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JR東西線7・御幣島駅

 大阪市内を地下鉄道にて京橋駅から尼崎駅の間を東西に走り抜けるJR東西線の京橋駅から数えて7番目の「御幣島(みてじま)駅」で下車してみる。

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                          (上図の上は西方向)

 御幣島駅は、東に淀川、西に神崎川に挟まれた西淀川区にあり、「国道2号線」、「淀川通り」、そして「みてじま筋」の五叉路交差点である「歌島橋」の地下にある。
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 駅ホームにあるシンボルマークは「渡し舟」である。
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 駅から地上に出て、「みてじま筋」を北上すると「御幣島公園」があり、その公園内に「住吉神社趾碑」がある。
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 この住吉神社は、御幣島の名前の起源に由来する。
 古代、神功皇后が三韓征伐の帰途に島に上陸して住吉神を祀り、御幣(ごへい)を献げたとの謂れである。

 御幣島駅の東側に、斜めに通る「大野川緑陰道路」がある。
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 この道路は、かつて地域の舟運や治水などに利用されてきた大野川であるが、工業化の波に押され工場排水によって河川の汚濁が目立つようになり、1970年代の初めに埋め立てられ、約4Kmの歩行者・自転車専用道路とされたものである。
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 今度は、現在の住吉神社を目指して、歌島橋から西へと進む。
 その「大和田住吉神社」は神崎川に近い大和田地区の西に鎮座している。
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 大和田住吉神社は、1320年創建とされる。
 祭神は、底筒男命、中筒男命、表筒男命、気長足姫尊の住吉4神である。
 正面には拝殿、その背後には本殿が祀られている。
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 この住吉神社には、境内に由緒ある石碑が設置されている。
 先ずは万葉歌碑、
      「濱清よく 浦なつかしき 神代より 千船の泊る 大和田の浦」
である。
 この歌は、神戸市の大和田の泊を詠んだものとされる説もあるが、摂津名所図会にはこの地と記されているとのことである。
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 更に、「判官松之跡碑」である。
 源義経が瀬戸内海へ向け平家討伐の軍を発した時、この地にて海上安全の祈願をし、松苗を手植えしたとの碑である。
 その隣に、「新千舩橋」の親柱も置かれている。
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 また境内にはいくつかの境内社が祀られている。
 その1社である「金比羅神社」である。
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 神社を後に神崎川の畔に出てみる。
 上部は阪神高速道路の高架である。
 そして阪神電車が川を渡り、川の向こうには「千船病院」が見える「佃島」である。
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JR東西線6・海老江駅

 大阪市内を地下鉄道にて京橋駅から尼崎駅の間を東西に走り抜けるJR東西線の京橋駅から数えて6番目の「海老江駅」で下車してみる。

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 JR東西線の海老江駅には、阪神電鉄の「野田駅」、大阪メトロの「野田阪神駅」が集合していて、絶好の乗り換え駅である。
 しかし、「海老江」と「野田」では、駅名が全く違うので、馴染みのない方から見ると乗り換え接続がなされているとは思わないところでもある。

 そしてこの南に、JR大阪環状線の「野田駅」と大阪メトロの「玉川駅」が隣接している。
 なぜこのようなことになっているのか?
 それぞれの鉄道事業者の思いが交錯したままになっているのであろう。

 「海老江」とは、駅周辺の住所名である。
 かつては、この辺りは海岸や島であり、海老州、海老江などと呼ばれ、現在もそれが引き継がれているとのことである。

 前置きが長くなったが、海老江駅で下車する。
 駅のシンボルマークは「のだふじ」である。
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 駅の南に商店街があるが、その南2本目の「野田阪神本通商店街」を西方向へと入る。
 商店街には、「なにわの出世街道」「トントン拍子で「道」開く」との幟が懸けられている。
 出世とは、松下電器産業㈱(現パナソニック)を創業した「松下幸之助」のことで、この地域「大開(おおひらき)」が創業の地であり、それを訪ねてみることにする。
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 商店街を進む。
 左手角に大開小学校がある。
 その手前で交差する通りは「学び舎通り」という。
 ここを右折、学び舎を進むと左手に、西野田工科高校がある。
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 高校の敷地柵に幸之助の「①創業の家」のパネルが取り付けられている。
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 路地を南へと進む。
 交差点に、「第一次本店・工場跡」の案内板がある。
 矢印方向に少し進むと、パネルが取り付けられている。
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 「②第一次本店・工場」である。
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 次に西へと進み、広い道路に出て、北へと進む。
 広い道路の左手に、「④第二工場跡」のパネルが貼られている。
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 信号を東へと渡り、東方向へと歩く。
 途中右手に公園がある。
 その公園に「道」の石碑が建っている。
 書はもちろんのこと松下幸之助である。
 そして、この地は「③第二本店・工場」である。
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 この公園前を東へと進む。
 この道路は「野田阪神駅前通」であり、出口は駅前である。
 阪神電鉄の野田駅、そしてその北側に阪神電鉄の本社ビルも見える「海老江」であった。
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JR東西線5・新福島駅

 大阪市内を地下鉄道にて京橋駅から尼崎駅の間を東西に走り抜けるJR東西線の京橋駅から数えて5番目の「新福島駅」で下車してみる。

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                       (上図の上は南東方向)

 新福島駅は国道2号線の浄正橋の地下にある駅で、少し北に大阪環状線の「福島駅」があり、直ぐの東に阪神電鉄の「福島駅」ある。
 駅のシンボルマークは「逆櫓の松」で、源平合戦の当時、源義経と梶原景時が軍議を行った場所をモチーフにしている。
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 新福島駅は東側の「なにわ筋」、西側の「あみだ筋」に挟まれていて、今回は「あみだ筋」を南へ下ることにする。
 下ると堂島川の河畔に出るが、その右手前に大きな公園「下福島公園」がある。
 大日本紡績株式会社(現ユニチカ㈱)の跡地に建設された公園である。

 公園の北入り口から入ってみる。
 入り口付近には、大日本紡績株式会社の遺構である煉瓦塀がある。
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 福島は「のだふじ」で知られる藤の名所である。
 そしてこの下福島公園には沢山の藤棚があり、藤棚の間には「藤菴」という石柱や石碑が建っている。
 のだふじは六百年余り前から「吉野の桜か野田の藤」とその美が称えられ、将軍足利義詮や太閤秀吉などが野田の「藤邸」へ来遊したと云われる。
 その藤菴をこの公園内に移設したものである。
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 更に藤棚が続く。
 写真にはないが、藤の大木もある。
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 公園の北には大きな病院が見える。JCHO大阪病院である。
 そして公園の南の入り口となる。
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 公園の南側は堂島川である。
 堂島大橋が掛けられているが、このほど約2年間の改修工事を終えてリニューアルされている。
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 堂島川を渡り、川べりを東へと進む。
 川向うに関電病院や朝日放送の社屋が見えて来ると、「なにわ筋」の玉江橋である。
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 玉江橋を渡り返すと右手が朝日放送、その川べりに、「中津藩蔵屋敷跡」、「福沢諭吉生誕地」の石標が建っている。
 この辺りは「ほたるまち」と云う。
 与謝蕪村の俳句、「淀船の 棹の雫も ほたるかな」に因む名付けだそうである。
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 川べりをもう少し東へ行くと「田蓑(たみの)橋」に至る。
 田蓑橋とは、古代の大阪にあったとされる八十八島の一つ、田蓑島に由来するとされる。
 この橋の北詰に「蛸の松」がある。
 元は川向うの阪大中之島センターの辺りにあったそうであるが、この場所に移設されたそうである。
 広島藩蔵屋敷に藩主福島正則が植えたと云われ、その枝振りが蛸の泳ぐ姿に見えるということから、「蛸の松」と呼ばれるようになったとの謂れがある。
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 新福島駅のシンボルの松はこの「蛸の松」かと思っていたが、そうではなく、源平合戦時代の「逆櫓の松」であったと発見したミニ探索であった。

 また福島という地名は、福島正則ではなく、平安時代、菅原道真公が九州大宰府へ左遷された時に立ち寄り、餓飢島と呼ばれていたのを福島と名付けたとの謂れがある。
 現在のその場所(新福島駅の直ぐの南)には聖蹟二十五拝の福島天満宮が祀られている。
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JR東西線4・北新地駅

 大阪市内を地下鉄道にて京橋駅から尼崎駅の間を東西に走り抜けるJR東西線の京橋駅から数えて4番目の「北新地駅」で下車してみる。

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 国道一号線は梅田新道を過ぎると国道二号線となる。
 北新地駅は、その国道二号線の下に造られた駅で、大阪市内では最も深いとされる。
 また北新地駅は、大阪駅の南側にあり、乗り換えも可能である。

