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阪神電鉄本線20・芦屋駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から19番目の駅で、兵庫県芦屋市の「芦屋駅」である。

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 「芦屋駅」で下車する。
 駅ホームは、「芦屋川」を跨ぐように設置された2面2線の相対式である。
 そして、駅ホームから「芦屋川」を望むことができる。
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 駅の東出口から出る。
 そして南方向へ少し進むと、「芦屋市役所」の正面へと出る。
 市役所の正面は、花壇を含む公園状である。
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 次に、市役所本庁舎の西の「芦屋川」沿いへと出る。
 本庁舎の北館、南館へと繋がる。
 「芦屋川」の上流方向には、「芦屋駅」が、下流方向には「阪神高速」が見える風景がある。
 そして、川沿いの道路は「芦屋川松風通り」と云う。
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 市役所の南側へと出る。
 そして「阪神高速神戸線」、「国道43号線」を歩道橋で渡る。
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 その先は公園である。
 公園は「芦屋公園」と云う名称で、松林が連なる。
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 公園内には、「阪神・淡路大震災 慰霊と復興のモニュメント」が御影石で石組されている。
 石碑には、この地の俳人「稲畑汀子氏」の俳句が刻まれている。
     「震災に 耐へし芦屋の 松涼し」
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 公園西側の「芦屋川」河畔へと出る。
 松並木が綺麗である。
 そして、道路は「芦屋川松風通り」である。
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 再び公園内に戻り、北側の出口に向かう。
 これら松林は、平安の昔から白砂青松の地として親しまれてきたとのことである。
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 公園出口から「国道43号線」を渡り、今度は市役所の東側を北上する。
 市役所の右手(東側)には、消防本部、そして「精道小学校」が並んでいる。
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 そしてこの地点で、「芦屋駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線19・打出駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から18番目の駅で、兵庫県芦屋市に入った最初の駅の「打出(うちで)駅」である。

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 「打出駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、2面2線の相対式である。
 駅の出口は東側にある。
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 駅の南側には「打出商店街」のアーケードがある。
 100m程度の商店街で、通り抜けると、「阪神高速神戸線」・「国道43号線」へと出る。
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 駅の北方向へと進む。
 東西に、「鳴尾御影線」・「西国街道」が通っている。
 その東西の風景と、交差点には、「阿保親王廟」の石碑が建っている。
 「阿保親王廟」は北方向の「JR神戸線」と「阪急神戸線」との中間あたりにあり、「阿保親王塚古墳」と云われる。
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 北へと進む。
 坂を登って行くと、右手(東側)に神社の玉垣が見える。
 「打出天神社」である。
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 南向きの鳥居を潜り、境内へと進む。
 境内の右手に、「打出の小槌」のモニュメントが建てられている。
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 「打出の小槌」とは、昔話の「一寸法師」などで知られるもので、打ち振ることにより、願いが叶うとのもので、この「打出」もそのルーツの一つとされているものである。

 昔のこと、「打出村」に金持ちの長者が住んでいて、小さな槌を持っていた。
 その小槌を打ち振るとなんでも願い事が叶うという宝物であった。
 この小槌は、「打出村」の沖に棲んでいた竜神が持っていたもので、朝廷に献上したものを、長者が手に入れたとされている。
 しかしながら、小槌を打ち振ると願いごとは叶いそうにはなるが、鐘の音が聞こえてくると、無くなってしまうともされている。

 境内正面は、「拝殿・本殿」が祀られている。
 主祭神は「管原道真公」である。
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 この「打出天神社」の創建は不詳であるが、古代から産土神を祀っていたちされるが、室町時代になって、「葦屋荘」が「北野天満宮」の領地となり、その際に「管原道真公」が勧請されたとされている。

 「拝殿」前には、一対の狛犬が祀られ、横には「神牛」が祀られている。
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 「本拝殿」周辺には、境内社が祀られている。
 先ずは、「稲荷神社」、「五社(金比羅神社、南宮八幡神社、春日神社、若宮神社、厳島神社)」、「竈神社」である。
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 そして、「山守社」、「金刀比羅神社、岩戸ノ守社」である。
 また屋根の上の宝珠が柱になっている変わった形の灯篭も建てられている。
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 神社を後にして、南の区画に下がる。
 そこには「金津山古墳」がある。
 この古墳は、古墳時代中期後半に築造されたとされ、墳丘は、帆立貝形前方後円墳である。
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 この古墳には、次の伝説がある。
 この「打出」に平安時代の皇族「阿保親王」の別荘があり、「親王」は村人たちのために、この古墳に、金瓦一万枚、黄金一千枚を埋めたとされるものである。
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 古墳を後にして、西方向へ行ってみる。
 「西国街道」に面して「芦屋打出小槌郵便局」がある。
 そして、周辺の住所地は。「打出小槌町」である。
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 そしてこの地点で、「打出駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線18・香櫨園駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から17番目の駅で、兵庫県西宮市の「香櫨園(こうろえん)駅」である。

