fc2ブログ

大阪環状線3・桜ノ宮駅

 「大阪駅」を起終点とする「大阪環状線」を、「大阪駅」から時計回りに各駅下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪駅」から時計回りで2つ目で、大阪市都島区にある「桜ノ宮駅」である。

2012yyIMG_9199 (2)

 「桜ノ宮駅」で下車する。
         2012yyIMG_9248.jpg  2012yyIMG_9202.jpg

 駅の西側の川は旧淀川の「大川」である。
 春には河川敷の満開の桜、夏には天神祭りの船渡御が行われ、賑わう所である。
 この大川左岸沿いを南下する。
 直ぐに「源八橋」が架かっている。
 「源八橋」の名称は、江戸時代初期からあった「源八渡」に由来する。
 そして川向うには、「大阪アメニティーパーク(OAP)」のビル群が見える。
         2012yyIMG_9204.jpg  2012yyIMG_9207.jpg

 大川左岸河川敷には遊歩道があり、これを南下する。
         2012yyIMG_9209.jpg  2012yyIMG_9213.jpg

 途中には野球場もある。
    2012yyIMG_9244.jpg  2012yyIMG_9214.jpg  2012yyIMG_9243.jpg

 更に南下する。
 堤防の上部は車道である。
 車道を渡るとそこには、社頭南向きの「櫻宮神社」が鎮座しているので訪問する。
 「桜の宮」の地名の由来となっている神社である。
    2012yyIMG_9220.jpg  2012yyIMG_9221.jpg  2012yyIMG_9222.jpg

 参道を進む。
 左手に境内社の「八社神社」が祀られている。
 祭神は、目神八幡大神、恵比須大神、菅原大神、玉津嶋大神、琴平大神、住吉大神、春日大神、八幡大神である。
    2012yyIMG_9223.jpg  2012yyIMG_9224.jpg  2012yyIMG_9227.jpg

 参道正面は拝殿である。
    2012yyIMG_9226.jpg  2012yyIMG_9228.jpg  2012yyIMG_9229.jpg

 その背後には本殿が祀られている。
 本殿の祭神は、天照大御神、八幡大神、仁徳天皇である。
         2012yyIMG_9238.jpg  2012yyIMG_9235.jpg

 「櫻宮神社」の創建は不詳であるが、元は東生郡野田村小橋、櫻の馬場字宮田のに氏神として奉斎したのが始まりとされる。
 また、豊臣氏が桜を愛し、落花の下に勇壮なる流鏑馬式を行なったとされている。
 何度かの洪水により流出の憂き目を見たが、最終的にこの地に鎮座したとされている。

 本殿右手には、早馬稲荷神社、左手には地車庫がある。
    2012yyIMG_9232.jpg  2012yyIMG_9234.jpg  2012yyIMG_9239.jpg

 また神社の神紋は桜である。
 そして西側の参道鳥居から退出し、「桜ノ宮駅」に戻り、ミニ探索を終了したのであった。
         2012yyIMG_9230.jpg  2012yyIMG_9215.jpg

 尚、「桜ノ宮駅」の発車メロディーは、大阪出身のシンガーソングライター「大塚愛」の「さくらんぼ」である。

大阪環状線2・天満駅

 「大阪環状線」は「大阪駅」を起終点とする21.7kmの路線である。
 この「大阪環状線」を「大阪駅」から時計回りに各駅下車で訪ねてみる。
 但し、「大阪駅」や「京橋駅」のように、既に他の路線で下車した所は、割愛する。

2012xxIMG_2123.jpg

 先ずは「大阪駅」の隣で、大阪市北区にある「天満駅」である。

2012xxIMG_7022 (2)

 「天満駅」で下車する。
 駅北側、南側である。
    2012xxIMG_7019.jpg  2012xxIMG_4184.jpg  2012xxIMG_7024.jpg

 駅の西側には日本一長いアーケード商店街の「天神橋筋商店街」がある。
 約2.6kmの長さだそうである。
 「天満駅」と商店街との間の辺りにはDeepでリーズナブルな飲み屋街がある。
 それが天満の特徴でもある。
    2012xxIMG_5484.jpg  2012xxIMG_5486.jpg  2012xxIMG_5489.jpg

 商店街のこの辺りは「天五」即ち天神橋筋五丁目である。
 昼食にワンコインの寿司盛り合わせを提供する店もある。
         2012xxIMG_5488.jpg  2012xxIMG_5492.jpg

 尚、「天満」とか「天神橋」という名は、この南にある「大阪天満宮・菅原道真公」に由来する。
 夏には、「天神祭」が開催され、ギャルみこしや船渡御が盛大に行われるところである。

 「天満駅」から、天神橋筋と云う車道を挟んで南西方向へ行くと、先ずは「関西テレビ放送(8チャン、カンテレ)」があり、そして建物を一にした「キッズプラザ大阪」がある。
    2012xxIMG_4191.jpg  2012xxIMG_4186.jpg  2012xxIMG_4187.jpg

 その南は丘となっていて、そばを高速道路が通っている。
 また、高速のランプもある。
    2012xxIMG_4194.jpg  2012xxIMG_4189.jpg  2012xxIMG_4195.jpg

 丘の西側は、「扇町プール」の建物である。
    2012xxIMG_4233.jpg  2012xxIMG_4235.jpg  2012xxIMG_4236.jpg

 西へと進むと、「扇町公園」の入り口がある。
 入り口付近には、1950年から1996年までこの場所にあった「大阪プール」の名残のモニュメントである「飛び込み台」が当時の様子を伝えている。(大阪プールはその後、地下鉄朝潮橋近くの八幡屋公園へ移転されている)
         2012xxIMG_4201.jpg  2012xxIMG_4198.jpg

 公園内には広い通路と、中央に広いグラウンドがある。
 その先に、先ほど傍を通ったカンテレの建物が見える。
    2012xxIMG_4204.jpg  2012xxIMG_4224.jpg  2012xxIMG_4205.jpg

 そして公園の北には遊具を備えた児童向けの領域も整備されている扇町公園」である。
    2012xxIMG_4227.jpg  2012xxIMG_4230.jpg  2012xxIMG_4231.jpg

 「扇町公園」を一周した所で、駅の近くに戻ったので、この時点で「天満駅」のミニ探索を終了したのであった。
 
 蛇足であるが大阪環状線には、それぞれの駅に発車メロディが決められ運用されている。
 この「天満駅」は、大阪府出身のシンガーソングライター「aiko」の「花火」という歌である。

JR神戸線39・姫路駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から38番目となる「起終点」の兵庫県姫路市の「姫路駅」で下車し、付近を探索してみる。

2012cIMG_8127 (3)

 「姫路駅」で下車する。
         2012cIMG_8129.jpg  2012cIMG_8121.jpg

 「姫路市」と云えば国宝・世界遺産の「姫路城」である。
 見通しの良い駅舎の2階から眺めると、正面に「姫路城」望める。
         2012cP1060825.jpg  2012cIMG_8122.jpg

 早速出かけて見る。
 入城は南の「桜門橋」である。
    2012cCIMG2663.jpg  2012cCIMG2706.jpg  2012cCIMG2658.jpg

 橋の両側には堀の風景が見える。
 そして門を潜る。
    2012cCIMG2665.jpg  2012cCIMG2657.jpg  2012cCIMG2667.jpg

 「桜門」を潜ると、西の丸、そして正面に天守などが見える。
 天守は、6年前に平成の大修理が行われ、まさに白鷺と云われる姿を現している。
    2012cCIMG2670.jpg  2012cCIMG2678.jpg  2012cCIMG2679.jpg

 天守などの主郭が乗っている石垣の下部の部分は黒田官兵衛の構築によるとされている。
         2012cCIMG2696.jpg  2012cCIMG2697.jpg

 また、昭和の大修理の前まで天守閣を支えていた礎石群が不要となり、その配置を再現した「天守の庭」もある。
         2012cCIMG2692.jpg  2012cCIMG2693.jpg

 入り口は「菱の門」である。
 門を入り、右手へ行くと、二の丸、本丸、天守となるが、今回は左手の「西の丸」へと進む。
         2012cP1210626.jpg  2012cP1210660.jpg

 「西の丸」の回廊を歩く。
 長局は「百閒廊下」と云われる。
 そして千姫のかるた遊びの人形も置かれている。
         2012cP1210663.jpg  2012cP1210666.jpg

 姫路城を外から眺めて見る。
 城の北西部に「男山八幡宮」が鎮座する丘がある。
 その丘の頂上は、「姫路市配水池」で、公園となっている。
 そこから「姫路城」の天守を眺めてみる。
 左から東小天守、乾小天守、西小天守の向こうに大天守が見える風景である。
    2012cCIMG2710.jpg  2012cCIMG2723.jpg  2012cCIMG2718.jpg

 この地点で、「姫路駅」のミニ探索を終了し、同時に「JR神戸線」の探索も終了する。
 後は余談である。

 平成の大修理中に姫路城の修理現場に上ったことがある(2013年9月)。
 「天空の白鷺」にである。
    2012cP1210625.jpg  2012cP1210676.jpg  2012cP1210646.jpg

 天守の屋根を間近に見ることができ、印象的であった。
 また、天守から「大手前通り」、「姫路駅」を望む風景もあったのである。
    2012cP1210645.jpg  2012cP1210639.jpg  2012cP1210644.jpg

JR神戸線38・東姫路駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から37番目の兵庫県姫路市の「東姫路駅」で下車し、付近を探索してみる。

2012bIMG_8187 (2)

 「東姫路駅」は4年前の2016年に開業された駅で、JR神戸線では最も新しい駅である。
 その「東姫路駅」で下車する。
 ホームからは、北側の駅前の新しいショッピングモールやマンションが見える。
         2012bIMG_8193.jpg  2012bIMG_8131.jpg

 もちろんのこと駅舎も新しい。
         2012bIMG_8137.jpg  2012bIMG_8192.jpg

 駅舎の前には東西、南北の道路がある。
 西方向、北方向、東方向の道路の風景である。
    2012bIMG_8189.jpg  2012bIMG_8190.jpg  2012bIMG_8191.jpg

 先ずは東の「市川」の方向へと進む。
 「市川」の右岸河川敷へと出る。
 先ずは「日ノ出緑地」である。
 上流には国道2号線の橋が、下流にはJR在来線と新幹線の橋が、見える。
    2012bIMG_8145.jpg  2012bIMG_8149.jpg  2012bIMG_8150.jpg

 緑地を歩いていると、丁度新幹線が通りかかった。
         2012bIMG_8153.jpg  2012bIMG_8155.jpg

 今度は鉄道橋の下流である。
 「阿保緑地」と云う。
 こちらはかなりの広さである。
         2012bIMG_8156.jpg  2012bIMG_8157.jpg

 河川敷はこれくらいにして「東姫路駅」に戻る。
 そして今度は、西へと進む。
         2012bIMG_8161.jpg  2012bIMG_8162.jpg

 左側に「兵庫県ものづくり大学校」がある。
    2012bIMG_8164.jpg  2012bIMG_8182.jpg  2012bIMG_8181.jpg

 この大学校の辺りに、古代白鳳時代の寺院「市ノ郷寺」があった。
 その礎石が置かれている。
    2012bIMG_8183.jpg  2012bIMG_8168.jpg  2012bIMG_8169.jpg

 その礎石は「ものづくり大学校」前の「薬師堂」の境内に置かれている。
         2012bIMG_8167.jpg  2012bIMG_8170.jpg

 「ものづくり大学校」の西並びに「姫路市すこやかセンター」がある。
    2012bIMG_8178.jpg  2012bIMG_8171.jpg  2012bIMG_8166.jpg

 そして、その西に道路を挟んで警察署がある。
 「姫路警察署」である。
 この庁舎は2009年に建設され、警察署が移転したものである。
    2012bIMG_8172.jpg  2012bIMG_8174.jpg  2012bIMG_8176.jpg

 この西にも大きな建物があるが、探索はここまでとし、「東姫路駅」へと戻ったのであった。

JR神戸線37・御着駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から36番目の兵庫県姫路市の「御着駅」で下車し、付近を探索してみる。

2012aIMG_8201 (2)

 「御着駅」を含む姫路市の御国野町は、昭和32年に姫路市に併合されたところである。
 御国野町には、古代の「壇場山古墳」、同じく古代の「播磨国分寺」、中世の「御着城」など、歴史的にも見るべきものが多数存在しているところである。

 「御着駅」で下車する。
 この山陽本線は貨物輸送の主要な路線であり、貨物列車も良く見られる。
    2012aIMG_8210.jpg  2012aIMG_8213.jpg  2012aIMG_8209.jpg

