある形である。
 駅前を線路と平行している道路は、湖東を通り新潟県へ向かう国道8号線である。
    2103lIMG_2642.jpg  2103lIMG_2645.jpg  2103lIMG_2667.jpg

 駅前の国道にはバス停がある。
 また、駅の西側には、「大川」が流れ、その周辺に集落が形成されている。
    2103lIMG_2666.jpg  2103lIMG_2644.jpg  2103lIMG_2664.jpg

 集落内の道路を西へと進み「大川」を渡り、山麓へ近づくと神社がある。
 「大川神社」と云う。
    2103lIMG_2646.jpg  2103lIMG_2648.jpg  2103lIMG_2649.jpg

 この「大川神社」は土居通増朝臣を祀る神社である。
 土居通増は伊予の河野氏の傍流で、鎌倉幕府の打倒を志す後醍醐天皇に味方した。
 南北朝の騒乱が起こると南朝方の新田義貞に属し、楠木正成の湊川の戦いにも従軍している。
 南朝側が不利になると、勢力再建のため北国へ赴く義貞に従い、越前へ向かうが、その途中で北朝軍の襲撃に遭い、防戦たがわず、この付近で通増は一族と共に戦死したとされている。
 その後明治になって、通増には従四位が贈られ、大正になって創建されたのがこの「大川神社」である。

 鳥居を潜ると一対の狛犬が祀られている。
 また右手には社務所がある。
    2103lIMG_2651.jpg  2103lIMG_2652.jpg  2103lIMG_2661.jpg

 そしてその先は拝殿である。
 裏側からも見て見ると座敷のような雰囲気である。
         2103lIMG_2653.jpg  2103lIMG_2660.jpg  

 その先は石段で、昇り詰めると覆屋の中に土居通増朝臣を祭神とする本殿が祀られている。
    2103lIMG_2654.jpg  2103lIMG_2659.jpg  2103lIMG_2656.jpg

 本殿の左隣には境内社が祀られている。
 説明はないが、通増朝臣の一族約300名の霊が祀られているのであろう。
 また神社からの駅方向の眺めである。
         2103lIMG_2658.jpg  2103lIMG_2664.jpg

 駅へと戻り、ホームへと上がる。
 先ずは北方向である。
 右手が北陸本線のホーム、左が湖西線である。
         2103lIMG_2670.jpg  2103lIMG_2672.jpg

 今度は南方向である。
 左が北陸本線、右が湖西線である。
 そしてやってきた電車に乗り、「近江塩津駅」と「湖西線」のミニ探索を終了したのであった。
    2103lIMG_2669.jpg  2103lIMG_2673.jpg  2103lIMG_2674.jpg

湖西線20・永原駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から19番目で滋賀県長浜市西浅井町の「永原駅」である。

2103kIMG_2770 (2)

 湖西線は滋賀県北部の「海津大崎」の半島付け根を「峰山トンネル」と云う長いトンネルを抜け、高島市から長浜市の「西浅井(にしあざい)町」へと入る。
 西浅井町は、滋賀県北部の虎姫町、湖北町、木之本町、高月町、余呉町の5町と共に平成22年に長浜市に編入合併されたものである。
 
 「永原駅」で下車する。
         2103kIMG_2807.jpg  2103kIMG_2804.jpg

 駅の傍には琵琶湖へ注ぐ「大浦川」が流れていて、先ずは川沿いに琵琶湖方向へと向かう。
 川沿いの道は「びわ湖サイクルライン」と云うが、途中で左手の道路に進み、住宅地の大浦地区へと向かう。
    2103kIMG_2811.jpg  2103kIMG_2778.jpg  2103kIMG_2779.jpg

 しばらく行くと琵琶湖の湖岸へと出る。
 海津大崎が湾の向こうに見える。
 街中へと戻ると、そこには「丸子船の館」がある。
 「丸子船」は、古代より琵琶湖の湖上輸送に使われた船で、付近の大浦港には最大89隻が集積していたとのことである。
    2103kIMG_2780.jpg  2103kIMG_2785.jpg  2103kIMG_2786.jpg  

 展示館の窓を通して「丸子船」を見ることもできる。
    2103kIMG_2789.jpg  2103kIMG_2783.jpg  2103kIMG_2784.jpg

 「丸子船の館」の東側には寺院が並んでいる。
 手前の真宗大谷派の「正願寺」である。
    2103kIMG_2790.jpg  2103kIMG_2793.jpg  2103kIMG_2791.jpg

 そしてその東の並びには「十一面腹帯観音堂」がある。
 この観音様の腹帯をいただいて祈願すれば安産するとされている。
         2103kIMG_2795.jpg  2103kIMG_2794.jpg

 観音堂から元の道に戻り、北へと進む。
 「永原駅」の東あたりへ進むと、そこは西浅井町の行政の中心地である。
 先ずは東に体育館がある。
         2103kIMG_2797.jpg  2103kIMG_2798.jpg

