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『弘前市・弘前天満宮』

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 青森県弘前市西茂森に鎮座する「天満宮」の社頭の社名標柱である。
 場所は、弘前城の南に続く台地の上で、西は大きく落ち込んでいて、岩木山の眺めが絶大なところである。

 神社は南面していて、先ずは一ノ鳥居を潜る。 
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 続いて正面の二ノ鳥居を潜る。
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 更に三ノ鳥居であるが、その手前に右手東からの脇参道の鳥居も見える。
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 拝殿の手前には一対の狛犬がある。
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 その先は拝殿、本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、菅原道真朝臣命、文殊菩薩である。
 学問の神と知恵の菩薩が同時に祀られていて、ご利益は倍以上になるのであろう。

 本殿の左隣には稲荷神社が祀られている。
 これは津軽ダム建設により水没する砂子瀬地区の稲荷神社が遷宮されたものとのことである。
 住宅も水没となったが、住民の方々も別の場所に移動したとのことであった。
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 境内には樹齢500年以上の県天然記念物の枝垂桜がある。
 「大行院の枝垂桜」とも云われ、その脇に少彦名神、若木神を祀る若木社が祀られている。
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 かつてこの地は、弘前藩初代藩主の津軽為信が大行院栄尊を招き、開基したといわれる「大行院」という修験の寺院があった所と云われている。
 明治になって修験廃止令が出され、「大行院」も廃寺となったので、橋雲寺から天満宮をこの場所に遷宮し、天満宮と称するようになったと云う経緯があるとのことである。

 境内は広く、多くの石碑や句碑が建てられている。
 その中に「芭蕉翁」と彫られたのがある。
 芭蕉は1688年春、「笈の小文」の旅の途上で「しばらくは花の上なる月夜哉」を詠んだとのことである。
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 最後は西の風景、雄大な岩木山である。
 但し、頂上付近に雲が掛かり、少しは残念である。
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『吹田市・佐井寺』

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 大阪府吹田市佐井寺(さいでら)の伊射奈岐神社の南隣にある佐井寺を訪ねた。

 佐井寺は三蔵法師に付いて修行した僧道昭により、白鳳時代に草創され、その弟子の2世道楽、3世行基と奈良時代にかけて、七堂伽藍と六坊の大寺院が完成されたと云われている。 
 行基が寺の西の山(愛宕山、行基山ともいう)に瑞光を見て、その山の土中より栴檀の十一面観音像を掘り出し、祀ったのが創建であると云われている。
 また佐井寺は別名、山田寺(さんでんじ)とも号されている。

 参道石段を登り切ると、左手に地蔵堂、右手に摂津国八十八ヵ所霊場の第四十四番の薬師堂が建っている。
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 そして左手に「佐井の清水」という標柱がある。
 この清水は行基の祈祷にて湧き出したとの逸話があり、現在も湧水がある。
 江戸時代の初期、京都所司代板倉重宗がこの清水で母の目の看病をしたところ、眼病が治ったとの逸話もある。
 それに感謝した重宗は清水の参道向かいに鐘楼を寄進したと云われている。
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 正面は本堂であるが、その手前に灯篭がある。
 その灯籠には、寄進年代が一つは天明、もう一つは享保と彫られている十八世紀後半のものと前半のものである。
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 本堂には、﨑寺山の扁額が掲げられている。
 本尊は行基が掘り出した十一面観音像である。
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 また、鐘楼の裏には、近隣から集められたのであろうか、多くの地蔵仏が五輪の塔を囲んでいる。
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 寺の周辺は佐井寺の集落である。
 趣のある土蔵や住宅が見られる。
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『吹田市・伊射奈岐神社(佐井寺)』

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 大阪府吹田市佐井寺に鎮座する式内社「伊射奈岐神社」の標柱である。
 延喜式では摂津国島下郡には伊射奈岐神社二座とされていて、もう一座は山田に祀られている。
 但し山田の方の主祭神は女神の伊射奈美命であり、この佐井寺の方は男神の伊射奈美岐命で、この神社は奥宮との通称もある。

 この神社は南北に長い吹田市域のほぼ中央辺りにあり、JRや阪急の吹田駅から北上するバス便が便利である。
 神社は丘陵地の一層高い部分に鎮座している。

 参道は石段となるが、入り口左手に末社が2社祀られている。稲荷神社と大将軍神社である。
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 石段の途中に鳥居と標柱がある。
 そして更に石段が続く。
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 石段を登り詰めると正面は拝殿であるが、その手前に一対の狛犬が祀られている。
 そして社名標「伊射奈岐社一座」も建てられている。
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 拝殿本殿は、近年の建築であろう。
 唐破風の作りが豪華である。
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 主祭神は伊射奈岐大神、併祭は八幡大神、素盞鳴大神である。

 神社には車で登れる裏参道がある。
 そちらから退出し、裏参道入り口辺りから見上げると、本殿は崖の上にあるような様相である。
 そして住宅街の中の道を辿ると案内看板が設けられている「佐井寺北」のバス停へと出る。
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 尚神社の門前に大きな構えの民家があったので、記録にとどめておく。
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『大阪市・止止呂支比賈命神社』

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 大阪市住吉区沢の町に鎮座する式内社「止止呂支比賈命(とどろきひめの)神社」の社名標柱である。

 神社は南海電車高野線の沢の町駅のすぐ近くにある。
 沢の町は馴染みが少ないが、場所的には住吉大社とあびこ観音を結んだ直線のほぼ中間点にある。
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 先ずは、社頭の鳥居を潜る。
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 正面参道の先は拝殿、本殿である。
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 本殿の祭神は、素戔嗚尊とその妃の稲田姫(くしなだひめ)尊である。

