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『奈良市・秋篠寺』

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 近鉄電車「平城駅」の西方向に「秋篠寺」の伽藍が建っている。
 秋篠寺は奈良時代の創建で、開基は奈良時代の法相宗の僧・善珠とされていて、宗派はもと法相宗と真言宗の兼学であったが、現在はどこにも属さない単立の寺院である。

 平城駅で下車、神功皇后陵を訪れた後に西へと向かう。
 奈良競輪場の傍を通過し、秋篠川を渡り、秋篠寺の東門へと到着する。
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 境内の趣のある参道を歩き、香水閣の前を通過する。
 この内部には霊水とされる「香水井」がある。
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 その近くには、十三社と云われる境内社が祀られ、その先は苔庭で、元は金堂が建っていたとされる場所である。
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 そして寺院中心の本堂へと至る。
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 国宝本堂は、奈良時代の建立であったが、鎌倉時代に再建され現在に至っている。
 また堂内には、いずれも重文の本尊薬師三尊像(重文)を中心として、伎芸天立像、十二神将像、地蔵菩薩立像、帝釈天立像などが祀られている。

 本堂の周囲には、開山堂、霊堂、そして大元堂が祀られている。
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 南門から退出する。
 門外には、秋篠寺の守護神である八所御霊神社が祀られている。
 祭神は、崇道天皇以下御霊八所とされている。
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『京都府八幡市・正法寺』

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 京都府八幡市の石清水八幡宮が鎮座する男山の南側の、京街道から分かれて高野山へ向かう東高野街道の右側に正法寺が佇んでいる。

 正法寺は石清水八幡宮の社家の志水氏の祖先が鎌倉時代に創建した浄土宗の寺院とされている。
 また、志水氏の出身で徳川家康の側室であり、尾張徳川家の初代の徳川義直の生母であるお亀の方のゆかりの寺院で、お亀の方が現在の伽藍を寄進したとも云われている。

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 東高野街道を挟んだ門前には、趣のある町屋もある。
 そして街道から参道が延びている。
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 寺門を潜ると、左手には保育園の園舎、右手には法雲殿が建つ。
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 参道の突き当りは重要文化財の唐門である。
 そして左手の庫裏門の向こうは庫裏である。
 そして庫裏の向かい側には鐘楼が建つ。
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 塀の右手は本堂エリアである。
 正面に方丈、右手に本堂が建つ。
 但し、どちらも重要文化財である。
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 このような場所に、重文の文化財伽藍があるとは、多少の驚きである。

 正法寺を後にして、東高野街道を南へと辿る。
 幾つかの町屋も見られる。
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 そして暫く行くと松花堂の裏手に出る。
 松花堂のかつては石清水八幡宮の境内にあった宿坊の一つであったが、明治の神仏分離でこの場所に移されたとのことである。

 松花堂の裏側にその表門が移設されている。
 表門から少し行くと、東高野街道の標柱が建っている。
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 松花堂の表へ回り込んでみる。
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 美術館が設けられている。
 そして庭園を垣間見ることができる。
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 近代的な松花堂である。
 またこの園内に、有名料亭の吉兆もある。

『京都府八幡市・神應寺』

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 京都府八幡市の石清水八幡宮が鎮座する男山から谷を挟んだ北側の山に建つ「神應寺」の標柱と山門である。
 この寺は石清水八幡宮を創建した行教が一宇を建立したことに始まる。
 当初は、四宗兼学の道場であったが、その後、八幡宮の別当寺とし、鎌倉時代には神應寺と改称したと云われる。

 寺院へは、山門を潜り、その後山登りとなる。
 境内正面には本堂が祀られている。
 本尊は薬師如来である。
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 また境内には、鐘楼、淀君茶室の庭石、豊川稲荷が配されている。
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 神應寺の下の谷筋に「大聖不動明王」が祀られている。
 その参道の一ノ鳥居、二ノ鳥居である。
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 参道には、幾つかの社・堂宇が祀られている。
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 また、参道から下の谷には、二の丸引面の滝があり、不動尊が祀られている。
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 元の参道に戻り、進むと正面には大聖不動尊が祀られている。
 また左手には十一面観世音菩薩が祀られているお堂もある。
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 この不動尊は、弘法大師空海が悪鬼を封じ、不動明王を安置したとも、諸人を護ったということです。八幡神を男山に勧請した行教が鎮守として建立したとも云われている。