 その西隣に旧の町役場、現在の支所やまちづくりセンターがある。
         2103kIMG_2799.jpg  2103kIMG_2800.jpg

 そして西に「大浦川」に架かる「永原駅前橋」を渡ると駅に戻ることになる。
         2103kIMG_2803.jpg  2103kIMG_2802.jpg

 ホームへと上がり、もう一度付近の景色を眺めて見る。
 先ほどの体育館とまちづくりセンター、そしてその北には永原小学校が見える。
 また南側は「大浦川」と琵琶湖方向である。
    2103kIMG_2806.jpg  2103kIMG_2810.jpg  2103kIMG_2805.jpg

 そしてやってきた電車に乗り、「永原駅」のミニ探索を終了したのであった。
         2103kIMG_2809.jpg  2103kIMG_2814.jpg

湖西線19・マキノ駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から18番目で滋賀県高島市の「マキノ駅」である。

2103jIMG_2677 (2)

 「マキノ駅」で下車する。
 駅舎からの出口は琵琶湖側の南東側である。
    2103jIMG_2709.jpg  2103jIMG_2680.jpg  2103jIMG_2707.jpg

 駅前ロータリーから琵琶湖にかけて、中央が公園状の広い道路「アクアパレス通り」が続く。
    2103jIMG_2708.jpg  2103jIMG_2706.jpg  2103jIMG_2679.jpg

 「アクアパレス通り」と「湖のテラス」の案内もある。
         2103jIMG_2681.jpg  2103jIMG_2682.jpg

 途中交差する道路は「風車街道」である。
 マキノで良く知られているメタセコイア並木ならぬ「モミジバフウ」の並木がある。
    2103jIMG_2683.jpg  2103jIMG_2701.jpg  2103jIMG_2702.jpg

 紅葉も盛りである。
         2103jIMG_2703.jpg  2103jIMG_2704.jpg

 更に進む。
 「湖のテラス」のゲートが見え、左手に石碑が建っている。
 「高木浜」の由緒が記されている。
    2103jIMG_2685.jpg  2103jIMG_2699.jpg  2103jIMG_2688.jpg

 「湖のテラス」のゲートである。
 その向こうには、水の綺麗な琵琶湖が広がる。
 アオサギも遊んでいる。
    2103jIMG_2687.jpg  2103jIMG_2691.jpg  2103jIMG_2695.jpg

 左手(北側のには桜の名所「海津大崎」が迫る。
 そして湖面には「竹生島」である。
    2103jIMG_2693.jpg  2103jIMG_2692.jpg  2103jIMG_2697.jpg

 右手(南側)は、砂浜と松林である。
 オートキャンプ場もあるとのことである。
         2103jIMG_2696.jpg  2103jIMG_2698.jpg

 湖岸・湖面を眺めて駅へと戻る。
 ホームから、山側そして琵琶湖側を眺め、次の電車に乗り、「マキノ駅」のミニ探索を終了したのであった。
    2103jIMG_2712.jpg  2103jIMG_2716.jpg  2103jIMG_2719.jpg

湖西線18・近江中庄駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から17番目で滋賀県高島市マキノ町の「近江中庄(なかしょう)駅」である。

2103iIMG_2726 (2)

 「近江中庄駅」で下車する。
         2103iIMG_2768.jpg  2103iIMG_2758.jpg

 駅出口は西側のみである。
 駅前には「モミジバフウ」と云う樹が丁度、紅葉の時期である。(昨年10月)
         2103iIMG_2727.jpg  2103iIMG_2724.jpg

 駅前の道を西へと進む。
 右手に寺院がある。「曹洞宗 幡岳寺」である。
 山門を潜ると正面は本堂である。
    2103iIMG_2729.jpg  2103iIMG_2750.jpg  2103iIMG_2753.jpg

 鐘楼、無名墓地、などがある。
    2103iIMG_2754.jpg  2103iIMG_2751.jpg  2103iIMG_2752.jpg

 この寺は、慶長年間に創建されたとされる。
 創建者は佐久間安政で、賤ヶ岳の戦いに敗れて自害した叔父・柴田勝家と叔母・お市の方、刑死した兄・佐久間盛政の菩提を弔うために建立したとされる。
 寺号の「幡岳」は勝家の戒名「幡岳寺殿籌山勝公大居士」に由来している。
 そして、創建当時の勝家や安政の位牌が現存する寺である。

 「幡岳寺」から更に西へと進む。
 右手にお堂があり、その隣は神社である。
 神社は「日枝神社」と云い、鳥居、社号柱が建つ。
 この神社は、式内社「小海神社」と推察されている。
    2103iIMG_2733.jpg  2103iIMG_2734.jpg  2103iIMG_2735.jpg

