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近鉄生駒線6・東山駅は「まぐわ淵」

 奈良県内を走る近畿日本鉄道の「生駒駅」と「王寺駅」を結ぶ「近鉄生駒線」の各駅を「生駒駅」から順に訪ねてみる。
 今回は、北の起終点の「生駒駅」から5番目の駅で、奈良県生駒市と生駒郡平群(へぐり)町の両方に跨る「東山駅」である。

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 「東山駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、2面2線の相対式である。
 但し、東側の1面1線は、「生駒駅」間との折り返し列車専用とのことである。
 尚、隣の「萩の台駅」と、この「東山駅」との間は複線となっている。
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 駅前は、広いロータリーである。
 その背景については、元々この駅は「茸山駅」と云い、西方60mにあり、路線を直線化するためにこの地に平成5年に移設されたものとのことである。
 そして駅前は、交通の便を考慮してデザインされ、その後、菊美台団地、近畿大学奈良病院などが開設されている。
 駅を後に南方向へと進むとテニスコートがあり、公園がある。
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 「平群北公園」である。

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 公園には、「プレイゾーン」、国道に架かる「みはらし橋」、「多目的広場」などがある。
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 公園から出て、西へと進む。
 この下にある「まぐわ(馬鍬)淵」の谷へと降りて行く。
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 「まぐわ淵」の案内図がある。
 「竜田川」がU字の流れになっている岩場で、遊歩道もある。
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 降りて行くと、右手には「近鉄生駒線」、左手には「東屋」、そして「竜田川」の畔へと出る。
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 そして滝壺が近づき、滝が見えて来る。
 そう大きな滝ではないが、水量が増すと轟音を立てて流れるとのことである。
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 昔、川の瀬に馬鍬と牛が呑み込まれ、二度と上がってこれなくなったとの伝説がある。
 それ以来ここは「まぐわ淵」と呼ばれ、河童がすんでいるという伝説があるとのことである。

 滝を見ながら、北(上流)へと進んで行く。
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 上流は、岩がゴロゴロしているが、静かな流れである。
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 遊歩道は、谷間から地上へと登る。
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 登った西方向には「竜田川」が流れ、橋が架かっている。
 その「熊白檮(くまかし)橋」からの「竜田川」の眺めである。
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 そして駅へと戻り、「東山駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄生駒線5・萩の台駅の石福寺

 奈良県内を走る近畿日本鉄道の「生駒駅」と「王寺駅」を結ぶ「近鉄生駒線」の各駅を「生駒駅」から順に訪ねてみる。
 今回は、北の起終点の「生駒駅」から4番目の駅で、奈良県生駒市にある「萩の台駅」である。

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 「萩の台駅」で下車する。
 「近鉄生駒線」は、前駅の「南生駒駅」からこの「萩の台駅」の間は単線である
 しかし駅ホームは1面2線の島式で、上下列車の交換ができる構造である。
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 駅ホームから、西方向の「生駒山」を望むことができる。
 駅舎は階上で、東口から出ると、マンションに囲まれた広場へと出る。
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 今回は駅前の新興住宅街の北にある「石福寺」を訪問することにしている。

 住宅街を北へと進む。
 以前からの住宅街へと出ると、旧道の交差点に「道標」が立っている。
 「大阪」、「矢田山」の表記がある。
 その「道標」の立つ狭い道を東方向へと進む。
 尚、この細い道は途中で「暗越奈良街道(国道308号線)」と合流し、「矢田山」を通り、奈良へ向かう道でもある。
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 この道を上って行く。
 左手に石垣が見えて来る。
 手前に「文化財保存館」、そしてその先が「石福寺」である。
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 石垣の尽きるところに「山門」が建っている。
 由緒書きも並んでいる。
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 「山門」を潜る。
 右手に、由緒書きにも記されている「十三仏板碑」3基、「六字名号板碑」2基、「三界万霊碑」1基、合わせて6基の板碑が祀られている。
 安土桃山時代から江戸時代初期に祀られたものとのことである。
 また、左手に一般の宝篋印塔とは形が異なるものも祀られている。
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 右手の「本堂」である。
 本尊は「阿弥陀如来」とされている。
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 「本堂」に続いて、「地蔵菩薩」が祀られる「地蔵堂」が建っている。
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 その先には、先ほど下から見上げた「文化財保存館」が建っている。
 入り口には、「民具展示室」と記されている。
 この展示館の中には、昭和の初めまで続いた「乙田浄瑠璃・芝居」の資料が保存されているとのことである。
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 そしてこの地点で、「萩の台駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄生駒線4・南生駒駅は暗越奈良街道

