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大阪の賑わい戎橋筋・心斎橋筋(大阪市中央区)

繁華街・アーケードを訪ねて(67)大阪メトロ御堂筋線

 大阪市の中心部を南北に通る御堂筋の一つ東側に、難波高島屋前から本町にかけて、長いアーケード街がある。
 よくご存じの戎橋筋・心斎橋筋商店街である。
 どちらの商店街も、成立の経緯は異なるが、どちらも江戸時代初期からの歴史ある商店街である。
 また、両者合わせて約2kmのアーケードで、大阪では天神橋筋の2.6kmに次いで長いものである。
 その長いアーケードに多くの人々が訪れていることから、おそらくは訪問者数No.1の商店街であろうと思われる。

 まずは南の戎橋筋商店街である。
 この商店街は、高島屋の向いを起点としている。
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 商店街を歩いてみる。
 直ぐの左に「北極」というアイスキャンディーの老舗がある。
 有名店であり、客も多い。
 しかし今でも手作りを踏襲しているとされている。
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 更に進む。
 これも老舗、おそらく知らない人はいないと思われる「551」がある。
 豚まん、焼売、焼き餃子の本店である。
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 「551」から横道に逸れる。
 西の御堂筋の方へと路地を進む。
 その横道は、難波本通と云う。
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 御堂筋の向こうには、なんば楽座という商店街がある。
 またその隣には、頭上に大きなホテルを担いだ再生新歌舞伎座がある。
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 元の戎橋筋へと戻り、北上する。
 アーケードは一旦途切れる。 
 車道の千日前通りと交差するからである。
 道路を渡り、進む。 
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 更に進む。
 とにかく人出には凄いものがある。
 右の路地に「こいさん通り」と云うのがある。
 水掛不動の法善寺へ至る通りである。
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 そして進むとアーケードの先に、次のアーケード「心斎橋筋商店街」のゲートが見えてくる。
 この場所までは、出発から370mで、それなりに長いアーケードである。
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 戎橋筋商店街の終端は「戎橋」である。
 橋の手前には道頓堀筋が交差している。
 右手に「かに道楽」、左手に「松竹座」がある、もう一つ賑やかな通りである。
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 戎橋の上からの眺めである。
 東方向には道頓堀の川べりに観覧車が目立つ。
 西方向には、御堂筋の道頓堀橋である。
 そしてグリコの看板は、この眺めに欠かせないものである。
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 なぜ戎橋と云うのであろうか?
 江戸時代の初期に道頓堀川が開削された。
 そして今宮戎へ参拝するために橋が架けられ、戎橋と名付けられたと云われている。

 
 さて、次は心斎橋筋商店街へと進む。
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 少し進み2本目の道路と交差する。
 交差する道路は三津寺(みってら)筋である。
 大阪では、南北の道路は「筋」、東西の道路は「通り」と云うのが決まりであるが、三津寺筋は東西の通りで珍しいケースであり、気になっていた。
 まずは三津寺筋の西方向である。
 御堂筋の手前に三津寺が佇む。
 東方向は、無料案内の看板などもある歓楽街である。
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 元の心斎橋筋を北上する。
 車道と交差し、アーケードは途切れる。
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 更に進む。
 左の路地ではビルの修復工事中である。
 商店街通りもこの一角が工事である。
 もう少し進んでみると、修復工事中なのは大丸百貨店であることが分かった。
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 更に進む。
 広い通りの長堀通りと交差する。
 とうりの地下は「クリスタ長堀」で、地下へ降りる階段もある。
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 長堀川は昭和37年に埋めたてられた。
 その時までに川に架かっていた橋が心斎橋である。
 現在はその一部が、その記念として設置されている。
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 長堀通りを渡り、商店街を進む。
 繊維の街、船場に近づいてくる。
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 更に進む。
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 道路と交差する。
 その先は、せんば心斎橋というゲートである。
 交差道路にはアーケード庇の商店街もある。
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 更に進む。
 三木楽器の本社もある。
 ここまで北上して来ても、人は多い。
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 右横の道路を見てみると、大手の繊維会社の看板も見える。
 そしてアーケードはまたまた出口となる。
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 出たところの道路は中央大通りと云う。
 船場である。
 道路の中央線に船場センター街のビルが並んでいる。
 出たところのビルは8号館で、中を覗いて見ると、アパレル関係の店ばかりである。
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 中央大通りを渡ると、アーケードはまだ続く。
 右手に呉服の有名店もある。
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 更に進むと、長い商店街は終点となる。
 2kmの長い商店街の探索は終了である。
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 その先には、大手のゴルフショップがあり、その店の左手のシティーホテルの横を地下へと辿ると大阪メトロ本町駅であった。
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 心斎橋筋商店街であるが、江戸時代に、船場あたりから劇場がある道頓堀に出られる道筋であったことから、心斎橋筋の賑わいが始まったとされ、歴史のある商店街である。

心斎橋か山之口か(大阪府堺市)

繁華街・アーケードを訪ねて(66)阪堺電車

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 大阪府堺市のこの辺りはかつては堺の中心であった。
 上図の右上から左下にかけての太い道路は大道筋と云い、かつての紀州街道でチンチン電車が走っている。
 右上の道路が大小路筋で、右下に行けば南海高野線の堺東駅、左上に行けば南海本線の堺駅で、ちょうどその間がこの場所である。
 また下部に斜めに通っている道路が大阪中央環状線でフェニックス通りと云われる道路である。

 この大小路筋からフェニックス通りにかけて、上図ではアスティ山之口と記されている道路が山之口商店街であり、かつては大阪の心斎橋商店街と並び称された商店街であったが、今はその面影もなくなっている。

 山之口商店街を大小路筋から探索してみる。
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 確かに静かな商店街である。
 途中に堺では知られている線香の店舗もある。
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 更に進むと、天井アーケードの形がドーム状から平板状に変わる。
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 途中左手に神社の鳥居がある。
 開口(あぐち)神社と云う。
 神功皇后が三韓征伐の岐路に大和へ向かう街道「竹内街道」の入り口であった石津浜に上陸し、この神社を創建したとされている。
 また僧行基が念仏寺を建立したともされている。
 「大寺さん」と云われている所以である。バス停にも「大寺…」使われている。
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 元の商店街へと戻る。
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 少し行くと350mの商店街は出口となってしまう。
 出たところは中央分離帯がある幅の広い中央環状線である。
 その分離帯に住吉・大鳥両大社頓宮の石柱が建っている。灯篭もある。
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 神社を訪れてみる。
 当初は住吉大社の御旅所で、明治以降に大鳥大社の御旅所にもなった神社である。
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 この頓宮の西へ少し行くと大道筋である。
 それを渡ると、大通りの裏に千利休の屋敷跡があり、井戸が残されている。
 かつては井戸だけがポツンとあったが、最近は板塀や門が造られ、雰囲気も少し変わっている。
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 そしてその西に「さかい利晶の杜」という千利休、与謝野晶子の記念館がある。
 また中央環状線を渡った北に、与謝野晶子の生家跡の碑がある山之口商店街の周辺である。
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熊野街道のアーケード(大阪府堺市)