 北新地駅で下車すると、そのシンボルマークは「稲穂」である。
 これは、この南の堂島に米市場があったことに由来している。
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 北新地と云う駅名は、駅を上がった南側にある歓楽街「北新地」の名付けである。
 
 かつては北新地の真ん中を蜆川(曽根崎川)が流れていた。
 蜆川の位置は、現在の「堂島上通り」と「新地本通り」との間であった。

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 現在の大阪市役所の横の堂島川の東側から、蜆川は始まっていた。
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 蜆川は現在の御堂筋を横切り、西へと流れる。
 その場所に蜆橋が架かっていた。
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 川の右岸(北側)は新地本通り、左岸は堂島上通りである。
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 江戸時代、元禄の頃、蜆川の南には堂島新地、北側には曽根崎新地が開発された。
 明治42年に、天満の空心町から福島付近にまで燃え広がった北の大火によって新地は全焼、大量に出た瓦礫の捨て場となり、川が埋められ、埋め立て地後にも建物ができ、現在に至っている。

 先ずは蜆川の左岸(堂島上通り)を辿ってみる。
 同じような飲食やクラブ、サロンのような店が続く。
 四ツ橋筋が近づくと左手に「堂島薬師堂」が祀られている。
 古代、聖徳太子が四天王寺を建立したときに、資材の運搬船がこの場所に流れ着いたので、お堂を建てたという謂れがある。
 お堂は海上を航行する船からよく見えたとのことから。「堂島」と名付けられたとのことでもある。
 また、堂島アバンザやホテル等もある。
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 四ツ橋筋の出口には、桜橋南詰の石碑も建っている。
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 蜆川は四ツ橋筋を越えても流れて行く。
 堂島上通り、新地本通りの延長通りの間である。
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 今度は新地本通りを戻る。
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 途中、左手に入った所に、曽根崎川の説明板と蜆橋のレリーフが設置されている。
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 そして御堂筋へと通り抜ける。
 
 北新地と云えば、江戸元禄の頃の浄瑠璃、近松門左衛門の「曾根崎心中」心中が思い起こされる。
  
 御堂筋の北側、国道を渡った右手に、その心中の「お初天神(露天神社)」が祀られている。
 ビルの向こうに社頭が見える。
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 境内正面は菅原道真公を祀る拝殿である。
 そして左手に、お初・徳兵衛の像が祀られている。
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 尚、蛇足であるが、曾根崎心中の顛末を近松門左衛門の物語として、下記URLで触れさせていただいている。
 ご参考に…。
         https://fujishirorei.com/2018/07/28/曾根崎心中/ 

JR東西線3・大阪天満宮駅

 大阪市内を地下鉄道にて京橋駅から尼崎駅の間を東西に走り抜けるJR東西線の京橋駅から数えて3番目の「大阪天満宮駅」で下車してみる。

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                      (上図の上は南方向)
 
 大阪城北詰を出たJR東西線は大川の下を潜り北へと向かい、国道1号線の地下を西へと進むことになる。
 その最初の駅が「大阪天満宮駅」である。
 この駅のシンボルマークは天満宮に因んだ「梅」である。
 また、大阪メトロの堺筋線とこの駅で交差していて、地下鉄の駅名は「南森町」である。
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 大阪天満宮駅と云えば、菅原道真公を祀る大阪天満宮が鎮座してること、そして天神橋筋商店街が日本最長の2.6Kmのアーケード街であること、などがよく知られている。

 先ずは駅から南へと移動して、天神橋筋商店街の南の入り口へと行き、そこから一丁目商店街を北上する。
 「表参道」との表示もある。
 途中の右手に天満宮の社頭が見えるので右折し、それへと向かう。
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 左手に蛭子門がある。
 境内に祀られている戎社のための神門である。
 そして、正面の神門へと到着する。
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 神門を潜ると正面は拝殿である。
 その背後に本殿が祀られている。
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 拝殿と本殿を結ぶ幣殿の両側に唐門の登竜門が配置されている。
 右側から入り、本殿に参拝し、左側から退出するという合格祈願参拝が行われると云う。
 シーズンには賑やかに参拝が行われるようである。
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 多くの境内社が祀られているが、先ずは大将軍社、戎社である。
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 そして十二社までのアップとする。
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 この神社の創建は、奈良時代以前、孝徳天皇が難波長柄豊崎宮を造営した時、都の西北を守る神として大将軍社をこの地に祀ったとされる。
 以来この地を大将軍の森と称し、又後には天神の森ともいわれ、現在も南森町や北森町という名が受け継がれている。
 そして平安時代901年に、菅原道真公が太宰府へ向かう途中この大将軍社に立ち寄り、旅の無事を祈願したとのことで、後に天満宮が創建されたとの歴史を有している。

 さて天満宮を後にして、元の商店街に戻る。
 この辺りは2丁目の商店街である。
 参道の大提灯の下を右へと云ってみると、そこには「天満天神繁昌亭」があった。
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 そろそろ商店街の出口である。
 出たところの道路は国道1号線、曽根崎通りである。
 道の向こうには商店街のゲートが見える。
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 国道を渡り、商店街を進む。
 まだ2丁目であるが、途中から天井に鳥居が現れ、3丁目となる。
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 3丁目はまだまだ続く。
 途中から青色の鳥居へと変わる。
 長い商店街である。
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 なぜか関西大学の提灯もある。
 天神橋筋商店街に関係があるのであろう。
 そして3丁目の出口を迎える。
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 出たところは高速道路の下である。
 かつては「旧天満堀川」が流れていた堀川があり、「夫婦橋」が掛かっていた。
 川は埋められたが、橋は遺構として残されている。
 そしてその向こうは4丁目、四番街である。
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 四番街を進むと、5丁目に近づく。
 JR大阪環状線の下を潜ることになるが、そこには「天満駅」が設けられている。
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 この辺りには、DEEPな居酒屋等が軒を並べるが、ミニ探索はここまでとする。
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JR東西線2・大阪城北詰駅

 大阪市内を地下鉄道にて京橋駅から尼崎駅の間を東西に走り抜けるJR東西線の京橋駅から数え2番目の「大阪城北詰駅」で下車してみる。

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 これらの地下駅にはそれぞれシンボルマークが設定されている。
 大阪城北詰駅のマークは豊臣秀吉の馬印に因む「瓢箪」である。
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 この大阪城北詰駅はJR東西線の開業に伴って新設された駅で、それ以前はこの駅の東側に片町駅があったが、現在は駐車場などになっている。
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 そしてフェンスには、旧片町駅の説明が掲載されている。
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 旧片町駅は、現在の片町線(愛称:学研都市線)の起点・終点の駅であった。
 大阪城北詰駅の設置時の仮駅名は片町駅であったが、残念ながらローカル色豊かな駅名であるため、全国区の「大阪城…」に改められたのであった。

 大阪城北詰駅から土佐堀通りを西へと向かう。
 途中、ビルの間に大阪城の天守が見える。
 そして「京橋」へと到着する。
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 京橋は寝屋川に架かっているいる橋で、自動車も通れる橋である。
 この橋の上部にもう一本歩行者用の橋が架かっている。
 橋の名称は「大坂橋」である。
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 橋の袂には、「京橋川魚市場跡」の碑がある。
 大坂橋から東方向にOBPのビル群が見える。
 また、橋の袂の交差点は「寝屋川橋東詰」である。
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 橋を渡って真っ直ぐ歩いて行くと、外堀に架かる橋に着く。
 大阪城の京橋口である。
 大坂城から京都へ行くには、ここから出て京橋を渡り、京街道を京都へ向かうと云う構図であった。
 尚、京橋口の正面に見える大きな石は「肥後石」と云い、大阪城内で2番目の大きな石で33畳もあるとされている。
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 大阪城へ北からアプローチする方法は、今回の京橋を渡る方法と、東側の大阪城ホールの傍を通り、青屋門から入る方法がある。
 どちらにしても、大阪城北詰という駅名は、当を得た駅名であると思われる。

学研都市線24・JR東西線1・京橋駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から24駅目で起終点の「京橋駅」で下車してみる。
 京橋駅は引き続き各駅下車する「JR東西線」の起点でもある。

