草津線5・三雲駅
「琵琶湖線」の途中の滋賀県「草津駅」と「関西本線」の三重県伊賀市にある「柘植駅」を起終点とする「草津線」の各駅を各駅下車で訪問してみる。
今回は、「草津駅」から4駅目の湖南市の「三雲(みくも)駅」である。
「三雲駅」は湖南市の東端に近く、甲賀市水口町と接する所にある駅である。
旧東海道は、東の「水口宿」から先に下車した「石部宿」へと続いているが、この「三雲駅」の近辺で野洲川を渡っている。
「三雲駅」で下車する。
駅の北口には、「東海道」を横切り北へと進む道路がるので、行ってみる。
交差点には、趣のある町屋が建っていて、その脇に「微妙大師萬里小路藤房卿御墓所」の標柱が建っている。
建武の三忠臣の一人の萬里小路藤房の墓所は、南西方向の藤房が創建した「妙感寺」と云う寺院にあるとのことである。
北へと進む。
高架道路を潜り、その道路へと上がって行くと野洲川に架かる橋「横田橋」に出る。
橋の向こうの対岸は国道1号線、そして上流・下流の風景である。
下流には「近江富士」も見える。
先ほどの「東海道」との交差点まで戻り、先ずは西へと進む。
右手の住宅の前に「明治天皇聖蹟」碑がある。
そして東海道は続いて行くが、この地点で折り返す。
駅前の交差点まで戻り、今度は東方向へと進む。
カラー舗装の東海道はここで終わる。
その左手には「常夜灯」が建っている。
東海道の渡しの場所であろと思われる。
右折れして、右手に駅を見ながら線路を渡り、進んで行く。
山裾にかかると左手に「天保義民の丘」の案内がある。
登ってみる。
柵で仕切られた広場があり、「天保義民之碑」が建っている。
天保13年、代官の不正な検地に抗議するため、総勢約4万人の農民がいっせいに蜂起した。犠牲も大きく、明治になって慰霊碑が建てられたものである。
そして、この高台から、「三雲駅」を眺め、ミニ探索を終了したのであった。
今回は、「草津駅」から4駅目の湖南市の「三雲(みくも)駅」である。
「三雲駅」は湖南市の東端に近く、甲賀市水口町と接する所にある駅である。
旧東海道は、東の「水口宿」から先に下車した「石部宿」へと続いているが、この「三雲駅」の近辺で野洲川を渡っている。
「三雲駅」で下車する。
駅の北口には、「東海道」を横切り北へと進む道路がるので、行ってみる。
交差点には、趣のある町屋が建っていて、その脇に「微妙大師萬里小路藤房卿御墓所」の標柱が建っている。
建武の三忠臣の一人の萬里小路藤房の墓所は、南西方向の藤房が創建した「妙感寺」と云う寺院にあるとのことである。
北へと進む。
高架道路を潜り、その道路へと上がって行くと野洲川に架かる橋「横田橋」に出る。
橋の向こうの対岸は国道1号線、そして上流・下流の風景である。
下流には「近江富士」も見える。
先ほどの「東海道」との交差点まで戻り、先ずは西へと進む。
右手の住宅の前に「明治天皇聖蹟」碑がある。
そして東海道は続いて行くが、この地点で折り返す。
駅前の交差点まで戻り、今度は東方向へと進む。
カラー舗装の東海道はここで終わる。
その左手には「常夜灯」が建っている。
東海道の渡しの場所であろと思われる。
右折れして、右手に駅を見ながら線路を渡り、進んで行く。
山裾にかかると左手に「天保義民の丘」の案内がある。
登ってみる。
柵で仕切られた広場があり、「天保義民之碑」が建っている。
天保13年、代官の不正な検地に抗議するため、総勢約4万人の農民がいっせいに蜂起した。犠牲も大きく、明治になって慰霊碑が建てられたものである。
そして、この高台から、「三雲駅」を眺め、ミニ探索を終了したのであった。