繁華街・アーケードを訪ねて(65)JR阪和線

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 大阪府堺市西区のJR鳳駅前に、アーケードの商店街がある。
 上図の左上から右下に真っ直ぐに通っている細い道路上で、この道路はかつての熊野街道である。
 アーケードの入り口は上図の駅前交番の右上の交差点である。
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 アーケードは、鳳本通商店街と云う。
 商店街を進む。
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 入り口付近には、医院がいくつか並ぶ。
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 更に進む。
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 途中、保育園、地車庫、そして熊野街道の石板もある。
 石板には、「九十九王子の一つ大鳥居王子はここ北王子にあったと考えられています」と記されている。
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 そして大きな食品スーパーがあり、アーケードは終点となる。
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 アーケードの外の道路にも商店街は続き、ふれあいの町とされている。
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 尚、和泉国一之宮の大鳥大社は、駅を挟んで反対側にある。

西高野街道の商店街(大阪府河内長野市)

繁華街・アーケードを訪ねて(64)近鉄長野線南海高野線

 河内長野市は大阪府の東南部の端の市である。
 そして中心駅は南海高野線・近鉄長野線が合流する河内長野駅である。

 駅舎の西側にスーパーなどが入っているビルがあり、その西横がアーケード街である。
 このアーケード街は大阪堺から発する西高野街道の終着点でもある。
 長野商店街と云う。
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 本町通り商店街との表示もある。
 右手はスーパーで、人の出入りも見られる。
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 100m程度進むと左へと折れ曲がる。
 こちらは狭い通路となる。
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 進んで行く。
 右手にかつての醤油蔵がある。
 現在はライブ。コンサートなどのイベントが行われているとのことである。
 また左手には、学習塾もある。
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 更に進む。
 中華の店などがあるが、本日は休みなのか、他の店も含めてシャッターの多い通りである。
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 こちらは200m弱のアーケードである。
 通り抜けたところは、駅前から続く国道170号線である。
 長野商店街は入り口も国道170号、出口も170号で、国道をL字に迂回する商店街であった。 
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 駅前まで戻る。

 駅前は東・中・西の3本の高野街道の合流点である。
 合流点の少し南には、立派な町屋がある。
 吉年邸と云い、江戸時代の豪商、鋳物師で、伊勢神戸藩の郷目付け並びに大庄屋を勤めたとのことである。
 邸内の楠木の巨木は樹齢500年を超えていると云われ、市の天然記念物に指定されているとのことである。
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西国五番葛井寺の商店街(大阪府藤井寺市)

繁華街・アーケードを訪ねて(63)近鉄南大阪線

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                        (上図の上が南方向)

 大阪府藤井寺市は西国三十三ヶ所巡礼の第五番札所「葛井寺(ふじいでら)」の街である。
 その寺は藤井寺駅東側の踏切を挟んだ南北の商店街の南側の商店街を抜けたところにある。

 近鉄電車の南大阪線藤井寺駅で下車し、東側の踏切から南側の商店街に入る。
 商店街は藤井寺一番街と云う。
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 商店街を更に進む。
 途中右折れする路地があるが、後程訪ねてみることにする。
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 そして少し進むと、130mの短い商店街は終了である。
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 抜け出た左手には葛井寺の西門の四脚門がある。重文である。
 本堂にお参りし、これも重文の南門から退出する。
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 西へ出て、北向きに進み、通って来た商店街へと戻る。
 先ほどの路地を歩いてみる。
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 直ぐに抜け出る。
 抜け出た先にも商店街の入り口がある。
 菊水商店会と云う。
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 商店街を歩いてみる。
 飲食の店が多い感じで、ビルの通路のような雰囲気である。
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 駅へと戻り、今度は北側の商店街である。
 藤井寺駅前北商店街と云う。
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 途中の路地も店舗がある。
 左側の通りには、HEARTFULL91との表示がある。
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 昼呑みの店やスーパーもある。
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 こちらも130mの短い商店街である。 
 通り抜けて、藤井寺の商店街の探索は終了となった。
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河内音頭の八尾(大阪府八尾市)

繁華街・アーケードを訪ねて(62)近鉄大阪線

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                       (上図の上は北東方向)

 大阪府八尾市の近鉄八尾駅を起点に商店街が続いている。
 (上図のピンク色の通り)

 駅から高架に沿ってアーケード庇のペントモールがあり、それを辿る。
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 ペントモール3番街、2番街から左折れすると、アーケード街に行くことができる。
 アーケードはファミリーロードである。
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 ファミリーロードとは総称のようで、各通りにはそれぞれの商店街の呼び名がある。
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 先ほどのファミリーロードのゲートを入ると、右手に河内音頭記念館があるのも八尾らしい。
 そしてアーケードは一旦切れる。
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 その切れ目の右手には、河内音頭発祥の臨済宗南禅寺派の「常光寺」がある。
 8月の地蔵盆には広い境内で流し節正調河内音頭による盆踊りなどが催される所である。
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 その先のアーケードは本町筋商店街である。
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 本町筋商店街を進む。
 三叉路となり、右手に進む。
 さのかわ北通りと云う。
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 鳥居が近づいてくる。
 とりいの手前で別のアーケードと直交しするが、見上げると八尾天満宮の案内板が掲げられている。
 この商店街は天満宮の参道の様である。
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 八尾天満宮にお参りする。
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 直交するアーケードは御坊前通り商店街と云う。
 御坊とは何なのか?後程わかることになる。
 この商店街を北から歩いてみる。
 途中、八尾天満宮の表示看板も吊るされている。
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 更に進む。
 途中右手の路地に寺院がある。
 御坊とはこの寺院であろうと訪ねてみる。近代的な堂宇の造りである。
 真宗大谷派の八尾御坊「大信寺」である。
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 元のアーケードに戻る。
 右手に大型スーパー「A」がある。
 そして抜け出てしまい、200m弱のアーケードは終点となる。
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 出たところは自動車道である。
 東へ少し行くと、北向きに商店街のゲートがある。
 こちらは元の本町筋商店街の南ゲートである。
 さのかわ南通りと云う。
 北へと進む。
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 お逮夜(たいや)市の幟がある。
 浄土真宗の宗祖親鸞聖人の逮夜にあたる27日に市が開かれるとのことであろうか。
 そして進むと、元の三叉路へと戻り、は総延長約500mのアーケード街の一周は終了である。
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 元の本町筋商店街のゲートまで戻る。
 入り口の東に大きな町家があるが詳細は不明である。
 大きな蔵もある。
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 この家の前の道を駅方向へと戻る。
 途中に歓楽街らしい場所があった。
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 この一角は八尾銀座と云うとのことである。
 昼間なので通り抜けるだけで、駅へと戻ったのであった。
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えべっさんの布施Ⅱ(大阪府東大阪市)

繁華街・アーケードを訪ねて(61)近鉄奈良線大阪線

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                            (上図の上が南方向)

