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『和歌山市・伊久比売神社』

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 和歌山市市小路(いちしょうじ)に鎮座する式内社論社の「伊久比売神社」の社頭の鳥居の扁額である。

 伊久比売神社は、紀ノ川の右岸、国道26号線と和歌山北高との間の住宅街に位置する。

 神社正面は白い塀が設けられ、鳥居を潜ると灯篭の参道となる。
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 正面には拝殿が祀られている。
 拝殿内部には、地元和歌山の銘酒が奉献されている。
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 背後は本殿である。
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 本殿の祭神は伊久比売命で、以前は「市姫大明神」と呼ばれていたとのことである。
 古代にはこの辺りに紀伊湊が置かれ、それに隣接して市の守護として「市姫」を祀る神社が創建されたと伝わっている。

 境内には、幾つかの境内社が祀られている。
 先ずは八幡神社と春日神社の合祀社、並びに平井金比羅宮である。
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 その他、拝本殿の周囲には小祠が祀られている。
 先ずは、八幡社、妙見社、社名不明の石祠である。
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 更に、里神神社、八幡社・八王子社の合祀社、住吉社である。
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『和歌山市・伊達神社』

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 和歌山市園部に鎮座する式内社で名神大社の「伊達(いだて)神社」の社頭の石碑である。
 鎮座地は紀ノ川の右岸で、神社の背後は山地へと続く高台となっている。

 社頭は南向きで、冒頭の石碑の他、鳥居が建てられ、鳥居を潜ると細長い参道である。
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 参道の先は境内である。
 拝殿前には一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿、覆屋に包まれた本殿である。
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 本殿の祭神は、素戔嗚尊の子の神で、紀伊国に木種をもたらしたと云われる五十猛命(いたけるのみこと) 、そしてこの地に住まいした園部氏の祖伸と云われる神八井耳命(かむやいみみのみこと)である。

 また、この伊達神社と先の志磨神社、静火神社を合わせて紀三所神と云われる。
 その由来は、神功皇后が三韓征伐から帰還した時、その船隊の3隻を、武内宿祢に祀らせたことにあると云われている。

 境内には、本殿の左に恵比寿神社、右に天照大御神・金峯神社が祀られている。
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 そして本殿の周りに多数の小祠が祀られている。
 時計回りに巡ってみると、先ずは集合舎に、順番に五社神社、天満神社、大人(うし)神社、妙見神社、畦神社、赤戝神社・八幡神社、石祠の大人神社である。
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 更に右回りに、天磐座神社を始めとして、早尾神社、粟島神社、住吉神社、春日神社、樟神社、八幡神社、稲荷神社、八王子神社と並び、本殿の周囲を一周している。
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 尚、この園部地区の東部は「有功(いさお)」と云う。
 これは、五十猛命の別名「有功神」に由来するとのことである。
 写真は、神社すぐ東にある有功小学校の校門である。
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『和歌山市・志磨神社』

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 和歌山市中之島に鎮座する式内社で名神大社の「志磨神社」の社号標柱である。

 中之島とは紀ノ川の左岸の住所地で、かつては紀ノ川の中州であり、中津島として神聖化され、神の棲む島として崇敬を受けたと云われる。

 この中之島には、6社の神社があったと云われるが、江戸時代の初期、そのうちの「九頭明神」が式内社「志摩神社」に比定されたとの経過を辿っている。

 志磨神社の社頭には、冒頭の社号柱、そして鳥居が建てられている。
 鳥居を潜り、参道を行くと、更に神門を潜る。
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 拝殿の手前には一対の狛犬が祀られている。
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 その先は拝殿本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、中津島姫命(市杵島姫命)で、 配祀は生国魂命 である。

 また、境内社として、天照皇大神宮、久嶋神社、天満神社が祀られている。
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 志磨神社は、静火神社、伊達神社と共に紀三所社と云われ、神功皇后が三韓征伐から帰還した時、武内宿祢に命じ船隊のうちの3隻をそれぞれに祀った神社とされている。

『和歌山市・朝椋神社』

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 和歌山市鷺の森明神丁に鎮座する式内社「朝椋(あさくら)神社」の社頭の社号標柱である。
 場所は、和歌山城の真北方向で、南海電車の和歌山市駅の真東方向とが直交する辺りである。

 社頭には冒頭標柱の他、一ノ鳥居が建てられ、参道を進むと社務所を過ぎ、二ノ鳥居となる。
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 二ノ鳥居を潜ると、左手の拝殿前に一対の狛犬が祀られている。
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 その背後は拝殿本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、大國主命であり、創建当時からこの場所に鎮座していると云われるが、その創建の経緯は不詳である。

 神社には境内社として、天照大御神、豊受大御神を祭神とする神明神社、天之水分(みくまり)神 国之水分神を祭神とする子守勝手社が祀られている。
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 神社の鎮座地の鷺ノ森は、織田信長の石山本願寺攻めで、大坂を追われた本願寺の宗主顕如が一時避難し、本願寺の本山として機能したことはよく知られている。
 その本願寺は、現在は鷺森別院として、その存在感を保大寺院である。
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『和歌山市・刺田比古神社』

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 和歌山市片岡町に鎮座する「刺田比古(さすたひこ)神社」の社名標柱である。
 神社は現在の和歌山城公園の直ぐの南に鎮座し、豊臣秀吉や徳川家の和歌山城の鎮護として崇敬を受けた神社である。