 この神社の創建は不詳とのことである。
 社名の「とどろき」とは、創建当時、神社の松林の中に清水が涌く轟池があり、轟橋が架けられ、その橋名から社名が付けられたと云われている。
 そして当時は、住吉大社の摂社であったと云われている。

 平安時代の後期、後鳥羽上皇の行幸の折、行宮を建てたことから、若松宮とも呼ばれるようになったとのことである。
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 境内社に、霰松原神社が祀られている。
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 そして霰松原神社には、式内社「天水分豊浦命(あめのみくまりとようらのみこと)社」が合祀されているとのことで、石柱が建てられている。
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 更に境内には「黒長社」が祀られている。
 御神木で見かけた蛇を黒長大神とりて祀っているとのことである。
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 その他、境内には絵馬殿、さし石(力石)、お稲荷さんが祀られている。
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『神戸市・走水神社』

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 兵庫県神戸市中央区元町に鎮座する「走水(はしうど)神社」の社頭である。

 神社へは、元町商店街、即ち旧西国街道の五丁目辺りから入る裏参道からのアプローチが分かり易い。
 裏参道を辿ると神社横の入り口を過ぎる。そして走水通りに突き当り、右手が冒頭の社頭である。
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 鳥居を潜ると正面は拝本殿であるが、その手前に一対の狛犬ならぬ狛牛が祀られている。
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 そして右手に筆塚、正面に拝殿、本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、天照皇大神、応神天皇、菅原道真公である。
 社伝によれば、平安時代に菅原道真公が大宰府に左遷された折、九州筑紫に向かう途中にこの地に立ち寄り、里人に高徳を施したと云われる。
 その後、里人たちは菅公の余徳と温情を偲び、祠を祀ったのが起源とされている。

 そして、戦国時代に武将荒木村重がこの地の北に花隈城を築いた時、この地は搦手に当たることから、鎮護のために八幡宮を勧請したと云われる。
 江戸時代になって、尼崎藩主青山氏が天照皇大神を祀ったと云われている。

 境内社には、本殿左手に稲荷大明神と白竜大明神を祀る稲荷神社、並んで三宝荒大神がある。
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 尚、走水(はしうど)という神社名は、かつてこの辺りに宇治川という川が流れていて、雨が降る度に河水が渦を作って流れ、村に被害を与えてきた。
 その川の様子を「走り渦」と云い、訛って「はしうど」となり、村の名も走水村となったので、その村の名から社名をつけたと云われている。

 もう一つの説は、この地域に、天皇に仕えていた氏族の間人(はしうど)氏が住みついていたことから付けられたという説もある。

『神戸市・旧居留地』

地図

 兵庫県神戸市の旧居留地とは、JR三ノ宮と元町駅の間の、海岸との間に明治時代に外国人が居住した治外法権の場所を云う。
 正確に云えば、北は西国街道、東は埋め立てられた旧生田川のフラワーロード、西は埋め立てられた旧鯉川の現在の鯉川筋(上の地図ではメリケンロード)の領域である。

 この旧居留地を訪ねて見る。
 JR元町駅で下車し、少し海岸方向へ向かうと左手正面に大丸デパートがあり、この背後の区画が旧居留地である。
 大丸前にはモニュメントも建てられている。
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 メリケンロードの向かい側には、元町商店街への入り口、そして南京町への東門「長安門」がある。
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 ここに南京町があるのは、当時、清国とは条約が未締結であったため、華僑は居留地に住むことができずに、西隣に居住区を定め、中華街を形作ったいう経過を有する。

 旧居留地は、街区の中央には、南北の京町通り、東西の仲町通りがメイン道路として通っている。
 仲町通りは、阪神淡路大震災の鎮魂の行事である「ルミナリエ」で有名な通りでもある。
 丁度、その時期であったので、飾り付けがなされている。
    仲町通り1  仲町通り2  仲町通り3

 大丸に近いところから、仲町通りの建物を眺めて見る。
 先ずは大丸の一部である大丸裏の「38番館」、「三井住友銀行」、そして銀行の東横には「宮城道雄の生誕碑」がある。
    大丸38番館  三井住友  宮城道雄

 更に北へ行くと神戸朝日ビルの横となり、前に回ると大丸の東北側の入り口も見える。
    朝日新聞ビル  朝日新聞  IMG_7544.jpg

 東側の次の通りは片側2車線の京町通りである。
 日本ビルヂング、そしてビルの番号の門柱が文化財として残されている。
    京町通り  日本ビルヂング  IMG_7522.jpg

 再び仲町通りへ戻り、東へ行くと109番館がある。
 その先はルミナリエの東公園である。
               109番館

 次に一本南の前町通りを見てみる。
 神戸市立博物館、そして居宅状の15番館である。
    神戸市立博物館  神戸市立博物館2  15番館

 もう一本南の通りは海岸通りである。
 東から、チャータードビル、神港ビルヂング、商船三井ビルヂングである。
    チャータードビル  神港ビルヂング  商船三井

 そして、海岸ビル、メリケンロードを挟んで神戸郵船ビルであり、レトロ調の建物が並ぶところである。
         海岸ビル  神戸郵船ビル

『堺市・陶荒田神社』

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 大阪府堺市中区上之(うえの)に鎮座する式内社「陶荒田(すえあらた)神社」の社頭である。
 陶荒田神社へは、泉北高速鉄道の「深井駅」で下車、南海バスに乗って「上之バス停」が最寄りである。
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 バス停の背後の一段と高い所には一ノ鳥居が建ち、鳥居を通して神社の杜が見える。
 周辺は田圃と住宅地が広がる混成の地域である。
 一ノ鳥居から参道を歩くと、冒頭の社頭へと到着する。
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 境内は広い。
 拝殿に至るまで、両側に境内社が祀られている。
 先ずは弁天社と戎神社。
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 次に安産の神の山田社、老松社、そして太田社と玉の緒社である。
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 拝殿の前に、一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
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 拝殿の上部には、鳳凰と龍の彫り物が掲げられている。
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 そして背後の本殿である。
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 本殿の祭神は、高魂命(たかむすびのみこと)、八重事代主命、菅原道真公である。