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 「香櫨園駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、2面2線の相対式である。
 また、駅は、「夙川」を跨ぐように設置されている。
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 「香櫨園」と云う駅名は、明治時代末期から大正にかけて設置されていた「香櫨園遊園地」の最寄り駅との名付けとされている。
 また「香櫨園遊園地」は大阪の商人である「香野蔵治」と「櫨山(はぜやま)喜一」によって開設されたもので、両名の頭文字を合わせたものである。

 駅の南側には、歩道橋があり、自動車道の「西国街道」も通っている。
 その「西国街道」の東方向、西方向の風景である。
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 また、橋上からの、「夙川」の上流方向、下流方向の風景である。
 そして、「阪神高速神戸線」、「国道43号線」を潜って、下流(南方向)へと進む。
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 「夙川」の両側の緑地帯は「夙川河川敷緑地」と云う名称の公園で、上流から河口まで約4kmもある。
 尚、通称は「夙川公園」である。

 この「夙川公園」は、春には桜が咲き誇る名所として良く知られている。
 左岸を進み、途中で川に架かる歩道橋「川添橋」を渡り、右岸へと行く。
 そして、橋上からの上流・下流の風景である。
 上流の高いところには「阪神高速神戸線」が見える。
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 右岸は、遊具広場である。
 時節柄、向日葵も咲いてる。
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 その先の南へは公園はまだまだ続くが、間に道路が通っている。
 西宮の酒処から神戸の酒処へと向かう「酒蔵通り」である。
 「夙川」に架かる橋は、「新翆橋」と云う。
 その東方向、西方向の風景である。
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 「酒蔵通り」まで来たので、Uターンして、北へと戻る。
 松と桜が織りなす風景と、川面を眺めながら進む。
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 駅まで戻ったので、北側を覗いてみる。
 もちろんこちらも「夙川公園」であり、「夙川」が流れ、「アガパンサス」も咲いていたのであった。
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 そしてこの地点で、「香櫨園駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線17・西宮駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から16番目の駅で、兵庫県西宮市の「西宮駅」である。

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 「西宮駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、2面4線の島式である。
 駅舎は総合ショッピングのビルとなっている。
 そして、駅の南側へと出る。
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 駅前はバス停を含むロータリーとなっている。
 先ずは南方向へと進む。
 そして西方向へと向かうと、正面に神社の杜が見えて来る。
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 南北の通り「えべっさん筋」を南下する。
 右手に「西宮神社」の重要文化財「大練塀」が見えてきて、「東門」がある。
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 更に南下すると、「西宮神社」の「鳥居」、重要文化財の「表大門」が構えている。
 毎年1月10日に実施される「福男選び」のスタート地点である。
 「表大門」を潜ると、先ずは広い参道である。
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 「西宮神社」の境内図である。
 
境内図を参考にして、境内を回ってみる。
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 参道の左手に、「児社」が祀られている。
 そして、「廣田神社」の摂社の「南宮神社」が祀られている。
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 ここで参道は右にカーブする。
 「注連縄柱」が建っている。
 その先、左手に「神馬舎」、「祈禱殿」、「鳥居」が建つ。
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 右手には、「庭津火神社」、「祓所」が祀られている。
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 この先参道は「社務所」に突き当たり、左折し、「拝殿」へと向かい、「福男」が駆け込む所となる。
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 「拝殿」の両手前には、一対の狛犬が祀られている。
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 「拝殿」の背後は「本殿」である。
 「本殿」は三殿が祀られ、右から第一殿、第二殿、第三殿である。
 そして祭神は、第一殿が「えびす大神(西宮大神・蛭児命) 」、第二殿には「天照大御神」、「大国主大神」、第三殿には「須佐之男大神」が祀られている。
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 この「西宮神社」の創建は不詳であるが、社伝によると、神戸「和田岬」の沖に出現した「蛭児命」の神像を鳴尾の漁師が引き上げて自宅で祀っていたところ神託が降り、それによってそこから西の方に神像を遷して改めて祀ったのが起源とされている。

