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阪急電鉄京都線25・西院駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から24番目で、京都市右京区にある「西院(さいいん)駅」である。

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 「西院駅」で下車する。
 地下駅で、ホームは2面2線の相対式である。
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 地上は駅ビルとなっていて、「西大路」と「四条通り」との交差点「西大路四条」である。
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 この交差点の歩道の角には、「雨庭」と云う仕掛けがある。
 地上に降った雨水を一時地下に貯留し、徐々に地中に浸透させるという仕掛けである。
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 交差点の北東側には寺院がある。
 「西院(さい)の河原旧蹟 高山寺」である。
 またこの寺院は、「淳和天皇」の離宮であった「淳和院」の跡地ともされる。
 この「淳和院」は御所の西側あったとのことで、「西院」と呼ばれ、地名の由来ともなっている。
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 山門を潜ると正面は「本堂」である。
 本尊は、足利尊氏が滋賀の堅田から移したと云われる「子安地蔵尊」である。
 またこの寺は、秀吉の御土居建設に伴いこの地に移設されたとされる。
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 「本堂」前には大きな「地蔵尊」が祀られている。
 この「地蔵尊」は黒谷の「金戒光明寺」から移転されたものとされる。
 また「地蔵尊」の周囲には、小さな「地蔵尊」が多数置かれている。
 これらは、「御土居」の取り壊しに際し、出土したものが集められたものとされている。
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 また「本堂」の階段にも「地蔵尊」が、山門横の塀の隅にも沢山の「地蔵尊」が、また「本堂」前には「なでぼとけ」が祀られている。
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 また境内には、「鐘楼」、「水子地蔵」や「宝篋印塔」、そして唐破風の庫裏などが備わっている風景がある。
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 そして「高山寺」境内を一巡したところで、「西院駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄京都線24・西京極駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から23番目で、京都市右京区にある「西京極駅」である。

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 「西京極駅」で下車する。
 駅ホームは、築堤上の高架で、2面2線の相対式である。
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 駅出入口は通常は南側のみである。
 駅はタクシー乗り場を含むロータリーとなっている。
 そして線路に沿って西へと進み、北方向へ線路を潜ると、川の堤防下へと出て、川の先に照明塔が見えて来る。
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 川は「天神川」である。
 「北野天神」の境内の傍を流れることからこの名が付けられている。
 「天神川」を渡る歩道橋の上からの北方向、南方向の風景である。
 南方向には、阪急の線路が見える。
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 橋を渡ると「西京極総合運動公園」である。
 入り口の先は野球場である。
 そして公園内を北へと進む。
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 左手は野球場である。
 「わかさスタジアム京都」と云う名称である。
 フェンスから覗いてみる。
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 メインスタンドの横を進んで行く。
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 直ぐの隣は陸上競技場である。
 「たけびしスタジアム京都」と云う。
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 そのメインスタンドは西側にある。
 メインスタンドの向かい側には、「駅伝発祥の地」の石碑、そして走者が競い合うモニュメントも建っている。
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 「かけびしスタジアム」の北側には「マラソンゲート」がある。
 高校駅伝や都道府県女子のトラックからの出入り口である。
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 ゲートから出て、石畳を進んで行くと、「五条通り」へと出る。
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 そして、東の「西大路」へと出て北上し、駅伝レースが行われる。

 「五条通り」への出口の東側には「京都市体育館」がある。
 そしてその横には、高校駅伝の歴代の優勝校の石碑が建てられている。
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 公園内を駅方向へと戻る。
 「体育館」の隣に、「市民スポーツ会館」がある。
 その南の丘の上には「青春の軌跡」と題された高校野球の優勝シーンのモニュメントが建てられている。
 そして、野球場メインスタンドの横を通って、「西京極駅」へと戻り、この駅のミニ探索を終了したのであった。
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阪急電鉄京都線23・桂駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から22番目で、京都市西京区(にしきょうく)にある「桂駅」である。