 この神社の成り立ちは、第10代崇神天皇の時代に素戔嗚命十世の孫の太田田根子がこの陶邑に社を建てたと云われている。
 そして、祭神高魂命五世の孫、劔根命の子孫にあたる荒田直(あらたのあたい)がこの神社の祭祀を行い、陶荒田神社と名付けたと云われる。
 陶とはこのあたり広域で須恵器の生産を行っていたことから、元来、陶邑と呼ばれていたものとのことである。

 尚、太田田根子は大和の大神神社の祭祀を行っていたことから、この神社と大神神社の関係は大なるものがあるとの話もある。

『堺市・宿院頓宮と利晶の杜』

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 大阪府堺市の中心地、堺区宿院(しゅくいん)町のフェニックス通りの中央分離帯に立っている「宿院頓宮」の標柱である。
 この頓宮は標柱にある通り、摂津国一之宮の住吉大社と和泉国一之宮の大鳥大社の両社の頓宮である。

 この標柱の少し西のかつての紀州街道との交差点に一対の灯篭が立っている。
 頓宮は、その灯籠のところから現在の神社境内の所まで、フェニックス通りの両側に広がる広大な神域を持っていたと云われる。
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 下図の左上から右下への道路がフェニックス通り、右上から左下が紀州街道、即ち路面電車が走る大道筋である。
 図の中心が宿院の電停並びに交差点で、灯篭はこの場所にある。
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 宿院頓宮は、古代に住吉大社の御旅所として創建されたと云われている。
 その後、白鳳時代に式内社の大鳥井瀬神社が創建され、江戸時代の初めに波除住吉神社が創建されている。

 そして明治時代に大鳥神社の御旅所ともなり、大正時代に上記の2つの神社が頓宮境内へ遷座されたものである。
 そして堺空爆で大打撃を受け、その後、境内地が六分の一に縮小となり再興されたのが現在の姿である。

 鳥居を潜ると右手に一対の狛犬が祀られている。
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 そして左手は拝殿、本殿である。
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 本殿の祭神は、住吉大神四柱と大鳥井瀬大神である。

 また境内には、兜神社𦾔蹟の標柱、熊野集会所などがある。
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 神社右手は、公園となっている。
 舞台、住吉大社に纏わる「白夜の白兎」群像がある。
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 更にその右奥に、住吉大社飯匙堀がある。
 海幸山幸神話の彦火火出見尊が海神より頂いた潮満珠(しおみつたま)、潮干珠(しおひるたま)を埋めたと云われている空池である。
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 元の灯篭の所まで戻り、大道筋を西へ渡ったところに最近に建てられた「利晶の杜」と名付けられた建物がある。
 千利休、与謝野晶子を記念した施設である。
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 利休の茶室や晶子の生家などが展示されているところである。
 一階ロビーには、16世紀末に描かれた日本地図も展示されている。
 現在の地図と比較してみると、面白いものである。
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『堺市・大浜公園』

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 大阪府堺市堺区大浜北町、南海本線堺駅西の旧堺港の南に隣接する「大浜公園」である。
 大浜公園は、明治12年に旧堺港の南にあった陸軍の砲台跡を公園化されたもので、その後、大阪で内国勧業博覧会が開催された時の第二会場となり、水族館が設置され、東洋一の水族館として賑わったと云われている。
 更には、公会堂、潮湯、海水浴場、料理旅館や土産物屋なども造られ、当時、関西有数のレジャー地となったところである。

 しかし、昭和になって、台風で壊滅したこと、更には海側に臨海の工業地帯の埋め立て工事が始まり、かつての面影が亡くなり、その後、野球場、屋外プール、体育館、テニスコート、相撲場などが開設され、スポーツ・レクリエーションの場となって、現在に至っている。
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 尚、上写真の右の相撲場は、学生相撲発祥の地として知られている。

 園内の中央は広い遊歩道が貫いている。
 これは公園の中を臨海道路が通っていた名残である。
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 この遊歩道を跨ぐ乙女橋も残されている。
 橋上は展望所ともなり、北の旧堺港の龍女神像も見通すことができる。
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 そして、乙女橋を北へ降りたところに猿の飼育舎がある。
 当時の面影を継いでる施設である。
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 大浜公園の南の部分の拡大図である(北は右方向)。
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 公園内には瓢箪池や蘇鉄山という自然を生かしたところがある。
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 蘇鉄山は一等三角点の山では標高6.97mの日本一低い山であり、これも名所となっている大浜公園である。
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『京都府久御山町・室城神社』

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 京都府久世郡久御山町下津屋に鎮座する木津川右岸の式内社「室城(むろき)神社」の社頭である。
 創建は奈良時代、聖武天皇の勅願により、天神地祇をこの地に祀ったことに始まると云われている。
 また、その後、聖武天皇はこの神社に悪疫退散を祈願して、弓矢を奉納したと云われる。

 神社は木津川土手に隣接している。
 神社は江戸初期の洪水により流失し、現在の社殿は仮殿と伝えられている。
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 参道を進むと石の鳥居が祀られ、その先は拝殿である。
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 拝殿の左に離れて本殿拝所、そして本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、邇邇藝命(ににぎのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)、大雀皇子命(おおさざきのみこと、仁徳天皇)、迦具土之命(かぐつちのみこと)である。

