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『宮城県・白石城』

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 宮城県の県南、白石市に白石城跡とそのかつての城下町がある。

 白石城は、鎌倉時代に白石を治めた刈田氏が築城したのが最初である。
 その後会津藩の蒲生氏郷や上杉景勝により支城として修築された。
 しかし関ケ原の時、伊達政宗により攻め取られ、以後仙台藩の南の護りとして、一国一城の例外として、片倉小十郎景綱が居住し、明治まで続いた。

 白石城はJR白石駅から市街地を抜けた西方の城山約75mに建っている。
 天守の代替えである三階櫓と大手門、塀が再建されている。
 城への門は幾つかあるが、駅から真っ直ぐの東口門から入る。
 尚、この東口門は、城下の浄土宗当信寺の寺門として移築されている。
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 遺構の石垣を見ながら登ると、先ずは右手に歴史探訪ミュージアムがある。
 その下には、白石市役所がある。
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 そのミュージアムの左手の石垣と塀の上に塀と城郭が見える。 
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 少し行くと、左手に戻る方向に大手一ノ門があり、それを潜ると大きな大手二ノ門がある。
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 大手二ノ門を潜ると本丸跡地である。
 三階櫓(天守)を望むことができる。
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 大手二ノ門と三階櫓との間に、鐘楼そしてかつての本丸の構成図が掲げられている。
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 三階櫓を南側、北側、西側の3方向から見た写真も併せて掲載させていただく。
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 本丸の周囲の土塁の上には、未申櫓の跡、辰巳櫓の跡がある。
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 また土塁の南の切れ目は裏御門跡である。
 この外側に南ノ丸跡もある。
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 本丸の西側には二ノ丸跡がある。
 郷土出身の明治時代の横綱「大砲」の等身大の像が建てられている。
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 本丸の北側には、厩門があった。
 そこには神明神社の一ノ鳥居が建っている。
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 その厩門は、城下の延命寺の寺門として保存されている。
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 城の北の沢端川の周囲には武家屋敷群があった。
 その一つが、文化財として残されている。
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 またその近くには「神石しろいし」が祀られている。
 この石の根っこは深く、白石市から仙台市泉区の根の白石まで続いていると伝えられている。
 遠い二つの場所にある石が繋がっているので、良縁祈願に御利益があると云われている。
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『福島県・二本松城』

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 福島県二本松市郭内にある「二本松城址」、別名「霞ヶ城址」である。

 二本松城は、室町時代、奥州探題になった畠山高国がこの地に城を築き、二本松と改名したのが最初と云われる。
 その後、戦国時代には、伊達氏との攻防、また会津若松城主蒲生氏郷の支城、上杉景勝の支城となった。
 関ケ原以降、徳川の家臣が入城し、最終的には丹羽長秀の孫の光重が10万700石で入城し、二本松藩の藩庁として整備され、白旗が峰の山頂に本丸に石垣が積まれ、三重の天守が築かれた。
 その後、明治維新まで丹羽氏の居城となったという経緯を持っている。

 二本松城へは、JR東北本線の二本松駅から徒歩で行くことができる。
 駅前の二本松神社の社頭を右手に進む。
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 そして神社に沿って左折すると、そこが大手門跡で、石垣が残っている。
 付近には図書館や歴史博物館、商工会議所などが設置されている。
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 登城道は登りとなる。
 そして丘を一つ越え、降り切ったところが城の前面で、城の全容を望むことができる。
 100m程度の山頂に石垣も見える。
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 先ずは右手にある史跡「旧二本松藩戒石銘碑」へ行ってみる。
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  「爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺 寛延己巳之年春三月」と記されている。
 意味は「武士の給料は人々の汗と脂の結晶である。民は虐げ易いけれども、神を欺くことはできない。だから民を虐げると、きっと天罰があるぞ」という戒めである。
 どこかの国の総理や大臣には、民主主義の根幹、主権在民の基本として、肝に銘じていただきたいと思う。

 城の側面を眺め、正面の千人溜へと行く。
 冒頭の標柱と共に、戊辰戦争時の二本松少年隊の像が建てられている。
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 この少年隊も会津の白虎隊と同様である。
 いよいよ城が攻められると知った少年達25名が力になろうと奮闘し、散っていったものである。
 右手に少年の着衣を縫う母の姿もあり、涙を誘う。
 西国(薩摩・長州)の武士達が大義名分があるのであろうが、他人の土地に攻め入り殺戮をしたと云う事実は、永久に残るのであろうと思われる。

 正面の門は再建された箕輪門である。
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 門から入り少し登ると広い三ノ丸である。
 三ノ丸から上は、本丸天守に向かう遊歩道が付けられている。
 途中、藩士自刃の地もある。
 西軍7千名に攻められた二本松城は防戦叶わず、家老や小城代が自刃した地とのことである。
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 更に進むと、頭上に石垣が見えてくる。
 そして桝形虎口を入る。
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 本丸天守である。
 天守の石垣の脇に、城代、勘定奉行自刃の地の石碑が建っている。
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 また天守以外に、西櫓台、東櫓台の石垣もある。
 西櫓台の向こうに、安達太良の山々が見える。
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 本丸天守から西方向へ降りる。
 本丸石垣が見事である。
 暫く降りると、搦手門跡の石垣も見られる。
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 新城跡には、少年隊の顕彰碑、智恵子抄詩碑もある。
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 もう少し降りると見通しの良い場所へと出る。
 土井晩翠の詩碑、城の案内図、そして西に山が綺麗に見える。
 山は、左から和尚山、安達太良山、鉄山、箕輪山である。
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 更に降りる。
 途中に丹羽神社、そして傘松がある。
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 茶室「洗心亭」もある。
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 そして、城の側面から正面へと戻り、城跡探索は終了である。
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『青森県八戸市・根城』

