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JR学研都市線 忍ヶ丘駅:忍陵神社を訪ねて

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、「JR学研都市線」の大阪府四條畷市の「忍ヶ丘(しのぶがおか)駅」で下車し、駅の西方向に鎮座する「忍陵(しのぶがおか)神社」を訪問することにしている。

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 「忍ヶ丘駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、2面2線の相対式である。
 そして駅舎の東側の風景である。
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 「忍陵神社」へは駅舎西側からロータリーに沿って少し南下すると、西方向へ「忍ヶ丘本通り商店会」が延びる。
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 商店街を西進し、途中で右折すると、神社への参道である。
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 この辺りの住所地は「岡山2丁目」である。
 そして、「忍陵神社」の社頭からは石段の昇りとなる。
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 石段を昇ると、先ずは鳥居が建ち、これを潜り更に昇る。
 その先、玉垣に囲われた境内であるが、更に石段が続く。
 そしてその脇に、「もはや勝利は 岡山の陣の 御勝山(おかちやま)」という立て札が建っている。
 大坂冬の陣の時に、徳川方が本陣を築いた場所で、そのように呼ばれるとのことである。
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 石段の上の正面は「拝殿」である。
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 そして「拝殿」前には、「手水舎」が設置され、一対の「狛犬」も祀られている。
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 「拝殿」の背後には「本殿」が祀られている。
 祭神は、「藤原鎌足」を主祭神とし、「熊野大神」、「品陀和氣命」、「馬守大神」、「大将軍神」を配祀しているとのことである。
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 この神社は「式内社」で、創建は「天武天皇」の時代とも伝承されている。
 その後、幾つかの神社が合祀され、現在の形になったとされている。

 「拝殿」の右手に、「忍陵古墳」の建屋が祀られている。
 古墳時代前期中頃の3世紀末-4世紀初頭頃の築造と推定される「忍陵古墳」の石室が保存されている。
 この古墳は前方後円墳で、墳丘長は約87mとされる。
 神社は古墳上に創建されたものとのことである。
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 この「忍陵神社」の参道は、かつては「東参道」が「表参道」であったと云われている。
 次に、東側へ回り込んで、神社を訪れてみることにする。

 「社号柱」、「鳥居」、「玉垣」が祀られ、右手に「忍ヶ丘会館」が建っている。
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 「鳥居」・「玉垣」の手前を右手に入ると、そこには「行者堂」の石碑が建っている。
 右に「稲荷五社大明神」、奥に「行者堂」が祀られている。
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 「東参道」の鳥居を潜り、石段を昇ると、左手に「忍陵古墳」の石柱が建っている。
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 石段へと戻る。
 一対の「狛犬」が祀られ、鳥居を潜り昇る。
 そして、境内社の「光龍大神」が祀られている「本拝殿」エリアに到達したのであった。
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 そしてこの地点で、「忍ヶ丘駅」を下車しての「忍陵神社」と周辺のミニ探索を終了したのであった。

近鉄京都線 大久保駅:旦椋(あさくら)神社を訪ねて

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、「近鉄京都線」の京都府宇治市の「大久保駅」で下車し、駅の南西方向に鎮座する「旦椋(あさくら)神社」を訪問することにしている。

