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京阪電鉄交野線 村野駅:村野神社とその周辺への訪問

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索を実施している。
 今回は、大阪府枚方市の「京阪電鉄交野(かたの)線」の「村野駅」で下車し、駅の東方向に鎮座する「村野神社」を訪ねるとともに、その周辺も合わせて探索することにしている。

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 「村野駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、2面2線の相対式である。
 そして駅舎の東側の出口から出る。
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 駅前の府道を北へと進み、少し進んだところで右折し、住宅街の中を水路に沿って進む。
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 しばらくすると左手の高台に神社の杜が見えて来る。
 そして石段下に至る。
 また、石段横には皇帝ダリアも咲いている。(2024年12月12日)
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 石段を昇り詰め、石造りの「鳥居」を潜る。
 右手に「手水舎」、左手に「灯篭」が並ぶ。
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 そして、正面は「拝殿」である。
 「村野神社」の扁額も掲げられている。
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 「拝殿」の手前には一対の「狛犬」、中央の賽銭箱には「木瓜(もっこう)」と「左三つ巴」の神紋が描かれている。
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 そして「本殿」である。
 祭神は、神額に記載の通りで、「健須佐之鳴命(たけすさのおのみこと)」、「櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)」である。
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 この「村野神社」は、鎌倉時代に現在の枚方市牧野に鎮座する式内社「片埜神社」から分霊を勧請し、創建されたとされる神社である。
 また、それ以前の平安時代の中頃に、惟喬親王が狩猟の時に、大勢を連れて遊覧された荘園とも言われ、その頃には何らかの宮祠があったとも云われている。
 尚、現在の社殿は、昭和38年竣工落成の鉄筋コンクリート造り、銅板葺である。

 境内社が祀られている。
 「金毘羅大権現」、「稲荷神社」、そして、「西野神社(皇大神宮)」、「次野神社」、「火産靈神社」、「乾野神社」の4社の合祀社である。
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 そして、「神宮遥拝所」も祀られ、本殿裏の裏参道から退出したのであった。
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 裏参道の鳥居前の道は東方向に「東海大仰星中高」に通じている。
 少し進むと左手に通用門と校舎が見える。
 また、道路を挟んで向かい側に「枚方市立桜丘小学校」の校門がある。
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 全国高校ラグビーなどでよく知られる「仰星校」の東側の校門前まで進む。
 校内の案内図が掲載されている。
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 校門からの眺めである。
 左手は1号館(教室)、正面は2号館(本部)、右手には3号館(体育館)である。
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 また、正門の向かい側には、「枚方市立桜丘中学校」がある。
 次に、北側に回り込み、グラウンドを覗いてみる。
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 「仰星校」の西には公園がある。
 「印田町ふれあい公園」である。
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 公園には、遊具施設、運動広場などが設置されている。  
 また、公園からは、東方向に校舎を望むことができる。
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  そしてこの地点で、「村野駅」を下車してのミニ探索を終了したのであった。

京阪電鉄本線 野江駅:野江水神社への訪問

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索を実施している。
 今回は、大阪市城東区の「京阪電鉄本線」の「野江駅」で下車し、駅の西方向に鎮座する「野江水(のえすい)神社」を訪ねることにしている。

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 「野江駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、通過線2本を挟む2面2線の相対式である。
 そして、駅の西口より出る。
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 西方向へと進む。
 少しの西方向に「JR野江駅」がある。
 駅を潜り、線路沿いに北方向へと進む。
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 少し広い道路と交差する。
 これを西方向へと進むと、右手に神社の鳥居が見えて来る。
 「野江水神社」の社頭である。
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 社頭には「鳥居」、「社号柱」が建ち、右手には、明治の淀川洪水の際に流されて、この地に漂着したとされる「水流地蔵尊」と「白杉大明神」が祀られている。
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 「鳥居」を潜ると、右手に「御神水」の井戸と「手水舎」が祀られ、そして参道の正面は「拝殿」である。
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 正面の「拝殿」には手前両側に一対の「狛犬」が祀られている。
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 「拝殿」の背後には「本殿」が祀られている。
 祭神は、「 水波女大神」とされている。
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 この神社は、「応仁の乱」で知られる「細川晴元」の家臣の「三好政長」が水害の多いこの地に「榎並城」を築城した時、その際、城を水害から護るために、城内に水神である「水波女大神」を祀ったのが始まりとされている。

 その後、「大坂城」を築城した「豊臣」秀吉が、水火除難の守護神として当社を篤く崇敬して社殿を修築したとされる。

 また、その後、度々の水害に襲われたが、難を免れた。
 しかし、明治の淀川大洪水にて倒壊し、再建されたとされる。
 そして、大阪大空襲では、この野江地区の辺りはその被害を逃れたとのことでもある。

 「本殿」の左手に境内社が祀られている。
 「野江稲荷大明神」である。
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 神社の北隣には「榎並小学校」がある。
 グラウンドに裏門があるが、そこに「榎並城跡伝承地」「榎並猿楽発祥の地」の石碑が建てられている。
 「榎並猿楽」は「丹波猿楽」の新座として隆盛したが、「応仁の乱」の影響を受けたこともあり、「大和猿楽」の観世に譲り渡したとされている。
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 そしてこの地点で、「野江駅」を下車しての、「野江水神社」とその近隣のミニ探索を終了したのであった。

大阪メトロ谷町線 谷町四丁目駅:越中井・聖マリア大聖堂への訪問

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索を実施している。
 今回は、「大阪メトロ谷町線」の「谷町四丁目駅」で下車し、駅の東方向の「難波宮跡」の更に向こうにある「細川忠興・ガラシャ」に関わる「越中井」・「聖マリア大聖堂」を訪ねることにしている。

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 「谷町四丁目駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、2面2線の相対式である。
 そして地上に上がると、そこは「中央大通」が東西に通っている。
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 東方向へと進み、「上町筋」との交差点を渡ると「難波宮跡」である。
 これを斜めに横切る。
 左側(北方向)に「大極殿基壇」が見え、その向こうに「大阪城天守」も見える。
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 そして、「難波宮跡」の南側の道路を東方向へと進む。
 少し歩くと、大聖堂の白っぽい建物が見えて来る。
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 交差点「玉造2」の北東角に「聖マリア大聖堂」が構えている。
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 大聖堂の正面である。
 左手には「高山右近像」、右手には「細川ガラシャ像」が建てられている。
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 前庭の広場には、「天主公教會」の石柱、「ファチマの聖母と羊飼い」のモニュメント、そして小屋の中には「キリストの生誕シーン(?)」であろうか人形が並んでいる。
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 大聖堂に入ってみる。
 入っての直ぐの右手には十字架の像がある。
 そして礼拝堂に入る。
 多くのステンドグラスが並んでいる。
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 礼拝堂の中央付近まで進んでみる。
 こちらにも、頭上に十字架像が掲げられ、正面には「聖母マリア」の像が掲げられている。
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 この「聖マリア大聖堂」の正式名称は「大阪高松カテドラル聖マリア大聖堂」、「カトリック玉造教会」とされている。
 この建物は明治時代になって建築されたが、昭和の大阪大空襲で損壊し、昭和38年に建築されたものとされている。

 教会を後にして、北へと進む。
 右手に公園が見えて来る。
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 「越中公園」という。
 「細川越中守忠興」の屋敷があったことから、この名づけであろう。
 「青刻昆布発祥の地」の石碑も建てられている。
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 公園の斜め北側には「越中井」の史跡がある。
 「細川越中守」の屋敷跡で、井戸が残されている。
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 地蔵堂も祀られている。
 そして石柱には、「関ヶ原の戦い」の前哨戦で、「石田三成」に襲われ、屋敷に火を付け、炎に巻かれ最期となった妻「細川ガラシャ」の辞世の句「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」が刻まれている。
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 余談であるが、この「越中井」の道路を挟んで東側に「越中雄の塔」が建てられている。
 新しいもののようである。
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 そしてこの地点で、「谷町四丁目駅」を下車しての、「細川ガラシャ」に関わる史跡などの探索を終了したのであった。

大阪メトロ谷町線 天満橋駅:「時の鐘」への訪問

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索を実施している。
 今回は、「大阪メトロ谷町線」の「天満橋駅」で下車し、駅の南側の「釣鐘町通」を西方向へと進み、「釣鐘町」にある「釣鐘屋敷跡 大坂町中時報鐘」を訪ねることにしている。

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 「天満橋駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、1面2線の島式である。
 そして、地上へと上がる。
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 地上の南北の「谷町筋」と東西の「高麗橋通」との交差点は「谷町1丁目」である。
 東方向には税務署や国の合同庁舎が並び、南方向へは「谷町筋」が延びる。
 そして、1本南の「釣鐘通」を西へと進む。
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 進んで行くと左手(南側)に鐘楼が現れる。
 「釣鐘屋敷跡 大坂町中時報鐘」である。
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 この鐘は、江戸時代初期、3代将軍「徳川家光」が大坂城を訪れた際に、大坂三郷の地子銀(じしぎん、固定資産税)を永久に免ずることを約束し、これに感謝した町民が釣鐘を鋳造し釣鐘屋敷を建てたとされる。
 その後、明治初期に鐘楼は撤去され、釣鐘はその後、博物館、府庁舎などを点々としたが、昭和60年にこの地に戻されたとされている。

 鐘楼に上がってみる。
 釣鐘は重さ3トン、高さ1.9mとのことである。
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 更に、この鐘は、「近松門左衛門」の人形浄瑠璃「曾根崎心中」で語られる鐘である。
 その下りは、「お初」、「徳兵衛」のいよいよの心中の場面で、
 「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ
 あれ数ふれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、
寂滅為楽(仏教で言う、涅槃、さとりの境地)と響くなり~~ 」

 拙作でも触れさせて頂いている。
 https://fujishirorei.com/2018/07/28/%e6%9b%be%e6%a0%b9%e5%b4%8e%e5%bf%83%e4%b8%ad/

 尚、この鐘は、現在は1日に3回鳴らされているとのことである。
 そして、鐘楼を再度眺め、この地を後にしたのであった。
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JR大和路線 奈良駅:③元興寺への訪問

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索を実施している。
 今回も、前回・前々回に引き続き「JR大和路線」の「奈良駅」で下車し、駅の南側の「ならまち大通り」を東方向へと進み、「ならまち」にある「南都七大寺」の一つである「元興寺」を訪ねることにしている。

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 「ならまち大通り」を東へと進む。
 途中にモニュメントなども立っている。
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 道路は若干の上りである。
 ほぼ上り詰めたところの小路へと右折れする。
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 「元興寺」の門前である。
 重要文化財の「東門」、そして「寺号柱」が建ち、世界文化遺産の表示もある。
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 左手の拝観入り口から境内へと入る。
 正面は本堂で国宝の「極楽堂」である。
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 本尊は「智光曼荼羅」とされている。
 また、開基は「蘇我馬子」で、推古天皇」の時代に「飛鳥」の地に創建された「法興寺」が「平城京」への遷宮に従って現在の地に移転されたとされる。
 ただ、元の「法興寺」は、「飛鳥寺」として残されている。

 「元興寺」の案内図である。(HPから借用)
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 「極楽堂」の背後は国宝の「禅室」である。
 屋根には、一部飛鳥時代の瓦で葺かれているとのことである。
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 その左側には、「石仏群」が並んでいる。
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 境内の後ろ側(西側)に廻ると、「極楽院」の石柱、そして「弁天社」が祀られている。
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 北側へ廻ると、「北門」があり、大坂城の「かえる石」が置かれている。
 そして入り口まで戻ると、「飛鳥小学校発祥の地」という石碑が建てられている。
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 他にも、「法輪館(収蔵庫)」の中に国宝の「五重小塔」が展示されている「元興寺」である。

 そしてこの地点で、「JR奈良駅」を下車しての社寺探索を終了したのであった。

JR大和路線 奈良駅:②漢國(かんごう)神社への訪問

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索を実施している。
 今回も、「JR大和路線」の「奈良駅」で下車し、東方向の「やすらぎの道」沿いで、前回の「率川神社」の北方向に鎮座する「漢國(かんごう)神社」を訪ねることにしている。

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 「率川神社」の社頭から、「やすらぎの道」を北へと進む。
 「奈良駅」から延びている「三条通り」との交差点を北上すると、左手に「漢國(かんごう)神社」の社頭がある。
 社頭には、「漢國神社」の社号柱、それと「林神社」の社号柱が建てられている。
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 「一ノ鳥居」を潜り、右手に社務所が建つ参道を進む。
 正面は「神門」と塀である。
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 「神門」を潜ると、左手に「源九郎稲荷神社」が祀られ、隣の「手水舎」の中に「水神社」、そして名称不詳の祠が祀られている。
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 「神門」を潜っての正面には「二ノ鳥居」、両脇には一対の「狛犬」が祀られている。
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 その先は「拝殿・拝所」、そして「本殿」が祀られている。
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 「本殿」の祭神は、「大物主命」、「大己貴命」、「少彦名命」とされている。
 また、この神社の歴史は古く、6世紀末に「推古天皇」の勅命により創建されたとされている。
 そしてこの神社は、「式内社」の論社ともされている。

 境内社であるが、「本殿」の左手に「八王子社」が祀られ、右手に「東照大権現(徳川家康)」を祀る「葵神社」が祀られている。
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 また右手には、「徳川家康」が「大坂の陣」の時に奉納した鎧を納めていた「鎧蔵」があり、その手前には、饅頭の祖「林浄因」と菓祖神の「田道間守」を祭神とする「林神社」が祀られている。
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 境内を一巡したところで、社務所にてご朱印を頂き、神社を退出し、今回のミニ探索を終了したのであった。

JR大和路線 奈良駅:①率川(いさがわ)神社への訪問

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索を実施している。
 今回は、「JR大和路線」の「奈良駅」で下車し、東方向の「やすらぎの道」沿いにある「率川(いさがわ)神社」を訪ねることにしている。

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 「奈良駅」で下車する。
 駅ホームは高架3階で、3面5線の島式である。
 2階の改札・コンコースを経て、地上へと降りる。
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 駅の隣には旧駅舎が残されていている。
 その前から東へと向かう三条通りを進んで行く。
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 しばらく歩くと、「やすらぎの道」と交差する。
 これを南へと取ると、右手に神社が現れる。
 「率川(いさがわ)神社」の社頭である。
 「注連縄柱」、「社号柱」、そしてその先の参道に朱塗りの「鳥居」が建っている。
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 「鳥居」を潜ると、左手に「手水舎」、「かえる石」が並び、右手奥にも「境内社」の鳥居が建っている。
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 先ずは、右手の「境内社」である。
 左手から、「住吉社」、「率川阿波神社」、「春日社」が祀られている。
 このうち、「率川阿波神社」は、奈良時代の建立で、「事代主命」を祀る式内社とされている。
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 次は中央右手の「拝本殿」である。
 南向きに拝殿が祀られている。
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 そして「本殿」である。
 三本殿があり、「左本殿」には「玉櫛姫命」、「中本殿」には「媛蹈韛五十鈴姫命(神武天皇皇后)」、「右本殿」には「狭井大神」が祀られている。
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 この神社はの創建は古く、奈良市最古の神社と云われている。
 その後、「興福寺」や「春日大社」の支配下となったが、現在は「大神神社」の境外摂社であり、その正式名称は「率川坐大神御子神社」とされている。

 そしてこの地点で、「奈良駅」を下車しての「率川神社」への参拝を終了し、次の神社へ向かうことにしたのであった。

JR東西線 新福島駅:福島天満宮への訪問

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索を実施している。
 今回は、「JR東西線」の「新福島駅」で下車し、南方向の「なにわ筋」沿いにある「福島天満宮」を訪ねることにしている。

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 「新福島駅」で下車する。
 駅ホームは地下で、1面2線の島式である。
 そして地上へと出る。
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 出口から繋がる街中の小路を南下すると、左手(東側)に「西の鳥居」が建っている。
 そして、少し進んで左に曲がると、大きな道路「なにわ筋」との交差点の手前の角は、南向きの「福島天満宮」の社頭である。
 「鳥居」、「社号柱」が建っている。
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 鳥居を潜ると、その先には「神門」が建ち、これを潜り境内へと入る。
 尚、「神紋」は「北野天満宮」と同じ「梅星紋」である。
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 境内右手前には「手水舎」、正面には一対の「狛犬」が祀られている。
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 「狛犬」の先は「拝本殿」が祀られている。
 祭神は、主祭神が「菅原道真公」、相殿神は「大国主命」、「事代主命」、「少彦名命」とされている。
 また、「本拝殿」の右手には、「吉高稲荷神社」が祀られている。
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 この「福島天満宮」は、901年に「菅原道真」が九州大宰府へ配転させられた際、その途中にこの地に立ち寄り、里人達に旅情を慰められたことをいたく喜び、この辺りは「餓飢島」と呼ばれていたのを「福島」と名づけたとされる。
 後年、菅原道真が大宰府で薨去(こうきょ)されたのを聞いた里人らが、907年(延喜7年)に小祠を建てたのが起源とされている。

 そしてこの天満宮は、「菅公聖蹟二十五拝」の第十二番目でもある。

 他にも境内社が祀られている。
 一つの建屋に5社が並んでいる。
 右から、「勇神社」、「住吉神社」、「野見宿禰神社」、「安廣神社」、「事平神社」である。
 そして、ご朱印を頂き、東の参道から退出し、「新福島駅」に戻り、ミニ探索を終了したのであった。
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JR大阪環状線 福島駅:福島聖天 了徳院への訪問

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索を実施している。
 今回は、「大阪環状線」の「福島駅」で下車し、駅の西方向の街中にある「福島聖天 了徳院」を訪ねることにしている。

2412dIMG_4147 (2)

 「福島駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、1面2線の島式である。
 そして地上へと降りる。
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 駅のすぐ北側は商店街となっている。
 「福島聖天通商店街」と云い、キャッチフレーズは「売れても占い商店街」とされている。
 これを西方向へと進む。
 その道路は「聖天通」と云う。
 途中に「大和田街道・梅田街道」と記された道標が建てられている。
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 途中で広い道路「あみだ池筋」を横切る。
 その先も商店街は続くが、途中で右折する。
 左手に鳥居が見えて来る。
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 「福島聖天」の「一ノ鳥居」である。
 「扁額」には「歓喜天」と記され、一対の「狛犬」が祀られている。
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 「鳥居」を潜るとその先は重要文化財の「山門」である。
 「山門」には彫刻の「子持ち竜」が掲げられている。
 そして「山門」を潜ると、その先に大きなソテツがある。
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 そして2本の石碑と「鐘楼」が建っている。
 石碑には、それぞれ「聖天尊」、「歓喜天」と刻されている。
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 境内案内図である。
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 「福島聖天 了徳院」の創建については不明であるが、江戸時代の中頃、高野山善寿院の「宥意上人」が入寺して再建したとされている「東寺真言宗」の寺院である。

 境内中央の参道を進む。
 「二ノ鳥居」、「注連縄柱」が建っている。
 ここまでは、「鐘楼」を除くと、全く神社の様相である。
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 そして、一対の「狛犬」、また右手には「藤棚」が設置されている。
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 正面は「本堂」である。
 「本堂」には、「本尊」の「十一面観音(大聖歓喜天)」が安置されている。
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 「本堂」の左手には、これも「本尊」の「準胝観音」が安置されている「准胝観音堂」が建っている。
 そしてその前には、「五重塔」が建ち、3体の地蔵尊が祀られている。
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 次は、「本堂」の右手である。
 「不動明王」を祀る「不動堂」、「修行大師像」、そして「地蔵堂」が祀られている。
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 更に、その手前には、「白髭稲荷大明神」、「おもかる石」、「水掛不動」などが祀られている。
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 その前の龍が祀られている池の畔には「芭蕉句碑」が建てられている。
 「杜若 かたるも旅の ひとつかな」である。
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 更に、池の中には、「弁財天」が祀られている。
 また、その鳥居の右手には、「延命地蔵尊(水掛地蔵尊)」が祀られている。
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 そしてこの地点で、境内を一巡したので、御朱印を頂き退出し、「福島駅」を下車してのミニ探索を終了したのであった。

JR学研都市線 松井山手駅:諏訪ケ原公園への訪問

 関西の鉄道駅で思い付きの気ままな途中下車をして、近隣のミニ探索を実施している。
 今回は、「JR学研都市線」の「松井山手駅」で下車し、駅の北東方向で、住宅街の端にある「諏訪ケ原公園」を訪ね、紅葉しているメタセコイヤを見てみることにしている。

2412nbIMG_2301 (2)

 「松井山手駅」で下車する。
 駅ホームは、地上より一段低い切通しにあり、2面2線の相対式である。
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 駅舎を西へ出ると、そこには京田辺市のキャラクターである「一休さん」が迎えれくれる。
 そしてバスロータリーから北方向へと進む。
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 突き当りを右折し、住宅街の車道を東方向へと進むと、「諏訪ケ原公園」へと到着する。
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 「諏訪ケ原公園」は、丘の斜面に造られた運動広場的な公園で、上部が「土の広場」、下部が「芝生広場」となっている。

 先ずは上部の「土の広場」である。
 児童向けの遊具や休憩所などが整備されている。
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 そして、下部の「芝生広場」の「メタセコイヤ」が見える。
 更に、「芝生広場」に至る斜面の木の陰に紅葉している「モミジ」も覗いているので、近づいてみる。
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 そして、下部の「芝生広場」である。
 「メタセコイヤ」が林立するこの季節ならではの風景である。
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 「メタセコイヤ」に近づいてみる。
 葉は3cmx1mm程度の細かいもので、それが集合体となって1枚の葉の様に見える形である。
 そして、もう一度「メタセコイヤ」の林を眺め、公園を後にして、「松井山手駅」のミニ探索を終了したのであった。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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