 前回に引き続き今回は近鉄布施駅の北側である。
 ブランド~リふせと云う。
 ほんまちの落ち着きに対して、賑やかな商店街である。
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 路地・横丁も賑やかであるが、後程詳細に見てみることにする。
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 ブランド~リ布施を進む。
 最初は一番街である。
 商店街で良く見かける屋台居酒屋もある。
 そしてこの辺りから二番街となる。
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 二番街を進む。
 途中から三番街となる。
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 三番街を進む。
 途中から四番街となる。
 聖地花園の幟も数多くみられる。
 東大阪はラグビーの街、ラグビーワールドカップの競技がもうすぐ行われるとの雰囲気である。
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 四番街を進むと、アーケードは一旦途切れる。
 その向こうも四番街である。
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 そして約550mのアーケード街は終点となる。
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 出たところは国道308号線である。
 伊勢本街道と云われ、大阪の玉造をスタートに生駒山を越え、先ずは奈良へ向かう道である。
 道路の向こうに「SY」と云う高井田ラーメンの有名店がある。
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 この北に深江稲荷神社が祀られている。
 深江菅笠ゆかりの地である。
 大阪を発し、伊勢参りに行く旅人たちは、ここで菅笠を手に入れ、伊勢へ向かったと云われている。


 追加情報である。
 ブランド~リふせ一番街の西側に歓楽街があった。
 大阪の北新地のようには密集していないが、多くの店舗があるようである。
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 縦横に通る道路に雰囲気のある長い看板が見られるところである。
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 住所地は足代(あじろ)新町で、夜になれば賑わう所であろうか。
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えべっさんの布施Ⅰ(大阪府東大阪市)

繁華街・アーケードを訪ねて(60)近鉄奈良線大阪線

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                         (上図の上が南方向)

 東大阪市の近鉄布施駅の周辺はえべっさんで彩られた繁華街である。
 線路の南側、北側にそれぞれのアーケード街があり、南にはえびす神社が、北側には歓楽街もある。

 先ずは南側である。

 駅を出ると、南に向いて直角に広い道路「広小路」が通っている。
 その左右(東西)にアーケード庇の商店街がある。

 東側は広小路東商店街という。
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そして西側は、立派なアーケード庇のプチロード広小路である。
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 駅舎に平行した西向きの道路には、これもアーケード庇の一条通り商店街があり、西のアーケード街と繋げている。
 尚、一条通りには、回転ずし発祥の「GR寿司」がある。
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 さて南側でメインのほんまち商店街を南下してみる。
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 途中左手に二条通り商店街の路地がある。
 広小路との間の短い商店街である。往復してみる。
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 元のほんまちアーケードに戻る。
 アーケード商店街で良く見られる大型の理髪店2店舗もある。
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 更に進む。
 今度は布施戎神社の案内板が吊るされている。
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 横道へと逸れるとそこには戎神社が祀られている。
 昭和29年に、西宮神社から戎大神を勧請した神社で、商店街の商売の守り神である。
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 元のアーケードへと戻る。
 出口が見えて来る。
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 出口の手前に今度はみやこ町三条通り商店街の路地がある。
 広小路の出入り口まで往復してみる。
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 ほんまちアーケードは出口である。
 出口の左右道路の内、西側にはアーケードは無いが四条通西商店会がある。
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瓢箪山は国道のアーケード(大阪府東大阪市)

繁華街・アーケードを訪ねて(59)近鉄奈良線

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                             (地図の上が南方向)
 奈良から大阪に向かう近鉄電車奈良線が生駒トンネルを抜け、生駒山の山腹に沿って南へと下り、西へ大きくカーブしたところが「瓢箪山駅」である。

 瓢箪山駅の直ぐ東には南北にそれぞれアーケード商店街がある。
 北側に「サンロード瓢箪山中央商店街」、南側は「イナリ前商店街」である。
 これらの商店街を北から訪ねてみる。
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先ずは北のサンロード瓢箪山中央商店である。
 アーケードの北の端まで行く。
 アーケードの北にも商店街が続いている。
 実はこの道路、2つのアーケード街も含めて国道である。国道170号線である。
 ゲートから商店街に入り、進む。
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 大きな商店街ではないが、生活用品や食材、そして飲食や医院・薬局まで、多彩であり人通りも多い。
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 この商店街は124店舗で、長さ230mである。
 少し歩くと通り抜け、駅横へと出る。
 その先の踏切の向こうに南側の商店街のゲートが見える。
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 ジンジャモール瓢箪山(イナリ前商店街)である。
 ジンジャモールとはどのような由来であろうか?

 商店街に入ってみる。
 こちらは飲食の店が多いような感じである。
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 130mの短いアーケードである。
 直ぐに通り抜けてしまう。
 但し、通り抜けても商店街は続いている。
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 通り抜ける手前左に石の鳥居が建っている。
 瓢箪山稲荷神社の一ノ鳥居である。
 鳥居の先、参道が山の方向へと続いている。
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 この稲荷神社は、豊臣秀吉が大坂城の鎮護として城から巽(東南)方向に建てたものと云われている。
 恐らくは、瓢箪を馬印とする秀吉が、瓢箪の形に似た当地の瓢箪山古墳に、これも好みの稲荷神社を勧請したものであろう。

 商店街の山側に、神社参道の他に2本の路地がある。
 参道に近い方から眺めてみる。
 また駅まで戻ると、瓢箪型の池も作られている瓢箪山であった。
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ぴっくり通り商店街(奈良県生駒市)

繁華街・アーケードを訪ねて(58)近鉄奈良線

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                         (上図の右手が北方向)

 近鉄生駒駅には、「近鉄奈良線」、大阪メトロ中央線に乗り入れる「近鉄けいはんな線」、JR王寺駅へと向かう「近鉄生駒線」、そして生駒登山の「生駒ケーブル線」の4路線が集結している。

 生駒駅のコンコースは2階にあり、生駒山も望める。
 このコンコース広場から南北の街中へと向かうことになる。 
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 先ずは冒頭の地図の左手、南側である。
 2階からアーケード商店街が見える。
 そして1階には、駅前道路に沿って、アーケード庇の商店街がある。
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 1階へと降りて商店街を探索してみる。
 道路沿いのアーケード庇は生駒駅前南商店街と云う。
 うどん屋、カフェを始め飲食の店が多い。
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 その間からアーケード街へと繋がる。
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 途中右手に通路に張り出した青果店がある。
 激安の店として地域ではよく知られているとのことである。
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 そして直ぐに出口となってしまう100m足らずの短いアーケード街である。
 出口ゲートにはぴっくり通り商店街と記されている。
 何かの用語を洒落ているものだとは思われるが、良くは分からない。
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 商店街の先、右手は商店街が続き、正面はなだらかな坂で住宅街へと繋がっている。
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 生駒駅の北側へと行く。
 北側は近鉄百貨店であるが、その駅側の2階、1階の外側にアーケード庇商店街が設けられている。
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上新庄にもアーケード街が(大阪市東淀川区)

繁華街・アーケードを訪ねて(57)阪急電鉄京都線

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                         (上図の上が西方向)