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 京橋駅で下車し、駅の東側に広がる商店街を探索する積りであるが、先ずは京阪電鉄との乗り換えの広場をスタートとする。
 JRの京橋駅は現在改装工事中である。
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 北方向の国道一号線方向へ向かうと、JRのガードに「京街道」表示がある。
 ガードは国道に架かっている。
 国道の向こう側が、新京橋商店街である。愛称「ビギン京橋」と云う。
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 手前は駅に戻る方向の「京橋一番街」である。
 そして国道の風景である。
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 「ビギン京橋」へと向かう。
 入り口左手に大きな「真実の口」があり、店舗の案内図もある。
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 商店街を進む。
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 途中、屋根がドーム状の所があり、京街道の石標も建てられている。
 このアーケードの通りが、かつて大坂城京橋口から京都へ向かう京街道とのことである。
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 京街道の石標から先は「リブストリート」となる。
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 そしてしばらくすると通り抜けてしまう。
 この辺りの住所地は「都島南通2丁目」であり、京橋と云う住所地は現れない。
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 次は国道1号線の南、駅の東方向へと戻る。
 国道から南へ入ると、主に飲食の店が所狭しと並ぶ。
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 この辺りの住所地は「東野田町3丁目」であり、京橋と云う地名は現れない。
 複数の商店街が縦横に並んでいて、どれがどの商店街かわからない。
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 東方向へ抜け出ると、「京橋東商店街」のゲートがある。
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 南方向へ行くと、「エル京橋」というゲートもある。
 ここは商店街の南の端と思われる。
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 続いて、「京阪京橋商店街 南通り」と云うゲートが現れる。
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 更に、「京阪京橋商店街 シャトー商店会」と云うゲートもある。
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 また駅から直ぐの「京阪京橋商店街 南通り」の西の入り口もある。
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 ここで商店街をほぼ一周してきた積りである。
 最後にグランシャトーを眺めて、京橋の商店街の探索は終了となった。
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 JR東西線は京橋駅を起点終点とする。
 西の起点終点の兵庫県尼崎駅まで、JR東西線の途中下車を行うことにする。
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学研都市線23・鴫野駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から23駅目、大阪の起点京橋駅を1番目とすると2番目の「鴫野(しぎの)駅」で下車してみる。

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                        (上図の上は南東方向)

 鴫野駅で下車し、駅から反時計回りに①、②、③、④の順で訪ねてみる。
 鴫野駅の東部から北部にかけては、徳川軍が豊臣大坂城を襲った大坂の陣の時に、激しい戦闘が行われた激戦地であった。

 ①大坂冬の陣碑
 学研都市線の線路伝いに進んで行くと、鴫野小学校の校庭の隅に大坂冬の陣の時に鴫野合戦が行われたとの石碑が建っている。
 大坂城から張り出した井上頼次を主将に、豊臣軍対徳川軍の合戦が行われた。
 徳川軍の主将は、この石碑の東に本陣を構えた上杉景勝であった。
 結果、井上頼次は戦死、豊臣軍は大坂城まで退却させられ、封じ込められたとされている。
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 ②八劔神社・上杉景勝本陣
 小学校の東に隣接する「八劔神社」を訪ねてみる。
 社頭は東側である。
 鳥居を潜ると参道となる。
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 先ずは参道を進むと右手に上杉景勝本陣の碑がある。
 その横に、大坂城の残石が置かれ、その右手に狛犬の集団が置かれている。
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 そして注連縄柱を潜ると、正面は拝殿である。
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 拝殿の背後は本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、八劔(やつるぎ)大明神、武速須佐雄(たけはやすさのお)大神、罔象女(みずはのめ)大神である。

 本殿右手に、境内社が祀られている。
 辨天社、戎神社、幸神社である。
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 その他境内には地車庫が2ヶ所に分かれて設けられている。
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 神社出ると、神社の北側に、2本の高架線路が重なる。
 高架の下から眺めて見ると、左側が「学研都市線」、右が「おおさか東線」である。
 また行きすぎて見返してみると、上に見えるのは「学研都市線」、下は「おおさか東線」である。
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 道路を北へと進む。
 城見通と交差し、更に行くと公園がある。
 楠根川跡緑陰歩道である。
 夾竹桃の花も綺麗である。
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 更に北方向へと進むと、寝屋川を新喜多(しぎた)橋で渡る。
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 ③今福・蒲生の戦い跡碑
 住所地が新喜多から今福と変わる。
 少し右手へと進んだところに石碑が建っている。
 「大坂冬の陣古戦場 今福・蒲生の戦い跡」である。
 「後藤基次(又兵衛) 木村重成 奮戦の地跡」とある。
 これらの武将が佐竹義宣、上杉景勝の徳川軍と激戦した地である。 
 この戦いでも豊臣軍が押され、大坂城へと押し返された結果となった。
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 この碑は三郷橋稲荷神社横に建てられている。
 三郷橋とは、今は埋め立てられている鯰江川に架けられていた橋である。
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 ④今福・蒲生・激戦地の跡
 西へと進む。
 城東商店街というアーケードの商店街がある。
 これを北へと進む。
 途中で振り返ると、「今福・蒲生。激戦地の跡」の看板が掲げられている。
 この辺りでは、激しい戦いが行われたとのことである。
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 そして商店街を出ると、花博道路の鶴見通りへ出て、大阪メトロの蒲生四丁目駅へと至り、戦場のミニ探索は終了となった。
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学研都市線22・放出駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から22駅目、大阪の起点京橋駅を1番目とすると3番目の「放出駅」で下車してみる。

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                    (上図の上は南方向)

 「放出駅」は難読駅名である。「はなてん」と読む。
 由来はどうなのか?
 淀川に向かっての水を放出する水門があったと云うのがまともではあるが、面白い説として、新羅の僧が熱田神宮に参詣し、神社から草薙剣を盗み出して祖国への帰路、この地にて嵐に見舞われたことを神罰と捉え、恐れをなしてこの地で剣を放り出した(大阪弁で「はなってん」)との説もある。
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 放出駅は高架駅であるが、両側に綺麗な出入り口がある。 
 南側はマンションなど住宅街へと続くロータリーであるが、その南側には第二寝屋川が流れている。
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 北側の出入り口である。
 北側は、神社や商店街へと続く。
 駅前には大和田建樹の鉄道唱歌第5集が掲げられている。
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 先ずは上写真の広い道路を東へと進み左折すると神社の社頭へと到着する。 
 式内社「阿遅速雄(あじはやお)神社」である。
 正面の神門は薩摩門とも呼ばれる。
 神社の創建は、上述の草薙剣は里人により拾われ、この場所に祀られたのが創始とされる。
 そして、草薙剣は無事に熱田神宮に返還されたとされている。
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 正面には拝殿・本殿が祀られている。
 本殿の祭神は、阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね)、八劔大神である。
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 境内には、樹齢1000年と云われる大楠、江戸末期のお陰灯篭があり、神輿なども見られる。
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 神社の西側の参道から退出する。
 その西にはアーケードの商店街がある。
 「栄町商店街」と云う。
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 それを通り抜けると別の商店街と直行する。
 「みゆき通り商店会」と云う。
 約160mの比較的長い歴史のありそうな南北の商店街である。
 一旦駅前へと戻り、探索してみる。
 入り口はビルとビルの間で狭い。
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 進んで行くと通りは広くなり、多種多様な店が並ぶ。
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 更に進む。
 そして、アーケードの終点を迎えた放出駅北側のミニ旅であった。
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学研都市線21・徳庵駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から21駅目、大阪の起点京橋駅を1番目とすると4番目の「徳庵駅」で下車してみる。

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                        (上図の上は北東方向)

 徳庵駅は、東大阪市と大阪市鶴見区との境界の東大阪側にある。
 徳庵と云う地名は、駅の北にある寝屋川と古川との合流点にあった寺院「徳庵」に由来するとされる。
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 徳庵駅には、駅前広場などは無く、直ぐに商店街の道路へと出る。
 左側の道路はアーケードである。
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 途中に「百均」などがあるが、直ぐに通り抜けてしまう。
 商店街は「徳庵商連会」と云う。
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 商店街を通り抜け、右折れし、住宅街の中を少し進むと神社の社頭へと出る。
 「比枝神社」である。
 江戸時代元禄年間に近江国坂本の日吉大社の分霊を勧請し、山王権現として創建された神社である。
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 鳥居を潜り参道を進むと正面は拝殿である。
 拝殿の両手前には、一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿の祭神は、天照皇大神、大山咋神、大己貴命である。
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 そして境内社である。
 先ずは、金丸稲荷神社が本殿の左に祀られている。
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 本殿の右側に3社の連社で、天満社、大将軍社、歯神乃社が祀られている。
 また、境内にはだんじり庫も設けられている。
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 尚、駅の反対側(東側)には、電車の車両工場(「近畿車両」)があり、製造中の電車が乗客の目を楽しませてくれる徳庵である。

学研都市線20・鴻池新田駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から20駅目、大阪の起点京橋駅を1番目とすると5番目の「鴻池新田駅」で下車してみる。

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                    (上図の上は東方向)

 鴻池新田と云う駅名は、江戸時代の前半、この付近を流れていた「大和川」がずっと南部の現在の八尾市の南に付け替えられ、その流域に開拓された新田である「鴻池新田」によるものである。
 駅で下車し、東南方向へ少し行くと、この新田の会所が国の史跡として保存されている。
 主たる出入り口は、南側の冠木門である。
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 冠木門から入ると正面に表長屋門がある。
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 会所の平面図である(上が北)。
    2006会所平面図