 また本殿前には、一対の狛犬が祀られている。
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 境内社には、稲荷社、住吉社などが石の鳥居と共に祀られている。
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『京都府久御山町・雙栗神社』

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 京都府久世郡久御山町佐山双栗(さぐり)、木津川右岸に鎮座する式内社「雙栗(さぐり)神社」の標柱である。
 雙栗神社は住宅街の中に長い参道と広い神域を有する。

 参道入り口には鳥居、そして途中の御厨池旧蹟の石柱の所で参道は左折れする。
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 更に参道を進むと割拝式の拝殿そしてその先に本殿が現れる。
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 本殿前には、一対の狛犬が祀られている。
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 本殿は瑞垣に囲まれ、拝所がある。
 そして本殿は極彩色の装飾が施された室町時代の建築で、重要文化財でもある。
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 本殿の祭神には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、須佐之男命(すさのおのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)に合わせて、平安末期に木津川河口の男山石清水八幡宮から勧請した八幡神が祀られている。

 尚、八幡神を合祀して以来、神社は「椏本(あてもと)一品八幡宮」と呼ばれ、明治になって「雙栗神社」に復している。

 境内には、大クスがある。
 樹高30m、幹回り535cmの巨樹で、樹齢400~500年と推定されている。
 また大クスの傍らには、稲荷社が祀られている。
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『宇治市・巨椋神社』

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 木津川右岸で宇治川左岸、大和街道沿いのかつての巨椋池の東に鎮座する式内社「巨椋(おぐら)神社」の社名標柱である。
 現在の場所で云うと、近鉄小倉(おぐら)駅の北東方向の住宅街の中である。

 社頭の鳥居を潜り、参道を進む。
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 正面は拝殿であるが、その手前に一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿は割拝式の拝殿で、廊を進むと本殿拝所である。
 本殿は覆屋に覆われている。
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 本殿の祭神は、武甕槌神(たけみかづちのみこと)、経津主神(ふつぬしのかみ)、天児屋根神(あめのこやねのかみ)、姫大神(ひめのおおかみ)である。 
 この神社は、当時の豪族である大和政権の家臣姓である巨椋連(むらじ)の氏神として祀られたと云われている。

 境内の西参道から東に向かい、子守神社が祀られている。
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 子守神社は、文徳天皇の皇子「惟喬(これたか)親王」が子供の愛護のために建立したと云われる。

 他に境内社として、八幡神社、天満宮社、勝手神社・大国主神社が祀られている。
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『宇治市・伊勢田神社』

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 京都府宇治市伊勢田町、木津川の右岸で、近鉄伊勢田駅の北西方の近くに鎮座する式内社、「伊勢田(いせだ)神社」の社名標柱である。

 神社は南面していて、南方から参道が始まる。
 参道が一般道を横切る右手前に八幡神社が鎮座している。
 八幡宮のすぐ左が道路である。
 道路の向うに冒頭の標柱が建っている。
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 標柱横の参道を進む。
 途中に鳥居が建てられている。
 更に進むと、もう一本一般道があり、その先は社頭である。
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 左手に大歳神(おおどしのかみ)が祀られている作田神社がある。
 そして正面は本殿拝所であり石段を登る。
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 拝所の前には、一対の狛犬が祀られている。
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 そして屋根を朱塗りの銅板で覆った本殿である。
 極彩色の彫刻が施されていたようであるが、かなり色褪せている。
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 本殿の祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)、多力雄神(たぢからおのみこと)、萬幡豊秋津姫命(まんはたとよあきつひめのみこと)である。

 本殿の左には春日社、右手には稲荷神社が祀られている。
 そして、石柱にて住吉大神が祀られている。
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 その他拝所の段下左手に白い土蔵があり、朱塗りとのコントラストをなしている。
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『宇治市・旦椋神社』

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 木津川右岸の式内社、近鉄大久保駅の南西方向、宇治市大久保町に鎮座する「旦椋(あさくら)神社」である。
 現在はこの神社社名柱の所が参道入り口で、北へ向かって参道が続き、途中で鳥居を潜る。
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 その先、一般道を横切り、神門へと到達すると境内である。
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 境内正面には割拝式の拝殿、続いて廊、そして本殿と続く。
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 本殿の手前には一対の狛犬、そして本殿は極彩色である。
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 本殿の祭神は、高皇産霊命(たかみむすびのみこと) 、神皇産霊命(かみむすびのみこと)、菅原道真公である。
 
 元の旦椋神社は、少し西の現在の旦椋地区にあった。
 戦国時代にその神社は焼失し、元々神社の現在の場所にあった天満天神に合祀され、新たな旦椋神社になったと云われている。

 本殿には天満宮の提灯、境内には神牛、そして覆屋の中に天満天神社が祀られていることからして、天満宮が主なのであろうか?
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 また境内には宇治市の銘木百選、樹齢400年の椎の木が群生している。
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 更に、神社参道を横切る道路の所に、神社の境内も含めて、この辺りは古墳時代から奈良時代にかけてのの遺蹟「旦椋遺蹟」であったという説明看板もある。
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『城陽市・水主神社』

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 木津川右岸の式内社、今回は京都府城陽市水主宮馬場に鎮座する式内社「水主(みずし)神社」である。
 神社の社叢の向うに、橋と堤防が見える。
 木津川はその向こうに流れている。