 多くの境内社が祀られている。
 「本殿」の左手に、「本殿」に近い方から、「火産霊神社」、「百太夫神社」、「六甲山神社」が並び祀られている。
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 更に、南北に、式内社の「大國主西神社」が祀られ、その南に「神興殿」が建っている。
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 その南には、「神明神社」、そして「松尾神社」が祀られている。
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 今度は「拝殿」の正面である。
 正面には「神池」が広がり、登録有形文化財の「瑞寶橋」が架かっている。
 この橋は渡れないので、隣の石橋を渡る。
 先ずは、池の左外側に、「祈祷殿」が見える・
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 更に、池の外には「六英堂」が見え、中島には、「宇賀魂神社」、「市杵島神社」が祀られている。
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 最後に「南門」周辺である。
 高麗門である「南門」の左手には、「松尾芭蕉」の句碑が建っている。
 句碑には「扇にて 酒くむかげや ちる桜」と記されている。
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 また「南門」の右手(西側)には、「沖恵美酒神社」が祀られている。
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 「南門」から退出する。
 門の両側には、「用水桶」が置かれ、神社の南側の塀も「大練塀」である。
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 そしてこの地点で、「西宮駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線16・今津駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から15番目の駅で、兵庫県西宮市の「今津駅」である。

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 「今津駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、、2面2線の相対式である。
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 「今津駅」の北側には、「阪急電鉄今津線」の「今津駅」がある。
 駅同士は階上の通路(ペデストリアンデッキ)で結ばれている。
 そして、駅に沿った南北の通りは「今津西線」である。
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 「阪神本線」の高架線路に沿って西方向へと進む。
 途中、「津門(つと)川」を渡る。
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 しばらく進んでから南下する。
 そして「阪神高速神戸線」、「国道43号線」を、「染殿交差点」の「住江歩道橋」で越える。
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 南下する通りは、「福祉センター筋」と云う。
 これを進んで行くと、酒蔵が見えて来る。
 「西宮郷」の「日本盛」である。
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 「東川」を渡り、酒蔵の横を南下すると、東西の通りの「酒蔵通り」に出る。
 通りには、「灘五郷」の「今津郷」・「西宮郷」の案内図も示されている。
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 その西方向の北側に「日本盛」の入り口がある。
 入り口の右手には「日本盛 酒蔵通り煉瓦館」が建っている。
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 しかし、残念ながらこの日は休館日であり、外側だけを眺めたのであった。
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 「酒蔵通り」を東へと進み、「東川」を渡る。
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 川を渡ると「津門中央公園」である。
 公園の中を北へと進む。
 野球場がある。
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 スタンドに上がってみる。
 スコアボードもしっかりと造られている野球場である。
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 そして、野球場の北側の多目的グラウンドを横切り、駅筋の「今津西線」に出て、右手に「今津商店街」の入り口ゲートを眺め、「今津駅」へと戻り、この駅のミニ探索を終了したのであった。
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阪神電鉄本線15・久寿川駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から14番目の駅で、兵庫県西宮市の「久寿川(くすがわ)駅」である。

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 「久寿川駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、2面2線の相対式である。
 そして、駅の出口は高速道路の下にある。
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 高速道路は北から来る「名神高速道路」が「阪神高速神戸線」に突き当たる、「西宮IC(インターチェンジ)」で、駅はその下にある。
 高速道路に沿って南方向へと進む。
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 高速道路の下の「国道43号線」を渡り、住宅街の中へと入り、その先を左折する。
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 住所地は「今津大東町」である。
 左手に、神社が祀られている。
 神社は福應神社」で、西宮の三福神の一社である。
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 鳥居を潜り境内へと入る。
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 右手には、「神輿楽車庫」があり、正面は「拝殿」である。
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 「拝殿」の両手前には、一対の狛犬が祀られている。
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 「拝殿」の背後は「本殿」が祀られている。
 祭神は、「八重事代主大神」とされている。
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 この神社の創建は不詳であるが、平安時代の後期以前とされる説が有力である。
 また、「西宮IC」の建設により、現在地に移設されたとされる。

 境内社であるが、「本拝殿」右手に、「穴尾稲荷神社」、「白髭稲荷神社」が祀られている。
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 更に、「本殿」左手に、「金刀比羅神社・松尾神社」、「福地蔵尊」が祀られている。
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 「福應神社」に参拝したところで、神社を後にして、今度は西方向に向かう。

 南北の大きな道路「今津港津門大箇線」を越えて、次の通りの角に、レトロな建物がある。
 「六角堂」と云い、明治15年に建てられた「今津小学校」の建物である。
 そして、この前の東西の道は「酒蔵通り」と云い、酒処「灘五郷」の通りで、西へと続く。
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 「酒蔵通り」の南側に、良く知られている銘柄の酒造会社がある。
 「灘五郷」の最も東の「今津郷」の「大関㈱」である。
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 そしてこの地点で、「久寿川駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線14・甲子園駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から13番目の駅で、兵庫県西宮市の「甲子園駅」である。