 正面は主屋である。
 右写真は、その主屋を斜め後ろ右手から眺めたものである。
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 主屋の左半分は土間である。
 カマドも設えられている。
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 主屋の右半分は、座敷である。
 座敷の外には庭園が見える。
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 主屋の左手には、文書蔵、米蔵、道具蔵と並んでいる。 
 また、別途、精米用の唐箕(とうみ)も見られる。
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 主屋の裏あたりへ進む。
 右の建物は裏長屋門、左は船展示場である。
 裏長屋門を出ると、船着場跡とのことである。
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 また、表の冠木門と長屋門との間の右手に、神社「朝日社」が鎮座する。
 新田の創始者、第3代鴻池善右衛門宗利が祀られている。
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 この鴻池善右衛門とは、戦国時代の山陰の雄であった尼子氏の家臣、山中鹿之助の子孫で、大阪の豪商として知られている人物である。

 鴻池新田会所の敷地は国の史跡に指定されている。
 また、本屋、屋敷蔵、文書蔵、米蔵、道具蔵の5棟が国の重要文化財に指定されている。

 更に、この鴻池新田駅は地元の方たちの請願駅で、12代鴻池善右衛門氏が用地駅舎などの建設費用一切の寄付を受けて建設されたものとのことである。(駅頭の看板より)

学研都市線19・住道駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から19駅目、大阪の起点京橋駅を1番目とすると6番目の「住道駅」で下車してみる。

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 住道駅は線路も駅舎も駅前広場も高架である。
 駅正面には、スペインのアルハンブラ宮殿のライオン像を模した像もある。
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 駅や駅前広場には事情がある。昭和47年に起きた住道を中心とする大東市の大洪水に関し、その後の防災に配慮したものである。
 駅前の広場の下を寝屋川が流れている。
 この北から流れてくる寝屋川に、東から八尾市や東大阪市を流れてくる恩地川が合流する。
 その合流点に住吉大明神が祀られている。水の守り神である。
 この合流点は、かつては「角堂浜(すみのどうはま)」と呼ばれ、河川交通の要衝であった。
 そして「角堂」が「住道」に、「浜」はそのまま「浜」という地名となっているのである。
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 川沿いの道路まで降りてみる。
 先ずは寝屋川である。
 民家の2階の高さほどの堤防が築かれている。
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 次に恩地川である。
 こちらもコンクリートの堤防が築かれている。
 道路と交差するところには、有事に遮断する扉が設けられている。
 また堤防上に橋渡しもある。
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 恩地川に沿って東へと進む。
 恩地川は南へと曲がるが、それを渡り、さらに東へと進む。
 生駒山が間近に見えるようになる。
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 さらに東へと進む。
 先ず現れるのは「TOIN ARENA」という体育館である。
 回り込んで行くと、グラウンド、そして体育館の全容が見える。
 大阪桐蔭の体育館である。
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 そして学舎に沿って東へ進む。
 国道170号線、「通称外環(そとかん)」へと出る。

 外環に向いて大阪桐蔭中学校・高等学校の正門がある。
 大阪桐蔭とは、高校野球や吹奏楽団で大東市が誇る全国レベルの学校である。
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 学舎を眺めてみる。
 また、隣には「シンフォニーホール」という建物がある。
 普通の学校にはない、珍しい建物である。
 学校の吹奏楽団や在阪のオーケストラの演奏会なども開催されるホールとのことである。
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 大阪桐蔭の向かいは大阪産業大学である。
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 産業大学に沿って、更に東へと行く。
 右手に大学のキャンパスよりも広そうな変電所がある。
 また左手の大学構内であろうか、路面電車が静展示されている。
 そういえば、大阪産業大学は、大阪鉄道学校→大阪交通大学→産業大学と変遷してきた大学であったのである。
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 大学の裏手にはバス停がある。
 そしてそこには大阪桐蔭中・高の大きな学舎・東館校舎があったのである。
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 尚、野球部のグラウンドは、裏の阪奈道路を登った、生駒山の中腹にあるとのことなので、探索はここまでとする。

学研都市線18・野崎駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から18駅目、大阪の起点京橋駅を1番目とすると7番目の「野崎駅」で下車してみる。

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 野崎駅はここ最近、駅舎が階上となる駅へとリニューアルされた真新しい駅である。
 野崎と云えば、野崎参りである。
 下車すると、野崎観音へ誘導されるような駅前である。
 朱塗りの橋があったり、野崎参道の商店街が観音へと続く。
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 商店街は旧国道170号線まで続く。
 途中に戦国時代の武将「三好長慶」の幟が立っている。
 北東部の飯盛山山頂に城を築き、織田信長の前に近畿を一時支配した人物である。
 旧国道を渡った参道は、住宅の間の細い道となる。
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 進んで行くと野崎観音の入り口へと達する。
 石段を昇ると寺門に到達する。
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 城門のような寺門を潜ると境内である。
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 本堂が目に付くが、先ずは左手の神社である。 
 南條神社で、扁額には「牛頭天王宮」とあり、牛頭天王(素戔嗚尊)を祀る神社である。
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 そして野崎観音の本堂である。
 本堂屋根の軒下天井には猫像がぎっしりと吊るされている。
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 野崎観音慈眼寺は創建が奈良時代で、開山は僧行基とされている。
 江戸時代には「野崎まいり」として、大坂の一大イベントとなり、寝屋川・谷田川を屋形船で行き来したとされる。

 境内には、本殿の正面の南参道に竜宮門、歌舞伎のお染・久松の碑、夾竹桃も綺麗である。
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 野崎観音慈眼寺の前の通りは東高野街道である。
 参道の北に「野崎まいり公園」という休憩所がある。
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学研都市線17・四条畷駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から17駅目の「四条畷駅」で下車してみる。

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                    (上図の上は西方向)

 四条畷駅は、少々ややこしい駅である。
 駅は四條畷市ではなく、隣の大東市の学園町に設けられた駅である。
 また駅名も市名の「四條畷」ではなく、「四条畷」である。
 これには事情がある。
 市名は四條畷と変更したが、駅名の変更は地元の負担になるとのことで、そのままである。

 その四条畷駅で下車し、北へと進む。
 両側は大東市で、少し行くと四條畷市となる。
 そして東西の道路と交差する。
 右手の道路は四條畷神社の参道、左手は踏切を渡る道路で「楠公通り」と云い、楠木正行(まさつら)公の墓所へと繋がる。
 先ずは右手の参道を行く。
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 住所地は四條畷市楠公2丁目である。
 右手に四條畷学園の校舎が見える。
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 更に進むと現在は府道の旧国道170線と交差する。
 その場所にある筈の一ノ鳥居が無い。灯篭も無い。
 実は2年前の大阪北部地震で倒壊の恐れが出たため、取り壊したとのことである。
 鳥居・灯篭が健在であった時期の写真を右手に掲載する。
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 旧国道を渡り参道を進む。
 社号柱、鳥居、石段がある。
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 石段を昇ると注連縄柱となり、潜ると境内である。
 遠くに鳥居、そして社殿が見える。
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 境内には、楠公供養塔、父子の像(忠孝両全)、母子の像(貞仁両全)がある。
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 正面は四條畷神社拝殿である。
 またその背後は本殿である。
 祭神は、楠木正行、楠木正時、和田賢秀、外24柱である。
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 拝殿の左隣に、正行公の母を祀る「御妣(みおや)神社」の拝本殿が建つ。
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 また境内社として、拝殿右手前に楠天神社、有源招魂社が祀られている。
 そして、境内からの四條畷市の風景である。
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 神社を後に参道を戻り、四条畷駅を左に見て線路を渡り、楠公通りの突き当りの小南公墓所を訪れる。
 広い敷地の中に墓所が築かれている。
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 この墓所から先ほどの神社まで一直線の道路である。
 四條畷の四条とは、条里制の呼称と考えれば、四条の畷(縄手、真っ直ぐな長い道)が市名の由来であろうか?

