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『奈良市・添御縣坐神社』

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 奈良市歌姫町に鎮座する「添御縣坐(そうのみあがたにます)神社」の社頭の社名標柱である。
 
 歌姫町は平城京の北にあり、この町中を通る歌姫街道に由来する町である。
 歌姫街道は、平城京の雅楽寮から由来していると云われる。

 平城京の北には当時、宮殿や池、官署のある松林宮があった。
 そしてそこには雅楽に携わる楽人や歌舞を行う女官が住んでいたと云われる。
 感性豊かな芸能人女性たちがこの街道沿いに多く住んでいたことから、歌姫街道と名付けられたと云われている。

 また歌姫街道は、古代から奈良と京都を結ぶ道で、平城京から京都方面へ抜ける山背(やましろ)街道の一部として、京都、宇治、そして近江に至るメインの道で、往来盛んな道であった。

 更に、歌姫街道は平城宮の造営工事に欠かせないものであった。
 一つは北の木津川の水運を使って大量の材木を運び入れたこと。
 もう一つは街道の山裾にある瓦窯で作った何百万枚もの瓦を運ぶこと。
 この街道は古代には官道であり、唐に習い、数10mの道幅の直線道路であったと云われている。

 その歌姫街道に添御縣坐神社が鎮座している。
 地名から歌姫神社とも云われたりする。
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 鳥居を潜ると短い参道である。
 参道には春日灯籠も設置されている。
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 境内正面は神社の拝殿である。
 拝殿前には見事な下り藤が今は盛りと咲いている。
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 そして一対の狛犬と拝殿である。
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 そしてその奥は小祠の本殿である。
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 本殿の祭神は、武乳速之(たけちはや)命、建速須佐男之命、櫛稲田姫之命である。
 武乳速之命は、添御県の一帯を支配し治めた豪族の祖先神とされている。

 またこの神社は、大和国から山城国との国境の神として、旅の安全を祈念したものと考えられている。
 境内には、長屋王が立ち寄り、詠んだとされる歌、また菅原道真公が宇多天皇に随行した時に詠んだとされる百人一首の歌碑が建てられている。
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 長屋王の歌は、 「佐保すぎて 寧楽(なら)の手向けに 置く弊は 妹を目離(か)れず 相見しめとぞ」
 道真公の歌は、 「このたびは 弊もとりあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに」 である。

 他にも境内に「辯財」の石柱があり、弁才天が祀られていたと思われるところもある。
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『奈良市・佐紀神社・亀畑』

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 奈良市佐紀町亀畑に鎮座する式内社「佐紀神社」の鳥居の扁額である。

 この亀畑の佐紀神社は、西畑の同名の神社の御前池を挟んだ東に鎮座する。
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 社頭には祭神不明の祠が祀られ、そして鳥居が建っている。
 そして鳥居を潜ると参道である。
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 参道の突き当りの左手が境内である。
 境内は細長く、奥に狛犬そして拝殿が祀られている。
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 背後は、幣殿に連なる本殿である。
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 本殿の祭神は、天児屋根命、経津主命、六御県(むつのみあがた)神である。

 当初は、佐紀地区の全体の産土神であったと思われるが、いつの日か西畑へも分祀され、それぞれの産土神となったものと思われる。


『奈良市・佐紀神社・西畑』

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 奈良市佐紀町西畑に鎮座する式内社「佐紀神社」の社頭の標石である。

 佐紀神社は平城京の北西にあり、最寄りは近鉄電車の大和西大寺駅である。
 駅から東へと進み、秋篠川を渡り、左手の佐紀集落の中へと入る。
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 集落の中の道を北へ、東へと向かうと冒頭の石標のある神社の社頭へと到着する。
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 鳥居を潜り参道を進むと一対の狛犬が祀られている。
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 そしてその先は拝殿である。
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 その先は本殿であるが、その手前にも一対の狛犬が祀られている。
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 そして本殿である。
 本殿の祭神は、天児屋根命、経津主命、六御県(むつのみあがた)神であり、東に鎮座する佐紀神社・亀畑から分祀されたものと云われている。
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 神社の東には御前池があるが、その池の手前の北側に「釣殿神社」鎮座している。
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 境内には一対の狛犬と拝殿が祀られ、
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 その先、覆屋に包まれた本殿が祀られている。
 本殿の祭神は、天児屋根命、市杵島姫命と云われている。
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 御前池の南端へ戻り堤防道路を東へと進む。
 左は釣殿神社の社叢、そして池の全景である。
 池の右手の杜が佐紀神社・亀畑である。
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『奈良市・狭岡神社』

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 奈良市法蓮町に鎮座する式内社の「狭岡(さおか)神社」の社名標柱である。
 狭岡神社へは、奈良市の東大寺転害門と法華寺を結ぶ東西の一条通りのバス停「教育大附属中学校」で下車、北へと住宅街の間を延びる参道を辿ると、社頭の一ノ鳥居到着する。
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 一ノ鳥居を潜ると直ぐに二ノ鳥居となり、その先緩やかな石畳の昇り参道となる。
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 参道左手に、狭穂姫(さほひめ)伝承地、伝承の池が祀られている。
 佐保の地名の由来となっている開化天皇の皇女で垂仁天皇の皇后でる狭保比売(さほひめ)が住んでいたところで、姫は政争に巻き込まれ亡くなったとの伝承がある。
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 また、参道脇には、万葉歌碑、天神社灯篭、天満宮の石碑などが建てられている。
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 石畳の参道を昇り詰めると、境内横へと出る。
 正面へ回り込んでみると、拝殿、狛犬と並ぶ。
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 その先、本殿拝所、そして本殿である。
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 本殿の祭神は、社頭の由緒書にあるように八座である。
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 拝所の瑞垣の中には左右に祠が祀られている。
 左側は、地主之神、金山彦神、事代主神を祀る惣社殿、右側は伊弉諾大神、天照大神、住吉大神、春日大神、天満大神、八幡大神を祀る四所神社である。
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 狭岡神社は、奈良時代の初めに藤原不比等が国家鎮護、藤原氏繁栄のため、邸宅佐保殿の丘上に天神八座を祭祀し崇拝したものとされ、佐保丘天神、狭穂岡天神、狭岡天神等と称したと云われる。
 また地元では通称佐保天神と云われ、菅原天神の隠居とも云われたりしているとのことである。