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 「甲子園駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、3面4線の島式・相対式で、列車の待避が可能となっている。
 また、神戸方面へのホームから、「甲子園球場」の照明塔などが見える。
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 駅の南側へと出る。
 「甲子園球場」との間は広場となっていて、東側にはバスターミナルも備えられている。
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 球場を目指して進む。
 両側には、「阪神タイガース」に関わるショップがある。
 そして、球場のゲートを潜り、道路を渡る。
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 「阪神甲子園球場」の正面である。
 当日は、野球が開催されていなかったので、人は少ない様子である。
 今回は、球場の外側のスタンドの周りを、一塁側から三塁側へと、反時計回りに回ってみることにする。
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 壁面にはレリーフが嵌め込まれている。
 「タイガーズショップ」もある。
 そして、右手に「ミズノスクエア」と云う広場がある。
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 その「ミズノスクエア」の奥には。記念碑が建てられている。
 球場を訪れた「野球王ベーブ・ルースの碑」、連続試合イニング出場世界記録の「金本知憲の碑」、そして「阪神タイガース」50周年記念の「吠える虎の像」である。
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 更に進む。
 右手には、「室内練習場」が建っている。
 その先には、神社の社殿が見えて来る。
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 神社は「素盞嗚神社」である。
 球場側の東向きの参道には鳥居が建っているので、潜って境内を覗いてみる。
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 「素盞嗚神社」の正面は南向きであるので、そちらへと回り、鳥居を潜る。
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 境内には、星野元監督揮毫の御影石のボール型モニュメント「夢」、岡田現監督揮毫の「野球塚」が建てられている。
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 正面は「拝殿」である。
 背後には、球場の照明塔も聳えている。
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 「拝殿」の背後は「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「素盞嗚命」とされている。
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 この神社の創建は不詳であるが、江戸時代元禄に再建されたという記録が残っていることから、それ以前と考えられている。
 この付近は、「武庫川」の支流の「枝川」と「申川」の分岐点であったそうで、水害や疫病の守り神として、元は「牛頭天王」、転じて「素盞嗚命」が祀られていたとされている。

 境内社としては、「種吉稲荷神社」、「中津戎神社」が祀られている。
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 神社を後にして、スコアボードの裏風景、「甲子園球場」創設の前身、「甲子園大運動場の碑」を眺めたのであった。
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 「甲子園球場」は、大正13年(1924年)に、「枝川」と「申川」の合流点の埋め立て地の活用として建設されたとされている。
 従って、今回探索の「甲子園駅」も、その地点で臨時停車駅として造られたとのことである。

 創設年は、「十干」の初めの「甲」と「十二支」の初めの「子」が合わさった「甲子(きのえね)」の年で、「甲子園」と名付けられたとのことである。
 尚、創立年から数えて、来年は丁度100周年に当たるとのことになる。

 最後に、昨年開設された球場とは道路を挟んだ「甲子園プラス」まで行ってみる。
 2階には移設された「甲子園歴史館」もある。
 また、そこからの「甲子園球場」の眺めである。
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 そして球場の周りを一周したので、「甲子園駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線13・鳴尾・武庫川女子大前駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から12番目の駅で、兵庫県西宮市の「鳴尾・武庫川女子大前駅」である。

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「鳴尾・武庫川女子大前駅」で下車する。
駅ホームは高架で、2面2線の相対式である。
駅舎の1階には、「Mukojo Station Canpus」と名付けられた「武庫川女子大学」の施設も設けられている。
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 この駅は、4年前までは、「鳴尾駅」として知られていた。
 その少し前、「武庫川女子大学」と包括連携協定が締結され、現在の駅名に改変されたとされる。

 駅の南側へと出る。
 駅前は少しの広場となっていて、その先に、「阪神高速神戸線」、「国道43号線」が通っている。
 そしてその道路沿いに東進する。
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 左手に女子大の学舎が建っている。
 少し進むと、道路を渡る陸橋があるので、これを登る。
 上り詰めたところの風景は、東方向に、前回の「武庫川駅」で探索した「兵庫医科大学」の建物が見える。
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 陸橋で道路を渡る。
 下の「国道43号線」、上の「阪神高速神戸線」の間を歩くことになる。
 そして降り口から、南方向の道路の両側に並ぶ「武庫川女子大学」の学舎、そして左手に「正門」や「本館」が見える。
 また、「正門」の右手の建物は、「公江記念講堂」と云う。
 ここには2500人規模の大ホールがあり、入学式や卒業式、そしてコンサートなどのイベントが行われるとのことである。
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 陸橋を降りると、そこは「小曽根線」と云う広い道路である。
 先ずは、右手は「公江記念館」、記念館の横を覗くとキッチンカー、そして「日下記念マルチメディア館」と続く。
 道路を挟んで学舎同士が歩道橋で結ばれている風景も続く。
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 そして左手は、「正門」、「本館」である。
 「正門」には、「学校法人 武庫川学院」、「武庫川女子大学大学院 武庫川女子大学 武庫川女子大学短期大学部」と表示されている。
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 「武庫川女子大学」は、戦前に「武庫川学院」が創設され、戦後になって、中・高・大の一貫校として開校されたものである。
 大学は12学部を有する女子総合大学となっている。