 鳥居を潜ると拝殿、そして少しの高台に本殿などが祀られている。
 また左隣は遊具施設である。
    2103iIMG_2736.jpg  2103iIMG_2739.jpg  2103iIMG_2737.jpg

 先ずは本殿である。
 本殿の祭神は大山咋神とされている。
 日吉十禅師とも呼ばれる。
    2103iIMG_2742.jpg  2103iIMG_2744.jpg  2103iIMG_2746.jpg

 また、本殿の左側には合祀殿である「御霊社 神明社」、右側にはこれも合祀殿である「房崎神社 天満宮」が祀られている。
         2103iIMG_2743.jpg  2103iIMG_2745.jpg

 そして、寺院と神社の参詣道には、趣のある民家や蔵などが見られる。
 また、西の広い道路の向こうには大きな工場もある。
    2103iIMG_2730.jpg  2103iIMG_2749.jpg  2103iIMG_2747.jpg

 駅の東側へと行く。
 田園地帯である。
 北西側には、海津大崎の半島が、東正面には松林とその向こうに「伊吹山」が見える。
    2103iIMG_2760.jpg  2103iIMG_2763.jpg  2103iIMG_2761.jpg

 この松林の手前に、訪れた「日枝神社(式内 大海神社)」があったとされ、現在は御旅所になっている。

 そしてこの地点で「近江中庄駅」のミニ探索を終了したのであった。

湖西線17-2・近江今津駅⇔竹生島

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回も「山科駅」から16番目で滋賀県高島市の「近江今津駅」の続編で、気になった湖上の「竹生島(ちくぶしま)」を訪ねてみる。

2103hIMG_2971.jpg

 今津港からクルーズ船に乗船して、「竹生島」に向かう。
 今津の街を振り返ると、大型ショッピングや中層のホテルが見える。
    2103hIMG_2870.jpg  2103hIMG_2871.jpg  2103hIMG_2872.jpg

 正面にはこれから向かう「竹生島」、左手には長浜市西浅井町の琵琶湖に北から張り出した「菅浦半島」、先端の「葛篭(つづら)尾崎」が見える。
 そして島に近づくに従い、島は形を変える。
    2103hIMG_2885.jpg  2103hIMG_2883.jpg  2103hIMG_2887.jpg

 そして船は島へと接近し、港へと入る。
    2103hIMG_2889.jpg  2103hIMG_2891.jpg  2103hIMG_2890.jpg

 下船すると港には「琵琶湖周航の歌 四番」の歌詞が掲示されている。
 「瑠璃の花園 珊瑚の宮 古い傳えの竹生島 佛の御手に 抱かれて ねむれ乙女子 やすらけく」である。
 この竹生島は「琵琶湖八景 深緑竹生島の沈影」とのことである。
         2103hIMG_2894.jpg  2103hIMG_2960.jpg

 港からは、左手に寺院の「宝厳寺」、右手に「竹生島神社」を見上げることができる。
 そして商店街が島への入り口である。
    2103hIMG_2969.jpg  2103hIMG_2979.jpg  2103hIMG_2975.jpg

 商店街を潜り抜けると西国三十番の「宝厳寺」への石段であり、境内へと入って行く。
    2103hIMG_2898.jpg  2103hIMG_2901.jpg  2103hIMG_2902.jpg

 鐘楼を眺め本堂へと至る。
 本尊は弁財天である。
         2103hIMG_2904.jpg  2103hIMG_2907.jpg

 本堂前には重要文化財の「石造五重塔」、そして「三重塔」がある。
         2103hIMG_2905.jpg  2103hIMG_2916.jpg

 本堂エリアから下を見ると、立派な堂宇がある。
 正面まで行ってみると西国巡礼の札所の「観音堂」である。
 書面の唐門は国宝とのことで、観音堂は重要文化財である。
    2103hIMG_2921.jpg  2103hIMG_2922.jpg  2103hIMG_2925.jpg

 もう少し下へ降りると神社への参道口があり鳥居が並んでいる。
 進んで行くと、舟廊下の脇下を通り、「竹生島神社」の境内へと出る。
 この神社は神名帳に記載されている式内社「都久夫須麻神社(つくぶすま じんじゃ)」とされている。
         2103hIMG_2930.jpg  2103hIMG_2958.jpg

 境内の琵琶湖側には「八大竜王拝所」がある。
 「かわらけなげ」にて眼下の鳥居をくぐらせれば願いが叶うとされている。
    2103hIMG_2936.jpg  2103hIMG_2947.jpg  2103hIMG_2953.jpg

 山側は国宝の本殿である。
 祭神は、市杵島比売命、宇賀福神、浅井比売命、龍神(八大龍王)とされている。
 また、本殿左手から「舟廊下」が、寺の観音堂に通じていて、この「舟廊下」は重要文化財である。
    2103hIMG_2952.jpg  2103hIMG_2944.jpg  2103hIMG_2945.jpg