 更に、徳川吉宗が紀州藩2代藩主徳川光貞の4男として生まれた際に、和歌山城南西隅に捨てられ、この刺田比古神社の神主岡本周防守長諄が拾い親となり、家老に預けると云う形をとった。
 これは厄年に生まれた子供は、捨て子にすれば丈夫に育つという風習があったためで、光貞公は、自身の産土神の神主に子供を拾わせることで、神からの贈り物としたと云われている。
 「吉宗公拾い親神社」と云われる由縁である。

 神社の社頭には、冒頭の標柱と鳥居が設けられている。
 鳥居を潜ると右手に、吉宗公寵愛の新馬の木像が祀られている。
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 参道を進むと、突き当りに「岡の里古墳」看板がある。
 古墳時代後期の古墳があったとのことである。
 伝承によると、この地は大伴氏の居住地で、神武東征を先導したと云われる道臣命は、この地の生まれであると云われている。
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 参道の途中にの右手には、宇須売社、金毘羅社が祀られている。
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 参道の突き当りを右折すると、拝殿の手前に一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿・本殿である。
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 本殿の祭神は、大伴氏の祖神である道臣命(みちおみのみこと)並びにその十世の孫と云われる大伴佐氐比古命(おおとものさでひこのみこと)である。
 
 本殿の、左側には沢山の境内社が祀られている。
 1列に6社、奥に3社である。
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 先ずは手前からの6社は、小林稲荷社、稲荷社、弁財天社、春日社、天満社、抜戸社である。
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 また奥の3社は、大黒社、楠龍発達社、八幡社・氷川社の合祀社である。
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『和歌山市・高積神社』

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 和歌山市禰宜の和佐山連峰の北端に聳える高積山の麓に鎮座する式内社の「高積神社」社号柱である。
 この神社は「下の宮」で、高積山の山頂には「上の宮」が鎮座しているが、今回は訪れていない。

 また式内社と云っても、この神社は複雑である。
 延喜式名神大社の都麻津比賣神社の論社、また高積比古神社並びに高積比売神社にも比定されている。

 神社は高積山への登山口にあり、社頭には冒頭の社号柱、石段、鳥居が設けられている。
 また、灯篭も配備されている。
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 境内は手前が広く、一段上がって、更に一段上がったところに、本殿の拝所が設けられている。
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 そして本殿である。
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 本殿の祭神は、紀伊国に木種をもたらしたと云われる素盞鳴尊の子の都麻都比売命、五十猛命、大屋都比売命の3神である。
 また、明治の神社合祀にて、和佐村の神社30社が合祀されたことによる祭神、天照皇大神、素盞鳴尊、八王子神、大山祇神、気津別神、応神天皇、神功皇后も祀られている。

 高積神社は、かつてには秋月の現日前神宮・国懸神宮の場所に祀られていた。
 浜ノ宮に鎮座していた日前神宮・国懸神宮が、現地に遷座されたことにより、高積神社は、玉突きにて現地に遷座されたとの経緯を辿っている。

 神社境内には、社名不明であるが、末社が3社祀られている。
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尚、和歌山の和佐と云えば、現パナソニックの創業者の松下幸之助の出身地で、幸之助氏はこの神社へも寄進をしたと云われている。

『和歌山市・鳴神社』

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 和歌山市鳴神に鎮座する式内社で名神大社の「鳴(なる)神社」の社頭の標柱である。

 鳴神社は、JR和歌山駅東方の神社名に由来する鳴神(なるかみ)地区の中に祀られている。
 尚、和歌山駅と鳴神社の、丁度中間あたりに、紀伊国一之宮である「日前神宮・国懸神宮」が鎮座している。

 神社正面は南向きで、冒頭の標柱、鳥居が建てられている。
 鳥居を潜ると、両側に狛犬が祀られている。
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 そして割拝式の拝殿が祀られ、その先には、2座の本殿が鎮座している。
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 先ずは向かって右側の本殿(左本殿)である。
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 祭神は、速秋津彦命 速秋津姫命である。
 この2柱の神々は、水戸の神すなわち港の神である。

 そして向かって左側(右本殿)である。
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 右本殿の祭神は、天太玉命 (あめのふとだまのみこと)である。
 この地に住まいして、往古に紀伊湊を開拓した紀伊忌部氏が祖神を祀ったのが神社の創建とされている。
 尚、この鳴神の地の南側は井辺(いんべ)という地域で、井辺姓の家系が多くみられる。

 境内には、重要な境内社が祀られている。 
 2社の式内社で、軻遇突知命(かぐつちのみこと)を祭神とする「香都知(かつち)神社」(通称:逆松さん)、そして神吾田鹿葦津姫命(かむあたかあしつひめのみこと)を祭神とする「堅眞音神社(かたまおと)神社」である。
 この2社は、明治の神社合祀にて、鳴神社に合祀され、現在は1つの社に合祀され、本殿の右手に鎮座している。
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 ほかにも神社の鳥居前に、鳴武神社が祀られている。
 祭神の鳴武大明神は、五世紀頃、百済の国から紀伊国に渡来し、酒造技術を伝えた百済国耆閣大王の第四王女とのことである。
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 また、神社から東北200mぐらいの住宅街の中に、香都知(かづち)神社の旧地があり、逆松社の祠が祀られている。
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『和歌山市・静火神社』

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 和歌山市和田の天霧山(薬師山)に鎮座する式内社で名神大社の「静火(しずび)神社」の社号柱である。