 「正門」前を後に、南方向へと進み左折する。
 一般道の両側には学舎が並ぶが、歩道橋で連結されている。
 南への道を眺めるとそこにも歩道橋があり、繋がっているのは「生活環境1号館」と「食物栄養科学館」である。
 そして、その先の東西の道を見てみると、そこにも歩道橋で連結されている「生活環境2号館」がある。
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 元に戻り、北方向に行ってみると、そこには「附属幼稚園」がある。
 再び元へと戻り、東方向へ進むと、左手(北側)に「栄養科学館」がある。
 そして更に東方向を眺めると、関係の建物がありそうである。
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 その先、「新川」を渡ると、右手(南側)に学生寮がある。
 「武庫川学院 貞和寮」である。
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 そして左手(北側)に「第3体育館」がある。
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 「武庫川女子大学」の東の端まで来たところで、「鳴尾・武庫川女子大前駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線12・武庫川駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から11番目の駅で、兵庫県尼崎市と接する西宮市との境目の武庫川の上にホームがある「武庫川駅」である。

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 「武庫川駅」で下車する。
 駅ホームは、武庫川の上にあり、2面2線の相対式である。
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 神戸方面のホームから、武庫川の下流(南方向)、上流の風景である。
 下流に見える架橋は、「阪神高速神戸線」、「国道43号線」である。
 また、下流の右手(西側)には、「兵庫医科大学」の建物が見える。
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 西の出口へと向かう。
 駅舎には、「阪神武庫川線」の改札もある。
 そして駅舎の外へと出る。
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 眼前に「兵庫医科大学」の建物が建っている。
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 大学の構内図である。
 「兵庫医科大学」は、1972年に開学した医学部を始めとした4学部と病院を有する大学である。
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 この「西宮キャンパス」を周囲から眺めてみることにする。

 北側の「阪神電鉄本線」に沿った建物は病院本館である。
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 また、渡り廊下で、別館などの建物と連結されている。
 そして、病院の西側には、「健康医療クリニック」が建っている。
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 また、病院の南側には「教育研究棟」と云う高い建物がある。
 医学部などの建物であろうと思われる。
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 そして、医科大学の南の「阪神高速」・「国道43号線」に到達したところで、「武庫川駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線11・尼崎センタープール前駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から10番目の駅で、兵庫県尼崎市にある「尼崎センタープール前駅」である。

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 「尼崎センタープール前駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、3面4線の単式・島式である。
 駅舎から街中へ向けての出口は、南向きである。
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 しかし、駅の2階のコンコースから、「BOAT RACE尼崎(尼崎ボートレース場)」に向けて、高架歩道が整備されている。
 「ファンロード」と云い、これを北に向けて進む。
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 高架歩道の終点を降りると、「BOAT RACE尼崎」の正門入り口である。
 入場料は100円、早速入ってスタンドへと上り、レース場を眺めてみる。
 レース場の向こう側には「尼崎センタープール前駅」が見える。
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 更に、スタンドからの東方向、西方向の風景である。
 歩いてきた高架歩道「ファンロード」が見える。
 また、阪神電車の通過も見える。
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 また、レース場の仕掛けとして、大型映像装置、大時計が設置されている。
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 下に降りて、スタンドを眺めてみる。
 暑いので、多くの観客は屋内に入っていて、屋外は少ない。
 また、スタンドの裏側も眺めた。
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 そうこうしているうちにボートレースが始まった。
 エンジン音が響き、勇壮なものである。
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 そして、しばらくレースを眺め、レース場を後にして、「尼崎センタープール駅」に戻り、この駅のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線10・出屋敷駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から9番目の駅で、兵庫県尼崎市にある「出屋敷駅」である。