 狭岡神社前の道は左右に分かれている。
 左側へ行くと、神社の横を抜け、奈良教育大学附属中学校へ、右へ行くと県立奈良高校の西門へと行くことができる。
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『橿原市・畝火山口神社』

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 奈良県橿原市の大和三山の一つ、畝傍(うねび)山の西麓に鎮座する式内社大社の「畝火(うねび)山口神社」の社頭の社名標柱である。
 
 神社へは、近鉄南大阪線の橿原神宮西口が最寄りである。
 駅から北へ進むと先ずは懿徳(いとく)天皇陵があり、更に進むと安寧(あんねい)天皇陵がある。
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 天皇陵を過ぎると、畝火山口神社の案内板がある。
 その看板に従い住宅街の中を進んで行くと、参道となり、冒頭の社名柱と朱塗りの鳥居が建つ社頭となる。
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 鳥居を潜ると正面に拝殿が祀られる境内である。
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 拝殿前には一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
 拝殿には、神功皇后と赤子の応神天皇を抱く武内宿禰が描かれた絵馬も奉納されている。
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 拝殿の背後は本殿である。
 本殿には、気長足姫命(神功皇后)、豊受比賣命、表筒男命が祀られている。
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 尚、この神社は、中世からは畝傍山山頂に遷座され、江戸時代には畝火明神、畝火山神功社とも呼ばれていた。
 昭和になって畝傍山東麓の橿原神宮や神武天皇陵を見下ろすのは恐れ多いとして、政府より畝傍山西麓に遷座するよう命じられ、現在地に鎮座することになったものである。

 境内社として、6社祀られている。
 手前から高良神社、八幡神社、厳島神社、春日神社、埴安彦神社、大山祇命神社である。
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 その他境内には、祓戸大神、子授かりにご利益がある陰陽石が祀られている。
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『奈良県平群町・生駒山口神社』

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 奈良県生駒郡平群町櫟原に鎮座する式内社大社の「生駒山口神社」の社号標柱である。

 生駒山口神社は平群町n北端部、生駒市にほど近い竜田川の支流左岸の小高い丘に鎮座している。
 神橋を渡ると、冒頭標柱が建つ社頭となる。
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 長い石段を昇ると境内となる。
 正面拝殿の前に一対の狛犬が祀られている。
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 その先は拝殿である。
 拝殿には祇園社の扁額も掛けられている。
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 背後は本殿である。
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 本殿の祭神は、素盞嗚命、櫛稲田姫命である。

 また境内社は多数である。
 先ずは夷社、稲荷社、正一位白一大明神である。
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 そして、春日社、八幡社、猿田彦社である。
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 更に、厳島社、そして大神社である。
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 神社からは、大阪府との境にある生駒山のアンテナ群を同じような高さで眺めることができる。
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『奈良県平群町・船上神社』

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 奈良県生駒郡平群町三里に鎮座する式内社「船山神社」の案内板である。
 船山神社は、近鉄生駒線平郡駅の東の矢田丘陵の山麓に鎮座する。

 住宅街の外れから参道が昇っているが、灯篭でそれと分かる程度である。
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 参道の終着点には鳥居が建ち、冒頭の案内板が設けられている。
 そして鳥居を潜ると長屋門、門には翁絵が掲げられている。
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 その先、拝本殿へは石段を昇る。
 そして拝殿の手前には一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の周りには、旧社地から遷された陽石が祀られている。
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 拝殿の背後は覆屋の下の本殿である。
 本殿には、3つの祠が祀られ、左は天児屋根命を祀る春日神社、中央は船山神を祀る船山神社、右は天照皇大神社である。
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 尚、境内後方の山頂近くの矢田丘陵八合目付近には丸木船状の3つの巨石があり、神が乗って地上に下ってきた船石として船上神社として信仰されてきたと云われる。
 この船上神社を山麓の船山神社に合祀された形となっている。

『奈良県平群町・紀氏神社』

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 奈良県生駒郡平群町上庄に鎮座する式内社で名神大社の「平群坐紀氏(へぐりにますきのうじ)神社」に比定される「紀氏神社」の拝殿扁額である。

 場所は先の楢本神社の東で、近鉄生駒線を越えて、国道168号線平郡バイパスの手前の田園地帯の中である。

 社頭には石の鳥居があり、参道進むと左手の林の中に、2つの祠が祀られている。
 1つは春日神社、石の祠は埴輪人形が添えられているが社名は不明である。
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 拝殿手前には一対の狛犬が祀られ、冒頭扁額が掲げられた拝殿が祀られている。
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 拝殿の背後は本殿である。
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 祭神は平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)で、紀船守(きのふなもり)がその祖を祀ったとされている。
 その紀船守は、紀氏若しくは平郡氏の末裔とされている。
 また、中世からであろうが、天児屋根命、天照大神、八幡大菩薩も合祀されている。

 神社の隣にはほたるの里公園として管理されている。
 その公園で亀石が発掘され、神の使いとして公園内に拝置されている。
 子亀は、後に細工して乗せられたものである。
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『奈良県平群町・楢本神社』