 静火神社は、現在は本社である竃山(かまやま)神社の東に鎮座し、境外の摂社となっているが、かつては名神大社の名の通り、竃山神社よりも大きな神社であった。
 創建以来の鎮座地は、現在よりも東200m程度の所で、広い道路が敷設されたところにあり。石碑が建てられている。

 静火神社は、和歌山市内の紀ノ川の河口付近に鎮座する「伊達神社」、「志磨神社」と合わせて「紀三所社(きのさんしょしゃ)」と称されている。
 この3社は、神功皇后の三韓征伐に用いた船3艘を、武内宿禰が祀ったと云われる由来がある。
 また、この3社の本社は、住吉大社の船玉神社との言い伝えもある。

 神社へは、竃山神社から、東の薬師山の方向へ進む。
 鎮座する薬師山、南方向遠くに藤白山脈を望むことができる。
 そして和田集落に入ると、古い町並みも見られる。
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 神社参道は、竹藪が続く。
 しばらく昇ると、神社が見えてくる。
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 社頭には、冒頭の社号柱、そして鳥居が建っている。
 その先は拝殿である。
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 その奥は本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、静火大神(火結神とも云われる)である。
 一説には、都麻都比売命とも云われている。

 静火神社は、鎌倉時代に衰退し、廃絶されたようであるが、紀州和歌山藩により、現在の薬師山に再建されたと云う経緯を辿る。
 そして明治の神社合祀にて、竃山神社の末社稲荷神社に合祀されたが、戦後、現在地に再建遷座されたとのことである。

 出発点の竃山神社の風景である。
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 竃山神社は、神武天皇の長兄の彦五瀬命の神霊を祀る神社である。
 本殿の背後には、彦五瀬命の墓と云われる竈山墓が祀られている。
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『和歌山市・都麻津姫神社』

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 和歌山市吉礼(きれ)に鎮座する式内社で名神大社の「都麻津姫(つまつひめ)神社」の祭神を表す神名板である。
 
 都麻津姫神社は和歌山市内を東西に走り、「たま駅長」でも知られる和歌山電鉄の吉礼駅の北方に鎮座している。

 正面の鳥居を潜り参道を進むと石段となり、石段の両側に狛犬が祀られている。
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 その上は、割拝式の拝殿、そして瑞垣を伴った中門・拝所である。
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 そして本殿である。
 本殿の左右には脇殿も祀られている。
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 本殿の祭神は、冒頭の名板の通りの都麻津姫(つまつひめ、抓都姫)命である。
 また、左脇殿の祭神は五十猛(いそたける)命、右脇殿は大屋津姫(おおやつひめ)命である。

 そして、本殿・脇殿の3神は、素戔嗚命の子神で、都麻津姫命は末っ子である。
 これらの神々は、紀州に木種をもたらしたと云われる神で、「伊太祁曽(いだきそ)三神」と総称されている。

 また、西の別殿には吉礼津姫(きれつひめ)命が祀られている。
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 境内社として、御霊社、高志麻稲荷神社が祀られている。
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『和歌山市・大屋都姫神社』

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 和歌山市宇田森に鎮座する式内社で名神大社の「大屋都姫(おおやつひめ)神社」の参道入り口の標柱である。

 鎮座地は紀ノ川の右岸、JR阪和線の紀伊駅の南方である。
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 参道は冒頭標柱の所から西へと続き、神社の境内へと入って行く。
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 境内の右手の北側には、鳥居そして拝所の鈴門が祀られている。
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 その先、瑞垣の中には、中央に本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、社名の通り大屋都姫命である。

 そして本殿の左手の左脇宮には五十猛(いそたける)命、右手の右脇宮には抓都姫(つまつひめ)命が祀られている。
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 尚、本殿と脇宮の3神は素戔嗚尊の子の3兄弟である。
 これら3神は、紀伊国に木種をもたらしたと云われる神で、「伊太祁曽(いだきそ)三神」と総称されている。
 
 さらに大屋都姫の兄の五十猛命は伊太祁曽神社の主祭神として、妹の抓都姫命は都麻津姫神社(後出)の主祭神として祀られている。

 境内には、祭神不明の小祠も祀られている。
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 また、この地は弥生時代の宇田森遺跡として調査が進められている。
 銅鐸も発掘されているとのことである。
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『姫路市・高岳神社』

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 兵庫県姫路市西今宿に鎮座する式内社で播磨国五ノ宮の「高岳(たかおか)神社の参道一ノ鳥居の傍の社名標柱である。

 神社は、JR姫路駅から播但線で一駅西の播磨高岡から北へと、歩ける距離に鎮座している。
 一ノ鳥居から参道は西方向へと進む。
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 しばらく歩くと、灯篭、注連縄柱が迎えてくれる。
 そして緩やかな石段となる。
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 石段の右手には、稲荷神社、そして金刀比羅宮が祀られている。
 そして更に石段を昇る。
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 玉垣で囲まれた狭い中に、一対の狛犬が祀られている。
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 そして、拝殿である。
 拝殿の前は、玉垣、そしてその外は急傾斜の法面である。
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 拝殿の奥は本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、創建当初は仲哀天皇、応神天皇、崇道天皇、事代主神、猿田彦神の5柱とされ、征夷大将軍坂上田村麻呂が幣帛を奉って武運を祈ったと云われている。
 その後、住吉大神、伊豫親王、光明皇后の3柱が祀られ、更に明治になって宇賀魂命、市杵島姫命、水分神が祀られたと云う経過を有している。