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 「大久保駅」で下車する。
 駅は高架で、2面4線の島式で、上下線とも待避機能を持った構成となっている。
 そして地上の出口から出る。
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 駅に沿った西側の通路を南へと進み、「府道宇治淀線」を渡って、更に南下する。
 五差路の地点に出たところで、右手奥の道路に入る。
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 進んで行くと、玉垣を伴った神社の社頭へと到着する。
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 「式内社 旦椋(あさくら)神社」の社頭で、「社号柱」が建ち、「一ノ鳥居」が建つ参道が、北へと繋がっている。
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 参道を進むと、一般道と交差する。
 その先に、玉垣、「二ノ鳥居」、「神門」が建ち、潜ると境内となる。
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 境内右手には「神具庫」、「神牛」、そして正面には割拝式の「拝殿」が祀られている。
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 「拝殿」を潜ると、「本殿」への渡り廊下があり、その両側に一対の「狛犬」が祀られている。
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 そして「本殿」である。
 祭神は、「高皇産霊(たかむすび)神」、「神皇産霊(かみむすび)神」、「菅原道真公」とされている。
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 「本殿」には、彫刻や絵画が施されている。
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 この「旦椋神社」は、記録によると、奈良時代には「屯倉(みやけ)」が設けられていたところで、「校倉(あぜくら)」と呼ばれる倉庫に神を祀ったものとされている。

 境内社としては、本殿の背後に「愛宕社」、右手前に「権殿、若宮社」が新設されている。
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 また境内には、ご神木が祀られ、大久保尋常小学校の跡が保存されている。
 そして、「本殿」を振り返り、神社を後にしたのであった。
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 神社前の参道に挟まれた道路を西方向へと進む。
 そこには「旦椋遺跡」の標柱が建てられている。
 古墳時代から奈良時代に掛けての遺跡とのことである。
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 そしてこの地点で、「大久保駅」を下車しての「旦椋神社」と、その周辺のミニ探索を終了したのであった。

近鉄京都線 伊勢田駅:伊勢田神社を訪ねて

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、「近鉄京都線」の京都府宇治市の「伊勢田駅」で下車し、駅の北西方向に鎮座する「伊勢田神社」を訪問することにしている。

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 「伊勢田駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、2面2線の相対式である。
 そして地下の改札を経て、地上の西口(写真の左側出口)から出る。
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 出口から、駅に沿って北方向へと進む。
 駅北側の道路に出るのでこれを左折、西方向へと進むと、右手に「式内社 伊勢田神社」の杜が見えて来る。
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 神社の参道へ出たところで、参道の始点である南端へと進む。
 そして、参道南端から北上する。
 右手に「八幡神社」祀られ、その隣に「手水舎」がある。
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 その北側は、先ほど歩いてきた道路である。
 これを北へと渡ると参道は続く。
 入り口には、社号柱が建ち、少し先に鳥居が建てられている。
 鳥居の両側の灯篭には、「天王宮」と刻されている。
 この神社は、明治以前の社名は「梵天王ノ社」であったとの名残とされる。
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 鳥居を潜り、参道を進んで行くと、次の道路を横切ることになる。
 その道路の先は、境内である。
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 道路を渡ると、左手に「地車庫」が建ち、そして「作田神社」が祀られている。
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 正面には、一段と高いところに「冠木門」が建ち、潜ると左右に一対の「狛犬」が祀られている。
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 そして、冠木門を潜った正面は「拝殿・拝所」である。
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 その背後には「本殿」が祀られている。
 「本殿」の祭神は、「天照皇大神」、「手力男大神」、「萬幡豊秋津姫大神」とされている。
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 この「伊勢田神社」の創建は古く、7世紀末から8世紀に跨る「文武天皇」の時代とされている。
 「伊勢田」という名称は、「伊勢神宮」に付属した御料田とのことで、明治になって神社名を変更したものとされている。

 境内社が祀られている。
 「本殿」背後の左右に、「春日神社」、「稲荷神社」である。
 また「拝殿」の右手に、「住吉神社」が祀られている。
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 また、「拝殿」前には御神木「招霊木 ( おがたまのき ) 」が祀られている。
 更に、神社の左手には児童公園「なかよしひろば」も設けられている。
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 そして、「伊勢田神社」を一巡したところで、「伊勢田駅」を下車してのミニ探索を終了したのであった。

大阪七福神めぐり:⑦布袋尊/四天王寺(大阪メトロ谷町線 四天王寺前夕陽ケ丘駅)

