大阪メトロ今里筋線11・井高野駅
大阪市の東部を走る「大阪メトロ千日前線」の起終点「南巽駅」から、途中の「今里駅」で「大阪メトロ今里筋線」に乗換え、起終点の「井高野駅」までを、各駅下車で探索している。
今回は、「大阪メトロ今里筋線」の起終点の「今里駅」から10番目の駅で、起終点の大阪市東淀川区にある「井高野駅」である。
「井高野駅」で下車する。
駅は、地下駅であり、島式ホーム1面2線を有し、ホーム柵もある。
「井高野駅」は、大阪市の最北端の駅で、北側・西側は「吹田市」、東側は「摂津市」である。
そして、駅上の風景は、市営住宅など中高層の住宅が立ち並ぶ。
「井高野」と云う地名・駅名は、江戸時代に「居鷹村」があったことに関係していると考えられている。
その「居鷹」とは、古来、渡来人が移り住み、その際に日本に鷹狩を持ち込んだことに端を発していると云う説がある。
駅前から、緑道公園が東に延びているので、これを進む。
公園には、時節柄、八重桜が咲いている(訪問は4月17日)。
公園の先は直交する南北の自動車道路である。
その道路の手前は、「大阪市」、道路の向こうは「摂津市」となってる。
この道路の少しの北側で、右手(東側)に、「井高野霊園」があり、6体の地蔵尊が並んでいる。
そしてその裏側には、「大阪経済大学 摂津キャンパス」の建物がある。
道路を北へと進む。
左手に、玉垣に囲まれた神社が祀られている。
「大隅神社御旅所」である。
社頭は東向きで、「鳥居」、「社号柱」が建てられている。
「鳥居」を潜ると、正面に「鎮守 井高野明神 舊跡」の石碑が建てられている。
そして左手は「拝殿」である。
「御旅所」の向かいは「摂津市」で、「大阪経済大学」のグラウンドがある。
一つのグラウンドでは、サッカーの練習が行われていた。
道路を南へと下がる。
左手の建物の奥に木立が見える。
行ってみると、遊具もある広い「別府(べふ)公園」である。
公園の一角には、時節柄、藤棚が丁度見頃であった。
そしてこの地点で、「井高野駅」のミニ探索と「今里筋線」のミニ探索を終了したのであった。
今回は、「大阪メトロ今里筋線」の起終点の「今里駅」から10番目の駅で、起終点の大阪市東淀川区にある「井高野駅」である。
「井高野駅」で下車する。
駅は、地下駅であり、島式ホーム1面2線を有し、ホーム柵もある。
「井高野駅」は、大阪市の最北端の駅で、北側・西側は「吹田市」、東側は「摂津市」である。
そして、駅上の風景は、市営住宅など中高層の住宅が立ち並ぶ。
「井高野」と云う地名・駅名は、江戸時代に「居鷹村」があったことに関係していると考えられている。
その「居鷹」とは、古来、渡来人が移り住み、その際に日本に鷹狩を持ち込んだことに端を発していると云う説がある。
駅前から、緑道公園が東に延びているので、これを進む。
公園には、時節柄、八重桜が咲いている(訪問は4月17日)。
公園の先は直交する南北の自動車道路である。
その道路の手前は、「大阪市」、道路の向こうは「摂津市」となってる。
この道路の少しの北側で、右手(東側)に、「井高野霊園」があり、6体の地蔵尊が並んでいる。
そしてその裏側には、「大阪経済大学 摂津キャンパス」の建物がある。
道路を北へと進む。
左手に、玉垣に囲まれた神社が祀られている。
「大隅神社御旅所」である。
社頭は東向きで、「鳥居」、「社号柱」が建てられている。
「鳥居」を潜ると、正面に「鎮守 井高野明神 舊跡」の石碑が建てられている。
そして左手は「拝殿」である。
「御旅所」の向かいは「摂津市」で、「大阪経済大学」のグラウンドがある。
一つのグラウンドでは、サッカーの練習が行われていた。
道路を南へと下がる。
左手の建物の奥に木立が見える。
行ってみると、遊具もある広い「別府(べふ)公園」である。
公園の一角には、時節柄、藤棚が丁度見頃であった。
そしてこの地点で、「井高野駅」のミニ探索と「今里筋線」のミニ探索を終了したのであった。