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 奈良県生駒郡平群町梨木に鎮座する式内社「楢本神社」の社号柱である。
 場所は近鉄平郡駅の北西方向、田園部の中にあり、竜田川の左岸(東側)である。
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 上掲の社号柱は境内の東側に建ち、左手に鳥居があり、その背後に一対の狛犬が祀られている。
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 神社境内の南側にも鳥居があり、拝殿と正対していることから、この南側が正面の参道であろう。
 正面から境内に入ると、境内の両側に灯篭が祀られている。
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 その先は割拝式の拝殿である。
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 その先の本殿は春日造り朱塗りで、菊理姫(くくりひめ)命が祀られている。
 水滴に宿る神で、産土神とされ、江戸期には白山権現社、明治期には野間田明神とも呼ばれたと云われる。
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 本殿の左手にも、朱塗りの祠が2体祀られている。
 本殿の横が近隣の村から合祀るされた天児屋根命を祀る春日社、その左手前が稲荷社である。
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 楢本神社は、元々は東500mの丘の上にあった雲甘寺の鎮守社であったが、明治の廃仏毀釈で寺が廃され、現在地に遷座されたと云われている。

『奈良県平群町・石床神社』

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 奈良県生駒郡平群町越木塚の集落の山手に鎮座する式内社「石床神社」の社号標柱である。
 場所は、平群中央公園の西側で、新しい住宅団地の丘を通り抜けた今池の向こう側の山麓である。

 下図は神社と越木塚の集落を表したもので、上下南北が逆となっている。
 池の左側(東側)に住宅団地が見え、その左側が平群中央公園である。
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 越木塚集会所の前の石段を昇ると、冒頭の社号柱の社頭となり、そこには鳥居が建ち、広い境内となる。
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 そして一対の狛犬が祀られている拝殿となる。
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 拝殿の背後は覆屋の本殿である。
 3つの祠が祀られ、中央は饒速日命、右殿は太玉命、左殿は素戔嗚命である。
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 尚、この石床神社は、大正期にこの地に遷座されたものである。
 後程、越木塚の南の山手の旧社地を訪れてみることにする。

 石床神社の社頭から更に高いところに向けて、2段構えの朱塗りの鳥居・石段がある。
 その手前右手に社屋の中に祠が祀られている。天照皇大神宮である。
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 昇り詰めると、哨渇神社の割拝式の拝殿が祀られている。
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 その向こうは本殿が祀られている。
 祭神は、この地の産土神である正勝(まさかつ)神と云われている。
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 そして境内には、七社大明神の祠も祀られている。
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 その他、神社の周囲の道路には、御神水の井戸、石の地蔵も祀られている。
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 最後に、石床神社旧社地である。
 南の伊文字川から見上げると、石垣、鳥居が見える。
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 石垣の間の石段を昇ると、鳥居が祀られている。
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 そしてその鳥居の奥には、高さ約6m、幅10数mの巨大な磐座がご神体として祀られている。
 祭神は剣刃石床別命(けんじんいわとこわけのみこと)である。
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『奈良県平群町・御櫛神社』

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 奈良県生駒郡平群(へぐり)町椹原(ふしはら)の北西の丘陵に鎮座する式内社「御櫛(みくし)神社」の社号柱である。
 場所は信貴山の東麓で、信貴山山頂と、平群神社が鎮座する平群中央公園・竜田川との中間付近である。
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 神社の社頭には門屋が設けられ、門屋の中が境内となり、社殿が祀られているのが見える。
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 正面には鳥居があり、その先石段の上に割拝式の拝殿が祀られている。
 とりいの左脇に冒頭の社号柱が建てられている。
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 その先に、春日造りの本殿が祀られている。
 現在の祭神は、天児屋根命である。
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 しかし、創建当初から中世にかけての祭神は、豊玉比咩命(とよたまひめのみこと)、玉櫛姫命を祀っていたとされている。
 本殿の右隣りの朱塗りの祠がそれらの神々を祀っているのかも知れない。
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 その他、拝殿の周りに境内社が祀られている。
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 参拝を終え、山を下る途中で眼下の平群中央公園を眺めると、このようである。
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『奈良県平群町・平群神社』

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 奈良県生駒郡平群町西宮に鎮座する式内社「平群(へぐり)神社」の社名標柱である。
 場所は、信貴山の東、平群町内の南端付近にあり、西宮古墳を公園の一部とした「平群中央公園」の東側、和歌で知られる「竜田川」との間である。
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 平群神社の社頭には木造鳥居、そしてすぐに石段となる。
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 石段を昇ると、一対の狛犬が祀られ、更に石段の上に割拝式の拝殿が祀られている。
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 拝殿の奥は覆屋に護られた本殿である。
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 本殿の祭神は、大山祗命 (おおやまつみのみこと)である。
 この地の豪族平群氏の祖である武内宿禰が、神功皇后と共に朝鮮へ出兵の際、戦勝を祈願してこの地に祀ったと云われる。

 本殿の横には境内社である大神宮が祀られ、祭神は天照大神 (あまてらすおおみかみ)である。
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『奈良県平群町・猪上神社』

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 奈良県生駒郡平群(へぐり)町の信貴山山内に鎮座する式内社「猪上(いかみ)神社」の社名標柱である。
 この神社は、信貴山朝護孫子寺の東からの参道にある仁王門を潜った右手にある。
 東からの参道は、右手に千体地蔵、仁王門と並び、その先右手が神社社地である。
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 尚、仁王門の裏側には、木造の狛犬が祀られている。
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 社頭には、石の鳥居と冒頭の標柱が建っている。
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 そして一対の狛犬、本殿の祠が祀られている。
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 祭神として、天足彦命 (あめたりひこのみこと)、国押人命 (くにおしひとのみこと)が祀られている。