 本殿の背後の更に高い所に磐座が祀られている。
 磐座は霊岩であり、蛤岩と呼ばれる。
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 蛤岩の謂れは、かつて、この地の人が岩上で蛤を拾い、福徳長寿のご利益を得たので、この名で呼ばれるようになったとのことである。
 また岩の頂上には、窪みがあって、四季を通じて常に霊水をたたえていると云われている。
 そして、背後の山は蛤山と呼ばれている。

 尚、高岳神社は創建当時はめ辛室郷の高岳鳶ケ巣に鎮座していたと云われている。
 そして、延喜式神名帳が編纂されるまでには、現在地の蛤山に遷座されたという経緯も有する。

『姫路市・白國神社』

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 兵庫県姫路市白国5丁目に鎮座する式内社で播磨国四ノ宮の「白國神社」の社号柱である。
 
 白國神社は、京都の八坂神社のルーツである廣峯神社が鎮座する廣峯山の南山麓に鎮座している。
 姫路駅、姫路城の北の山麓でもある。

 神社へは姫路駅からバスで向かうのが便利であり、競馬場や自衛隊の駐屯地の北側の「奥白国バス停」が最寄りである。
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 バス停から住宅の間の参道を向かうと、冒頭標柱の社頭となる。
 神社の参詣口は随身門である。
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 随身門には、左右に武者像が祀られている。
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 門を潜ると、鳥居及び石段である。
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 石段途中の右手には、三穂津姫神を祭神とする池鯉鮒社(ちりうしゃ)が祀られている。
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 石段の正面は拝殿である。
 また拝殿の両脇には一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿が祀られている。
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 祭神として、大山祇神の娘の木花咲耶媛(このはなさくやひめ)、景行天皇の皇子の稲背入彦(いなせいりひこ)命、そして稲背入彦命の孫で白国氏の祖と云われる阿曾武(あそたける)命の3柱が祀られている。

 境内社の一角が、拝本殿の右手に設けられている。
 左は八幡神社、右は山森稲荷社である。
 八幡神社の祠は、白國神社の旧本殿とのことで、現在は応神天皇が祀られている。
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『姫路市・射楯兵主神社』

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 兵庫県姫路市総社本町に鎮座する式内社で播磨国総社の「射楯兵主(いたてひょうず)神社」の社頭の標柱である。

 神社は、姫路駅と姫路城天守閣との中間あたりの東側にある。
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 神社へは、姫路駅から長いアーケード商店街を進み、途中で右折れし、更に北へ進むと社頭へと到達する。
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 社頭には、冒頭の標柱と一ノ鳥居が建っている。
 また鳥居の右脇には稲荷神社が祀られている。
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 参道が続く。
 正面は神門である。
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 神門を潜ると広い境内である。
 すぐの右手に「撫でみみずく」が祀られている。
 知性の象徴・吉兆を授ける瑞鳥「みみずく」は、古来より射楯兵主神社の神使として崇められてきた、とのことである。
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 また、境内の左手には、境内社の恵美酒神社・住吉神社が鎮座している。 
 福娘を乗せた宝恵駕籠が繰り出す、初えびす祭が行われる神社である。
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 正面には、一対の青銅製の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
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 背後には本殿が祀られている。
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 本殿は三殿で構成されている。
 それぞれの祭神は、東殿に射楯大神すなわち五十猛(いそたける)神、西殿に兵主大神すなわち大国主命、中央殿は空殿である。
 元々は飾磨郡に祀られていたとのことであるが、豊臣秀吉の姫路城築城の際に、城の中曲輪であった現在地に遷座されたと云われている。

 拝殿の右手には播磨国総明神と書かれた鳥居が建っている。
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 本殿の背後へと続く参道もある。
 本殿の背後には、右手に東播磨総神殿、中央に十二社合殿、そして左手に西播磨総神殿と、三棟の集合神殿が並んでいる。
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 拝本殿の右手には、数多くの境内社が並び祀られている。
 一部を割愛して、先ずは4社合祀の総社稲荷社である。
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 続いて猿田彦神、誉田別神を祀る案内社八幡宮である。
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 そして、少彦名神を祀る粟嶋社、姫路刑部神、富姫神を祀る長壁(おさかべ)神社、菅原道真公を祀る姫道天神社である。
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 そして参道の逆側の池泉の小島には、市杵島姫命の厳島神社が祀られている。
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 ほかにも、参道には、かつて源頼光が京都の大江山で鬼退治をしてその首を持ち帰り、神社に埋めたとされる標石の「鬼石」、さらに長壁神社に関わる長壁門が外の通りに面して建てられている。
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 境内を一巡して、今度は西の参道から退出する。
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 神門を潜り、更に西へ行くと見事な総社御門が設えられている。
 今から10年ほど前の建築だそうである。
 門前には、社号柱も建てられている。
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 門前の道路を挟んで公園があるが、その公園からは、姫路城天守が綺麗に見える。
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『羽曳野市・白鳥神社』

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 大阪府羽曳野市古市の駅東に鎮座し、式内社の高屋神社を合祀する「白鳥神社」の社名標柱である。

 白鳥神社は元々は「伊岐宮(いきのみや)」と云われ、現在地の西方の白鳥陵古墳の近くの伊岐谷に祀られていたものであるが、江戸時代初めのに現在の地に遷座したと伝えられている。
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 冒頭の標柱は、神社境内のずっと東の東高野街道に面した参道入り口に、一ノ鳥居と共に建てられている。

