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『滋賀県彦根市・河瀬神社』

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 滋賀県彦根市川瀬馬場町に鎮座する式内社「川桁(かわけた)神社」の論社である「河瀬神社」の社頭の標柱である。
 神社は、JR琵琶湖線の河瀬駅から東方向に15分程度歩いた所にある。
 神社に近づくと杜が見え、神社前には大きな邸宅も見え、社頭へと着く。
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 社頭には、冒頭の社号柱と鳥居が建っている。
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 鳥居を潜ると正面は入母屋造りの拝殿である。
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 そして拝殿の背後は、拝所中門・瑞垣に囲まれたエリアである。
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 その瑞垣の中に本殿が祀られている。
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 この本殿の祭神は、大名牟遅神、品陀別神、大山咋神の3柱とされている。
 また、本殿は三間社流造で江戸時代の末期に京都市にある賀茂別雷神社の社殿を移築したものとされている。

 またこのエリアの中には一対の狛犬も祀られている。
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 その他、境内には、神具庫、神楽殿、さざれ石などが見られる。
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阪和線32・紀伊駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る 
 今回は「天王寺駅」から31駅目の和歌山市にある「紀伊駅」である。

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 紀伊駅は、大阪府ら府県境の和泉山脈の雄ノ山峠をトンネルで潜り、和歌山県に入った最初の駅である。
 紀伊駅で下車し、駅前から南方向へと進む。
 そして雄ノ山川を渡った所に神社の杜が見える。
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 式内社そして名神大社の「大屋都姫神社」である。
 社号柱があり、西へ参道が延びているので、これを進み神社へと向かう。
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 境内の右手(北側)には、鳥居そして拝所の鈴門が祀られている。
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 その先、瑞垣の中には、中央に本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、社名の通り大屋都姫命である。

 そして本殿の左手の左脇宮には五十猛(いそたける)命、右手の右脇宮には都麻都姫(つまつひめ)命が祀られている。
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 尚、本殿並びに脇宮の3神は素戔嗚尊の子の3兄弟である。
 これら3神は、紀伊国に木種をもたらしたと云われる神で、「伊太祁曽(いだきそ)三神」と総称されている。
 
 さらに大屋都姫の兄の五十猛命は伊太祁曽神社の主祭神として、妹の都麻津姫命は都麻津姫神社の主祭神として祀られている。

 境内には、祭神不明の小祠も祀られている。
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 また、この地は弥生時代の宇田森遺跡として調査が進められている。
 銅鐸も発掘されているとのことである。
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 遺跡と隣接した大屋都姫神社を巡った所で、紀伊駅のミニ探索を終了した。

阪和線31・山中渓駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る 
 今回は「天王寺駅」から30駅目の阪南市にある「山中渓(やまなかだに)駅」である。

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 山中渓駅は、大阪府最南部の山間の駅である。
 狭い所で、駅の背後には山中川が流れ、その背後の斜面には阪和自動車道が通る。
 
 山中渓駅で下車する。
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 駅舎の直ぐ前には、紀州街道・熊野街道が通っている。
 北を向いて、右手のカラー舗装が紀州街道・熊野街道で、山中宿である。
 街道の左手には道祖神(塞之神)が祀られている。
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 街道を進む。
 新しく建てられた灯篭もある。
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 左手には、「旅籠  とうふや」跡がある。
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 また右手には本陣跡がある。
 参勤交代の折には、宿泊所ではなく、一時の休憩場所のように利用されたとされる。
 しかし、建物は、建て替えられているそうである。
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 更に進むと、右手に山中神社への参道がり、それを進む。
 途中右手に「八王子社観音堂」の石標が建っている。
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 そしてその先、鳥居が建ち、鳥居の先は境内である。
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 尚、鳥居の両脇には一対の狛犬が祀られている。
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 境内には、3つの祠が祀られている。
 八王子社は、紀州岡崎の澤四郎善眞がこの山中へと移り住み、八王子神(天日穂命)を祀ったものとされている。
 その八王子社の祠、そして澤四郎善眞の碑、更には熊野街道の馬目王子社が祀られている。
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 一旦、街道に戻るとそこには旧庄屋屋敷がある。
 改修はされているが、江戸中期の建築とのことである。
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 更に進んだ右手には地福寺への参道口がある。
 子安地蔵尊の石柱のある参道を進むと境内である。
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 この寺は、子授け・安産などの御利益があるとのことである。
 境内には、阿弥陀如来を祀る本堂、地蔵堂、などがある。
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 この地点で山中宿の散策、そして「山中渓駅」のミニ探索を終了する。

阪和線30・和泉鳥取駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る 
 今回は「天王寺駅」から29駅目の阪南市にある「和泉鳥取駅」である。

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 和泉鳥取駅で下車する。
 駅には西口、東口と両側に出口がある。
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 東口に鳥居があるので近づいて見る。
 石の鳥居は、「波太神社伏拝鳥居」である。
 また西口では、駅前の山中川に「鳥居前橋」が架かっている。
 橋を渡って「波太神社」へ向かう。
 向かう府道の左手の丘には、泉鳥取高校の校舎が見える。
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 しばらく府道を歩くと左に入る道があり、玉垣に沿って進むと「波太神社」の社頭に達する。
 「波太神社」は古代、この地方の豪族鳥取氏が、祖神である角凝(つのこりの)命を、現在の鎮座地の東北方向の桑畑地区に祀ったのが創建とされ、桑畑の「畑」から「波太神社」と名付けられたと云われている。

 社頭には北向きに社号柱、東向きに石の鳥居が建っている。
 鳥居を潜り参道を進む。
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 神社境内には、庁殿、能舞台がある。
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 その先は拝本殿である。
 拝殿前の中央にある灯篭は、片桐且元寄進のものである。
 そして拝本殿は二階建ての珍しいもので国の重要文化財に指定されている。
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 拝本殿は角凝命を主祭神とする波太宮と、その後に勧請した応神天皇を祭る八幡宮の二宮となっている。
 そして本殿の左には末社三神社本殿があり、神功皇后、武内宿彌、天湯河板挙命(あめのゆかわたなのみこと)が祀られている。

 また、摂社として、鳥取戎神社、鳥取神社、そして厳島神社が祀られている。
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 尚この神社には織田信長の紀州雑賀攻めの際、本陣が置かれたと「信長公記」には書かれている。

 この地点で「和泉鳥取駅」のミニ探索を終了する。

『滋賀県栗東市・追来神社』

 
 滋賀県栗東市綣(へそ)に鎮座する式内社「意布伎神社」改め「追来(おふき)神社」の社殿である。
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 追来神社はこの地に古くから鎮座し、その境内である大宝神社よりも古いが、境内社としての位置付けとなっている。
 祭神は、伊吹山に座す多々美彦命で、水の神・地主神とざれる。
 尚、社名は、古来は、意布伎(伊不伎)神社と記されている式内社である。

 この追来神社が鎮座する「大宝神社」は、JR琵琶湖線の栗東駅の北、10分程度の所にある。
 街中の道を進むと、西向きに石の鳥居、社号柱が建つ。
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 そして参道を東へ進むと、南向きに四脚門があり、潜ると拝殿である。
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 その背後は中門・瑞垣・本殿である。
 本殿の祭神は素盞鳴尊である。
 尚、大宝神社の創建は、大宝元年(701年)の疫病流行の時とされている。
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 この本殿の右手前に「追来神社」が鎮座している。

阪和線29・和泉砂川駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。 
 今回は「天王寺駅」から28駅目の泉南市にある「和泉砂川駅」である。

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                        (上図の上は北西方向)