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 数回前から、大阪市内の中心部に祀られている「大阪七福神」を、それぞれの最寄り駅で下車し巡っている。
 今回は、7番目であり最終回で、大阪市天王寺区の「大阪メトロ谷町線 四天王寺前夕陽ケ丘駅」で下車し、駅の南東方向にある「四天王寺 布袋堂」を訪ねることにしている。

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 「四天王寺前夕陽ケ丘駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、2面2線の相対式である。
 そして駅の南東側から地上に出る。
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 地上の東側の南北の小路は「旧熊野街道」で商店街となっている。
 これを南下すると「四天王寺」の西側の入り口が近づく。
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 そして、「国道25号線」に出る手前の交差点を左折すると、「石の鳥居(重要文化財)」、「寺号柱」が建っている。 
 扁額には、「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と記されている。
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 「石の鳥居」を潜ると、左手には、「四天王寺中学校・高等学校」の校門が建っている。
 多くのスポーツ選手を輩出した学校でもある。
 また正面には、「西大門(極楽門)」が建っている。
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 「四天王寺」の境内図である。
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 今回の目的の「布袋尊」は、「西大門」の右手前に祀られている。
 堂宇は、「乳(ちち)布袋堂」と云う。
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 左手には井戸もある。
 そして、右手に回り込むと、「乳布袋堂」の入り口があり、この中に、「大阪七福神めぐり」の「布袋尊」が祀られている。
 尚、この地は、「聖徳太子」の乳母が住んでいた地とのことでもある。
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 「布袋堂」の裏側(東側)には「弘法大師」が祀られている。
 「弘法大師修行像」、「大師堂」である。
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 「西大門」を潜ったこの辺りは広くなっていて、正面(東側)には、五重塔や金堂の「中心伽藍」、南側には「阿弥陀堂」、そして中央辺りに、「義経よろい掛け松」が祀られている。
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 納経所でご朱印を頂き、その北側に行ってみる。
 「阿弥陀如来像」が祀られ、その前には「仏足石」、「丸池」を介した東側に「北鐘堂」が見える。
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 「北鐘堂」のところまで行ってみる。
 その東側は、「太鼓楼」である。
 そして、その間の北側は、重要文化財の「石舞台」と「六時堂」であるが、「六時堂」は現在、改修中である。
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 そして、東方向へと進むと、「亀井堂」が祀られ、東の終点は「東大門」である。
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 南方向を眺めてみると、手前に「宝物館」、また、中心伽藍の「五重塔」の向こうに「あべのハルカス」が見える風景がある。
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 そしてこの地点で、「大阪七福神めぐり」を終了するとともに、「四天王寺前夕陽ケ丘駅」周辺のミニ探索を終了したのであった。

大阪七福神めぐり:⑥えびす大神/今宮戎神社(南海高野線今宮戎駅)

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 数回前から、大阪市内の中心部に祀られている「大阪七福神」を、それぞれの最寄り駅で下車し巡っている。
 今回は6番目で、大阪市浪速区の「南海高野線 今宮戎駅」で下車し、駅の東にある「今宮戎神社」を訪ねることにしている。

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 「今宮戎駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、1面2線の島式である。
 尚、西隣には「南海本線」の上下線路が2線敷設されているが、駅ホームはない。
 そして、地上へと降りる。
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 駅出口には、「七福神めぐり」の案内がなされ、「今宮戎神社」は、「東へすぐ」とのことで、早速東方向へ進む。
 進んで行くと、左手に「海泉寺」の山門が建ち、その先に神社の玉垣が見えて来る。
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 進んで行くと、「今宮戎神社」の南向きの社頭である。
 鳥居は「三ツ鳥居」である。
 鳥居を潜り、境内へと参道を進む。
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 一対の「狛犬」、そして「注連縄柱」が建っている。
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 その先には、「拝殿拝所」が祀られていて、その背後には「本殿」が祀られている。
 「本殿」には「後拝」も設けられている。
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 そして「本殿」である。
 主祭神は、「天照皇大神」、「事代主命」、「素盞嗚尊」、「月読尊」、「稚日女尊」とされている。
 特に、「事代主命」は「えびす」としての信仰を集めている。
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 この神社の創建については、「推古天皇」の時代(7世紀)、「聖徳太子」が「四天王寺」を建立する際にその西方の守護神として建立されたとされる。
 また、「事代主命」については、京都の「八坂神社」から、境内社の「蛭子社(北向蛭子)」を分祀されたとされている。
 更に、「十日戎」の祭事については、江戸時代中期から始まったとされている。