 猪上神社は、元々は朝護孫子境内の本堂石段下の、霊宝殿と水屋の間にある経蔵の地にあったが、明治の神仏分離により遷座、さらに現在の場所へと遷座されたと云われている。

 尚、神仏分離の前は、この神社は信貴山の鎮守社であった。
 また意賀美(おがみ)神社と云われていて、信貴山山頂を拝む神社とされていたと云う説もある。

『安房国一之宮・安房神社』

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 千葉県館山市大神宮に鎮座する安房国一之宮、且つ式内社名神大社の「安房神社」の社号柱である。
 安房神社へは、JR内房線の館山駅で下車、JR関東の路線バスで「宮前停留所」が最寄りである。
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 バス停から住宅街の中の細い道を右折左折しながら進むと、安房神社の一ノ鳥居に到達し、冒頭の社号柱も建っている。
 鳥居の先は広い参道である。
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 その突き当りは、石段となり二ノ鳥居が建つ。
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 神社案内板を確認して、二ノ鳥居を潜る。
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 鳥居を潜ると左手には社務所、右手には御手洗池がある。
 御手洗池を過ぎて、右へ向かうと、琴平社、そして御神木の槙がある。
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 そしてその奥に「下の宮」が鎮座している。
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 下の宮の祭神jは、本殿上の宮の祭神の孫神の天富命(あめのとみのみこと)である。
 天富命は、四国阿波国から忌部族を引き連れて、この地に上陸し、安房国を開拓したと云われる安房国開拓の神である。

 元の神社の中心部へ戻ると、一段と高い所に「上の宮」が鎮座する。
 先ずは拝殿である。
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 そして本殿である。
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 上の宮の主祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)である。
 配祀は、后神の天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)、そして忌部五部神 である。
 天太玉命は忌部氏の祖神で、藤原氏の祖神の天児屋根命と張り合った神とされている。

 上の宮の裏手に御神水がある。
 祭神は、安房大神、水波能売神、吾谷山御御霊である。
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 また、上の宮の左手奥には御仮屋があり、多くの神々が祀られている。
 そして上の宮の左手前に厳島社が祀られている。
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 神社を離れ、バス停に戻る途中の路傍に山百合の種類であろうか、綺麗な花が見られる。
 また、大神宮観音堂も建っている。
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『安房国一之宮・洲崎神社』

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 千葉県館山市洲崎(すのさき)に鎮座する安房国一之宮「洲崎神社」の社号柱である。
 この左手にも、新しい社号柱が建てられている。
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 館山市の洲崎と云うところは房総半島の西端であり、半島の先端部を上下逆さにした鳥の頭部に例えると、丁度の嘴の先端部にあたる。
 尚、館山駅は丁度、首の辺りとなる。
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 洲崎神社は、背後の山に向けて一直線に参道が延びている。
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 正面の鳥居を潜り進むと、先ずは随身門がある。
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 随身門には、武者像、それと狛犬の彫刻が祀られている。
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 門の先は高い石段である。
 厄祓坂と云い、148段の石段である。
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 石段を昇り詰めると正面には拝殿が祀られている。
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 そして背後は本殿である。
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 本殿の祭神は、天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)で、もう一つの一之宮「安房神社」の祭神の天太玉命(あめのふとだまのみこと)の后神である。
 そして、この天太玉命と、その孫神である天富命(あめのとみのみこと)が合祀されているとのことでもある。

 境内社は、左手に稲荷神社、右手に金比羅宮、長宮が祀られている。
 尚、長宮には、大物主命、建速須佐之男命、大山津見命、豊玉彦命が祀られている。
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 境内に霊峰富士遥拝所の矢印がある。
 行ってみると、そこには鳥居が祀られ、富士を眺めることができるとのことであるが、空気が澄んではなく、かすかに見えた程度である。
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 境内へと戻り、石段の上から下界と海を見下ろすと、下図の様である。
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 神社の隣に神宮寺の真言宗養老寺がある。
 江戸時代までは、洲崎神社の社僧を務めていたと云われている。
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 西へバス停1つを歩くと、そこは灯台入り口で、洲崎灯台を間近に望むことができる。
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『重伝建・香取市佐原』

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 千葉県香取市佐原の街中にある重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)の全体図である。
 場所はJR成田線の佐原駅の東南方向で、歩く距離も少しである。
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 この保存地区の中心は図面の中央のやや下の「忠敬橋」である。
 中央の東西の通りは香取街道と云い、諸街道と合流する街道である。
 また、中央を南北に流れる川は小野川と云い、北は利根川と通じている。
 この佐原は、江戸時代初めの利根川の東遷事業により、利根川が太平洋と通じたため、海から利根川を遡行し、支流の小野川を港とし、東北地方からの荷揚げの中心地となったことが、町の発展の大きな理由である。
 尚、それまでの利根川は荒川などと合流し、江戸湾へと注いでいたのであった。

 重伝建の地域は、4つの地域に分けられる。
 
 先ずは西地区である。
 街道沿いに、福新呉服店と右の小堀屋本店、そして正文堂である。
 小堀屋では現在もそば屋を営業中で、正文堂では「いも」の商いをしている。
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 今度は南側の川沿いである。
 西側には、中村屋商店、そして伊能忠敬記念館がある。
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 川を挟んで東側には、国の史跡の伊能忠敬の旧邸がある。
 伊能忠敬は17歳で伊能家の養子となり、醸酒業ならびに米穀薪炭販売に精励すると共に、村政の中心として活躍した。
 そして50歳で隠居をして、天文学や地理学を学び、全国を行脚し、大日本沿海輿地図を完成させたことで広く知られている。
 尚、旧宅の母屋は忠敬自身が設計したものと云われている。
 伊能邸は国指定の史跡で、道路を挟んで川べりには「だし」と云われる石段が設けられている。
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 屋敷の内部は見学が可能である。
 母屋や離れ、土蔵、そして伊能忠敬の像が建てられている。
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 伊能邸を挟んで、植田屋などの趣のある建物が川べりに並んでいる。
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 今度は北側である。
 こちらも川沿いであるが、西側には旧油惣商店などが並んでいる。
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 そして東側には、フレンチレストランなどが並んでいる。
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 最後は、忠敬橋の東側の街道筋である。
 手前には、中村屋乾物店、そして大正時代の旧三菱銀行佐原支店である。
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 そして、この香取街道を東へと辿ると、香取神宮へと続いて行く。