 奈良県内を走る近畿日本鉄道の「生駒駅」と「王寺駅」を結ぶ「近鉄生駒線」の各駅を「生駒駅」から順に訪ねてみる。
 今回は、北の起終点の「生駒駅」から3番目の駅で、奈良県生駒市にある「南生駒駅」である。

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 「南生駒駅」で下車する。
 駅ホームは、2面2線の相対式であり、ホームは地上、改札は地下である。
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 駅舎から出て、南方向へと進む。
 右手には、「竜田川」を渡る橋「小瀬橋」が架かっている。
 少し先の左手には、踏切の向こうに、奈良方面へ向かう「暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)」がある。
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 そして、「竜田川」に架かる「小瀬橋」である。
 そして、橋上からの「竜田川」の北方向である。
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 橋を渡ると、「国道168号線」と交差する。
 その国道の、北方向、南方向の風景である。
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 西方向へ進む道は「暗越奈良街道」であるが、「国道308号線」でもある。
 国道とは云いながら、かなり狭い道路である。
 この道路は、「生駒山」を「暗峠」を越えて、奈良と大阪を結ぶ街道である。
 この道路を進んで行く。
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 少し行くと、右手に小学校がある。
 「生駒市立生駒南小学校」である。
 時節柄、桜も溢れんばかりである。(撮影は3月28日)
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 「暗越奈良街道」を進んで行く。
 今回の目的地は、「応願寺」そして「美務岡萬墓」である。
 少し行って右折し、「応願寺」へと向かう。
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 参道を進み、「融通念仏宗 応願寺」の境内へと入る。
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 正面は「本堂」である。
 「本堂」の「本尊」は、「十一面千手観音」である。
 また、本堂の右横に、墓標のような「寺号標」が建っている。
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 尚、「応願寺」の創建は不詳であるが、鎌倉時代以降の塔や石仏などが多く存在しているとのことである。
 境内であるが、昇り終えた石段の右手に、「十三重石塔」、お堂の中に2体の「石仏」、そして手前に「応願寺名号板碑」が建てられている。
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 その他、境内には、修験道の祖と仰がれる役行者(役小角)の諡号(しごう)の「神變大菩薩」の石碑、不明の堂宇、寺務所などがある。
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 東の参道を東へと進む。
 しばらく行くと、一段と高い盛り土が見えて来る。
 石垣を回り込んでみると、「美務岡萬(みののおかまろ)墓」の案内板がある。
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 石段を昇ってみる。
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 昇り詰めたところは平地となっていて、「美務岡萬」の墓碑が祀られ、説明板もある。
 説明板によると、「美務岡萬」は奈良時代初期の遣唐使で、帰国後、宮内省主殿寮の長官になった人物で、この墳丘の内部の石室に遺骨が納められていたとのことである。
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 この墳丘からの風景である。
 先ずは、真下と南方向の「竜田川」流域の風景である。
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 更に、西南方向、西北方向の「生駒山系」のすそ野の風景である。
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 そしてこの地点で、「南生駒駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄生駒線3・一分駅は往馬大社

 奈良県内を走る近畿日本鉄道の「生駒駅」と「王寺駅」を結ぶ「近鉄生駒線」の各駅を「生駒駅」から順に訪ねてみる。
 今回は、北の起終点の「生駒駅」から2番目の駅で、奈良県生駒市にある「一分(いちぶ)駅」である。

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 「一分駅」で下車する。
 駅は地上で、2面2線の相対式である。
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 「一分駅」の北西方向には、古代からの式内社大社の「往馬大社」、正式社名は「往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)」が「生駒山」をご神体として鎮座しているので、これを訪問してみる。