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 「桂駅」で下車する。
 駅は地上で、ホームは3面6線の島式である。
 ホームの内、2面4線は「京都線」が使用し、1面2線は「嵐山線」が使用している。
 その「嵐山線」の電車も停まっているのが見える。
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 駅舎は橋上であり、東側の出口から出ると、マイカーでの送迎が可能なロータリーとなっている。
 そして、線路に沿って北方向へと進む。
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 進んで行くと左手に踏切があり、「京都線」を渡り、高架の「嵐山線」を潜る。
 踏切を越えた左手は「阪急電鉄 桂車庫」である。
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 電車を眺めながら、車庫に沿って左折して進む。
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 車庫が尽きるとそこは「桂駅」の西側のバス停を含むロータリーである。
 車庫の線路を越えて駅舎へ戻る陸橋があるので、車庫の南方向、北方向の風景を見ながら、駅へと戻る。
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 駅へと戻り、今度は線路に沿った道を南方向へと進む。
 左手に、白い塀があるので、その路地へと入る。
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 路地を進んで行くと、「西山幼稚園」の入り口がある。
 入り口を過ぎて、右折、左折、右折で、寺院の門前へと出る。
 灯篭には「西山御坊」と刻された「本願寺西山別院」である。
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 「山門」を潜ると、正面は「目隠塀」である。
 その先に境内が広がる。
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 左手前には「鐘楼」、左手正面から、「研修道場」、「大玄関」がある。
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 中央は「西本願寺」の仮本堂を移築したとされる「本堂」である。
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 そして、「本堂」の内陣である。
 中央には、本尊の「阿弥陀如来立像」が安置されている。
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 この「西山別院」は、平安時代に「桓武天皇」の発願により、「伝教大師最澄」が京都西山の地に「久遠寺(くおんじ)」を創建したことに始まるとされる。
 その後、長らく荒廃していたが、14世紀に本願寺第3代「覚如」により復興し、浄土真宗の寺院となったとされる。

 「本殿」の右手には「西山幼稚園」の門がある。
 そしてその奥に、「覚如上人」の「覚祖廟」が祀られている。
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 「西山別院」を後にして、元の線路沿いの道へ戻り、南下する。
 電車の線路が高架となり、広い道路「高北通・山陰街道」との交差点となっている。
 その南東角に、学校のグラウンドが見えて来る。
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 「京都府立桂高校」である。
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 そして、校門前に到達したところで、「桂駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄京都線22・洛西口駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から21番目で、京都市西京区(にしきょうく)にある「洛西口(らくさいぐち)駅」である。

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 「洛西口駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、2面2線の相対式である。
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 駅の西側は、バス停を含む広いロータリーである。
 ロータリーの出口(北側)には、府道「中山稲荷線」が通っていて、その東方向、西方向の風景である。
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 この府道を東方向へと進む。
 交差する道路の歩道橋上からの風景である。
 「イオンモール」が見える。
 そして道路へ降りて、「イオンモール」の西側を進む。
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 この「イオンモール」を含め、この場所には、甲子園球場の広さの5.5倍の「キリンビール京都工場」があった。
 平成11年に操業を停止し、その後京都市・向日市で跡地の再開発がなされたものである。
 阪急「洛西口駅」もそれに合わせて平成15年に再設置され、その後、平成28年に高架化されたものである。 
 なぜ再設置なのか?
 それは、この場所には、戦後すぐ設置されたが短命で終わった「物集女(もずめ)駅」があったからである。
 「イオンモール」を回り込むと、京都企業「オムロンヘルスケア」の社屋がある。
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 そして道路を挟んだ南側には学校がある。
 「洛南高校附属小学校」である。
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 学校の東側へと回る。
 校舎の南側には、かなりの広さのグラウンドが見える。
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 北方向へと進む。
 「オムロンヘルスケア」の北隣にあるのは「京都銀行金融大学」である。
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 その先は、「イオンモール」である。
 そして北東角には入り口がある。
 また付近には、「キリンビール」の跡地であることのパネルが建てられている。
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 もうこの場所は、JR東海道線の「桂川駅」の駅前である。
 この駅も再開発により平成20年に開設されたものである。
 尚、この駅の西側(イオン側)も広いロータリーとなっている。
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 そしてこの地点で、「洛西口駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄京都線21・東向日駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から20番目で、京都府向日(むこう)市にある「東向日駅」である。

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 「東向日駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、2面2線の相対式である。
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 駅舎に沿った北方向、南方向の道路である。
 そして南方向へと進むと、車道「向日町停車場線」へ出るので、これを西へと進む。
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 少し進むと、左手に「西国街道」の道標と「太神宮常夜灯」が建っている。
 「西国街道」は左折れしているのでこれを進むと、左手に、落下する車をあしらった店舗や飲食の店舗がある。
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 その先、「西国街道」と「大原野道」との交差点がある。
 そこには、4基の道標が建てられている。
 「大原野道」を西方向へ進んで行くと、「大原野神社」、「桓武天皇皇后陵」などがある、との案内である。
 そして「西国街道」の左手には、趣のある長屋門が建っている。
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 「西国街道」を南下する。
 左手に「愛宕山」の標柱、右手に地蔵尊が祀られている。
 更に、南下する。
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 進んで行くと、右手に「式内社名神大社 向日神社」の大鳥居が建っている。
 その先の5本の分かれ道には、「五辻常夜灯」が建っている。
 尚、この辺りは、「長岡宮」の西の端である。
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 そしてこの地点で、「東向日駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄京都線20・西向日駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から19番目で、京都府向日(むこう)市にある「西向日駅」である。

