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近鉄橿原線17・橿原神宮前駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から16駅目で起終点の奈良県橿原市の「橿原神宮前駅」である。

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 「橿原神宮前駅」で下車する。
 終点駅なので、「橿原線」の線路はここまでである。
 隣のホームには特急電車も停まっている。
 「橿原神宮前駅」は、「橿原線」と「南大阪線・吉野線」との共用駅、乗換駅である。
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 以前の「南大阪線」の探索で、「橿原神宮前」を訪ねたので、今回はもっと近場で、古代に創建された寺社を訪問してみる。

 駅西口から出る。
 駅ロータリーから西方向に延びる県道を進み、交差点を右折する。
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 そして、左手の住宅街の中の斜めの道を進むと、神社の杜に突き当たる。
 杜に沿って進むと、左手は趣のある町屋である。
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 神社は「久米御縣(くめみあがた)神社」と云う「式内社」である。
 鳥居を潜ると、「狛犬」、「拝殿」、「本殿」と並ぶ。
 祭神は、「高皇産霊命」、「大来目命」、「天櫛根命」とされている。
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 この神社は垂仁天皇の時代に、皇室の御料地である「来目邑(くめむら)」に創建されたと考えられる。
 「久米氏」は、ヤマト政権で軍事部門を担当していたとされるが、「久米氏」の衰退と共に神社は衰微した。
 しかし、隣に「久米寺」が創建されると、その鎮守社として再建されたとされる。

 神社前には、その「来目邑」跡の石柱や磐座もある。
 また、飛鳥方向を示す「右おかてら たち花」と記された石柱も建っている。
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 神社前の道を北へと進むと直ぐに「久米寺」である。
 「山門(仁王門)」、「寺号柱」が建ち、「扁額」が掲げられている。
 「久米寺」は、「真言宗御室派別院 霊禅山 東塔院」と標示されている。
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 「山門」には阿吽の「仁王像」が祀られている。
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 「山門」を潜る。
 正面には「東塔跡」の「礎石」がある。
 そして、その奥には「金刀比羅神社」が祀られている。
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 その先には、「不動明王像」が建ち、「多宝塔」が建っている。
 「多宝塔」は、重要文化財で、京都の「仁和寺」から移築されたものとされている。
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 境内右手には、「大師堂」、「六重石塔」、「地蔵堂」が並んでいる。
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 また境内左右には、「鐘楼」、「弘法大師の石」、「薬師如来の石」などが見られる。
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 境内正面は「本堂」である。
 本尊は薬師如来坐像」である。
 そして「本堂」前には、「久米仙人像」が建てられている。
 この「久米寺」の開基は、「聖徳太子」の弟である「来目皇子」とされるが、「久米仙人」との説もあり、逸話も語られている。
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 「本堂」右側面である。
 そして、「本堂」右手に並ぶ堂宇の「観音堂」、「阿弥陀堂」である。
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 「観音堂」の南側の横の参道には、金色の「大日如来像」が祀られ、「虫塚」もある。
 そして、そのまま横の参道から退出したのであった。
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 尚、この「久米寺」は、唐の留学から帰国した「空海」が、この寺で真言密教を宣布したと云われる。
 従って、「久米寺」は「真言宗発祥の地」とされ、「空海」が「真言宗」を開く端緒を得た寺ともされている。

 「久米寺」の寺塀に沿って、駅方向へと進む。
 そして今度は「橿原神宮前駅」の正面口へと到着し、この駅と「近鉄橿原線」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄橿原線16・畝傍御陵前駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から15駅目の奈良県橿原市の「畝傍御陵前駅」である。

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 「畝傍御陵前駅」で下車する。
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 駅のロータリーから西方向を眺めると、正面道路の先に「畝傍(うねび)山」が見える。
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 西へと進み、突き当りを右折すると、左手に「神武天皇陵」の参道入り口がある。
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 「神武天皇御陵」の標柱が傍に建つ神橋を渡り、進む。
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 参道は右にカーブする。
 正面に御陵の鳥居が見え、次の神橋を渡る。
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 「神武天皇陵」の正面の拝所である。
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 左右に広がっている拝所である。
 先ずは左側である。
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 そして右側である。
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 参拝を終え、右方向へと進む。
 そこには宮内庁書陵部の「畝傍陵墓監区事務所」が建っている。
 この事務所は、奈良県、三重県、岐阜県、愛知県、静岡県内の陵墓を管理しているとのことである。
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 駅へと戻る。
 駅前の南西には「橿原市保健センター」、北西には奈良県病院協会の「看護専門学校」がある。
 そして、ホームへ出て、「畝傍御陵前駅」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄橿原線15・八木西口駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から14駅目の奈良県橿原市の「八木西口駅」である。

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 「八木西口駅」で下車する。
 駅南側の道路を踏切を渡り、西へと進む。
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 直ぐに左折し、「JR万葉まほろば線」の線路を潜る。
 右手に朱塗りの橋が見えて来る。
 川は「飛鳥川」、橋は「蘇武(そぶ)橋」と云う。
 橋を渡った所に大きな「エノキ」が見える。
 高さ約150m、樹齢約420年とのことである。
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 橋を渡った先は、今回の探索地である「今井町」である。
 案内看板がある。
 「今井町」は、「重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)」で、江戸時代からの建物が数多く保存されている所である。
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 「今井町」は、東西600m、南北310mの周囲に環濠を伴った「寺内町」である。
 最も北側の道は「北尊坊通り」である。
 入り口に「北尊坊門」があったとの表示がある。
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 進んで行くと、右手に「山尾家住宅」、左手に「吉村家住宅」がある。
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 更に進むと寺院の寺門に突き当たる。
 「浄土真宗本願寺派 順明寺」である。
 「順明寺」の裏手に迂回し、更に西へと進むと、「八幡宮」が祀られている。
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 今度は南へと進む。
 そこには、「今西家住宅」が建っている。
 「今西家」は、自治権が認められていた「今井町」の惣年寄の筆頭で、領主、代官などの役割を努めていた名家である。
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 そして「今西家」の西側は環濠である。
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 南へと進む。
 「旧常福寺」の「表門」があるので入ってみる。
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 境内右手には、「行者堂」、「観音堂」が並んでいる。
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 そして正面には、「春日神社」の拝殿もある。
 また、「山車庫」もある。
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 この寺社は、明治の廃仏毀釈にて「常福寺」が廃寺となったもので、現在は「春日神社」のみが機能しているのではと思われる。

 東方向へと進む。
 この道路は「御堂筋」と云う。
 進んで行くと、右手に「今井御坊 真宗本願寺派 稱念(しょうねん)寺」の山門がある。
 「寺内町」の中心寺院である。
 寺院には、重要文化財の「本堂」、そして「太鼓楼」も立派である。
 創建は、戦国末期とされ、顕如上人から寺号を得て、念仏道場を構築したものとされる。
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 町内の建造物を順不同で訪ねてみる。
 先ずは、「豊太閤本陣跡」、重要文化財の「中橋家住宅」及び「豊田家住宅」である。
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 そして、重要文化財の「上田家住宅」、「音村家住宅」、「旧米谷家住宅」である。
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 他にも、「今井町景観支援センター」、2つ星ホテルの「嘉雲亭」、そして「郵便局」なども見られる。
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 「今井町」をほぼ一巡したので、東南側の外れに行くと、そこには「」今井まちなみ交流センター 華甍(はないらか)」が建っている。
 明治36年に、「高市郡教育博物館」として建設されたもので、役場として使用されたと云う建物である。
 また、東南方向に目をやると、そこには「奈良県立医大」も見られる。
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 そしてこの地点で、「八木西口駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線14・大和八木駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から13駅目の奈良県橿原市の「大和八木駅」である。

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 「大和八木駅」で下車する。
 この駅は、「近鉄大阪線」との交差駅で、地上は「橿原線ホーム」、階上は「大阪線ホーム」となっている。
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 駅の南側はバス停を含むロータリーである。
 その南側の道路を西へと進み、「近鉄橿原線」の踏切を渡り、更に進む。
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 途中、「飛鳥川」を渡る。
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 少し進み南下すると、案内柱のある交差点へと出る。
 この西には「入鹿(いるか)神社」、そして「正蓮寺」があり、北方向には「人磨(ひとまろ)神社」があるとの案内である。
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 先ずは西の「入鹿神社」とその境内である。
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 「蘇我入鹿」は、飛鳥時代に無類の権勢を誇った「蘇我一族」の頂点にいた人物であるが、「乙巳の変(いっしのへん)」により、中大兄皇子・中臣鎌足らに暗殺された。
 これにより、蘇我氏が滅亡となり、「大化の改新」へと繋がり、以降、「中臣(⇔藤原)氏」が勢力をふるう時代が長く続くことになったことは良く知られている。

 「入鹿神社」境内の正面は「拝殿」と両脇の「狛犬」である。
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 「拝殿」背後には「本殿」が祀られている。
 祭神は「蘇我入鹿」であるが、明治になって「素戔嗚尊」も合祀されたとされる。
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 境内社も祀られている。
 左から、「稲荷神社」、「八幡神社」、「秋葉神社」、そして「弁天社」である。
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 境内左側(北側)には、「大日如来」を祀る「大日堂」が建っている。
 元々は、神宮寺の「普賢寺」の「大日堂」であったが、明治の神仏分離の際に、建物と本尊の仏像は残されて、南隣の「正蓮寺」の「大日堂」として現存しているものである。
 尚、「大日堂」、「大日如来木像」は重要文化財に指定されている。
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 その他、境内には「神具庫」や地元の「コミュニティーセンター」がある。
 また時節柄、十月桜も咲いている風景がある。
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 南隣の「正蓮寺」を覗いてみる。
 この寺院は、「浄土真宗興正派」とのことである。
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 北へと進む。
 町名は「地黄(じお)町」と云い、薬草サオヒメ(地黄)を栽培していたことに因んでいるとのことである。
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 北の突き当りに「人麿神社」が鎮座している。
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 社頭左手の社号柱には「柿本人丸神社」と標示されている。
 その脇には「人磨」の「歌碑」が建てられている。
 歌は、「秋山乃 もみぢを茂み 迷ひぬる 妹をもとめむ 山道知らずも」である。
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 右手は「鳥居」「扁額」である。
 「扁額」には、「人磨神社」と標示されている。
 そして境内へと入る。
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 正面は「拝殿」である。
 そして背後は、重要文化財の「本殿」である。
 勿論のこと、祭神は「柿本人麻呂」である。
 尚、この神社は、「葛城市新庄駅」の近くの柿本神社から鎌倉時代末期に分祀されたと伝えられている。
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 神社を後にして、「大和八木駅」へと戻る。
 途中には虫小窓の町屋も見られる。
 気づいたが、この辺りの車のナンバーは「飛鳥」となっていて、雰囲気がある。
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 そして「大和八木駅」へと戻り、ミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線13・新ノ口駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から12駅目の奈良県橿原市の「新ノ口(にのくち)駅」である。

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 「新ノ口駅」で下車する。
 この駅から一つ南の「大和八木駅」に向けて、「京都駅」―「賢島駅」間の直通特急のための連絡線が西方向へと別れ、「近鉄大阪線」へと繋げている。
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 駅舎を出て、駅前の風景を眺め、北東方向へと進む。
 今回の目的地は、駅の北東方向にある「十市(とおち)城跡」、「十市御縣坐神社」である。
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 住宅街や田園風景の中を1.5Km、途中に「寺川」を渡り、20分程度歩くと、「十市城跡」が近づく。
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 「十市城跡」には石碑が建っているのみである。
 「十市城」は、興福寺大乗院の国民である「十市氏」が、鎌倉時代後半から江戸時代にかけて居城した城で、この石碑のところには「主郭」があり、城下も含めた規模は、東西550m、南北430mと推定されている。
 また、「十市氏」は、「竜王山城」をも築き、「筒井氏」と和睦するなりして、大和国の戦線を戦ったとされている。
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 「十市城跡」を後にして、次はその南東部にある神社へと向かう。
 一旦南下し、そして東進すると、5~6分で神社の社頭に到着する。
 社号柱に記されている神社名は「式内大社 十市御縣坐神社(とおちのみあがたにますじんじゃ)」である。
 また、左手には「神池」がある。
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 神社社地へと入り左折すると、そこには「鳥居」が建つ。
 「鳥居」の扁額には、「豊受大神」と記されている。
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 境内は細長い。
 正面には、玉垣の中に「拝殿」が建つ。
 「拝殿」前には一対の「狛犬」も祀られている。
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 「拝殿」の背後は「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、主祭神「豊受大神」、配祀は「市杵島姫命」とされている。
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 この「十市御縣坐神社」は、奈良時代以前からの古社で、皇室の御料地に鎮座する「大和国六御県神社」の一座とされ、皇室の崇敬が篤かったとされている。

 幾つかの境内社が祀られている。
 先ずは、「玉津島神社」、「八坂神社」、「八幡神社」である。
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 そして、「五社神社」、「四社神社」である。
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 その他境内には、「神具庫」、そして歌碑がある。
 歌碑は、十市氏の最盛期を築いたとされる十市城主の「十市遠忠」のもので、
 「かすみきて 天のかく山 明るより とをちの里に 春をしるかな」と詠われている。
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 そして、神社入り口の「神池」をもう一度眺め、神社の杜を確認して、「新ノ口駅」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄橿原線12・笠縫駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から11駅目の奈良県田原本町の「笠縫(かさぬい)駅」である。

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 「笠縫駅」で下車する。
 下りのホーム・改札から出て、踏切を渡り、上り側(西側)の駅舎前へと進む。
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 今回の目的地は、南西方向の「飛鳥川」の手前に鎮座する「多神社」と周辺の「境外社」である。
 駅舎の西側の小路を南下し、集落の中へと入る。
 通りの先に鳥居が見える。
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 鳥居前まで行ってみると「天神社」である。
 祭神は「少彦名命」とされる。
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 集落内の道路を南下し、県道を越え、「多(おお)」の集落へと入る。
 「太神宮灯篭」、その隣に集会所、そして「念仏寺」がある。
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 南側に、2本の変わった木が立ち、小祠が祀られている。
 そのまま西方向へ、農道を進む。
 正面に見える杜は「多神社」である。
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 少し手前の右手に小さな杜がある。
 行ってみると、「田原本御佛三十三ケ所巡礼」の第23番の「観音堂」が祀られている。
 本尊は「十一面観音菩薩立像」であり、明治の神仏分離までは「多神社」の「神宮寺」であったとされている。
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 そして農道を辿り、「多神社」の社頭へと向かう。
 
 「多神社」の社頭である。
 正式名称は、「多坐彌志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)」である。
 創建は、紀元前580年とされる大古社で、「式内社 並名神大社」でもある。
 そして社頭には、木製の社名柱が建っている。
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 参道を進むと、少し奥まった所に「二ノ鳥居」が建っている。
 「鳥居」を潜ると右手には、寄進された「石灯篭」が綺麗に並んでいる風景がある。
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 更に進むと、「拝殿」、「本殿」である。
 「本殿」は4社あり、それぞれの主祭神は、第一社「神倭磐余彦尊(神武天皇、神八井耳命の父)」、第二社「神八井耳命(神武天皇皇子)」、第三社「神沼河耳命(綏靖天皇:神八井耳命の弟)」、第四社「姫御神(玉依姫命、神八井耳命の祖母)」とされている。
 このほかにも、「古事記」を編纂した「太安萬侶」も祀られているとされる。
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 多くの境内末社が祀られているその一部である。
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 この「多神社」には、4社の境外社」が祀られ、全て「式内社」である。

 東には、「姫皇子命神社」で、祭神は「姫皇子命」である。
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 そして南側には、先ずは「小杜(おもり)神社」である。
 祭神は、「太安萬侶命」とされる。
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 更にその南には、「皇子神命神社」が祀られ、その祭神は「皇子神命」とされる。
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 4社目は西へ進み、「飛鳥川」を渡る。
 そこはもう「橿原市」である。
 右手(北側)に「県営福祉パーク」がある。
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 その先右手(北側)には、「屋就(やつき)神命神社」が祀られている。
 祭神は「屋就神」とされる。
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 そしてこの地点で、「笠縫駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線11・田原本駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から10駅目の奈良県田原本町の「田原本駅」である。

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 「田原本駅」で下車する。
 駅の西側のロータリーの向こうに「西田原本駅」が見える。
 この「西田原本駅」は、「近鉄田原本線」の起終点駅であるが、後程とする。
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 駅前の道路を踏切を渡り東へと進む。
 次の交差点を右折し、南へと進む。
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 左手に由緒ありそうな日本料理店がある。
 その角を、左折し、商店街を進む。
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 そして右折し、少し南下すると神社の東向きの社頭である。
 「鳥居」、「社号柱」には、「津島神社」と記されている。
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 この「津島神社」は、旧田原本村の産土神で、創建は平安時代末期以前とされている。
 当初は「牛頭天王」を祀り、「祇園社」と呼ばれていた。
 そして明治時代始めに「津島神社」と改められたとされる。

 「鳥居」を潜ると参道の正面は「拝殿」である。
 そしてその背後は、瑞垣の中に「本殿」が祀られている。
 現在の「本殿」の祭神は、「素戔鳴命」、「櫛名田姫命」、「誉田別命」、「天児屋根命」である。
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 境内社であるが、「拝殿」の前の池の中に「厳島神社」、「金毘羅神社」が祀られている。
 そしてその西、「拝殿」の横辺りに、「豊受大神宮」が祀られている。
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 その西側には、「戎神社」が祀られている。
 そしてこれらの神社間の銀杏が盛りである。
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 「本殿」裏の風景である。
 そして、「本殿」裏の西側は、「イベント広場」となっていて、「屋外ステージ」や「コミュニティーホール」となっている。
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 「津島神社」を後にして、街中の道を北東方向へと進む。
 10分程度進むと、「田原本町役場」に到着する。
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 庁舎の東側へ回り込むと、「モニュメント」も建てられている。
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 そして庁舎の西の町民ホールの西側に、「田原本陣屋」の説明看板が設置されている。
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 説明によると、この町役場から南側に「陣屋」が築かれていたと云う。
 「豊臣秀吉」の「賤ケ岳の七本槍」の一人である「平野権兵衛長泰」が、その軍功により、田原本を含む十市郡の支配を任され、5千石にて「平野陣屋」を築いたとされている所である。
 尚、この土地は元々は、本願寺の「教行寺」があり、「寺内町」が築かれていたが、「教行寺」は、この西の「箸尾」に移転させられたとのことである。

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 そして、「田原本陣屋跡」に辿り着いたところで、「田原本駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線10・石見駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から9駅目の奈良県三宅町の「石見(いわみ)駅」である。

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 「石見駅」で下車する。
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 駅の西側はロータリーであるが、今回は東側の住宅街を進む。
 途中右手に神社の杜らしきものが見える。
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 右折し、進んで行くと右手に、「太神宮」の高灯篭、「白髭神社」、そして「鏡作神社」の社頭の順で南向きに並んでいる。
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 「鏡作神社」の参道を進む。
 「鳥居」を潜る。
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 正面は「拝殿」、その背後は3祠が並ぶ「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「石凝姥命(いしこりどめのみこと)」とされている。
 更に「本殿」右手に「徳松稲荷神社」が祀られている。
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 尚、この「鏡作神社」は、「式内社 鏡作坐天照御魂神社」の論社とされている。

 神社を後にして、東南方向へと進む。
 大きな溜池「石見新池」の傍を進む。
 西方向には「二上山」も見える。
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 池から東方向へ進み、「寺川」を渡る。
 この辺りから「田原本町」である。
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 渡った左手(北側)には神社が祀られている。
 「杵築神社」である。
 神社横を東へと進む。
 行く手方向に、「楼閣」が見えてくる。
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 そして国道へと出る。
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 国道の向こうに「国史跡 唐古・鍵遺跡」が広がる。
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 この遺跡は、弥生時代からのものである。
 発掘調査の結果、約30ヘクタールに及ぶ巨大環濠集落であったとされている。

 そして、近年整備されたもので、広い公園となっている。
 公園内には、「楼閣」や大型建物の柱が復元されている。
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 2000年前の「楼閣」は、「唐古池」の南西隅に復元されている。
 その「唐古池」を眺めて見る。
 尚、「唐古池」は当時のものでは無く、江戸元禄時代に灌漑用として普請されたものとされている。
 モヤがかかっているのは、近隣で野焼きが行われていたためである。
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 遺跡公園の北西方向へと進む。
 環濠の跡も見られる。
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 この北西エリアには、「遺構展示情報館」がある。
 内部には、大型建物跡の柱穴を形取りして、実寸大に再現した模型が展示されている。
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 更に、柱穴から出土した実際の柱も展示されている。
 また、当時の生活風景を再現したジオラマも展示されている。
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 この北西側が、遺跡の正式な入り口であろう。
 裏側から入り、表側へと通り抜けたのであった。
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 入り口付近には、国道を挟んで、東に「柿の葉寿司」の店舗が、西に「道の駅」が建っている風景もある。
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 そしてこの地点で、「石見駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線9・結崎駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から8駅目の奈良県川西町の「結崎(ゆうざき)駅」である。

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 「結崎駅」で下車する。
 この駅は現在、ホームや外構などの改修工事が行われている。
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 駅前から西へと延びる通りを進む。
 途中、右手に「川西町役場」がある。
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 更に進むと県道に突き当たり、左折して少し行くと、南向きの神社の社頭へと出る。
 「式内社 糸井神社」である。
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 この「糸井神社」は、中世には「結崎大明神」、江戸時代には「春日神社」とも呼ばれたとされる。
 縁起によれば、応神天皇の時代に呉の国から渡ってきた2人の機織り姫が、天皇の命により綾錦を織ったと云われる。
 その2人は、「あやはとり」は「綾羽明神」、「くれはとり」は「呉羽明神」として祀られたのが神社の起こりとされている。

 鳥居を潜り、境内へと進む。
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 正面は、「拝殿」である。
 「拝殿」の両側には、一対の「狛犬」が祀られている。
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 「拝殿」の背後には、「春日大社」の古殿を移築したとされる春日造檜皮葺の「本殿」が祀られている。
 「本殿」の現在の祭神は、「豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)」とされている。
 また、「本殿」の並びには、境内社が祀られている。
 「春日神社」、「大国主・事代主相殿社」、「住吉神社」とされている。
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 また、この地は「能楽観世流」の発祥地で、神社前の宮前橋を渡った「寺川」の左岸に「面塚」と云う石碑が建てられている。
 そしてこの時点で、「結崎駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線8・ファミリー公園前駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から7駅目の奈良県大和郡山市の「ファミリー公園前駅」である。

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 「ファミリー公園前駅」で下車する。
 この駅は、駅名の通り、「近鉄橿原線」に隣接した公園への下車駅である。
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 公園は「まほろば健康パーク」と云う。
 今回は、この公園を一周してみる。
 駅から西へと進む。
 南側に「スイムピア奈良」と云う50mプールを備えた施設がある。
 そして北側は、「子ども広場」で、大型の滑り台が備えられている。
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 西へと進む。
 歩道の右手にモニュメントが建っている。
 「ベルセポリスのグリフィン」、「ダイオレス1世」のレリーフ、「チンギス・ハン像」である。
 これらは、1988年に奈良で開催された『なら・シルクロード博覧会』の展示物であったとのことである。
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 更に進むと、広い広場がある。
 この広場の先に、「浄化センター」があるとのことである。
 北側にも広場がある。「野球場」である。
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 東方向へ進む。
 駐車場のエリアである。
 多くの車が停まっている。
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 そして南側は先ほどの子ども広場であり、幾つかの滑り台が並んでいる。
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 更に東へと行く。
 「ミニ新幹線」の周回コースがある。
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 そして南へ下がると、「ファミリー公園前駅」に到着し、この駅のミニ探索を終了したのであった。

近鉄天理線4・天理駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねているが、奈良県大和郡山市の「平端駅」から支線の「近鉄天理線」が出ているので、横道にはそれることになるが、それを訪ねてみる。
 今回は「平端駅」から3つ目で、起終点の「天理駅」である。

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 「天理駅」で下車する。
 起終点駅であるのでホームは頭端式で3線4面である。
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 駅舎は、「JR万葉まほろば線」の天理駅と共用である。
 駅の東側はバス停を含むロータリー、そして古墳をモチーフにした広場「コフフン」がある。
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 以前の「JR万葉まほろば線」の各駅下車で、駅の東側を探索したので、今回は駅の西側の探索とする。

 駅舎を西方向へ潜ると公園がある。
 「田井庄池公園」で、時節柄、「光の祭典」の準備が行われている。
 また、公園内にはSLの静展示もある。
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 近鉄の線路に沿って西へと進む。
 線路の向こうに天理教独特の「母屋」も見られる。
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 道路に突き当たるので左折する。
 そこは「天理大学 体育学部」の東端で、大きな体育館がある。
 東京2020の金メダリスト、天理大OBの「大野将平」の横断幕も掲げられている。
 そして東西の道路との交差点は「地蔵前」と云い、「辻地蔵」が祀られている。
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 西へ進むと「正門」あるので、構内へお邪魔してみる。
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 右手は「体育館」、左手の奥は「武道館」、その手前は「講義棟 七号館」である。
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 キャンパスの西側は、グラウンドである。
 フェンスの外から眺めてみる。
 トラックもあり、球場もありの広いエリアである。
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 グラウンドの中間あたりの道を南へと進む。
 しばらく進み、左折するとそこには灯篭が建つ神社参道口があるが、正面は集会所のような建物である。
 神社は「八剱(やつるぎ)神社」であり、由緒板も建っている。
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 右手に「鳥居」、「社号柱」が建っている。
 「式内社」と標示されている。
 「式内社 夜都伎(やつぎ)神社」の論社とされている神社である。
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 「鳥居」を潜った境内の左手に「拝殿」そして一対の「狛犬」が祀られている。
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 「拝殿」の背後は「本殿」である。
 そして祭神は「八剱神」である。
 先ほどの由緒板には、『神代のむかし、素盞男尊八岐大蛇を退治したまいき 大蛇は身を変え 天に昇り神剱となって布留川の上流八箇岩に天降りしを水雷神とあがめ、貞観年間にこの地に氏神として斎られた』と記されている。
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 本殿の左右に境内社もある。
 左手「六柱神社」、右手「春日神社」である。
 そして、「鳥居」付近から境内を再度眺めて神社を後にして、「天理駅」と「近鉄天理線」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄天理線3・前栽駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねているが、奈良県大和郡山市の「平端駅」から支線の「近鉄天理線」が出ているので、横道にはそれることになるが、それを訪ねてみる。
 今回は「平端駅」から2つ目の奈良県天理市の「前栽(せんざい)駅」である。

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 「前栽駅」で下車する。
 駅ホームからは、天理市の東側の連山が良く見える。
 また、線路の外側には駅舎も見える。
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 駅から出る。
 「平端駅」行きの電車が入線しているのが見える。
 また、駅の東の通りの向かいに「地蔵堂」が建っている。
 寺名は「雲井寺」と云う。
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 地蔵堂の前の道を南下する。
 右に池があり、向かい側に黒い球形の建物がある。
 「チャイルドスクール」と云い、そろばんなどの塾のようである。
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 池の北側の道路を進む。
 そして池を過ぎた所で、振り返ってみる。
 一説によると、この池とその周辺は、石上神宮と関係の深い地であり、町名の「杉本町」から推測すると、池畔に大きな杉が生えていたのではないかとされている。
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 池の西側には公園がある。
 公園から、西側に鎮座する神社の祠が見える。
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 西隣は「春日神社」である。
 鳥居・社号柱は南向きである。
 この時は祭礼が行われていて、境内へ入ることはできない。
 奥の一段と高い所に3つの祠が並んでいる。
 祭神は、「武甕槌命」、「経津主命」、「天児屋根命」、「姫大神」の4神とされている。
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 住宅街を西方向へと向かう。
 5分程度進むと、そこには北向き社頭の「熊野神社」が鎮座している。
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 鳥居を潜ると広い境内である。
 手前に「神武天皇遥拝所」、奥の玉垣の中に「本殿」が祀られている。
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 先ずは「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「伊弉那美命」とされている。
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 この「熊野神社」の創建は不詳であるが、かつては「蔵王権現」が祀られていたとのことから、「修験道」に関係した創建と思われる。

 「本殿」の背後には、境内社が一列に祀られている。
 左から、「市杵島神社」、「布留御魂神社」、「皇大神宮」、「八幡神社」である。
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 神社を後に、駅へと戻り、「前栽駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄天理線2・二階堂駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねているが、奈良県大和郡山市の「平端駅」から支線の「近鉄天理線」が出ているので、横道にはそれることになるが、それを訪ねてみる。
 今回は「平端駅」の次の奈良県天理市の「二階堂駅」である。

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 「二階堂駅」で下車する。
 ホームは上下線路がホームを挟む「島式」である。
 先ずは南側の改札から出る。
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 駅舎の少し西に南北の道路が通っているので、北へと踏切を渡る。
 線路に沿って少し東へと行き、駅の北改札口を眺め、元の南北の道路へと戻る。
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 この南北の道路は、かつての「大和国」の「下ッ道」である。
 「大和国」には、「上ッ道」、「中ッ道」、「下ッ道」の3本の街道と、その両側に「山辺道」、「筋違道(太子道)」の5本の街道があったその一つである。

 この「下ッ道」を北へと進む。
 この道の西側は「大和郡山市」である。
 「下ッ道」は正面の「京奈和自動車道」を複雑な経路で潜る。

 潜った所の左手に、朱塗りで「菅田神社」と扁額が掲げられた鳥居が建っている。
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 社号柱、灯篭も建っている。
 社号柱には「式内郷社 菅田神社」と記されている。
 また、灯篭には「一夜松社」と記されている。
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 西へと延びる参道を進む。
 虫小窓の町屋もある。
 また、左手に「御旅所」があるとの案内もある。
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 参道を進むと、そのまま境内へと入って行く。
 奥に「拝殿」が見える。
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 「拝殿」は割拝式である。
 通路には、「一夜松」が奉納されている。
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 「一夜松」とは、かつて、女神が二階堂の菅田池から現れ、西の方へ行って鎮座した。
 すると、そこが一夜にして鬱蒼とした松林になったとのことで、その土地は「一夜松」と呼ばれ、鎮座地も「一夜松天神」と呼ばれたとの謂れである。

 「拝殿」を潜り抜けると、鳥居・瑞垣の中に「本殿」である。
 祭神は、「天目一筒神 (あめのまひとつのかみ)」、あるいは「菅田比古命」とされている。
 この神社の創建は不詳であるが、当初、菅田氏の祖神とされる「菅田比古命」を祀ったものと思われる。
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 境内社が祀られている。
 先ずは、「厳島神社」、「春日神社」である。
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 更に、「皇大神宮」、「祓戸大神」である。
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 境内を一周した後、神社の西方向に出て見ると、そこには「佐保川」が流れ、「三郷橋」が架かっている。
 その橋を渡った道路の先は、「平端駅」へと通じている。
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 そしてこの地点で「二階堂駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線7/天理線1・平端駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から6駅目の奈良県大和郡山市の「平端駅」である。

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 「平端駅」で下車する。
 橿原線のホームからは、天理線のホームが見える。
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 更に天理駅方向へ延びる線路も見える。
 そして東方向の遠景である。
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 駅舎を出る。
 駅前にはロータリーがある。
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 駅前の道を北へと進む。
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 少し進んだ所に線路を渡る踏切がある。
 これを渡り、東方向へと進む。
 少し進んだ左側(北側)にお堂が建っている。
 その先の水路を渡る橋の袂には、「五輪塔覆堂」と表示されている。
 橋を渡ってみる。
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 参道を進むと、お堂の正面が近づく。
 堂内は見えないが、「五輪塔」と、幾つかの「灯篭」が安置されているとされている。
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 重要文化財である。
 説明文によると、「筒井順慶」の墓に相当するものであるとのことである。
 「筒井順慶」は、「筒井城」を根城として、戦闘を繰り広げた結果、この地の権力者として「郡山城主」となり、その城で最期を迎えたとされる。
 亡骸は、一旦、「円証寺」に埋葬されたが、改葬され、この地に埋葬されたとされている。
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 「平端駅」では他に見るべきものが無いようなので、駅へと戻り、先ほどホームから見えた支線の「近鉄天理線」のミニ探索へと向かうことにしたのであった。

近鉄橿原線6・筒井駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から5駅目の奈良県大和郡山市の「筒井駅」である。

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 「筒井駅」で下車する。
 駅ホームは、この「近鉄橿原線」では珍しい高架である。
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 高架の下は商店街である。
 「筒井」と云う駅名・町名は、興福寺一乗院宗徒で、戦国武将であった「筒井氏」「筒井順慶」に由来する。
 駅の北東方向はその「筒井氏」が城を築いた「筒井城」の跡地であるので、それを訪れてみる。
 先ずは、駅前の道を北へと進み、途中、右折して東へと進む。
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 「吉野街道」と交差する。
 住宅の間の細い通路を更に東へと進む。
 すると農地の入り口に、「筒井順慶城趾」の標柱が建っている。
 そして、その向こうには、こんもりとした杜が見える。
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 畦道を東へと進む。
 東から西方向に城跡を眺めてみる。
 城跡は広い草地である。
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 城跡の説明板がある。
 城の概略図や上空からの写真、また発掘調査の写真も示されている。
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 また草地の周囲には、堀跡の遺構と思われるレンコン畑や水路が見られる。
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 城跡の東にある神社の杜へと行く。 
 社頭は北向きで、社号柱「式内 菅田比賣(すがたひめ)神社」、そして少し奥まって鳥居が建っている。
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 鳥居を潜ると、参道は右折する。
 正面には、東向きに「割拝式拝殿」が祀られている。
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 「拝殿」の背後には「本殿」が祀られている。
 本殿の祭神は「伊豆能売(いずのめ)神」とされている。
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 また境内社として、本殿横に「八幡宮」、そして「稲荷神社」などが祀られている。
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 「菅田比賣神社」を後に、東へと進む。
 途中の三叉路の中央に「辻地蔵」が祀られ、交差点を南下し、「専念寺」の門前を通過する。
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 左側(東側)に、南向きに「八幡神社」が祀られている。
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 正面は「割拝式 拝殿」である。
 「拝殿」を潜ると、鳥居・瑞垣の中に、本殿が祀られている。
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 「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「足仲彦命(仲哀天皇)」、「誉田別命(応神天皇)」、「息長足姫命(神功皇后)」の一家である。
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 更に「本殿」の周囲に境内社が祀られている。
 「水神社」、「春日神社」、「住吉神社」である。
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 そして、本殿エリアの外に、「金毘羅宮」が祀られ、「筒井順慶公之碑」も建てられている。
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 この「八幡神社」の造作は、先の「菅田比賣神社」とよく似ている。
 「筒井城」の城内にあり、城の守護神であったことは間違いがないが、どちらかが模したものとの説もあり、「八幡神社」は「式内社論社」と云う考えもある。

 そしてこの地点で「筒井駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線5・近鉄郡山駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から4駅目の奈良県大和郡山市の「近鉄郡山駅」である。

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 「近鉄郡山駅」で下車する。
 駅前は、東へ延びる商店街、南へ延びる商店街など、幾つかの商店街がある。
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 線路沿いを「郡山城」がある北方向へと進む。
 途中の公園には、金魚のモニュメントもある。
 左折し、右手に堀を眺め、「鉄御門跡」から入城する。
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 「郡山城」は、中世よりの城であるが、戦国時代には地元の「筒井順慶」、そして「豊臣秀長」、江戸時代には「水野氏」、「松平氏」、「本多氏」などの徳川家臣が城主となり、江戸中期以降は「柳沢氏」が城主と務めたとされている。

 城内の案内図である。
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 先ずは右折し、左手に堀を見ながら進む。
 行く手に櫓が見えて来る。
 「追手向櫓」である。
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 そして、「追手門」に到着する。
 左から「追手向櫓」、中央が「多聞櫓」、右が「追手門」である。
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 「追手門」を潜り、「本丸」跡地へと入り、櫓を振り返る。
 これらの櫓は、昭和の時代に復元されたものである。
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 南方向には、「毘沙門曲輪跡」がある。
 そこには茅葺の東屋が建てられている。
 またその向こうに、「柳沢文庫」が建っている。
 そして、西方向に「天守台」との間には堀がある。
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 北側へ行くと、明治時代の建築である「旧奈良県立図書館」がある。
 そしてその南に、「十九間多聞櫓」と「東隅櫓」が建っている。
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 城内の幾つかの方向から「天守台」の石垣が望める。
 後程登ってみることにする。
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 一旦、南へと下がり、「天守台」のエリアへと進む。
  「天守台」の南には「柳澤神社」が祀られていて、長い参道となっている。
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 そして「本殿」である。
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 「柳澤神社」は、「将軍綱吉」の側用人であり、「柳沢家」の中興の祖でる「柳沢吉保公」を祭神としている神社である。
 「柳沢家」は、「吉保」の子息「吉里」を初代として、「享保年間」から明治維新まで郡山城主を努め、郡山に金魚の養殖を始めとする様々な功績により、明治13年に旧藩士によって神社が創建されたとされている。

 そして「天守台」である。
 眼下に神社の本殿が、堀の向こう、南方向に学校が見える。
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 東方向である。
 「旧県立図書館」、そして「追手門」の櫓が見える。
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 神社の参道を下り、堀を渡り、鳥居を潜る。
 そこは先ほどの学校の正門前である。
 「県立郡山高校」と云う。
 校舎の前には「表門趾」の石碑が建っている。
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 そしてこの地点で、「近鉄郡山駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線4・九条駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から3駅目の奈良県大和郡山市の「九条駅」である。

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 「九条駅」で下車し、駅の東側へと出る。
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 北側の風景である。
 マンホールも郡山らしく金魚のデザインである。
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 南側に東へと延びる広い道路があるので、これを進む。
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 500m程度進むと、そこには「平城京 西市跡」がある。
 当時、「平城京」には、「東市」、「西市」と市場が設けられていたその跡である。
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 道は南へと下がり、交差点があるのでそれを東へ進む。
 秋篠川に出会う。
 川沿いに東へ進むと「九条公園」と云うのがある。
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 スポーツ公園でもあり。体育館やグラウンドがある。
 その一角に「富本銭(ふほんせん)出土地」とある。
 富本銭と云えば和同開珎(わどうかいちん)よりも古い我が国最初の貨幣である。
 明日香村の飛鳥池遺跡で大量に出土されているが、最初に発掘されたのがこの地とのことである。
 また、公園の隣には、道路の先にずっと見えていた高い煙突の清掃工場もある。
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 「秋篠川」に沿って東に進む。
 途中に「JR大和路線」の線路を渡る。
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 そして「秋篠川」は、北から流れて来る「佐保川」に合流する。
 今度は「佐保川」沿いを南へと進む。
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 「佐保川」の左岸には大きな化学工場がある。
 また、右岸の西方向の少し遠くには、JRの電車も見える風景がある。
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 南へ進むと自動車道の「羅城門橋」の袂へと出る。
 その東側に「平城京羅城門跡公園」と云う一角がある。
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 公園内には、幾つかの石碑や歌碑が配置されている。
 先ずは、平城京跡の調査を行い、存在を明らかにした「北浦定政」の記念碑・歌碑である。
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 そしてお馴染みの古代大和の歌である。
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 公園の東には、「国道24号線」が通っている。
 その国道の交差点「西九条町南」の東南部に「イオンモール」がある。
 そして道路際には、「十条々間北小路」の看板が建っている。
 「平城京」は、「九条」までではなく、「十条」の通りもあったとの調査研究の結果とのことである。
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 そしてこの地点で、「九条駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線3・西ノ京駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」から2駅目の奈良市の「西ノ京駅」である。

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 「西ノ京」とは、「平城京」の朱雀大路の西一帯の右京を指す地名である。
 そして「西ノ京駅」は、「薬師寺」や「唐招提寺」の最寄り駅として、良く知られている。

 「西ノ京駅」で下車する。
 駅前から「薬師寺」への参道入り口があるが、今回は駅の西側を訪れて見ることにする。
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 駅の西側の道を少し北へ進むと、「がんこ一徹長屋」という看板と門がある。
 大和奈良の伝統工芸の工房が並ぶ職人長屋である。
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 入ってみる。
 手前の工房の工芸品を眺めてみる。
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 同じような構えの工房が並んでいるが、そのショーウインドーを眺めてみる。
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 突き当りには、構えの異なる工房もある。
 「赤膚焼」、「ならくみひも」、「茶釜」の工房である。
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 裏門から出ると、目の前に「墨の資料館」ある。
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 「墨の資料館」に入ってみる。
 2階、3階が展示場となっている。
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 また、3階では墨造りの実演を見ることができる。
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 「墨の資料館」の北隣には、神社の裏参道があるので、入ってみる。
 「拝殿」があり、その拝殿前には「神牛(撫で牛)」が祀られていることから「天満宮」と思われる。
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 そして、「拝殿」背後の「本殿」である。
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 東へ向かう「表参道」を退出方向へと進む。
 途中に、境内社「氣比神社」が祀られている。
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 そして社頭に到着する。
 神社名は、「養(よう)天満宮」であった。
 鳥居から先の参道は、「近鉄橿原線」の踏切を横切っている。
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 後で調べて見ると、創建年代は不詳とのことである。
 「本殿」の祭神は「菅原道真公」、「本殿」の左右に祀られている小祠は「伊勢熊野神社」・「蛭子神社」とのことである。

 踏切の東方向にある道路を駅方向へと南下する。
 左手に「玄奘三蔵院(げんじょうさんぞういん)伽藍を垣間見る。
 そして「冠木門」前を通過する。
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 突き当たった所が「薬師寺」の「白鳳伽藍」の北入り口の「與楽門」である。
 そして、「国宝 東塔」を垣間見て、駅へと戻り、「西ノ京駅」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄橿原線2・尼ヶ辻駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。
 今回は「大和西大寺駅」の南隣の奈良市の「尼ヶ辻駅」である。

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 「尼ヶ辻駅」で下車する。
 駅のホームから、「垂仁天皇陵」が間近に見える。
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 駅舎の横には、「菅原 天満宮 喜光寺 道 北」の案内柱が建っている。
 これらの寺社訪問は後程として、駅横の道を南へと進む。
 「天皇陵」が近づく。
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 周郷に出ると「天皇陵」の全容が見えて来る。
 前方後円墳の手前に小さな島がある。
 「田道間守墓」と伝えられる「湟内陪冢」である。
 そして、拝所への入り口がある。
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 拝所である。
 標柱には、「垂仁天皇菅原伏見東陵」と示されている。
 尚、古墳名は「宝来山古墳」である。
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 拝所からは、近鉄電車の線路が見える。
 拝所の南部へ行くと、「陪塚は号」もある。
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 天皇陵の西側へと廻る。
 前方部の南端と後円部である。
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 天皇陵を後にして、駅前へと戻る。
 そして線路に沿って北へ進み、交差する「暗(くらがり)越奈良街道(国道308号線)」を西へと進む。
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 途中で右折し、「阪奈道路」を陸橋で渡る。
 陸橋上から「法相宗別格本山 喜光寺」が見える。
 手前は「南大門」、奥側が「本堂」である。
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 「喜光寺」は、奈良時代に「僧 行基」により開山された寺院とされている。
 この辺り一帯は、「土師氏」、後の「菅原氏」保有の土地で、「行基」に寄進されたものとされている。
 また、「本堂」であるが、「行基」が「東大寺 大仏殿」を建立する際に、10分の1のモデルとして建てたとの伝承から、「試みの大仏殿」とも云われる。

 先ずは「南大門」である。
 楼門形式で、左右に仁王像が安置されている。
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 「南大門」を潜ると正面には、重要文化財の「本堂」である。
 「本堂」には、創建当時の名称である「菅原寺」の扁額も掲げられている。
 そして、堂内には本尊の「阿弥陀如来坐像」が安置されている。
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 また、境内には、「弁天堂」、「行基堂」、「転法輪像 仏足石」などが祀られている。
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 他にも、「会津八一」の歌碑がある。
   「ひとりきてかなしむ てらのしろかべに 汽車のひびきの ゆきかえりつつ」
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 更に、万葉歌碑も建てられている。
 「石川郎女」の、「大き海の 水底深く 思ひつつ 裳引き平らしし 菅原の里」である。
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 「喜光寺」を後に、東へと行く。
 式内社の「菅原神社」、現在の「菅原天満宮」が祀られている。
 「土師氏」の祖神の「天穂日命」を祀ったもので、日本最古の天満宮ともされている。
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 境内には、「拝本殿」、「土蔵」などがある。
 本殿の祭神は、「天穂日命」、「野見宿祢命」、「菅原道真公」とされている。
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 更に東へと進む。
 そこには、「菅原はにわ窯公園」がある。
 「土師氏」が係わっていたとされる埴輪製作用の窯跡が公園化されているものである。
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 「馬型埴輪」などの復元がなされ、並べられている。
 尚、この辺りの住所地は、「菅原東町」とのことである。
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 そしてこの地点で、「尼ヶ辻駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄橿原線1・大和西大寺駅

 「近鉄奈良線」及び「近鉄京都線」の「大和西大寺駅」と、「近鉄南大阪線」及び「近鉄吉野線」の「橿原神宮前」とを南北に結ぶ「近鉄橿原線」の各駅を途中下車で訪ねてみる。

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 今回は「近鉄橿原線」の北の起終点駅の「大和西大寺駅」である。

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 「大和西大寺駅」で下車する。
 以前の訪問では、駅の南側を探索したので、今回は北側の探索とする。
 駅舎の北面、そして北のロータリーである。
 駅の北側は、百貨店やショッピングビルが立ち並ぶ賑やかなところである。
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 駅の北西方向の「秋篠(あきしの)寺」を目指す。
 「秋篠寺」までは約20分の歩きで、2km弱の道のりである。

 東向きの「東門」から入る。
 正面は白い土塀である。
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 これを左折すると左側に、「香水閣」という井戸、そして春日大社始め多くの神社の祠の「十三社」が祀られている。
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 そして右折すると左手は苔蒸した林である。
 「金堂」や「西塔」、「東塔」があった跡とされている。
 この風景は、「奈良の苔寺」とも云われる。
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 右側の土塀の先を右折する。
 正面に国宝の本殿が祀られている。
 元々は、この場所には「講堂」があったのであるが、跡地に鎌倉時代に建立されたものである。
 堂内には、本尊の「本尊薬師三尊像」や「伎芸天像」などが祀られている。
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 「本堂」の左右に、「鐘楼」、「開山堂」、「十三重石塔」が建っている。
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 また、本堂の西には、「大元帥明王像」を安置する「大元堂」、そして「霊堂」が建っている。
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 西の端には「本坊庫裏」があり、更に西の境外に「秋篠窯」の工房があることの案内、そして「南門」を潜って退出したのであった。
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 「秋篠寺」は、奈良時代、「光仁天皇」の勅願により「善珠」が創建したとされる。
 当初は「興福寺」や「薬師寺」と同じ「法相宗」であったが、その後「真言宗」に、そして現在は無宗派の「単立寺院」である。

 「南門」を出た右手(西側)には、「崇道天皇」以下御霊八所を祭神とする「八所御霊神社」が祀られている。
 かつては「秋篠寺」の鎮守社であった云われる神社である。
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 そしてこの地点で、「大和西大寺駅」の北側のミニ探索を終了したのであった。

近鉄けいはんな線8・学研奈良登美ヶ丘駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「近鉄けいはんな線」の起終点の東大阪市の「長田駅」から7番目の駅で、東の起終点である奈良県奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」である。

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 「学研奈良登美ヶ丘駅」で下車する。
 起終点の線路にはその先がない。
 また、ホーム下の地上階コンコースには「近鉄グループ」と「奈良先端大」との合同展示のコーナーも設けられている。
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 駅舎の外へ出る。
 駅の北側の眼下には「国道163号線」が通っている。
 その西方向、東方向の風景である。
 東方向の遠くには、学研都市の「けいはんなプラザ」が見える。
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 そして駅の北側に隣接して公園があり、南側に掛けて「バスロータリー」がある。
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 駅舎の南側である。
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 東から、「KinderKids」と云う施設がある。
 そして、平屋の店舗が並ぶ。
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 その西は、クリニックや学習塾が入る、「リコラス登美ヶ丘」と云うビルがある。
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 駅舎の西方向である。
 駅の下には広い道路が通っていて、南方向は「近鉄奈良線 学園前駅」へと繋がっている。
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 この道路の西には「イオンモール」があり、ショッピングを楽しむところである。
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 駅舎の周りを一周したところで、「学研奈良登美ヶ丘駅」のミニ探索を終了する共に、「大阪メトロ中央線・近鉄けいはんな線」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄けいはんな線7・学研北生駒駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「近鉄けいはんな線」の起終点の東大阪市の「長田駅」から6番目の駅である奈良県生駒市の「学研北生駒駅」である。

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 「学研北生駒駅」で下車する。
 ホームは高架で、地上のコンコースも広い。
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 駅舎も立派で、カフェレストランもある。
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 駅前には、バス停を含むロータリーもある。
 そしてその南には「ならやま大通り」が通っている。
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 「ならやま大通り」を東へ進み、途中から住宅街の中の道を南下する。
 15分程度歩くと、「長弓寺」の門前へと到着する。
 「大門」を潜り、車道に平行している参道を東方向へと進む。
 左手に塔頭の「宝光院地蔵堂」が建っている。
 更に進むと、朱塗りの柵で囲まれた「蓮池」に到着する。
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 「蓮池」に沿って左折し、北へと参道を進む。
 そして境内へと入る。
 正面に「長弓寺 本堂」が見えるが、後程とする。
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 案内図がある。
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 「本堂」石段の手前で、右手の神社へと進む。
 「牛頭天王宮」の石灯篭が建つ。
 「長弓寺」のかつての鎮守社で、「伊弉諾神社」である。
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 神社の境内を進む。
 「舞殿」、「拝殿」、「本殿」と並ぶ。
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 「本殿」の祭神は、「素盞嗚命」、「伊邪那岐命」、「大己貴命」とされている。
 創建は奈良時代天平年間で、「式内社大社」である。
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 「伊弉諾神社」を後にして、「長弓寺 本堂」前へと行く。
 「本堂」は鎌倉時代の建築とされ、国宝である。
 そして本尊は、重要文化財の「十一面観音」である。
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 「長弓寺」の創建は不詳であるが、一説には、鳥見郷の豪族である「小野真弓長弓」が不幸な最期を遂げたので、それを憐れんで、聖武天皇が僧「行基」に命じて開山させたとされる。

 「本堂」の左手には、「大師堂」、そして「石碑」が並んでいる。
 「大師堂」の中には、大和十三仏の一つである「勢至菩薩」、そして「弘法大師像」が祀られている。
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 「本堂」右手には「宝殿」、正面には鐘楼「まゆみの鐘」が設置されている。
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 「塔頭」が四院建っている。
 西側に、「宝光院」、「法華院」、円生院」が建つ。
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 また、面白い形状の土塀もある。
 そして東側には、「薬師院」、並びに「薬師院会館」が建つ。
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 「長弓寺」を後にして、「学研北生駒駅」へと戻り、ホームにて上下線それぞれの車両を眺め、この駅周辺のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄けいはんな線6・白庭台駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「近鉄けいはんな線」の起終点の東大阪市の「長田駅」から5番目の駅である奈良県生駒市の「白庭台駅」である。

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 前回の「生駒駅」を過ぎた「近鉄けいはんな線」は、「近鉄奈良線 東生駒駅」の傍を通過し、北上してゴルフ場の下の約3.6kmの「東生駒トンネル」を抜けて、今回の「白庭台駅」に到着する。

 「白庭台駅」で下車する。
 駅は「東生駒トンネル」に続いて設置され、その先もトンネル(「白庭台トンネル」)である。
 ホームは半地下で、コンコース・駅舎は地上階である。
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 また、駅の東側に隣接して、「白庭病院」が建っている。
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 駅横には南北に広い道路が通っている。
 「けやき通り」と云い、これを北へと進む。
 少し進むと、公園があり、公園に沿って左折すると、そこは「ハナミズキ通り」で、これを西方向へと進む。
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 途中に「かんじょういけ緑道」と交差し、奈良北部の主要道路の「ならやま大通り」へと出る。
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 「ならやま大通り」を西方向へと進む。
 少し行くと右手に池が見える。
 そして池の対岸にお堂が見える。
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 お堂は背後の山崖も合わせて、「稲葉谷安永磨崖笠行者像」と云われている。
 お堂の内部には、「阿弥陀坐像」、「地蔵像」、「笠地蔵像」が安置されている。
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 お堂の右側には、背後の山崖への通路があるので、登ってみる。
 頂上付近には、右手に「石灯篭」、左手の懸崖に「摩崖笠行者像」が彫られ、上部には岩の笠が突き出ている。
 生駒市は、古代には修験道が盛んなところであり、このような事例がいくつも見られるとのことである。
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 山崖の裏側は、石垣が積まれ、崩れないようにとの配慮が見られる。
 またそこにあるバス停は、「しらたに公園」と云う。
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 北側にも池があるので、その畔に行ってみる。
 そこには「長髄彦(ながすねひこ)本據(ほんきょ)」と刻された石碑が建てられている。
 「日本書紀」や「古事記」に記載されている神話の一部で、東征する「神武天皇」の軍と戦い敗れた「長髄彦の本拠地」であるとされている所である。
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 この地域は、古代の歴史が数多くみられるところである。

 駅への帰路へと向かう。
 2つの池の東で、「ならやま大通り」の手前に幼稚園とは思えない造りの「白庭台幼稚園」が建つ風景が見られる。
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 そしてこの地点で、「白庭台駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄けいはんな線5・生駒駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「近鉄けいはんな線」の起終点の東大阪市の「長田駅」から4番目の駅である奈良県生駒市の「生駒駅」である。

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 前回の「新石切駅」から、5km弱の「生駒トンネル」を潜り、「生駒駅」に到着する。
 その「生駒駅」で下車する。
 近鉄線同士の同じ「生駒駅」であるが、改札で区切られている構造となっている。
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 コンコースや改札の外は階上で、南西方向に「生駒山」、北隣には「近鉄百貨店」がある。
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 以前の「近鉄奈良線 生駒駅」の下車では、この「生駒山」山麓を含む南方面を探索したので、今回は駅の北側の探索とする。
 「近鉄百貨店」前の広い通路を進む。
 右手階上に「生駒駅前図書室 木田文庫」と云うのが見える。
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 進んで行くと、幾つかの学習塾が見える。
 そして階段を降り、地上道路へ出ると、「教育支援施設」もある。
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 道路を北へと進み、交差点を左折れする。
 その交差点にも、学習塾がある。
 この「生駒駅」の北側は、子供たちの勉強ゾーンである。
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 左折れした坂道を進む。
 右手に「芸術会館美楽来(みらく)」と云う生涯学習施設がある
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 門から入ってみる。
 右手に青銅製の人物像が並ぶ。
 そして会館である。
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 内部に入ってみる。
 広いロビーがある。
 ロビー手前の部屋では、絵画の展示会が行われている。
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 またロビーのガラス越しに、見事な造作の庭園も見える。
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 この施設は、今から23年前の開設とのことである。
 このような市民のための施設が駅近にある。
 駅前の図書館や学習塾と合わせて、「生駒駅」の北側は、子供から大人までの学習ゾーンであった。
 
 そしてこの地点で「生駒駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄けいはんな線4・新石切駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「近鉄けいはんな線」の起終点の東大阪市の「長田駅」から3番目の駅である同市の「新石切駅」である。

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 「新石切駅」で下車する。
 ホームから東方向に、生駒山が間近に見える。
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 駅舎の外は陸橋であり、もう一度生駒山のアンテナ群を眺めて見る。
 数多くのアンテナが並んでいる風景が見える。
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 地上に降りて、駅舎を眺め、「石切神社」への参道方向へと進む。
 しばらく進むと、「石切神社参拝道」の石柱が建つ参道口である。
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 そこには、「石切宮」の扁額の「一ノ鳥居」、そして「石切劔箭(つるぎや)宮」と刻された社号柱が建っている。
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 鳥居を潜り北方向への参道を進む。
 神門のような社殿が見えて来る。
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 「絵馬殿」と云う。
 「絵馬殿」の左横には、青銅製の親子の神牛が祀られている。
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 「絵馬殿」を潜り、参道を更に進む。
 「三ノ鳥居」と社号柱が建つ境内入り口に達する。
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 「石切劔箭神社」の境内図である。
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 鳥居を潜ると左手には「水神社」、右手には「神武社」、「五社明神社」が祀られている。
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 境内正面は「本殿」である。
 多くの人が「百度参り」をしている。
 この神社は、「でんぼ(関西弁で腫れ物)の神様」としての御利益があり、全国的に有名でもある。
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 「石切劔箭神社」は創建が紀元前の神武天皇の時代とされる「式内社」である。
 そして「本殿」の祭神は、「饒速日尊(にぎはやひのみこと)」、饒速日尊の御子の「可美真手命(うましまでのみこと)」とされている。

 境内の東には、「東庭園」がある。
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 「本殿」の周囲には、幾つかの境内社が祀られている。
 先ずは右手である。
 「穂積神霊社」、「一願成霊尊」、そしてその背後は「穂積殿」である。
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 左手は、「乾明神社」、そして「神興殿」などが並ぶ。
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 そしてこの地点で、神社境内を一周したことになり、「新石切駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄けいはんな線3・吉田駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から15番目の駅で、「近鉄けいはんな線」の「長田駅」から2番目の駅である東大阪市の「吉田(よした)駅」である。

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 「吉田駅」で下車する。
 「近鉄けいはんな線」はこの駅から「中央大通り」の上部に設置された高架駅となる。
 またホームには、「ホームセンサー」も配備されている。
 更に、ホームの上部には、「阪神高速」の高架道路も通っている。
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 駅舎を出る。
 下に見える「中央大通り」の東方向、西方向の眺めである。
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 階段を北方向へと降りる。
 少し行くと北側に児童公園がある。
 「今米公園」と云う。
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 そしてその北側に、木々が連なる杜がある。 
 その東向きの正面まで行ってみる。
 そこは、江戸時代初期、「大和川」の付け替えを行い、度重なる洪水から大阪平野を救った「中甚兵衛」の記念碑が建てられているエリアである。
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 一対の狛犬が祀られている。
 由緒が記された石碑も建っている。
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 そして本体の記念碑である。
 石碑には、「贈從五位中甚兵衛翁碑」と記されている。
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 今度は、「中央大通り」を渡って、南方向へ行く。
 そこには、「式内社 大津神社」 鳥居を潜り、進む。鳥居を潜り、進む。
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 正面は、「拝殿」そして背後は覆屋に包まれた「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「大土神(津速比賣)」とされている。
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 この神社の創建年月は不詳であるが、この地は古代、河内湖沼の港津であり、「大津神社」と名付けられたものと考えられる。

 境内社として「八幡神社」が祀られている。
 そして、「古水走太鼓台格納庫」もある。
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 この辺り一帯は「水走(みずはい)」と云う。
 大阪の難読地名の一つである。
 少し東へ行けば、「阪神高速」の「水走ランプ」もある。
 この地は、平安時代から室町時代の集落遺跡である「水走遺跡」と合わせ中臣氏系土豪の「水走氏」が河内の拠点として栄えたものと考えられる。
 その住所標を確認し、「吉田駅」へと戻り、この駅のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄けいはんな線2・荒本駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から14番目の駅で、「近鉄けいはんな線」の「長田駅」の隣の駅である東大阪市の「荒本駅」である。

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 「荒本駅」で下車する。
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 駅の上は「中央大通り」であり、これを西方向へと進む。
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 「荒本駅」は「東大阪市役所前」でもある。
 地上22階の市役所の庁舎が見えてくる。
 尚、市役所の右に見える囲いは、「イオン東大阪店」の解体撤去の工事現場である。
 イオンは今年の3月末に閉店され、この後は「大阪モノレール」の駅になるとのことである。
 市役所の「中央大通り」側には、南の入り口もある。
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 「中央大通り」沿いに進む。
 市役所を振り返る。
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 市役所の隣の建物は、「クリエーションコア東大阪 南館」である。
 この施設の中には大阪府が関係する「MOBIO」も同居している。
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 更に、西へと進む。
 「JAグリーン大阪 本店」がある。
 その手前の路地を北へ抜けると「化学物質評価研究機構(CERI) 大阪事業所」がある。
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 東へと進む。
 「クリエーションコア 北館」の正面へと出る。
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 そして東へ進むと、北側に「大阪府立中央図書館」が見える。
 その対面は、市役所の正面玄関である。
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 そして市役所の東側へと回り込んで、「荒本駅」のミニ探索を終了したのであった。
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大阪メトロ中央線14/近鉄けいはんな線1・長田駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から13番目の駅で、「近鉄けいはんな線」の一番目の駅である東大阪市の「長田駅」である。

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 「長田駅」で下車する。
 この駅からホームには、ホームセンサーが設置されている。
 駅を地上へと上がると、そこは「中央大通り」でである。
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 「中央大通り」の上部には、「阪神高速東大阪線」があり、西側に「長田ランプ」、東側に「近畿自動車道」との交差部である「東大阪院インターチェンジ」がある。
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 西へと進み、直ぐの交差点を左折する。
 そして左折する。
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 そして右折し、直ぐの路地に入る。
 この付近の住所は「長田2丁目」、路地の突き当りに神社の裏入り口が見える。
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 路地を回り込み、神社の正面へと進む。
 鳥居と、「式内社 長田神社」と記された社号柱とが建つ社頭である。
 鳥居を潜ると、境内である。
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 境内右手には「おかげ灯篭」が立ち、左手(北側)にはお堂がある。
 お堂は「摂取庵」と云い、内部には「子安地蔵」と呼ばれる鎌倉時代末期作の「木造地蔵菩薩立像」が安置されている。
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 境内正面は「拝殿」そして「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「品陀別命(応神天皇)」、「息長足姫命(神功皇后)」、「多紀理毘売命」とされている。
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 この「長田神社」の創建は不詳であるが、「式内社 意岐部神社」の論社とされていることから、少なくとも平安時代初期までには創建されたと考えられる。
 またこの「長田神社」は、百済からの渡来民族の「長田使主」の祖神ともされている。

 「本殿」の左側には、境内社の「塞神社」、「竜王明神社」が祀られている。
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 更に右側には、「稲荷神社」、集合社で「琴昆羅神社」、「水神社」、「愛宕神社」が祀られている。
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 神社を出ると、玉垣の南隣には「だんじり小屋」、鳥居前には「歯痛地蔵尊」、「一乗寺」も隣にある。
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 そしてこの地点で、「長田駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ中央線13・高井田駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から12番目の駅である東大阪市の「高井田駅」である。

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 「高井田駅」で下車する。
 「高井田駅」は、「JRおおさか東線 高井田中央駅」との乗換駅でもある。
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 以前、「JRおおさか東線」のミニ探索で、駅の北側の下水処理場の屋上にある「川俣スカイランド」を訪ねたので、今回は東南方向の「西堤神社」訪ねてみる。

 駅上の通りは「中央大通り」である。
 これを東へと進む。
 進んで行くと駅の東出入り口があり、間もなく「長瀬川」とその緑地公園を渡る。
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 そして次の交差点を右折、南方向へと進み、左折し、街中の道へと入る。
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 この辺りの住所地は「西堤」である。
 進んで行くと、右手に「西堤公園」がある。
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 更に進むと、突き当りに神社の「玉垣」が見えて来る。
 「玉垣」に沿うように右折する。
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 角に地蔵堂が祀られている。
 その背後は公園で、公園の向こうに木々の間から神社の本殿が見える。
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 公園の道路を挟んで、「西堤幼稚園」がある。
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 東へ行くと広い道路に出て、その北側が神社の社頭である。
 「西堤(にしつつみ)神社」である。
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 鳥居を潜ると右手に朱塗りの垣で囲まれた祠がある。
 回り込んでみると、「水神社(うろこ殿)」である。
 日照りが続いた時の雨乞いに御利益がある神社とのころである。
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 参道を進む。
 正面は「拝殿」である。
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 そしてその背後は「本殿」である。
 祭神は、「天照皇大神」、「豊受大神」とされている。
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 この「西堤神社」の創建は不詳であるが、「西堤」の名は、現在の大東市に「勿入淵(ないりふち)」という池があり、その「西堤」に住まいしていた人達が、16世紀ごろに移り住んだとの起こりとされている。

 「本殿」の右手に境内社が3社祀られている。
 左から、「天満宮」、「施無畏(せむい)八大龍王社」、「稲荷社」である。
 尚、「施無畏八大龍王社」の祠の中には、「せむい八大龍王」を中央に、左に「弘法不動妙王尊」、右に「一畑眼病薬師」が祀られている。
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 これらの境内社の背後には、樹齢約400年と云われる「大楠」がある。
 また北側には「西堤だんじり小屋」、そして北側の参道口がある。
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 神社への参拝を終了し、そしてこの地点で「高井田駅」のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ中央線12・深江橋駅

 大阪市の「コスモスクエア駅」と、奈良市の「学研奈良登美ヶ丘駅」の両駅を起終点とする「大阪メトロ中央線・近鉄けはんな線」の各駅を下車して訪ねてみる。
 今回は、「コスモスクエア駅」から11番目の駅である大阪市東成区の「深江橋駅」である。

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 今回は、前回の「緑橋駅」の続編として、「旧千間川」を「平野川分水路」から「深江橋駅」に向けてのミニ探索である。

 先ずは、「平野川分水路」に架かる「永田小橋」を渡る。 
 その、南北の風景である。
 南には、高架の「阪神高速」が見える。
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 橋を渡ると、「緑陰道路」が続く。
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 住所は、最初は「東成区 神路1丁目」、次に「東成区 深江北1丁目}と変わる。
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 緑道は歩道となり、更に続く。
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 そして、広い自動車道である「内環状線」へと突き当たる。
 そこは「深江橋」で、「中央大通り」との交差点である。
 その「内環状線」の南北の風景である。
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 この辺りの「千間川」に「深江橋」が架かってたとのことであるが、その詳細は不明である。
 尚、「千間川」はこの先の「中高野街道」まで続いていたとのことである。

 交差点に「深江橋駅」の出入り口がある。
 そして、駅ホームに降りて、「深江橋駅」のミニ探索を終了したのであった。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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