 この神社の神域境内にもう一つの式内社が祀られている。
 右の標柱の「樺井月神社」である。

 先ずは田圃の間の参道を進む。
 途中に石の鳥居がある。
 次に境内に入るところに二ノ鳥居がある。
 そして境内である。
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 境内の左手には絵馬殿が祀られている。
 そして正面に、割拝式の拝殿が祀られている。
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 拝殿の正面に本殿が見えるが、その両脇に一対の狛犬が祀られている。
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 そしてその先は本殿である。
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 本殿の祭神は、天照御魂神(あまてるみたまのかみ)を始めとする10神である。

 隣に樺井月神社が鎮座する。
 木津川の渡しの安全に関わる神であったとのことである。
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 この祭神は月読命(つきよみのみこと)である。

 境内内の末社として、野上神社、稲荷神社、金刀比羅神社も祀られている。
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 そして境内には針乃塚が祀られている。
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 祭神の大縫命(おおぬいのみこと)、小縫命(おぬいのみこと)に関わるものであり、衣類の女神から端を発している石碑であり、衣縫大祭も開催される。

『城陽市・粟神社』

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 木津川の右岸、京都府城陽市市辺に鎮座する延喜式神社名帳に記載されている「粟神社」の社名柱である。
 山の麓にある神社で、社頭には社名柱と鳥居が建てられている。
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 鳥居を潜り、少し行くと石段があり、その先には一対の灯篭、そして拝殿がある。
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 その先、拝殿から覗くと、一対の狛犬が本殿の手前にある。
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 そして本殿である。
 本殿は覆屋に包まれているので、全容を見ることはできない。
 隙間から眺めると、色褪せてはいるが一端を拝見することができる。
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 本殿の祭神は、由緒書きなどが見られないので、不明である。
 一説には、少彦名(すくなひこな)命、粟直(あわのあたい)の祖神、などと云われているようである。

 境内には歌碑も設けられている。
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 尚この粟神社の周辺には人家は見られないが、最近にバイパス道路が敷設され、その道沿いとなったので、容易に参詣することができるようになっている。

『木津川市・綺原神社』

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 京都府木津川市綺田(かばた)に鎮座する式内社の「綺原(かんばら)神社」の社名標柱である。
 綺原神社の正式社名は、社名柱に示されるが如く「綺原座健伊那太比賈(かんばらにますたていなだひめ)神社」である。
 ここで健とは健康のこと、伊那太とは稲田のことで、達者で農業に勤しめることを祈念したものと云われている。
 またこの神社は、神に献ずる衣服を織る技術者集団・養蚕技術者を祀った社ととも云われ、秦氏の機織の守護神を祀ったものであるともされている。

 神社は、前の涌出宮の北に位置していて、木津川の右岸である。
 
 神社へは、この標柱の所の鳥居を潜る。
 そして参道石段を登り詰めると境内となる。
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 参道石段の脇の境内入り口には、2頭の神牛が祀られている。
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 境内の左部分に一対の狛犬が祀られ、拝殿、本殿が祀られている。
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 本殿には、健伊那太比賈(たていなだひめ)命が祀られている。
 また、本殿右手には、祭神が菅原道真公である天神社が祀られている。
 その神社前には、一対の神牛が祀られてもいる。
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 境内社には、本殿の裏に天照皇大神宮、その左手に蛭子神社が祀られている。
 また右の山側には、横並びに6社、右から春日神社、倉稲魂神社、天神社、九元神社、市杵嶋姫神社、春日神社が祀られてい る。
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 お参りした日は、木津川アート2016が開催されていて、神社境内にもその作品が並べられていた。
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 神社前の道は古代の大和と京を結ぶ山背(やましろ)古道という。
 この道を挟んで、蟹満寺という古刹がある。
 そしてその寺のあたりから神社のこんもりした杜を眺めることができる。
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『木津川市・涌出宮』

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 京都府木津川市山城町平尾に鎮座する式内社「和伎座天乃夫岐賈(わきにますあめのふさめ)神社」、通称「涌出宮(わきでのみや)」の参道口である。

 木津川右岸(東側)にも、多くの式内社が鎮座している。
 奈良に近い旧山城国南部から北に向けて順次訪ねて見ることにする。

 涌出宮の鳥居は西方向の木津川方向に向いている。
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 社叢の中の参道を進むと参道は途中で左折れし、そこには二ノ鳥居。そして四脚門の神門を潜る。
 神門の手前には、神社正式名称の社号碑が建てられている。
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 広い境内の正面は割拝式の拝殿である。
 その先は幣殿、そして本殿である。
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 本殿の祭神は、天照大神の御魂であるとされる天乃夫岐賈命(あめのふさめのみこと)、そして田凝姫命(たごりひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、端津姫命(たきつひめのみこと)である。
 これらの神々は奈良時代の称徳天皇の時代に伊勢より勧請されたとされ、神社の創建となっている。

 尚、奉遷直後、一夜にして森が湧き出し、社叢が神社の杜が形成されたので、里人たちは恐れ且つご神託を称え、「涌出の森」「涌出宮」と称したと云う逸話が残っている。

 本殿の周辺には境内社が祀られている。
 手前左から時計回りに、春日神社、熱田神社+日枝神社+八幡宮、大国主神社+市杵島神社+熊野神社が祀られている。
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 更に、天神社、稲荷神社、そして狛犬も祀られている。
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 その他、東門と最近に築造された神楽殿・社務所、また紅葉も盛りである。
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 参拝を終え神社入り口へと戻ると、そこはJR奈良線の棚倉駅前である。
 そして案内図により、位置関係がよく分かる。
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『木津川市・岡田国神社』

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 京都府木津川市、かつての山城国南部の木津川左岸に鎮座する式内社、大和国との国境に近い「岡田国神社」の標柱である。

