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『奈良・100年会館』

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 JR奈良駅の西側の路地を歩いていた時、路地の外れに突如現れた海のクジラのような建物にビックリした。
 初めて見る光景である。
 表に回り込んでみると、その建物は「なら100年会館」、有名な建築家・磯崎新(あらた)氏の設計の多目的ホールである。

 奈良市の市制施行100周年記念事業の一環として14年前にオープンし、大、中、小のホールを備えた奈良県内最大のホールである。

 5年ほど先輩の京都にある京都コンサートホールとどこか似ていると思えば、このホールも同氏の設計であった。

『栗の実』

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 この前見たときは、はまだ青々としていた栗の実だったが、今日行ってみると一部の実は茶色くなって弾けていた。
 秋が確実にやってきたという実感である。

 栗は日本と朝鮮半島南部原産である。
 日本では北海道の渡島半島あたりから本州、四国、九州に分布している。
 暖帯から温帯域に分布し、特に暖帯上部に多産される。
 これをクリ帯と云うらしい。

 我が国ではほぼ全都道府県で栗があり、その生産量は、茨城県、熊本県、愛媛県、岐阜県、埼玉県の順である。 また名産地としては兵庫県・京都府にまたがる丹波地方が有名である。

『コスモス』

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 コスモスが咲き始めた。
 秋の花と云えばコスモスだが、この花は日本古来の花ではない。
 明治の中ごろに輸入された花で、元々はメキシコの高原で咲いていた花で、江戸時代中ごろにスペインに伝えられコスモスと名付けられたものである。

 近年は、休耕田にコスモスを植え、観光客誘致の動きも活発となっている。
 秋と云えばコスモス、皆様方のご近所でもコスモス畑が展開されているのではなかろうか?

『夕焼帆船?』

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 この日の夕焼雲、どこか帆船に見える。

 我が国の帆船は航海練習船の日本丸、海王丸が良く知られているが、どちらも現在は2世である。
 その1世は、日本丸は横浜みなとみらい21で展示・保存、海王丸は富山新港海王丸パークにて一般公開されている。

 帆船が優雅に大海原を航海している姿を想像すると、夢・ロマンへと誘われる。

『白い彼岸花』

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 夕焼けにほんのり照らされた彼岸花である。
 この日は秋の彼岸の入りの日、白い花も赤い花も真っ盛りで、目を楽しませてくれている。

 暑さ寒さも彼岸までと云われるが、まだ気温は30℃越え、
 あと一週間で、秋のさわやかな気候になって欲しいものである。

『岡山・路面電車』

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 岡山市のJR岡山駅前で停車していた岡山電気軌道㈱の路面電車である。
 岡山駅から近くの観光地をのんびりと巡る時などは、運賃も安く便利である。

 我が国には現在20以上の路面電車が運行されている。
 一両が主流であるが、中には複数編成もある。

 路面電車はその街の景観となっていて、落ち着いた街の雰囲気を楽しませてくれる。

『銀河鉄道?』

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 鳥取県JR米子駅前「だんだん広場」にあるモニュメントである。
 JR米子駅は山陰地方の交通の要衝で、それを表現している。

 今にも飛び出して行きそうな列車である。
 銀河鉄道999を題材にしたものであろうか?

 この「だんだん」とは「ありがとう」という意味で、島根県東部から米子市あたりで使われている言葉である。
 そのニュアンスがそのまま気持ちを表現しているように思われる。

『伯耆大山』

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 鳥取県米子市を走るJR伯備線の車窓から見た大山の西側である。
 別名伯耆富士、標高1729m、中国地方の最高峰である。

 大山隠岐国立公園に指定されていて、8合目より上には特別天然記念物であるダイセンキャラボクの日本一の群生地でもある。
 またイヌワシやクマタカやヤマネなどの野生動物も多数生息していて、国指定の大山鳥獣保護区に指定されている。

 中腹には観音霊場である天台宗別格本山大山寺があり、信仰の山でもある。

『大阪四ツ橋』

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 大阪の「四ツ橋」と云うところは、かつて長堀川と西横堀川が十字交差していて、その場所に4つの橋が架けられていたことからその名の起こりがある。

 現在は川も橋も埋め立てられて何もないが、四ツ橋の交差点の中に、石碑と模式的に橋の模型が造られている。
 西横堀川にかかるのは北から上繋橋(かみつなぎばし)、下繋橋(しもつなぎばし)、長堀川には東から炭屋橋(すみやばし)、吉野屋橋(よしのやばし)である。

 余談であるが、過去の大阪検定に正解「吉野家橋」を当てさせる問題があり、選択肢に「松屋橋」「数寄屋橋」「中卯橋」があったことは、大阪らしくて面白い。

『京都・勧修寺』

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 京都市山科区にある勧修寺(かじゅうじ)の氷室池の畔に建つ観音堂である。
 勧修寺は平安時代に醍醐天皇の勅願になった寺である。
 天皇の生母藤原胤子の追善のため創建されたものであり、開基は承俊律師である。

 以来、戦火で荒廃したり、寺領を削られたりしたが、後に徳川氏と皇室の援助で復興した。
 代々法親王が入寺する門跡寺院として格式を誇っていて、現在は真言宗山階派総本山である。

 尚、寺名は「かじゅうじ」と読むが、寺周辺の町名「勧修寺町」は「かんしゅうじちょう」と読まれる。

『曼珠沙華』

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 この季節になると曼珠沙華が開花し始める。
 田の畦道や道路に赤い集団ができ、良く目立つ。
 中には白い花も見られ、この時期の風景である。
 彼岸の時期に咲くことから「ヒガンバナ(彼岸花)」が正式名称である。
 仏教用語から来た「曼珠沙華」とも呼ばれる。

 毒性が強く、食べると吐き気や下痢を催す場合がある。
 希には中枢神経の麻痺を起こして死にいたることもある。
 その毒性から、ネズミやモグラなど田圃を荒らす動物がその毒を嫌って避けるので、田の畦に植えられたものが多い。

 花言葉は、情熱や独立・再会である。

『変った鳥居』

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 大阪市西淀川区の阪神電鉄姫島駅近くにある「姫嶋神社」の鳥居である。

 鳥居上部の島木・笠木の両端が反っている明神鳥居であるが、その反り具合が他に比べて大きく、珍しいものである。
 
 この姫島の名は、難波八十島の一つの稗島から転化した地名であるとか、女神・阿迦留姫命(あかるひめのみこと)が新羅よりこの地・比売島(ひめじま)に遁れて来た由来からとかの説がある。

 この神社前の道は大和田街道と云い、現在は大阪の「歴史の散歩道」の一つである。
 左手へ行けば戦国時代の石山本願寺戦争の折り、織田信長の命にて荒木村重が築いた大和田城跡、更にその先は家康に関係深い佃島へとつながっている。

『京都・祥雲寺の庭』

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 京都市東山区にある智積院の庭園である。
 元々は豊臣秀吉の時代に、秀吉の側室淀君が生んだ長男「鶴松」が早世したことからそれを嘆き、創建した祥雲寺の庭園であった。
  
 豊臣氏滅亡後、祥雲寺は新たに家康により創建された智積院に併合され、その庭も中国式の築山・泉水庭園に改修され現在に至っているものである。

 尚、この寺には長谷川 等伯(はせがわ とうはく)親子の障壁画『楓図』『桜図』など多くの絵画が国宝として保存されている。

『天空の白鷺』

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 兵庫県姫路市の世界遺産姫路城大天守の保存修理事業の作業現場である。
 見学用にエレベータが備え付けられ、8Fまで上がるとガラス越しにこの風景を見ることができる。

 屋根の工事は概ね完了しているようで、この見学も来年1月15日までとのこと。
 最終の工事完了は再来年3月とのことで、また優美な姿を見ることができるのは楽しみなことである。

『ザクロ』

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 この時期、ザクロ(柘榴)の実をよく見かける。
 
 ザクロと云えば安産・子育の神の鬼子母神(きしもしん)に関係がある。

 鬼子母神はインドではその昔、訶梨帝母(カリテイモ)と呼ばれ、嫁して多くの子をもうけたが、しかしその性質は凶暴で、近隣の幼児をさらって食べるので、人々から恐れられた。
 そこで釈迦は、その過ちから帝母を救うことを考え、帝母の末の子を隠してしまった。
 その時の帝母の嘆き悲しむ様は尋常ではなかったと云う。
 そこで釈迦は、
「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」
 と戒め、ザクロの実を与え、人を食べないように諭したのであった。

 帝母は今までの過ちを悟り、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったと云われている。
 このような謂れから、鬼子母神像はザクロを持ち、幼児を抱いた姿となっている。

『オリーブの実』

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 ウオーキングの途中で見つけたオリーブの実である。

 オリーブは春に花を付け、この季節から晩秋にかけて果実を付ける。
 その果実はオリーブ・オイルやピクルスに利用される。
 最近はオリーブオイルブームで、その需要も多い。
 
 オリーブは地中海地方原産で、雨が少なくても栽培できることから、地中海イタリアやスペインで広く栽培されている。
 我が国では、小豆島オリーブが有名である。
 この小豆島は、日本におけるオリーブ栽培の発祥地、かつ日本最大の生産地である。
 地方でいうと、香川県や岡山県が栽培の中心である。

 我が国に最初に伝わったのは明治の初期で、その伝わった木は神戸の湊川神社にある。
 尚、オリーブの枝は平和の象徴とされていて、国際連合の旗にデザインされていることは、良くご存じのことであろう。

『ぎんなん』

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 秋になり、銀杏の木にギンナンが実を付ける季節となった。
 ギンナンは少々匂いがきついが、茶碗蒸しの具に良く使われて、美味いものである。

 ただし、幼児に食べさせるのはちょっと待てと云われている。
 数粒食べただけで、けいれんなど中毒症状を超こすことがあるらしい。

 秋の風物詩、ギンナンの季節はこれから始まる。

『吉野・正行辞世句』

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 奈良県吉野山の如意輪寺に保存されている楠木正行(まさつら)辞世の句である。
 『返らじと 兼ねて思えば 梓弓 
          亡き数にいる 名をぞとどむる』

 南朝吉野の御所にて後村上天皇と別れを告げた正行は、その足で後醍醐先帝の御陵に参拝した。
 そしてその御陵の下で御陵を護るべく建っている如意輪堂の扉板に鏃で辞世の歌を書き留めたのであった。

 この後正行一行各々は髪を切って堂内に投げ込み、足利軍との戦いに挑んで行き、見事に散ったのであった。

『奈良・法華寺本堂』

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 奈良市にある法華寺本堂である。
 奈良時代に藤原不比等の娘、聖武天皇の皇后光明子が不比等の邸宅跡を譲り受け、その場所に発願・創建された全国の国分尼寺の総本山である。

 場所は平城京のすぐ東、一条通に建っている。
 幾たびの戦火で焼失・荒廃したが、現在のものは豊臣秀頼、淀君により再建されたもので、重要文化財となっている。

 内部にある仏像、十一面観音像は光明皇后をモデルにしたものと云われ、国宝となっている。

『塩辛蜻蛉』

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 夏から秋にかけて川べりや野原で良く見かけるシオカラトンボである。
 シオカラトンボは白いものが好きなようで、川べりのコンクリート土手や道路の白線上に良く羽を休める。

 胴体が灰色をしているのをシオカラと呼び、オスである。
 メスは麦藁と色形が似ているのでムギワラトンボと呼ばれる。

 一説には、「シオカラトンボは尻尾が塩辛いからシオカラトンボ」との命名の由来もある。

『宇治市・宇治上神社』

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 京都府宇治市にある世界遺産・国宝「宇治上神社」の拝殿である。
 菟道稚郎子命(うじのわきいらつこみこと)と父の応神天皇、兄の仁徳天皇を祀る。

 創建年代は不明であるが、左手の本殿には平安時代の木材が使われていることから、我が国で最も古い神社の一つとされている。

 宇治川右岸の山麓に鎮座し、霊気漂う場所となっている。
 近くには源氏物語ミュージアム、対岸には平等院もあり、観光のコースとなっている。

『韮の花』

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 真夏から秋にかけて咲く韮(ニラ)の花である。

 韮はご承知のようにネギ族の植物で栄養価が高い。
 餃子には必ずといっていいほど使われる野菜である。

 花弁は3枚であるが、苞が3枚あり、花弁が6枚あるように見える。
 子房は3室になっていて、熟すると割れて黒色の小さな種を散布する。

 中国西部が原産地であるが、我が国では1位の生産地は高知県の香南市、その次は「餃子の街」栃木県宇都宮市周辺であることは頷ける。

『奈良・般若寺楼門』

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 京都府から奈良県に入ったところの旧奈良街道の道端に、さりげなく建っている国宝の般若寺楼門である。

 般若寺はコスモス寺として、観光名所としても知られる。
 関西花の寺第17番札所に指定され、もう少しすると花を求める多くの女性の方々で賑わう所である。

 この般若寺は飛鳥時代に高句麗の僧によって開創され、のち聖武天皇が都の北東の鬼門にあたるこの寺に伽藍を建立し、十三重石塔を建てて天皇自筆の大般若経を安置したと云う。
 本尊は智慧の文殊菩薩である、

 この般若寺、奈良街道の要衝に位置するため、平家の奈良焼き討ちなど度々の兵火にみまわれ伽藍の多くを失ったと云う。
 伽藍に加え千人もいた学僧も失われたのであった。

 鎌倉時代に西大寺の僧、叡尊によって再建され、その後もあれこれあったが立派に現存している。

 旧奈良坂街道に向けて昔のままの土塀を従え、天竺様式を取り入れた国宝楼門が立っているのも、奈良には似つかわしい風景という感じがする。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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