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 「西向日駅」下車する。
 駅ホームは地上で、2面2線の相対式である。
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 「西向日駅」は、かつての「長岡京」の中心部分にある駅である。
 「長岡京」とは、「桓武天皇」により遷都され、奈良「平城京」から、京都「平安京」の間の10年間に存在した首都である。
 そしてこの「西向日駅」は、その中心「長岡宮」の入り口に当たる部分にある。

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 今回は、その「長岡宮跡」を訪ねてみることにする。

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 駅前には、「史跡 長岡宮大極殿跡」の石碑が建っている。
 駅前の通り「大極殿通り」を北へと進む。
 左手に「朝堂院公園」の標柱が建っている。
 この付近は、「長岡宮」の「南門跡」である。
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 「朝堂院公園」に入ってみる。
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 公園には南方向に突出した「楼閣跡」、「南廻廊跡」、そして「西第四室跡」の部分である。
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 「朝堂院跡」を出て、北方向へと進む。
 左手に、「閤門(こうもん)跡」がある。
 「大極殿」がある「内裏」へと入る門である。
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 更に北へと進み、左折すると「大極殿跡」へと到達する。
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 「大極殿公園」への入り口は南の端にある。
 公園に入った右手に、のぼり旗を立てる「宝幢(ほうどう)」が再現されている。
 そして公園の南半分の風景である。
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 この公園の南側の部分に、「長岡宮跡碑」、「大極殿跡碑」が建てられている。
 また、「天皇皇后両陛下行幸啓記念碑」も設置されている。
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 公園の中央から北側の部分は「大極殿跡」である。
 礎石や十三重塔も置かれている。
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 そして「大極殿跡」の左奥には、復元されたような建物が建っている。
 上図の「東屋」である。
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 「東屋」の裏手は、公園の出口である。
 そしてその北側は「北大極殿公園」である。
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 「大極殿通り」へと戻り、北上する。
 左手に「朝堂院北方官衙跡」がある。
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 そしてこの辺りが「長岡京」・「長岡宮」の北限である。
 この地点で、「西向日駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄京都線19・長岡天神駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から18番目で、京都府長岡京市にある「長岡天神駅」である。

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 「長岡天神駅」で下車する。
 駅ホームは、上下線とも待避機能がある2面4線の島式である。
 ホームより、「長岡天満宮」の案内看板も見える。
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 西側の出口から出て、線路に沿って南方向へと進む。
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 左手が踏切で、天満宮の灯篭が建つ交差点を右折し、西方向へと進む。
 進んで行くと、大きな鳥居の前に到着する。
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 「長岡天満宮」の「大鳥居」である。
 大鳥居の背後には、社号柱が建っている。
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 社号柱の右手には、参道が奥へと延びる。
 参道右手には、「八条池」が広がる。
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 「八条池」が尽きる手前は「水上橋」が架かっている。
 その橋からの南側の風景である。
 池のほとりに見えるのは筍料理の「錦水亭」である。
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 水上橋を渡り、左折し、「二ノ鳥居」を潜り、そのまま直進する。
 突き当り、右折したところに、「二ノ鳥居」の残骸が置かれている。
 この鳥居は、元禄時代に、霊元上皇が寄進したもので、平成30年の台風にて、倒木により倒壊したとのことである。
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 その先には、注連縄柱があり、更に鳥居が建っている。
 この鳥居を潜り、石段を昇ると境内である。
 境内入り口には、酒樽奉献舎がある。
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 境内で目立つのは、神牛である。
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 境内正面は、「拝殿」である。
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 「拝殿」の背後には、「本殿」が祀られている。
 「本殿」の祭神は、「菅原道真公」である。
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 この「長岡天満宮」の地は、元々は「菅原家」の所領であったとされる。
 そして「道真公」が「在原業平」らと共にしばしば遊んで、詩歌管弦を楽しんだ縁深いところであると云われている。
 「道真公」が大宰府へ左遷された時、この長岡に立ち寄り、名残を惜しんだとされる。
 左遷の際には、「道真公」に付き従ったのが、菅原氏の一族とされる「中小路宗則」であり、高槻まで同船し、帰り際に「道真公」から自作の木像と念持仏を託され持ち帰り、「道真公」の死後その木像を祀ったのがこの天満宮の創建とされている。

 境内には、その「中小路家」の子孫で、代々宮司を務めている明治の中興の祖「宗城」、昭和の「宗康」の像が建てられている。
 また境内には、神池も整備され、「筆塚」も建てられている。
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 境内社が祀られている。
 先ずは、「倉稲魂神」、「猿田彦命」、「大宮女神」が祀られている「稲荷社」が祀られている。
 そして、「松尾竜神」、「菅竜神」合祀の祠が祀られている。
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 更に、「山神社」、「春日社」、「八幡社」も祀られている。
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 そして、「長岡天満宮」の境内を一巡したところで、「長岡天神駅」のミニ探索を終了したのであった。