 岡田国神社の創建は不詳であるが、飛鳥時代に生国魂(いくたま)尊を祀ったのが創建とされている。
 その後平安時代になって、先ずは八幡神を合祀し、天神信仰が盛んとなってからは、菅原道真公を合祀し、天神宮と呼ばれるようになったとのことである。
 そして明治になって、延喜式に記されている岡田国神社が該当するとのことで、以後はその神社名とされている。

 神社へは、国道24号線と163号線の交差点「大谷」から参道が東へと始まる。
 参道入り口には朱塗りの大鳥居が建てられているので、迷うことはない。
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 参道はJR奈良線を跨ぐ跨線橋ともなっている。
 神社社頭には冒頭の標柱そして「岡田恭仁(くに)神社」と書かれた灯篭も建っている。
 恭仁とは、奈良時代の途中に聖武天皇がこの木津川河畔の恭仁に新京「恭仁京」を営んだことに因んでいる。
 また背後の山の紅葉も見頃である。
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 神社境内は広い。
 入り口から眺めると、手前に社務所がある。
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 そして、左奥に左の氏子詰所、右手にも同様の右の氏子詰所が祀られている。
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 この詰所は、中央で能舞台が演じられる時の観客席になるものである。

 その奥は、拝殿、そして本殿である。
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 本殿の祭神は、生国魂尊、菅原道真公である。
 相殿には、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后の八幡神が祀られている。

 また瑞垣の中を覗いて見ると、本殿の全容、そして本殿に並び、小祠も祀られている。
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 岡田国神社には旧社殿も一段と低いところにそのままの形で保存されているのが下に見える。
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 石段を降りてその場所へ行くと、先ずは鳥居である。
 そしてそこからの風景である。
 現社殿と同様に、左右には氏子詰所がある。
 そしてその中央に能舞台がある。
 中世の南山城では、大和と同様に猿楽が盛んであった。
 そして神社にて神事猿楽が演じられ、氏子詰所は観客席として機能したとのことを示している。
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 そして右手奥は拝殿である。
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 拝殿の奥は、鳥居の先に左右2つの本殿が祀られている。
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 旧本殿の2殿は、神明帳によると、左本殿は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后の八幡神、右本殿は生国魂尊、菅原道真公とのことである。

 尚、岡田国神社は、境内飛び地をURに売却し、その資金で昭和58年に社殿を旧地の一段上部に新築したとの話があり、社殿の新しさから見て納得できる話ではある。

『木津川市・岡田鴨神社』

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 京都府木津川市の木津川左岸に鎮座する式内社「岡田鴨(おかだかも)神社」の社頭である。
 鎮座地は木津川市加茂町の北部、木津川に近いところである。

 鳥居を潜ると参道が続き、神門の手前の左右に2基の灯篭がある。
 左手は天満宮、右手は加茂大明神の銘が彫られている。
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 これには理由がある。

 現在の鎮座地は、元明天皇の岡田離宮の旧跡を保存するために天神社が祀られ、その天神社が菅原道真公の薨去の後に道真公が祭神となった天満宮である。

 一方、岡田鴨神社は、現在地の西方に鎮座していた神社であった。
 祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、日向の高千穂の峰に降った神で、神武天皇東征の際、八咫烏に化身し熊野から大和への難路を先導したと云われている。
 そして大和平定後、神は葛城の峰に留まり、次いで山城国岡田賀茂に移られ、京都の賀茂御祖神社(通称下鴨神社)に鎮まったものである。
 そして、崇神天皇の時代に、賀茂氏族は下鴨神社より賀茂明神を勧請し賀茂氏族の祖神として賀茂建角身命を祀ったのが岡田鴨神社である。
 その後、木津川が岡田鴨神社に近い所を流れるように変わり、水害が頻繁になったため、神社を天満宮境内に遷し、岡田鴨神社は、天満宮との合祀神社となった経緯を物語るものである。

 割拝式の拝殿の様な神門は、絵馬殿のようでもあり絵画が掛けられている。
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 神門の先は境内である。
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 境内正面には拝所があるが、その手前に一対の狛犬、そして撫で牛が祀られている。
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 そしてその先は拝所であり、瑞垣の中には本殿が祀られている。
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 本殿は、左が天満宮で祭神は菅原道真公、右が鴨神社で祭神は賀茂建角身命である。

 そして境内社が祀られている。
 門に近いところから、八幡宮の拝所、鹿嶋御子の三十八神、金刀比羅神社である。
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 神社の西方に旧の鎮座地があると云うので、田圃の西の林の中へと出かけてみた。
 竹薮の中にそれはあった。
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 旧地の所から、現在地を見てみると、確かに少しの高台が神社の社叢となっている岡田鴨神社であった。
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『木津川市・相楽神社』

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 京都府の山城地域の神社、木津川の左岸の式内社が続く。
 木津川市の相楽(さがなか)清水に鎮座する「相楽(さがなか)神社」の社名標柱である。
 社頭の鳥居の左側であるが、右側には「八幡宮」の石盤も建っている。
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 鳥居を潜ると、その先は神門である。
 神門には「八幡宮」扁額が掲げられている。
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 境内の正面には一対の狛犬と拝殿が祀られている。
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 拝殿の奥は瑞垣の中に、本殿を始め、多くの神社が祀られている。
 先ずは中央に室町時代造立の重要文化財の本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、八幡宮であるので、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后である。