 尚、参道途中の上空にケーブルの索道が組まれ、男山山頂へのケーブルが運転されている。
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『京都市東山区・東福寺』

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 京都市東山区本町にある東福寺の通天橋の紅葉の様子である(12月2日)。
 臨済宗東福寺は京都の紅葉の名所として良く知られていて、この時期になると多くの観光客が詰めかけるところである。
 
 東福寺は、鎌倉時代に摂政の九条道家による開基、そして聖一国師、円爾(えんに)による開山で、京都五山の第4位として栄えてきた寺院である。
 東福寺の寺名は、南都の大寺である東大寺と興福寺から一字づつを選んで名付けたとのことである。

 東福寺へは、京阪電車あるいはJRの東福寺駅が最寄りである。
 駅の前の伏水街道(伏見街道)を少し下ると北大門に到着する。
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 北大門(下図の右下角)を潜ると左手に仁王門左手に塔頭の退耕庵を見ながら、標柱の所で右折し、臥雲橋へと向かう。
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 この臥雲橋と通天橋に挟まれた広いエリアが紅葉の名所である。
 冒頭の写真と以下の写真は臥雲橋から通天橋方向を眺めたものである。
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 臥雲橋を通過し、その先の日下門から本坊伽藍へと入る。
 右手は禅堂である。

 通天橋の入り口へ向かい、チケットを求め、先ずは庭園から見るという順序である。
 庭園は紅葉真っ盛りである。
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 庭園から階段を下りて行く。
 あり切ったところが通天橋の下を流れる「洗玉澗」である。
 赤く染まった水面には趣がある。
 また、通天橋を見上げるのも風情がある。
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 通天橋を渡る前に更に上部の堂宇まで上ってみる。
 聖一国師円爾を祀る開山堂と庭園である。
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 通天橋を渡りながら、臥雲橋との間の紅葉を見てみる。
 ふんわりとした紅葉の様子が楽しめる。
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 紅葉に堪能したので、塔頭や伽藍を眺めてみることにする。
 先ずは国宝の方丈を備える龍吟庵である。
 入り口の偃月橋、そして白砂、赤砂の庭園も見応えがある。
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 尚、龍吟庵は、東福寺三世で南禅寺開山の無関普門の塔所(墓所)として、入寂直前に創建されたとされている。

 龍吟庵の手前は即宗院である。
 この塔頭は守護大名であった薩摩の島津氏6代当主の島津氏久の菩提を弔うために創建されたものである。
 幕末期にこの茶亭にて西郷隆盛が僧月照と倒幕計画を話し合ったとも云われている。
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 東福寺の本堂(仏殿)、国宝の三門である。
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 六波羅門から本坊を出て、周辺参道の探索である。
 土塀と紅葉のコントラストを楽しむことができる。
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 その後、中門から出て、南門の前を通り、京阪電車の鳥羽街道駅へと向かったのであった。
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『京都府宇治市・興聖寺』

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 京都府宇治市宇治山田、宇治川の右岸にある興聖寺(こうしょうじ)の参道入り口の標柱である。

 この寺院は、曹洞宗の祖である道元導師が鎌倉時代に開山し、江戸時代の初期に淀藩主永井尚政公が中興した日本最古の曹洞宗の寺院であるが、その伝統よりも、この時期には、参道の紅葉を求めて、多くの観光客が訪れる寺院でもある。

 興聖寺へは、京阪電車宇治線かJR奈良線の宇治駅が最寄りである。
 京阪宇治であれば一旦宇治橋を渡ることになるが、平等院の横から橘橋、朝霧橋を渡りながら、宇治川の中ノ島である橘島・塔ノ島を散策しながらお寺へ向かうことになる。
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 興聖寺の参道入り口の門は石門という。
 石門からなだらかな参道を登って行くが、この坂を琴坂と云い、紅葉の名所である。
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 琴坂を登り詰めると曹洞宗の独特の山門に到着する。
 山門を潜ると、右手に鐘楼があり、その先は薬医門である。
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 その先は正面に法堂があり、左手に僧堂がある。
 御本尊は道元禅師の自作であるとされる釈迦牟尼佛である。
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 お参り、ご朱印を頂き、再び山門を潜るが、山門の向こうの紅葉の風景、そして再び参道の紅葉が見事である。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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