 

阪急電鉄京都線18・西山天王山駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から17番目で、京都府長岡京市にある「西山天王山駅」である。
 尚、「西山天王山駅」は、「阪急電鉄京都線」の駅の中では、最も新しい駅で、開設は2013年である。

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 「西山天王山駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、2面2線の相対式である。
 そして、駅の西側の出口から出る。
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 駅は、「京都縦貫道路」と云う高速道路の下にある。
 少しの広場となっている。
 この広場から、線路沿いに南方向へと進む。
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 少し進むと「小泉川」に架かる橋へと出て、対岸には「天王山登山口」の看板がある。
 「天王山」への登山コースは、先の「大山崎駅」から登るコースと、この「西山天王山駅」から「小倉神社」経由して上るコースがある。
 今回は、その「小倉神社」を訪れてみることにする。
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 橋を渡り、右方向にある道路を進む。
 途中に「鳥居前」と云う交差点があるが、周辺には鳥居がありそうでないので、そのまま進む。
 しばらく進むと、「小倉神社」の看板が現れる。
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 「小倉神社」への参道に入る前に右手を見てみると、そこには高校がある。
 「京都府立 西乙訓(にしおとくに)高校」である。
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 参道を辿る。
 この辺りから、「大山崎町」になる。
 神社の参道が近づく。
 そして、右側には「保育園」、左側には「小学校」がある。
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 「式内社 小倉神社」の参道である。
 参道口には、一対の狛犬が祀られ、そして社号柱が建っている。
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 参道を進む。
 途中に「一ノ鳥居」が建てられている。
 鳥居扁額には、「正一位小倉大明神」と記されている。
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 鳥居を潜り、更に進むと、次の「二ノ鳥居」が建っている。
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 「二ノ鳥居」の右手には境内社が並んでいる。
 手前から、「龍王神社」、「稲荷神社」である。
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 続いて、「若宮神社」、「天満宮」である。
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 「二ノ鳥居」の先は、境内である。
 正面は「割拝殿」、そして舞殿状の「拝殿」である。
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 「拝殿」の背後は、石段の上に「本殿」が祀られている。
 祭神は、「武甕槌神」、「斎主神(経津主神)」、「天児屋命」、「比売大神」の春日四神とされている。
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 この小倉神社」の創建は、「奈良時代」の初期とされ、平安遷都の際には御所の鬼門除けとして祈願され、正一位の神階を賜ったとされている。
 豊臣、徳川の時代を経て、明治維新までの旧境内地は六万坪余にのぼったともされている。

 境内には、「若宮」、「天照皇大神宮」、「八幡宮」の小祠、「やちまた宮」、「滝不動」が祀られている。
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 また境内には、亀の手水、神池があり、そして樹齢500~600年と云われる御神木の樅と杉の巨木が聳えている。
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 「小倉神社」の境内を一巡したところで、「西山天王山駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄京都線17・大山崎駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から16番目で、京都府乙訓郡大山崎町にある「大山崎駅」である。

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 「阪急電鉄京都線」は「京都府」に入り、その最初の駅である「大山崎駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、2面2線の相対式である。
 駅出口は西側にあり、そこから地上へと降りる。
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 駅出口から、線路に沿って南方向へと進む。
 右手には、天王山を望むことができる。
 そして、線路を潜る道路へと出る。
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 線路を潜り、坂道を上って行くと、「国道171号線」に出る。
 その北方向、南方向の風景である。
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 国道の歩道を南へと進む。
 途中の風景であるが、阪急の電車、新幹線の通過、そして線路の向こうの山麓に「サントリー山崎蒸留所」が見える。
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 国道の川べりへと出る。
 国道には「水無瀬橋」が架かっていて、その下を「水無瀬川」が流れている。
 そして川沿いの少し東側に標柱が建っている。
 標柱には、「官幣大社 水無瀬神宮」と記されている。
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 この場所が「山崎渡し跡」とされている。
 対岸には、「石清水八幡宮」があり、「柳谷の渡し跡」があるので、この間で利用されたものと思われる。

