大阪の賑わい戎橋筋・心斎橋筋(大阪市中央区)
繁華街・アーケードを訪ねて(67)大阪メトロ御堂筋線
大阪市の中心部を南北に通る御堂筋の一つ東側に、難波高島屋前から本町にかけて、長いアーケード街がある。
よくご存じの戎橋筋・心斎橋筋商店街である。
どちらの商店街も、成立の経緯は異なるが、どちらも江戸時代初期からの歴史ある商店街である。
また、両者合わせて約2kmのアーケードで、大阪では天神橋筋の2.6kmに次いで長いものである。
その長いアーケードに多くの人々が訪れていることから、おそらくは訪問者数No.1の商店街であろうと思われる。
まずは南の戎橋筋商店街である。
この商店街は、高島屋の向いを起点としている。
商店街を歩いてみる。
直ぐの左に「北極」というアイスキャンディーの老舗がある。
有名店であり、客も多い。
しかし今でも手作りを踏襲しているとされている。
更に進む。
これも老舗、おそらく知らない人はいないと思われる「551」がある。
豚まん、焼売、焼き餃子の本店である。
「551」から横道に逸れる。
西の御堂筋の方へと路地を進む。
その横道は、難波本通と云う。
御堂筋の向こうには、なんば楽座という商店街がある。
またその隣には、頭上に大きなホテルを担いだ再生新歌舞伎座がある。
元の戎橋筋へと戻り、北上する。
アーケードは一旦途切れる。
車道の千日前通りと交差するからである。
道路を渡り、進む。
更に進む。
とにかく人出には凄いものがある。
右の路地に「こいさん通り」と云うのがある。
水掛不動の法善寺へ至る通りである。
そして進むとアーケードの先に、次のアーケード「心斎橋筋商店街」のゲートが見えてくる。
この場所までは、出発から370mで、それなりに長いアーケードである。
戎橋筋商店街の終端は「戎橋」である。
橋の手前には道頓堀筋が交差している。
右手に「かに道楽」、左手に「松竹座」がある、もう一つ賑やかな通りである。
戎橋の上からの眺めである。
東方向には道頓堀の川べりに観覧車が目立つ。
西方向には、御堂筋の道頓堀橋である。
そしてグリコの看板は、この眺めに欠かせないものである。
なぜ戎橋と云うのであろうか?
江戸時代の初期に道頓堀川が開削された。
そして今宮戎へ参拝するために橋が架けられ、戎橋と名付けられたと云われている。
さて、次は心斎橋筋商店街へと進む。
少し進み2本目の道路と交差する。
交差する道路は三津寺(みってら)筋である。
大阪では、南北の道路は「筋」、東西の道路は「通り」と云うのが決まりであるが、三津寺筋は東西の通りで珍しいケースであり、気になっていた。
まずは三津寺筋の西方向である。
御堂筋の手前に三津寺が佇む。
東方向は、無料案内の看板などもある歓楽街である。
元の心斎橋筋を北上する。
車道と交差し、アーケードは途切れる。
更に進む。
左の路地ではビルの修復工事中である。
商店街通りもこの一角が工事である。
もう少し進んでみると、修復工事中なのは大丸百貨店であることが分かった。
更に進む。
広い通りの長堀通りと交差する。
とうりの地下は「クリスタ長堀」で、地下へ降りる階段もある。
長堀川は昭和37年に埋めたてられた。
その時までに川に架かっていた橋が心斎橋である。
現在はその一部が、その記念として設置されている。
長堀通りを渡り、商店街を進む。
繊維の街、船場に近づいてくる。
更に進む。
道路と交差する。
その先は、せんば心斎橋というゲートである。
交差道路にはアーケード庇の商店街もある。
更に進む。
三木楽器の本社もある。
ここまで北上して来ても、人は多い。
右横の道路を見てみると、大手の繊維会社の看板も見える。
そしてアーケードはまたまた出口となる。
出たところの道路は中央大通りと云う。
船場である。
道路の中央線に船場センター街のビルが並んでいる。
出たところのビルは8号館で、中を覗いて見ると、アパレル関係の店ばかりである。
中央大通りを渡ると、アーケードはまだ続く。
右手に呉服の有名店もある。
更に進むと、長い商店街は終点となる。
2kmの長い商店街の探索は終了である。
その先には、大手のゴルフショップがあり、その店の左手のシティーホテルの横を地下へと辿ると大阪メトロ本町駅であった。
心斎橋筋商店街であるが、江戸時代に、船場あたりから劇場がある道頓堀に出られる道筋であったことから、心斎橋筋の賑わいが始まったとされ、歴史のある商店街である。