『下総国一之宮・香取神宮』

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 千葉県香取市香取に鎮座する下総国一之宮の「香取神宮」の社号標柱である。

 香取神宮は利根川の右岸(南側)にあり、JR成田線の佐原駅からバス便がある。
 先ずはバスで一ノ鳥居を潜り、東へ1km程が神宮のバス停である。
 バス停から門前の商店街が続き、冒頭標柱の社頭に到着する。
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 朱塗りの大鳥居を潜ると、社叢の中に参道が続く。
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 そして石造りの鳥居を潜ると、石段となる。
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 そしてその先は神社の朱塗りの総門である。
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 総門を潜ると参道は右へと進む。
 見事な楼門がある。楼門は江戸元禄の造営で重要文化財である。
 そして楼門から廻廊が広がる。
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 尚、楼門の内部には、一対の木彫りの狛犬が祀られている。
 また、廻廊の一角に、かつての海上自衛隊の練習艦「かとり」の錨が置かれている。
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 正面は登録有形文化財の拝殿である。
 そしてその背後には、これも江戸元禄造営の重要文化財の本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は出雲の国造りの神の1神である「経津主大神(ふつぬしのおおかみ)」である。
 尚、経津主大神は奈良の春日大社に勧請された春日四神の一としても知られる。

 拝殿の右手には境内中央を向いて旧拝殿も祀られている。
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 続いて境内社である。
 本殿の背後に、右手から、鹿島新宮、桜大刀自(さくらおおとじ)神社、匝瑳(そうさ)神社が祀られている。
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 廻廊の外の左手一角に、市神社・天降(あまくだり)神社、右に並んで馬場殿神社、離れて手前に押手神社、そして地震に纏わるナマズの頭を押さえる「要石(かなめいし)」が祀られている。
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 また、ずっと左手の旧参道の中ほどに奥宮が祀られている。
 奥宮とは、経津主大神の荒御魂を祀る神社である。
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『常陸国一之宮・鹿島神宮』

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 茨城県鹿嶋市宮中に鎮座する常陸国一之宮「鹿島神宮」社名標柱である。 

 鹿島神宮へはJR鹿島線の「鹿島神宮駅」が最寄りである。
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 駅を降りると正面は参道で、先ずは南へと向かう。
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 徐々に昇って行く参道は左折するが、その場所には剣豪塚原卜伝の生誕の地であるとの銅像が建てられている。
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 左へカーブした参道は、まだまだの昇りであるが、西からの参道と交差し、左折して、東へと進む石畳の参道となる。
 その交差点に石造りのサッカーボールが置かれている。
 そういえば鹿島は、Jリーグ開催当初からのサッカーの街である。
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 参道の両側は商店が並んでいるが、その左手に「龗(りゅう)神社」が祀られている。
 この神社は、鹿島神宮の水を守り、火を防ぐ神とのことである。
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 参道を進むと正面の鳥居となる。
 この鳥居は二ノ鳥居で、一ノ鳥居は遥か西の霞ケ浦北浦の中に建てられている(城山から遠望した写真を掲載)。
 右手に冒頭の社名柱も建てられている。
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 いよいよ神宮の境内である。
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 右手には稲荷神社が祀られている。
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 正面には見事な楼門が設えられている。
 水戸徳川家の初代藩主の頼房公により奉納されたもので、重要文化財である。
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 楼門を潜り少し行くと右手に重要文化財の拝殿、本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は武甕槌(たけみかづち)大神で、国造りの神の1神である。
 奈良県にある春日大社には、ここから武甕槌神が勧請されたものである。

 拝殿の向かいには、建葉槌神(たてはづちのかみ)を祀る高房社、そしてこれも重文の仮殿が祀られている。
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 奥には神宮の杜が広がる。
 奥参道には、江戸初期の石灯篭、さざれ石が祀られ、鹿園、そして熱田社が祀られている。
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 奥参道の突き当りの右手には、徳川家康が本殿として寄進したもので、新本殿建立に合わせてこの地に遷されたもので、これも重文である。
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 奥宮に沿って右折し、更に奥へと向かうと「要石」が祀られている。
 地中深くまで埋まる要石が、地震を起こす鯰の頭を抑えていると伝えられいるものである。
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 以上の他にも、御手洗池や、境内社などがるが、今回はパスさせて頂いた。


『神戸市・湯泉神社』

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 兵庫県神戸市北区有馬町、有馬温泉街の少し高いところに鎮座する式内大社「湯泉(とうせん)神社」の社名柱である。

 有馬温泉街の道路から石段を登ると「黄檗宗 有馬山 温泉禅寺」と云う寺院の境内へと入る。
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 その神社の境内の右隅に神社への参道鳥居が設けられ、冒頭の標柱も建っていて、参道石段は奥の高台へと続く。
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 参道の途中右手に鳥居があり「妙見堂」が祀られている。
 そして石段を昇り詰めると、二ノ鳥居となり、神社の境内である。
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 境内の正面には玉垣に囲まれた社殿が設えられているが、その手前に一対の狛犬が祀られている。
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 そして、拝殿である。
 拝殿には、この神社の主祭神や摂社の祭神が一覧に書かれた額が掲げられている。
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 その背後は本殿である。
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 本殿の祭神は現在は、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、熊野久須美命(くまのくすみのみこと)の三柱であるが、創建当初は大己貴命と少彦名命の二柱であったと云われる。
 そして、平安時代の末期、有馬の恩人の一人とされる仁西上人は、熊野権現に詣でた折に「有馬の山間にある温泉を再興せよ」というお告げを受けて有馬に入り、温泉を再興すると共に神社を再興し、熊野久須美命を合祀したと云われている。