 阪急電鉄京都線の淡路駅から京都方面への一駅に「上新庄駅」がある。
 大阪市東淀川区にある駅で、各停や準急が停車する駅である。

 この上新庄駅の北口からアーケード商店街を訪ねてみる。
 北口を東へ行くと、直ぐに商店街が現れる。
 左手に、アーケードの無い小松商店街であろ。
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 200m足らずの商店街であるが、店舗はしっかりと営業しているようである。
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 今度は左手の稲荷商店街である。
 こちらはアーケード街である。
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 名付けは商店街の中央付近にある稲荷神社である。
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 しかし、アーケードの屋根は殆どが壊れている。
 一軒の喫茶店を除いて営業店も殆どなく、シャッター通りと化している。
 約100mの商店街である。直ぐに終了である。
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 抜け出た所は内環状線である。
 舗道上に大阪市独特の寺社を案内するタイルが埋められている。
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 東方向に辿って行くと、瑞光寺公園があり、隣接して瑞光寺があった。
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 寺名柱には鯨橋瑞光寺と記されている臨済宗の寺院である。
 境内に入ってみるとその鯨橋が理解できた。橋の欄干が鯨の骨で作られているからである。
 説明パネルによると、イワシクジラとクロミンククジラの骨とのことである。
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 役割が終わった骨も置かれている瑞光寺であった。
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 帰りは上新庄駅の南口を目指した。
 こちらの方は、多くの店が並ぶ賑やかなところである。
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 駅ビル内の通路にも、良く知られる店舗が並んでいる上新庄であった。
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文の里はポスター総選挙(大阪市阿倍野区)

繁華街・アーケードを訪ねて(56)大阪メトロ谷町線

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 大阪市阿倍野区昭和町の大阪メトロ文の里駅で下車し、付近のアーケード商店街を訪ねた。
 
 先ずは駅の右手(東側)のピンク色の文の里明浄通商店街である。
 東のゲートから入る。
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 約50mの商店街である。
 通り抜けると、高架高速道路の下へと出る。
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 次はメインの文の里商店街である。
 高速下のゲートから入る。
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 商店街を進むと、直ぐに左折となる。
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 更に進む。
 神社の幟が規則的に並び、天井にも描画されて整備された商店街であることが分かる。
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 この文の里商店街は昭和26年に創立された昭和を代表するような商店街である。
 あべの・天王寺の繁華街が近いことや大型スーパーに押され、下火傾向であったが、100円商店街の開催、それに続くポスター総選挙の実施で活気付く切っ掛けを掴んだ商店街である。

 商店街を更に進む。
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 そして松虫通りへと出て、約300mの商店街は一旦終了する。
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 通りの先に、次の商店街がある。
 昭和町二丁目商店街である。通称「あきんど村」と云う。
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 100m程度の商店街である。
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 通り抜けて西へ出ると、そこはあべの筋である。
 あべのハルカスも見える大阪メトロ昭和町駅の近くである。
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 余談である。
 昭和町駅の西の通りに登録有形文化財の「寺西家阿倍野長屋」がある。
 1棟4戸の長屋で、現在は飲食の店舗として活用されている。
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中崎町から天神橋筋へ(大阪市北区)

繁華街・アーケードを訪ねて(55)大阪メトロ谷町線

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                        (地図の上部が東南方向)

 大阪市の中心地、大阪メトロ谷町線の中崎町駅から、天神橋筋商店街に向けて、
 天五中崎通商店街がある。
 約300mのアーケード街である。
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 この商店街を歩いてみる。
 この商店街は「おいでやす通り」と云う。
 黒色の商店名の表示看板のところは「中崎商店会」である。
 右手に、公設市場との表示もある。
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 更に進むと、商店看板が白へと変わる。
 「黒崎西商店街」と云う。
 交差する道路との交差点に長い行列店がある。
 たい焼きとかき氷の店「大阪NW家」である。
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 更に進む。
 途中から商店表示の統一看板がなくなる。
 この辺りからは「黒崎東商店街」となる。
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 更に進む。
 またまた行列の店がある。
 やはりかき氷の店である。 
 また、天神橋筋で有名な寿司屋の西店もある。
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 更に進む。
 天井に商店街表示が現れる。
 「浪花町商店会」と云う。
 そして商店街は出口を迎える。
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 出た道路は天神橋筋である。
 道路の向こうに天神橋筋商店街の西側面からの入り口のゲートが見える。
 道路を渡って振り返ると、通って来た天五中崎通のケートが見えて、探索は終了である。
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 尚、参考であるが、中崎町の駅のアーケードと反対側の西北側は、古い町並みに、洒落た雑貨屋や古着屋、カフェやエステサロンなどが集まるお店群があり、人気の一角である。

大阪の淡路の商店街(大阪市東淀川区)

繁華街・アーケードを訪ねて(54)阪急電鉄京都線

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                        (図の右手は東南方向)

 大阪市東淀川区の阪急電鉄淡路駅の両側にアーケードの商店街がある。
 先ずは、淡路駅西口を出ると主面にゲートがある淡路本町商店街である。
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 商店街のアーケードに入る。
 賑やかで華やかな商店街である。
 途中で左に少しカーブする。
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 更に進む。
 大型スーパーの店舗もある。
 ここで今度は右にカーブする。
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 この商店街には、公認の市場が2つある。
 宝来市場と地蔵市場である。しかし、地蔵市場は本日定休日であった。
 更に映画館の淡路東宝という建物もあるが、既に閉館されているとのことである。
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 そして行くと、約300mのアーケードは終端となる。
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 今度は駅の東口側である。
 東の商店街は東淡路商店街である。
 駅と線路に平行している南北の商店街である。
 この商店街の北には今年開通したJRおおさか東線のJR淡路駅がある。
 その駅の開設を契機に、東淡路商店街が整備されることになったと云われる。
 先ずはJR駅を眺め、商店街を北から訪ねることにする。
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 途中右手に、阪急の淡路駅の東口がある。
 そして再び東淡路のケートである。
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 アーケードを進む。
 途中に、商店街ではよく見かける居酒屋もある。
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 そして、200m強の商店街は抜け出てしまう。
 抜け出た所には、阪急沿線ではよく見られるスーパーがある。
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 淡路駅周辺は駅も遠路も高架工事の最中である。
 事業の終了はまだまだ先で、2028年とのことである。
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 尚、淡路の地名であるが、平安時代に菅原道真公が九州大宰府へ左遷された折、船で淀川を下っていた時、この付近の風景を見て淡路島と勘違いしたとの説に基づくとされている。

阪急本通商店街(大阪府茨木市)

繁華街・アーケードを訪ねて(53)阪急京都線

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                  (上図の右は南東方向)

 阪急京都線の茨木市駅で下車した。
 駅の直ぐの北側に「阪急本通商店街」の東のゲートがある。
 ゲートの反対側は、や淀川対岸である枚方市や寝屋川市へ至る府道である。
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 商店街のアーケードへと入る。
 丁度昼時であった。
 右手に立ち食いうどんの店があったので、「きざみうどん」を頂いた。
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 そして奥へと進む。
 途中左手に、東本願寺茨木別院の鼓楼が見える。
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 更に進む。
 出口が見えて来る。
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 出口の手前の左手に、「茨木心斎橋商店街」が南へと続いている。
 また右手に、茨木城主の名を付けた割烹もある。
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 商店街は茨木神社の東参道である。 
 通り抜けると神社の鳥居がある。
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 鳥居の先は神社の東門であるが、これは茨木城の搦手門を移築したものである。
 鳥居前を右手に取ると、茨木小学校へと至る。茨木城の本丸があったとされているところである。
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 阪急本通の北側へと出る。
 本通とを結ぶ細いアーケードがある。
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 そして阪急本通に平行して少々寂れたアーケードがある。
 「中央商店街」と名付けられている。
 これを進む。
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 中央商店街は本町通で終点である。
 本町通には「本町ROSE街」という名がついているが、アーケードではない。
 本町通を右へと取ると、阪急本通へと出て、探索は終了となった。
 尚、阪急本通のアーケードの長さは、約300mであった。
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駅と駅を結ぶセンター街(大阪府高槻市)