 そして本殿の左側には、左から松枝神社、島懸神社、そして若宮神社である。
 若宮神社の祭神は、神功皇后の子の仁徳天皇であろう。
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 本殿の右側には、本殿に並んで子守神社、そしてその手前に清水谷神社が、南向きで祀られている。
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 他にも、瑞柿の外、拝殿の左手には、豊八稲荷大明神が祀られている。
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 明治になって、延喜式神名帳には、『相楽 (そうらく)郡一座「相楽(サカラカノ)神社」と明記されていることが分かり、「八幡宮」と呼ばれてきたが、神社名を相楽神社としたとの経緯を辿っている。

『京都府精華町・祝園神社』

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 京都府相楽(そうらく)郡精華町大字祝園(ほうその)小字柞(ははそ)ノ森に鎮座する式内社「祝園神社」の社名標柱である。
 祝園神社は、木津川の左岸に鎮座している式内社で、精華町の唯一の式内社である。

 神社の鎮座地である柞ノ森とは、崇神天皇の時代に、この地で討伐された武埴安彦(たけはにやすひこ)の亡魂が鬼神となってこの森に止まり、人々を悩ませていたので、これを鎮めるために、春日大明神を勧請し、神護景雲4年(770年)に創建されたと云われている。

 神社は、木津川堤防に近いところにある。
 北側に開(ひらき)橋という橋が木津川に架かっている。
 
 柞ノ森は、住宅街と密接している。
 住宅街を南北に貫いている道路は、神社の参道でもある。
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 社頭の鳥居を潜ると、左右に灯篭が並び、その先は神門である。
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 神門を潜ると境内となる。
 境内の中央には、寺院の如くに灯篭が祀られている。
 その先は、割拝式の拝殿である。
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 拝殿の先は本殿であるが、その手前に一対の狛犬が祀られている。
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 本殿は、覆屋に包まれているので、その詳細を拝見することができない。
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 本殿の祭神は春日大明神で、比売神を除く3神、天児屋根(あめのこやね)命、武御雷(たけみかづち)命、経津主(ふっつぬし)命
である。
 
 本殿の周囲には境内社が祭られている。
 先ずは左手に、西宮神社、天満宮である。
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 本殿の裏手に、5つの社が並んでいる。
 手前から、稲荷神社、出雲神社、有功神社、祈雨神社、熱田神社である。
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 そして本殿の右手に、熊野神社、大神宮が祀られている。
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『京田辺市・朱智神社』

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 京都府京田辺市の天王地区に鎮座する木津川左岸の式内社「朱智(しゅち)神社」の社名標柱である。
 場所は京田辺市の西部で、大阪府枚方市との境界となっている山地の東斜面である。

 天王地区の集落の中心部は標高200m程度の所にあり、朱智神社はそこから急坂の道を高さ80m程度登ったところの山中にある。

 集落の外れの最高部には灯篭があり、灯篭前を右折れして登ったところが社頭である。
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 石の鳥居を潜ると、参道は左へ折れるが、突き当りには社名石盤が祀られている。
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 左折れすると、長い石段であり、途中に二ノ鳥居がある。
 石段の途中から、拝所が見える。
 また、石段の途中右手に、神牛が祀られている。
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 石段を登り詰めると、一対の狛犬が祀られている。
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 そして狛犬の先には拝殿はなく、本殿の唐門となる。
 唐門の向うには本殿が祀られている。
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 本殿の主祭神は迦爾米雷王命(かにめいかづちのかみ)、配祀は須佐之男命(すさのおのみこと)、天照國照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかり)である。
 迦爾米雷王命(朱智天王)は弥生時代の開花天皇の孫とされ、且つ神功皇后(息長帯比売)の祖父に当ると云われている。
 古代、この地は豪族・息長氏(おきながうじ)の勢力地となっていて、山頂に氏神として祖神を祀ったの創始とされている。
 この地を天王と呼ばれるのは、朱智天王から来ているとされている。

 本殿の左には、手前の住吉神社を始めとする境内社7社、右手には手前の天津神社を始めとする境内社6社が祀られている。
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『京田辺市・酒屋神社』

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 京都府京田辺市興戸(こうど)宮前に鎮座する式内社「酒屋神社」の社頭の標柱である。
 木津川左岸に鎮座する式内社の一つで、最寄り駅はJR学研都市線「同志社前駅」で、西側の山麓の同志社大学の北側に位置する。
 神社参道は、興戸の街中から続くが、山へ差し掛かると高架道路を潜り、紅葉の参道となる。
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 社頭の鳥居を潜ると、その先は割拝式の拝殿であり、扁額も掛けられている。
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 拝殿の先は石段で、登った両側に一対の狛犬が祀られている。
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 その先に本殿が祀られている。
    IMG_7311.jpg  IMG_7297.jpg  IMG_7300.jpg 本殿の祭神は、津速魂神(つはやもすびのかみ)と応神天皇である。
 津速魂神は、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連(なかやとみのさかやのむらじ)の先祖で、酒造りを伝えるとともに、祖神を祀ったものであると伝えられている。

 また、神功皇后が三韓征伐の際、神社背後の山に酒壺を三個安置して出立し、帰国後その霊験に感謝して、神社を創建したと云われ、皇后が朝鮮より持ち帰った「九山八海の石」が今もここにあると云われる。
 そして後の人々が、八幡神を勧請したものと思われる。
 
 本殿の左手前には多くの神が祀られる社がある。
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 神社一面に紅葉が綺麗であるのもこのシーズンならではである。
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 本殿の右手は、少年野球ができそうなくらいの広場がある。
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 その広場の山側にいくつかの境内社が祀られている。
 先ずは、若宮春日神社、天満宮神社、多賀神社である。
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 そして山中に入ったところに、龍王神社、稲荷神社が祀られている。
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『京田辺市・月読神社』

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 京都府京田辺市大住に鎮座する式内社「月読神社」の社頭の社名標柱である。