 本殿前には境内社が祀られている。
 左側には、「天忍穂耳(あめのおしほみみ)神社 大己貴神社」、右側には「江島大神 厳島大神」である。
 他にも幾つかの境内社が祀られている。
         2103hIMG_2940.jpg  2103hIMG_2942.jpg

 出船の時刻が近くなってきたので、港へと戻る。
 湖面の東には伊吹山が見える。
 また桟橋には長浜港からの船、彦根港からの船も着岸している。
    2103hIMG_2966.jpg  2103hIMG_2977.jpg  2103hIMG_2978.jpg

 そして「今津港」行きの船に乗り、「竹生島」をあとにしたのであった。
    2103hIMG_2980.jpg  2103hIMG_2981.jpg  2103hIMG_2982.jpg

 「今津港」から「近江今津駅」へと戻る。
 途中には、「旧琵琶湖周航の歌資料館」、「歌詞掲示」などがされている「近江今津駅」のミニ探索であった。
    2103hIMG_2628.jpg  2103hIMG_2629.jpg  2103hIMG_2630.jpg

湖西線17-1・近江今津駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から16番目で滋賀県高島市の「近江今津駅」である。

2103hIMG_2861 (3)

 「近江今津駅」で下車する。
 駅前の道路「風車道路」を北へと進む。
    2103hIMG_2633.jpg  2103hIMG_2631.jpg  2103hIMG_2607.jpg

 少し行くと、左手に「高島文化会館」が建っている。
    2103hIMG_2613.jpg  2103hIMG_2612.jpg  2103hIMG_2824.jpg

 そして、その前に道路を挟んで、「琵琶湖周航の歌資料館」がある。
 コミュニティーセンターの玄関・1階部分を活用した施設である。
    2103hIMG_2614.jpg  2103hIMG_2822.jpg  2103hIMG_2608.jpg

 中を覗いてみる。
 琵琶湖周航の歌は、旧制三高(現京大)のボート部の歌であるが、作詞した小口氏が、この今津の宿で仲間に披露した所、イギリス民謡「ひつじぐさ」の曲がよく合うのではないかとの話になり、それを採用し、現在も歌い継がれる名曲が出来上がったその記念館である。
    2103hIMG_2609.jpg  2103hIMG_2610.jpg  2103hIMG_2611.jpg

 更に北へと進む。
 左手に滋賀県の建築物に縁が深い「ヴォーリズ通り」があり、入り口右手に「今津ヴォーリズ資料館」が建っている。
 当初は「百三十三銀行(現滋賀銀行)今津支店であったが、銀行の移転後は図書館として活用されていたものである。
 そして現在は、元の形に修復され資料館となり、登録有形文化財でもある。
         2103hIMG_2825.jpg  2103hIMG_2827.jpg  

 また資料館の前には趣のある町屋もある。
 そして資料館の北側で、「風車街道」沿いに少し変わった建物がある。
 今津商工会とのことである。
         2103hIMG_2828.jpg  2103hIMG_2831.jpg

 「風車道路」の東側にはもう一本の道路がある。
 「北国海道」と名付けられた「西近江路」である。
 この道路にも趣のある町屋がある。
 そしてこの辺りは「今津宿」である。
    2103hIMG_2837.jpg  2103hIMG_2858.jpg  2103hIMG_2616.jpg

 少し南へ行くと西側に「住吉神社」が鎮座している。
    2103hIMG_2857.jpg  2103hIMG_2839.jpg  2103hIMG_2840.jpg

 境内には、拝殿、中門・拝所がある。
         2103hIMG_2845.jpg  2103hIMG_2846.jpg

 そして本殿が祀られている。
 本殿の祭神は、表筒男命、中筒男命、底筒男命の住吉三神で、配祀神は神功皇后、天照大神、神直日神とされている。
         2103hIMG_2847.jpg  2103hIMG_2856.jpg

 神社から南へと行く。
 「今津桟橋跡地」の石柱が建ち、その南の湖岸に現在の「今津港」がある。
    2103hIMG_2863.jpg  2103hIMG_2862.jpg  2103hIMG_2819.jpg

 港には、桟橋、その向こうに「竹生島」が見え、「琵琶湖周航の歌碑」も建てられている。
    2103hIMG_2620.jpg  2103hIMG_2623.jpg  2103hIMG_2619.jpg

 この地点で、「近江今津駅」の東側のエリアのミニ探索は一旦終了とし、次回で「竹生島」を訪れてみることにする。

湖西線16・新旭駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から15番目で滋賀県高島市の「新旭駅」である。

2103gIMG_2594 (2)

 「新旭駅」で下車する。
         2103gIMG_2605.jpg  2103gIMG_2603.jpg

 駅の西側には、多目的ホールなども有する「観光物産プラザ」、スーパーマーケットなどがある。
         2103gIMG_2604.jpg  2103gIMG_2601.jpg
 