 楠公通りの一本北の道は商店街となっている。
 栄通り商店街という。
 この商店街を歩きながら、駅へと戻ったのであった。
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学研都市線16・忍ケ丘駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から16駅目の「忍ケ丘駅」で下車してみる。

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                      (上図の上は東方向)

 駅の西方向の岡山と云う丘上に、この忍ケ丘駅の名前の由来となった式内社「忍陵(しのぶがおか)神社」が鎮座している。
 神社へは、駅西のロータリーから街中の道を辿る。
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 右の路地に入り、坂道を登って行くと社号柱が建つ神社の社頭へと到着する。
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 住所地は「岡山二丁目」で、右手に自治会館、正面は玉垣・一ノ鳥居である。
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 鳥居を潜り石段を昇ると二ノ鳥居、そして石段の上に拝殿が見える。
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 拝殿そして本殿である。
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 祭神は、式内社「津桙(つほこ)神社」の祭神の藤原鎌足、品陀和氣命、熊野大神に加え、明治時代に合祀した「馬守神社」の馬守大神、「大将軍社」の大将軍神である。

 この岡山という所は、4世紀中ごろの古墳時代に造営された全長87mの前方後円墳「忍岡古墳」であった。
 その周囲は、コンクリートの壁で保護されている。
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 もう一つ、この岡山には、戦国時代に三好長慶(ながよし)の飯森山城の支城として「岡山城」が築かれていた。
 直接の関係はないが、大坂の陣の時、徳川方の本陣が築かれ、戦に勝利したことから縁起の良い所として御勝山とも云われるようになったところでもあるが、その遺構はない。
 また神社には西側に裏参道もある。
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学研都市線15・寝屋川公園駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から15駅目の「寝屋川公園駅」で下車してみる。

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 「寝屋川公園駅」は、昨年3月に「東寝屋川駅」から改称された駅である。
 (上図は旧駅名) 
 理由は良くは分からないが、駅周辺には府立寝屋川公園があることから、親しみ易い名称とされたものであろう。

 駅のホームは切通の底にある。
 ホームから階段を上がると駅舎があり、更に上がると地上へと出る。
 地上の歩道には公園への案内があるので、それに向かって進む。
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 少し先の信号を渡ると公園入口である。
 この辺りの住所地は打上新町と云う。
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 長いアプローチを進む。
 上部の高架道路を潜ると公園のモニュメントの所へと着く。
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 左手にはタイサンボクの花も咲いている。
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 モニュメントの西側(左側)には、中央広場があり、若者らが遊んでいる。
 そしてその向こうは高速道路の第二京阪道路である。
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 南側は、草地の広場である。
 遊具も設置されている。また丘などもあり、ゆったりとできる所である。
 公園に隣接して、マンションも建つ。
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 駅へと戻る方向で歩く。
 街角に寝屋川市のキャラクター「鉢かづき姫」も建っている寝屋川公園周辺である。
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学研都市線14・星田駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から14駅目の「星田駅」で下車してみる。

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                      (上図の上は南東方向)

 星田という地名の由来については平安時代まで遡る。

 元来、星田山が禿山であり、その付近の土地には用水の確保ができず、「乾し田」と云われ、牧場が主であった。
 この地に遊猟に来ていた当時の宮廷人は、面白くない名前であり、その昔にこの村に星が降ったという伝説から、「星田」という名前を当て嵌めた、とのことから発したものとされている。

 さて、星田駅で下車する。駅前はロータリーである。右手に商店街を見ながら、南東方向への道を辿る。
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 右手に商店街を見ながら、南東方向への道を辿る。
 しばらく行くと左手に小学校がある。
 交野(かたの)市立星田小学校と云う。
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 そして進んで行くと左手に丘がある。
 石柱には「新宮山八幡宮跡」と刻されている。
 見上げると階段の先に、新しい長屋門が設えられている。
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 長屋門を潜り、山頂付近に八幡宮の跡として宝篋印塔が祀られている。
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 山頂から少し東方向へ下がると、「旗掛けの松」という石碑がある。
 大坂の陣の時、徳川家康が軍旗を掲げたとされているものである。
 そして、下へと降りてゆくと、「星田公園」という表示がある。
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 ここからは、少し北になるが、大坂の陣の時、家康が宿泊したという平井家を目指す。 
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 平井家の塀をつたって行くと、「神祖営址之碑」が建っている。
 京都を出た家康が一夜の陣を構えた所とされている。
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 駅に戻る方向で進むと、先ほどの星田公園の東側に星田会館(星田村役場跡)がある。
 そして少し進むと、「星田神社」という社号柱が建っている。裏参道である。
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 表参道へと廻ってみる。
 神社の左隣には「星田寺」もある。
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 創建は不明であるが、古代より氏神として交野物部の祖である饒速日命を交野大明神としてお祀りしていたとのことである。
 その後、宝永年間にこの地の総氏神の磐船神社より、住吉四神を迎え、現在に至っている神社である。

 境内には幾つかの境内社が祀られているが、そのうちの八幡宮は先に訪れた新宮山より遷宮されたものとされている。
 また交野社は、饒速日命など、当初の神々を祀っている古社である。
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 その他、拝殿の袖には、神輿庫・神具庫が、神社の前の広場には2台用の地車庫が設けられている。
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学研都市線13・河内磐船駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から13駅目の「河内磐船駅」で下車してみる。

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 河内磐船駅は東南側に出口があるのみである。
 出口から延びる一本の道路を東南方向へ進むと、突き当り右手に乗換駅の京阪電車の「河内森駅」がある。
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 河内森駅から東へと進み、右折れして少し進むと天田神社の社頭に到着する。
 少し南へと後退した所に一ノ鳥居が建つ。
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 鳥居を潜り参道を進むと、右手に保育所がある。
 道路と交差すると住所地は私市(きさいち)の表示、そして境内入り口である。
 そこには社号柱が建つ。
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 境内正面は拝殿である。
 拝殿の両手前には一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿である。
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 そして本殿の祭神は住吉4神である。
 かつては物部氏の領地であったので饒速日命(にぎはやひのみこと)が祭神であったが、平安時代になって多数の貴族が猟に訪れたことから、住吉神に変更されたとのことである。
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 古代この地方は、地味肥えた作物豊かな野であったので、甘野と云われ、川は甘野川、田は甘田であった。この甘田に田の神を祀って建てた甘田の宮が天田神社の起源であるとされている。
 平安時代に貴族が遊猟にきて、歌を詠んだとされるが、七夕伝説に因んで、甘が天となったとされている。

 境内社の集合祠が祀られている。
 神社の明細石板も掲げられている。
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 天田神社の本殿の後ろ側にもう一つの神社がある。
 品陀別命を祭神とする八幡神社の川東神社である。
 古来、この地区は京都の石清水八幡宮の荘園であったことから祀られたものとされている。
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 この神社には西方向から入る。
 鳥居、高灯篭があり、こちらの住所は「森南」である。
 このことから、天田神社は、私市と森南の村の合同の鎮守であることが分かる。
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学研都市線12・津田駅

 京都府南部の木津駅を起点とし、大阪府東北部を通るJR学研都市線の12番目の「津田駅」で下車してみる。

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                       (上図の上は東方向)

 この津田駅がある大阪府枚方市津田という所は中世・戦国時代の歴史に欠かせない所である。

 津田駅の出口は西側だけである。
 探索は東方向であるので、線路の下を潜る。
 その通路には、元気な絵が描かれているのが特徴である。
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 東のロータリーを後に、先ずは北へと向かう。
 かつての単線時代の駅名標が置かれている。
 よく見ると、隣駅は「ながお」となっていて、隣の藤阪駅ではない。
 藤阪駅は今から約40年前の複線化に伴って、設置された駅なのである。
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 道路を右折れして東方向へと向う。
 広い道路へと出ると、正面に高速道路とその向こうに山が見えて来る。
 目的の国見山・津田城跡である。
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 高速道路の少し手前に趣のある遊歩道が作られている。
 遊歩道を辿って行くと右にカーブして東向きとなり、高速道路(第2京阪道路)を潜る。
 そして潜った所で行き止まるので、左手の階段を登る。
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 高速道路の側道の遊歩道へと出る。
 北へ少し進むと、国見山の案内板があり、登山口となる。
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 登山道を進むと、途中に夫婦岩と云うのがある。
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 更に登って行く。
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 途中に土塁跡の表示もある。
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 「津田城跡」という表示もなされている。
 この辺りから、削平地も見られる。曲輪あとなのであろう。
 また休憩場所も設けられている。
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 頂上が近づくと、斜面が急となる。
 曲輪を建てるための土塁が設けられている。
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 頂上へと向かう。
 階段が整備されているのはありがたい。
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 そして頂上である。
 そんなに広い場所ではないが、城の主郭が設けられていたのであろう。
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 頂上から枚方市と京都方向の景色は雄大である。
 また、別の登り口である虎口もあった。
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 津田城を築城したのは地元の武将である津田周防守正信とされる。
 畿内の有力者三好長慶に与したとされるが、最後は織田信長に滅ぼされたとされている。

 この津田正信の係累に津田監物算長(かずなが)という人物がいる。
 種子島でポルトガル伝来の銃を譲り受けて砲術とその製造法を学び、鉄砲を実用化した紀州根来衆の棟梁である。

学研都市線11・藤阪駅

 京都府南部の木津駅を起点とし、大阪府東北部を通るJR学研都市線の11番目の「藤阪駅」で下車してみる。
 藤阪駅は、学研都市線が長尾駅まで複線化される時(1979年)に新規に設置された駅である。

