奈良県桜井市の南部の多武峰(とうのみね)と云う山間の地に「談山(たんざん)神社」が鎮座している。
この談山神社は、元々は藤原氏の祖である藤原鎌足(中臣鎌足)の死後、菩提を弔うために長男がこの地に十三重塔を建立したのが始まりである。
その後寺院としての体裁が整えられ、妙楽寺、そして後に聖霊院と名づけられた。
神社の背後の山は談い山(かたらいやま)と名づけられている。
それは、大化の改新の前、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足がこの場所で蘇我入鹿を倒すための作戦会議「談合」が行われたことに由来するもので、大化の改新の発祥地とも云われる。
そして明治の廃仏毀釈の際に、寺を廃し神社のみとなったため山の名に因み「談山(たんざん)神社」と称されるようになった。
この神社は当時の寺院建築がそのまま残っていて、一風変わった雰囲気を醸し出している。
神社へは冒頭写真の城門のような神門が参道入り口である。
少し登ると右手に後醍醐天皇寄進の石灯籠があり、もう少し行くと鳥居が設けられているので神社らしくなる。
鳥居を潜り、先ずは左へとそれてみる。
右手の元々は妙楽寺の講堂として使われていた神廟拝所と左手の総社拝殿との間の広いところが、けまりの庭と呼ばれていて、十三重塔も見える。
中大兄皇子と鎌足の出会いが飛鳥寺での蹴鞠であったことから、それを記念している。
けまりの庭の左手は総社拝殿と本殿である。
我が国最古の総社と云われ、元々は神廟の本拝殿であり、この場所に移築されたものである。
総社の横山手には竜王が出現したと云われる井戸を囲む閼伽井屋、そしてその上に山王社比叡神社がある。
また比叡神社の前には元々は常行堂であった権殿がある。
そして権殿の右手には十三重塔が聳えている。
現在の塔は戦国時代の建築物と云われていて、木造の十三重塔としては世界で唯一現存するものである。
その右手は楼門を潜りいよいよ拝殿と本殿である。
拝殿は舞台形式になっていて、下を見下ろすことができる。
また拝殿と本殿との間に庭があるのも珍しい。
以上、気軽に述べてきたが、これらの建築物は全て国の重要文化財である。
これらの他にも重文があるが、ここまでとする。
尚、鎌足公の墓所は、談い山よりも一段と高い御破裂山607mに設けられている。