 その対岸の風景である。
 正面には」石清水八幡宮」の「男山」、南東方向(下流側)には「楠葉駅」辺りとその向こうに「生駒山」、北方向には「比叡山」が見える風景がある。
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 「山崎渡し跡」はこれ位にして、駅へと戻る。
 今度は、駅西方向にある「JR東海道線」の山崎駅」方向へと向かう。
 「山崎駅」が見えて来るが、その左手前に、「離宮八幡宮」の「東門」が建っている。
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 南側の「惣門」へと回る。
 「惣門」を潜ると、右手に「神領境標石」が移設されている。
 そしてその右手に、「かしき石」と云われる「礎石」が置かれている。
 これは、「嵯峨天皇」の「河陽宮」があった頃の寺院「相応寺」の「心礎」との謂れがあるものである。
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 正面は鳥居であるが、その右手に「油祖の像」が建っている。
 この神社の「神人(じにん)」達は、この地で生産される「荏胡麻(えごま)油」の「燈油」を関西一円に売りさばき、独占権も持っていたとされ、製油の発祥地ともされるものである。
 「司馬遼太郎」の小説「国盗り物語」に、その油売りから美濃国の国主になった「斎藤道三」の生きざまが記されている。
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 鳥居の正面は社殿である。
 「河陽宮故址」の石柱も建っている。
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 そして「中門」である。
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 その先は「拝殿・本殿」である。
 祭神は、 「八幡大神(応神天皇、神功皇后)」、「酒解大神(別称:大山祇神」、「比売三神」である。
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 この神社は、「貞観元年(859年)」に「宇佐八幡宮」から「八幡大神」を勧請した時、その上陸地であるこの山崎の地には、清水が沸いていたことからこの地に「石清水八幡宮」として創建されたものとされる。
 その後、川向こうの男山に「石清水八幡宮」は遷宮されたが、元の地の宮として、再び「八幡神」を勧請して、この神社が創建されたとされている。

 また、境内には、幾つかの境内社も祀られている。
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 そしてこの地点で「離宮八幡宮」境内を一巡したので、「大山崎駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄京都線16・水無瀬駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から15番目で、大阪府三島郡島本町にある「水無瀬(みなせ)駅」である。

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 「水無瀬駅」で下車する。
 駅のホームは高架で、2面2線の相対式である。
 駅の出口は西方向のみである。
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 駅前はロータリーとなっていて、タケノコ型の横断防止柵が設置されている。
 この「水無瀬駅」がある「島本町」は、大阪府内で有数のタケノコの産地であるとのことが由来である。
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 ロータリの南側には広い道路が通っている。
 「楠公(なんこう)道路」と云い、南北朝時代の武将「楠正成(くすのきまさしげ)」に由来する名付けである。
 この「楠公道路」を北西方向へと進む。
 進んで行くと、「JR島本駅」が見えて来る。
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 駅の少し手前で「西国街道」と交差する。
 その交差点の北側に、公園状の広場がある。
 「史蹟 櫻井驛阯(楠正成伝承地)」との標柱が建てられている。
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 案内図も示されている。
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 この「櫻井驛」とは、当時の「西国街道」の宿場町で、九州から攻め上る「足利尊氏」の軍勢に対し、神戸の「湊川の戦い」に出陣する「楠正成」は既に敗戦を覚悟していて、子の「楠正行(くすのきまさつら)」に「河内へ戻って、いつの日か朝敵・足利を倒せ」と諭し、父子の別れを惜しんだところとされている。
 その後「正成」は「西国街道」を下り「湊川」へ、「正行」は本拠地の「河内」へ戻ったとされている。

 この「櫻井驛阯」に入ってみる。
 広場の外回りには、石像や石碑が建てられている。
 先ずは父子の別れの像、そして「楠公父子訣別之所」と記された石碑、その隣には「明治天皇御製碑」が建てられている。
 「御製碑」には、
 「子わかれの 松のしつくに 袖ぬれて 昔をしのふ さくらゐのさと」と詠われている。
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 更に、「楠公六百年祭記念」の石碑、「旗立松」、「手水鉢」などが置かれている。
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 「櫻井驛阯」の道路を挟んだ向い側には、「島本町立歴史文化資料館」が建っている。
 この建物は、昭和16年に建てられ、当初は「麗天館」と書かれた扁額が掲げられていたとのことである。
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 そしてこの地点で、「水無瀬駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄京都線15・上牧駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から14番目で、大阪府高槻市にある「上牧駅」である。

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 「上牧駅」で下車する。
 駅は盛り土の上に築かれた高架で、ホームは1面2線の島式である。
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 ホームの東隣は「JR東海道新幹線」の線路である。
 そしてその向こうに「金光大阪高校・中学校」の校舎が見える。
 西側の出口から出る。
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 駅前はバス停を含むロータリーである。
 高架線路を潜り、東方向へと進む。
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 少し行くと「国道171号線」の交差点に出る。
 その北方向、南方向の風景である。
 また北東方向には、コンビニや「大阪金光中・高校」が見える。
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 学校の前へと進む。
 校門に架かる橋、そして橋が架かる「上牧新川」である。
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 そして学校を眺めながら、東方向へと進む。
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 しばらく進むと、右手に「南無妙法蓮華経」と刻された標柱、そして灯篭が建っている。
 「本澄寺(ほんちょうじ)」とも刻されている。
 更に進んで、その「本澄寺」へと向かう。
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 右折して小路へと入る。
 「本澄寺」の裏手へと出る。
 「本堂」の裏側である。
 そして、東側へと回ると、横手の「寺門」、そして伽藍の一部が見える。
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 南側の正面へと回り込む。
 正門の「山門(仁王門)」が建っている。
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 「山門」の両袖には、「仁王像」が祀られている。
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 「本澄寺」は「日蓮宗」の寺院で、1471年に「日順上人」による開創とされる。
  江戸時代初期には、「東福門院」が祈願して以来、多くの人々の信仰を集め、塔頭11坊を備えていたとされる寺院である。