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 藤阪駅で下車しする。
 ホームの北側にこんもりとした丘が見える。
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 線路沿いに北へ進むと、線路を潜るように神社への入り口がある。
 藤阪菅原神社である。
 線路を潜って石段を昇ると天満宮の扁額の一ノ鳥居が建てられている。
 鳥居は西向きである。
 鳥居を潜って左の方から社殿を眺めて見る。
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 鳥居の先は拝殿である。
 そして社殿の風景である。
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 拝殿の背後には本殿が祀られている。
 祭神は管原道真公である。
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 境内社では、境内の南側に稲荷神社が祀られている。
 そして、境内北の鳥居を潜り、北参道から退出したのであった。
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 北参道の前は東西に通る府道である。
 東へと向かう。
 右手少し入った所に、「旧田中家 鋳物民俗資料館」があるが、現在は閉鎖中である。
 田中家は北河内で唯一の正式に営業を許可された鋳物師であり、「河内国左右惣官鋳物師」に任ぜられ、河内の鋳物師を統率する営業規模の大きい由緒ある鋳物師として認められていて、江戸時代を通じて、近隣の人々が日常生活に使う鍋・釜や農具のほか、寺院の梵鐘なども鋳造していたとのことである。
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 この辺りの住所は藤阪天神町である。
 府道の北側は公園である。
 王仁(わに)公園という。
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 公園に入ってみる。
 先ずは相撲場やテニスコートがある。
 そして左手にプールがあるが、閉じられているので、パスする。
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 プールの向こうに竹林があったり、ビオトープがあったりする。
 そして、平和の像の所へと出て、公園の一周は終わりである。
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 そして、道路を挟んで「KKR 枚方公済病院」があり、藤阪のミニ旅は終了である。
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学研都市線10・長尾駅

 京都府南部そして大阪府東北部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から10駅目の「長尾駅」で下車してみる。
 長尾は大阪府東北部の北河内地域の北端で、京都府と接している街である。
 学研都市線(片町線)はこの駅から、生駒連山に沿って南下することになる。

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                  (上図の上は西方向)

 この長尾という所は、江戸時代になって開発が始まった所である。
 この地を知行地とした初代は久貝正俊で、大坂東町奉行を努めていた旗本である。
 
 久貝氏の家来細谷善兵衛は戸数13戸の村民や近隣村民を集め、長尾の荒野山林を開拓し新田や畑を造ったと云われる。
 そして開墾した土地は良い土壌で穀物の増収があり、この丘陵は「福をもたらす岡」とのことから「福岡村」と名付けた。

 1648年に正俊は病死するが、2代目の正世はその翌年に父・正俊の菩提を弔うために、久貝家の菩提寺「長尾山正俊寺」を創建したとされる。
 またその翌年に、長岡天神の分霊を勧請し、菅原天満宮を創建したとされる。

 そして、1686年に長尾村と名付け、1869年に念願であった陣屋を現在の長尾駅の少し西に設けたとされる。

 長尾駅で下車し、駅の東に隣接している正俊寺へと進む。
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 西参道であろう。
 参道にはなぜかアニメのキャラクターが並んでいる。
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 参道を進むと左手が本堂エリアである。
 本堂、大阪府重要文化財の十三重石塔が建つ。
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 本堂エリアから南からの参道を進む。
 左手に久貝因幡守之墓所がある。
 またそのエリアには弔鐘も設けられている。
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 少し南へと行くと、涅槃像(入滅)が横たわっている。
 その前の通路には、七福神のレリーフも置かれている。
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 そのまま南へと進むと、紫陽花園と書かれた入り口があるので入ってみる。
 まだ十分とは言えないが、紫陽花が咲き始めている。
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 また紫陽花園の中には五百羅漢の像もあちこちに配されていたり、道祖伸のレリーフも置かれている。
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 南向きの参道へと戻る。
 参道両側には、西国三十三ヶ所の観音霊場に係る寺名と石仏が並べられ、それを通り抜けると参道口へと達する。
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 正俊寺の南側には道路を挟んでこれも久貝氏が創建した「菅原神社」が鎮座している。
 参道口には社号碑、一ノ鳥居、灯篭が建つ。灯篭の年号は安政6年(1859年)である。
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 鳥居を潜り南向きの参道を進む。
 二ノ鳥居の所で左折(東折れ)し、手水舎に至る。
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 手水舎の前で再び左折(北折れ)、三ノ鳥居が建ち、拝殿が見える。
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 正面の拝殿である。
 拝殿前には天満宮であるので、撫で牛が祀られている。
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 また一対の狛犬も祀られている。
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 拝殿の奥には本殿が祀られている。
 祭神は、菅原道真公である。
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 幾つかの境内社が祀られている。
 本殿手前の右側に、伊勢神宮、高倉稲荷神社、米宮である。
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 神社を後にして、正俊寺との間の府道を南下すると、史蹟王仁墓の案内があり、行ってみる。
 王仁博士とは、応神天皇の時代に朝鮮半島百済から来日し、漢字と儒教を教えた日本文化の始祖とされている人物である。
 公園状になっていて、入り口正面は百済門である。
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 百済門を入ると王仁博士の墓が祀られている。
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 百済門の横には休憩所、そして園内には「むくげの木」が所狭しと植えられている。
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 更に、王仁博士の墓の左側のこんもりとしたところに「博士王仁墳」の石碑が祀られている。
 これは江戸時代に建立された顕彰碑とのことである。
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 博士王仁之墓は江戸時代に建立されたものである。
 村の伝承では官軍に追われた王仁博士は長尾の大池の上にあるセメ谷で攻められワニ塚へ逃げ込み亡くなり墓が建てられたとの伝承に基づき、祀られたものである。

 尚、王仁王の歌に、
   「 なにはづに さくやこの花 ふゆごもり  いまははるべと  さくやこのはな 」
があり、良く知られている。

学研都市線9・松井山手駅

 京都府南部を通るJR学研都市線の、起点の木津駅から9駅目の「松井山手駅」で下車してみる。

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 松井山手駅の近年の発展は目を見張るものがある。
 駅周辺には、大規模な住宅地が開発されるとか、マンションが林立するようになったとか、また2本の高速道路が交差するインターチェンジやパーキングができるとか、そしてそのパーキングから、大阪方面や東京方面に向かうバス停ができるとか、果ては、話だけであるが、北陸新幹線の駅ができるとか、元々はディーゼル列車しか走っていなかった沿線が、大変な変貌ぶりである。
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 駅周辺の大型店舗やマンション群、そしてインターチェンジである。
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 そしてパーキングエリアと、高速バスの入り口である。
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 駅近くの古いものを訪ねてみる。
 松井山手駅の入り口に神社の掲示がある。「松井天神社(あまつかみのやしろ)」である。
 神社は、高速道路インターから更に北へ行き、田園風景の集落の手前の小高い丘に鎮座している。
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 神社の裏参道を登って行く。
 先ずは境内社が祀られている。
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 そして極彩色の本殿である。
 祭神は伊邪那岐尊、天照皇大神である。
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 幾つかの境内社が祀られている。
 三連のは、熊野神社、松尾神社、稲荷神社である。
 そして2連は、八幡神社、春日神社である。
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 他にも、不明の祠、そして水分(みくまり)神社である。
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 神社の正面参道から、再度、参拝してみる。
 神社正面は集落内にあり、社名石碑、灯篭、元小学校の跡地の碑がある。
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 そして一ノ鳥居、参道右手には神宮寺の中性院跡があり、二ノ鳥居を潜る。
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 そして長い石段を昇った所の灯篭には、天明2年(1782年)の刻印がある。
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 そこは本殿前で、一対の狛犬が祀られている松井天神社である。
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 もう一つ、松井山手駅からJRの線路沿いを東へ進んで行くと、住宅街の外れに、松井ケ丘小学校、松井ケ丘幼稚園がある。
 そして、見通しの良い場所からは、比叡山を望むことができる。
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 そして、小学校や幼稚園の前を走る学研都市線の列車である。
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『京都市右京区・平岡八幡宮』