 駅舎を出て、駅前から北東方向に延びる道を辿る。
 道端には「御着城址、黒田・・・」の案内板も見られ、先ずは「御着城址」を目指す。
    2012aIMG_8206.jpg  2012aIMG_8204.jpg  2012aIMG_8208.jpg

 交差する道は西国街道である。
 これを東へと進み、「天川」を渡り、国道2号線を北へと横切ると「御着城址」であり、石碑が建っている。
    2012aCIMG0058.jpg  2012aCIMG0059.jpg  2012aCIMG0033.jpg

 「御着城」は戦国時代の守護赤松氏の守護代小寺氏が築いた城であった。
 当時はこの御着城を政庁として西播磨地方が治められていた。

 織田信長の中国侵攻にて攻め滅ぼされ、時の城主小寺政職(こでら まさもと)は毛利方へ落ち延びたと云われる。
 小寺氏の家老はあの黒田官兵衛(当時は小寺官兵衛)であり、姫路城を築城しそれを居城としていたのであるが、信長軍の手引きをした功により、秀吉の与力として迎えられたとされる。

 城址は本丸跡で、城を模したような建物は姫路市役所の東出張所である。
         2012aCIMG0034.jpg  2012aCIMG0044.jpg

 また黒田官兵衛の顕彰碑も建てられている。
         2012aCIMG0035.jpg  2012aCIMG0036.jpg

 城址にはその黒田家の廟所がある。
 勘兵衛の祖父と生母が祀られている。
    2012aCIMG0038.jpg  2012aCIMG0039.jpg  2012aCIMG0042.jpg

 その宝篋印塔である。
         2012aCIMG0040.jpg  2012aCIMG0041.jpg

 国道2号線の南側を探索してみる。
 東に天台宗寺院「延命寺」がある。
 明治天皇駐輦所とのことである。
         2012aCIMG0048.jpg  2012aCIMG0049.jpg

 その西隣に御着の氏宮「大歳神社」がある。
 神門、拝殿はかなり老朽化している。
 延命寺はこの神社の別当寺であったとのことでもある。
    2012aCIMG0050.jpg  2012aCIMG0046.jpg  2012aCIMG0047.jpg

 またこの南に、趣のある町屋があった。
 井内家住宅で、姫路市の都市景観重要建築物等である。
         2012aCIMG0051.jpg  2012aCIMG0052.jpg

 西国街道を西へと行く。
 浄土真宗「金剛山 徳證寺」の門前である。
    2012aCIMG0056.jpg  2012aCIMG0057.jpg  2012aCIMG0053.jpg

 境内を少し見てみると、珍しい塔の風景もあった。
         2012aCIMG0055.jpg  2012aCIMG0054.jpg

 国道2号線へと戻り、天川を渡り返し、西へと進み、国分寺跡へと向かう。
    2012aCIMG0032.jpg  2012aCIMG0021.jpg  2012aIMG_8202.jpg

 「播磨国分寺跡」は南向きで、南大門跡から一望できる。
 北に見える塀と伽藍は、現在の国分寺である。
    2012aCIMG0003.jpg  2012aCIMG0006.jpg  2012aCIMG0002.jpg

 遺跡の中央に灯篭が建てられている。
 また築地塀も復元されている。
         2012aCIMG0008.jpg  2012aCIMG0016.jpg

 また、現国分寺に隣接して、「聖武天皇勅願所」という石碑が建てられている。
    2012aCIMG0007.jpg  2012aCIMG0011.jpg  2012aCIMG0010.jpg

 国分寺跡を見学した所で、「御着駅」のミニ探索を終了した。

JR神戸線36・ひめじ別所駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から35番目の兵庫県姫路市の「ひめじ別所駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011czIMG_8218 (2)

 「ひめじ別所駅」は、2015年に設置された比較的新しい駅である。
 設置された背景は、姫路駅の東にあった姫路貨物駅がこの場所に1994年に移動されたことによる。
 そしてその約10年後に「ひめじ別所駅」が開設されたものである。
 
 「ひめじ別所駅」で下車する。
 駅のホームから隣の貨物駅の事務棟が見える。
         2011czIMG_8245.jpg  2011czIMG_8243.jpg

 また階上の通路から、貨物駅の景色が、反対側には駅前の住宅地が望める。
         2011czIMG_8241.jpg  2011czIMG_8242.jpg

 駅舎を出る。
 得駅前には、病院、スーパーがある。
         2011czIMG_8219.jpg  2011czIMG_8238.jpg

 線路の東側に平行して歩道が設けられているので、辿ってみる。
         2011czIMG_8222.jpg  2011czIMG_8223.jpg

 歩道は車道と合流して地下トンネルを潜り、線路の西側へと出る。
         2011czIMG_8224.jpg  2011czIMG_8225.jpg

 出たところが貨物駅である。
         2011czIMG_8226.jpg  2011czIMG_8235.jpg

 駅沿いに行くと広い入り口がある。
 先ほど見た事務棟の正面も見える。
         2011czIMG_8230.jpg  2011czIMG_8228.jpg

 貨物駅構内への入り口に記された2枚の社名標「JR日本貨物鉄道㈱ 関西支社 姫路貨物駅」、「同 姫路営業所」を確認し、「ひめじ別所駅」のミニ探索を終了したのであった。
         2011czIMG_8233.jpg  2011czIMG_8232.jpg

JR神戸線35・曽根駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から34番目の兵庫県高砂市の「曽根駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011czIMG_8889 (2)

 「曽根駅」で下車する。
    2011czIMG_8270.jpg  2011czIMG_8248.jpg  2011czIMG_8251.jpg

 駅前から車道に平行して、歩行者専用道があるので、それを東へと進むと階段があり、それを上ると県道の跨線橋である。
         2011czIMG_8267.jpg  2011czIMG_8266.jpg

 跨線橋から北東方向を見ると、高砂の特徴である岩が露出した山が見える。
 また西方向は「曽根駅」である。
         2011czIMG_8265.jpg  2011czIMG_8262.jpg

 この府道を南へと進む。
 約2kmで30分程度歩くと、山陽電車の「曽根駅」に着く。
 駅の北側に隣接して、「曽根天満宮」の鳥居が建ち、参道が北へと続く。
         CIMG9824_convert_20150130095746.jpg  CIMG9802_convert_20150130095334.jpg

 曽根天満宮は道真公の聖蹟25拝に選定されている天満宮で、第16番である。
 
 参道を進む。
 参道の終点は随身門である。
         2011czCIMG9804.jpg  2011czCIMG9805.jpg

 随身門を潜ると境内である。
 境内はかなり広い。
 拝殿・本殿が祀られている。
    CIMG9809_convert_20150130095421.jpg  CIMG9812_convert_20150130095511.jpg  2011czCIMG9815.jpg

 拝殿本殿にお参りし、広い境内を巡ってみる。
 梅林があり、紅梅が咲き始めている。(撮影は1月25日)
    CIMG9820_convert_20150130095639.jpg  CIMG9819_convert_20150130095618.jpg  CIMG9818_convert_20150130095555.jpg

 幾つかの境内社も祀られている。
 その中の、塩竃神社、戎神社である。
         2011czCIMG9814.jpg  2011czCIMG9816.jpg

 この天満宮、道真公が大宰府に左遷され流されたとき、近くの港に立ち寄り、日笠山の頂上から瀬戸内海を眺めるとともに、一本の松をこの神社の地に「我に罪なくば栄えよ」と云い、手植えしたと云う逸話がある。

 神社西方に日笠山が見える。
 松の木は成長し、曽根の松として天然記念物にも指定された。
 またその松を祀る霊松殿も建てられている。
    CIMG9813_convert_20150130095533.jpg  CIMG9822_convert_20150130095722.jpg  CIMG9810_convert_20150130095444.jpg

 曽根の松の碑の隣には心池と云うのもある。
 松に常々水を与えるのに設けたと云われている。
 また右手の池に架かる石橋には唐草模様の透かし彫りがされていて見事である。
               CIMG9821_convert_20150130095700.jpg

 この天満宮の創建は菅公の四男淳茂公であるが、戦国時代になって豊臣秀吉の播磨侵攻により焼かれた。
 その後江戸時代になって、家康の息女で姫路城主池田輝政の側室督姫の寄進により再建された。
 以後幕府から朱印状を賜っている。

 曽根天満宮にお参りしたことで、この「曽根駅」のミニ探索を終了した。

JR神戸線34・宝殿駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から33番目の兵庫県高砂市の「宝殿駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cyIMG_7651 (2)

 「宝殿駅」で下車する。
 駅名の「宝殿」はこのエリアにある「石の宝殿」に因んだものである。
 駅前には商店街「宝殿商店連合会」が南西方向へと延びている。
    2011cyIMG_7662.jpg  2011cyIMG_7653.jpg  2011cyIMG_7652.jpg

 駅前には、「尉と姥(じょうとうば)」の像がある。
 謡曲「高砂」の原点で、かつて結婚式などで良く歌われたその「高砂」で、高砂市からの発祥である。
         2011cyIMG_7655.jpg  2011cyIMG_7656.jpg

 駅前ロータリーの西にある真っ直ぐ西へ延びる街道を進むと、左手に総合運動公園を見て、法華山谷川を渡る。
 正面は「石の宝殿」であるが、川沿いの景色を見てみる。
 川を挟んで東側は体育館、西側は勤労福祉財団の「ふれあいの郷 生石(おおしこ)」が建っている。
         2011cyCIMG3995.jpg  2011cyCIMG3994.jpg

 元の直線街道を西の丘へと進むと、神社の鳥居がある。
 「生石(おおしこ)神社」である。
 石段を昇る。
         2011cyCIMG3996.jpg  2011cyCIMG3998.jpg

 社号柱と拝殿である。
         2011cyCIMG4000.jpg  2011cyCIMG3999.jpg

 拝殿を潜ると、石の宝殿が現れる。
    2011cyCIMG4003.jpg  2011cyCIMG4004.jpg  2011cyCIMG4007.jpg


 突出部もある。
         2011cyCIMG4005.jpg  2011cyCIMG4006.jpg

 「石の宝殿」横に上りの石段がある。
 上ると宝殿と本殿が見下ろせる。
         2011cyCIMG4008.jpg  2011cyCIMG4009.jpg

 尚、神社本殿の祭神は、大穴牟遅命、少毘古那命を主祭神とし、配祀は大国主大神、生石子大神、粟嶋大神、高御位大神とのことである。
 また神社は、崇神天皇の時代、国内に疫病が流行していたとき、石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたことから、現在地に生石神社が創建されたとしている。

 宝殿山の頂上は石の原となっていて、大正天皇行幸碑がある。
         2011cyCIMG4015.jpg  2011cyCIMG4014.jpg

 頂上から、遠くには宝殿駅方向が、下には運動公園のグラウンドが見え、南に続く石の山肌が見える。
    2011cyCIMG4023.jpg  2011cyCIMG4017.jpg  2011cyCIMG4019.jpg

 神社境内に戻る。
 境内には、「霊石」、五連の境内社の祠、そして親子カエルなどが祀られている。
    2011cyCIMG4021.jpg  2011cyCIMG4022.jpg  2011cyCIMG4024.jpg

 境内から南方向に下山する。
 そこにも鳥居と国の史跡であることを示す「史蹟 石宝殿」の碑が建つ。
         2011cyCIMG4026.jpg  2011cyCIMG4025.jpg

 そして下山した所で、「宝殿駅」のミニ探索を終了した。

JR神戸線33・加古川駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から32番目の兵庫県加古川市の「加古川駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cxIMG_7639 (2)

 「加古川駅」で下車する。
 駅の正面からアーケード庇の商店街「ベルデモール」が始まる。
    2011cxIMG_8273.jpg  2011cxIMG_7640.jpg  2011cxIMG_2316.jpg

 アーケードの下を進む。
 右手に加古川最大のアーケード商店街「寺家町」の入り口もある。
    2011cxIMG_2311.jpg  2011cxIMG_2310.jpg  2011cxIMG_2307.jpg

 アーケードの下に「かつめし」の可愛いモニュメントがある。
 これにつられ、「かつめし」での腹ごしらえをした。
 「かつめし」は店によって違うのであろうが、この店ではカツライスにデミグラスソースをかけて、キャベツを添えたものであった。
         2011cxP1080544.jpg  2011cxP1080538.jpg

 さあ、目的地の「鶴林寺」へと向かう。
 「鶴林寺」は、古代に聖徳太子が開基し、現在は天台宗の大寺院である。
 創建当初は「四天王寺聖霊院」と云われ栄えたが、その後荒廃した。
 そして平安時代に刀田(とた)山鶴林寺と改められ、そのころから現存する多くの堂宇が再建され始めたといわれているている。