繁華街・アーケードを訪ねて(52)JR東海道本線

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                    (上図の下が北方向)

 大阪府高槻市は、京都と大阪の中間にある市である。
 高槻市にはJRと阪急電鉄の両路線の駅があるが、その両駅をアーケードの商店街が結んでいる。

 JR高槻駅で下車する。
 駅から陸橋繋がりで、松坂屋デパートがある。
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 商店街としては、JR駅に近い方から、「本通り」、「中通り」が阪急駅に向かっている。
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 それはそれとして、その南側に「高槻センター街」というアーケード商店街がある。
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 西側のゲートから商店街に入る。
 商店街は広い道路で、明るい商店街である。
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 しかし300mのそう長くないアーケードである。
 直ぐに通り抜けてしまう。
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 通り抜けたところは阪急駅の「高槻市駅」である。
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 そして、阪急駅からは近隣の大学キャンパスが見える。
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 阪急駅の南西側には「城北通」と云う商店街がある。
 冒頭の地図では城北一丁目のところで、高槻城跡の北側である。
 探索してみると、スナックやラウンジが集積する歓楽街の様である。
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 案内地図もある。
 やはり夜の街であることが確認できたのであった。
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姫路の繁華街・歓楽街Ⅳ「本町+みゆき通り」、「魚町+塩町」

繁華街・アーケードを訪ねて(51)JR山陽本線

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                          (図の左が北方向)

 姫路市のメインのアーケード商店街は「本町商店街」+「みゆき通り商店街」であろう。
 上図の上下(東西)中央の大手前通りの一つ上(東)にあるピンク色の左右の道路がそれである。

 この商店街は、左(北)の大手前公園から、姫路駅に向かう南北の商店街である。
 大手前公園とは、姫路城エリアに隣接した公園で、イベントなどが良く行われるとことである。
 この起源は、明治維新後、姫路城が帝国陸軍に接収され、その練兵場として活用されたもので、その跡地を公園化したものとされている。
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 本町商店街はこの公園の南の商店街である。
 この商店街の左に「イーグレひめじ」と云う新しい建物がある。
 姫路市の公共施設などが入居している建物である。
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 更に進むと国道2号線の東行き道路で商店街は終端して、道路向こうにはみゆき通り商店街のゲートとなる。
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 みゆき通り商店街を南下する。
 この辺りは姫路駅から遠いので、人もそれほど多くは無い。
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 みゆき通り商店街を更に南下する。
 東西の二階町商店街のアーケードと交差する。
 そして段々と人通りが多くなる。
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 更に南下する。
 国道2号線の西行きと交差して、アーケードは一旦終わる。
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 みゆき通りについてであるが、それは明治時代に遡る。
 明治時代に帝国陸軍の練兵場にて、明治天皇行幸のもと閲兵式が行われた。
 この時に姫路駅から練兵場への道路が整備されたのがこのみゆき通りである。
 当時は大手前通りが無く、このみゆき通りは市街地の中心道路として、自動車・バスも通行する道路であった。
 その後、大手前通りが敷設されたため、みゆき通りは商業拠点のアーケード街として整備されてきたとのことである。

 国道に面したゲートを潜り、みゆき通りを更に進む。
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 そろそろ終点である。 
 本町商店街と合わせて、約700mのアーケードは終わる。
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 その先は地下街である。
 グランフェスタと名付けられた地下街を歩くと、姫路駅へと繋がっている。


 姫路には歓楽街がある。
 魚町・塩町と云い、冒頭地図の右下辺り、即ち南西方向である。

 先ずは塩町である。
 夜の店が並んでいる。
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 次に魚町である。
 こちらも同様に、夜になれば楽しめる店が沢山と並んでいる。
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 この魚町・塩町の歓楽街は、江戸時代初めの頃は魚屋が立ち並ぶ町であった。
 それが江戸時代中期以降、料亭や芸妓屋などが立ち並ぶ花街 へと姿を変えたとのことである。
 そして明治時代になって、姫路城内に帝国陸軍が駐屯すると、この界隈はますます賑やかになり、大正時代には芸妓・舞妓が多数の花街となり、現在にもその流れが受け継がれているとのことである。

姫路の繁華街Ⅲ小溝筋商店街(姫路市)

繁華街・アーケードを訪ねて(50)JR山陽本線

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                    (左が北方向)

 姫路市のアーケード街に小溝(おみぞ)筋商店街がある。
 上図の左右(南北)の大手前通りの上(東)のピンク色の筋のもう一本上(東)の南北の細い商店街である。

 小溝筋とは、この通りには小さな溝が脇にあり、道幅4mほどの細い道であったことが名前の由来とされている。
 その小溝筋を北から歩いてみる。

 北は、二階町商店街とのT字路から始まる。
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 飲食が目立つ通りである。
 商店街に入ると行列店が目立つ。
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 しばらく行くと、国道2号線を渡る。
 そして商店街の名前もパステルおみぞと変わる。
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 更に進むと、凄い行列店がある。
 姫路名物のあなご料理の店である。
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 小溝筋商店街は約400mである。
 抜け出た所は、姫路駅の近くである。
 ここから直角西にみゆき通りに向かうアーケード約70mもある。
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                              <次回に続く>

姫路の繁華街Ⅱ西二階町二階町他(姫路市)

繁華街・アーケードを訪ねて(49)JR山陽本線

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                           (上図の左が北方向)

 上図の中央を下から上に(西から東に)抜けるピンク色の道路が西二階町・二階町のアーケード街である。

 西の西二階町商店街のゲートから探索してみる。
 広い通路である。
 左手(北側)の切れ目では、姫路城の石垣を望むことができる。
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 更に進む。
 同様に石垣・土塁が望める。
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 更に進む。
 大手前大通りに出て、西二階町は終わる。
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 大通りからは、姫路城天守が望める。
 大通りを渡ると二階町商店街である。
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 二階町商店街を東進する。
 途中でみゆき通り商店街と交差する。
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 更に進む。
 今度は小溝筋商店街と交差する。
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 更に東進する。
 城巽通り商店街と交差して、約650mの西二階町・二階町商店街は終了である。
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 城巽通り商店街は少し南の位置から始まる。
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 そして北へと抜け出る。
 抜け出たゲートには「市民会館前通り」と記され、途中で商店街が変わっている。
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 抜け出た所は国道2号線の東行き一方通行で、この通りの向こうに名の通り市民会館がある。
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 またこの場所は姫路城の総社門跡であり、石垣土塁にもそう表示されている。
 更に北には総社神社が祀られている。
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                              <次回に続く>

姫路城下の繁華街Ⅰ(兵庫県姫路市)

繁華街・アーケードを訪ねて(48)JR山陽本線

 兵庫県の姫路市は国宝姫路城とJR姫路駅との間に大きなアーケード街、そして歓楽街がある。
 アーケード街に至っては、主要なものが3本、そして他も合わせて総延長は2.3kmに達する。