 京都市右京区梅ヶ畑宮ノ口町に鎮座する「平岡八幡宮」を訪ねてみる。

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 鎮座地は、JR京都駅からJRバス便を利用し、国道162号線・周山街道の「平岡八幡バス停」が最寄である。
 降車側のバス停から向かい側のバス停のその向こうが神社入り口のようである。
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 国道に面して社号柱、そして一の鳥居が建つ。
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 一ノ鳥居である。
 鳥居前の灯篭には、文政4年(1821年)の刻印が見える。
 そして鳥居を潜ると、参道が奥へと続く。
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 参道には、右手に「後鳥羽天皇深縁之地」の石碑、「椿の小径」の道しるべ、樹齢600年とも800年とも云われるツブラジイの巨大な御神木がある。
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 そして右手に社務所があり、正面の境内へと至る。
 社殿に至る石段の手前には、京都市無形民俗文化財の「三役相撲」が催される土俵がある。
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 石段を昇ると拝殿である。
 拝殿は舞殿を兼ねていて、坂東流の得意芸「歌舞伎”靭猿”」が上演されるとのことである。
 また拝殿の右上部にはこの地区の砥石事業の繁栄を祈念した奉納砥石が掲げられている。
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 拝殿の背後は中門・瑞垣である。
 瑞書きには、本殿天井画の「花の天井」の写真が掲載されている。
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 瑞垣前には一対の狛犬が祀られている。
 また瑞垣には、本殿天井画の「花の天井」の写真が掲載されている。
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 そして、その瑞垣の中には本殿が祀られている。
 祭神は誉田別命である。
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 この神社は、809年に神護寺の鎮守として空海が大分県の宇佐八幡宮から勧請したのが起源とされ、京都では最も古い八幡宮とされている。

 境内社であるが、本殿の左手に、武内社、本殿の右前に貴布弥社が祀られている。
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 他にも、若宮社、地主社が祀られている。
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 その他境内には、さざれ石の「山の神石」、神具庫などがある。
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 神社には西の参道があり、鳥居が建っている。
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学研都市線8・大住駅

 京都府南部を通るJR学研都市線の、起点の木津駅から8駅目の「大住駅」で下車してみる。

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 先ずは大住駅と、駅前のバス通りの西方向、東方向の風景である。
 西方向は次の交差点で、府道・山手幹線と交差している。
 また東側は、道路の上に自動車専用道「京奈和道」が通っている。
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 東へと進む。
 踏切があり、渡って少し行くと「澤井家住宅」の矢印と、「水辺の散策路」の矢印案内がある。
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 その道路に入る。
 左手は畑で、桃の木が見られる。
 この辺りはかつては桃の大産地であったが、現在は少なくなっている。
 そして集落の中に入ると、岡村という表示のバス停があり、岡村集落の中心地に至る。
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 そのバス停に隣接して、重要文化財の「澤井家住宅」がある。
 澤井家は、戦国時代に近江の国佐々木六角氏の家臣であったが、佐々木氏が織田信長に敗れたあと、この大住の地に帰農し、享保17年(1732年)から曇華院所領地の代官を務めたとのことである。
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 澤井家住宅から西の田園の中の道を進む。
 途中右手にこんもりとした丘が並んで見える。
 右手が「大住車塚古墳」、左手が「大住南車塚古墳」である。
 そして更に西へと向かう。
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 到着したところは学園街である。
 右手(北側)から、大住小学校、大住幼稚園、そして式内月読神社の順で並ぶ。
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 月読神社を覗いてみる。
 東向きに一ノ鳥居、そして二ノ鳥居、拝殿へと繋がる。
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 そして本殿(祭神は月読尊、伊邪那岐尊、伊邪那美尊)、左横に御霊神社(祭神は少名毘古那神)が祀られている。
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 また境内内外には、3つの標柱石碑が建てられている。
 一つは九州南部の大隅隼人が奈良時代大住に移住し、この大住隼人が郷土の民俗芸能の隼人舞をこの月讀神社に奉納して舞伝えてきたという伝承から、隼人舞の発祥地とされているもので、大住という地名の由来ともなっているものである。
 戸山流居合道発祥之碑、能楽の宝生座発祥の碑である。
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 更に南へと向かう。
 京田辺市役所の北部住民センター、大住中学校、そして児童館・老人福祉センター宝生苑である。
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 そして更に南は大住ヶ丘の大住宅地であり、それを通り過ぎると出発点の大住駅へと戻ることができる。
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 尚、学研都市線であるが、起点の木津からは木津川の左岸を北上して来たが、大住駅からは走行方向を東西に変え、次の松井山手駅からは生駒山系の西麓に沿うように南北に変えて、大阪に向かうことになる。

学研都市線7・京田辺駅

 京都府南部を通るJR学研都市線の、起点の木津駅から7駅目の「京田辺駅」で下車してみる。

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 京田辺駅は京田辺市の中心駅である。
 そして、少しの東側にある近鉄京都線「新田辺駅」との乗り換え駅でもある。

 京田辺駅で下車し、先ずは新田辺駅を確認してみる。
 東へと進み、市道を横切ると商店が並ぶプロムナードとなる。
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 そして、駅前ロータリーへと至り、新田辺駅を確認する。
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 元の京田辺駅へと戻る。
 駅前の一本西の筋に、中央図書館がある。
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 図書館前の道を南へと進む。
 京田辺の旧道である。
 市立田辺小学校・幼稚園に突き当たり、道路は右へと曲がり、府道へと出る。
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 そして府道を南へと進み、国道307号線との交差を右折する。
 国道の南側に、市立田辺中学校、中央公民館がある。
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 そして道路向かいの北側に、消防署、京田辺市役所が並んでいる。
 この辺りが市政の中心地、官庁街である。
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 市役所の建物の西には中央体育館がある。
 京田辺市は小学生ハンドボールの全国大会が行われるが、その会場である。
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 その西には、温水の田辺公園プールがある。
 またプールの南には、国道を挟んだ向かいには、野球場がある。 
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 市役所を斜に、表裏で眺めてみる。
 また市役所の隣には、新型コロナPCR検査で話題の保健所もある。
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 官庁街はこれくらいにして、北へと住宅街の中を向かう。
 道々には、夾竹桃、紫陽花、山法師などが咲いているのは、元気が出る風景である。
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 かなり北へと移動したところに、酬恩庵(しゅうおんあん)・一休寺と云う寺院がある。
 臨済宗大徳寺派の禅僧、後小松天皇の落胤とされる「一休宗純」が晩年に隠居した寺院である。
 正面の総門が開いてたので中へと入ってみる。
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 参道の青モミジが綺麗である。
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 参道は行き止まり、その左手には重要文化財の浴室の建物がある。
 また浴室の横の少し高いところから、境内を眺めて見る。屋根だけであるが、手前には瓦屋根の宗純王廟、その向こうは檜皮屋根の方丈である。
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 一休寺はコロナの影響で拝観停止であるので、やむを得ない。

 一休寺の西には、薪(たきぎ)神社というのが祀られている。
 合わせて訪れてみる。

 一ノ鳥居、割拝式拝殿である。
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 この神社は明治になって、この近くの天神社と八幡社が合祀された神社でとのことである。
 祭神は、天津彦根命、応神天皇、神南備大神である。
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 何社かの境内社も祀られている。

 しかし、探索はここまでとし、京田辺駅の途中下車は終了した。

学研都市線6・同志社前駅


 京都府南部を通るJR学研都市線の、起点の木津駅から6駅目の「同志社前駅」で下車してみる。

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 同志社前駅は、1986年の同志社大学・女子大学の京田辺キャンパスの設置に合わせて開業した駅である。
 駅前には府道木津八幡線が通っている。
 その府道の駅の向かい側に「鉾立の杉」と云う石碑がある。
 この石碑は、かつて神功皇后がこの地を通過した時に鉾を立てたとの伝承に基づいたものである。
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 府道から西方向への登りの道路を進む。
 右手に同志社女子大の標柱、そして正門がある。
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 右手が同志社女子大のキャンパスである。
 右手にはシンボルの尖塔を伴った、建物が見えて来る。新島記念講堂である。
 そして府道山手幹線との交差点に出る。
 山手幹線から、他の学舎も合わせて眺めてみる。
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 山手幹線の西側は同志社大学である。
 コロナの影響で中には入れないので、外から眺めるだけなのは残念であるが。
 山手幹線を北方向へと歩くと左手に独立したビルがある。
 「D-egg」と表示されたインキュベーション施設である。
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 更に北へと進むと東西の道路と交差する。
 この辺りは興戸(こうど)という地域の山手である。
 左手に神社の玉垣が垣間見える。式内社の酒屋神社である。
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 何年か前の秋にこの神社を訪問したことがあるので、その写真を掲載する。
 先ずは南向きの社頭と割拝式の拝殿である。
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 そして本殿前の狛犬と本殿である。
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 この神社は、境内の由緒書きによると、
 創建年代は明らかでないが式内社である。
 祭神は津速魂神(つはやむすびのかみ)と応神天皇である。
 社伝によれば、神功皇后が通ったとき三個の酒壺を神社背後の山上に安置し、諸神を祭り再度通ったとき社殿を創立したとある。
 また、河内国の酒造りを業とする中臣酒屋連の一族が来住して、酒造りを伝え、祖神を祭ったものともいう。
 江津区にある佐牙神社(前回の三山木駅近く)とともに酒造りに縁のある神社である。