 「山門」を潜ると、正面は「祖師堂」である。
 この堂内には、「日蓮上人」自作の「祖師像」が安置されているとのことである。
 そして、左手は「本堂」である。
 「本尊」は、「題目宝塔」、「釈迦如来」、「多宝二仏」とされている。
 また本堂前には、かつては屋根に配されていた「鬼瓦」が置かれている。
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 また、この寺には、明治時代に大阪で生まれた昭和の詩人「三好達治」の墓と「三好達治記念館」がある。
 「三好達治」はこの寺院の第41世住職の兄とのことで、この寺院との縁が深いとのことである。
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 他にも、開創の「日順上人」の墓が祀られ、鐘楼、地蔵尊などが祀られている。
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 そして境内を一巡したところで、「本澄寺」をあとにして、「上牧駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄京都線14・高槻市駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から13番目で、大阪府高槻市にある「高槻市駅」である。

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 「高槻市駅」で下車する。
 駅は高架で、ホームは待避線を備えた2面4線の島式である。
 北側の出入り口から出る。
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 駅前の道路を線路に沿って東方向へと進む。
 左側に幾つかの薬局が並ぶ道である。
 それもその筈、この先に大学病院があるからである。
 大学病院は「大阪医科薬科大学病院」である。
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 そしてその先には、大学の正門があり、構内右手には建築家「ヴォーリズ」設計の学舎がある。
 国の登録有形文化財で、当初は「講堂」であったが、現在は「歴史資料館」として活用されている。
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 大学前を東へ進むと交差点となる。
 そこには「八丁松原」と記された石碑が建っている。
 北方向へ、松林が続く公園となっていて、遊歩道を進む。
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 松林が尽きたところを右折して進んで行くと、「高槻こども未来館」があり、その先は公園の入り口である。
 「安満(あま)遺跡公園」と云う。
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 今回は、この公園を探索してみることにする。
 この公園は、弥生時代の遺構が残る「国史跡 安満遺跡」の地で、昭和初期に「京都大学の学部 付属農場」が開設され、近年その農場の移転に伴い、約2年前に公園化されたものである。
 
 公園の案内図である。
 中央に「居住域」があり「歴史拠点」とされている。
 ここには、農場当時の建物があり、リニューアルされている。
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 ゲートを入ると、左手には「サンスター広場」、その奥に遊具広場がある。
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 その先は、広い人工芝で、その先に大きな建屋がある。
 「ボーネルランド パークセンター」である。
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 その先には、遺跡の歴史拠点へと近づく表示がなされている。
 建物の案内もある。
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 一番手前の建物は「体験館」である。
 勾玉づくりや土器づくりの歴史体験ができるとのことである。
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 中央は「本館」である。
 レストラン「ファーマーズクラブ」や休憩室、展示室(京大農場ヒストリー)などがある。
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 「本館」の東隣は「展示館」である。
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 「展示館」には、遺跡から発掘された出土品のレプリカなどが展示されている。
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 そして「本館」の裏にある「北館」である。
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 更に、その北には、古代住宅の骨組みが置かれている。
 その先には、「JR東海道線」の姿も見える。
 また東側には、「SAKURA広場」や「にぎわいテラス」も設けられている。
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 中央の南側へと行く。
 建物群を眺めてみる。
 奥に見える山は高槻市の最高峰である「ポンポン山」(678.7m)である。
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 そして南側には、古代の農地が展示されている風景がある。
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 そして「安満遺跡公園」を一巡したところで、「高槻市駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄京都線13・富田駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から12番目で、大阪府高槻市にある「富田(とんだ)駅」である。

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 今回の高槻市「富田(とんだ)町」の地名は、この地域は古代からの台地であり、律令制以前の皇室の御料田「屯田(とんでん)」からの由来とされる。

 そして、室町時代には室町幕府の直轄領となり、臨済宗「普門寺」が創建されたとされる。
 その「普門寺」の鎮守社として、大和の「三輪大社」から勧請され「三輪神社」が創建されている。