 下図は姫路の市街図の城と駅の間の部分である。(左が北方向)
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 図の中央付近に城と駅を結ぶ南北の道路、「大手前通り」が通っている。
 またピンクで表された何本かの道路はアーケード街である。

 大手前通りの上(東側)に平行して、約700mの「本町商店街」+「みゆき通り商店街」、
 中央を縦(東西)に貫いているアーケードは約650mの「二階堂商店街」+「西二階堂商店街」である。
 また、みゆき通り商店街の東側に少し細めの「小溝筋商店街」約400mが南北に通っている。
 これら3本がメインとなるアーケードである。
 また、上図の右下(南西側)の魚町・塩町は夜に映える歓楽街である。

 今回、 ここでは、概要と周辺の小アーケードの紹介に留め、次回からそれぞれのアーケード街と歓楽街の紹介を行うこととする。

 JR姫路駅で下車し北側へと出ると、姫路城が大手前通りを通して見える。
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 大手前通りの歩道を歩くと、右手に2つのアーケードのゲートが見える。
 先ずはフラワー通りである。
 射的場もある約50mの通りである。
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 次は協和通りである。
 途中でみゆき通り商店街を横切る。
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 更に進むと、小溝筋商店街に突き当り、ここで終端の約130mの商店街である。
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 大手前通りの左側である。
 栄通りのゲートがある。
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 栄通りは約100mの商店街で、通り抜けて、北へ行くと国道2号線へと出る。
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                             <次回に続く>

兵庫明石は魚の棚(兵庫県明石市)

繁華街・アーケードを訪ねて(47)JR山陽本線

 兵庫県東西の中心にある明石市は理想的な商店街の構成である。
 先ずは明石駅で下車する。
 ホームから重要文化財の明石城の伏見城から移築されたとされる坤櫓(左側)、船上城から移築されたとされる巽櫓を眺むことができる。
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 下図の左手の駅の左(北側)が明石城である。
 駅前から右手(南側)の海との間に、商店街が整備されている。
 先ずは線路・駅舎に平行した広い道路が国道2号線である。
 そしてそれに交差する上部の南北の道路は「銀座通り」、そして海側の東西の広い道路は「本町通り」、西側の道路は通称「明淡通り」で、海まで行くと明石港がある。
 そしてこれらの中心に商店街「魚の棚(うおんたな)」が東西に設けられているという構成である。
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                           (左手が北方向)

 先ずは駅前広場から南へと行き、国道2号線まで出ると、銀座通りの両側に明石銀座商店街のアーケード庇がある。
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 明石銀座を進んで行くと、右手に魚の棚の入り口が見える。
 本町通りと交差したところで明石銀座は終わりである。
 交差点の向こうに明石焼きの店もある。
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 銀座通りを戻る。
 途中に魚の棚の弁天通りの入り口があるので、覗いてみる。
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 弁天通りの右折れ個所の明石焼きの行列店もある。
 そして右折れして魚の棚本通りに合流する。
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 魚の棚の東ゲートまで戻る。
 魚の棚の探索である。
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 凄い人出である。
 やりようによっては、現在でもこのようなアーケードができるという感銘を受けた次第である。
 明石焼きの店には行列ができ、そばを歩くのも困難な状況となっている。
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 うおんたな400年の幟が所狭しと並んでいる。
 魚の棚の歴史は、明石城築城時に遡る。 それで400年である。
 築城時に宮本武蔵による町割りが行われた。
 東魚町と西魚町ができ、東は鮮魚を、西は塩干を主としていたが、その後西は荒廃し、東が今の形で生きているとのことである。

 魚の棚を更に進む。
 やはり明石焼きの店には行列があり、西のゲートが近づく。
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 途中に錦通りが分かれている。
 辿ってみると、国道2号線を渡る陸橋へと繋がっている。
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 本通りの西ゲートとなった。
 再来を願った文言も見られるのは、アーケード街では珍しい。
 総延長で400m強の魚の棚であった。
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 西ゲートの前の道路は明淡通りである。
 南へ向かうと明石港の乗船場がある。 
 連絡船は淡路島の岩屋港とを結んでいる。
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 明石港から少し北へ戻ると、本町通りで。本町商店街のアーケード庇の西の入り口である。
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 進んで行く。
 途中で魚の棚へ行くことができるアプローチもある。
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 この商店街には、劇場があるのが特徴とのことである。
 玄関の花輪には、贈り主に美川憲一やコロッケの名前も見える。
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 そして進むと、先の明石銀座(庇はグリーン)と交差して、本町商店街は終わる。
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 〔追記〕
 明石の歓楽街の一部であろうが、見つけた。
 
 銀座通りの東側の桜町一帯であり、銀座通りから「桜町本通」、「桜町発展促進会」のゲートが見える。
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 地図では下図である。
 魚の棚の銀座通りを挟んで東側のマル囲みの部分である。
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                       (図の左が南方向)

 良くは分からないので、ランダムに眺めてみる。
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 街の中央付近に白雲社が祀られている。
 江戸時代から大きな枝垂れ桜があったそうで、多くの人が見物に訪れたとの謂れがある。
 万葉歌人の柿本人麻呂の歌から白雲桜と名付け、祀られたとのことである。
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 他にも、楽しませてくれそうな店もある明石の歓楽街である。
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昔も今も「ぶらくり丁」(和歌山市)

繁華街・アーケードを訪ねて(46)南海電鉄和歌山市駅

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 大阪難波と和歌山市を結ぶ南海電鉄本線の終点は「和歌山市駅」である。
 その「市駅」の東南方向で、和歌山城の北方向に、かつての大繁華街「ぶらくり丁」がある。
 今回は、そのぶらくり丁を訪問する。

 ぶらくり丁は江戸時代天保年間の大火の後に発祥した商店街である。
 以降、多くの店舗が集まり、250店舗、北、東、中のアーケードと、築地通りのアーケード庇で構成されてきている。

 ぶらくり丁の名付けは、間口の狭い店が商品を軒先にぶらくって(和歌山方言:吊り下げての意)商売をしていたことからと云われている。

 和歌山市駅から城北通り、本町通りを歩き向かうと、本町通りに面した北ぶらくり丁の西ゲートに到着する。
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 「北ぶらくり丁」のアーケードへと入る。
 本日閉店が多いのか、シャッター店が大部分である。
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 北ぶらくり丁は東西に200m強である。
 通り抜けると築地通りに出る。アーケード庇の「ぶらくり丁大通り」商店街である。
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 今度はそのまま大通りを横切り、川を渡って南へと行き、「東ぶらくり丁」のゲートへと到達する。
 そしてアーケード内へと入る。
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 アーケードの左手の路地に、ソープ街が見える。
 そして進んで行くと橋が見えて来て、200m弱の東ぶらくり丁は終わる。
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 大門川を雑賀橋で渡る。
 雑賀橋の欄干には手毬が乗せられている。
 恐らくは、童謡「まりと殿様」によるものであろう。
 その先、中ぶらくり丁のゲートであり、中へと入る。
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 更に進む。
 途中左手に「銀座通」がある。
 そして築地通りで途切れてしまう。
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 築地通はアーケード庇である。
 南北に長く、その長さは北隣の「元寺町ストリート」の庇も入れて約600mである。
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 再び中ぶらくり丁のゲートから入る。
 JRAの場外馬券場もある。
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 そして抜け出ると本町通りであり、約300mの中ぶらくり丁、ぶらくり丁は終わる。
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 その交差点の向かいにかつてはデパートがあった。
 丸正百貨店と云ったが、今はショッピングビルに模様替えしている。
 中に入ってみるとデパートの意匠がそのまま活かされているようでもある。
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歓楽街「アロチ」は北ノ新地(和歌山市)

