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『京都市・東寺の神社』

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 京都市南区の九条通と大宮通の交差点の西北角に弘法大師が創建した世界遺産の真言宗東寺の大きな寺域・伽藍を構えていることは良くご存じのことであろうと思われる。
 
 九条通に面して重文の南大門が建ち、その門の先には国宝の金堂、そして右手には、木造で最高の高さの国宝五重塔が建っている。
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 その南大門を潜った右手、左手に神が祀られている。
 右手に冒頭写真の鳥居を伴った「八島社」である。
 この神社は東寺創建以前からあった神社で、祭神は地主神あるいは大己貴神とか云われている。
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 八島社と云うのは我が国を大八洲瑞穂国と云うところから起こった社号であり、弘法大師は伽藍建立に先立ち、造立成就、方位安全、法道繁盛を祈願したと云われている。

 南大門の左手には「鎮守八幡宮」が祀られている。
 この神社は、東寺の鎮守神である僧形八幡神像と女神(じょしん)像2体をが安置されている。
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 薬子の変の際、弘法大師はここで嵯峨天皇勝利の祈祷を行ったとされている。

『京都市・伏見稲荷大社御旅所』

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 京都市南区西九条池ノ内町にある伏見稲荷大社の御旅所である。
 京都駅の南西で、イオンの直ぐ西、東寺の東に位置する所である。

 かつては近くの2か所にあったが、豊臣秀吉が1つに合わせてこの地に移したと云われている。
 この御旅所は4月・5月の稲荷祭と云う祭礼の時、神輿を伏見区の本宮から一時的にこの御旅所に移し奉安する所とされている。

 南に鳥居が建ち、この御旅所は他の神社のものに比べるとかなり広い所である。
 そして境内の東側には境内社が並んでいる。
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 境内社は南から、天照皇大神と豊受照皇大神を祀る合祀社、そして稲荷大神を祀る大きめの社が並ぶ。
 稲荷大神は東寺の守護神とも云われている。
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 そして続いては、上命婦社、下命婦社が並ぶ。
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 その他、舞殿、神輿を一時奉安する奉安殿などがある。
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『八幡市/京都市・洛南三社参り』

 明けましておめでとうございます!

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 新年に当たり、京都南部の三社参りである。

 先ずは、木津川・宇治川・桂川が合流し淀川となる地点の男山の山頂に祀られている「石清水八幡宮」である。

 石清水八幡宮は、清和天皇の時代に宇佐八幡宮を勧請した神社で、源氏一門を始め武家の崇敬が厚い神社である。
 祭神は、八幡大神、即ち応神天皇、比咩大神、神功皇后である。

 参詣は南総門から境内へと入ると、正面に楼門を伴う国宝の御本社が見事である。
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 続いて、京都市伏見区中島鳥羽離宮町に鎮座し、平安京遷都の際、京都の南西の鬼門を護るために創建された式内社「城南宮」である。
 祭神は、国常立尊、八千矛神(大国主命)、息長帯日売尊(神功皇后)である。
 また、明治維新に関わる鳥羽伏見の戦いは、この城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟いて始まったと云われている。

 参拝は、境内正面の二ノ鳥居を潜り、舞台状の拝殿の先の本殿拝所へと進むのが通例である。
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 3社目は、京都市伏見区御香宮門前町に鎮座する「御香宮」である。
 御香宮とは、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったと云う。
 秀吉の伏見城・城下やその後の徳川治世にも係わりがある。
 御香水は伏見の七名水の一つであり、徳川頼宣、頼房、義直の各公は、 この水を産湯として使われたとされている。

 神社は南向きで、境内入り口には伏見城の大手門(重文)が移築されている。
 参道を進むと割拝殿式の拝殿である。
 通り抜けて本殿にお参りするが、本殿の手前には御香水を頂けるところがある。
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『京都市伏見区・三栖神社』

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 京都市伏見区横大路下三栖城ノ前町に鎮座する「三栖神社」の鳥居扁額である。

 三栖神社は、京都市の南部を東西に通る外環状線の直ぐ北側で、国道一号線と油小路(阪神高速道路)に挟まれたところにある。
 社伝によると、古代の壬申の乱の時、飛鳥から近江へと向かう大海人皇子(後の天武天皇)がこの地を通過する際に、村人達が夜道に炬火を燈し、道案内をしたと云われる。
 その後、村人達によりこの地に三栖神社が創建されたと云われている。
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 正面の拝殿の手前には一対の狛犬が祀られている。
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 本殿には、天武天皇が祀られている。
 また境内社として弁財天社が祀られている。
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 三栖神社には御旅所がある。
 神社正面から東へ約500m進んだ濠川の左岸に御旅所はある。
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 境内の南奥に拝殿・本殿が祀られている。
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 本殿前の提灯によると、祭神は天武天皇に併せて、八幡皇大神、熊野皇大神である。
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 その他境内社として、角倉稲荷大明神、天満宮社が祀られている。

『京都市・市比賣神社』

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 京都市下京区河原町五条下ル一筋目西入ルに鎮座する「市比賣神社」の境内入り口の社名標柱である。
 入り口は、社殿下の参道となり、社名扁額も掛けられている。
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 市比賣神社は平安時代の初頭、現在の西本願寺の地に、平安京唯一の官営市場である東市・西市の守り神として九州の宗像大社より勧請されたものとされている。
 尚、現在地へは豊臣秀吉の時代に遷宮されたとされている。

 祭神は、市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)、神大市比賣命(かみおおいちひめのみこと)、下光比賣命(したてるひめのみこと)の五女神で、全て女神様であるところから女性の守り神とされ、良縁・子授け・安産等にご利益があると信仰され、特に「女人厄除け」の神社として有名である。

 社殿の下の参道を潜ると、鳥居、拝殿、本殿となる。
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 本拝殿左手には、歴代天皇の産湯に用いられたという伝承が残り、現在も名水として茶会、花展・書展等に用いられる「天之真名井(あめのまない)」が祀られている。
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 更には、稲荷神社、植松稲荷社も祀られている。
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 また、珍しい「カード塚」も祀られている。
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 尚、京都中央市場の守り神として市場市有地のほぼ中央に位置する場所に市比賣神社の分社が祀られている。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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