 また、足利義満は妻の実家日野家を代官に任じ、日野家との関係の深い浄土真宗本願寺法主「存如」が「本照寺」を創建したとされ、この寺院は「富田御坊」とも呼ばれる。
 更に、本願寺法主の「蓮如」が滞在し、「本照寺」の南に「教行寺」を創建したとされ、この寺院は「富田道場」とも呼ばれる。
 このようなことから、富田には「本願寺門徒」が集まり、「寺内町」が形成されるようになったとされている。
 
 また、尼崎や大阪へ向かう「高槻街道」や、箕面に向かう「道祖本(さいのもと)街道」が通り、宿場町が形成されたとされる。
 「信長、秀吉」の時代には「富田東岡宿」として楽市・楽座と公事免許が補償され、寺内町、宿場町、市場町の機能を合わせ持つ町として「富田」は発展したが、江戸時代になって「西国街道」が整備されると、次第に近くの「芥川宿」に客を奪われ、街は衰えて行ったという歴史を辿る。

 しかしながら、この「富田」は古代より酒造りが盛んで、江戸時代には「富田酒」として、伊丹、池田と並んで江戸への下り酒の産地となり、栄えたともされている。

 「富田駅」で下車する。
 この駅は地上駅で、ホームは2面3線の相対式である。
 そして、駅の南口から出る。
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 出口から西へと進み、南へと向かう水路脇の道を南下する。
 途中に、「高槻まちかど遺産」の説明板が立てられている。
 「五社の水」、「跡坂」と書かれ、説明もなされている。
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 更に進む。
 「東岡宿の西門跡」の説明板がある。
 この辺りが、「東岡宿」の西の入り口であったとのことである。
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 更に進む。
 「筒井池公園」がある。
 そして公園の端に、「蓮如上人御旧跡」の石碑が建てられている。
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 その南には、「浄土真宗本願寺派 本照寺」の東門がある。
 門から中を少し覗いてみる。
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 そして南側にある「正門・山門」へと回る。
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 「山門」を潜り、境内へと入ってみる。
 正面には「本尊 阿弥陀如来」の「本堂」が祀られている。
 本堂の右手前には、十三重の塔が、左手前には、「本堂」の屋根にあった「旧獅子口(鬼瓦)」が置かれている。
 また、鬼瓦の手前にあるのは、かつては天然記念物であった「富寿栄(ふすえ)の松」というクロマツの切り株が残されている。
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 その他、境内には、「鐘楼」、庭園には「池」が設けられている。
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 「本照寺」を後にして西へと向かう。
 台地への坂を上って行くと、右手に「出世地蔵」が祀られている。
 明治の神仏分離令により、この先の「三輪神社」の境内から出されて、この場所に安置されたとのことである。
 当初は何度安置しても転んだとのことであるが、10年も経つと転ばなくなったのは、修行により高い位を得たとのことで、「出世地蔵」と云われるようになったとのことである。
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 坂を上り詰めると右手に、「三輪神社」の参道口がある。
 参道は直ぐに右折れする。
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 そして左手に鳥居が建つ。
 長い参道が奥へと続き、「拝殿」に到達する。
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 拝殿の背後は覆屋に包まれた「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「大己貴命」、「味鉏高彦根(あぢすきたかひこね)命」、「田心姫(たぎりひめ)命」とされている。
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 境内には、「八坂神社」、「厳島神社」、「春日神社」などの境内社が数多く祀られている。
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 神社の南側の参道から退出する。
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 その左隣には、「普門寺」がある。
 「三好長慶」の時代には、境内を城とし、「普門寺城」と呼ばれたとされる。
 この城には、「管領 細川晴元」が幽閉されたという話もある。
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 「三輪神社」「普門寺」の前の広い道路沿いには、趣のある町屋も見られる。
 そして、「御蔵屋敷跡」との説明板も建っている。
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 東方向へ進む。
 「筒井池」の畔に「水門跡」説明板が立てられている。
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 そして、この付近は「東岡宿の南門」があった所で、説明板も立っている。
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 またこの付近には、幕府から酒造りを許された豪商「紅屋」の屋敷もあったとの表示がある。
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 「東岡宿」の跡地を歩いてみる。
 「蓮如上人の腰掛石」の表示がある。
 そして、「北口門跡」に到達する。
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 北側の広い道路に出ると、そこには「富田東口を示す道標」と記された説明板と、「道標」が立っている。
 「からさき ひらかた みち」と記され、この道を南東方向へと進んで行くと、「唐崎」そして「枚方」へ行けることを示しているものである。
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 そしてこの地点で、「富田駅」のミニ探索を終了したのであった。