 駅舎を出て北へと進み、左折し、西方向へと進む。
 先ずは「近鉄生駒線」の踏切を渡り、「竜田川」を「大宮橋」で渡る。
 川の畔には桜並木が盛りである。(撮影は3月28日)
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 その先は「国道168号線」と交差する。
 その国道の、北方向、南方向の風景である。
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 国道を越えて更に西進する。
 しばらく進むと、南北の道路に突き当たる。
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 この突き当りの右手には辻地蔵が祀られている。
 そして、右折(北進)して進むと「往馬神社」が見えて来る。
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 神社社地の南部分は「社務所」である。
 丁度、枝垂桜の時期でもある。
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 そして社地の東側中央には、鳥居と社号柱が建つ参拝口がある。
 鳥居を潜ると広い境内である。
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 この広場は、祭礼などが行われる所であろうと思われる。
 広場の周りには、北側に「北座」、中央正面には「高座」、南側には「南座」の建物がある。
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 そして正面には、「本拝殿」などの社殿へ参拝する石段が設けられている。
 これを昇る。
 石段の先には、「楼門(唐門)」が見えて来る。
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 「楼門」の両手前には、一対の狛犬が祀られている。
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 「楼門」を潜ると更に石段であり、これを昇る。
 見えているのは、「拝殿」である。
 そして昇り切ったところの「拝殿」の風景である。
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 「拝殿」の背後には瑞垣に囲まれた「祝詞殿」と7棟の「本殿」が祀られている。
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 本殿の祭神は、当初は中央に祀られている「伊古麻都比古神」、「伊古麻都比賣神」の2座であったとされる。
 そして、鎌倉時代に武家の守護神である五座の八幡神(「息長宿禰王命」、「氣長足比賣命(神功皇后)」、「譽田別命(応神天皇)」、「足仲津比古命(仲哀天皇)」、「葛城高額姫命」)を合せ祀り、現在の七座となったとのことである。

 「本拝殿」の両側に境内社が祀られている。
 先ずは北側である。
 「英霊殿」、「北末社(「大山祇社」、「春日社」、「神明社」、「仁徳天皇社」、「豊受比賣社」)、「観音堂」が祀られている。
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 次に南側である。
 先ずは「祓戸社」、「上溝(うわみず)桜」が祀られている。
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 そして、鳥居の中には、「生駒戎神社」、「南末社(「月読社」、「猿田彦社」、「住吉社」、「伊弉諾社」)」、「稲荷社」、「水神社」が祀られている。
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 そして「往馬坐伊古麻都比古神社」の境内を一巡し、社務所にて「ご朱印」を頂き、「一分駅」のミニ探索を終了したのであった。

近鉄生駒線2・菜畑駅の桜並木

 奈良県内を走る近畿日本鉄道の「生駒駅」と「王寺駅」を結ぶ「近鉄生駒線」の各駅を「生駒駅」から順に訪ねてみる。
 今回は、北の起終点の「生駒駅」の次の駅で、奈良県生駒市にある「菜畑(なばた)駅」である。

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 「菜畑駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、2面2線の相対式である。
 ホームからは、「生駒山」が正面に見える。
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 ホームから階段を降り、改札口から出る。
 駅舎の西側は、小さなロータリーとなっている。
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 その西側には、「竜田川」が流れ、「清流橋」が架かっている。
 その上流、下流の風景である。
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 橋を渡ったところは「国道168号線」との交差である。
 その北方向、南方向の風景である。
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 「清流橋」の袂まで戻り、「竜田川」の川べりに沿って南下する。
 川の両岸に桜並木が見えて来る。(撮影は3月28日)
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 途中に歩道橋が架かっている。
 その歩道橋からの眺めである。
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 川岸へと戻り、下流へと進む。
 左手の近鉄線路に「跨線歩道橋」が架かっているので、登ってみる。
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 跨線橋からの風景である。
 「竜田川」の南方向、正面、北方向の風景である。
 「生駒山」、そして近鉄電車が走っているのも見える。
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 そして、桜の花びらを眺めながら駅へと戻り、「菜畑駅」のミニ探索を終了したのであった。
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近鉄生駒線1・生駒駅の商店街


 奈良県内を走る近畿日本鉄道の「生駒駅」と「王寺駅」を結ぶ「近鉄生駒線」の各駅を「生駒駅」から順に訪ねてみる。

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 今回は、その北の起終点の奈良県生駒市にある「生駒駅」である。
 「生駒駅」は「近鉄奈良線」、「近鉄けいはんな線」との共通駅である。

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 「近鉄奈良線」の「生駒駅」で下車し、改札内コンコースを経て駅舎の外に出る。
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 駅舎の外は高架の歩道橋が延びるペデストリアンデッキである。
 眼下には、駅前ロータリー、駅の直ぐの北には、「近鉄百貨店」がある。
 そして、南西方向には「生駒山」が見える。
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 百貨店前の歩道橋を進む。
 右手には、「ベルテラス生駒」と云うビルがある。
 その5階には、木田氏の寄付によって生まれた「生駒駅前図書室 木田文庫」が設けられている。
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 そして、「ベルテラス」の道路を挟んで周辺には、学習塾が軒を並べている風景がある。
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 今度は、ペデストリアンデッキを西方向へと進む。
 西方向は「生駒山」への入り口である。
 ケーブル駅の「鳥居前駅」がある。
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 更に、駅の南側へと行く。
 歩道橋から商店街の入り口が見える。
 商店街の方へ歩道橋を渡り、地上へと降りる。
 アーケード商店街「びっくり通り」の入り口に直交して、アーケード庇の商店街がある。
 「生駒駅前南商店街」と云う。
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 「びっくり通り商店街」を歩いてみる。
 昔ながらの商店の集まりである。
 長くはないので、直ぐに出口となる。
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 そして駅周辺を巡ったところで、「生駒駅」のミニ探索を終了し、駅構内の「近鉄生駒線」のホームへと向かい、「王寺駅」行きのワンマンカーに乗車したのであった。
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南海電鉄高野線42・極楽橋駅