 戦国時代には、多くの寺が焼かれたが、この寺は黒田職隆(もとたか)、黒田官兵衛親子の説得により、織田信長に所領を差し出したため、戦火を免れている。
 鶴林寺は播磨の法隆寺とも呼ばれ、堂宇の多くは国宝・重要文化財である。

 先ずは南向きの仁王門がある。
 江戸時代の建築である。
    P1030823_convert_20160625064129.jpg  P1030875_convert_20160625064542.jpg  P1030874_convert_20160625064518.jpg

 その先は広い境内である。
 先ずは三重塔が目立つ。近年内部の火災があり、修復されたものである。
 その手前には重文の行者堂がある。
    P1030871_convert_20160625064423.jpg  P1030872_convert_20160625064452.jpg  陦瑚€・・convert_20160625064727


 その先進むと国宝の本堂である。
 堂内には、重要文化財の薬師三尊像と二天像が祀られている。
    P1030827_convert_20160625064149.jpg  P1030866_convert_20160625064403.jpg  P1030863_convert_20160625064339.jpg

 本堂の左手には、常行堂、新薬師堂、講堂がある。うち常行堂は重文である。
    蟶ク陦悟・convert_20160625064820  譁ー阮ャ蟶ォ蝣・convert_20160625064841  隰帛・convert_20160625064756

 また本堂の左手には、国宝の太子堂、重文の鐘楼がある。
 太子堂には重文の堂内には本尊釈迦三尊像が祀られている。
         P1030847_convert_20160625064213.jpg  P1030859_convert_20160625064256.jpg

 更に右手には、観音堂と重文の護摩堂がある。
 そして観音堂前の池の小島に弁財天が祀られている。
    隕ウ髻ウ蝣・convert_20160625064629  隴キ鞫ゥ蝣・convert_20160625064701  P1030855_convert_20160625064233.jpg

 また、鶴林寺の周囲は公園として整備されていて、C11型のSLが展示されている風景も見られる。
         2011cxP1030881.jpg  P1030882_convert_20160625064606.jpg

 「鶴林寺」はこのくらいにして、駅方向へと戻る。
 途中に、昭和初期に建造された加古川公会堂を転用した「加古川図書館」、「ニッケパークタウン」、そして加古川を眺めて、「加古川駅」のミニ探索を終了したのであった。
    2011cxCIMG0089.jpg  2011cxIMG_2275.jpg  2011cxCIMG0084.jpg

JR神戸線32・東加古川駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から31番目の兵庫県加古川市の「東加古川駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cwIMG_7666 (2)

 「東加古川駅」で下車し、北口から駅舎を出る。
    2011cwIMG_7715.jpg  2011cwIMG_7713.jpg  2011cwIMG_7711.jpg

 ロータリーから前の道路を北西へと歩く。
         2011cwIMG_7709.jpg  2011cwIMG_7710.jpg

 そして北東へと歩き、加古川バイパスを潜り少し歩くと、「横蔵寺(おうぞうじ)」という古刹の参道入口に到達する。
 「横蔵寺」は、白雉年間に法道仙人により開基され、平安時代には光孝天皇の祈願所となり、宇多天皇が譲位の後、出家して寛平法皇となってからは、法皇の潜邸として栄えた寺である。
 戦国時代には、羽柴秀吉による三木城攻めの際、伽藍諸坊ことごとく炎上し、一堂一坊を残すのみとなり、元禄年間に姫路市景福寺 然室尖郭和尚の開山として真言宗より曹洞宗に改宗したとされている寺院である。
 そして、播磨西国三十三箇所観音霊場第29番札所でもある。
    2011cwIMG_7670.jpg  2011cwIMG_7671.jpg  2011cwIMG_7674.jpg

 参道右手に地蔵堂を見て山門を潜る。
         2011cwIMG_7675.jpg  2011cwIMG_7677.jpg

 山門を潜ると、直ぐの左手には鐘楼堂、右手には鎮守堂がある。
         2011cwIMG_7678.jpg  2011cwIMG_7679.jpg

 境内正面には、左に本尊釈迦如来の本堂、右に十一面千手千眼観音の観音堂が祀られている。
    2011cwIMG_7703.jpg  2011cwIMG_7691.jpg  2011cwIMG_7680.jpg

 そして観音堂の右手に、西国三十三ヶ所の観音石仏が祀られている。
         2011cwIMG_7685.jpg  2011cwIMG_7686.jpg

         2011cwIMG_7690.jpg  2011cwIMG_7701.jpg

 観音堂前には花山法皇旅姿の石像、そして右奥には開山堂が祀られている。
         2011cwIMG_7696.jpg  2011cwIMG_7687.jpg

 その他、珍しい形の廻し七福神、
         2011cwIMG_7697.jpg  2011cwIMG_7698.jpg

 水子地蔵、可愛い地蔵も祀られている。
         2011cwIMG_7700.jpg  2011cwIMG_7695.jpg

 境内は以上であるが、山門前の左手に「横倉城跡」があり、土塁と堀跡とされている。
 加古川誌によると別所頼清の後裔である野口新十郎の小城であったが、秀吉の三木城攻めの時に寺もろとも炎上したとされている城跡である。
         2011cwIMG_7706.jpg  2011cwIMG_7707.jpg

 そしてこの地点で「東加古川駅」のミニ探索を終了した。

JR神戸線31・土山駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から30番目の兵庫県加古郡播磨町の「土山駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cvIMG_7775 (2)

 「土山駅」下車する。
 ホームから外を眺めると、「播磨町」の町名標識が見える。
 ホームの一部は明石市であるが、駅舎は「播磨町」に所属する駅である。
 駅舎は陸橋上の2階にあり、線路を見下ろすと丁度、貨物列車が走り抜けるところであった。
    2011cvIMG_7814.jpg  2011cvIMG_7816.jpg  2011cvIMG_7719.jpg

 駅舎の外へと出て、駅舎を眺めて見る。
 ロータリーには、望楼のような古代の建物が設置されている。
         2011cvIMG_7720.jpg  2011cvIMG_7721.jpg

 駅前で案内図を見てみると、古代の遺跡「大中遺跡」があるとのことである。。
 そこへ行く遊歩道も整備されていて、「であいのみち」と云う。
    2011cvIMG_7725.jpg  2011cvIMG_7726.jpg  2011cvIMG_7728.jpg

 「であいのみち」を進む。
 同じような雰囲気の道であるが、しばらく行くと「野添北公園」の傍を通る。
 公園へと入ってみる。広場が目に付く。
    2011cvIMG_7729.jpg  2011cvIMG_7733.jpg  2011cvIMG_7737.jpg

 遊具もある。また公園の向こうに寺院があるのであろう、五重塔が見える。
 また茶室のようなものもある。
         2011cvIMG_7740.jpg  2011cvIMG_7745.jpg

 池があり、回遊式の庭園となっている。
         2011cvIMG_7749.jpg  2011cvIMG_7746.jpg

 公園の隣の寺院を訪ねてみる。
 「高野山真言宗 圓満寺」と云う寺名である。
 山門も立派である。
 山門を潜って進む。
    2011cvIMG_7752.jpg  2011cvIMG_7765.jpg  2011cvIMG_7753.jpg

 先ずは五重塔である。
 「播磨五重塔」、「舎利宝塔」と云われる。
 平成5年の竣工とのことである。
    2011cvIMG_7756.jpg  2011cvIMG_7761.jpg  2011cvIMG_7767.jpg

 本堂、本尊は「聖観音」である。
 そして「茶之寿観音」である。
         2011cvIMG_7758.jpg  2011cvIMG_7755.jpg

 他にも、「地蔵尊」、「髪塚」などが所狭しと祀られている。
         2011cvIMG_7757.jpg  2011cvIMG_7759.jpg

 「圓満寺」の由緒は、弘法大師空海が修行のため全国を行脚の砌り、この里の路傍 に奇瑞を感じ、その地を錫杖でトンと突いたところ光明遍照と光り輝く岩 が出現し、この地を信仰の拠点と定め、遍照山無量寿院が建立された。
 そして「圓満寺」は無量寿院の元塔頭寺院として、継がれているとのことである。

 「圓満寺」を後にして、次の「野添であい公園」へと行く。
 休憩スペースがある公園である。
 また公園から、先ほどの「圓満寺」の堂宇が一列に並んだ形で良く見える。
 そして公園の傍の「であいのみち」を更に進む。
    2011cvIMG_7768.jpg  2011cvIMG_7770.jpg  2011cvIMG_7771.jpg

 喜瀬川に架かる歩道橋「ふるさと橋」に出る。
 この橋を渡るが、橋の上流、下流の風景である。
    2011cvIMG_7772.jpg  2011cvIMG_7807.jpg  2011cvIMG_7806.jpg

 橋を渡ると「大中遺跡の入り口である。
 木立の中を進む。
         2011cvIMG_7777.jpg  2011cvIMG_7778.jpg

 古代住居の復元が現れる。
 結構広い場所である。甲子園球場2つ分とのことである。
    2011cvIMG_7780.jpg  2011cvIMG_7783.jpg  2011cvIMG_7786.jpg

    2011cvIMG_7787.jpg  2011cvIMG_7788.jpg  2011cvIMG_7792.jpg

 この遺跡は、昭和37年に地元の中学生3人組が大量の土器片を発見したことに端を発しているとのことである。
 時代は弥生時代末期から古墳じだいのものとのことである。

 復元住居の南側に、先ずは「播磨町郷土資料館」が設けられている。
         2011cvIMG_7794.jpg  2011cvIMG_7793.jpg

 資料館の浦横に「別府(べふ)鉄道の機関車が静展示されている。
 廃線になった鉄道であるが、元々は別府港にあった日本初の人造肥料を開発した多木化学が、自社製品の輸送のために敷設した路線とのことである。
    2011cvIMG_7795.jpg  2011cvIMG_7796.jpg  2011cvIMG_7798.jpg

 その廃線跡が、今回辿ってきた「であいのみち」である。
 また喜瀬川には、歩道橋の位置に鉄橋が架かっていたとのことである。

 更に隣には、参加体験型の「兵庫県立考古博物館」が設置されている。
 展望塔もあり、遺跡を俯瞰することができるとのことである。
    2011cvIMG_7803.jpg  2011cvIMG_7802.jpg  2011cvIMG_7800.jpg

 「であいのみち」はここまでである。
 そしてこの地点で「土山駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR神戸線30・魚住駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から29番目の兵庫県明石市の「魚住駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cuIMG_7820 (2)

 「魚住駅」で下車する。
    2011cuIMG_7825.jpg  2011cuIMG_7823.jpg  2011cuIMG_7824.jpg

 この魚住には、駅から2km弱の南ではあるが、海岸縁に住吉神社の創始と云われる「住吉神社」が祀られているので行ってみる。
 途中に山陽電車の「山陽魚住駅」を過ぎる。
 そして、住吉神社の北からの裏参道へと到着する。
    2011cuP1040118.jpg  2011cuP1040095.jpg  2011cuP1040097.jpg

 境内を横目で眺め、杜の中をさ更に南へと行く。
 海岸に到着すると、常夜灯、そして東に魚住港が見える。
         2011cuP1040114.jpg  2011cuP1040117.jpg  

 振り返り、常夜灯、鳥居を眺める。
 この辺りは、神功皇后がきらびやかな着物を掛けたことから錦ヶ浦と呼ばれ、常夜灯の他に万葉歌碑、
    「往きめぐり 見とも飽かめや 名寸隅の 船瀬の浜に しきる白波」
                             (笠朝臣金村)
も建てられている。
    2011cuP1040116.jpg  2011cuP1040115.jpg  2011cuP1040111.jpg

 鳥居を潜ると先ずは神門、そして見事な楼門、その先に能舞台がある。
    2011cuP1040110.jpg  2011cuP1040109.jpg  2011cuP1040108.jpg
 能舞台は初代明石藩主小笠原忠政が建てたものである。

 その先は拝殿・本殿と繋がる。
    2011cuP1040107.jpg  2011cuP1040099.jpg  2011cuP1040106.jpg

 本殿は4本殿が横一列に並んでいる。
 4つの本殿にはそれぞれ、住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と神功皇后が祀られている。
    2011cuP1040098.jpg  2011cuP1040101.jpg  2011cuP1040104.jpg

 この住吉神社は、神功皇后が三韓征伐への海路にて播磨灘にて暴風雨に遭い、一時この浜に上陸し住吉大神に海上安全を祈願したもので、最初の住吉神社と云われている。

 神功皇后が、三韓征伐を果たし無事帰国して、摂津国に住吉大社を創建したことは良く知られているが、住吉大神達は元の播磨灘に戻りたいとのことから、雄略天皇の時代にこの地に住吉神社が創建されたとの由緒がある。