 境内社が祀られている。
 境内の東には「大国社」、北東角には「稲荷社」が祀られている。
 また、「稲荷社」の前には、催事用の舞台も設けられている。
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 また境内の南には、「阿波野青畝(せいほ)」の句碑「陋巷(ろうこう)を好ませたまひ本戎」や、手水用の「井戸」も設けられている。
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 神社には、東の参拝口も設けられ、「社号柱」も建てられている。
 他にも、境内の外の南方向の国道25号線から向かう参道に、鳥居が設けられている。
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 既に境内社務所にてご朱印を頂いていたので、この地点で参拝を終了し、「今宮戎駅」に戻り、ミニ探索を終了したのであった。

大阪七福神めぐり:⑤日出大国神/大国主神社(大阪メトロ 大国町駅)

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 数回前から、大阪市内の中心部に祀られている「大阪七福神」を、それぞれの最寄り駅で下車し巡っている。
 今回は5番目で、大阪市浪速区の「大阪メトロ 大国町駅」で下車し、駅の北方向にある「大国主神社(敷津松之宮)」の「日出大国神(大黒天)」を訪ねることにしている。

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 「大国町駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、「御堂筋線」と「四つ橋線」の双方の駅となっていることから、2面4線の島式である。
 そして、地上の道路へと出る。
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 駅上の道路は、「御堂筋」から繋がる「国道25号線」で、その北方向、南方向の風景である。
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 国道を北へと進むと、左手(西側)に神社が祀られている。
 「木津の大国さん」と記された「大国主神社」の社頭である。
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 鳥居を潜り、先ずは右手である。
 「木津勘助」の像が建っている。
 「木津勘助」とは、豊臣時代から江戸時代に書けて功績のあった人物とのことである。
 「木津川」の開削や新田開発に加えて、江戸時代初めの大飢饉の折り、私財を投げうって米を村人に分け与えたが不十分で、ついに米蔵の「お蔵破り」を決行し、上手く行かなかったようであるが、しかし村人には敬愛され、今も引き継がれているとのことである。

 また、右手には「狛犬」の集積場所もある。
 そして正面へと進むが、参道両側には祭礼であろう、屋台が並んでいる風景もある。
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 参道を進むと正面は「狛犬」ならぬ「狛ネズミ」が祀られ、そして「拝本殿」である。
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 そして、「本殿」には、祭神として「大国主命(大黒天)」が祀られている。
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 この「大国主神社」は江戸時代の中頃に、「出雲大社」から勧請されたとされ、以来、「木津の大国さん」として、広く親しまれているとのことである。

 本社は「敷津松之宮」と云う神社で、この「大国主神社」はその摂末社とされている。
 また、「敷津松之宮」の創建は古く、神功皇后」の三韓征伐の帰路、「住吉大社」から「敷津の浜」を航行している時、海が荒れていたので、渚に松を植え、これ以上潮が満ちないように祈願し、その松の木の下に「素盞嗚尊」を祀ったのが最初とされている。