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 「出屋敷駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、2面2線の相対式である。
 そして、駅の南側へと出る。
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 駅前の道路を南下する。
 「国道43号線・阪神高速神戸線」に出るので、これを東進する。
 右手に、テレビコマーシャルで見かける「AGC㈱」の工場が見えて来る。
 その向かい側には神社の南向きの社頭がある。
 神社は「貴布禰(きふね)神社」である。
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 正面の「一ノ鳥居」は震災で倒壊した後、鋼板で再建されたものである。
 この鳥居を潜り進むと、「神門」、「二ノ鳥居」、そして「拝殿」である。
 「拝殿」には祭神を記した扁額が掲げられている。
 中央は主祭神の「貴布禰大神(高龗神)」、そして配祀神は、右に「加茂別雷大神」、左に「加茂御祖大神」である。
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 「拝殿」の背後は「本殿」で、上記の神々が祀られている。
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 この神社の創建は不詳であるが、神社の由緒書きでは、鎌倉時代の後期(1326年)と伝えられている。
 当初は、尼崎城内三ノ丸に鎮座していたが、江戸時代の戸田氏鉄による城の改築以来、2度目の遷座にて、現在地に鎮座したとされる。
 江戸時代は尼崎城主の崇敬が篤く、代々御祈願所を務めてきたことから、現在に至るまで多くの市民に「尼崎の総氏神」として親しまれている神社とのことである。

 境内社も祀られている。
 先ずは、「本殿」の右の「白波稲荷神社」である。
 元は尼崎城内に祀られていたが、明治初年の廃藩の際、この境内に移されたとされる。
 そして、「本殿」左手には、「白龍大神」、「市庭戎神社」が祀られている。
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 他にも「本殿」左手で境内の西側に、「愛敬三社」、「相殿社」、「榎大神」が祀られている。
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 また、境内西側には「地車庫」が、東側には、「関西学院大学」のアメリカンフットボール部の甲子園ボール優勝記念のモニュメントが設置されている。
 この神社の宮司は関学アメフトのOBで、この神社で優勝祈願することで、神徳が得られているとのことである。
 そして、神社の北参道の鳥居を潜り、「出屋敷駅」へと戻り、この駅のミニ探索を終了したのであった。
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阪神電鉄本線9・尼崎駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から8番目の駅で、兵庫県尼崎市にある「尼崎駅」である。

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 「尼崎駅」で下車する。
 この駅は、「近鉄奈良線」と相互乗り入れ運転がなされている「阪神なんば線」の起終点となっていているのが特徴である。
 駅ホームは高架で、2路線の合流により、4面6線の島式の構成となっている。
 また、駅ホームの東端からは、復元された「尼崎城 天守」が見える。
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 駅舎の1階は、改札・コンコースやショッピングゾーンとなっている。
 駅舎の北側へ出る。
 駅前は広い公園「中央公園」である。
 そして、道路を挟んだ西側には、長いアーケードの「尼崎中央商店街」の入り口がある。
 「阪神タイガース」の応援で知られる商店街で、別名称の商店街と合わせて、総延長約2kmとのことである。
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 以前の「阪神なんば線」での「尼崎駅」では、駅の東南側の「尼崎城」を中心に探索したので、今回は、駅の西側と南西側の探索とする。

 「尼崎中央商店街」の南側の高架線路の傍の道路を西へと進む。
 進んで行くと、右手に公園「神田公園」があり、朱塗りの鳥居が建っている。
 「尼崎えびす神社」の「大鳥居」である。
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 「大鳥居」を潜り、参道を進む。
 「本戎 事代主神社」と記された「社号柱」が建っている。
 進んで行くと、小祠に「戎大神」の石像が祀られている。
 そして正面は「拝殿」である。
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 「拝殿」の背後は「本殿」が祀られている。
 祭神は、 主祭神が「八重事代主大神」、 配神は「大国主之大神」、「誉田別大神」、「猿田彦大神」とされる。
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 この神社の創建は不詳であるが、伝承によれば、「醍醐天皇」以前の時代とされる。
 その後、氏神として、「戎太神宮」、「事代主神社」と称され、戦後、現在の「尼崎戎神社」と改称されたとされる。

 その他境内には、「稲荷神社」、「月像石(つきいし)」、「招きうさぎさん」が祀られている。
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 「尼崎えびす神社」を後にして、「阪神電鉄」高架線路の南側の「寺町」へと進む。
 「寺町」の北側は裏通り、南側は表通りである。
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 多くの寺院が並んでいる。
 この「寺町」は、江戸時代の初期、「尼崎城」の築城の時、城主「戸田氏鉄」の号令で、この地に寺院が集められたものとされている。

 大きそうな寺院を2つばかり訪ねてみる。
 先ずは、西の地域にある「日蓮宗 長遠寺(じょうおんじ)」である。
 この寺は、14世紀の半ばに七ッ松地区に創建されたが、寺町の形成に伴いこの地に移転したものとされている。