 また、この近くには、初期の魚住城があったと云われているが、場所が特定できないのは残念である。
 そしてこの地点で、「魚住駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR神戸線29・大久保駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から28番目の兵庫県明石市の「大久保駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011ctIMG_0594 (2)

 「大久保駅」で下車する。
 駅舎の南西側はショッピングビルなどがあるが、北東側から出る。
    2011ctIMG_3575.jpg  2011ctIMG_3573.jpg  2011ctIMG_0591.jpg

 駅から北方向に「大窪八幡宮」が祀られているのでそれを訪ねてみる。
 駅から北方向へと延びる県道の一本東側の道が参道のようなのでこれを北へと歩く。
         2004IMG_0560.jpg  2004IMG_0561.jpg

 突き当りが神社の社頭であり、古い鳥居の柱を活用したと思われる社号柱が建つ。
         2004IMG_0562.jpg  2004IMG_0564.jpg

 そして石の鳥居が建つ。
         2004IMG_0565.jpg  2004IMG_0566.jpg

 鳥居を潜ると、中央に石畳が続く境内である。
 その入り口付近には、寛政年間の灯篭も建つ。
    2004IMG_0567.jpg  2004IMG_0571.jpg  2004IMG_0570.jpg

 右手には、地車庫や社務所が建つ。
         2004IMG_0574.jpg  2004IMG_0575.jpg

 そして突き当りは拝殿である。
 拝殿の両手前には、一対の狛犬が祀られている。
    2004IMG_0572.jpg  2004IMG_0577.jpg  2004IMG_0576.jpg

 また拝殿内の拝所の両側頭上には武者絵(那須与一、宇治川の先陣)が掲げられている。
         2004IMG_0578.jpg  2004IMG_0580.jpg

 拝殿の背後は本殿である。
 本殿の祭神は八幡大神(仲哀天皇、応神天皇、神功皇后)、天照大神、春日大明神、天満大神とされている。
         2004IMG_0581.jpg  2004IMG_0584.jpg

 この神社の由緒は、兵庫県神社庁のページによると、寛永7年(1630年))、豊前国宇佐より八幡大神の分霊を勧請し、同年、明石城主小笠原忠政が一町二反五畝の黒印領を寄せ、以来、累代十五石の黒印領を捧げたものである。

 広い境内であるが、境内社は少ない。
 荒神社一社のみである。
    2004IMG_0588.jpg  2004IMG_0587.jpg  2004IMG_0582.jpg

 そして玉垣の外から神社の境内を眺め、西側のバス通りから「大久保駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。
         2004IMG_0589.jpg  2004IMG_0590.jpg

JR神戸線28・西明石駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から27番目の兵庫県明石市の「西明石駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011csIMG_0270 (2)

 「西明石駅」で下車する。
 「西明石駅」は山陽新幹線と交差する駅で、乗換駅でもある。
 また車両基地でもあり、この駅を起終点とする列車も多い。
         2011csIMG_3567.jpg  2011csIMG_0272.jpg

 駅から山陽新幹線の高架線路に沿って東へ10分程度の所に鎮座する「鳥羽八幡神社」を訪ねてみる。
 社頭は南向き、新幹線の高架線路向きで、社頭には石の鳥居、社号標柱が建つ。
    2004IMG_0280.jpg  2004IMG_0279.jpg  2004IMG_0281.jpg

 鳥居を潜ると広い境内である。
 石畳参拝道の脇に寛政年間(18世紀末ごろ)の灯篭も建っている。
    2004IMG_0285.jpg  2004IMG_0287.jpg  2004IMG_0286.jpg

 正面は一段と高い拝殿である。
 また拝殿の石段脇には一対の狛犬が祀られている。
    2004IMG_0288.jpg  2004IMG_0290.jpg  2004IMG_0291.jpg

 拝殿の背後は本殿である。
         2004IMG_0293.jpg  2004IMG_0301.jpg
 本殿の祭神は、神社の由緒盤によると、仲哀天皇、應神天皇、息長足姫命(神功皇后)である。
 但し兵庫県神社庁のページには、主祭神は少童海命(ワタツミノミコト)と書かれている。

 鳥羽八幡神社の創建は、これも神社庁のページによると、平家滅亡の前年の元暦元年(1184年)とされている。

 境内社として、先ずは玉取稲荷神社である。
    2004IMG_0295.jpg  2004IMG_0296.jpg  2004IMG_0297.jpg
 
 そして、大歳社、天満宮、石の祠群である。
 また金比羅宮の遥拝所も設けられている。
         2004IMG_0292.jpg  2004IMG_0294.jpg

         2004IMG_0298.jpg  2004IMG_0289.jpg

 境内の拝殿や社務所などの社殿の風景である。
 合わせて新幹線の高架線路を眺めたものである。
    2004IMG_0299.jpg  2004IMG_0300.jpg  2004IMG_0304.jpg

 神社から駅へと戻る方向へと進む。
 住所地は「松の内1丁目」である。
 途中に「Mきしめん」という店がある。
 明石にきしめんとは珍しいので入ってみた。
 そしてきしめんを頂いて、「西明石駅」のミニ探索を終了したのであった。
    2011csIMG_0305.jpg  2011csIMG_0278.jpg  2011csIMG_0276.jpg

JR神戸線27・明石駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から26番目の兵庫県明石市の「明石駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011crIMG_4759 (2)

 「明石駅」に到着すると、北側に明石城の櫓が見える。
 明石城につられて、先ずは駅舎の北側へと出る。
    2011crIMG_7832.jpg  2011crIMG_7724.jpg  2011crIMG_7830.jpg

 駅前の道路を西へと行くと、南側に長屋門が建っている。
 明石藩家老の織田家の長屋門である。
 明石城の築城前の城であった船上城(ふなげじょう)から移築されたものとされている。
 道路の北側は外堀である。外堀の西側、東側の風景である。
    2011crCIMG3133.jpg  2011crCIMG3146.jpg  2011crCIMG3135.jpg

 外堀には白鳥も浮かぶ。石垣も一部が見える。
 外堀を渡り、城内へと入ると、門跡の石垣もある。
    2011crCIMG3131.jpg  2011crCIMG3136.jpg  2011crCIMG3145.jpg

 進んで行くと、櫓の下の広場へと出る。
 左側が坤櫓、右側が巽櫓である。
 そして、坤櫓は伏見城から、巽櫓は船上城から移築されたもので、両方とも重要文化財である。
    2011crCIMG3143.jpg  2011crCIMG3141.jpg  2011crCIMG3142.jpg

 明石城は江戸初期に小笠原忠真が藩主として築城し、入城したものである。
 またその際には、剣豪宮本武蔵が城下の町割りをしたと云い伝えられている。
 小笠原氏はその後九州小倉に移封となり、何度か藩主が変わったが、最終的には越前松平氏が藩主となり、明治まで続いて廃城となった。

 城跡は国の史跡となっている。
 また城域には、野球場や陸上競技場などもあり、公園として市民の交流や憩いの場となっている。


 今度は駅舎の南側へ行く。
 先ずは駅前広場から南へと行き、国道2号線まで出ると、銀座通りの両側に「明石銀座商店街」のアーケード庇がある。
    2011crIMG_0361.jpg  1908IMG_7731.jpg  1908IMG_7735.jpg

 「明石銀座」を進んで行くと、右手に「魚の棚」の入り口が見える。
 本町通りと交差したところで「明石銀座」は終わりである。
 交差点の向こうに明石焼きの店もある。
    1908IMG_7736.jpg  1908IMG_7783.jpg  1908IMG_7784.jpg

 銀座通りを戻る。
 途中に「魚の棚」の弁天通りの入り口があるので、覗いてみる。
    1908IMG_7741.jpg  1908IMG_7747.jpg  1908IMG_7748.jpg

 弁天通りの右折れ個所の明石焼きの行列店もある。
 そして右折れして「魚の棚」本通りに合流する。
         1908IMG_7750.jpg  1908IMG_7749.jpg

 「魚の棚」の東ゲートまで戻る。
 「魚の棚」の探索である。
    1908IMG_7737.jpg  1908IMG_7738.jpg  1908IMG_7743.jpg

 賑やかな商店街である。
 やりようによっては、現在でもこのようなアーケードができるという感銘を受けた次第である。
 明石焼きの店には行列ができている。
    1908IMG_7744.jpg  1908IMG_7745.jpg  1908IMG_7746.jpg

 うおんたな400年の幟が所狭しと並んでいる。
 「魚の棚」の歴史は、明石城築城時に遡る。 それで400年である。
 築城時に宮本武蔵による町割りが行われた。
 東魚町と西魚町ができ、東は鮮魚を、西は塩干を主としていたが、その後西は荒廃し、東が今の形で生きているとのことである。

 魚の棚を更に進む。
 やはり明石焼きの店には行列があり、西のゲートが近づく。
    1908IMG_7752.jpg  1908IMG_7754.jpg  1908IMG_7758.jpg

 途中に錦通りが分かれている。
 辿ってみると、国道2号線を渡る陸橋へと繋がっている。
    1908IMG_7755.jpg  1908IMG_7810.jpg  1908IMG_7809.jpg

 本通りの西ゲートとなった。
 再来を願った文言も見られるのは、アーケード街では珍しい。
 総延長で400m強の「魚の棚」であった。
         1908IMG_7759.jpg  1908IMG_7762.jpg

 西ゲートの前の道路は明淡通りである。
 南へ向かうと明石港の乗船場がある。 
 連絡船は淡路島の岩屋港とを結んでいる。
    1908IMG_7771.jpg  1908IMG_7768.jpg  1908IMG_7770.jpg

 明石港まで来たところで、「明石駅」の北側・南側を探索したことになった。
 この時点でミニ探索を終了する。

JR神戸線26・朝霧駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から25番目の兵庫県明石市の「朝霧駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cqIMG_7867 (2)

 JR神戸線は「須磨駅」から、「塩屋駅」、「垂水駅」、「舞子駅」と、この「朝霧駅」までは海岸べりの駅が並んでいる。
 また線路は、国道2号線と平行して敷かれている。

 「朝霧駅」で下車する。
    2011cqIMG_3562.jpg  2011cqIMG_7833.jpg  2011cqIMG_7851.jpg

 駅の直ぐ東側に海岸に向けて歩道橋が設置されている。
 国道2号線、国道28号線を越え、「大蔵海岸」へと出る歩道橋である。
    2011cqIMG_7837.jpg  2011cqIMG_7842.jpg  2011cqIMG_7843.jpg

 歩道橋を渡り終える右手に慰霊碑「想」が祀られている。
 今から19年前の2001年のこの場所で、花火見物の行き帰りの群衆が行き詰まり群衆雪崩が発生し、9名もの死亡者が発生した事故の現場である。(合掌・・・)
         2011cqIMG_7844.jpg  2011cqIMG_7865.jpg

 また歩道橋のこの南端からは、明石海峡大橋と淡路島が良く見える。
    2011cqIMG_7838.jpg  2011cqIMG_7841.jpg  2011cqIMG_7846.jpg

 また砂浜では、人の集まりが見える。
 よく見ると、ビーチバレーを楽しむ人達である。
 そして北には、「朝霧駅」が見える。
    2011cqIMG_7847.jpg  2011cqIMG_7850.jpg  2011cqIMG_7851.jpg

 歩道橋を下へと降り、歩道橋を眺めて見る。
    2011cqIMG_7854.jpg  2011cqIMG_7858.jpg  2011cqIMG_7859.jpg

 砂浜からの、明石海峡大橋、淡路島の風景である。
         2011cqIMG_7860.jpg  2011cqIMG_7856.jpg

 何度見ても見飽きないが、歩道橋の上へと戻る。
 もう一度、大橋を眺めて見る。
 そして、真下には堀江謙一氏のヨット「マーメイドⅡ号」が展示されているのを見つけた。
    2011cqIMG_7864.jpg  2011cqIMG_7861.jpg  2011cqIMG_7862.jpg

 そして陸橋を駅へと戻り、「朝霧駅」のミニ探索を終了したのであった。

JR神戸線25・舞子駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から24番目の神戸市垂水区の「舞子駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cpIMG_3555 (2)

 「舞子駅」で下車する。
 ホームの上には、「神戸淡路鳴門自動車道」が通っている。
    2011cpIMG_3557.jpg  2011cpIMG_3561.jpg  2011cpIMG_8966.jpg

 JR駅の北には山陽電鉄の「舞子公園駅」がある。
 山陽駅の前から高速道路を潜って東へと向かう。
         2004IMG_8990.jpg  2004IMG_8969.jpg