 「南海電鉄高野線」の起終点の「汐見橋駅」から「岸里玉出駅」、「河内長野駅」を経由し、「高野線」の各駅を探索することにしている。
 「南海電鉄高野線」は「橋本駅」から単線区間に入り、「紀ノ川」を渡って、先ずは川の左岸を西進し、そして「高野下駅」から谷底の「不動谷川」沿いに山間部へと入る。
 そして、その山間部の4駅、「下古沢駅」、「上古沢駅」、「紀伊細川駅」、「紀伊神谷駅」を通って行く。

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 この4駅については、駅名標を眺めることにする。
 先ずは、「下古沢(しもこさわ)駅」、「上古沢駅」、と山の風景である。
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 次の、「紀伊細川駅」、「紀伊神谷駅」である。
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 そして、「南海電鉄高野線」は終点の「極楽橋駅」に到着する。
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 「極楽橋駅」で下車する。
 この駅は、昭和4年に開業された駅で、駅ホームは、3面4線の櫛型である。
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 ホームには、特急列車「こうや号」、「難波駅」行の急行列車も停車している。
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 この駅は、ケーブル線との乗換駅でもある。
 改札内のコンコースは広く、天井には、「いのちのはじまり」をテーマにした、高野山ゆかりの動植物などが描画され、天井に飾られている。
 そしてその先は、ケーブル駅に繋がっている。
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 駅から出場する。
 駅舎と「不動谷川」の間の道を下流方向へと進む。
 ケーブルの駅舎が見える。
 そして川の対岸は、「極楽の森」と云う。
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 その先には、駅名由来の「極楽橋」が架かっている。
 街道は、「高野街道 京大坂道」である。
 橋の袂には、地蔵尊も祀られている。
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 「極楽橋」を渡る。
 こちらの袂にも地蔵尊が祀られている。
 また、こちらには「高野七口押印帳」の押印所がある。
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 この地点から、高野山へ向かう「不動坂」が登っている。
 少し登ってみる。
 ケーブル駅、電車駅を見下ろす風景がある。
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 「極楽橋」から下流へと進む。
 そこには、車道用の「新極楽橋」が架かっている。
 その橋上からの、「極楽橋」、駅方向の風景である。
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 そしてこの地点で、「極楽橋駅」と「南海電鉄高野線」のミニ探索を終了したのであった。

南海電鉄高野線37・高野下駅

 「南海電鉄高野線」の起終点の「汐見橋駅」から「岸里玉出駅」、「河内長野駅」を経由し、「高野線」の各駅を探索することにしている。
 「南海電鉄高野線」は「橋本駅」から単線区間に入り、「紀ノ川」を渡って、先ずは川の左岸を西進し、そして山間部へと入って行く。
 今回は、「橋本駅」から4番目の駅で、和歌山県伊都郡九度山町にある「高野下駅」である。

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 「南海電鉄高野線」は、前回の「九度山駅」を過ぎると、「不動谷川」が底部に流れる山間へと入って行く。
 その最初の駅が「高野下駅」であり、谷の西斜面に設置されている駅である。

 「高野下駅」で下車する。
 ホームは、1面2線のの島式である。
 そしてホームから見える駅舎は、レトロ調である。
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 ホームを逆方向から眺めてみる。
 ドクターイエローのような保線用の車両も常駐しているようである。
 そして、ホームの外側には、「花屏風」と書かれた花壇が設置されている。
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 またホームには、「南海思い出ミュージアム」と記された一角がある
 かつての線路やその断面、ネームプレートなどが展示されている。
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 駅の中には、「極楽橋駅」に向かう、この駅から先の駅名、「高野山参詣鉄道」のヘッドマークの展示などもあり、一巡したところで駅舎から出たのであった。
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 駅の東側の谷底には、「不動谷川」が流れてる。
 そして「高野街道」が川に沿っている。
 その風景と、山の斜面に建つ民家の風景である。
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 川の西岸の道路を進む。
 少し進み折り返すと、そこには神社が鎮座している。
 境内の北の端には「薬師堂」が祀られている。
 神仏習合の形である。
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 「椎出(しいで)厳島神社」である。
 西側に「鳥居」、「瑞垣」の「本殿」エリアが祀られている。
 石段を昇り、鳥居を潜ると、正面は極彩色の「本殿」である。
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 しかしながら祭神は、この先の上古沢の「厳島神社」に遷宮され、現在は社殿のみとのことである。
 またこの神社では、毎年8月に伝統行事の「椎出鬼の舞」が開催されるとのことである。