繁華街・アーケードを訪ねて(45)JR和歌山駅

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 和歌山市のJR和歌山駅と和歌山城を結ぶ「けやき大通り」「と南北の「柳通り」との交差点を「北ノ新地」と云う。
 この交差点の北側、柳通りを挟んで東側・西側には歓楽街があり、「アロチ」、「新地」、「北ノ新地」と呼ばれる。
 住所で云えば、東側は友田町、西側は北ノ新地や新内(あろち)などである。

 北ノ新地の交差点の一本東の道路を北へと入って見る。
 スナック、クラブ、飲食の店などが並ぶ。
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 大阪の北新地のように密集はしていない。
 ゆったりと並んでいる。
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 交差する通りを眺めてもゆったりである。
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 次は柳通りの両側である。
 無料案内所もいくつかある。
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 今度は柳通りから一本西へ入った通りである。
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 交差する通りの西に公園が見える。
 行ってみると大新公園であり、アロチの西の終点である。
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 北へと進むと城北通りとなる。
 アロチの北の終点である。
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みその商店街は戦後闇市の発展形(和歌山市)

繁華街・アーケードを訪ねて(44)JR和歌山駅

 JR阪和線と紀勢線の接続駅である和歌山駅の直ぐの南西部に「みその商店街」がある。
 エントランスのゲートは和歌山駅のロータリーに接し、北向きである。
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 ゲートを過ぎて商店街の方へと進むと、南北のアーケードが3本とそれを串刺しにする東西のアーケードが1本で構成されている。
 全体が「みその商店街」で、JRの線路に近い方から、東通、中通、西通である。
 
 先ずは東通の横から入る。
 東西に貫くアーケードが眺められ、終着点も見える。
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 手前に交差する通りが東通りである。
 先ずは右手の北方向を眺めてみる。
 今度は左手方向(南方向)を眺めてみる。
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 南へ向かうと途中に西の中通へ向かうアーケードがある。
 このアーケードの交差点の天井は立派である。
 そして少しの歩きで、東通の終点へと出てしまう。
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 東通のゲートの少し西に中通のゲートがある。
 そして中通を北へと進む。
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 北の終点まで到着し、中通のゲートを振り返ってみる。
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 中通のゲートの西には西通入り口のゲートがある。
 今度は西通の中を南へと進む。
 西通は途中で突き当り、左折して中通と交差、そしてそのまま進むと東通り突き当たる。
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 ここで、西通と中央の通りとの交差点まで戻る。
 東方向の左側に大衆演劇場「光命座」がある。
 現在はシャッターが下りているので、去就は分からないが…。
 そして西を向いて移動すると、総延長600m強のアーケード商店街を出てしまう。
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 出たところの広い道路は国体道路という。
 国体開催のために和歌山駅とメイン会場の紀三井寺陸上競技場の間に建設された道路である。
 この道路を少し行った田中町交差点の手前西(下図のオレンジの場所)に和歌山ラーメンの井出系の旗手「井出商店」がある。
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 丁度昼時であったので、和歌山ラーメンを頂いたのであった。
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 国体道路を北へと向かう。
 東卸市場と云うアーケードがあったので通り抜けてみる。
 100m強の長さであり、シャッターも多い通りである。
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 そして北へと進む。
 若干の歓楽店もある。
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 そして少し北の和歌山駅正面と和歌山城や国道42号線を結ぶ「けやき大通り」に出た。
 この大通りの両側はアーケード庇で「ふれあい通り」と云う商店街であった。
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池田商店街は酒蔵へ(大阪府池田市)

繁華街・アーケードを訪ねて(43)阪急電鉄宝塚線

 大阪府池田市には、阪急電鉄宝塚線の「池田駅」がある。
 この池田駅の正面から北へと向かう一本のアーケード商店街がある。

 下図の底辺中央から北の2本目の車道まで少し左斜めに向かうのがその商店街である。
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 阪急電鉄宝塚線の池田駅から商店街を訪ねてみる。
 商店街の名は「サカエマチ一番街」である。
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 アーケードの中は綺麗で快適ある。
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 進んで行くと、150mほどで車道と交差する。
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 その先は「サカエマチ2番街」である。
 同様にアーケードを進む。
 こちらも良く整備されている。
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 やはり150mほどで、車道に出てしまう。
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 車道は本町通りと云う。
 少し東へと行き、北を見上げると池田城の天守の様相を呈した模擬の櫓台が見える。
 池田城は豊島郡(現在の池田市、豊中市、箕面市など)を治めていた国人領主池田氏の居城であった。
 しかし応仁の乱以降、細川氏、三好氏、荒木村重、織田信長などに支配されたことがあり、信長の時代に廃城となったとされる。
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 商店街の出口へと戻る。
 本町通の北側に商家らしきが見える。
 行ってみると、呉春の銘で知られる酒蔵、呉春㈱の本社と酒蔵である。
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 裏へと回り込んでみると酒蔵らしきある。
 そしてこの辺りの住所地は綾羽(あやは)と云う。
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 そう言えば池田には、クレハ・アヤハの伝説がある。
 アヤハトリ、クレハトリの2人の織姫が機織りや染色の技術を伝えたとされ、それぞれ伊居太(いけだ)神社、呉服(くれは)神社に祀られている。
 アヤハトリは「綾織」、クレハトリは「呉織」とも書かれ、池田にはこれに纏わる地名や酒蔵にもみられる。 
 酒銘の「呉春」は、クレハトリの「呉」と酒を現わす「春」を合わせたものとされるが、他にも「天明の絵師 松村呉春」に由来するという説もある。

萩之茶屋から動物園前へ(大阪市西成区)

繁華街・アーケードを訪ねて(42)南海電鉄高野線

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                         (上図の右が北)