 一ノ鳥居を潜り参道を進む。
 参道には、右手に小学校、そして木製灯篭がある。
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 そして境内下の二ノ鳥居となり、参道石段を昇ると境内である。
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 境内正面には、一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
 拝殿には、伊岐宮の社名額が掛けられている。
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 拝殿の背後は覆屋に包まれた本殿である。
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 本殿の祭神は、日本武尊、素戔嗚命、稲田姫命、そして明治に合祀した高屋神社の祭神の饒速日命、広国押武金日命(安閑天皇)である。

 境内社として、白龍大神、白玉大明神、白長大明神が祀られている。
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 尚、神社には駅前からの南参道もあり、注連縄柱が祀られている。
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『羽曳野市・高屋神社』

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 大阪府羽曳野市古市に鎮座する式内社「高屋神社」社名標柱である。

 高屋神社は、近鉄南大阪線「古市駅」の南方に鎮座する。
 神社へは、駅から東へ向かう古代の官道「竹内街道」を進む。
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 直ぐに「東高野街道」との交差になるので、今度はそれを南下する。
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 東高野街道には、趣のある町屋が見られる。
 進んで行くと、街道は石川の支流を渡る。
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 そしてなだらかな登りとなり、右手には安閑天皇陵が出現する。
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 そして、東高野街道の左手には、高屋城址の石碑がある。
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 高屋城は、畠山氏により、応仁の乱の後に安閑天皇陵を本丸として、広い城域を持つ城として築かれたとされている。
 そして畠山氏、三好と継がれたが、織田信長により滅ぼされたと云われている。

 さらに南下すると、右手に目的の高屋神社が鎮座する。
 社頭は、玉垣と冒頭の社名柱のみである。
 境内正面に鳥居、そして一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿、本殿である。
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 本殿の祭神は、物部氏の祖神の饒速日命と廣國押武金日命(安閑天皇)である。

 高屋神社も例にもれず明治の神社合祀で、北にある白鳥神社に合祀されたが、戦後にこの地に復興されたものである。
 尚、白鳥神社には、そのままの合祀が継続されているとのことである。

 境内社として、社頭の左手に宮守稲荷神社が祀られている。
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 更に、本殿の左手に一社が祀られているが、社名は不明である。
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『羽曳野市・利雁神社』

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 大阪府羽曳野市尺度の西の山裾に鎮座する式内社「利雁(とかり)神社」の鳥居の社名扁額である。

 神社へは、近鉄長野線「喜志駅」から国道170号線を渡り、北西方向の尺度集落へと向かう。
 集落内では、小さな寺や辻地蔵が祀られている道を進む。
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 西の西芳寺の門前の西の山裾に神社は鎮座している。
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 社頭には、冒頭扁額の鳥居、一対の狛犬、灯篭が祀られている。
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 そしてその先に本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、保食神、品陀別命、天児屋根命とされている。

 利雁神社は、元々は尺土村の西南にある利雁山に鎮座し、「王の宮」と云われていたが、戦国時代の戦乱で焼失し、慶長年間に現在地に遷座したと云われている。

 その後、明治の神社合祀で、富田林市の美具久留御魂神社に合祀され、現在も神社境内に摂社として祀られている。
 しかしその後、現在地に利雁神社が復興再建されたものである。

『松原市・田坐神社』

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 大阪府松原市田井城に鎮座する式内社「田坐(たざ)神社」の社頭の鳥居の扁額である。
 田坐神社は、近鉄南大阪線の高見の里駅を下車し、北方1km弱の所にある。
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 田井城とその周辺は、中世には環濠集落を形成し、もっと昔の古代には律令制の土地区画である条里制の集落であり、水路や道路は当時に近い形で残されているところである。
 
 田坐神社は、田にいます神との名称で、古代から田圃の守り神であったようである。

 社頭の鳥居を潜ると正面には一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
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 その奥は覆屋に包まれた本殿である。
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 本殿の祭神は、依羅宿根(よさみのすくね)及び呉織・漢織(くれは・あやは)の女神、並びに豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)と云われる。

 即ち、古代における住之江から大和へと向かう磯歯津路(しはつみち)は、この付近を通り、大陸から来た呉織・漢織は、暫しこの地に留まり、桑を植え、蚕を飼い、絹糸を作ったという伝説がある。
 これを称して、我が国の養蚕の発祥地という説もある。

 田坐神社は、明治の神社合祀で、南の柴籬神社に合祀されたが、その後住民の願いにより、現地に復興され、現在は田井城の氏神として崇敬されているとのことである。

 神社の近くには、浄土真宗の陽雲寺もある。
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 また、町内には、海鼠壁の長屋門屋、大きな町家も見られる田井城である。
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『藤井寺市・志疑神社』

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 大阪府藤井寺市大井に鎮座する式内社「志疑(しぎ)神社」の拝殿前の社名柱である。

 志疑神社は、先の黒田神社の西方に鎮座する神社で、明治の神社合祀にて黒田神社に合祀されたが、戦後すぐに旧地に再興され、分離独立したとの経過を辿っている。

 神社は住宅街の中にあり、社頭には鳥居が建てられている。
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 鳥居を潜り、右へ折れると、冒頭の社名柱があり、一対の狛犬が祀られる拝殿である。
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 拝殿の背後は本殿が祀られている。
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 本殿の現在の祭神は、素盞嗚命 菅原道真公とされているが、創建当時は物部氏の氏族である志紀氏が祖神である神八井耳(かむやいみみ)命を祀ったものと云われている。

