『滋賀県琵琶湖竹生島・都久夫須麻神社』
滋賀県長浜市早崎町の琵琶湖の竹生島(ちくぶじま)に鎮座する式内社「都久夫須麻(つくぶすま)神社』を訪ねてみる。
一般には「竹生島神社」と云われ、西国三十三ヶ所観音霊場の「宝厳寺」と合わせ神仏習合時代の形を残している神社である。
竹生島には、近江今津港、長浜港、彦根港から航路で行くことができる。
今回は今津港から向かうことにした。
竹生島港に着くと、島の右斜面に神社の社殿が見える。
上陸して、神社へと向かう。
商店のアーケードの先で入山手続きを済まし、石段を少し昇ると鳥居がある。
扁額には「竹生島神社」と書かれている。
神社参道は右手へと進む。
途中左手に木組み支持体がある。
後で分かったのだが、この上に神社と寺を結ぶ重要文化財の「舟廊下」がある。
参道右手に「黒龍大神」「黒龍姫大神」が祀られている。
進んで行くと境内である。
先ずは右手に、「弁財天社」、「白巳社」が祀られている。
白巳社には、両サイドに阿吽の狛白蛇が祀られている。
更に右手、湖側である。
「八大竜王拝所」である。
拝所の下の突端の波打ち際に「宮崎鳥居」が建っていて、願いを込めて、鳥居に向けての「かわらけ投げ」が盛んである。
境内の山側は本殿である。
その本殿の手前左手に聖武天皇が創建したとされる「天忍穂耳神社 大己貴神社」が鎮座する。
また右手には、竹生島大神(市杵島比売命)と同神の「厳島大神 江島大神」が祀られている。
そして中央の石段を昇ると国宝「本殿」である。
本殿は、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として、伏見城の「日暮御殿」を移築したものとされている。
本殿の祭神は、市杵島比売命、宇賀福神、浅井比売命、龍神の4柱とされている。
また、本殿から隣の宝厳寺に向けて重文の「舟廊下」が設けられている。
そして舟廊下の先は、国宝の「唐門」を備えた「観音堂」である。
これらも、神社本堂の移築の際に、京都東山にあった豊国廟から合わせて移築されたものとされている。
本殿の右奥には、新しく「常行殿」が建てられている。
修業道場や参篭の場として使われるとのことである。
そして本殿をもう一度眺め、神社の一巡を終了したのであった。
尚、この「都久夫須麻神社」の創建であるが、5世紀の古墳時代中期に「浅井比売命」を祀る小祠が建てられたと伝えられている。
また、7世紀後半の天智天皇による志賀宮の創建の際に、宮中の守護神として竹生島に浅井比売命が祀られたという説もある。
一般には「竹生島神社」と云われ、西国三十三ヶ所観音霊場の「宝厳寺」と合わせ神仏習合時代の形を残している神社である。
竹生島には、近江今津港、長浜港、彦根港から航路で行くことができる。
今回は今津港から向かうことにした。
竹生島港に着くと、島の右斜面に神社の社殿が見える。
上陸して、神社へと向かう。
商店のアーケードの先で入山手続きを済まし、石段を少し昇ると鳥居がある。
扁額には「竹生島神社」と書かれている。
神社参道は右手へと進む。
途中左手に木組み支持体がある。
後で分かったのだが、この上に神社と寺を結ぶ重要文化財の「舟廊下」がある。
参道右手に「黒龍大神」「黒龍姫大神」が祀られている。
進んで行くと境内である。
先ずは右手に、「弁財天社」、「白巳社」が祀られている。
白巳社には、両サイドに阿吽の狛白蛇が祀られている。
更に右手、湖側である。
「八大竜王拝所」である。
拝所の下の突端の波打ち際に「宮崎鳥居」が建っていて、願いを込めて、鳥居に向けての「かわらけ投げ」が盛んである。
境内の山側は本殿である。
その本殿の手前左手に聖武天皇が創建したとされる「天忍穂耳神社 大己貴神社」が鎮座する。
また右手には、竹生島大神(市杵島比売命)と同神の「厳島大神 江島大神」が祀られている。
そして中央の石段を昇ると国宝「本殿」である。
本殿は、豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行として、伏見城の「日暮御殿」を移築したものとされている。
本殿の祭神は、市杵島比売命、宇賀福神、浅井比売命、龍神の4柱とされている。
また、本殿から隣の宝厳寺に向けて重文の「舟廊下」が設けられている。
そして舟廊下の先は、国宝の「唐門」を備えた「観音堂」である。
これらも、神社本堂の移築の際に、京都東山にあった豊国廟から合わせて移築されたものとされている。
本殿の右奥には、新しく「常行殿」が建てられている。
修業道場や参篭の場として使われるとのことである。
そして本殿をもう一度眺め、神社の一巡を終了したのであった。
尚、この「都久夫須麻神社」の創建であるが、5世紀の古墳時代中期に「浅井比売命」を祀る小祠が建てられたと伝えられている。
また、7世紀後半の天智天皇による志賀宮の創建の際に、宮中の守護神として竹生島に浅井比売命が祀られたという説もある。