 「和泉砂川駅」で下車する。
 和泉砂川の駅近くには、紀州街道の「信達(しんだち)宿」があったとのことで、その場所へと向かうことにする。
 駅から延びる道路を北西へと向かう。
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 途中、紀州街道との交差点で、街道を北東へと向かう。
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 街道の途中右手に「泉南石綿の碑」、左手に「野田藤」の藤棚がある。
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 少し進んで左手の小路に入るとそこには「やぐらもん」があり、200年ほど前の地車の車輪が保存されている。
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 この辺りまで来ると、紀州街道や信達宿の表示も見られるようになる。
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 また、街道に趣のある町屋も見られるようになる。
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 更に進む。
 信達宿の本陣建屋の長屋門がある。
 この本陣は紀州公を始め、大名などが参勤交代の折に宿泊したとされている所である。
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 本陣の街道を挟んだ所に「真如寺」という浄土宗の寺院がある。
 当寺は紀州藩を筆頭に各諸藩の参勤交代の御用達旅宿として使用されたとの寺院であり、葵の紋も示されている。
 8代の将軍徳川吉宗公も宿泊したとのことである。
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 街道の本陣側の路地を入った所に神社がある。
 「市場稲荷神社」である。
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 鳥居を潜ると正面は拝殿である。
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 拝殿前には一対の狛犬が祀られている。
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 背後は本殿である。
 本殿の祭神は、鳥羽天皇が伊勢外宮から勧請したとされる豊宇気毘売大神(とようけひめおおかみ)、また配神は赤井神社及び牛神神社である。
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 信達宿は、平安時代は天皇・貴族そして一般民衆の熊野詣でが盛んに行われ、その時の宿場となった。
 白河上皇や後鳥羽上皇の宿所にもなったので、一帯は信達荘御所村と呼ばたとのことである。
 江戸時代になって、周辺に市が立ち賑わったので、御所村を市場村と改めた。
 そして商売の神様として稲荷が祭られ、「市場稲荷神社」と呼ばれたとのことである。

 信達宿を一周したので、この地点で和泉砂川駅のミニ探索を終了した。

阪和線28・新家駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。  今回は「天王寺駅」から27駅目の泉南市にある「新家(しんげ)駅」である。

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                        (上図の上は北西方向)

 「新家駅」で下車し、北西方向へと歩く。
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 20分程度歩くと、樫井川の土手に出て、明治大橋を渡る。
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 橋を渡った右手に「樫井(かしい)古戦場跡」の石碑が建っていて、この辺りで激しい戦闘が繰り広げられたとのことである。
 大坂夏の陣の緒戦のことである。
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 塙団右衛門(ばんだんえもん)直之を先鋒とする大坂城方2万の軍と、紀州街道を北上し、大坂へ駆けつけようとする紀伊藩主浅野長晟(ながあきら)の軍5千が衝突し、団右衛門や団右衛門隊の武将であるこの地の豪族の淡輪直政が討ち取られ、大坂方が大敗した戦いであった。

 2万の軍勢がなぜに敗れたのか理解に苦しむが、大坂方は牢人衆の集合体で統制が取れていなかったこと。
 その統制のなさと塙団右衛門の功名心が相俟って、団右衛門が同格の岡部大学と先陣争いをしたこととされている。

 大坂夏の陣の他の野外戦として、木村重成の若江の戦い、後藤又兵衛の道明寺の戦いなど、撃って出た大坂方がことごとく敗戦したのも、同様に勝利への執着を欠き、烏合の衆の戦いであったとの理由によるものであろう。

 討ち取られた淡輪直政の墓は、紀州街道を少し大阪へ進んだ左手にある。
 江戸時代の初めに建てられた宝篋印塔であるが、倒壊したため新たに造られている。
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 また、塙直之の墓はその先の右手にある。
 新しい花も供えられ、住民の方から手厚く守られているのが良くわかる。
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 当時の戦場を中を通っている紀州街道の現在である。
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 街道のその直ぐ先は池である。
 池の向こうに、りんくうゲートタワービルが望め、400年の月日の差が対比できるようである。
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 この地点で「新家駅」のミニ探索を終了を終了した。

阪和線27・長滝駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から26駅目の泉佐野市にある「長滝駅」である。

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 長滝駅で下車する。
 駅舎は趣のある古風な佇まいである。
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 この長滝駅では、良く知られている「蟻通神社」が鎮座しているので、それへと向かう。
 蟻通神社はかつて海側の熊野街道沿いに広大な社領を有していたが、第二次世界大戦中、陸軍飛行学校佐野分教場建設のため現在地に移転させられたものである。

 線路に沿った道を南西方向へと進むと、府道と交差する。
 それを北西方向へと進む。
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 10分程度歩いたところで神社の社頭に着く。
 こちらは南参道と云う。
 鳥居を潜り、灯篭が並ぶ参道を辿る。
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 途中に一対の狛犬が祀られていて、その先は神門である。 
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 神門を潜るとその先には注連縄柱、そして舞殿がある。
 舞殿では地元有志の手によって能楽奉納行事「ありとほし薪能」を毎年9月に上演している。
 第1回と第5回(2019年)には能「蟻通」が演じられた。
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 舞殿の向こうには、登録有形文化財の拝殿、そして本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は大国主命である。

 境内には、幾つかの境内社が祀られている。
 奥から、知恵神社、愛宕神社、多賀神社である。
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 更に、住吉神社、和泉五社、そして市杵嶋姫命神社である。
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 もう一つ足神神社がある。
 そこには仏足石も祀られている。
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 最後にもう一つ、蟻通神社には紀貫之の「冠の渕」というのがあり、境内に再現されている。
 紀貫之が和泉の国を旅する途中、蟻通神社の神域に騎馬のまま乗り込んで罰を受けたと云われる。
 馬が倒れたのを見て神の怒りを悟った貫之はとっさに次の歌を詠んだ。
    「かきくもり あやめもしらぬ おほそらに ありとほしを おもふべしやは」
 無知ゆえに神の怒りを買ったことを謝罪を詠み、神は心を和らげて馬を復活させたと云われる。
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 神社の北には北参道がある。
 神門、鳥居を潜って退出し、この地点で長滝駅のミニ旅を終了したのであった。
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関西空港線2&3・りんくうタウン駅&関西空港駅

 阪和線「日根野駅」と「関西空港駅」を起終点とする「関西空港線」を途中下車で見てみる。
 下車駅は、「日根野駅」から2番目の「りんくうタウン駅」、そして終点の「関西空港駅」である。

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                           (上図の上は北西方向)

 関西空港線はJRと南海電鉄空港線の共用である。
 「りんくうタウン駅」は南海電鉄の管轄、その他、連絡橋の線路、「関西空港駅」はJRの管轄とされている。

 「りんくうタウン駅」で下車する。
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 駅を降りると目立つのは、りんくうゲートタワービル、そして大観覧車である。
 ゲートタワービルは、当初ツインのタワーとして計画されていたが、その後の経済事情により、シングルとなっている。
 高さは、横浜のランドマークタワーに次いで3番目とされている。
 大観覧車は、ショッピングセンター「りんくうプレジャータウン シークル」内にあり、「 りんくうの星」と云う名付けである。
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 海に向かって公園がある。
 大阪府営の「りんくう公園」である。
 公園は小高い丘になっている。
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 丘の上にメインの通路がある。
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 広い通路を行くと海岸線に出るが、そこには四季の泉というモニュメント状の噴水がある。
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 公園の南には「航空保安大学校」が、また駅の北東側には「大阪府立大学獣医学部」がある。
 「りんくうタウン駅」の学びの風景である。
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 電車に乗って「関西空港駅」へと向かう。
 時節柄、駅や空港ビルは閑散としていたので、早々に引き上げたのであった。
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 そしてこの時点で、「りんくうタウン駅」、「関西空港駅」のミニ探索を終了を終了した。