 境内社であるが、本殿の左には国津社、右手には天津社が祀られている。
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 そして更に右手には、子安堂と大黒像が祀られている。
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 そして玉垣の外の右手には、稲荷社と愛宕社を合祀した金刀比羅神社、吉高神社、弁天社の胸形神社が並び祀られている。
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 神社右手の一層高い山の部分は公園となっている。
 その公園には、豊臣秀吉遺愛の亀の手洗鉢が置かれている。
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『神戸市・有間神社』

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 神戸市北区有野町有野に鎮座する「有間総社」、延喜式に云われる「有間神社」の社頭の標柱である。
 有間神社は六甲山の北麓にある古代からの温泉地「有馬温泉」の西側の平地に降りたところに鎮座する。
 往古は現在の西宮市山口町で創建されたと云われる。
 また舒明天皇・孝徳天皇が有馬温泉に行幸した際に参拝したとの記録もある。

 社頭には県道が通っていて、その県道に向いて一ノ鳥居が設けられている。
 また鳥居を通して、六甲の有馬温泉の山を望むことができる。
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 鳥居を潜ると石段があり、一つ目の脇に冒頭の社名柱、二つ目を昇ったところに黒木の鳥居がある。
 元々は孝明天皇の即位の時の大嘗祭に使用されたものを譲り受けたとのことであるが、現在は再建されたものである。
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 その右奥に一対の狛犬が祀られている。
 更に江戸時代に建てられた式内社比定標柱「有馬社」も建てられている。
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 その背後には拝殿が祀られている。
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 その奥には、本殿が祀られている。
 現在の本殿は、織田信長軍の戦火を始め何度か焼失したため、江戸時代中期の造営と云われている。
 本殿の祭神は、大巳貴(おおなむち)大神、少彦名大神、天御中主(あめのみなかぬし)大神、事代主大神の四神である。
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 尚、創建時は大己貴大神と少彦名大神の二柱であったが、その後平安時代に天御中主大神を配祀し、三柱となり、近年昭和には島根県美保ヶ関の美保神社より事代主大神の分霊を勧請し、四柱となっている。

 境内には多くの境内社が祀られている。
 先ずは本殿の左側に、国常立社、黒尾社である。
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 本殿の右手に、奥津社、武臣社、稲荷社である。
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 右手前に、八幡社と天神社の合祀社、
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 さらに右の鳥居の向こうに猿田彦社と石造りの窪森社が祀られている。
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 また、境内横の駐車場の山側に、山王山神宮寺跡の石碑、そして子安石が祀られている。
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 この「山王」が「産の緒」に通じるということから、「安産の神社」として崇敬され、妊婦が神前の「子安石」と呼ばれる石に安産を祈願したと云われている。

『西宮市・公智神社』

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 兵庫県西宮市山口町下山口に鎮座する式内社「公智(くちorこうち)神社」の社名標柱である。
 場所は、JH中国自動車道の西宮北ICの出口の直ぐ南である。

 神社は東向きで、水路を挟んだ東に一ノ鳥居が建てられている。
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 鳥居を潜り道路を進むと、冒頭の標柱が建つ社頭となる。
 そして社頭には境内図も掲げられている。
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 正面へ進むと、一対の狛犬が祀られている。
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 そしてその先は拝殿である。
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 その背後は覆屋に包まれている本殿である。
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 本殿の祭神は、健速須佐之男命、久久能智神(くくのちのかみ)、奇稲田姫命である。

 元々は、孝元天皇の皇子の大彦命の後裔の久々智氏が、氏神として木の祖神である久久能智神(くくのちのかみ)を奉祀したのが始まりと云われている。
 そして、貞観年間に健速須佐之男命と奇稲田姫命を祀ったとのことである。
 以来、祇園牛頭天王又は天王宮と称されていたと云われる。

 いくつかの境内社が祀られている。
 本殿の直ぐ左に稲荷神社、直ぐの右に八幡神社である。
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 少し離れて、金刀比羅神社、皇大神社、恵比須神社の合祀社、そして塩津神社である。
 塩津神社は滋賀県伊香郡塩津村に鎮座していた塩津神社より分霊を受け祀られたもので、竹篭の神とも云われている。
 また天津神社も祀られている。
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 もう一つ、神社境内の右手に、旧の神輿殿がある。
 室町時代の建築で、西宮市の文化財に指定されているものである。
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『兵庫県川西市・小戸神社』

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 兵庫県川西市の阪急川西能勢口駅に近い川西市役所の裏で、猪名川右岸との間の小戸(おべ)に鎮座する式内社「小戸(おおべ)神社」の社頭の標柱である。

 小戸神社へは標柱脇の水路に架けられた神橋を渡り進む。
 正面は一ノ鳥居であり、それを潜る。 
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 その先は二ノ鳥居、そして拝殿である。
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 その背後、瑞垣の中に覆屋の本殿、その手前に古そうな一対の狛犬が祀られている。
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 現在の祭神は、大山津見尊、素盞嗚命、天児屋根命であるが、当初は応神天皇の皇子である大山守命の、その後の榛原公の一族が大山津見尊を祀り、小戸神社を創建したと云われる。

 本殿の左には、境内摂社が祀られている。
 扁額には、鹿島神社、稲荷神社と書かれているが、以前は藤森神社も合祀されていたと云われる。
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 また、拝本殿の左手には幹回り5.7mの県の天然記念物の大楠がある。
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『兵庫県川西市・多太神社』

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 兵庫県川西市平野に鎮座する式内社「多太(ただorたぶと)神社」の社号柱である。
 この標柱は江戸時代享保年間に幕府の命にて延喜式記載の神社を調査した並河誠所が、式内社に比定して建てたもので、この標柱は能勢街道に面した参道入り口に建てられている。

 標柱脇を奥へ進むと、参道は右折する。
 そして正面に鳥居が見えてくる。
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 正面の鳥居である。
 そして鳥居の先は参道石段である。
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 石段を登ると正面に一対の狛犬が祀られている。
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 そしてその先、拝殿である。
 拝殿の左側面の上部には、武者絵が掲げられている。
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 その背後は本殿である。
 本殿は覆屋内であるが、元禄の頃の造営とされている。
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 元々の祭神は、大田田根子の子孫の神人氏が、祖神の大田田根子、そのまた祖神の大国主命を祀ったと云われている。
 それがいつの頃からか変化し、日本武尊、大鷦鷯尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊が祭神となっている。

 恐らくは、この地は多田源氏の発祥の地であり、源満仲が京都の平野神社から4祭神を勧請し、地名も平野としたとの説もある。
 また、その満仲ら源氏の五公を祀る神社が近所にあるため、こちらの方は混乱を避けるため、「たぶと神社」と呼ばれる場合がある。

 いくつかの境内社が祀られている。
 本殿の左手に合祀社(春日社、天照皇大社、八幡社)、そして丘を登り稲荷社である。
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 そして右手には、福禄寿、磐座が祀られている。
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『大阪府豊能町・走落神社』

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 大阪府豊能郡豊能町の豊能町役場の近くに鎮座する式内社「走落神社」の社頭の標柱である。

 先ずは一ノ鳥居を潜る。
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 参道は三段構えの石段となっていて、二ノ鳥居、三ノ鳥居を潜ると境内となる。
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 正面の拝殿の手前に一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿である。
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 拝殿の背後は本殿である。
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 本殿の祭神は、天照大神、速素盞鳴尊、少彦名命、五十猛命、水波能賣神、白山姫神、応神天皇、稲倉魂神、武内宿弥命、天武天皇と計10神である。
 これは、明治の神社合祀にて、近隣の神社9社が集合したことによるものである。

 元々は、小玉神社と云われたが、神社合祀で神名を付ける時、これらの神社の中で藤原氏が創建したと云われる式内社の走落神社と名付けたとのことである。

 境内社には、地主社、秋葉・清正公社、稲荷神社が祀られている。
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 また、合祀社が祀られ、左から太原大明神、大河大明神、八幡宮、金昆羅大権現、出雲大社である。
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 また、境内には石灯籠も多数あるが、下は元切畑に鎮座していた天武天皇を祀る走落神社から移設された「大婦天皇宝前」と彫られた石灯篭、そして八幡宮の灯篭である。
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『大阪府能勢町・野間神社』

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 大阪府豊能郡能勢町地黄に鎮座する式内社「野間神社」の社名標柱である。

 この場所は参道入り口であり、社名標柱と一ノ鳥居が建つ。
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 神社へは奥へと進み、暫く行くと右手が社頭となっている。
 社頭には二ノ鳥居、そして江戸時代に並河誠所が式内社と比定した折に建立した社号柱も建てられている。
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 社頭の鳥居を潜ると境内は結構広い。
 そして正面は拝殿である。
 拝殿にはこの神社の特徴である「布留大明神」の扁額が掲げられている。
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 拝殿の背後は本殿である。
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 本殿の主祭神は饒速日命(布留大明神)である。
 大化期の前よりこの地に蟠踞していた野間連が祀ったものとされている。
 野間氏の祖は物部氏であり、この辺りは物部氏の勢力下にあって、その物部氏の祖神を祀ったものと考えられ、御霊代(神体)は、饒速日命が首にかけていた勾玉とされている。
 その他、配祀として、宇賀御魂神、菅原道真公、草野姫命、野見宿根とされている。

 境内には、境内社が祀られている。
 「七郎社」、ツインの「各区祭神総社」と「稲荷総社」、抜戸神社が祀られている。
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 他にも、祭神不明の境内社、あまり見たことが無い形の招魂碑も建てられている。
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『大阪府能勢町・久佐々神社』

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 大阪府豊能郡能勢町宿野に鎮座する式内社「久佐々(くささ)神社」の社頭の標柱である。
 久佐々神社は、能勢式内3社に数えられる神社の一つである。

 神社の標柱の先には、石段の上に鳥居、少し古い社名柱が建てられている。
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 その先は雰囲気のある参道である。
 参道の先には石段があり、その上に神門が設けられている。
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 神門を潜ると舞台、そしてその先は本殿拝所である。
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 本殿の拝所には一対の狛犬が祀られている。
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 本殿は春日造りで、江戸時代安政年間の再建であると云われている。
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 祭神は、元々は土師部の祖神である天穂日命を祀っていたのではと考えられているが、現在の主祭神は賀茂別雷神 である。
 この地域は古代には、玖左佐村と云われ、能勢郡の郡館が設けられたところである。
 そしてその能勢郡の郡司となった神人為奈麻呂(みわひとのいなまろ)が賀茂氏と同祖であることから賀茂別雷神が祀られたものとされている。

 また明治の神社合祀で、猿田彦命、大歳神、速素戔嗚尊、応神天皇も祀られている。

 境内には、合祀社が祀られている。
 そこには、宇賀御魂神社、豊受姫命神社、事代主神社、大国主神社が祀られている。
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『大阪府能勢町・岐尼神社』

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 大阪府豊能郡能勢町森上に鎮座する式内社「岐尼(きね)神社」の社頭の標柱である。
 岐尼神社は、大阪北部の豊能郡に鎮座する式内社四社の内の一社である。
 神社は、神社前を通る府道に隣接して冒頭の標柱、そして鳥居が設けられている。
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 鳥居を潜ると境内であるが、一段と高い石段の先に社殿が祀られている。
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 先ずは一対の狛犬である。
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 そしてその先は拝殿本殿である。
 本殿の外観は覆屋に包まれている。
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 祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、 天児屋根命 、枳根命(きねのねのみこと)、源満仲公である。
 その他、配祀)天照大神、伊邪那岐神、伊邪那美神らを始めとする多数の神である。

 境内には境内社が祀られている。
 先ずは、大国主神社、恵比須神社である。
         177IMG_6346大国主  177IMG_6348恵比寿

 そして、住吉神社、稲荷神社である。
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 尚、岐尼神社は、織田信長の侵攻に焼かれてしまったが、関ケ原の戦いの後で再建され、その後改修が施され、現在に至っている。

『三田市・高賣布神社』

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 兵庫県三田市酒井に鎮座する式内社「高賣布(たかめふ)神社」の社号柱である。
 この神社は三田市内では唯一の式内社である。
 この社号柱は、県道沿いに建ち、ここから参道が始まる。

 参道を行くと社頭となる。
 社頭には、江戸時代に式内社と比定し、並河誠所が建てた社名柱「高賣布社」の標柱、そして本殿重要文化財の石柱が建てられている。
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 そして社頭には鳥居が建っている。
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 鳥居を潜ると正面は拝殿である。
 拝殿はかなり新しいものである。
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 拝殿の背後には本殿が祀られている。
 本殿は重要文化財で、下照姫(したてるひめ)命(高比売命)を主祭神とし、天稚比古(あめのわかひこ)命を配祀している。
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 拝本殿の右手には境内社が祀られている。
 先ずは戎神社である。
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 そして、稲荷神社である。
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 拝殿及び境内社群は綺麗に並んでいる。
 また神社の向かいには、大船山が聳えている。
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『安房国・館山城跡』

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 千葉県館山市館山にある「史跡 館山城跡」である。現在は城山公園となっているところである。

 館山城は戦国時代末期に、南総里見八犬伝で知られる里見氏の第九代里見義康により築城された平山城である。
 最盛期の里見氏は、安房、上総、下総の三国57万石を領有していたと云われる。

 しかし秀吉の小田原攻めに遅参したことを理由に安房一国に減封され、その後関ケ原で徳川方に付いたことで加増されたが、大坂の陣の前に妻の祖父である小田原城主大久保忠隣の改易に連座し、幕府から安房一国も没収され、館山城は廃城となったとされている。

 館山城へは内房線館山駅からバス便が最寄りである。
 バスを降りると公園入り口には、冒頭の標石がある。
 そして右手の広場の奥の城山山頂(標高72m)には天守が聳えているのが見える。(但し天守は残念ながら模擬天守である)
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 天守に向かうには左右のルートがある。
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 右手のルートは車も通れるようであるが、これを避けて、左側を辿ることにする。
 入り口の左手は鹿島堀跡である。城の防衛上の濠である。
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 そしてルートは先へと進む。
 この辺りは、時節柄、紫陽花が最盛期である。
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 途中の右手には孔雀園があるが、パスである。
 また途中には削平地もある。郭が設けられていた跡地であろうか。
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 登城路を登り詰めると、本丸広場に出る。
 本丸広場の片隅には、里見城跡の石碑も設けられている。
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 そしてそこには、浅間神社が祀られている。
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 正面に天守が佇む。
 三層四階の望楼付きの天守で、一説には丸岡城の天守を模したものと云われている。
 天守の中身は、館山市立博物館分館となっていて、滝沢馬琴の南総里見八犬伝の資料が展示されているとのことである。
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 天守を裏側から見てみる。
 また裏側からは海が見える。
 中央遠くに見えるグリーンとコンクリートの広いところは海上自衛隊の館山航空基地である。
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 下城してバス停に戻ると、少し西に館山神社が鎮座している。
 館山神社は、近隣の稲荷神社4社、諏訪神社2社、そして八坂神社1社の計7社が合祀された神社である。
 一見は館山城跡の護り神の様である。
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 尚、江戸時代後期に、稲葉正明が館山藩主となって館山に入ったが、城を再建するではなく、城の麓に館山陣屋を構えて、そこを新たな政庁としたとのことである。

『常陸国・鹿島城址』

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 茨城県鹿嶋市のJR鹿島神宮駅から西南方向のほど近いところに鹿島城址がある。
 尚、東南方向には大神宮の鹿島神宮が鎮座している。
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 城山の入り口から坂道を登ると、頂上の広い削平地に到着する。本郭の跡地である。
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 その本郭の西の端に冒頭の石碑が建っている。
 また時節柄、紫陽花が盛りである。
 そしてこの場所から、鹿島神宮の北浦湖畔の朱塗りの一ノ鳥居を望むことができる。
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 鹿島城は、平安時代の終り頃、平国香の子孫である鹿島三郎政幹が、源頼朝より総追捕使(そうついぶし)に任命され、築城し、鹿島を支配したと云われている。
 その後戦国時代に、鹿島清秀父子は常陸太田の佐竹義宣に滅ぼされ、廃城となったが、徳川家康は鹿島市の一族を総大行事職に任命し、鹿島神宮の要職に着かせたと云われている。

 本郭の周囲は土塁で囲まれている。
 現在その土塁の上部は遊歩道となっているが、当時は武者走りであったのであろうか?
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 土塁の外側には、削平地がある。
 郭の跡であろうと思われる。
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 また、本郭に至る土橋の両側に、空堀が設けられている。
 数少ない遺構の一つである。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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