 「敷津松之宮」の社頭・参道は南向きで、「大国主神社」と直行している配置となっている珍しい形である。
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 参道正面には、「拝殿」が祀られている。
 本殿の主祭神は、「素盞嗚尊大神」、「大国主大神」とされ、相殿神は「事代主神」、「奇稲田姫神」、「少彦名神」、「八柱皇子神」とされている。
 また、「拝殿」前には、大黒像も祀られている。
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 また、境内であるが、境内社の「楠稲荷社」が祀られ、龍の手水舎も設置されている。
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 そして、ご朱印を頂き、神社を後にして、「大国町駅」に戻ったのであった。

大阪七福神めぐり:④毘沙門天/大乗坊(近鉄日本橋駅)

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 前々回から、大阪市内の中心部に祀られている「大阪七福神」を、それぞれの最寄り駅で下車し巡っている。
 今回は4番目で、大阪市中央区の「近鉄奈良線」の「近鉄日本橋駅」で下車し、「堺筋」に沿って南下し、「高島屋東別館」の前の小路へと右折し、少し進んだところの右手(北側)にある「大乗坊」の「毘沙門天」を訪ねることにしている。

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④大乗坊/毘沙門天(近鉄日本橋駅)

 「近鉄日本橋駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、2面2線の相対式である。
 この駅は、3路線の共通駅で、近鉄から大阪メトロへ乗り換えることもできる。
 そして駅の南側から地上へと出る。
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 「堺筋」を南下する。
 左手には「黒門市場」、右手には「千日前中央通」の商店街の入り口がある。
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 更に南下する。
 左手(東側)に重要文化財の「高島屋東別館」が建っている。
 1階の通り側は店舗となっている。
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 「高島屋東別館」の中央辺りの「堺筋」を挟んだところに右方向(西方向)に入る小路があるので、これを進む。
 少し進んだところの右手に寺院の山門が見えて来る。
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 「高野山真言宗 大乗坊」である。
 正面には、「毘沙門天 大乘坊」と記された寺号柱も建っている。
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 また、山門の背後には、一対の「狛犬」が祀られている。
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 正面は「本堂」である。
 入り口左手には「稲荷社」も祀られている。
 そして本堂内の須弥壇の最高部には「本尊」で「大阪七福神」の「毘沙門天」が祀られている。
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 この寺院は、元々は天王寺区筆ヶ崎(現大阪日赤あたり)にあった「崑崙山 宝満寺」の37院坊のうちの一つであったとされる。
 「織田信長」と「石山本願寺」の合戦に巻き込まれ、「宝満寺」共々焼失したとされる。
 その後、「大乗坊」住持の「秀言律師」は頭部のみとなった本尊の「毘沙門天」を奉じて、この地にて「大乗坊」を再建したとされる。

 境内には、「一願空鉢大龍王」、「不動明王」の祠も祀られている。
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 更に「本堂」前には、米軍が大阪空襲にて投下したが不発弾となった爆弾の尾翼部分が展示されている。
 戦後70年、家屋の地下2mから掘り出されたものとのことである。
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 そして、ご朱印を頂き、寺院を後にして、「日本橋駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪七福神めぐり:③弁財天/法案寺(日本橋駅)

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 前回から、大阪市内の中心部に祀られている「大阪七福神」を、それぞれの最寄り駅で下車し巡っている。
 今回は3番目で、大阪市中央区の「大阪メトロ 日本橋駅」で下車し、「道頓堀川」を挟んだ北側にある「法案寺」の「弁財天」を訪ねることにしている。

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③「法案寺/弁財天」(日本橋駅)

 「大阪メトロ千日前線」の「日本橋駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、1面2線の島式である。
 この駅は、「大阪メトロ堺筋線 日本橋駅」との接続駅で、また「近鉄奈良線 日本橋駅」との乗換駅でもある。
 そして地上へと上がる。
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 地上の南北の道路は「堺筋」であり、これを北方向へと進む。
 先ずは賑やかな「道頓堀商店街」である。
 そして、「道頓堀川」に架かる「日本橋」を渡る。
 川には丁度、「とんぼりリバークルーズ」の船が遊覧しているところであった。
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 「日本橋」を渡ると右前に広場がある。
 広場には「道頓堀」などこの地域を開発した「安井道頓」の石碑が建てられている。
 そして広場の奥側には、「道頓関」と記された横綱の土俵入りの像が建てられている。
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 石碑には、「贈従五位安井道頓安井道卜紀功碑」と記されている。
 「安井道頓」は「豊臣秀吉」の命を受け、運河開発を行った。
 しかし、大坂の陣で戦死したため、事業は弟の安井治兵衛・九兵衛(後の「道卜」)らの親族を中心に引き継がれ、運河が完成した。