阪和線26・日根野駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から25駅目の泉佐野市にある「日根野駅」である。
 また「日根野駅」は関西空港線の起終点駅でもある。

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 日根野駅で下車する。
 日根野には、有名な神社がある。
 「日根神社」とその摂社の「比賣神社」である。
 歩きでは少し遠いので、駅前からバス便を利用する。
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 バス停は「東上」が最寄である。
 バス停から駅方向へと戻ると、日根神社の一ノ鳥居である。
 参道を進むと、社号柱、二ノ鳥居が建つ。
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 神社の案内図は下図である。
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 二ノ鳥居を潜ると、右手は神社群である。
 その中で、主要な神社は式内社「比賣(ひめ)神社」である。
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 比賣神社の拝所の手前には鳥居が建てられ、そして瑞垣の向こうには一対の狛犬が祀られている。
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 そしてその先は本殿である。
 本殿は重要文化財に指定されている。
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 比賣神社は、かつては日根神社の西隣に鎮座していたと云われている。
 日根神社付近の上之郷と日根野を開発した人達が大日靈貴尊(おおひるめのむちのみこと、天照大神)並びに素盞嗚命を祀り溝口大明神と称していたが、明治時代に最終的に現在地に遷座されたものである。

 比賣神社の左並びには、近い方から丹生神社、恵毘須神社、そして岡前神社が祀られている。
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 元の参道へと戻る。
 三ノ鳥居が建ち、その先は神門である。
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 神門を潜ると日根神社の境内が広がる。
 正面には拝殿がある。
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 そしてその手前に一対の狛犬が祀られている。
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 拝殿の奥は本殿である。
 本殿の祭神は、鵜葺草葺不合尊(うかやふきあえずのみ こと、神武天皇の父 )、玉依比賣命である。
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 尚、日根神社は和泉五社の一社で、式内社でもある。
 
 本殿瑞垣の中には境内社が祀られている。
 新道の宮(菅原大神)、十五社神社などである。
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 また神社の隣は神宮寺であった真言宗御室派の慈眼院である。
 境内が「日根荘遺跡」の一部として国の史跡に指定されていて、多宝塔は国宝、金堂は重要文化財である。
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 日根神社の傍には樫井川が流れている。
 朱塗りの橋から樫井川を眺めて見る。
 「ろじ渓」と云うのだそうである。
 大阪みどりの百選に選ばれていて、岩がつくる景観と谷底の清流、そして桜が素晴らしとのことである。
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 そしてこの地点で日根野駅のミニ探索を終了したのであった。

 尚、この「日根野駅」は阪和線の車両基地でもあり、次に向かう電車の車窓からその様子が見える。
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阪和線25・熊取駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から24駅目の泉南郡熊取町にある「熊取駅」である。

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                            (上図の上は南西方向)

 「熊取駅」で下車する。
 駅舎に続く歩道橋から、周辺を眺めると、関西空港の玄関であるゲートタワーを遠くに見ることができる。
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 また、駅前はロータリーになっていて、下に降りると駅舎には「駅下にぎわい館」という観光案内と地場産品の販売所がある。
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 駅の南東方向に「五門」という所がある。
 文化財があるとのことで向かってみる。
 上手くバス便があったのでそれを利用した。
 五門には、「煉瓦館」と云うのと「中家住宅」がある。
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 案内図は下図である。
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 先ずは重要文化財の「中家住宅」である。
 主屋は江戸時代初期の建築とされている。
 残念ながら見学可能日ではなかったので、表門と主屋の外からの眺めだけである。
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 次は「煉瓦館」である。
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 この煉瓦館は明治時代後期の創設された綿布工場であったそうである。
 明治の工場は取り壊され、現在再生保存されているのは昭和初期の新工場(五門工場)である。
 煉瓦造りであるが、事務所棟は木造である。
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 建物の間へと進む。
 この建物は「熊取交流センター」となっている。
 そして展示場があり、中庭も望むことができる。
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 全体にそう広くはないが、、180㎡のコットンホールや3つの講義室もある。
 また、ショップやレストランもある煉瓦館であった。

 この地点で熊取駅のミニ探索を終了した。

亀岡市・大井神社

 京都府亀岡市大井町並河に鎮座する式内社「大井神社」の社号柱である。
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 社頭は東向きで、社号柱、鳥居が建つ。
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 鳥居を潜ると一対の狛犬が祀られている。
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 その先、正面は拝殿である。
 拝殿の左には、神具庫、酒樽が祀られている。
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 拝殿の先には本殿が祀られている。
 本殿の祭神は、月読命、市杵島姫命、別名を御井神(みいのかみ)と云う木俣命(きのまたのみこと) である。
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 この大井神社は、創建が和同3年(710年)とされる。

 創建に関わる伝承は、京都の松尾大社から月読命と市杵島姫命が亀の背に乗って大堰川を遡上したが、保津峡の急流で進めなくなったため、鯉に乗り換え、亀岡まで着いた、とされている。
 これらのことからこの神社では、鯉が神使とされていて、氏子は鯉を食べることを禁忌とし、端午の節句には鯉のぼりを上げることもしないとされている。

 旱魃でも枯れない「大いなる井戸」として永く残ったのがこの大井神社の「大井」の名の由来とされる。
 そしてこの井戸に万一のことがあれば亀岡が湖に戻るか、旱魃になるかで、井戸の神である木俣神(御井神)が勧請され祀られたとされる。

 本殿の後ろに境内社が祀られている。
 向かって右側(奥から)から、大原神社、愛宕神社、蛭子神社、春日神社、阿弥陀如来、出雲神社、厳島神社、松尾神社である。
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 拝本殿の左手には、参道があり、稲荷神社が祀られている。
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 稲荷神社への参道脇には水のない神池がある。
 しかし、池から水が池の外へと勢いよく流れ出している。
 どうしてか分からないが、このような演出なのかも知れない。
 またその傍には井戸も設けられている。
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 その傍には、天満宮も祀られている。
 そして先ほどの水の流れは、神橋の下を流れているのである。
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 神橋の傍には神社の由来・伝説に係る「鯉」のレリーフが建っている。
 そして注連縄柱、社号柱があり、神社境内の一周を完了した。
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 神社の南参道から退出した。
 住所地は「大井町並河一丁目」であった。
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亀岡市・桑田神社

 京都府亀岡市のJR嵯峨野線(山陰線)の馬堀駅近くに、桑田神社と云う式内社が2社祀られていて、いずれも論社である。

 先ずは亀岡市篠町山本の桑田神社である。

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 馬堀駅から東方向の山麓を目指す。
 鵜の川を渡ると、桑田神社の案内板が建つ。
 鉄橋は嵯峨野線である。
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 山の方向へと進み、左折れすると神社の南向きの社頭が見える。
 鳥居と冒頭の社号柱などが設けられている。
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 鳥居を潜ると参道石段である。
 その先は細長い境内となる。
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 中央に拝殿が建つ。
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 拝殿の背後には、瑞垣の中に本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、主祭神が市杵島姫命、配祀が大山咋命 (おおやまくいのみこと)、大山祇命 (おおやまつみのみこと)とされている。
 これらの祭神は、古代に湖であった亀岡盆地を平地として開拓するために、保津峡を開削したとされている。
 但し、この神社の創建は不明である。

 境内社が祀られている。
 先ずは、祓戸宮、九頭竜大神、地主神社である。
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 そして五社神社、天満宮、水神宮などである。
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 篠町山本の桑田神社を後にして、次の桑田神社へと向かう。
 今度は馬堀駅の南、篠町馬堀の式内社論社の桑田神社である。
 社頭は西向きで、小ぶりの境内である。
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 正面に社殿が見える。
 左が本殿、右が天満宮である。
 本殿の祭神は市杵島姫命 とされている。
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 社殿はこの2殿だけで、他に旧鳥居埋設地という石標があるのみの境内である。
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 尚、この桑田神社の創建も不明であるが、一説に、この神社が元社で、祭神が先の桑田神社の方へ遷ったとも云われている。

阪和線24・東佐野駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から23駅目の泉佐野市にある「東佐野駅」である。

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                      (上図の上は北東方向)

 「東佐野駅」で下車する。
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 駅の地図を眺めて見るが、探索の大将になりそうな寺社や遺跡、公園などは見当たらない。
 駅に隣接する池の周囲の丘陵地は高級な住宅街となっているとの話を聞いていたので、訪れてみる。
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 先ずは丘陵地の南側である。
 確かに大きな邸宅が続く。
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 道路を進むが、やはり同様である。
 この辺りの住所地は「泉ヶ丘三丁目」である。
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 更に進む。
 生垣の向こうには灯篭も見える。
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 池畔へと降りてみる。
 池の東側にも大きな邸宅が続く。
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 この辺りの住所地は「泉ヶ丘四丁目」である。
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 池の北側土手からもう一度眺めて見る。
 邸宅街の終端は獣医科病院であった。
 土手の下には保育園がある。
 どことなく高級に見えてしまう。
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 そしてこの地点で東佐野駅のミニ探索を終了したのであった。

阪和線23・和泉橋本駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から22駅目の貝塚市にある「和泉橋本駅」である。

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 「和泉橋本駅」で下車する。
 駅の東側には、古代の「熊野街道」が通っているので、これを北へと歩いてみる。
 途中、趣のある町屋が見られる。
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 更に行くと、「近木川」の手前左側に、「積善寺(しゃくぜんじ)城跡」の説明パネルが建っている。
 この辺りを中心として、戦国時代に根来(ねごろ)衆が築いた城があったとの説明である。
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 この貝塚市辺りは紀州の根来衆の最前線で、幾つかの城が築かれていたその一つである。
 積善寺城は、約60m四方の本丸に、三重の濠をめぐらした城で、三好氏との闘いや、その後豊臣秀吉の根来攻めには9,500人が立て籠もり応戦したとされるが、最後は開城となったと云われている。

 近木川に架かる橋である。
 橋は長いが、川幅は狭く見える。
 両岸から雑木が大きくせり出してきてるのが分かる。
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 橋を渡ると右手には「貝塚中央病院」がある。
 この辺りも城域であったとされている。
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 熊野街道を戻りながら路地へと入ってみる。
 「安楽寺」という寺院がある。
 この辺りが城の本丸とされている。
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 更に進むと「清水大師」と云うお堂がある。
 安楽寺の隠居寺とされ、かつて弘法大師が立ち寄った時、杖で清水を湧き出させたと云う伝説があり、大師信仰と共に多くの人がお参りしたとされているところである。
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 もう一本南の路地へと移る。
 趣のある町屋を見て進むと鐘楼が見えて来る。
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 寺門の上に鐘楼がある浄土真宗本願寺派の明教寺である。
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 この寺院も積善寺城の主要部分であったとされている。
 この寺院が城跡として表示されている地図もある。
 境内を覗いてみる。
 綺麗に整備されていて、親鸞聖人の像も建てられている。
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 明教寺の並びにも趣のある町屋がある。
 それを眺めて、和泉橋本駅の城跡のミニ探索を終了した。
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阪和線22・東貝塚駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から21駅目の貝塚市にある「東貝塚駅」である。

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 東貝塚駅の北西部に隣接して、東京オリンピック女子バレーボールで金メダルを獲得した「東洋の魔女」の主力メンバーがいた「ニチボー貝塚工場」の跡地があるので、これを訪ねてみることにする。

 ニチボー貝塚工場の全景写真である。
 工場の東側(写真では最下部)にあるのが東貝塚駅である。 
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 そして手前半分が工場で、左から第一工場、第二工場である。
 向こう半分は、左手が社宅、右手が女子寄宿舎である。
 敷地の中央には、工場の事務所と体育館がある。
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 東貝塚駅で下車する。
 そして駅の南側の踏切を渡る。
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 道路は商店街となって、旧ニチボーの正面へと延びているが、右手の遊歩道の先に高いネットが見えるので、その方向へと進む。
 元々は工場のエリアである。
 現在はノンプロ野球の日本生命のグラウンドである。
 奥側に整備された球場があり、また雨天練習場もある。
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 グラウンドの傍の道を進む。
 自動車道へと出て、その先は公園状になっている。
 貝塚工場の正門から事務所へ至るエントランス部であったのであろう。
 市民庭園の「おもいでコットン庭」、歴史展示館の「ふるさと 知っとこ!館」である。
 そして、かつての工場内にあったのか「レリーフ」も掲げられている。
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 その先は旧事務所の「貝塚市歴史展示館」、そして左手には大きな「日本生命体育館」がある。
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 展示館の中へと入ってみる。
 まず目につくのは東京オリンピック、「東洋の魔女」である。
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 その隣には、女子卓球選手が並んでいる。
 平野美宇、早田ひな、などオリンピックで話題にされる選手が並んでいる。
 女子卓球リーグの「日本生命レッドエルフ」と云うチームである。
 練習場は、先ほどの体育館とのことである。
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 バレーボールから卓球へと、これら選手がオリンピックで大活躍し、引き継がれた「東洋の魔女」、と云われるようになって欲しいものである。

 そのほかの展示を見てみる。
 伝説の回転レシーブ、ユニフォームやトロフィーなどが並んでいる。
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 ニチボーの業務に関する展示もある。
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 尚、敷地の北側の残り部分は、食品スーパー、ホームセンター、飲食店などが建てられている。

 旧ニチボー貝塚を後に、駅へと戻る。
 当時は多くの社員たちでにぎわったであろうが、時代の流れなのであろう、ひっそりとした佇まいとなっている。
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 駅へ戻った所で、東貝塚駅のミニ探索を終了した。

阪和線21・東岸和田駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から20駅目の岸和田市にある「東岸和田駅」である。

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                      (上図の上は北東方向)

 「東岸和田駅」は快速電車が停車する主要駅の一つである。
 この「東岸和田駅」で下車する。
 駅の東側はロータリーとなっていて、ビルが並び賑やかである。
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 駅の南側の府道を南東方向へと進む。
 10分ほど歩くと神社の杜が右手に見えて来る。
 「土生(はぶ)神社」であり、バス停もある。
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 土生神社の裏参道で、地車庫もある。
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 神社正面は路地を入った所にあり、西向きである。
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 一対の狛犬と一ノ鳥居である。
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 一ノ鳥居を潜ると右手に厳島神社が祀られている。
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 そして二ノ鳥居、三ノ鳥居を潜る。
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 拝殿の手前の右には稲荷神社が祀られている。
 稲荷神社の奥は杜であるが、この社叢は岸和田市の天然記念物に指定されている。
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 拝殿は割拝式である。
 拝殿を潜ると神牛が祀られている。
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 そしてその先は中門・瑞垣の本殿エリアである。
 また、祓戸神社も祀られている。
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 本殿は良く見えないので、後程神社の周囲から眺めて見ることにする。
 これも良く見えないが、本殿脇には境内社が祀られている。
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 神社の南側へと回り込む。
 そこには、須佐男命を祭神とする「牛神社」が祀られている。
 また本殿の姿を少しは見ることができる。
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 この土生神社は、平安時代の後期、白河上皇の熊野参詣御幸の帰り道に、村民が鎮守の神を祀ることを願い出たところ、天満天神を祀れとの御意を得て、菅原道真公を祀ったとの経緯がある。
 従って、主祭神は道真公であるが、配祀神は、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比咩神の春日4神と品陀別命である。 