 大阪市西成区、南海電車の萩ノ茶屋駅で下車し、東側の商店街を訪ねてみる。
 先ずは駅の直ぐ東の萩之茶屋本通商店街である。
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 商店街を歩いてみる。
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 商店街には昼呑みの店もいくつかある。 
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 200m強の商店街は、阪堺電車の高架線路、堺筋道路で終了である。
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 道路の向こう側は別のアーケードである。
今池本通商店街という。
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 商店街は100m足らずで通り抜けてしまう。
 通り抜ける手前には、居酒屋・カラオケと書かれた店が並んでいる。
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 突き当たったアーケードは、飛田本通商店街である。
 右手に取ると、再生家電品の店などがあり、少しで終点である。
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 ゲートを眺めて、再度商店街に入り、北を目指す。
 途中に右に分岐するアーケードがある。
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 右に分岐するアーケードは新開筋商店街という。
 これを進む。
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 少し行くと右手に道路が開け、北門との表示がある。
 飛田新地である。
 結界の表示もなされている。
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 商店街を更に進む。
 350mの商店街は5分程度で通り抜けてしまう。
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 通り抜けたところは、阿倍野に近い。
 あべのハルカスも見える。
 また、飛田新地への入り口もある。
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 元の飛田本通商店街へと戻る。
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 再び右へ分岐するアーケードがある。
 山王市場通商店街と云う。
 一層の昭和レトロを感じる商店街である。
 150m程度のアーケードで、通り抜けた後、元に戻る。
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 元の商店街を北進する。
 一旦北へと抜け出ると、動物園前二番街となっている。
 途中で、名称変更されているようである。
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 そしてその先は動物園前一番街となっている。
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 振り返り、先のJR大阪環状線のガードを潜ると新世界のジャンジャン横丁へと繋がっている。
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鶴見橋は大阪3位の商店街(大阪市西成区)

繁華街・アーケードを訪ねて(41)大阪メトロ四ツ橋線

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                            (右手が南側)

 大阪市西成区の国道26号線の地下に大阪メトロ四ツ橋線の「花園町駅」がある。
 その少し北に「鶴見橋商店街」の東側のゲートがある。
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 鶴見橋商店街は東西に全長1kmの長い商店街で、その長さは大阪市3位の大商店街である。
 この商店街を東から順に訪ねてみる。
 入り口はオレンジ色看板の一番街である。
 そして黒色の二番街となる。
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 そして白色の三番街には、左手に大型スーパーもある。
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 次は四番街である。
 大衆演劇の鈴成座の看板も下がっている。
 左手少し入ったところに劇場がある。
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 元の商店街に帰ると、そこは五番街である。
 そして広い道路と交差する。道路は「なにわ筋」と云う。
 (冒頭の地図では、商店街はここまでしかサポートされていない)
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 道路の向こうにゲートがある。
 六番街となっていて、その先、七番街が見えて来る。
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 七番街の先は八番街である。
 そして八番街は、高速道路に阻まれ、鶴見橋商店街は終点である。
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 高速道路は阪神高速15号線である。
 商店街の西ゲートを振り返る。
 そしてその先にもアーケードがある。津守商店街と云う。
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 津守商店街のアーケードを抜けると、その先も津守商店街である。
 抜け出ると、西成公園である。
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 公園の道路を挟んで南海電鉄汐見橋線の津守駅がある。
 電車を待って、岸里玉出駅へと向かったのであった。
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花園にもアーケード街あり(大阪市西成区)

繁華街・アーケードを訪ねて(40)南海電鉄高野線

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 大阪市西成区の南海電鉄高野線の萩ノ茶屋駅の西側・南側の花園地区にアーケード商店街の「サンスーク花園」がある。
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 アーケードは南北、約150mの商店街である。
 北入り口の西横はスーパーイズミヤの花園店(現在改装中)で、イズミヤの創業の地である。
 商店街に入ると右手は工事中で、その路地にイズミヤ看板が見える。
 イズミヤの研修センターとのことである。
    1908IMG_8273.jpg  1908IMG_8275.jpg  1908IMG_8274.jpg

 開いている店と閉まっている店は半々ぐらいであろうか?
 人通りも少なく、直ぐに出口に出てしまう。
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 出たところの直交道路の左右は「花園本通商店街」と云う。
 アーケードは無いが、飾り付けが華やかである。
 特に西方向へ長く伸びていそうなので、この商店街を歩いてみることにした。
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 車道と交差し、その車道を渡ると「梅南通商栄会」と云う。
 先ずは「梅南一」と記されている。
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 この商店街の右側の住所地は「梅南」、左側の住所地は「松」となっている。
 そうすると松竹梅の竹も近くにあるのだろうか?
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 商店街を進む。
 梅南二商栄会、梅南三となる。
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 三と四の境目の横丁に大衆演劇場「梅南座」の案内があったので覗いてみた。
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 元の商店街へと戻る。
 この辺りまで来ると、医院やデイサービスが目立つようになり、商店街は新なにわ筋に出て終了である。
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 商店街は花園である。
 夾竹桃、サルスベリなどの時節の花が見られる。
 そして東方向へと戻り、花園町駅から地下鉄に乗ったのであった。
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玉出商店街はスーパー玉出(大阪市西成区)

繁華街・アーケードを訪ねて(39)南海電鉄本線

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                    (上図の右手が南方向)

 大阪市西成区の南海本線の岸里玉出駅の南出口「玉出口」出ると、そこにアーケードの「玉出本通商店街」のゲートがある。
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 商店街の中を進む。
 右手の花店の横に「玉二商店街」のゲートがあるが、後程と云うことにして、更に進む。
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 進むと右手に「スーパー玉出」があり、結構な人と自転車である。
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 スーパー玉出は大阪には44点もあり、よく見かけるスーパーである。
 この本社は㈱フライフィッシュと云い、この少し北にある。

 更に進むと、国道26号線へ出て、250mの商店街は終了となる。
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 商店街中ほどの玉二商店街のゲートへと戻り、玉二を歩く。
 右手に公設市場の建物があるが、閉まっている。
 小売店も閉まっているところが少なからずある。
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 玉二は100m足らずでなので、直ぐに通り抜けてしまう。
 抜けたところで右側にも商店が並び、辿って行くと、駅へと戻る方向である。
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 以下は余談である。
 この玉出本通商店街を抜け、国道を渡り、200m程度進んだ左手に生根(いくね)神社があり、かつて訪れたことがあった。
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 上の天神と呼ばれ、少彦名命、蛭児命、菅原道真公を主祭神としている神社である。

 また、江戸時代より勝間村の特産物であった「こつま南瓜」を食べ、無病息災を祈願する祭も開催されている。
 そして元の26号線の少し南の西側には、タコ焼きの考案者で創始者である「会津屋」の本店もある。
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西天下茶屋は昭和レトロ(大阪市西成区)

繁華街・アーケードを訪ねて(38)南海汐見橋線

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                             (右手が北方向)

 大阪市西成区にある西天下茶屋商店街を探訪した。

 上図の右上隅が、南海電鉄の汐見橋と岸里玉出を結ぶ汐見橋線の西天下茶屋駅である。
 駅から左に血管のようにピンク色で記されているのが西天下茶屋商店街である。

 途中で枝分かれしているが、真っ直ぐ行った終点は松虫通である。

 西天下茶屋駅で下車し、南へと向かうとアーケードが見えて来る。
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 東側の入り口から入ってみる。
 銀座商店街と名付けられている。
 左手にスーパーがあり、それを過ぎると直ぐに通り過ぎてしまう。
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 その途中から、左折れするアーケードがある。
 南北に延びる「西天商店街」である。
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 更に行くとアーケードはY字に分岐する。
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 先ずは分岐された支線の部分である。
 この部分は南本通商店街・ビッグ岸里と云う。
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 元の分岐に戻る。
 住所地は西成区千本1丁目と云う。
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 商店街は間もなく終点である。
 分岐部分も合わせて500m強の商店街である。
 振り返ると「にしてん」となっている。
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 出た通りは松虫通である。
 この道路を東進し、大阪メトロ岸里へと到着したのであった。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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