 当初は、南堀と呼ばれていたが、大坂城主の松平忠明が、道頓の功績を称えて、「道頓堀」と命名したとの経緯を有している。
 そして明治時代になって、地元の有志が「道卜」の屋敷があった場所に大坂城の「残念石」を利用した石碑を建立したとのことである。

 この辺りから北東の地区は「島之内」と呼ばれる。
 石碑の前の道「大和町通り」を東方向へと進む。
 少し進んだ左手に、「高野山真言宗 法案寺」の山門・寺号柱が建っている。
 寺号柱には、「準別格本山 法案寺南坊」と記されている。
 山門を潜ると、正面には「本堂」、右手前には「弁天堂」が祀られている。
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 先ずは正面の「本堂」である。
 手前両側には一対の狛犬が祀られている。
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 そして、本堂には「本尊」の「大聖歓喜天」が祀られている。
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 この寺院は、「推古天皇」のころに、「聖徳太子」の開基により、現在の「法円坂」の地に創建したとされる。
 そして、仏法弘通の公案をしたところから、寺号を「法案寺」としたとされる。
 更に、「法円坂」の名称は、「法案寺」が訛ったものとの伝承もある。

 その後、「秀吉」により、「生玉神社」の境内の北側に移転させられ、大規模な寺域を有し、栄えたとされる。
 明治時代になって、現在地に移転し、寺域は大幅に小さくなったとされる。
 尚、「法案寺南坊」との呼び名が正式で、南部の現在地への移転に関わるものと思われる。

 「本堂」の右手前の「弁天堂」である。
 ここに、「大阪七福神 弁財天」が祀られている。
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 「弁天堂」の前に横向きで「弁財天社」が祀られている。
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 その他境内には、不動明王石像、地蔵像などが祀られている。
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 そして、ご朱印を頂き、「法案寺」を退出し、「日本橋駅」に戻り、ミニ探索を終了したのであった。

大阪七福神めぐり:①寿老人(玉造駅)、②福禄寿(谷町六丁目駅)を訪ねて

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回から、大阪市内の中心部に祀られている「大阪七福神」を、それぞれの最寄り駅で下車し、巡ることにしている。
 今回は、以前に訪問し、この「大阪七福神」の切っ掛けとなった「大阪メトロ長堀鶴見緑地線/玉造駅」の①「三光神社/寿老人」と、隣の駅の「谷町六丁目駅」の②「長久寺/福禄寿」を順番に訪問することにする。
 尚、「大阪七福神」とは、「寿老人」、「福禄寿」、「弁財天」、「毘沙門天王」、「日出大国神」、「えびす大神」、「布袋尊」の神々とされている。

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①「三光神社/寿老人」(玉造駅)

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 大阪市天王寺区の「玉造駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、1面2線の島式である。
 西側の出口から地上へと出る。
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 出口前の道路を南方向へ進むと、「三光神社」の鳥居が見えて来る。
 北参道である。
 鳥居を潜り、石段を昇り、注連縄柱の間を進む。
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 右手の石段を昇ると、正面に「拝殿」が祀られている。
 そしてその「拝殿」の右手前に、七福神の「寿老人像」が祀られている。
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 お参りを済ませ、ご朱印を頂き、次に向かうことにした。


②「長久寺/福禄寿」(谷町六丁目駅)

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 次は、「福禄寿」である。
 先の「玉造駅」の西隣の中央区の「谷町六丁目駅」で下車する。
 駅ホームも同様に地下で、1面2線の島式である。
 この駅は、「谷町線」との交差・接続駅である。
 そして、谷町筋に面した出口より地上へと出る。
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 「谷町筋」を南下する。
 途中に「空堀商店街」のアーケードがある。
 そして進んで行くと、谷町7丁目の交差点に至る。
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 谷町7丁目の交差点を右折する。
 直ぐの左手(南側)に鉄筋コンクリート造りの「日蓮宗 長久寺」が現れる。
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 「長久寺」は戦国時代の天正年間の創建とされる寺院である。
 当初から広大な寺域であったが、焼失や廃仏毀釈、そして町の区画整理などに合い、現在の形となっている。
 門前には、「南無妙法蓮華経」と記された「大圓山 長久寺」の寺号柱が建てられている。
 そしてガラス戸の玄関から入る。
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 そして内部には、寺務所となっていて、北側の壁面には「福禄寿」が祀られている。
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 そして参拝を済ませ、ご朱印を頂き、退出し、次に向かったのであった。

大阪メトロ 日本橋駅:「水掛不動」で知られる「法善寺」を訪ねて

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索をしている。
 今回は、「大阪メトロ堺筋線/千日前線」の「日本橋駅」で下車し、駅の西方向で、「千日前通り」と「道頓堀川」の間にあり、「水掛不動尊」や「法善寺横丁」で知られる「浄土宗 法善寺」を訪問することにしている。

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 「堺筋線」の「日本橋駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、2面2線の相対式である。
 そして駅ホームに繋がる西側の出口から出る。
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 出口の先は地下街である。
 西の「近鉄」や「大阪メトロ」の「なんば駅」の方向に、「千日前通り」の地下に形成されている「なんばウオーク」である。
 この日は多くの店舗が休業日のようで、シャッター通りのようになってるのは残念である。
 途中で、地上に出て、「千日前商店街」を北方向へ進むと、左手(西側)に「天龍山法善寺」の寺号柱が立つ参道である。
 「法善寺横丁」と云われる通りで、これを西へと進む。
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 進んで行くと左右に「法善寺」の伽藍が建っている。
 先ずは右手である。
 右手には、「水掛不動尊」への水掛用井戸が祀られている。
 そしてその先のお堂には「金毘羅天王」が祀られている。
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 また、井戸の手前の道を右へ入ると、「お初大神」そして沢山の「地蔵尊」が祀られている。
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 次は、左手(南側)である。
 有名な「不動堂」の横からと正面の様子である。
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 そして、苔で覆われた不動明王の像である。
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 「不動堂」の隣の南側には「二河白道堂(にがびゃくどうどう)」が祀られている。
 一筋の「白道」を進み、極楽浄土」へ達するというお堂である。
 両側には、レリーフの「釈迦像」、「阿弥陀像」が祀られ、極楽浄土への到達を励ましてくれるとの役割とのことである。
    法善寺/二河白道堂  2407kIMG_1219.jpg  2407kIMG_1220.jpg

 そしてその先の石段を昇り、寺門を潜ったところに「極楽浄土」の石柱が建てられている。
 また、北側には、この場所への別の入り口もある。
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 「法善寺」境内を一巡したところで、ご朱印を頂き、お話を聞いた。
 その中で、「法善寺」の本尊は、この境内には無く、天王寺区生玉町の「長圓寺」を「法善寺別院」として、そこに本尊の「阿弥陀如来を安置する「法善寺本堂」を建立したとのことであった。

 「法善寺」の西側の「法善寺横丁」の入り口へと行く。
 「浪花名刹 三大不動 西向不動明王」の石柱が建てられている。
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 そしてこの地点で、「日本橋駅」を下車しての、「法善寺」のミニ探索を終了したのであった。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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