大阪市の中心部を南北に通る御堂筋の一つ東側に、難波高島屋前から本町にかけて、長いアーケード街がある。
よくご存じの戎橋筋・心斎橋筋商店街である。
どちらの商店街も、成立の経緯は異なるが、どちらも江戸時代初期からの歴史ある商店街である。
また、両者合わせて約2kmのアーケードで、大阪では天神橋筋の2.6kmに次いで長いものである。
その長いアーケードに多くの人々が訪れていることから、おそらくは訪問者数No.1の商店街であろうと思われる。
まずは南の戎橋筋商店街である。
この商店街は、高島屋の向いを起点としている。
商店街を歩いてみる。
直ぐの左に「北極」というアイスキャンディーの老舗がある。
有名店であり、客も多い。
しかし今でも手作りを踏襲しているとされている。
更に進む。
これも老舗、おそらく知らない人はいないと思われる「551」がある。
豚まん、焼売、焼き餃子の本店である。
「551」から横道に逸れる。
西の御堂筋の方へと路地を進む。
その横道は、難波本通と云う。
御堂筋の向こうには、なんば楽座という商店街がある。
またその隣には、頭上に大きなホテルを担いだ再生新歌舞伎座がある。
元の戎橋筋へと戻り、北上する。
アーケードは一旦途切れる。
車道の千日前通りと交差するからである。
道路を渡り、進む。
更に進む。
とにかく人出には凄いものがある。
右の路地に「こいさん通り」と云うのがある。
水掛不動の法善寺へ至る通りである。
そして進むとアーケードの先に、次のアーケード「心斎橋筋商店街」のゲートが見えてくる。
この場所までは、出発から370mで、それなりに長いアーケードである。
戎橋筋商店街の終端は「戎橋」である。
橋の手前には道頓堀筋が交差している。
右手に「かに道楽」、左手に「松竹座」がある、もう一つ賑やかな通りである。
戎橋の上からの眺めである。
東方向には道頓堀の川べりに観覧車が目立つ。
西方向には、御堂筋の道頓堀橋である。
そしてグリコの看板は、この眺めに欠かせないものである。
なぜ戎橋と云うのであろうか?
江戸時代の初期に道頓堀川が開削された。
そして今宮戎へ参拝するために橋が架けられ、戎橋と名付けられたと云われている。
さて、次は心斎橋筋商店街へと進む。
少し進み2本目の道路と交差する。
交差する道路は三津寺(みってら)筋である。
大阪では、南北の道路は「筋」、東西の道路は「通り」と云うのが決まりであるが、三津寺筋は東西の通りで珍しいケースであり、気になっていた。
まずは三津寺筋の西方向である。
御堂筋の手前に三津寺が佇む。
東方向は、無料案内の看板などもある歓楽街である。
元の心斎橋筋を北上する。
車道と交差し、アーケードは途切れる。
更に進む。
左の路地ではビルの修復工事中である。
商店街通りもこの一角が工事である。
もう少し進んでみると、修復工事中なのは大丸百貨店であることが分かった。
更に進む。
広い通りの長堀通りと交差する。
とうりの地下は「クリスタ長堀」で、地下へ降りる階段もある。
長堀川は昭和37年に埋めたてられた。
その時までに川に架かっていた橋が心斎橋である。
現在はその一部が、その記念として設置されている。
長堀通りを渡り、商店街を進む。
繊維の街、船場に近づいてくる。
更に進む。
道路と交差する。
その先は、せんば心斎橋というゲートである。
交差道路にはアーケード庇の商店街もある。
更に進む。
三木楽器の本社もある。
ここまで北上して来ても、人は多い。
右横の道路を見てみると、大手の繊維会社の看板も見える。
そしてアーケードはまたまた出口となる。
出たところの道路は中央大通りと云う。
船場である。
道路の中央線に船場センター街のビルが並んでいる。
出たところのビルは8号館で、中を覗いて見ると、アパレル関係の店ばかりである。
中央大通りを渡ると、アーケードはまだ続く。
右手に呉服の有名店もある。
更に進むと、長い商店街は終点となる。
2kmの長い商店街の探索は終了である。
その先には、大手のゴルフショップがあり、その店の左手のシティーホテルの横を地下へと辿ると大阪メトロ本町駅であった。
心斎橋筋商店街であるが、江戸時代に、船場あたりから劇場がある道頓堀に出られる道筋であったことから、心斎橋筋の賑わいが始まったとされ、歴史のある商店街である。