 「山門」を潜る。
 右手には、「妙見宮」が祀られている。
 そして正面は、重要文化財の「本堂」である。
 本尊は、「題目宝塔」、「多宝如来」、「釈迦如来」とされている。
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 「本堂」前には「松尾芭蕉」の句碑が建っている。
 句碑には、「はつ時雨 さるも小蓑を ほしけ也」と記されている。
 そして、「鐘楼」、更には重要文化財の「多宝塔」が建っている。
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 今度は東の端に建つ大寺院「法華宗本門流大本山」の「本興寺」を訪ねてみる。
 「本興寺」の創建は、 1420年の室町時代で、開山は「日隆上人」とされている。
尚、この寺は、「尼崎城」の築城地にあったので、この地域に移転させられたとされている。

 「山門」を潜ると左手に、「三光堂」の拝殿、そして「鐘楼」がある。
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 そして、正面は「本堂」で、本尊は「本門八品上行所伝 南無妙法蓮華経」とされている。
 また、「本堂」の左手には、重要文化財の「開山堂」が祀られている。
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 更に、境内の右手には、「太鼓楼」や幾つかの「塔頭」が並ぶ風景が見られる。
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 そして、「本興寺」を後にして、「尼崎駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線8・大物駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から7番目の駅で、兵庫県尼崎市にある「大物(だいもつ)駅」である。

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 「大物駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、3面4線の島式の両側に相対式ホームがあるという構成である。
 この駅では、「阪神なんば線」が合流することから、このようになっている。
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 尚、「大物(だいもつ)」と云う地名は、平安時代に材木の集散地として栄え、大型の木材が多かったことから「大物」と呼ばれたとの説が有力である。

 駅前の線路に直交している南北の道路は「県道大物線」である。
 これを南方向へと進む。
 右手に神社が鎮座している。
 「大物主(おおものぬし)神社」で、その東門である。
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 神社の正面は南であるので、南へと進む。
 南向きの「大物主神社」の社頭があり、鳥居、社号柱が建つ。
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 鳥居を潜り、境内へと入る。
 左手に、「汁醤油発祥の地」の石碑が建てられている。
 平安時代の末期に、この「大物」で醤油が醸造され、「尼の生醤油」と呼ばれてきたとのことである。
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 参道の正面は「拝殿」である。
 両手前には、一対の「狛犬」が祀られている。
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 「拝殿」の背後には、「幣殿」そして「本殿」が祀られている。
 祭神は、主祭神が「大物主大神」、配祀神が「市杵島姫命」、「田心姫命」、「湍津姫命」の「宗像三柱神」とされている。
 また、「拝殿」前の左手には、「義経弁慶隠家跡」の石碑も建てられている。
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 この神社の創建は不詳であるが、平安時代かそれ以前より「大物浦」の氏神であったとされる。
 この創建には、大物主の子孫である大田田根子の更に子孫が関わっているとされる。

 また、平安時代後期には、「平清盛」が「厳島神社」の「宗像三柱神」を勧請合祀し、「大物浦」の安全を祈念したとされる。
 更に石碑は、「源頼朝」から追討される「源義経」が「大物浦」より船出する際、神社東側にあった七軒長屋に一時滞在していたとの謂れである。

 最後に、「大物駅」の北側の公園の西端である。
 そこには、「大物くづれ戦跡碑」がある。
 この碑は、「応仁の乱」の時の、細川家の内部争いで、「細川高国」の軍が大破し、尼崎方向に逃げたとの戦跡の碑である。
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 そしてこの地点で、「大物駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線7・杭瀬駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から6番目の駅で、「左門殿川」を渡り、兵庫県尼崎市に入ったところの「杭瀬(くいせ)駅」である。

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 「杭瀬駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、2面2線の相対式である。
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 駅の直ぐの北側に公園がある。
 「宮前公園」と云い、その横の北向きの道は神社への参道である。
 進んで行くと、「熊野神社」の社頭となる。
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 鳥居を潜ると、正面は「拝殿」である。
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 そして「拝殿」の背後には、「本殿」が祀られている。
 祭神は、「素盞嗚命」、「天児屋根命」、「応神天皇」とされている。
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 この「熊野神社」は、江戸時代の初期、「尼崎城」の際、城下町の東に造営されたものとされる。