阪急電鉄京都線12・総持寺駅

 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から11番目で、大阪府茨木市にある「総持寺駅」である。

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 「総持寺駅」で下車する。
 駅ホームは、2面2線の地上相対式である。
 西側の駅出口から出る。
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 駅前は、西方向の「JR総持寺駅」を経由して、更に西にある「国道171号線(西国街道)」へと向かう交差点である。
 東側の高架線路を潜り、商店街を進む。
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 商店街を出て右折・左折を行い、住宅街の中を進む。
 そして、市域は「茨木市」から「高槻市」へと入る。
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 そして左折すると、寺院の大きな標柱が突き当りに見える。
 「黄檗宗 慶瑞禅寺(おうばくしゅう けいずいぜんじ)」である。
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 石段を上り、「山門」を潜る。
 道は奥へと延びるが、左手に「鐘楼」がある。
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 そして、正面には「庫裏」がある。
 「庫裏」の入り口には、食事時の合図などを行う「魚板」が吊るされている。
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 左折して進むと、「本堂」である。
 「本堂」に安置されている「本尊」は、国の重要文化財の「観世音菩薩」とされている。
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 この「慶瑞禅寺」は「持統天皇」の時代に、「僧道昭」が創建したとされている。
 当初は、「法相宗」に属し、「景瑞寺」と呼ばれていたと伝えられている。

 そして、江戸時代初期には荒廃し、寺ではなく「景瑞庵」と呼ばれるまでになっていたが、その後、宇治「萬福寺」の開山「隠元隆琦」の弟子であり、黄檗宗大本山である「萬福寺」の創建に尽力したことでも知られる「普門寺」の僧、「龍渓性潜」が入山して寺号を「慶瑞寺」と改め再興したとされている。

 本堂右横には、その「龍渓像」が安置されている「天光塔(開山堂)」が祀られている。
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 「天光塔」の左手には、「龍渓禅師」の直筆の「水調歌」の石板が建っている。
 また、「大乗妙典一千部」と刻んだ供養塔も建てられている。
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 他にも、「後水尾法皇」の歯や仏舎利を納めた九重塔の「聖歯塔」が祀られている。
 また、この寺は、灘の酒造会社「沢の鶴酒造」を営む西村家の菩提寺であり、慰霊碑が建てられている。
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 そしてこの地点で、「総持寺駅」のミニ探索を終了したのであった。

 尚、「総持寺駅」と云えば、西国三十三ヶ所巡礼」の第22番の「総持寺」が良く知られ、駅の西方向にある。
 この寺には、「JR東海道線」の「JR総持寺駅」のミニ探索で訪れているので、今回は東方向の「慶瑞禅寺」の訪問とした。
 

阪急電鉄京都線11・茨木市駅

 明けましておめでとうございます
 本年もよろしくお願い致します
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 「大阪梅田駅」と「京都河原町駅」を起終点とする「阪急電鉄京都線」の各駅を、大阪側から順に途中下車で訪ねてみる。
 今回は、「大阪梅田駅」から10番目で、大阪府茨木市にある「茨木市駅」である。

2301a茨木市地図 (2)

 「茨木市駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、待避線を備えた2面4線の島式である。
 そして、東口から駅舎を出る。
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 駅の北側で線路を潜り、線路沿いの道路を北方向へと進む。
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 そのまま進んで行くと、茨木市域を北から南へと流れる「安威川」に出る。
 架かっている橋は「千歳橋」であり、かつての親柱が保存されている。
 少し戻って、線路を東へと潜る。
 潜った先に、神社の杜が見えてくる。
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 神社は「式内社 牟禮(むれ)神社」であり、社頭は南向きである。
 尚、この辺りの住所地は「中村町」である。
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 社頭には、社号柱、そして鳥居が建つ。
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 鳥居を潜ると広い境内が広がる。
 中央の奥に「拝本殿」が祀られている。
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 先ずは、「拝殿」正面である。
 その両手前には、「一対の狛犬」が祀られている。
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 「拝殿」の背後には、「本殿」が祀られている。
 「本殿」は、「生國魂神社」の末社である「北向八幡宮」の建物を譲り受けたものとされる。
 祭神は、「建速素盞鳴尊」、「天児屋根命」とされている。
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 祭神については、元々は「牟禮豪族」の祖である「大中津日子命(おおなかつひこのみこと)」を祀っていたとされるが、「織田信長」の近畿侵攻の際、焼き討ちを免れるため、祭神を信長の敬う「牛頭天王」と「春日神」であると偽り、今も続いていると云う説もある。
 尚、創建については、「垂仁天皇」の時代とされ、「延喜式」にも「式内社」として記載されている。

 右手には、「遙拝所」の鳥居が建つ。
 その奥には、保存樹のクスノキも聳えている。
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 神社の背後には、「安威川」が流れている。
 北西方向には阪急電鉄の鉄橋があり、遠くに三角形の「竜王山」が見える。
 また東方向の風景であるが、遠くに「生駒連山」が見える。
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 そしてこの地点で、「茨木市駅」のミニ探索を終了したのであった。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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