 境内には、天社相殿稲荷大明神が祀られている。
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 また境内には、薬師堂が祀られている。
 通称「大井のおやくっさん」と呼ばれ、堂内には平安時代後期作の薬師如来坐像が安置されているとのことである。
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『藤井寺市・黒田神社』

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 大阪府藤井寺市北条町に鎮座する式内社「黒田神社」の鳥居横の社名標柱である。
 神社へは、近鉄南大阪線「土師(はじ)の里駅」から北方へと向かう。

 途中、允恭天皇陵があり、河内国府とゆかりのある志貴縣主神社があり、そのさらに北の大和川の少し手前に、黒田神社は鎮座している。
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 社頭には注連縄柱が祀られ、その先に新しい社名柱が建てられている。
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 社名柱の右手に冒頭の社名柱と鳥居が建つ石畳の参道が奥へと続く。
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 鳥居の左手には、北条町と林町の屋台庫がある。
 また参道には、南北朝時代に奉納されたと云われる灯篭もある。
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 参道の先には一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
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 拝殿の先の瑞垣の中に本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、天御中主(あめのみなかぬし)大神、天照皇大神、そして春日四神(武甕槌神、経津主神、天児屋根命、比咩大神)である。

 この黒田という名は、古代ここに住み着いた渡来系氏族の「呉(くれ)人の田」が、訛って黒田になったとの説がある。
 また神社の創建については、その後、中臣・藤原氏の祖である黒田大連君が支配する地となり、祖である春日四神を祀ったとの説がある。
 
 境内には、四社の末社が祀られている。
 まずは本殿の左手には恵美須神社が祀られている。
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 そして本殿を囲むように、宇迦之魂神、天押雲根の神、大鶴大明神が祀られている。
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 この神社にも、明治の神社合祀が押し寄せ、近隣の神社を合祀したとのことである。
 その中で、志疑神社は戦後、旧地に復興されたとのことである。

『富田林市・咸古神社』

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 大阪府富田林市竜泉に鎮座する式内社「咸古(かんこ)神社」の社頭の標柱である。この神社は、同じく式内社「咸古佐備神社」を明治時代に神社合祀している。

 場所は、近鉄長野線から金剛バス東條線の「蒲停留所」が最寄りである。
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 バス停から住宅街の中の道を暫く上ると、畑の中の道となり、神宮寺である龍泉寺の参道へと至る。
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 参道正面は蘇我馬子が仏教興隆のために創建したと云われる龍泉寺の山門である。
 山門は鎌倉時代の建築で、重要文化財である。
 山門の向こうに本殿が見えるが、今回は山門右手にある神社の鳥居を潜る。
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 鳥居を潜り参道を進むと、その先に冒頭の標柱と朱塗りの鳥居が建っている。
 そしてその先は本殿への中門(拝所)となる。
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 瑞垣の中には、本殿前に一対の狛犬が祀られている。
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 そして本殿である。
 本殿の祭神は、紺口県(こむくのあがた)主が祖神である神八井耳命で、咸古佐備神社の祭神であった天太玉命を相殿に合祀している。
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 境内社として本殿左手に春日神社が祀られている。
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 神社の横には龍泉寺の池回遊式の庭園(国の名勝)がある。
 池には3つの島があり、弘法大師が祀ったと云われる弁財天、聖天、叱天の小祠がある。
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 またこの辺りから東方に、大和葛城・金剛の山並みを眺めることができる。
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『富田林市・佐備神社』

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 大阪府富田林市佐備に鎮座する「佐備(さび)神社」の社頭の社名標柱である。
 場所は富田林駅から金剛バス東條線にて石川を東へ渡り、支流の佐備側に沿って南下する途中の「下佐備バス停」が最寄りである。
 バス停から集落の西に入ると、すぐに社頭へと到着する。
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 社頭には、冒頭標柱の他、鳥居が建つ。
 鳥居の先は参道石段である。
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 その石段の下の両側に、子狛犬が上方を見上げる風景がある。
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 そして石段の上では親狛犬が、子供達が昇ってくるのを待つという様子が見られる。
 そのすぐ後ろは割拝式の拝殿である。
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 拝殿を潜ると境内となる。
 その先には、二ヶ所の拝所が並んでいる。
 左手が境内社の拝所である。
 境内社は、楠木正成が背後の嶽山の龍泉山城に勧請したと云われる天神社、水分神社である。
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 中央は本殿の拝所と、その奥、本殿である。
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 本殿の祭神は、中央に忌部氏の流れを汲む佐味氏の祖神である天太玉命、左殿に松尾大神、右殿には春日大神が祀られている。

『大阪府太子町・科長神社』

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 大阪府南河内郡太子町山田の、王陵の谷と言われる磯谷の奥に鎮座する式内社「科長(しなが)神社」の社頭の灯篭である。

 神社へは、近鉄長野線喜志駅で下車し、金剛バスの循環便で「御陵前」で下車が最寄りである。
 この辺りは少々の高台で、西方向に富田林のPLの塔を眺めることができる。
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 御陵前とは、日本初の女性天皇で、甥の聖徳太子を摂政とした推古天皇陵の近くの停留所である。
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 天皇陵から東方向の山裾へと進んで行くと、住宅街が途切れる辺りに神社の入り口があり、冒頭の灯篭、そして少し行くと鳥居が建っている。
 鳥居の扁額には「八社大明神」と記され、江戸時代まではこのように呼ばれていたとのことである。
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 鳥居を潜ると広い境内となる。
 稲荷神社、金比羅大権現の境内社が祀られている。
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 右正面は拝殿本殿であるが、その前には一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
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 奥に本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、伊弉諾尊の子である級長津彦命(しながつひこのみこと)、級長津姫命(しながつひめのみこと)である。
 また、速素盞嗚命、品陀別命、建御名方命、武甕槌命、經津主命、天兒屋根命、天照大神も配祀されている。