 また、駅舎の東側の広場には、扇を掲げた流鏑馬の武者像がある。
 この新旭町の大荒比古神社の七川祭に由来するものとされている。
 このまま南へと行き、交差点を渡ると左手に市役所の建物が見えて来る。
         2103gIMG_2592.jpg  2103gIMG_2595.jpg  

 「高島市役所」の庁舎である。
 庁舎前の通りは先ほどの武者像と関係がある「的練り通り」と云う。
 また、先ほど交差した広い通りは「マロニエ通り」と云う。洒落のような名称である。
         2103gIMG_2596.jpg  2103gIMG_2598.jpg

 右手(南側)に保健センターもある。
 本館裏には新館が竣工しているとのことであるが、表側からは見えないのは残念である。
         2103gIMG_2599.jpg  2103gIMG_2600.jpg

 なおこの市役所であるが、高島市設立後に、市庁舎をどの地域に建設するかで、市民で意見を戦わせたことがあったと云う。
 また市長選の争点ともなったと云う。
 高島市は、南から「高島町」、「安曇川町」、「新旭町」、「今津町」、「マキノ町」と、西側の「朽木村」が合併したものであるが、
 真ん中であるこの「新旭町」が最終的に選ばれたとのことである。

 市役所を確認し駅へと戻り、ホームから駅前を見ると「風車と水の里」の案内ポールが見える。
 そして比良山系を眺め、「新旭駅」のミニ探索を終了したのであった。
         2103gIMG_2591.jpg  2103gIMG_2606.jpg

大阪府羽曳野市・雄略天皇陵

2103gIMG_6545.jpg

 大阪府羽曳野市にある「雄略天皇丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)」の古代の街道「長尾街道」に面した標柱である。
 この標柱から南へ進んだところに雄略天皇陵の拝所がある。
    2103gIMG_6541.jpg  2103gIMG_6542.jpg  2103gIMG_6543.jpg

 この天皇陵に行くには、近鉄電車南大阪線の「高鷲駅」が最寄である。
 駅の600m北の住所地「島泉」に天皇陵がある。
    2103gIMG_6536.jpg  2103gIMG_6574 (2)  2103gIMG_6571.jpg

 雄略天皇は応神天皇のひ孫で仁徳天皇の孫の第21代の天皇である。
 そして天皇陵は5世紀後半に造営されたとされている。

 雄略天皇陵は前方後円墳との説がある。
 前方部は「島泉平塚古墳(高鷲平塚古墳)」、後円部は「島泉丸山古墳(しまいずみまるやまこふん)」で周郷で分離されているので、珍しい変則形である。

 前方部は、比較的平らである。
 南側から眺めても、普通の林のようにしか見えない。
    2103gIMG_6544.jpg  2103gIMG_6566.jpg  2103gIMG_6562.jpg

 「長尾街道」から周郷と後円部が良く見える。
    2103gIMG_6546.jpg  2103gIMG_6547.jpg  2103gIMG_6549.jpg

 古墳の説明板には上空写真が掲示されている。
 後円部と前方部の位置関係が良くわかる。
         IMG_6552.jpg  2103gIMG_6551.jpg

 丸山古墳の西側からの風景である。
 周郷はしっかりしている。
         2103gIMG_6555.jpg  2103gIMG_6556.jpg

 古墳の南側へと回り込む。
 南側には、公民館機能や図書館を備えた「陵南の森総合センター」がある。
 隣には、老人福祉センターの「生きがい情報センター」や作業所がある。
         2103gIMG_6561.jpg  2103gIMG_6563.jpg

 そして後円部丸山古墳を南側から眺めて、雄略天皇陵の探索を終了したのであった。
         2103gIMG_6564.jpg  2103gIMG_6565.jpg

湖西線15・安曇川駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から14番目で滋賀県高島市の「安曇川駅」である。

2103fIMG_6581 (2)

 「安曇川駅」で下車する。
    2103fIMG_3022.jpg  2103fIMG_2587.jpg  2103fIMG_3017.jpg

 安曇川駅の南方、約400mの所に鎮座する式内社「箕島(みしま)神社」を訪問してみる。
 駅から歩くと右手に神社の杜が見える。
 また付近は、柿の実が熟す季節でもある。(訪問は昨年10月)
         2010anIMG_2563.jpg  2010anIMG_2586.jpg
 
 杜を南へと回り込んだところが、一ノ鳥居が建つ社頭である。
    2010anIMG_2583.jpg  2010anIMG_2584.jpg  2010anIMG_2585.jpg
 
 鳥居を潜ると100m程度の長い参道である。
 鳥居の左手には、農作物の集荷場のような建屋もある。
 そして正面に境内が見える。
         2010anIMG_2582.jpg  2010anIMG_2581.jpg

 境内が近づくと、右手に社号柱が建つ。
 そして拝殿が建ち、その左手には神輿庫がある。
    2103fIMG_2565.jpg  2010anIMG_2564.jpg  2010anIMG_2575.jpg