 高速道路を潜ると公園である。
         2004IMG_8967.jpg  2004IMG_8970.jpg

 公園前を通り過ぎると住宅街の中に神社の参道がある。
 参道口は南向きで、参道は北へと向かう。
         2004IMG_8985.jpg  2004IMG_8984.jpg

 神社は「舞子若宮神社」と云う。
 神社社頭には注連縄柱が建てられている。
 そして左右の台の上に狛犬が祀られている。
    2004IMG_8971.jpg  2004IMG_8975.jpg  2004IMG_8974.jpg

 そして本殿である。
    2004IMG_8976.jpg  2004IMG_8980.jpg  2004IMG_8979.jpg
 本殿の祭神は應神天皇、仁徳天皇である。

 神社の創建については不明であるが、この神社の地は元々、西舞子の「六神社」のお旅所であったとのことである。

 本殿の右横に「稲荷神社」が祀られている。
         2004IMG_8977.jpg  2004IMG_8978.jpg
 
 小さな神社である。
 神社は公園の中にあるが、更にこの公園の中には、登録有形文化財の「旧木下家住宅」がある。
         2004IMG_8982.jpg  2004IMG_8983.jpg

 そして駅へと戻り、明石海峡大橋、淡路島を眺め、「舞子駅」のミニ探索を終了したのであった。
         2004IMG_8986.jpg  2004IMG_8991.jpg

JR神戸線24・垂水駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から23番目の神戸市垂水区の「垂水駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011coIMG_9727 (2)

 「垂水駅」下車する。
 駅ホームに隣接した南に神社が見える。
 先ずは駅舎の南に出て見る。
    2011coIMG_3550.jpg  2011coIMG_3554.jpg  2011coIMG_8894.jpg

 神社の社頭は南の海側である。
 回り込んでみる。
 式内社名神大社そして播磨三大社の「海(わたつみ)神社」である。
 
 海神社の創建についても、先の生田神社、長田神社、廣田神社と似たりである。
 神功皇后の三韓征伐の帰途、船が垂水沖で進まなくなり、この地に綿津見(わたつみ)三神を祀ったのが創建とされている。
 綿津見三神とは即ち底津綿津見神(そこわたつみのかみ)、中津綿津見神(なかわたつみのかみ)、上津綿津見神(うわわたつみのかみ)のことで、住吉三神も一緒に生まれたと云われている。

 垂水港の近くまで行き、大鳥居を潜り、駅に戻る方向が参道である。
 鳥居の扁額は両面にあり、海側が海神社、山側は綿津見神社と書かれているのも珍しい。
    2011coP1180865.jpg  2011coP1180869.jpg  2011coP1180870.jpg
 
 大鳥居の東側には寶の海神社が鎮座する。
 この神社は、近年、神戸漁業組合によって「平和豊漁繁栄」「漁業操業安全」を祈願し、建立されたもので、金刀比羅大権現を主祭神としている。
 そして、参道を進むと国道2号線を渡ったところで石の鳥居を潜る。
         P1180868_convert_20160130084746.jpg  P1180872_convert_20160130084907.jpg

 その先は、綿津見三神が祀られている拝殿、本殿である。
    P1180858_convert_20160130084624.jpg  P1180859_convert_20160130084647.jpg  P1180861_convert_20160130084706.jpg
 これらの社殿は、駅のホームから眺めた社殿群である。

 また境内には幾つかの境内社が祀られている。
 皇大神社、猿田彦・倉稲魂神社、白龍・黒龍神社 などである。
    P1180875_convert_20160130084926.jpg  P1180876_convert_20160130084946.jpg  P1180878_convert_20160130085008.jpg

 神社を後に、駅の北側へと出る。
 駅舎の北側は山陽電車色が強い。
 駅前を北へと行く。
 道路沿いはアーケード庇の商店街である。
         1909IMG_9708.jpg  1909IMG_9707.jpg

 アーケード庇が切れた右手から、全蓋アーケードの商店街が始まる。
 「垂水センター街」と云う。
    1909IMG_9710.jpg  1909IMG_9712.jpg  1909IMG_9713.jpg

 結構人が集まっている商店街である。
 西のゲートから入ると先ずは「商店街2」である。
    1909IMG_9714.jpg  1909IMG_9715.jpg  1909IMG_9716.jpg

 そして「商店街1」に変わったところの右手に、「垂水廉売市場」がある。
    1909IMG_9717.jpg  1909IMG_9718.jpg  1909IMG_9719.jpg

 そして進むとアーケード商店街は東のゲートへと抜けてしまう。
 抜けたところの左手には垂水小学校がある。
    1909IMG_9720.jpg  1909IMG_9722.jpg  1909IMG_9721.jpg

 南の駅へと戻る方向に進む。
 左側はショッピングセンターのビル、右側はアーケード庇である。
 このアーケードは、「垂水銀座」と名付けられている。
    1909IMG_9723.jpg  1909IMG_9724.jpg  1909IMG_9725.jpg

 垂水センター街は220mの商店街である。
 そして活気溢れる商店街であった。(但し、商店街の取材は昨年の9月のものである)

 「垂水駅」の南側、北側をミニ探索した所で、終了とする。

JR神戸線23・塩屋駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から22番目の神戸市垂水区の「塩屋駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cnIMG_8857 (2)

 神戸市須磨区の「須磨駅」までは旧「摂津国」であったが、「塩屋駅」からは旧「播磨国」となる。
 丁度、須磨浦公園の山頂辺りが旧の国境である。

 「塩屋駅」で下車する。
 コンコースは階上で、駅舎の南には国道2号線が通り、その南は海岸である。

 先ずは駅舎をその南側へと出て、国道に架かる歩道陸橋上から風景を眺めて見る。
 山側には色彩豊かな洋館が並んでいるのが見える。
         2011cnIMG_3548.jpg  2011cnIMG_3545.jpg

 建物の間から海が見える。
 そして国道2号線(西国街道)の東方向、西方向である。
    2011cnIMG_3543.jpg  2011cnIMG_3546.jpg  2011cnIMG_3547.jpg

 次は駅舎の北側である。
 山陽電車の「塩屋駅」の駅舎も並んでいる。
 そしてすぐ西の「塩屋谷川」を渡り、西へと進む。
    2011cnIMG_8856.jpg  2011cnIMG_8858.jpg  2011cnIMG_8859.jpg

 5分程度歩くと「若宮神社」が鎮座している。
 これを訪問してみる。
 社頭は南向きである。
 鳥居を潜り石段を昇る。
 石段を昇り詰めたところが境内である。
    2011cnIMG_8880.jpg  2011cnIMG_8879.jpg  2011cnIMG_8877.jpg


 正面は拝殿、そしてその奥が本殿である。
    2011cnIMG_8860.jpg  2011cnIMG_8864.jpg  2011cnIMG_8866.jpg
 祭神は、主祭神が顕宗(けんぞう)天皇、配祀神は、兄の仁賢天皇、安閑天皇(継体天皇の子息)である。

 境内には幾つかの境内社が祀られている。
 その配置を示す説明盤もある。
 右からなので、先ずは「戎神社」、「梅ヶ崎天満宮」である。
    2011cnIMG_8868.jpg  2011cnIMG_8867.jpg  2011cnIMG_8869.jpg

 そして「三宝荒神」、「石の神様」である。
         2011cnIMG_8870.jpg  2011cnIMG_8871.jpg

 左端の「豊高稲荷大明神」である。
    2011cnIMG_8872.jpg  2011cnIMG_8874.jpg  2011cnIMG_8875.jpg

 これら境内社が祀られているのは、明治になって付近の神社が合祀されたものとされる。

 神社を出て東の「安養寺」前から駅方向へと進む。
    2011cnIMG_8882.jpg  2011cnIMG_8883.jpg  2011cnIMG_8886.jpg

 東方向に、須磨浦公園の山が見える。
 左の白い電波塔が建っている山が旗振山で、摂津国・播磨国の国境を示す石碑が建っているとのことである。
 そして山を眺め、「塩屋駅」のミニ探索を終了したのであった。
               2011cnIMG_8884.jpg

JR神戸線22・須磨駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から21番目の神戸市須磨区の「須磨駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cmIMG_7949 (2)

 「須磨駅」で下車する。
 駅の南側は直ぐ砂浜(須磨の浦)であり、ホームからも良く見える。
         2011cmIMG_7954.jpg  2011cmIMG_7882.jpg

 駅舎の南側へと出て見る。
 先ずは階上からの風景、そして平地の風景である。
    2011cmIMG_7872.jpg  2011cmIMG_7868.jpg  2011cmIMG_7869.jpg

 海を見渡す右手手前には神社が祀られている。
 恵比須神社を主祭神に、猿田彦神社、金比羅神社が合祀されている。
 また神社の鳥居の向こうに見えるのは淡路島である。
    2011cmIMG_7877.jpg  2011cmIMG_7873.jpg  2011cmIMG_7875.jpg

 今度は駅舎の北側へと出る。
 駅ロータリーの北側には国道2号線が通っている。
 その国道の向かいには山陽電鉄の「須磨駅」があり、乗換駅でもある。
         2011cmIMG_7953.jpg  2011cmIMG_7957.jpg

 国道を東へと進む。
 途中の「千守」交差点を左折し、「千森筋」を北上する。
 そして途中の五差路から、北方向へと「須磨寺」の参道が始まる。
    2011cmIMG_7960.jpg  2011cmIMG_7961.jpg  2011cmIMG_7963.jpg

 参道を進み寺へと近づくと、右手に「須磨寺公園」を見て、正面の「龍華橋」を渡り、仁王門を潜り、進む。
    2011cmCIMG0039.jpg  2011cmCIMG0036.jpg  2011cmCIMG0040.jpg

 左手には「源平の庭」がある。
 源平合戦の一場面である平敦盛vs熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭である。
 一ノ谷合戦の際、源氏の熊谷直実が、海上に馬を乗り入れ沖へ逃がれようとする平敦盛を追う場面である。
 その後、2人は須磨の浦にて組み合い、、直実は敦盛の首をはねたとされる。
 敦盛は年16歳で笛の名手であった。哀しい物語である。
    2011cmCIMG0034.jpg  2011cmCIMG0032.jpg  2011cmCIMG0031.jpg

 「須磨寺」の境内には、有名俳人の句も掲示されている。
 与謝蕪村、正岡子規などである。
         2011cmCIMG0033.jpg  2011cmCIMG0041.jpg

 境内の奥の石段を昇る。
 「唐門」を潜ると正面は「本堂」、その左手は「太子堂」である。
    2011cmCIMG0042.jpg  2011cmCIMG0024.jpg  2011cmCIMG0025.jpg
 本尊は聖観音立像で、兵庫区和田岬の海中より出現し、それを祀った「恵偈山 北峰寺」、そして仁和2年にこの地に建立された「上野山 福祥寺」に受け継がれたとされる。
 正式名称は上記「福祥寺」であるが、古くより「須磨寺」として広く親しまれている。

 そして左手(西側)には「三重塔」がある。
    2011cmCIMG0021.jpg  2011cmCIMG0022.jpg  2011cmCIMG0046.jpg

 また、「平敦盛の首塚」、「わらべじぞう」などが祀られている。
    2011cmCIMG0052.jpg  2011cmCIMG0049.jpg  2011cmCIMG0030.jpg

 そして、堂宇が並ぶ境内の南側には、本坊、書院などが並んでいる。
         2011cmCIMG0028.jpg  2011cmCIMG0029.jpg

 この地点で「須磨寺」境内を略一巡したので、「須磨駅」のミニ探索を終了する。

JR神戸線21・須磨海浜公園駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から20番目の神戸市須磨区の「須磨海浜公園駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011clIMG_3538 (2)

 「須磨海浜公園駅」は2008年に開業された新しい駅である。
 その「須磨海浜公園駅」で下車する。
 駅舎の北側、南側の風景である。
    2011clIMG_3528.jpg  2011clIMG_8826.jpg  2011clIMG_3535.jpg

 南側の駅舎の隅には地蔵尊が祀られている。
 そして、南へと向けて「若宮商店街」のゲートがある。
         2011clIMG_8850.jpg  2011clIMG_3537.jpg

 駅前の道を西へと進む。
 大きな交差点へと出て、それを南側(海側)へと進む。
 「須磨海浜公園」の西端へと出る。
 その場所には和田岬から移設された「和田岬灯台」がある。
         2011clIMG_8007.jpg  2011clIMG_8008.jpg

 西を見ると須磨浦公園の須磨山頂が見える。
 ロープウェイ駅の建物も見える。
 また、付近は砂浜が広がる。
    2011clIMG_8012.jpg  2011clIMG_8009.jpg  2011clIMG_8010.jpg

 公園内を東へと進む。
 マストや松林がある。
    2011clIMG_8014.jpg  2011clIMG_8016.jpg  2011clIMG_8018.jpg

 そして海を見ながら進むと、「須磨海浜水族園」の裏手へと出る。
    2011clIMG_8019.jpg  2011clIMG_8020.jpg  2011clIMG_8015.jpg

 水族園のメインの建物の裏手である。
 そして、テントとポールはイルカライブ館の裏手である。
    2011clIMG_8023.jpg  2011clIMG_8024.jpg  2011clIMG_8025.jpg

 右手には、須磨ヨットハーバーの建物が見える。
 そして駐車場との間を北へと進むと広い道路に出る。国道2号線である。
         2011clIMG_8026.jpg  2011clIMG_8033.jpg

 これを西へと進むと、水族園の正面入り口である。
         2011clIMG_8034.jpg  2011clIMG_8037.jpg

 そして国道を北へと渡り駅へと戻る。
 もう一度正面を眺めて見て、「須磨海浜公園駅」のミニ探索を終了したのであった。
         2011clIMG_8038.jpg  2011clIMG_8039.jpg

JR神戸線20・鷹取駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から19番目の神戸市須磨区の「鷹取駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011ckIMG_8908 (3)

 「鷹取駅」、「鷹取町」という名称は、この駅の北にある「高取神社」が鎮座する「高取山」が由来とのことである。
 「鷹取駅」で下車する。
 駅のホームから、その「高取山」を見ることができる。
    2011ckIMG_8112.jpg  2011ckIMG_8113.jpg  2011ckIMG_8115.jpg

 また、ホームからこの駅に隣接するJR貨物の「神戸貨物ターミナル駅」も望める。
         2011ckIMG_8110.jpg  2011ckIMG_8109.jpg

 「鷹取駅」を出る。
 駅舎には蒸気機関車のレリーフが埋め込まれている。
 北側へと貨物駅の下を抜ける通路もある。
    2011ckIMG_8103.jpg  2011ckIMG_8104.jpg  2011ckIMG_8106.jpg

 また駅前の広場中央には、車輪のオブジェも置かれている。
         2011ckIMG_8107.jpg  2011ckIMG_8108.jpg

 ロータリーから駅前の道を南へと進む。
 阪神高速道路も見える。
 そして、途中から西へと向かう。
    2011ckIMG_8105.jpg  2011ckIMG_8101.jpg  2011ckIMG_8100.jpg

 途中に公園がある。
 「鷹取公園」である。
 住所地は「行平町」である。
 この辺りには、在原業平(なりひら)の兄の在原行平(ゆきひら)が都での勢力争いに敗れ、この須磨の地に隠遁したとされ、関係する由来地名の一つである。
    2011ckIMG_8091.jpg  2011ckIMG_8088.jpg  2011ckIMG_8087.jpg

 公園の西には「兵庫県立工業技術センター」も設置されている。
         2011ckIMG_8093.jpg  2011ckIMG_8085.jpg

 北へと進み、一旦線路脇の道へと出る。
 西へ行くと、上に高速道路、下に「妙法寺川」の交差点へと出て、「村雨橋」を渡ると南側は公園である。
 この「村雨」も行平に係る名である。
 また公園は、行平の「衣掛松」に由来する「衣掛公園」と云う。
    2011ckIMG_8086.jpg  2011ckIMG_8084.jpg  2011ckIMG_8080.jpg 

 「衣掛公園」は道路の下の公園である。
 また公園の北側で阪神高速は左へと曲がり、月見山へと向かう。
    2011ckIMG_8079.jpg  2011ckIMG_8081.jpg  2011ckIMG_8078.jpg

 公園には、遊具施設もある。
 二宮金次郎の像や可愛らしい少女像もある。
    2011ckIMG_8077.jpg  2011ckIMG_8074.jpg  2011ckIMG_8073.jpg

 公園を抜けると、阪神高速が大きく曲がっている所に出る。
 若宮ランプである。
 東から来た高速道路がほぼ90度北へと方向を変えるところである。
    2011ckIMG_8065.jpg  2011ckIMG_8066.jpg  2011ckIMG_8067.jpg

 またその下で妙法寺川を東西に渡るのは「若宮橋」であり、橋の西北は「若宮小学校」である。
         2011ckIMG_8071.jpg  2011ckIMG_8064.jpg

 小学校に沿って西へと進む。
 小学校の運動場の西側は公園である。
 手押しの井戸ポンプも飾られている。
    2011ckIMG_8043.jpg  2011ckIMG_8041.jpg  2011ckIMG_8044.jpg

 この辺りの住所地は「若宮町」と云う。
 公園の西には、「若宮」の由来である「若宮神社」が鎮座している。
    2011ckIMG_8045.jpg  2011ckIMG_8046.jpg  2011ckIMG_8047.jpg

 社頭から北へと進み鳥居を潜ると境内である。
 そして正面は拝本殿である。
 この北に鎮座する「弓場八幡神社」があり、明治の初めにその分社として、応神天皇の子・仁徳天皇を祭神とする社をこの地に勧請したのがこの「若宮神社」とされる。
    2011ckIMG_8048.jpg  2011ckIMG_8063.jpg  2011ckIMG_8050.jpg

 境内社も祀られている。
 旭毘沙門天、蛭子神社、高松稲荷大明神、他である。
    2011ckIMG_8054.jpg  2011ckIMG_8055.jpg  2011ckIMG_8056.jpg

 そして「鷹取駅」のミニ探索をこの時点で終了する。

JR神戸線19・新長田駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から18番目の神戸市長田区の「新長田駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cjIMG_9608 (4)
 
 「新長田駅」で下車する。
 長田区は前の兵庫県南部大地震で大きな被害を受けた地域の1つである。
 駅周辺も大きく破壊されたので、その復興具合が気になるところであるが、その不安を払拭する見事な復興ぶりである。
    2011cjIMG_4018.jpg  2011cjIMG_3992.jpg  2011cjIMG_4015.jpg

 南側の駅前広場を眺め、線路沿いに西方向へと進む。
    2011cjIMG_3993.jpg  2011cjIMG_3994.jpg  2011cjIMG_3996.jpg

 次の信号まで進み左折すると商店街のゲートが見えるが、その右手前に鉄人28号のモニュメントがある。
 鉄人28号は神戸出身の漫画家、横山光輝氏のキャラクターで、震災復興と地域活性化のシンボルとしての期待を託し、設置されたもので、再建された商店街を護っている姿が見える。
 その像の左側面、正面の姿である。
    2011cjIMG_4000.jpg  2011cjIMG_3998.jpg  2011cjIMG_4002.jpg

 右斜め前に廻り、左側面も眺めて見る。
         2011cjIMG_4003.jpg  2011cjIMG_4005.jpg  

 像から西へ離れて見ると公園の入り口である。
 公園は「若松公園」と云う。
 児童用の遊具施設もある。
         2011cjIMG_4007.jpg  2011cjIMG_4009.jpg

 像の後ろ側である。
 そして最初に戻って、像の右後ろである。
         2011cjIMG_4010.jpg  2011cjIMG_4013.jpg

 鉄人28号から少し離れ、南方向を見てみると、付近の新しいビルの様子が良く見える。
         2011cjIMG_4011.jpg  2011cjIMG_4012.jpg

 これらビルの間はアーケードの商店街を構成しているので、少し入ってみる。
 鉄人の先のアーケードは「新長田1番街」であり、それを進む。
 幅の広い歩道である。
 ゆったりと買い物ができそうである。
         2011cjIMG_9612.jpg  2011cjIMG_9613.jpg

 少し行くと高速道路と交差する。
 新長田1番街はここまでである。
         2011cjIMG_9615.jpg  2011cjIMG_9616.jpg

 高速道路の下を潜ると、「大正筋商店街」である。
 広い商店街が続く。
    2011cjIMG_9617.jpg  2011cjIMG_9621.jpg  2011cjIMG_9622.jpg

 先ほどの1番街よりは長い商店街である。
 通り抜けてそのまま進むと、近くに「駒林神社」、そして長田港となる。
         2011cjIMG_9629.jpg  2011cjIMG_9632.jpg

 アーケードの出口まで戻る。
 今度は東へ向かうが、そのアーケードは「六間道商店街」である。
    2011cjIMG_9654.jpg  2011cjIMG_9655.jpg  2011cjIMG_9657.jpg

 この「六間道」は、同じく横山光輝氏の「三国志」の通りとして知られている。
 数多くのキャラクターが展示されているが、その一部である。
 そして、地下鉄の「駒ヶ林(こまがばやし)駅」がある。
    2011cjIMG_9658.jpg  2011cjIMG_9659.jpg  2011cjIMG_9660.jpg

 他にも、アーケードは沢山ある新長田であるが、この地点で「新長田駅」のミニ探索を一旦終了することとする。

 尚、余談であるが、この新長田の商店街の中には、神戸の「そばめし」の元祖である「青森」、そして人気店である「ゆき」などがある。
    2011cjP1070297.jpg  2011cjIMG_9696.jpg  2011cjIMG_9695.jpg

JR神戸線18-1・和田岬駅

 JR神戸線からは外れるが、「兵庫駅」から、山陽本線の一部である支線「和田岬線」があり、唯一の駅で終点である「和田岬駅」へと向かっている。
 今回はこの「和田岬駅」の周辺を訪ねてみる。

2011ciIMG_3083 (2)

 「兵庫駅」の下りのホームから、「和田岬駅」行きの列車が停車しているのが見える。
 この和田岬行きのホームへ行くには構内の自動改札口を通ることになるが、行ってみると朝夕のみの運行であり、改札口は閉まっていて、夕方まで電車は動かない。
    2011ciIMG_4027.jpg  2011ciIMG_7531.jpg  2011ciIMG_3133.jpg

 仕方がないので、神戸駅まで移動して、地下鉄にて「和田岬駅」へと行くことにした。
 地下鉄「和田岬駅」で下車し、地上へ上がると広い道路「高松線」の向かいにJRの「和田岬駅」がある。
         2011ciIMG_3084.jpg  2011ciIMG_3085.jpg  

 「和田岬駅」は駅舎も改札も無く、ホームだけの駅である。
 ホームの向こうに見える杜は「和田神社」である。
    2011ciIMG_3088.jpg  2011ciIMG_3087.jpg  2011ciIMG_3089.jpg
 
 駅から住宅内の道路を歩き西方向へと行く。
 途中、笠松商店街を横切り、広い道路「住吉橋線」を横切ると公園へと到着する。
         2011ciIMG_3090.jpg  2011ciIMG_3091.jpg

 「御崎公園」である。
 遊具施設、芝生の広場があり、その向こうにスタジアムが見える。
    2011ciIMG_3096.jpg  2011ciIMG_3097.jpg  2011ciIMG_3095.jpg

 「ノエビアスタジアム神戸」である。
 南東側の正面入り口から反時計回りに一周してみる。
 入り口には、ホームとするJリーグ「ヴィッセル神戸」が掲げられている。
 そしてスタジアムの南側である。
    2011ciIMG_3098.jpg  2011ciIMG_3100.jpg  2011ciIMG_3102.jpg

 次は西側である。
 隙間から内部も見える。
    2011ciIMG_3104.jpg  2011ciIMG_3105.jpg  2011ciIMG_3101.jpg

 北側へと行く。
 内部も見てみる。
 スタジアムの案内板もある。
    2011ciIMG_3111.jpg  2011ciIMG_3108.jpg  2011ciIMG_3118.jpg


 最後に東側へと廻る。
 レストランのようなものもあるようである。
 案内図も掲げられている。
         2011ciIMG_3115.jpg  2011ciIMG_3113.jpg

 このスタジアムは、昭和45年に神戸市立の球技場として設置されたとのことで、その後の改装を経て現在の姿になっているとのことである。

 スタジアムの北側には神戸の市電が静展示されている。
 この車両は神戸で生まれ、市電廃止後は広島で運行され、この地に戻ってきたとのことである。
         2011ciIMG_3116.jpg  2011ciIMG_3117.jpg

 市電展示前から北へと行く。
 神戸百年記念病院がある。
 和田岬線の線路に沿って兵庫駅を向いて歩く。
 途中兵庫運河を渡る回転式の鉄橋が見える。
         2011ciIMG_3120.jpg  2011ciIMG_3123.jpg

 渡っている橋は「材木橋」と云う。
 そして、橋からの南西側の風景である。
         2011ciIMG_3125.jpg  2011ciIMG_3124.jpg

 駅へと向かう。
 途中、元の「神戸工業」の「富士通テン」の本社があるので廻ってみる。
 現在は「デンソーテン」と名称を変えている。
 このデンソーテンの向こうには川崎重工の大きな工場があるが、今回は割愛する。

 そして「和田岬線」の線路を渡り、暫く歩いて「兵庫駅」へと到着したのであった。
    2011ciIMG_3126.jpg  2011ciIMG_3127.jpg  2011ciIMG_3131.jpg

JR神戸線18・兵庫駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から17番目の神戸市兵庫区の「兵庫駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011chIMG_7534 (4)

 「兵庫」と云う地名は、古代からの港であった「兵庫津」に由来する。
 兵庫とは武器庫を意味しており、当初、県の役所がこの兵庫城の跡に置かれたことから、「兵庫県」となったとされる。

 「兵庫駅」で下車する。
 ホームから西側の風景を眺め、駅舎を東側から出る。
    2011chIMG_4020.jpg  2011chIMG_4029.jpg  2011chIMG_7539.jpg

 線路に沿うように北東側へと進むと大きな交差点があり、その向こうに神社が見える。
 「柳原蛭子神社」である。
 大鳥居が建ち、社号柱も建つことから正面参道と思われるが、なぜか社殿の裏側である。
    2011chIMG_7542.jpg  2011chIMG_7543.jpg  2011chIMG_7544.jpg

 神社は、江戸元禄の兵庫津の「寺社改帳」に記されていることから、それ以前には鎮座していたとされている。

 社殿の正面へと廻る。
 社殿正面からは、神楽殿、拝本殿と並ぶ。
 祭神は、蛭子大神、大物主大神(大国様)である。
         2011chIMG_7548.jpg  2011chIMG_7547.jpg

 境内右手奥には、稲荷社、手前には水神社、そしてえびす像が祀られている。
    2011chIMG_7546.jpg  2011chIMG_7549.jpg  2011chIMG_7550.jpg

 神社の北側の道路は「西国街道」である。
 これを東へと辿ると、「大輪田泊跡」や「兵庫城跡」の「兵庫津」の中心地へと行くことができる。
 街道に面して鳥居が建つ。
         2011chIMG_7552.jpg  2011chIMG_7551.jpg

 神社を後に、西国街道を東へと辿り、阪神高速道路を潜り、右折すると「兵庫大仏」で知られる新西国三十三ヶ所の「能福寺」に到着する。
 「兵庫大仏」の看板が上がり、正面に大仏が見える。
         2011chIMG_7569.jpg  2011chIMG_7570.jpg

 能福寺に入ってみる。
 左手には、石碑や石塔が祀られている。
 先ずは、明治維新後の神戸事件で責任を取って割腹自殺した「瀧善三郎正信」の碑、そして平相國廟である。
 平相國廟は、平清盛の廟所で、左に九重石塔、右手に十三重の宝篋印塔が建つ。
    2011chIMG_7572.jpg  2011chIMG_7573.jpg  2011chIMG_7575.jpg

 そして正面には大仏である。
 元々は明治の中頃に建立されたものであるが、戦中の金属類回収令で解体されて国に供出され、一時は無くなっていた。
 現在の大仏は平成3年に再建されたもので、高さは台座を含んで約18mである。
         2011chIMG_7580.jpg  2011chIMG_7594.jpg

 大仏の右隣には本堂がある。
 本堂は月輪影殿で、京都東山の泉涌寺寺域の墓陵にあったものが移築されっとされている。
 その他、鐘楼なども建つ能福寺である。
         2011chIMG_7583.jpg  2011chIMG_7596.jpg

 今度は能福寺の南側の道路「会下山線」を西方向(駅方向)に戻る。
 
 阪神高速を潜る手前右側に神社が鎮座する。
 菅原道真公ゆかりの「柳原天神社」である。
         2011chIMG_7565.jpg  2011chIMG_7555.jpg


 道真公が大宰府に左遷され、その赴任地へ向かう船旅の途中、この兵庫津に上陸した。
 そして丁度この地に咲いていた梅の花を愛で、
  「風さむみ 雪にまかへて 咲く花の 袖にぞ移れ 匂ふ梅が香」
 と詠んだと云われている。

 そして、大宰府で道真公が亡くなった後、大宰府安楽寺の菅公廟より分霊を迎え祀ったのがこの天満宮の始まりである。
    2011chIMG_7561.jpg  2011chIMG_7556.jpg  P1010823_convert_20150524061929.jpg

 境内には、神牛の他、筆塚や珍しいところでは亀の体をした狛亀(?)も祀られている。
    2011chIMG_7559.jpg  2011chIMG_7563.jpg  P1010825_convert_20150524062027.jpg

 鎌倉時代になって、この地に時宗「満福寺」が建立され、以後、僧侶がこの神社を祭祀することで明治初頭まで続いたとされている。
         P1010831_convert_20150524062202.jpg  P1010832_convert_20150524062233.jpg

 そして、「兵庫駅」の東側を一周したこの地点で、ミニ探索を終了した。

JR神戸線17・神戸駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から16番目の神戸市中央区の「神戸駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cgIMG_3949 (3)

 「神戸駅」下車する。
 「神戸駅」ははJR東海道本線と山陽本線の分界点の駅であり、下りホームの中ほどにその表示がある。
         2011cgIMG_7530.jpg  2011cgIMG_3077.jpg

 駅舎の西へと出る。
 駅舎の向こうに、HDC神戸のビル、クリスタルタワーが見える。
 そして北へと進むと、神社の杜が見える。「湊川神社」である。
    2011cgIMG_3983.jpg  2011cgIMG_3984.jpg  2011cgIMG_3982.jpg

 「湊川神社」は、南北朝の南朝の武将である楠木正成を祀る神社である。
 社頭には、社号柱、神門が建つ。
 また神門の左手には、高速神戸鉄道の駅への入り口もある。
    2011cgIMG_3960.jpg  2011cgIMG_3959.jpg  2011cgIMG_3961.jpg

 神門を潜る。
 参道を進み、鳥居を潜ると拝殿に達する。
         2011cgIMG_3962.jpg  1904IMG_2454.jpg

 拝殿前の左右にはには一対の狛犬が配されている。
         1904IMG_2455.jpg  1904IMG_2456.jpg

 その先、拝殿の背後は本殿である。
         1904IMG_2466.jpg  1904IMG_2467.jpg

 本殿には、主祭神の楠木正成の他、配祀神として子の楠木正行(まさつら)、弟の楠木正季(まさすえ)が祀られている。
 加えて正成の妻の滋子を祀る摂社甘南備神社も本殿に合祀されている。
 この神社の社地は、関東の雄の足利高氏が一旦九州まで落ち延びた後、態勢を立て直し、この神戸湊川の地に上陸して、楠木正成との戦いに勝利した所である。

 本殿の左側奥には、楠木正成の殉節地、即ち湊川の戦で自刃した戦没地が祀られている。
    1904IMG_2458.jpg  1904IMG_2459.jpg  1904IMG_2461.jpg

 また、この楠木正成の後醍醐天皇への忠誠を称えた水戸藩水戸黄門(下部写真の右端)が墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立し、現在は神社入り口の神門の直ぐの右手に祀られている。
    1904IMG_2445.jpg  1904IMG_2447.jpg  1904IMG_2443.jpg

 境内には、境内社も祀られている。
 先ずは、本殿の右手に道真公を祀る菊水天満神社 、そして正面参道の右手に楠本稲荷神社が祀られている。
    1904IMG_2463.jpg  1904IMG_2464.jpg  1904IMG_2450.jpg

 神社には東門があり、それを退出すると左手には、レトロとモダンが融合した神戸地方裁判所がある。
 東門から出て、前の通り(東門筋)を駅方向へと下がる。
    2011cgIMG_3979.jpg  2011cgIMG_3978.jpg  2011cgIMG_3981.jpg

 そして駅までは行かずに、多聞通を東へと進み、JRの高架を潜った所で右折すると左手にSLが見える。
    2011cgIMG_3957.jpg  2011cgIMG_3956.jpg  2011cgIMG_3955.jpg

 近づいて見ると「D51(デゴイチ)」である。
 戦時中の1944年の製造とのことで、神戸市が旧国鉄から借用しているとのことである。
    2011cgIMG_3954.jpg  2011cgIMG_3952.jpg  2011cgIMG_3950.jpg

 この場所から神戸駅の東口までは直ぐである。
 「神戸駅」へと戻り、今回のミニ旅を終了したのであった。

JR神戸線16・元町駅

  「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から15番目の神戸市中央区の「元町駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cfIMG_3877 (3)

 「元町駅」で下車し、駅の南側へと出る。
         2011cfIMG_3873.jpg  2011cfIMG_3874.jpg

 駅前は多くの商店が並ぶ繁華街である。
 駅の東側の鯉川筋を南へと進む。
         2011cfIMG_3878.jpg  2011cfIMG_3879.jpg

 通りの東側には、「三宮センター街」の西入り口、西側には「元町商店街」の東入り口、そして正面東に「大丸神戸店」がある。
    2011cfIMG_3880.jpg  2011cfIMG_3882.jpg  2011cfIMG_3881.jpg

 少し進むと右手に「南京町」の東入り口である「長安門」がある。
 入ってみる。
 カラフルで賑やかなところである。
    2011cfIMG_3883.jpg  2011cfIMG_3885.jpg  2011cfIMG_3886.jpg

 中央に広場があり「あづまや」が建っている。
 また広場の西に、豚饅頭発祥の店「老祥記」がある。
         2011cfIMG_3889.jpg  2011cfIMG_3887.jpg

 元の道に戻る。
 道路は「メリケンロード」と名称が変わる。
    2011cfIMG_3890.jpg  2011cfIMG_3891.jpg  2011cfIMG_3892.jpg

 そして「メリケン波止場」の入り口である。
 「神戸税関 萬國波止場」の石碑が建つ。
 住所は「波止場町」である。
 少し入ると「メリケンパーク」の表示がなされている。
    2011cfIMG_3893.jpg  2011cfIMG_3894.jpg  2011cfIMG_3896.jpg

 メリケンパークに入ると正面の植物園カフェの横に大きな魚のモニュメントがある。
 「フィッシュダンス」である。
 そして裏側には花壇がある。
         2011cfIMG_3900.jpg  2011cfIMG_3901.jpg

 東側には、「神戸港震災メモリアルパーク」の壁があり、メリケン波止場一部が倒壊された儘で保存されている。
 兵庫県南部地震を思い起こされるところである。
    2011cfIMG_3904.jpg  2011cfIMG_3905.jpg  2011cfIMG_3902.jpg

 目を南側に移す。
 モアイ像のようなものがある。
 そしてオリエンタルホテル、船着き場には観光船「ルミナス神戸2」が停泊している。
    2011cfIMG_3915.jpg  2011cfIMG_3922.jpg  2011cfIMG_3918.jpg

 中央へと戻る。
 先ずは「海洋博物館」、「ホテルオークラ」、そして「ポートタワー」である。
    2011cfIMG_3908.jpg  2011cfIMG_3925.jpg  2011cfIMG_3927.jpg

 西側の突堤は中突堤と云う。
 「kiss FM KOBE」が入るビル、そして見上げたポートタワーである。
         2011cfIMG_3938.jpg  2011cfIMG_3937.jpg

 中突堤には観光帆船も停まっている。
 また突堤の西側は神戸駅から近い「ハーバーランド」である。
 ハーバーランドの向こう側には神戸駅付近のビルも見える。
 右隅に、風水の思想が取り入れられ、タワー上部中央に風穴が開けられた「クリスタルタワー」も見える。
 波止には観光船「コンチェルト」が停泊している。
    2011cfIMG_3932.jpg  2011cfIMG_3928.jpg  2011cfIMG_3931.jpg

 最後に、ハーバーランド側へと移動して、オリエンタルホテル、そして海洋博物館・ポートタワー・ホテルオークラの揃い踏みを眺め、「元町駅」のミニ探索を終了したのであった。
         2011cfIMG_3944.jpg  2011cfIMG_3945.jpg

JR神戸線15・三ノ宮駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から14番目の神戸市中央区の「三ノ宮駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011ceIMG_7609 (2)

 「三ノ宮駅」で下車する。
 「三ノ宮」という名称であるが、町名やビル名は「三宮」であるのに対し、駅開業の時に読み違えを避けるためにあえて「ノ」を入れた駅名にしたという名残りとのことであり、JRの駅名でのみ使われている。
         2011ceIMG_3871.jpg  2011ceIMG_3848.jpg

 「三ノ宮駅」の周辺であるが、最近大きく変わりつつある。
 それは、阪急駅上に120mの高層ビルが建てられたこと、そごう百貨店が阪急百貨店になったことなどである。
         2011ceIMG_3863.jpg  2011ceIMG_3867.jpg

 阪急駅の北側の通り「サンキタ通り」を西へと進む。
    2011ceIMG_3862.jpg  2011ceIMG_3861.jpg  2011ceIMG_3860.jpg

 南北の「いくたロード」(旧西国街道)と交差し、これを北へと進む。
 右手に歓楽街「東門街」のゲートも見える。
    2011ceIMG_3854.jpg  2011ceIMG_3855.jpg  2011ceIMG_3856.jpg

 更に進むと神社の社頭へと到着する。
 「生田神社」である。
    2011ceIMG_3857.jpg  2011ceIMG_3858.jpg  2011ceIMG_3859.jpg

 「生田神社」は、神功皇后が三韓征伐の帰途、現在の神戸港辺りで船が進まなくなったため神占をしたところ、稚日女尊(わかひるひめのみこと)が現れ、「活田長狭国(いくたながをのくに)に居らむとす」と告げたので、それに従いこの地に祀ったのが創建であると云われている。
 尚、 稚日女尊は天照大神の和魂(にぎみたま)あるいは妹神と云われている神である。

 鳥居を潜ると、右手に大山咋神を祀る松尾神社、左手に猿田彦大神を祀る大海(おおうみ)神社が祀られている。
 松尾神社の由緒には、この生田神社で神酒を醸し、新羅からの国賓をもてなしていたとのことから、生田神社は灘五郷の酒の発祥地であるとの記載がある。
         P1190442_convert_20160127070931.jpg  P1190444_convert_20160127070959.jpg

 正面の赤い鳥居を潜ると見事な楼門がある。
 その楼門の右脇に梶原景季が生田の森での源平合戦の時、この井戸の水を汲んで生田の神に武運を祈ったと伝えられる「梶原の井」がある。
         P1190439_convert_20160127071212.jpg  P1010747_convert_20160127212339.jpg

 楼門を潜ると正面に拝殿、本殿が祀られている。
 尚、祭神は上述の稚日女尊である。
    P1190433_convert_20160127070634.jpg  P1190432_convert_20160127070600.jpg  P1010722_convert_20160127211807.jpg

 境内社として、左手の神池の島に弁財天の市杵島神社(いちきしまじんじゃ)、後ろに蛭子神社などが祀られている。
         P1190429_convert_20160127070350.jpg  P1190431_convert_20160127070526.jpg

 また本殿の背後は生田の森である。
 石柱の背後には「生田の折鳥居」が祀られている。
 この鳥居は江戸時代初期に建立され、安政の大地震で支柱を残して崩壊してしまったもので、笠木島木と礎石が玉垣に囲まれ祀られている。
         P1190430_convert_20160127070445.jpg  P1010737_convert_20160127211959.jpg

 尚、神社によると、神戸の地名の由来は、神社に奉仕する封戸(ふこ)である神戸(かんべ、神社に付属する荘園)が朝廷より与えられ、それが「「こんべ」を経て「こうべ」となったとのことである。

 この「生田神社」の創建に関わる神社が周辺に八社祀られていて、「生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)」と云う。
 何でも素戔嗚尊(すさのおのみこと)と天照大御神(あまてらすおおみかみ)との誓約により生まれた3女神、5男神を祀っているとのことであり、現在は「生田神社」を取り囲むような位置に鎮座している。

 先ずは、中央区山本通1丁目の「一宮神社」、二宮町の「二宮神社」の社頭である。
         2011ceP1190118.jpg  2011ceP1190134.jpg

 続いて、「三宮」の由来となった三宮町に鎮座する「三宮神社」、元町駅の少し北に鎮座する「四宮神社」の社頭である。
         2011ceP1190300.jpg  2011ceP1190345.jpg

 続いて、兵庫区にはなるが山手の五宮町に鎮座する「五宮神社」、そして海側へ下ったところの「六宮神社」が合祀されている「八宮神社」の社頭である。
         2011ceP1190353.jpg  2011ceP1190375.jpg

 そして最後に兵庫区七宮町に鎮座する「七宮神社」の社頭である。
               2011ceP1190401.jpg

 かなり遠くまで足を伸ばしたが、この地点で「三ノ宮駅」のミニ探索を終了する。

JR神戸線14・灘駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から13番目の神戸市灘区の「灘駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011cdIMG_8241 (2)

 「灘駅」で下車し、駅の南側を時計回りに一周してみる。
 駅から南へ進むと、阪神電車の岩屋駅がある。
    2011cdIMG_3511.jpg  2011cdIMG_8242.jpg  2011cdIMG_0336.jpg

 岩屋駅の南側を東へと進み、南への路地を辿ると、「敏馬(みぬめ)神社」の杜になり、西の参道入り口がある。
 もう少し下り、国道2号線・43号線へと出て、東へ行くと神社の社頭へと到着し、社号柱と鳥居が建つ。
    IMG_0334.jpg  2011cdIMG_0290.jpg  IMG_0289.jpg

 「敏馬神社」は、摂津国八部郡の式内社で、同郡の生田神社、長田神社と並ぶ三大神社であり、延喜式では「汶売(みぬめ)神社」と記載されている神社である。

 鳥居を潜ると、右手には稲荷神社と柿本人麻呂の歌碑とその解説碑がある。
    IMG_0293.jpg  IMG_0327.jpg  IMG_0328.jpg
 歌碑には、
 「珠藻(たまも)刈る 敏馬をすぎて 夏草の 野島の埼に 舟近づきぬ 柿本人麻呂」
 と刻されている。

 古代は、この神社は敏馬の浦という岬であった。
 西側の入り江を脇浜村、東側を岩屋、味泥、大石村と云い、今でもその地名が受け継がれている。
 また、白砂清松の海岸線ともなっていて、万葉歌人が多くの歌を詠んだところと云われている。
         IMG_0317.jpg  IMG_0318.jpg

 左側には、閼伽井、三犬女(みぬめ)の清水と云う井戸が祀られている。
 そして、石段の参道が上へと続いている。
    IMG_0330.jpg  IMG_0295.jpg  IMG_0325.jpg

 正面に拝殿が祀られている。
 その手前の石段の両脇に、一対の狛犬が祀られている。
         IMG_0314.jpg  IMG_0315.jpg

 拝殿・本殿である。
 本殿の現在の祭神は、素戔嗚命、天照皇大神、熊野坐大神となっている。
         IMG_0296.jpg  IMG_0313.jpg

 この神社の創建であるが、神功皇后が三韓征伐への出兵の際、神前松原で神集いをした。
 その時に来た能勢の美奴売(みぬめ)山の神が、「わが山にある杉の木を切り、船を造りて新羅へ行かれるなら、幸いするところあり」と云い、その通りにしたところ大勝利を収めたと云われる。

 そして、帰還時にこの地で船が動かなくなったので、美奴売の神をこの地に祀り、船も献上したのが創建である。
 尚、 「みぬめ」は弥都波能売神(みずはのめのかみ)の名より転じたものと云われている。(神社由緒書より抜粋)

 拝本殿の瑞垣の中には、田邊福麻呂の万葉歌碑と反歌碑が置かれている。
         IMG_0310.jpg  IMG_0311.jpg

 また、拝殿に向かって左手には2棟の神輿庫がある。
         IMG_0321.jpg  IMG_0297.jpg

 拝殿に向かって一段と低い所には、奥から弥都波能売神を祀る水神社・奥の宮、神功皇后を祀る后の宮、大山祇神らを祀る松尾社が並んでいる。
    IMG_0308.jpg  IMG_0306.jpg  IMG_0304.jpg

 「敏馬神社」を後に、して正面の国道2号線・43号線を西へと辿り、国道を振り返る。
 写真の陸橋の上から景色を眺めると、阪神高速道路の向こうに㈱神戸製鋼所の本社が見える。
         2011cdIMG_8279.jpg  2011cdIMG_8249.jpg
 
 元の2号線を西へと進む。
 神戸製鋼前に道路を挟んで小さな神社が祀られている。
 「南宮宇佐八幡神社」と表示されている。
         2011cdIMG_8251.jpg  2011cdIMG_8256.jpg

 神社の創建は南北朝時代で、楠木正成の創建とされている。
 鳥居を潜ると拝殿・本殿である。
 本殿の祭神は応神天皇である。
         2011cdIMG_8273.jpg  2011cdIMG_8265.jpg

 この神社は、厄除開運、産業守護、勝利勝運守護の神とされ、脇浜の鎮守・氏神とされている。
 特に神戸製鋼との関係が深いようで、拝殿にはラグビーチームの絵馬、応援幟も掲げられている。
 そして境内からの神戸製鋼本社の眺めである。
    2011cdIMG_8257.jpg  2011cdIMG_8272.jpg  2011cdIMG_8266.jpg

 神社を後にして北東の駅方向へと戻る。
 途中に神戸市の工科高校・科学技術高校の前を過ぎ、右折して「灘駅」へと戻り、今回のミニ探索を終了したのであった。
         2011cdIMG_8284.jpg  2011cdIMG_8283.jpg

JR神戸線13・摩耶駅

 「大阪駅」・「姫路駅」を起終点とする「JR神戸線」の駅を「大阪駅」から順に訪ねてみる。
 今回は「大阪駅」から12番目の神戸市灘区の「摩耶駅」で下車し、付近を探索してみる。

2011ccIMG_3843 (2)

 「摩耶駅」は、2016年に設置された新しい駅である。
 元々は「東灘駅」と云う貨物駅であり、港に向けて貨物線が出ていたとされている。

 「摩耶駅」で下車する。
 駅舎の南側、北側である。
    2011ccIMG_7622.jpg  2011ccIMG_3501.jpg  2011ccIMG_3498.jpg

 2階のコンコースから六甲山側の風景を眺めて見る。
 直下、街並み、摩耶山である。
    2011ccIMG_3503.jpg  2011ccIMG_3505.jpg  2011ccIMG_3507.jpg

 左手にブルーの塔のような看板が見える。
 その看板の所が「水道筋商店街」であるので、その場所へと出かけて見る。

 駅の西側の「西郷川」の川べりを北へと行く。
 山手幹線の北側に「西灘橋」があり、その橋から東へ続く道路が商店街である。
         1909IMG_9459.jpg  1909IMG_9458.jpg

 最初はアーケードはないが、直ぐにアーケードが現れる。
 水道筋商店街である。
    1909IMG_9461.jpg  1909IMG_9463.jpg  1909IMG_9464.jpg

 水道筋の名称は、大正時代に西宮の山手の千刈池から神戸市に水道が通され、その水道管の上に道を作り、商店街としたのがその始まりとされる。

 商店街を進む。
 右手に兵庫県東部では知られる食品スーパーMHもある。
    1909IMG_9466.jpg  1909IMG_9467.jpg  1909IMG_9468.jpg

 更に進む。
 左手にアーケードの分岐がある。
 灘センター商店街と云う。
 途中右手に灘中央市場があり、覗いて見る。
 シャッターが多いのは近年の傾向である。
    1909IMG_9473.jpg  1909IMG_9474.jpg  1909IMG_9475.jpg

 灘センター商店街の緩やか坂道を昇る。
 しかし130mの商店街、直ぐに終点となる。
    1909IMG_9476.jpg  1909IMG_9477.jpg  1909IMG_9478.jpg

 元の水道筋へと戻る。
 そして進む。
 どこの商店街でもそうであるが、野菜店は通路へ思い切りはみ出して商品を並べるのが常道である。
    1909IMG_9480.jpg  1909IMG_9481.jpg  1909IMG_9483.jpg

 更に進むと再び左手へのアーケード分岐がある。
 灘中央筋商店街と云う。 
 分岐アーケードを進む。
 左手に灘中央市場への入り口がある。
 先ほどのセンター街との間が中央市場である。
    1909IMG_9485.jpg  1909IMG_9486.jpg  1909IMG_9487.jpg

 緩やかな坂道を昇る。
 こちらは少し長い約180mのアーケードであるが、終点となる。
    1909IMG_9489.jpg  1909IMG_9491.jpg  1909IMG_9493.jpg

 そして、その先には阪急電車の踏切がある。
 商店街を戻る。
 左手に畑原市場の入り口があり、少し覗いて見る。
 やはりシャッターが多い。良くはわからないが、休業日なのかも知れない。
    1909IMG_9494.jpg  1909IMG_9495.jpg  1909IMG_9496.jpg

 元に戻る。
 そろそろ東側のゲートが近づく。
    1909IMG_9497.jpg  1909IMG_9498.jpg  1909IMG_9499.jpg

 そしてアーケードの外になる。
 アーケード、ノンアーケードを含めて約800mの長い商店街であった。
 そしてこの地点で、「摩耶駅」のミニ探索を終了したのであった。
         1909IMG_9502.jpg  1909IMG_9500.jpg 

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR