『丹波国・篠山城跡』
デカンショ節や篠山マラソンで知られる兵庫県篠山市の中心部にある篠山城跡の復元された大書院である。
篠山城は大坂の陣の数年前、大坂城包囲と山陰道の守りのために徳川幕府によって築かれた平山城である。
築城の名手、藤堂高虎を縄張り(設計・監理)担当とし、池田輝政を総普請奉行として、20藩の大名によって天下普請された。
築城後は、松平三家八代、青山家六代の篠山藩主の居城として明治を迎えた。
城は内堀、外堀で囲まれた正方形の敷地で、堀や野積みの石垣が遺構として残っている。
また石垣には池田輝政の刻印が残されている。
明治になって廃城となり、大書院を除いて建物は破却された。
そして城内には、幼稚園、小学校、中学校、女学校が建てられたが、現在は小学校を残して場外へと移転している。
残っていた大書院は小学校の校舎や公会堂として利用されたが、昭和19年に火災で焼失し、平成になって再建されたものである。
城外の南堀外側から、天守台の石垣の様子、篠山小学校が木々の間から見える。
篠山城は史跡に指定され、100名城でもある。
また、城の西側には武家屋敷、東南側には商家群がありの国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。