 また、科長神社は、二上山上に祀られていて、二上権現と称したそうであるが、鎌倉時代に恵比須神社の境内である現地へ遷座され、恵比須神社は末社とされるに至つたという。
 その2社であろうか、本殿の左右に小祠が祀られている。
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 神社の隣には、小野妹子の墓がある。
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 石段を昇り詰めると、玉垣の中に墓が祀られている。
 尚、この墓は大阪の篤志家が整備したと云われている。
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『大阪府河南町・鴨習太神社』

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 大阪府南河内郡河南町神山に鎮座する式内社「鴨習太(かもならいた)神社の参道の社名標柱である。
 神社へは、近鉄長野線の富田林駅から発車する金剛バスの神山バス停が最寄りである。
 神山バス停から集落内へと入ると神社への参道があり、冒頭の標柱により、それと分かる。
 そして参道は石段となり、昇り詰めると境内である。
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 境内には鳥居、そして拝殿が祀られている。
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 その奥は本殿であが、その前に一対の狛犬が祀られている。
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 そして本殿が祀られている。
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 本殿の主祭神は、饒速日命(にぎはやひのみこと)で、物部氏が祖神を祀ったものとされている。
 また配祀は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)であり、江戸時代の初期、近隣の天神神山神社の社殿破壊により、合祀されたものと云われている。

 境内には境内社が並んでいる。
 本殿に近い方から、神明宮、八百萬神、
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 そして、金刀比羅神社、聖天宮である。
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 バス停の所へ戻ると、そこには鎌倉時代の作と云われる馬場地蔵が祀られ、河内地方の特徴である妻部に庇が設けられた町屋が見られる。
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『大阪府河南町・壹須何神社』

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 大阪府南河内郡河南町一須賀に鎮座する式内社「壹須何(いちすか)神社」の社頭の社名標柱である。
 壹須何神社へは、近鉄長野線の富田林駅からバス便で神社の台地の西の「一須賀停留所」が最寄りである。
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 社頭の一ノ鳥居を潜ると広く長い境内となる。
 境内の先には、拝殿の手前に一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿、本殿である。
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 本殿の祭神は、大己貴尊、天照皇大神、天児屋根尊、品陀別命である。
 更に、近隣の神社である降旗神社より天之忍日命、日子番能迩迩芸命、 日子穂穂手見命、鵜葺草葺不合命、神倭伊波礼毘古命が合祀され、東山菅原神社より天満大自在天神が合祀されている。

 この神社の創建は、由緒書によると、この地は古くは石川氏の居所であり、蘇我の本支族がその祖廟として、宗祖石川宿禰を祀ったものと思われる、とのことである。
 また、南北朝時代には石川源氏の拠る所であり、石川城が築かれていたと云われている。

 境内には、戎社、また一願不動尊が祀られている。
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 台地の神社に続く南側は大ケ塚(だいがつか)という地域である。
 富田林の寺内町と同様な寺内町であったとのことである。
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 中心となる寺院は「顕証寺」と云う顕如上人の創建による真宗の寺院である。
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 また、融通念仏宗の大寺院「大念寺」もある。
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 また、ところどころに由緒がありそうな町屋が見られる。
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『羽曳野市・飛鳥戸神社』

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 大阪府羽曳野市飛鳥に鎮座する式内社名神大社の「飛鳥戸(あすかべ)神社」の社頭の標柱である。
 鎮座地は近鉄南大阪線の上ノ太子駅が最寄りで、駅前を通っている古代の道「竹内(たけのうち)街道」を北へ進む。
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 街道の右手、東向きに神社へ向かう参道があり、途中に一ノ鳥居が建っている。
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 鳥居を潜り、さらに進むと、冒頭標柱の社頭へと到着し、石段となる。
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 石段を昇り詰めると、拝殿前に一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
 拝殿には、木瓜紋が記されていることから、祭神として素戔嗚命が祀られているようである。
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 背後は本殿である。
 社頭の説明板によると、飛鳥戸神社は「雄略朝に渡来伝承をもつ百済系飛鳥戸造一族の祖神である飛鳥大神(百済の琨伎王(こんきおう)を祭っている。」とされている。
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 飛鳥戸神社は、明治の神社合祀で近隣の壺井八幡宮に合祀されたが、戦後現在地に復興されたとされている。

 尚、この羽曳野市の飛鳥は「近つ飛鳥」と呼ばれる。
 一方、奈良の飛鳥は「遠つ飛鳥」と呼ばれ、難波宮から見て、近い方を「近つ」と呼んだとのことである。
 すぐ南の河南町には安藤忠雄設計の「近つ飛鳥博物館」が設置されている。


『羽曳野市・大祁於賀美神社』

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 大阪府羽曳野市大黒に鎮座する河内国の式内社「大祁於賀美(おおおかみじんじゃ)神社」の社頭の標柱である。
 
 神社は近鉄南大阪線の駒ヶ谷駅の西方にあり、駅から飛鳥川を渡り、葡萄畑の道を進む。
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 先ずは大黒寺という我が国最初の大黒天出現の寺へと到着する。
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 この寺を回り込んだところに大祁於賀美神社の一ノ鳥居が建つ。
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 鳥居を潜って進むと石段となるが、石段を昇り切るまでに、都合4本の鳥居が建てられている。
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 神社の境内には、一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
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 拝殿の背後は本殿である。
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 本殿の祭神は高龗神(たかおかみのかみ)で、龗とは龍の古語で、龍は水や雨を司る神である。