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 京都府の南部、旧山城国の地域には、数多くの式内社が存在する。
 この地域が、古代より、大和国や難波国と山城国との交通の要衝であり、多くの神社が祀られたものと思われる。

 木津川の左岸(西側)には、先日紹介した石田神社3社を北にして、内神社、天神社、今回の月読神社と南へ続いている。

 月読神社の社頭には、二つの石碑がある。
 一つは「隼人舞発祥の碑」で、九州南部から7世紀に移住してきた大隅隼人が隼人舞を神社に奉納すると共に、朝廷でも演じたとの謂れである。
 また「戸山流合気道発祥の碑」は、陸軍戸山学校にて始められた居合を、その創始者である森永師が、この地区に居住し伝えたものとの謂れである。
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 神社の鳥居を潜ると参道途中に二ノ鳥居が祀られている。
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 その先は拝殿、そして本殿である。
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 本殿の祭神は、月読尊(つきよみのみこと)、と親神である伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)である。
 月読尊は天照大神の弟神で素戔嗚尊の兄神であり、月を神格化して、夜を統べる神であると考えられている。

 神社には神宮寺として法輪山福養寺があった。
 境内は北隣の小学校まで広がっていたとされ、現在の神社境内には奥ノ坊があったとされている。

 いくつかの境内社が祀られている。
 参道左手には、稲荷社、足ノ神様、池の中島に弁天社が祀られている。
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 そしてその先に、宝生座発祥の碑、その奥に元薬師堂跡碑、本殿の左手に、御霊神社が祀られている。
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 また神社社頭からの参道の右手には、金比羅神社、天満宮が祀られている。
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 神社の門前の畑には、皇帝ダリアが綺麗に咲いている風景もある。
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『八幡市・内神社』

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 京都府八幡市内里(うちさと)内(うち)に鎮座する式内社「内神社」の社頭である。
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 鳥居を潜ると一対の狛犬が祀られている。
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 そしてその先、正面には拝殿・本殿の社殿が並ぶ。
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 本殿の祭神は、山城内臣(やましろのうちのおみ)、味師内宿禰(うましうちのすくね) である。
 山城内臣とは古代この辺りを支配した氏族と考えられ、また味師内宿禰は武内宿禰の弟で、内氏の祖先である。

 また境内には旧本殿が移築保存されている。
 この本殿は、江戸中期の建造で、京都府の登録有形文化財に指定されている。
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 境内社には、稲荷神社、厳島神社、奇神社が祀られている。
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 境内の右手には東参道があり、こちらへは内里の集落からそのまま入ることができる。
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 神社の玉垣の前には、農業用具の洗浄施設が設置されているのも、珍しい光景である。
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 内神社は、室町時代までは現在地から東南約700mのところに鎮座していたとのことで、その地には現在、内里古宮という地名が残されている。

 その地との中間付近から眺めた、神社の社叢の景色である。
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『京田辺市・天神社』

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 京都府南部の京田辺市松井に鎮座する式内社「天神社」の社頭の標柱である。
 場所は、JR学研都市線松井山手駅の北方、1.5kmの松井集落の裏手の小高い山である。
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 社頭の鳥居を潜ると最初の参道石段を登る。
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 登り詰めた踊り場の左手に、別の社名柱、右手に中性院跡の平坦地がある。
 真言宗派の神宮寺であったが、明治の神仏分離で廃寺になったものである。
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 そして二ノ鳥居、石段が続く。
 登りつめた所が割拝式の拝殿である。
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 拝殿を潜ると一対の狛犬、そして本殿である。
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 本殿の祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)の2神である。
 創建は桓武天皇の長岡京遷都の翌年であると云われている。
 現在の本殿は江戸天保年間の造営とされる。

 本殿は極彩色の色付けがなされている。
 20数年前に修復されたものであり、京都府の登録文化財である。
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 境内には、幾つかの境内社が祀られている。
 本殿の左手に、八幡社、春日社の社殿、右手に熊野社、松尾社、稲荷社の合祀社殿が祀られている。
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 また社名不明の境内社も2社、他にも遥拝所なども祀られている。
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『宇治市・許波多神社(五ヶ庄)』

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 京都府宇治市の五ヶ庄に鎮座する式内社「許波多(こはた)神社」の社頭の社名標柱である。
 この許波多神社は先の木幡地区に鎮座する許波多神社の南、1km弱の所に鎮座している。

 最寄駅は京阪電車宇治線の黄檗駅で、駅からは700~800mの西へと歩く。
 駅の直ぐの西には、陸上自衛隊の宇治駐屯地がある。
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 許波多神社はかつてはこの駐屯地の所に鎮座していたが、駐屯地造営の煽りを受けて、その北側の現在地に遷座されたものと云われている。

 駐屯地の一本北の道路を行くと、途中に縄文遺跡がある。
 寺界道遺跡と云い、多数の石器などが発掘されている。
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 また付近の農家であろうか、屋根の下に並べられた吊るし柿が見事である。
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 神社前の社頭から、参道が奥へと繋がり、一ノ鳥居を潜る。
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 二ノ鳥居の手前には樹齢500年のむくの木がある。
 そして鳥居の両側に狛犬が祀られている。
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 鳥居の先は割拝式の拝殿である。
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 そしてその先は本殿の拝所、そして本殿と連なる。
 因みに本殿は国の重要文化財に指定されている。
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 本殿の祭神は瓊々杵尊(ににぎのみこと)、天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)即ち神武天皇である。

 そして瑞垣の中に春日社も祀られている。
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 余談であるが、神社を後にして駅前まで戻り、少し南へ下がると京都大学の宇治キャンパスがある。
 時節柄、紅葉の見ごろでもあった。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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