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 青森県八戸市の馬淵川右岸にある中世の城「根城(ねじょう)跡」である。
 根城は国の史跡、かつ日本100名城の1つである。

 根城跡の現在は下図のように東から「東善寺館跡」、「中館跡」、「本丸跡」が残っている。
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 根城は、南北朝時代に陸奥国司の国代として任じられた南部師行が統治をおこなうべく築いた城で、南朝方の根本となる城という意味から「根城」と名付けられたと云われる。

 根城跡へは東門から入る。
 この東門は八戸城の東門が移築されたものである。
 そしてすぐに三番堀跡を渡る。
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 右手は東善寺館跡である。
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 この辺りから、右手の中館跡、奥の本丸跡を望む。
 かなり広い城跡である。
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 本丸跡は高台の柵の中である。
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 本丸跡の正面には主殿が再建されている。
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 主殿の周囲に幾つかの建物が再現されている。
 先ずは鍛冶工房と野鍛冶場である。
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 続いて武具の工房である。
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 そして馬屋、納屋も再現されている。
 また本丸阯の石柱も建っている。 
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 本丸跡から城域の中館を振り返ったものである。
 そして、中館の横辺りにある本丸正面へ直線的に向かう入り口である。
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 根城は、江戸時代になって根城南部氏が遠野に移封となり、廃城となった。
 一方、南部氏の宗家は盛岡藩を築き、八戸はその支藩となったが、その後独立し、八戸藩が成立し、八戸城を本城としたのであった。

『青森県・八戸城跡』

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 青森県八戸市内丸の八戸城跡である。
 場所はJR本八戸駅と八戸市役所に挟まれたところである。
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 上図の左手が本丸部分で、現在は三八城(みやぎ)公園と三八城神社となっている。
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 また右手は二ノ丸部分で、現在は龗神社(おがみじんじゃ)や南部会館、そして一般の住宅地となっている。
 市役所の前の南部会館の入り口には、城門の一つである「八戸城角御殿表門」が保存されている。
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 三八城公園内には本丸跡碑がある。
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 築山が設けられ、その上に城跡碑、そして八戸藩初代の南部直房公の座像がある。
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 八戸には南北朝時代に築かれた城「根城」がある。
 南部氏は根城を本城とし、現在の八戸城の場所に支城を築いたのが八戸城の始まりである。

 江戸時代になって南部藩は盛岡に移封され、八戸はその直轄地となったが、その後八戸藩2万石が成立し、南部直房が初代藩主となって明治まで続いたという経緯を有する。

 本丸跡は少しの高台で、八戸市街地の西部を望むことができる。
 また、その西部には国の史跡の根城跡があり、入口門として八戸城の東門が移築されている。
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 三八城公園の隣の三八城神社である。
 歴代の藩主を祀る神社として明治時代に創建されたものである。
 境内には義経北行伝説の一部である「弁慶石」があり、怪力弁慶が足形を押したものとされている。
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『福島県・石川城跡』

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 福島県石川郡石川町下泉、阿武隈川の支流今出川 の西岸に張り出した八幡山(比高50m)に築かれた平山城「石川城」別名「三芦(みよし)城」本郭跡の標柱である。
 
 平安時代末期、前九年の役にて功があった奥州石川氏の祖の源有光が奥州仙道(中通り)の地を賜り、築城したものと云われている。
 本郭跡は、山頂にあるが、そこは陸奥一之宮「石都都古別(いわつつこわけ)神社」の境内であり、神社参拝と同時に城跡の見学をすることができる。

 神社・城跡へは川沿いの参道石段を登る。
 登り詰めると、石門がある。
 神社の鳥居兼城の本郭虎口である。
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 神社の境内はそう広くはない。
 そして境内・本郭には土塁が設けていたのが見られる。
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 境内の中には冒頭の標柱が立てられ、その付近に狼煙台跡、見張台跡がある。
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 石川城は概ね、本郭と西館で構成されていた。
 神社境内の本郭を離れ、西館方向へ向かう。
 途中、かえでの紅葉が見られるのも季節である。
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 本郭の下から、本郭を眺めると、高台となっていることが分かる。
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 西館との間に大きな堀切がある。
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 堀切を過ぎると、西館である。
 大規模ではないが、少しの高台の削平地である。
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 他にも曲輪跡が見られるが、探索はこの程度にして、神社の参道を降りる。
 参道石段の途中から、石川の街並みが眺められる。
 右奥の学校は、高校野球でよく知られている「学法石川」である。
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 尚、石川城は豊臣秀吉の奥州仕置にて、石川氏が改易処分となった際に廃城になったと云われている。


プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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