 また、境内社として、「稲荷神社」、「神功皇后」を祀る「子安の池」なとが祀られている。
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 そう広い神社ではない。
 裏参道には、社号石碑が建てられている。
 そしてその前の道路は、「国道2号線」である。
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 先ほどの「宮前公園」まで戻り、神社側の入り口から入る。
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 公園には、遊具広場や多目的広場が設けられている。
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 公園の東側には、「神光宮」が祀られている。
 神道系の宗教団体の様である。
 祭神は、「天御中主神」、「高皇産霊神」、「神皇産霊神」、「大日孁貴」、「大己貴命」、「若宇賀能売命」、「八百萬大神」と記されている。
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 「神光宮」の正面は、鳥居、社号柱、そして「拝本殿」である。
 また背後から本殿を眺めてみるが仏教の「本堂」のようにも見える風景であった。
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 次に、東方向の「左門殿(さもんど)川」の手前の「梶ヶ島」へと向かう。
 尚、「左門殿川」とは、尼崎城主の戸田左門が、この地の洪水を憂慮し、新たに水路を開拓したことの名付けとされている。
 その川の手前の「梶ヶ島」には、南向きに、「住吉神社」が祀られている。
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 境内へと入る。
 広い境内で、社殿は少ない。
 正面には、「拝殿」、「狛犬」が祀られている。
 「狛犬」は天保2年の奉納とのことである。
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 「拝殿」の背後には「本殿」が祀られている。
 本殿の祭神は、住吉三神(「底筒男命」、「中筒男命」、「上筒男命」)と「神功皇后」とされている。
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 この神社の創建は古く、「神功皇后」の「三韓征伐」の帰途、船団の一部がこの地に立ち寄り、「住吉三神」の守護のお礼として、軍船の舵を用いて神像を三体彫刻し、奉斉したとのことに基づくとされる。
 また、舵から神像を刻んだことから、この地は「梶ヶ島」と呼ばれるようなったとされている。

 そして、この地点で、「杭瀬駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪神電鉄本線6・千船駅

 大阪市の「大阪梅田駅」と神戸市の「元町駅」を起終点とする「阪神電鉄本線」の各駅を各駅下車で訪ねてみることにする。
 今回は、大阪側の起終点の「大阪梅田駅」から5番目の駅で、神崎川を渡った所の大阪市西淀川区にある「千船(ちぶね)駅」である。

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 「千船駅」で下車する。
 駅ホームは高架3階で、2面4線の島式である。
 2階は改札やコンコースで、幾つかの店舗もある。
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 地上の駅出口へと出る。
 向かい側は「社会医療法人 愛仁会本部」とその「地域ケアセンター」である。
 かつては、「愛仁会 千船病院」であったが、病院は現在は「阪神なんば線」の「福駅」の北側に移転している。
 「愛仁会」の横の道路を北東方向へ進むと、左手に「佃幼稚園」がある。
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 幼稚園の北隣は、広い公園である。
 「新佃公園」と云い、グラウンドや遊具施設もある。
 尚、「佃」と云う地名は、「神崎川」と「左門殿(さもんど)川」に囲まれた、島状の地域一帯の地名である。
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 公園の先には「国道2号線」が通っている。
 この国道の東方向は「神崎川」である。
 「神崎大橋」と「神崎川」の風景である。
 少し下流へと行くと、対岸に「好文学園女子高校」が見える風景がある。
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 元の「新佃公園」まで戻る。
 「国道2号線」を渡り、更に進む。
 しばらく進み、左折し、神社の社頭を目指す。
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 「田蓑(たみの)神社」である。
 この神社は、平安時代の869年に「住吉三神」と「神功皇后」を祭神として創建されたとされる。
 「田蓑姫神社」、「住吉神社」などと称されたが、明治になって現在の神社名になったとされている。
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 鳥居を潜ると左手に以前の「社号柱」が保存されている。
 そして参道を進む。
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 正面は「拝殿」であるが、その左手前に石碑、歌碑が建てられている。
 一つは「佃漁民ゆかりの地」、歌碑は「紀貫之」である。
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 「佃漁民ゆかりの地」とは、この地を訪れた「徳川家康」の指図により、「田蓑神社」の宮司の弟と33名の漁民が江戸鉄砲洲町へ移住し、「佃島」と名付け、「佃煮」も販売したとの記念碑である。
 また、この神社から「住吉神社」も勧請されている。

 「紀貫之」の歌碑には、
 「雨により 田蓑の嶋を けふゆけど なにはかくれぬ ものにぞありける」と刻されている。

 正面は「拝殿」である。
 「拝殿」前には、一対の「狛犬」、そして時節柄、「茅の輪くぐり」が祀られている。
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 「拝殿」背後は本殿で、四本殿が並んでいる。
 祭神は、住吉三神の「底筒之男命」、「中筒之男命」、「表筒之男命」、そして「神功皇后」である。
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 境内社である。
 「家康公」を祀る「東照宮」、「七重之社」、「稲生社(稲荷神社)」が祀られている。
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 そして、「田蓑神社」の境内を一巡したところで、「千船駅」のミニ探索を終了したのであった。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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