 また、この地域を「興戸(こうど)」というが、「酒人(さこうど)」が訛って興戸となったものとの説もある。

学研都市線5・三山木駅

 京都府南部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から5駅目の「JR三山木(みやまき)駅」で下車してみる。

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 駅は高架である。
 隣を走る近鉄京都線の三山木駅も高架である。
 三山木駅周辺は、南北の府道・木津八幡線と東西の府道・生駒井出線が交差する交通を考慮し、沿線では珍しい高架駅にしたものと考えられる。

 JR三山木駅で下車する。
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 東側に駅前広場があり、その向こうは近鉄駅である。
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 その近鉄駅を通り過ごし、府道を東方向へと向かう。
 少し行くと府道の北側に寺院がある。
 寿宝寺である。
 また寺の山門の横には、「山本驛跡碑」が建っている。
 奈良時代から平安時代にかけて、古代交通路の官道筋として、平城京からの最初の駅が設けられていたとのことである。
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 この寺院の東の田圃の中に木立がある。
 大神宮跡である。
 現在は、三山木駅の南で、三山木小学校の南に鎮座する式内社・佐牙乃神社(現在は佐牙神社)の旧跡である。
 社伝によると、造酒司の奉幣があったと云われている。
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 寿宝寺から北へと云ってみる。
 飯岡と云う地区へと至る。
 ここには飯岡車塚古墳がある。
 前方後円墳を貴人が乗る車に見立てたことによるものである。
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 車塚古墳の道路を挟んだ南側は共同墓地である。
 その墓地の中に、「穴山梅雪翁墓」がある。
 穴山梅雪(信君)とは、武田信玄の遺臣で、その後、徳川家康に仕えた武将である。
 徳川家康には、織田信長の本能寺事件の時、大阪堺にいたが、急遽、三河に帰国することにし、生駒山麓からこの三山木付近を通り、伊賀越えにて帰国したことがあった。
 その途中に穴山梅雪は野武士に襲われ、落命し、付近の農民たちが墓を建立したとされる逸話がある。
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 この件については、小生のHPに書かせて頂いているので、ご興味の方はご覧いただきたい。
 https://fujishirorei.com/2018/07/28/%ef%bc%91%ef%bc%8e家康伊賀越え/

 尚、三山木には「竹取物語」のルーツとの話もあり、竹取翁博物館なども設けられている。

学研都市線4・下狛駅

 京都府南部を通るJR学研都市線の起点の木津駅から4駅目の「下狛駅」で下車してみる。

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 下狛駅は直ぐ近くにある京都廣学館高校の通学駅であり、朝夕は多くの高校生で賑わうのが特徴である。
 駅は府道に沿っていて、府道から住宅街の中へと入ってみる。
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 住宅街の中を進み、西側の小高い丘を目指すと神社の社頭が見えて来る。
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 神社の入り口の社頭の手前には、なまこ壁の長屋門、重厚な住宅などがあり、雰囲気が出る。
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 神社社頭には、鳥居が建つ。
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 社号柱も建ち、その裏側には、筆跡は北野天満宮宮司の筆によるものとの記載がある。
 この神社は、寛弘5年(1008年)に京都北野神社から勧請したとの証でもある。
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 また灯篭も建ち、施工は明和4年(1767年)とされている。
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 鳥居を潜ると長い石段となる。
 石段は約200段とのことである。
 そして昇り詰めると、二ノ鳥居が建つ。
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 二ノ鳥居を潜った後は右方向が境内である。
 そして「天満宮」と書かれた扁額の三ノ鳥居を潜ると境内である。
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 境内には脇に撫で牛、正面に舞台がある。
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 他にも、樹齢約200年とされる「おがたまの木」、絵馬殿がある。
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 そして舞殿の背後は拝殿である。
 拝殿にも天満宮の扁額が掛けられている。
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 拝殿前には一対の狛犬が祀られている。
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 割拝式の拝殿を潜ると本殿である。
 祭神は菅原道眞公で、明治の16年までは天満宮と呼ばれていた神社である。
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 本殿横に境内社が祀られている。
 狭夜姫神社、西宮神社である。
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 境内の左手に、境内社群の長い祠が祀られている。
 右手から、道祖神社、風神社、大国主神社、稲荷神社、山神社、祈雨神社の6社である。
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 二ノ鳥居まで戻る。
 小上がりの石段があって、左折すると鳥居が建つ。
 奥へと延びる道があり、途中、2番目の鳥居が建つ。
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 そして行き着いた所には、地主神社、歯痛の神の祠が祀られている。
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 横折れすると、2本の石碑が祀られている。
 神武天皇、天照皇大神である。
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 尚、下狛の「狛」であるが、木津川を挟んで右岸少し上流に「上狛」というJR奈良線の駅がある。
 この「狛」の地名は、朝鮮半島の高句麗からの渡来氏族、狛氏に由来するものとされている。
 また、上狛の東南に高麗(こま)寺跡という遺跡があり、それらの氏族が創建したものとされている。

学研都市線3・祝園駅

 京都府南部を通るJR学研都市線(片町線)の木津駅から三つ目の駅の「祝園(ほうその)駅」で途中下車してみる。

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 この辺りはJR線と近鉄京都線が平行して走っていて、とJR祝園(ほうその)駅と近鉄新祝園駅間で乗り換えが容易である。
 先ずはホームとJR側の駅舎と駅前である。
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 そしてJR駅と近鉄駅は階上の通路で繋がっていて、東側へと降りる。
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 東側の駅前広場である。
 広い道路が東方向へ延びているが、この道路の東北方向約1.2km、道のりで約1.5kmの所の木津川左岸の土手の直ぐそばに、今回の目的である式内社大社「祝園神社」が鎮座する。
 鎮座地の住所は、京都府相楽(そうらく)郡精華町祝園(ほうその)柞ノ森(ははそのもり)である。
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 神社の社頭は南向きである。(神社の写真は秋に撮影したものを転用した)
 社頭には、鳥居、社号柱が建つ。
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 鳥居を潜り、灯篭が並ぶ参道を進むと、神門へと到達する。
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 神門を潜ると境内である。
 正面に灯篭、その先には割拝式の拝殿が建つ。
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 拝殿を潜ると一対の狛犬が祀られている。
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 そして本殿である。
 本殿の祭神は、天児屋根命、武御雷命、経津主命の春日神三神である。
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 この神社の創建であるが、由緒記によると、孝元天皇の皇子・武埴安彦(たけ はにやすひこ)が朝廷に反乱を企て、逆に此の地に於いて討伐されたが、亡魂柞(ハハソ)ノ森に止まり人民を悩ませた。
 聖武天皇が神亀年中(724-29)にこれを撲滅せんとするも、鬼神の所業なれば人力にては如何ともなりがたかった。

 後年、称徳天皇の御代(764-70)、神力を以てこれを撲滅せよとの勅命により、直臣池田六良廣綱・宮城七良朝藤が祝部となり、神護景雲4年(770年)、春日の大神を勧請し創祀された、とされる。

 以後、延喜式神名帳にも式内社大社として記載されている。

 9社の境内社が祀られている。
 本殿の左手には、西宮神社、天満宮である。
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 本殿の裏手には5社、左から、稲荷社、出雲社、有功社、祈雨社、熱田社が祀られている。
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 そして本殿の右手には、熊野神社、大神宮である。
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学研都市線2・西木津駅

 京都府南部を通る学研都市線の2番目の駅、木津川市の「西木津駅」である。
 駅は木津駅の西方にある。

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 西木津駅は無人駅、駅の出入り口から南西方向約300mに森が見える。
 相楽(さがなか)神社の社叢であり、これ訪れてみることにする。
 住宅街を通り抜けると、国道との交差点に出る。
 交差点名は「相楽清水」で、「さがなかしみず」と読む。
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 交差点の東方向は木津の中心街へ向かう通りである。
 また交差点角に、小学校がある。
 木津川市立相楽(さがなか)小学校である。
 そして、小学校の向かいに神社の社頭である。
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 社頭には、鳥居の他に「式内 相楽(さがなか)神社」の社号柱、そして旧名の「八幡宮」の標石、そして灯篭が建つ。
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 鳥居を潜るとその先は神門である。
 そして神門を潜ると、境内である。
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 境内正面は拝殿である。
 拝殿にも八幡宮の扁額が掛かる。
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 拝殿前には一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の先は本殿エリアである。
 正面に本殿が建つ。
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 本殿の祭神は、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后である。

 本殿の左には、若宮神社本殿が祀られている。
 祭神は仁徳天皇で、建物は京都府登録文化財である。
 その左には、末社の松枝社、鳥懸社、右には、子守社、清水社(横向き)が祀られている。
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 本殿瑞垣外の左手には、豊八稲荷神社が祀られている。
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 境内の両側は社叢である。
 左手には広場、そして神具庫もある。
 右手も広場と木立がある。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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