大阪メトロ長堀鶴見緑地線17・大正駅
大阪府門真市の「門真南駅」と、大阪市大正区の「大正駅」を結ぶ、「大阪メトロ長堀鶴見緑地線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
但し、この路線は大阪市の中心を東から西へと走り抜ける路線であるので、今回は既に訪問した「大阪メトロ」の別路線の同一駅をパスすることにしている。
今回は、「門真南駅」から16番目、かつ起終点駅で、大阪市大正区にある「大正駅」のミニ探索である。
「大正駅」で下車する。
駅ホームは、1面2線の島式である。
駅の地上の通りは「大正通り」であり、その南西方向(大阪湾方向)、北東方向(大阪市中心部方向)の風景である。
また、この通りに面して、「JR大阪環状線 大正駅」がある。
さて、この大正区は、沖縄からの移住者が多く、リトル沖縄と云われたりもする。
駅近くには、沖縄料理の店があるので、それに向けてJR駅の南側を進んでみる。
左手のガード下に「いちゃりば」という店がある。
以前にも訪れたことがある。
食事処は行列である。
少し待って入店し、「沖縄そば」を頂いたのであった。
さて、「沖縄そば」はかつて沖縄にやって来た中国人コックが那覇の辻遊廓近くに開いた支那そば屋がルーツであると云われている。
以降、街中にそば屋が増え、大正のころには、庶民が気軽に食べられる料理となったとのことである。
当初は豚をベースにした醤油味のスープで、具も豚肉とネギのみと、いわゆる支那そばと同じようなものであったが、その後、徐々に変わって行き、今日の姿になったと云われている。
麺は中華麺と製法が同じであるが、ガジュマルの灰汁を加える場合もあり、沖縄独特で「琉球そば」と云われた。
そして、沖縄では「そば」と称されて、食べられてきた「沖縄そば」ではあるが、呼称がややこしくなったのは、沖縄が本土へ復帰以降で、国内の食品の表示法が適用されたからである。
良く御存じのように「そば」とは、そば粉30%以上、小麦粉70%以下のものを云うので、そばには該当しないというクレームが付けられたのであった。
しかし戦前より、ずっと一貫して「そば」と呼ばれて、親しまれてきたものを守れとの機運が強く、組合が精力的に動いた結果、「沖縄そば」の呼称が県内のみ使用可、と限定認可されたのであった。
現在は、全国的に「そば」と称される料理が沢山ある。
代表的なものは「中華そば」、「焼きそば」で、そば粉の量とは全く関係がない。
「沖縄そば」を後にして、駅の東北方向へと向かう。
正面の東方向へと向かう橋は「大正橋」である。
大正時代に架橋された橋で、大正区の区名の由来となったとされる橋である。
合わせて、その上流、下流の風景である。
次に北へと向かう「岩松橋」である。
「岩松橋」の下流の「尻無川」の風景である。
JR線の鉄橋が見え、そして河畔にはカフェレストランもある。
また上流であるが、「木津川」の向こうに河川の堰が見られる。
「道頓堀川」からの放水口である。
そしてこの地点で、「大正駅」と「大阪メトロ長堀鶴見緑地線」のミニ探索を終了したのであった。
但し、この路線は大阪市の中心を東から西へと走り抜ける路線であるので、今回は既に訪問した「大阪メトロ」の別路線の同一駅をパスすることにしている。
今回は、「門真南駅」から16番目、かつ起終点駅で、大阪市大正区にある「大正駅」のミニ探索である。
「大正駅」で下車する。
駅ホームは、1面2線の島式である。
駅の地上の通りは「大正通り」であり、その南西方向(大阪湾方向)、北東方向(大阪市中心部方向)の風景である。
また、この通りに面して、「JR大阪環状線 大正駅」がある。
さて、この大正区は、沖縄からの移住者が多く、リトル沖縄と云われたりもする。
駅近くには、沖縄料理の店があるので、それに向けてJR駅の南側を進んでみる。
左手のガード下に「いちゃりば」という店がある。
以前にも訪れたことがある。
食事処は行列である。
少し待って入店し、「沖縄そば」を頂いたのであった。
さて、「沖縄そば」はかつて沖縄にやって来た中国人コックが那覇の辻遊廓近くに開いた支那そば屋がルーツであると云われている。
以降、街中にそば屋が増え、大正のころには、庶民が気軽に食べられる料理となったとのことである。
当初は豚をベースにした醤油味のスープで、具も豚肉とネギのみと、いわゆる支那そばと同じようなものであったが、その後、徐々に変わって行き、今日の姿になったと云われている。
麺は中華麺と製法が同じであるが、ガジュマルの灰汁を加える場合もあり、沖縄独特で「琉球そば」と云われた。
そして、沖縄では「そば」と称されて、食べられてきた「沖縄そば」ではあるが、呼称がややこしくなったのは、沖縄が本土へ復帰以降で、国内の食品の表示法が適用されたからである。
良く御存じのように「そば」とは、そば粉30%以上、小麦粉70%以下のものを云うので、そばには該当しないというクレームが付けられたのであった。
しかし戦前より、ずっと一貫して「そば」と呼ばれて、親しまれてきたものを守れとの機運が強く、組合が精力的に動いた結果、「沖縄そば」の呼称が県内のみ使用可、と限定認可されたのであった。
現在は、全国的に「そば」と称される料理が沢山ある。
代表的なものは「中華そば」、「焼きそば」で、そば粉の量とは全く関係がない。
「沖縄そば」を後にして、駅の東北方向へと向かう。
正面の東方向へと向かう橋は「大正橋」である。
大正時代に架橋された橋で、大正区の区名の由来となったとされる橋である。
合わせて、その上流、下流の風景である。
次に北へと向かう「岩松橋」である。
「岩松橋」の下流の「尻無川」の風景である。
JR線の鉄橋が見え、そして河畔にはカフェレストランもある。
また上流であるが、「木津川」の向こうに河川の堰が見られる。
「道頓堀川」からの放水口である。
そしてこの地点で、「大正駅」と「大阪メトロ長堀鶴見緑地線」のミニ探索を終了したのであった。