 大祁於賀美神社は元々は、現在地より東の丘の上にあり、山王権現と呼ばれている。
 明治の神社合祀により、近隣の壺井八幡宮に合祀されたが、昭和の30年、大黒寺の寺地の一部を借りて、復興されたものと云われている。

『柏原市・伯太姫神社』

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 大阪府柏原市円明町に鎮座する式内社「伯太姫(はくたひめ)神社」の社頭の社名柱である。
 
 場所は、河内国分駅の西にある玉手山丘陵の西南山麓で、丘陵北斜面に鎮座する伯太彦神社と対をなす神社である。
 伯太彦と同様に、田辺史が祖神の拍孫の妻を祀ったものとされている。
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 東向きの参道を進むと冒頭標柱と鳥居が建ち、その先は石段参道である。
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 石段を昇り詰めると割拝式の拝殿、そして両側に一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の先、一段と高い所に中門がある。
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 そして、一間社流造銅板葺の本殿が祀られている。
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 祭神は伯太姫命で、配祀に大年大神、八幡大神、子守大神、嚴島姫大神である。

 本殿の左手に小祠が祀られている。
 「たのみさんの祠」とされている。
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『柏原市・伯太彦神社』

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 大阪府柏原市玉手町に鎮座する式内社「伯太彦(はくたひこ)神社」の社頭の社名柱である。
 鎮座地は近鉄大阪線河内国分駅の西に広がる玉手山丘陵の北麓である。
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 玉手山(標高73m)は、大坂の陣の終盤に後藤又兵衛が大和から攻め来る徳川隊と激突し、戦死したことで知られ、山頂には又兵衛の碑が建てられているところである。

 冒頭の標柱が建つ社頭の鳥居を潜ると参道石段である。
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 石段を昇り詰めると神社の門屋があり、それを入ると境内である。
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 境内正面には、一対の狛犬、そして中門が配置されている。
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 中門を潜ると玉垣の中に本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は伯太彦命に併せて廣國押武金日(ひろくにおしたけかなひ)命すなわち安閑(あんかん)天皇である。
 かつては伯太川と云われた現在の石川の沿岸にて農業を行っていた田辺史が祖先である伯孫を祀ったとものと云われている。

 本殿の右手に大物主命を祀る若宮神社がある。
 更に右手に、稲荷神社が祀られている。
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 伯太彦神社は、明治の神社合祀により、羽曳野市の誉田(こんだ)八幡宮に合祀されたが、戦後すぐに現在地に復興されたとの経緯を辿っている。

 神社の隣に神宮寺なのか「安福寺」がある。
 参道入り口は神社の鳥居の横にある。
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 参道に沿って、玉手山横穴と表示された横穴古墳群がある。
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『柏原市・森本神社』

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 大阪府柏原市国分市場の「国分神社」の境内社の1つである「森本神社」の社殿の社名扁額である。
 この森本神社は、式内社名神大社の「杜本神社」の論社の1つとされているものである。

 国分神社へは近鉄大阪線の河内国分駅が最寄りである。
 駅から大和川の左岸(南側)へ出て、集落の中の道を進むと神社へ達する。
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 その集落の中の道は奈良街道と云われ、かつての商店町屋が見られる。
 大和から大坂への宿場や物流の拠点として栄えたところで、問屋場と云われる。
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 その集落が尽きるあたりに神社への参道入口があり、辿ると社頭の鳥居へと達する。
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 石段参道を昇ると、正面に拝殿本殿が祀られている。
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 祭神は、大国主命、少彦名命、飛鳥大神で、鎌倉時代の創建とされている。

 その右手に冒頭の扁額を伴った森本神社が境内社として鎮座している。
 祭神は、経津主命、経津主姫命である。
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 尚、森本神社は、かつての鎮座地から明治の神社合祀により、この地に鎮座しているものであが、旧地に昭和の時代に神社が復興された後も、そのまま鎮座し続けている神社である。

 また、杜本神社の論社には羽曳野市に鎮座する杜本神社もある。

 国分神社の境内には、境内社の金巻明神之宮もある。
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 また、神社の裏手の山は国の史跡の「松岳山(まつおかやま)古墳」とという前方後円墳である。
 神社に声がけすれば立ち入ることができ、後円部墳頂の石棺も見ることができる。
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『柏原市・大狛神社』

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 大阪府柏原市本堂に鎮座する式内社「大狛(おおこま)神社」の本殿である。

 神社は、柏原市から国道183号線で信貴山に向かい、尾根筋に近い所の本堂集落に鎮座している。
 神社名からも慮れるように、この辺りは渡来氏族の狛氏の居住地であり、狛氏が祖神並びに大山咋神、木花開耶姫神を祀ったものとされている。

 集落の道から神社の参道を辿ると石段の正面に拝殿が設けられている。
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 拝殿の右手高台に本殿が祀られ、昇り石段が備えられている。
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 本殿の手前には一対の狛犬が祀られている。
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 本殿は覆屋の中である。
 中央の祠の脇にも小祠が祀られている。
 中央は大狛神社の本殿、左手が富士神社、右手が山王神社である。
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 尚、近年までは、呼称は「富士権現」、「山王権現」であったと云われている。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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