 拝殿の背後は本殿であるが、その手前には狛犬が祀られている。
 狛犬の最初の一対である。
         2010anIMG_2568 (2)  2010anIMG_2567.jpg

 そしてもう一対である。
         2010anIMG_2571.jpg  2010anIMG_2570.jpg

 これら狛犬の背後は中門・瑞垣の本殿である。
         2010anIMG_2569.jpg  2010anIMG_2572.jpg

 本殿は覆屋に囲まれている。
 本殿の祭神は諸説あり、大山積命や事代主命などと云われている。
 また、神社の創建は不詳とのことである。
         2010anIMG_2573.jpg  2010anIMG_2576.jpg

 また、本殿の左右に境内社が祀られている。
 結神社、権殿とされているが、詳細は不明である。
         2010anIMG_2574.jpg  2010anIMG_2577.jpg

 「箕島神社」を訪問したこの地点で、「安曇川駅」のミニ探索を終了したのであった。

湖西線14・近江高島駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から13番目で滋賀県高島市の「近江高島駅」である。

2103fIMG_2548 (2)

 湖西線は大津市を離れ、高島市へと入る。
 高島市も平成の大合併で新設された市で、成立は2005年である。
 その高島市の一番南の駅である「近江高島駅」で下車する。
    2103fIMG_2559.jpg  2103fIMG_2499.jpg  2103fIMG_2500.jpg

 駅前広場にはガリバー像がある。
 小人の国であろう、沢山の船を曳いている像である。
    2103fIMG_2543.jpg  2103fIMG_2544.jpg  2103fIMG_2498.jpg

 高島市では、いろんな国を旅したガリバーにあやかり、
 「私達も固定した価値観にとらわれず、柔軟な価値観を持って・・・新しいものに挑戦・・・」とのコンセプトである。

 駅前から東へと進む。
 三叉路となり右手に「分部神社」がある。
 明治時代に創建された神社で、大坂夏の陣の戦功にて近江大溝藩2万石の初代藩主となった分部光信公を祀る神社で、この場所は「大溝城」の三ノ丸跡とのことである。
    2103fIMG_2542.jpg  2103fIMG_2537.jpg  2103fIMG_2538.jpg

 南東方向へと進む。
 その三ノ丸の跡地には介護老人保健施設「陽光の里」がある。
    2103fIMG_2501.jpg  2103fIMG_2539.jpg  2103fIMG_2504.jpg

 更に進む。
 大溝城跡の主要部である。
 この城は明智光秀の縄張りにて築城されたという伝承がある。
 しかし、その後、江戸時代になる前に廃城となり、藩の機能は陣屋へと移ったとされる。
    2103fIMG_2505.jpg  2103fIMG_2506.jpg  2103fIMG_2507.jpg

 本丸・天守台の跡である。
    2103fIMG_2509.jpg  2103fIMG_2517.jpg  2103fIMG_2516.jpg

 周囲の石垣も残っている。
    2103fIMG_2518.jpg  2103fIMG_2519.jpg  2103fIMG_2520.jpg

 本丸跡の東側は「乙女ヶ池」である。
 池には回廊が設けられている。
    2103fIMG_2526.jpg  2103fIMG_2528.jpg  2103fIMG_2529.jpg

 回廊を進んで行く。
    2103fIMG_2531.jpg  2103fIMG_2532.jpg  2103fIMG_2533.jpg

 「大溝城址」の南側へと出る。
 そしてそこには「高島市民病院」が建っている。
    2103fIMG_2534.jpg  2103fIMG_2503.jpg  2103fIMG_2535.jpg

 病院を眺め、最初の三叉路へと戻る。
 少し北へと行くと、そこには大溝城の陣屋の跡がある。
 唯一残っているのは「総門」である。
         2103fIMG_2554.jpg  2103fIMG_2555.jpg

 「総門」周辺には、趣のある町屋も見られる。
    2103fIMG_2551.jpg  2103fIMG_2553.jpg  2103fIMG_2557.jpg

 そして「近江高島駅」へと戻る。
 ホームにも、望遠鏡を覗くガリバー像を見て、「近江高島駅」のミニ探索を終了したのであった。
         2103fIMG_2561.jpg  2103fIMG_2562.jpg

湖西線13・北小松駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から12番目で大津市の「北小松駅」である。

2103eIMG_2442 (2)

 「北小松駅」は南北に細長い大津市の北限の駅である。
 「北小松駅」で下車する。
 駅南西方向に比良山系の釈迦岳が見える。
    2103eIMG_2439.jpg  2103eIMG_2444.jpg  2103eIMG_2489.jpg

 駅前の道を北へと進み、2つの寺院を訪れることにする。
         2103eIMG_2445.jpg  2103eIMG_2446.jpg

 道路を左折すると右手に先ずは一つ目の寺院「徳勝寺」がある。
 創建約160年前で、浄土真宗本願寺派の寺院である。
    2103eIMG_2455.jpg  2103eIMG_2448.jpg  2103eIMG_2454.jpg

 「徳勝寺」は枝垂桜や染井吉野の桜で良く知られていると云う。
 桜が咲いた時点で、再び訪れて見たいところである。

 「徳勝寺」の参道左手にお堂が建つ。
 堂内には、豊臣秀吉が播州から持ち帰ったとされる「薬師如来坐像」が祀られている。
         2103eIMG_2447.jpg  2103eIMG_2456.jpg

 「徳勝寺」前を西方向(山側)へと進む。
 2つ目の寺院「種徳禅寺」がある。
 約600年前の足利義満の時代に創建され、応仁の乱の頃京都相国寺より節叟松公禅師を開山に迎え、臨済宗東福寺派「種徳禅寺」が成立したとされる。
    2103eIMG_2457.jpg  2103eIMG_2458.jpg  2103eIMG_2478.jpg

 広い寺域に多くの堂宇が祀られている。
    2103eIMG_2462.jpg  2103eIMG_2480.jpg  2103eIMG_2466.jpg

 また、鐘楼や真言のお堂「寿法殿」も建つ。
    2103eIMG_2463.jpg  2103eIMG_2467.jpg  2103eIMG_2468.jpg

 また境内には石造りの像が祀られている。
 布袋像などと、長命水なるものもある。
         2103eIMG_2465.jpg  2103eIMG_2464.jpg  

 寺院の裏山は巡回式の「薬師山八十八ヶ所霊場なるものが設定されている。
 四国八十八ヶ所巡礼だそうである。
    2103eIMG_2472.jpg  2103eIMG_2473.jpg  2103eIMG_2474.jpg

 2つの寺院を後にして駅へと戻る。
 駅や高架線路の東側では高架道路の工事が行われている。
 江若鉄道の跡地を利用した国道161号線のバイパス工事とのことである。
         2103eIMG_2481.jpg  2103eIMG_2484.jpg

 そして駅ホームに出て、琵琶湖を通して見える伊吹山を眺め、「北小松駅」のミニ探索を終了したのであった。
         2103eIMG_2490.jpg  2103eIMG_2494.jpg

湖西線12・近江舞子駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から11番目の大津市南小松にある「近江舞子駅」である。

2103dIMG_2486 (3)

 「近江舞子駅」で下車する。
 ホームからは、西方向の比良山系が見える。
 主峰「武奈ヶ岳」の前山である。
         2103dIMG_3013.jpg  2103dIMG_2225.jpg

 駅舎の琵琶湖側へと出る。
 道路標識に従い、琵琶湖方面へと進む。
    2103dIMG_2228.jpg  2103dIMG_2232.jpg  2103dIMG_2233.jpg

 途中、駐車場などもあり、湖岸松林の遊歩道へと出る。
    2103dIMG_2234.jpg  2103dIMG_2235.jpg  2103dIMG_2236.jpg

 松林には「名勝 雄松崎湖岸」の標柱が建っている。
 「近江舞子」の湖岸であるが、正式には「雄松崎」と云う。
 「舞子」と云うのは兵庫県神戸市の「舞子」のように綺麗と云うことで、それに因んだものとされている。
 また、「近江舞子駅」の周辺の地名は「南小松」と云う。
 これは「雄松」から転じて「小松」となり、その南半分である。
    2103dIMG_2237.jpg  2103dIMG_2238.jpg  2103dIMG_2242.jpg

 松林と白い砂浜の対比は「白砂青松」と云われる。
    2103dIMG_2247.jpg  2103dIMG_2248.jpg  2103dIMG_2244.jpg

 また湖水も透き通って綺麗である。
 夏であれば、またコロナが無ければ、多くの人で賑わう所であろう。
          2103dIMG_2239.jpg  2103dIMG_2240.jpg

 「雄松崎」は緩やかな岬であり、先端付近はキャンプ場のようである。
 この時も幾つかのグループが賑やかであった。
    2103dIMG_2249.jpg  2103dIMG_2250.jpg  2103dIMG_2252.jpg

 もう一つ、「雄松崎」と云えば、「琵琶湖周航の歌の2番」である。
 旧三高(現京大)のボート部の合宿所「雄松館」があり、その前に説明板が建てられている。
  「松は緑に 砂白き 雄松が里の乙女は  赤い椿の森陰に はかない恋に 泣くとかや」
         2103dIMG_2254.jpg  2103dIMG_2253.jpg

 歌の1番は「・・・ 志賀の都よ いざさらば」なので、次はこの「雄松崎」に停留したようである。

 「雄松崎」からの琵琶湖の風景である。
 広くてきれいな琵琶湖である。
         2103dIMG_2256.jpg  2103dIMG_2257.jpg

 雄松崎の内側には独立した池がある。「内湖」である。
 「内湖」の向こうには、比良山系が見える。
         2103dIMG_2245.jpg  2103dIMG_2258.jpg

 「内湖」の南西方向へ進んでみる。
 ソーラー畑、リゾートマンション、モーターボートなども見られる。
    2103dIMG_2260.jpg  2103dIMG_2261.jpg  2103dIMG_2262.jpg

 西へと方向を変える。
 ゲストハウス、ホテル温泉などが建っている。
         2103dIMG_2265.jpg  2103dIMG_2268.jpg

 そのまま湖西線の高架線路を潜ると、コテージ風の建物も見られる「近江舞子」である。
 そしてこの地点で「近江舞子駅」のミニ探索を終了したのであった。
         2103dIMG_2269.jpg  2103dIMG_2271.jpg

湖西線11・比良駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から10番目の大津市北比良にある「比良駅」である。

2103cIMG_2487 (2)

 「比良駅」で下車する。
    2103cIMG_2320.jpg  2103cIMG_2317.jpg  2103cIMG_2319.jpg

 駅前から線路沿いの道を北へと進む。
 西に迫る比良山系が良く見える。
         2103cIMG_2305.jpg  2103cIMG_2309.jpg

 左側(南側)には、びわ湖テラスの打見岳、北には堂満岳である。
         2103cIMG_2308.jpg  2103cIMG_2310.jpg

 進んで行くとサッカー場に突き当たる。
 「びわこ成蹊スポーツ大学」のキャンパスで、駅側の入り口「琵琶湖ゲート」である。
         2103cIMG_2301.jpg  2103cIMG_2291 (3)

 ゲートから入ってサッカーの試合を眺めてみる。
 東側の湖西線の高架線路に丁度電車が通っているのも見える。
    2103cIMG_2295.jpg  2103cIMG_2293.jpg  2103cIMG_2299.jpg

 キャンパス内の学舎も見え、西側には堂満岳が間近に見える。
         2103cIMG_2294.jpg  2103cIMG_2298.jpg

 キャンパスの周りを、歩いてみる。
 クラブハウス、屋内プール、講義棟である。
    2103cIMG_2289.jpg  2103cIMG_2288.jpg  2103cIMG_2287.jpg

 更に進む。
 講義棟や研究棟を眺めて、正門ゲートへと達する。
    2103cIMG_2285.jpg  2103cIMG_2284.jpg  2103cIMG_2281.jpg

 大学前の道路は南北の県道であるが、川と交わるところから西へ道路が延びている。
 比良山への登山道である。
 その場所には、「近江八景 比良の暮雪」の碑も建っている。
    2103cIMG_2273.jpg  2103cIMG_2275.jpg  2103cIMG_2276.jpg

 そして道路と交差する「比良川」の上流、下流の風景である。
    2103cIMG_2278.jpg  2103cIMG_2277.jpg  2103cIMG_2280.jpg

 そして「比良駅」の探索はここまでとし、「比良駅」へと戻り、ホームから琵琶湖を眺め、乗車したのであった。
         2103cIMG_2322.jpg  2103cIMG_2325.jpg

湖西線10・志賀駅

 京都市の「山科駅」と滋賀県長浜市の「近江塩津駅」を起終点とし、琵琶湖の西岸を走る「湖西線」の駅を各駅下車で訪ねてみる。
 今回は「山科駅」から9番目の大津市にある「志賀駅」である。

2103bIMG_2332 (2)

 「志賀駅」で下車する。 
         2103bIMG_2355.jpg  2103bIMG_2326.jpg

 駅舎の西側からは「びわ湖バレイ」行きのバスが発着し、そのロープウエイの支柱を遠く望むことができる。
 また、少し北に行くと、小学校もある。
    2103bIMG_2327.jpg  2103bIMG_2328.jpg  2103bIMG_2350.jpg

 駅の東側へと出る。
 湖岸方向へ進んで行くと、砂浜と出る。
 「松の浦水泳場」である。
    2103bIMG_2333.jpg  2103bIMG_2334.jpg  2103bIMG_2343.jpg

 この「松の浦水泳場」は、琵琶湖の湖西側では、水泳に適した水質の南限とされている。
 確かに水は透き通っている。
         2103bIMG_2336.jpg  2103bIMG_2339.jpg

 湖岸から、北東方向に遠くは伊吹山、手前には沖島が見える。
 また南東方向には近江富士が見える。
         2103bIMG_2356.jpg  2103bIMG_2362.jpg

 また松の浦には、松林、キャンプ場センター、リゾート施設などもある。
    2103bIMG_2348.jpg  2103bIMG_2349.jpg  2103bIMG_2342.jpg

 駅へと戻り、ホームからびわ湖バレイのロープウエイを眺め、「志賀駅」のミニ探索を終了したのであった。
         2103bIMG_2359.jpg  2103bIMG_2361.jpg

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR