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おおさか東線7・高井田中央駅

 「新大阪駅」と「久宝寺駅」を結ぶ「おおさか東線」の各駅を、「久宝寺駅」から順に訪ねている。
 今回はその6つ目の「高井田中央駅」である。

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                            (上図の上は東方向)

 「久宝寺駅」から順に訪ねている「おおさか東線」も、「放出駅」の1つ手前の「高井田中央駅」となった。
 その高井田中央駅で下車する。
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 線路沿いに北方向へと進む。
 途中、旧大和川の長瀬川を渡る。
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 少し行くと、阪府東部流域下水道事務所である「川俣水みらいセンター」の建物が見えて来る。
 この辺りの住所地は「川俣」である。
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 この建物の屋上一帯が「川俣スカイランド」で、案内板もある。
 入り口にエレベーターがあるので、屋上へと登ってみる。
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 エレベーターを降りると、直ぐの左手に「多目的グラウンド」がある。
 野球やサッカーができそうな広さである。
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 グラウンドの横の通路からは東方向正面に生駒山が見える。
 歩いて行くと、次の広い場所へと出る。
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 案内図に記されていた「多目的広場」である。
 何組かのファミリーが遊んでいる。
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 案内図に従って時計回りに屋上を廻ってみる。
 左隣は「芝生広場」である。
 そしてその隣は「水辺の広場」と云う。
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 水辺の広場ではあるが、残念ながら水は流れていない。
 そして幾つかの橋が架かっている。
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 水辺の広場が尽きるあたりで、屋上から外を眺めて見ると電車の基地が見える。
 JR学研都市線の電車がたくさん停留している。
 そして水辺の隣は最も東側の「緑の広場」である。
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 緑の広場からは、元に戻る方向となる。
 途中に「幼児広場」があり、多目的広場へと戻ってきて、一周は終了したのであった。
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 エレベータの所からは、おおさか東線の線路が見える。
 更に遠くを眺めると、京橋のOBPのビル群が見える。
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 この地点で高井田中央駅のミニ探索を終了すると同時に、おおさか東線のミニ探索を終了した。

おおさか東線6・JR河内永和駅

  「新大阪駅」と「久宝寺駅」を結ぶ「おおさか東線」の各駅を、「久宝寺駅」から順に訪ねている。
 今回はその5つ目の「JR河内永和駅」である。

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                         (上図の上は南方向)

 「JR河内永和」で下車する。
 この駅の上で、おおさか東線と近鉄奈良線が交差していて、近鉄の「河内永和駅」がある。
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 駅の北側に神社がある。
 式内社の「鴨高田神社」である。
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 鳥居を潜ると少しの距離の先の正面に拝殿、一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿の扁額、拝殿の内部と、その先には本殿が見える。
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 拝殿の背後は本殿である。
 祭神は、速須佐之男命、大鴨積命、神功皇后、応神天皇の4柱とされている。
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 この地には、古代は鴨氏が居住していて、その祖神の大鴨積命を祀ったのがこの神社であった。
 中世には京都の石清水八幡宮の領地となり、八幡神が加えられ、八幡さんと呼ばれていたとされている。

 境内には、水神社、そして戎神も祀られている。
         2008gIMG_5341水神社  2008gIMG_5328.jpg

 また神社には、東の参道、西の参道も設けられている。
         2008gIMG_5342東参道  2008gIMG_5353西参道

 神社横の道路を一本挟んだ西側にも神社が祀られている。
 鴨稲荷大明神である。
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 鴨高田神社の北には、聖徳太子が開基と伝えられる新真言宗総本山「百済山(ひゃくざいざん) 長栄寺」という寺院が建つ。
 参拝口は南側(神社側)である。
 入り口を入ると左手には太子堂、正面には護摩堂が建つ。
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 そして護摩堂の左手前には仁王が建つ山門があり、山門の先は本堂である。
 本尊は十一面観音菩薩で、平安時代の作とされている。
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 境内には、幾つかの像も建てられている。
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 長栄寺は中世には荒廃していたが、1744年に1744年)慈雲尊者が中興したとされ、正法律を唱え、その道場としたとされる。
 その慈雲尊者が生駒山中に隠棲したと云う庵が長栄寺境内に禅那台という名で移築されている。
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 そしてこの地点でJR河内永和駅のミニ探索を終了した。

おおさか東線5・JR俊徳道駅

 「新大阪駅」と「久宝寺駅」を結ぶ「おおさか東線」の各駅を、「久宝寺駅」から順に訪ねている。
 今回はその4つ目の「JR俊徳道駅」である。

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                         (上図の上は北東方向)

 俊徳道駅では、おおさか東線と近鉄大阪線が交差する。
 元々は近鉄の「俊徳道駅」があったが、おおさか東線もその交差点に駅を開設したのが「JR俊徳道駅」である。

 その駅名「俊徳道」の謂れは東西に俊徳道・俊徳街道が通っていたとの説がある。
 生駒山系の麓である八尾の高安から四天王寺に通じる道で、高安山畑の長者信吉の息子の俊徳丸が四天王寺へのお詣りに、又は習い事に通った道とのことである。

 JR俊徳道駅で下車する。
 駅前には近鉄駅が並ぶ。
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 南東方向へ住宅街の中を歩くと長瀬川に出るが、その手前にある登録有形文化財の「樟徳館」を眺めて見る。
 門構えの立派な屋敷で、この北にある樟蔭学園の創設者である森平蔵の邸宅で、昭和7年に建てられたとされる。
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 邸宅の周囲を眺めて見る。
 先ずは南側である。
 塀と木立が続く。
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 次に西側である。
 こちらも塀が続く。
 木々の間から、建物の一部が見える。
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 最後に長瀬川に面した正面・東側である。
 建物の一部が見える。
 この楠徳館は樟蔭学園に寄贈され、現在は女子大学の家政学実習館となっている。
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 そして正面の北には、女子大の学生寮が建てられている。
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 この建物の前の道は、「東大阪歴史の道」である。
 その説明板に「帝国キネマ長瀬撮影所跡」と記されている。
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 この場所には、昭和3年建設で約30,000平方メートルの撮影所があったとのことである。
 その広さは甲子園球場に近いもので、「東洋のハリウッド」と云われたとのことである。
 しかし残念ながら、昭和5年に火災で焼失し、撮影所は京都の太秦へと移転したとのことである。

 ここ東大阪の長瀬川河畔に近代の歴史の1ページがあったことを確認し、JR俊徳道駅のミニ探索を終了した。

おおさか東線4・JR長瀬駅

 「新大阪駅」と「久宝寺駅」を結ぶ「おおさか東線」の各駅を、「久宝寺駅」から順に訪ねている。
 今回はその3つ目の「JR長瀬駅」である。

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                         (上図の上は北東方向)

 東大阪市長瀬町にある「JR長瀬駅」で途中下車する。
 駅名は、近くに先輩駅である近鉄大阪線の「長瀬駅」があるので、混乱を防ぐために「JR」の文字を被せたものであろう。
 駅の西側はロータリー、東側はマンション群が立ち並ぶ風景である。
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 駅の南の高架下には府道の大阪八尾線が通っているので、これを南東方向へと向かう。
 しばらく歩くと「北衣摺(きたきずり)」と云う交差点に至り、東の路地の向こうに神社の鳥居が見える。
 「長瀬神社」である。
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 神社の鳥居を潜る。
 拝殿前に一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿・本殿である。
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 この長瀬神社は明治時代の神社合祀により、旧長瀬村の幾つかの神社が長瀬村の守護として合祀されたものである。
 従って祭神9柱ともなる多数で、伊弉諾命、伊弉册尊、天照皇大神、素盞鳴命、保食大神、少彦名命、菊理姫命、品陀和気命、菅原道真公である。
 また、その合祀された神社の中には、式内社の「波牟古曽神社」があるとのことである。
 
 拝本殿の左に、境内社が祀られている。
 先ずは多賀神社である。
         2008fIMG_6108.jpg  2008fP1080483多賀神社

 そして、稲荷神社、雨之神社、弁財天神社である。
         2008fP1080484.jpg  2008fP1080485雨之神社・弁財天神社

 神社の北側へと出る。そこは吉松という住所地である。
 そして東側には旧大和川の「長瀬川」が流れている。
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 長瀬川に沿って北方向(下流方向)へと進む。
 吉松橋、昭和橋などが架かっている。
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 長瀬川流域の説明パネルも掲げられている。
 柏原、八尾、東大阪を流れ、放出(はなてん)駅の付近で第二寝屋川へと合流する様子が示されている。
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 長瀬川沿いを更に進むと近鉄大阪線の線路を跨ぐ。
 長瀬川は暗渠となり、長瀬橋の標柱が建っている。
 そこは近鉄長瀬駅で、そこから東方向に向け、近畿大学へと向かう「まなびや通り」という商店街がある。
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 そしてこの地点で、JR長瀬駅のミニ探索を終了した。

おおさか東線3・衣摺加美北駅

 「新大阪駅」と「久宝寺駅」を結ぶ「おおさか東線」の各駅を、「久宝寺駅」から順に訪ねている。
 今回はその2つ目の「衣摺加美北(きずりかみきた)駅」である。

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                          (上図の上は東方向)

 衣摺加美北駅は、おおさか東線の開業当時(2008年)にはまだなかった駅である。
 開業当時には計画はされていたが、開設されたのはそう遠くない2018年で、駅名も東大阪市衣摺と大阪市平野区加美北に跨っていることから、衣摺加美北駅と名付けられたものである。
 尚、衣摺の由来は、字の如く、布に模様を染める技術をもつ人たちが住んでいたとのことで、この辺りは物部氏の支配領域の一部であったとされている。

 衣摺加美北駅で下車する。
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 下車後、北東方向の衣摺3丁目へと向かうと、八尾街道と御本山道との交差点へと出る。
 説明板には張り紙があって読めないが、かつての主要な交差点であったとの事であろう。
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 今では住宅街の単なる街角であるが、東西の御本山道はこの西にある融通念仏宗総本山「念仏寺」への参拝道路とのことである。
 交差点から西方向、東方向を望んだ風景である。
         2008eIMG_6096西  2008eIMG_6095東

 そして交差点の北、南を望んだ風景である。
         2008eIMG_6097北  2008eIMG_6098南  

 交差点には、辻地蔵もある。
 また下半分が埋もれた道標もある。
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 交差点の東方向には大きな町屋が2軒並んでいる。
 先ずは交差点の所の町屋である。
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 次にその東側の町屋である。
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 八尾街道と御本山道の交差点を北へと行く。
 「一乗山 光泉寺」という寺院がある。
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 古代、この光泉寺の付近に物部守屋が稲城(いなぎ)を築き、攻め寄せる蘇我入鹿・聖徳太子の軍と決戦したとされている。
 そして守屋は矢にて射殺されたと云う、決戦終焉の地でもある。
 その守屋の遺骸に聖徳太子が衣を掛けたとの伝説もあり、衣摺の由来の別説でもある。

 光泉寺の裏手にその顛末が書かれた「衣摺顕彰之碑」が建てられている。
 また辻地蔵も設置されている。
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 寺院から北へと進み、右折すると衣摺公園へと達する。
 この地点で、衣摺加美北のミニ探索を終了した。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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