 土生神社参拝の後、宮司に勧められ、この先にある式内社「矢代寸(やじろぎ)神社」へとバス便で向かう。

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 バス停は「一の宮」である。
 そして参道入り口に社号柱並びに社号碑が建っている。
    2009oIMG_6515.jpg  2009oIMG_6514.jpg  176IMG_6512.jpg  

 標柱の横の参道を進むと真新しい大鳥居が建てられそのまま神社の境内へと繋がっている。
 これは横参道である。
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 正面参道は南側にあり、神社は南面している。
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 鳥居を潜ると、石畳の両脇に一対の狛犬が祀られている。
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 その先正面は拝殿であるが、拝殿手前にも鳥居が建てられている。
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 その背後に本殿が祀られている。
 本殿の祭神は、武内宿彌、波多八代宿彌、建御名方命、素盞嗚命、市杵島比売命、武甕槌命、菅原道真公である。
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 元々は、この地に居住していた波多氏が祖神、即ち武内宿彌、波多八代宿彌を祀った神社であり、古代より阿間河の一ノ宮と云われている
 そして明治の神社合祀により、その他の神が集合した形となっている。

 また、江戸時代には岸和田藩主として岡部宣勝が入封して、岸和田藩の一ノ宮とし、願い出て「一宮牛頭天王」の神号を賜ったと云われている。

 境内社として、本殿の横に稲荷神社が祀られている。
 祭神は、白高大明神、光吉大明神である。
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 またその隣に、辨才天も祀られている。
 境内は広く、大楠が見事である。
 更に、倒壊鳥居、役目を終えた狛犬の安置所もある。
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 矢代寸神社の境内を一巡した所で東岸和田駅のミニ探索を終了したのであった。

阪和線20・下松駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から19駅目の岸和田市にある「下松(しもまつ)駅」である。

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                      (上図の上は南西方向)

 下松駅で下車する。
 駅舎から見たロータリー、街の雰囲気である。
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 街中の道を東へと進む。
 15分強で目的地の久米田(くめだ)公園に到着する。
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 公園内には古墳がある。
 駅に近い西から、風吹山古墳、無名塚古墳、少し離れて光明塚古墳である。
    2009pCIMG0633風吹山  2009pCIMG063無名塚  2009pCIMG0624光明塚
 
 そして公園の東側に周濠を伴った大きな古墳がある。
 橘諸兄の墓と伝えられる全長130mの貝吹山古墳である。

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 この古墳上には戦国時代に貝吹山城が築かれていたとされる。
 久米田の戦いで三好実休が拠点にしたとされる。
 そして畠山高政が紀伊から三好勢を攻め上り、実休は戦死したとされる。
 貝吹山という地名は陣貝を吹いた事が由来ではないかと伝えられている。
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 一旦大池である「久米田池」の池畔まで出る。
 池の遠く向こうの東には、葛城・金剛の山が、南には和泉葛城山や岩湧山が見える。
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 池の西には「久米田寺」の山門がある。
 奈良時代に僧行基が開基した古刹で、現在は高野山真言宗の寺院である。
 山門を潜ると正面には金堂が建つ。本尊は釈迦如来である。
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 金堂の左奥に多宝塔、そして靖霊殿が建つ。
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 金堂の右奥には開山堂である行基堂が、そして金堂の右手には太子堂、観音堂が建つ。
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 その右手は塔頭群である。
 奥から、華厳院、五大院、多聞院である。
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 他にも、阿弥陀院、白髭弁財天・池尻鎮守社、白髭稲荷大明神が祀られている。
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 久米田寺の境内を一巡したところで、下松駅のミニ探索を終了した。


阪和線19・久米田駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から18駅目の岸和田市にある「久米田駅」である。

2009s地図

 久米田駅で下車する。
 関空特急「はるか」がホーム通り抜ける。
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 駅ホームにあった「式内社 夜疑(やぎ)神社」に魅かれ、訪れてみることにする。
 駅前から商店街を辿り、踏切を北西方向へと越えて2kmの道のりを進む。
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 旧街道に面し、南西向きに一ノ鳥居が建てられている。
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 参道を進んだところの交差点の右手に社号柱が建てられている。
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 更に進むとニノ鳥居となるが、その手前に祭神市杵島姫命の弁天社が祀られている。
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 二ノ鳥居脇には一対の狛犬が祀られ、鳥居を潜ると境内となる。
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 境内正面には、拝殿・本殿が祀られている。
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 本殿の主祭神は布留多摩命(ふるたまのみこと)で、この地を支配した八木造(やぎのみやつこ)が祖神として祀ったとのことである。
 そして、明治の神社習合にて、近隣の神16柱を合祀して、現在に至っている。
 その16柱とは、天照皇大神を筆頭とする良く知られた神々である。

 境内の右手には夜疑戎神社が独立して祀られている。
 祭神は事代主命である。
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 境内の左手に神社の裏参道がある。
 辿って行くと、夜疑稲荷神社が祀られている。
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 そして稲荷社への参道脇には何故か2頭の神牛が祀られている。
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 そして石畳の参道を抜けると鳥居が建つ。
 その後、神社の杜を振り返り、久米田駅のミニ探索を終了した。
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阪和線18・和泉府中駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から17駅目の和泉市にある「和泉府中駅」である。

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                     (上図の上は北東方向)

 和泉市の「和泉府中駅」で下車する。
 駅舎は階上で、その階上から陸橋が駅前ロータリーを3方に越えている駅である。
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 そして駅舎は、池上曽根遺跡の「いずみの高殿」の弥生時代の形を模している。
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 陸橋を降りるとアーケードの商店街「ロードインいずみ」がある。
 その商店街を進む。
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 商店街を出ると、「府中町」と云う府道との交差点である。
 府道を渡り東南方向へと進む。
 幼稚園がある。
 そしてその先には神社が祀られている。
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 「泉井上神社」及び「和泉五社総社」の社頭である。
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 鳥居を潜ると、先ずは一対の狛犬が祀られている。
 そして、その先に神社境内を眺めることができる。
 左手の社殿は「泉井上神社」の拝殿、右手が「和泉五社総社」の拝殿である。
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 先ずは左手の「泉井上神社」の拝殿である。
 拝殿前には境内社の「喜田稲荷神社」が祀られている。
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 そして拝殿の奥には本殿が祀られている。
 また、拝本殿の右手には「和泉清水」の標柱が建つ。
 社伝によると、神功皇后が三韓征伐へ出発する途上に当地を行啓した時に、突如として泉が湧き出した。
 そして凱旋後に霊泉として社を築いて祀ったとされている。
 この霊泉は「和泉清水」と呼ばれ、和泉国の国名の起源とされている。
 尚、古代当時の国名は2字で表すことが必須であり、「泉」に「和」を被せて、「和泉国」になったとのことである。
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 尚、本殿の祭神は、和泉大明神(独化天神)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かんむすびのかみ)とされている。

 続いて右手の「和泉五社総社」の拝殿である。
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 拝殿の背後を見てみると、瑞垣の中に、本殿、天神社、白鳥神社(祭神:日本武尊)が並んでいる。
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 また、神社の周りには、「髪之碑」、「勝手神社」、熊野神社」が祀られている。
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 更に境内には、石造板状塔婆、そして古城碑もある。
 古城とは、延文年間には細川顕氏が居城し、その後、永正年間には根来衆によって焼き払われたとされている城である。
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 そして神社の東側へ回り込むと、地車庫、神具庫があり、住所地の表示もある。
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 神社の東南方向には横参道がある。
 辿ると鳥居があり、灯篭もある。
 灯篭は江戸時代享保年間の灯篭も建っている。
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 参道の先に公園が見える。
 「御館山公園」である。
 周りには趣のある町屋もある。
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 そしてこの公園内に「和泉国府廰跡」の碑が建てられている。
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 神社の横参道鳥居前の道は熊野街道である。
 そしてこの辺りの道を「小栗街道」と呼ぶ。
 この街道を北へと歩く。
 大きな町屋が現れる。
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 どのような役割があったのかは分からないが、宿場で言うと本陣のような威容である。
 またその前にも、趣のある町屋がある。
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 そしてこの時点で、和泉府中駅のミニ探索を終了した。

阪和線17・信太山駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から16駅目の和泉市にある「信太山(しのだやま)駅」である。

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                             (上図の上は西方向)

 信太山駅で下車する。
 駅前はロータリーとなっている。
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 駅前のロータリーから、線路を西へと渡り、「池上曽根遺跡」へと向かう。
 途中、池上小学校の前を通過し、国道26号線の「池上曽根遺跡前」という交差点へと出て、それを渡る。
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 渡った所が遺跡公園である。
 広い遺跡公園である。
 弥生時代中期の環濠集落遺跡で、南北1.5km、東西0.6kmに広がり、総面積60万㎡に達する大集落遺跡である。
 公園内には、各種の建築物が再現されている。
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 その中心をなすものは「いずみの高殿」である。
 前にある小さな建物は井戸である。
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 西に杜が見える。
 「弥生の杜」と云う。
 近づくと灯篭が見える。
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 この杜の中には、時代は違うが神社が祀られている。
 奈良時代以前の天武天皇の時代に祀られたもので「曽禰神社」と云う式内社である。

 この神社を訪問して見る。
 社頭は北西方向を向きである。
 この地の住所地は泉大津市曽根町である。
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 東南方向への参道を辿ると社頭の鳥居に到達する。
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 境内右手には「菅原神社千年紀念」の碑と神牛が祀られている。
 明治の神社合祀にて、菅原神社が併合された結果である。
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 その先右折すると鳥居があり神社の社殿となが、鳥居の両側には一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿・本殿である。
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 本殿の祭神は、当初は物部氏系の曽祢氏が饒速日命(にぎはやひ)命、伊香我色雄(いかがしおこ)命を祀ったものであるが、江戸時代には素盞鳴命、そして表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長帯姫命の住吉4神も祀られている。
 更に明治の神社合祀で、菅原道真公を始め、近隣の多くの神々が合祀されている。

 神社の南西側は住宅街で、入り口には鳥居や春日灯篭が祀られている。
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 そして、神社の東側に出ると、先ほどの池上曽根遺跡が広がっている風景となる。
 この地点で「信太山駅」のミニ探索を終了する。

阪和線16・北信太駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から15駅目の和泉市にある「北信太(きたしのだ)駅」である。

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                          (上図の上は南方向)

 北信太駅で下車する。
 駅舎の東側、そして西側である。
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 駅の西側では正面にいきなり朱の鳥居が現れる。
 「信太森神社」・通称「葛葉(くずのは)稲荷神社」の参道である。
 鳥居を潜り左折すると、直ぐに鳥居が建つ。
 住所地は「葛の葉町」である。
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 参道を進む。
 少し進んだところで「信太森神社」の東向きの社頭へと到着する。
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 石の鳥居を潜ると神門がある。
 神門を潜ると真っ直ぐな参道が続き、正面に社殿が見える。
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 拝本殿である。
 祭神は、宇迦御魂神、大己貴命、大宮姫命・素盞男命、猿田彦命、若宮葛ノ葉姫とされている。
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 境内には多くの神が祀られている。
 それとは別に、 安倍晴明遥拝の子安石、千利休作のふくろうの灯篭がある。
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 また、和泉式部の歌碑、そして安倍晴明の母にまつわる白狐の歌碑が建てられている。
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 尚、この神社「葛の葉」は狐の名前とのことで、文学・歌舞伎などで知られる『葛の葉物語』の舞台となった所でもある。

 余談であるが、大阪には「しのだうどん」という「うどん」がある。
 この「信太森神社」に因む「きつねうどん」のことである。

 そしてこの時点で、「北信太駅」のミニ探索を終了した。

阪和線15・富木駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から14駅目の高石市取石にある「富木(とのき)駅」である。

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 「富木駅」で下車する。
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 今回は式内社「等乃伎神社」を訪れてみる。
 駅前から東方向へ歩くと、神社の鎮座地の取石2丁目に至る。
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 「等乃伎(とのき)神社」の社頭である。
 神社は西向きである。
 社頭の道路を挟んで、薬師堂がある。
 社頭の標柱には「殿來(とのき)神社」とも記されている。
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 参道を進むと一ノ鳥居や社号柱が建つ。
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 鳥居を潜って進むと二ノ鳥居がある。
 その鳥居の少し先には祓岩が祀られていて、神社参りの時はこの祓岩で穢れを祓うことになっている。
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 その先の一段と高いところには一対の狛犬が祀られている。
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 そして拝殿・本殿である。
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 本殿の主祭神は天児屋根命とされる。
 中臣氏に連なる祭祀氏族の殿来(とのき)連がその祖神を祀ったものとされている。
 また相殿には、大歳大神、壺大神、菅原道真公、誉田別尊が祀られている。
 尚、大歳大神は式内社「大歳神社」の祭神である。

 本殿の右手に宇賀之御魂神を祀る摂社「宇賀之御魂神社」がある。
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 この神社には巨木伝承があり、 『古事記』下巻の仁徳天皇の段に、
 「兔寸河(現、富木川)の西に一本の高い樹木があった。
  その樹木に朝日があたれば影は淡路島におよび、
  夕日があたればその影は高安山を超えた。
  ある日、この樹木を伐って枯野と呼ばれる船を作り、
  朝な夕なに淡路島の清水を汲んで、その聖水を天皇に献上した。
  この船が壊れてから、その廃材を焼いて塩を作り、
  その時、燃えない材木があったので琴を作ったところ、
  素晴らしい音色を発し、遠くの村里にまで響きわたった」
 とある。

 また等乃伎神社は、よそでは手に入りにくい「お守り」が沢山授与されることでも知られている。

 この時点で富木駅のミニ探索を終了する。

阪和線14-1・東羽衣駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から13駅目の「鳳駅」からの阪和線の支線(羽衣線)の1駅目で起終点の「「東羽衣駅」である。

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 鳳駅の本線とは別ホームからの出発である。
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 走り出した電車は終着の高石市の「東羽衣駅」で停車し、下車する。
 「東羽衣駅「」は南海本線「羽衣駅」が隣接し、乗換駅でもある。
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 「東羽衣駅「」は南海本線「羽衣駅」が隣接し、乗換駅でもある。
 南海本線は高架工事中で、現在は片側のみ高架駅である。
 この高架沿いを北へと進む。
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 工事現場のパネルには、動物の絵が描かれ、立体的でリアルである。
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 歩いて行くと南海本線の「浜寺公園駅」の手前の踏切に到着し、これを渡る。
 駅のホームが見える。
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 ホームに平行した路地を進む。
 駅舎の側面が見えて来る。
 この駅舎の説明板によると、この駅舎は東京駅などを設計した「辰野金吾」らの設計によるものであるとのこと。
 明治時代に建てられたもので、私鉄では最古級で、国の登録有形文化財に指定されているとのことである。
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 正面に回ってみる。
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 内部にはカラフルなイスが並べられている。
 幟には、「カフェ駅舎」と書かれている。
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 浜寺公園駅は隣に仮駅舎がある。
 そして駅前から正面を眺めると、公園が見える。
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 公園へと向かう。
 右手に阪堺電車の駅もある
 そして公園の入り口へと達する。
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 公園の案内図である。
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 公園中央には広い通りがある。
 進んで行くと、バラ園へと到着するが花は僅少である。
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 また付近に噴水、レストハウスもある。
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 進んできた道の両側には、松林がある。
 児童向けの遊具施設も見られる。
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 レストハウスの右手奥にはプールがある。
開業当時は東洋一の規模を誇ったそうで、今でも大きな施設である。
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 プールを後に、松林の中を入り口へと向かう。
 途中、地元堺市出身の与謝野晶子の歌碑、そして置始東人の万葉歌碑も建つ。
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 そして松にまつわる碑「惜松碑」があり、鳳凰松は石柱で保護されている。
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 そして入り口へと戻ったところで「東羽衣駅」のミニ探索を終了した。

阪和線14・鳳駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から13駅目の堺市西区にある「鳳駅」である。

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                        (上図の上は西方向)

 鳳駅は堺市西区の中心的な駅で区役所もあり、快速電車も停車する駅である。 
 
 鳳駅で下車し、西口から出る。
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 駅前道路を北へと向かうと東西の道路と交差するので、その道路を左へと行く。
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 交差した道路は「熊野街道」である。
 進んで行くと神社の社頭へと達する。
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 「大鳥大社」である。
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                           (上図の上は東方向)

 社頭には朱の鳥居、社号柱が建つ。
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 そして鳥居の背後には一対の狛犬がある。
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 鳥居を潜り、長い参道を進む。
 絵馬殿、この神社の祭神の「日本武尊(やまとたけるのみこと)」の像が建つ。
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 左手は社殿である。
 鳥居、拝殿と並ぶ。
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 拝殿の内部である。
 神紋は「八尋の白鳥」とのことである。
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 そして中門を経て本殿である。
 本殿の祭神は、日本武尊、そして大鳥連祖神である。
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 この大鳥大社は、和泉国一之宮、そして式内社名神大社である。
 創建については、景行天皇の子である日本武尊が西征して熊襲を平定し、東征して東国を平定したが、伊吹山で病に倒れ、薨去し葬られたが、その魂が白鳥となって飛び立ち、最後にこの大鳥の地に舞い降りたとされる。
 その地に社を建てて祀ったのが大鳥神社の始まりとされている。

 境内を東へと進む。
 左手に「筆塚」、平清盛親子の歌碑がある。
 この歌碑は、熊野詣をした時に都に兵乱があると聞き、この神社に参拝し、戦勝祈願したときの歌である。
       「かひこぞよ かへりはてなば飛びかけり 
                     はぐくみたてよ 大鳥の神」
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 更に東へと進むと、摂社が祀られている。
 「大鳥美波比神社」である。
 祭神は、天照大神、相殿に押別命、菅原道真公、国常立尊、市杵嶋姫命である。
 道真公の神牛も配されている。
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 そして拝殿・拝所である。
 また神社の参道横には末社の「四社合祀殿」が祀られている。
 祭神は火鎮大神、宗像大神、稲荷大神、織姫大神とされている。
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 本殿横を北へと進む。
 裏参道である。
 そして鳥居、社号柱を経て退出し、鳳駅のミニ探索も終了したのであった。
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阪和線13・津久野駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から12駅目の堺市西区にある「津久野駅」である。

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                          (上図の上は南東方向)

 「津久野駅」で下車し、駅前から南東方向へと続く道を進む。
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 直ぐに広い道路との交差点に出る。
 ときはま線と泉北2号線の交差点である。
 その左手角に「堺市総合医療センター」があり、象の親子のモニュメントがある。
 そして、その先は家原(えばら)城跡である。
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 家原城は、戦国末期に三好長慶の家来であった松永久秀と、三好三人衆の抗争の場となった城であるが、現在は宅地化により遺構は消滅している。
 その本丸跡とされる辺りに、家原城跡広場が設けられているのみである。
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 城跡と住宅の間に家原城跡小道がある。
 城跡広場内にある蔵なども見ることができる。
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 城跡の前の道の向こうは池である。
 「家原大池」と云う。
 池との間の道を北へと進むと、城跡の並びに地車庫もある。
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 更に進むと池畔に体育館がある。
 時節柄、百日紅が綺麗である。
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 更に進む。
 僧「行基」が誕生したとされる「行基宗 家原寺」へと到達する。
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 家原寺には南大門(仁王門)がある。
 仁王像同士は門内で向かい合っている。
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 家原寺へと入る。
 庭園や塔が綺麗である。
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 境内正面には本堂がある。
 本尊:は文殊菩薩である。
 落書き寺として知られているが、現在はハンカチに書いて本堂に張り付けると云う体をとっている。
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 また、お堂としては、薬師堂や開山堂などがある。
         2009yIMG_5667薬師堂  2009yIMG_5659開山堂

 そして僧行基に係る「行基菩薩誕生塚」である。
 左手の小高い所に建てられていて、その前には井戸もある。
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 家原寺を後にして、家原大池まで戻る。
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 池畔は先の体育館と共に公園となっているので、それを眺めて見る。
 先ずは児童用の設備がある。
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 また池畔から体育館や医療センターなどが見える。
 そして入場ゲートを通して体育館眺め、池の周りを一周したところで、「津久野駅」のミニ探索を終了したのであった。
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阪和線12・上野芝駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から11駅目の堺市西区にある「上野芝駅」である。
 
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                          (上図の上は南方向)

 「上野芝駅」で下車する。
 駅北側の泉北一号線を西へと向かうと、右手に世界文化遺産の一つ「履中天皇陵」の拝所への入り口がある。
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 拝所への参道の両側は住宅地である。
 古墳の案内板もある。
 古墳名称は「上石津ミサンザイ古墳」と云い、宮内庁により「履中天皇百舌鳥耳原南陵」と治定されている。
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 突き当りは拝所である。
 前方部の墳丘も見えるが、両横は住宅地なので、移動は不可能である。
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 古墳の周囲を時計回りに歩いてみる。
 
 先ずは左手(西側)である。
 前方部の周濠を横から眺める。
 住宅が並んでいるのが分かる。
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 周濠の土手の下には遊具が設置されているが、土手はかなりの高さである。
 墳丘を確認することが背一杯である。
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 更に回って後円部の頂点に達する。
 そこには、古墳展望所が設置されている。
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 後円部を後に更に回る。
 住宅に遮られて古墳は見えない。
 僅かな住宅の隙間から墳丘が確認できる程度である。
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 しばらく行くと、道は周濠の傍に出る。
 その場所は墳丘のほぼ中央付近で、その位置から前方部、後円部を眺めてみる。
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 そして前方部まで戻り、墳丘全体を間がめてみる。
 墳丘長は約365mで、わが国第3位の大きさである。
 また、前方部の周濠の向こう遠くに臨海工業地帯の煙突が見えるのも、堺市ならではである。
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 古墳の周囲を一周したところで「上野芝駅」のミニ探索を終了した。

阪和線11・百舌鳥駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から10駅目の堺市堺区にある「百舌鳥(もず)駅」である。

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 百舌鳥駅で下車し、北西方向へと進む。
 この通りは「御陵通り」・「熊野街道」である。
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 その右手に仁徳陵の拝所、左手が大仙公園への入り口である。
 公園入口には、仁徳天皇が鹿の口から百舌鳥を取り出した白い像が建っている。
 ある時、野の中から鹿が現れたが倒れて死んでしまい、その耳から百舌鳥が飛び出したと云う由来に基づくものである。
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 公園の入り口を入ると、先ずは堺市博物館へと向かう遊歩道となっている。
 そしてその両側に、武野紹鴎像、千利休像が建てられている。
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 その像の背後に、黄梅庵という茶室が建てられている。
 奈良県橿原市今井町の豊田家住宅にあった江戸時代中期の茶室を移築したものとのことである。
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 茶室を過ぎると、博物館である。
 博物館には、古代の古墳にまつわる展示やら、中世の鉄砲鍛冶にまつわる展示等がなされている。
 尚、博物館の側面の池は「どら池」と云う。
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 どら池の北畔には、平和塔が建てられている。
 また池の南側は大芝生広場となっている。
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 更に進むと堺市立中央図書館があり、半球儀を通して先ほどの平和塔が重なる。
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 南方向へと行く。
 日本庭園の入り口である。
 この庭園は、中根金作し設計による「築山林泉廻遊式庭園」で、堺市制100周年を記念して、平成元年3月に開園されたものである。
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 入り口を入ると広い池泉が広がる。
 中国大陸と堺をつなぐ大海を表現しているとのことである。
 池泉の左手には印月橋(いんげつきょう)、そして高い所にある傘亭、そして廬山がある。
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 右手は、大陸式の甘泉殿(かんせんでん)、緑が広がっている。
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 回遊は先ずは、南の高い部分へと向かう。
 最も高い所は桃源台と云い、泉北丘陵を想定している。
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 そこから西側の遊歩道を下る。
 清流は石津渓で、堺の古来からの川である石津川を模したものである。
 また途中に青苔亭(せいたいてい)と杜若池(とじゃくち)があり、シーズンには花菖蒲が咲き誇る所である。
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 桔梗の元気な姿も見られる。
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 更に下ると傘亭へと到着、向かいの休憩舎が見える。
 この建物は中世末期に納屋衆(のちに会合衆とも)呼ばれた堺の豪商たちが会合等に利用した集会所を想定して建てられたものである。
 また、休憩舎の向こうに平和塔を望むことができる。
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 また、甘泉殿に近づくと庭園には不可欠な滝である飛竜滝がある。
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 園内をほぼ一周したので、この時点で百舌鳥駅のミニ探索を終了した。

阪和線10・三国ヶ丘駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から9つ目の堺市堺区にある「三国ヶ丘駅」である。

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                         (上図の上は北東方向)

 三国ヶ丘駅で下車する。
 三国ヶ丘駅は、JRと南海電鉄高野線が交差する駅で、駅舎は共同で運営されているようである。
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 駅舎・ロータリーの南西にはかつての西高野街道である国道310号線(通称:さんとうせん)が通っている。
 これを北西方向へと進む。
 JR阪和線の線路の上を進み、少し行くと左手に「ミユキ御苑」という標柱がある。
 「仁徳天皇陵御参拝道」とも表示されている。
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 これを辿ってみる。
 周濠の向こうに現れるのは陪塚の大安寺山古墳である。
 そして仁徳天皇陵の周回道路を辿ると1150mで拝所に至るとされている。
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 この参道を進む。
 仁徳陵の周濠は3重である。
 その外側を進むことになる。
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 周濠の内部の内部を見ようとするが、木々に阻害され見ることはできない。
 左手には、陪塚も見られる。
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 更に進む。
 路面には堺市のマンホールの蓋がされている。
 南蛮船と、堺港の灯台のようである。
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 仁徳陵の住所地は「大山町」というが、外側は「百舌鳥夕雲(もずせきうん)町」と云う。
 進んで行くと、周濠が一旦打ち切りとなる。
 水位の調節を行う個所であろう。
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 その先は、前方部の周濠である。
 周濠は折れ曲がり、前方部に沿って進む。
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 大きな古墳である。
 前方部もかなりの長さがある。
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 周濠の向こうに管理事務所が見え、拝所が近づいたことが分かる。
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 拝所に到達した。
 宮内庁により百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)」として仁徳天皇陵に治定されている大仙古墳である。
 昨年、世界文化遺産に登録されたのも新しい出来事である。
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 拝所からは、中の周濠が見える。
 左側、右側である。
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 また拝所前には、仁徳天皇陵の航空写真、模型が置かれている。
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 そしてこの地点で三国ヶ丘駅のミニ探索を終了する。

阪和線9・堺市駅

 「天王寺駅」、「関西空港駅」、「和歌山駅」を起終点とするJRの「阪和線」、「関西空港線」の各駅を途中下車で訪問して見る。
 今回は「天王寺駅」から8つ目の堺市堺区にある「堺市駅」である。

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                          (上図の上は南方向)

 大阪府堺市には鉄道の中心駅が3つある。
 西から、南海電鉄「堺駅」、南海電鉄高野線「堺東駅」、そしてこのJR阪和線の「堺市駅」で、その「堺市駅」で下車する。
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 駅舎の南側には東西に道路が通っている。
 古代の奈良県葛城市に向かう「長尾街道」である。
 その街道を西へと向かう。
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 しばらく行くと左手に神社がある。
 「方違(ほうちがい)神社」と云う。
 この神社は、紀元前の崇神天皇の時代に創建されたとされる。
 この地は摂津国、河内国、和泉国の三国の境であり、どの国にも属さない三国山(三国ヶ丘)で、どの国にも属さない地、方位のない地であるとして、古くから方位、地相、家相などの方災除けの神社として栄えてきた。
 「堺」の地名もこの三国の「境」から来ているとされる。
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 鳥居の両側には一対の狛犬が祀られている。
 また境内には、「三国ヶ丘」の石碑も建てられている。
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 境内参道は左へと曲がり、正面に3年前に建て替えられた拝殿・本殿が祀られている。
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 本殿の祭神は、天神地祇の他、素盞嗚尊、住吉大神、神功皇后の四神である。

 幾つかの境内社も祀られている。
 先ずは、本殿左手に白髭大明神、末次大明神、八幡大神である。
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 少し離れて、楠木姫大神、神明社、などである。
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 神社境内から、神社の南側にある「反正(はんぜい)天皇陵」の後円部を望むことができる。
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 第18代反正天皇は、仁徳天皇の子で、応神天皇の孫でもある。

 天皇陵の拝所は南側にあるので、回り込んでみる。
 正式には、「反正(はんぜい)天皇百舌鳥耳原北陵」に治定されている百舌鳥古墳群のうちの田出井山古墳(たでいやまこふん)で、昨年に世界文化遺産に登録された古墳群の1である。
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 拝所には説明看板が掲げられ、南向きの墳丘長が148mの前方後円墳であることが分かる。
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 古墳の周囲を巡ってみるが、保護柵で囲まれているため、十分な観察が難しい。
 先ずは左の側面である。
 策の間から見た後円部、そして周濠が僅かに見える前方部である。
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 次に右側である。
 ここも前方部の周濠が僅かに見えるだけである。
 そして墳丘の側面を住宅の間から眺めたものである。
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 この陵は、現在残っている内濠の外側に外濠もあったとされている。

 反正天皇陵の東には2つの陪塚がある。(上掲の古墳図面にあり)
 先ずは天王古墳である。
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 そして鈴山古墳である。
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 この反正天皇陵と、仁徳天皇陵、履中天皇陵の3陵を巡る遊歩道を「百舌鳥三陵周遊路」と云う。
 そして、神社前の長尾街道へと戻り、堺市駅のミニ探索を終了した。
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プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
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よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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