 「本殿」の左右と高台にには幾つかの境内社も祀られている。
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 神社を後に神社前の道を南へと進むと、隣に「地蔵寺」がある。
 神社の別当寺と云われる「高野山真言宗」の寺院である。
 正面は「地蔵菩薩」を安置する「本堂」で、天井には「昇龍」が描かれているとのことである。
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 「本堂」の右手には「水子地蔵」が祀られ、左手には「大日堂」が祀られている。
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 「大日堂」の隣には「うかがい地蔵堂」が祀られている。
 願いを掛け、地蔵像を地上げ、軽いと願いが叶い、重いと叶わないとされる「うかがい地蔵」である。
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 「地蔵寺」を後にして、道を上る。
 眼下に「高野線」の線路・鉄橋と周辺の民家、そして谷を進む「高野街道」の眺めである。
 そして、道の左側に、「文化財伝承館 ふれあい」がある。
 先ほどの伝統行事「椎出鬼の舞」の絵画や写真、色紙などが展示されているとのことである。
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 更に、「伝承館」前の道路を挟んだ下には、沢山の「地蔵像」が集められ、祀られている風景も見られた。
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 そしてこの地点で、「高野下駅」のミニ探索を終了したのであった。

 尚、「高野下駅」は、かつては「高野山駅」という名称で、大正14年に「高野山」への参道の起点とされた駅であり、多くの人で賑わっていたとのことである。

南海電鉄高野線36・九度山駅

 「南海電鉄高野線」の起終点の「汐見橋駅」から「岸里玉出駅」、「河内長野駅」を経由し、「高野線」の各駅を探索することにしている。
 「南海電鉄高野線」は「橋本駅」から単線区間に入り、「紀ノ川」を渡って、先ずは川の左岸を西進し、そして山間部へと入って行く。
 今回は、「橋本駅」から3番目の駅で、和歌山県伊都郡九度山町にある「九度山駅」である。

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 「九度山駅」で下車する。
 駅ホームは少しの高台にあり、2面2線の相対式で、列車の交換が可能となっている。
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 駅前を北方向へ降りて行くと、県道「和歌山橋本線」へと出る。
 交差点の陸橋の西には、橋が見える。
 陸橋上からの県道の西方向の風景である。
 この道を西へと辿って行くと、真田昌幸や幸村で知られる「真田庵」へと行くことができる。
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 下の川は「丹生川」で、橋は「真田橋」と云い、これを渡る。
 そして、橋上からの川の風景である。
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 県道を更に進む。
 今度は、「丹生川」を渡り返す。
 そして、進むと、「真田庵」、「幸村庵」の矢印案内が出ている。
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 矢印に従って、右手の小路へと入る。
 左手に「真田庵」の建物が建っている。
 左折れすると、長屋門正面である。
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 門には、「真田庵」の賽銭箱、左手には「真田幸村公旧跡」の石碑、そして正面には城郭風の八棟造の「本堂」がある。
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 この「真田庵」とは、1600年の「関ヶ原の戦い」で西軍に属して敗れた「真田昌幸」、「真田幸村(信繁)」の父子は、「高野山」への配流の身となったが、妻を連れていたために「女人禁制」の高野山には登れず、この「九度山」にて蟄居生活を送った庵とされている。

 その後、江戸時代中期に、「大安上人」が庵跡と云われるこの地に、「地蔵菩薩」を安置した「高野山真言宗 善名称院」を創建し、現在の形になったものとされている。

 境内には、「本堂」の玄関、本尊「弥勒菩薩」が安置された堂宇、そして、真田家の宝物である毘沙門天と真田三代の御霊を合祀した「真田地主大権現」が祀られている。
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 また、境内には「真田家」や父子」に関わる墓碑が建てられ、「雷封じの井」も祀られている。
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 その他境内には、「与謝蕪村」の句碑2基が建てられている。
 「炬燵して語れ真田が冬の陣」、「かくれ住んで花に真田が謡かな」である。
 そして、東門から退出したのであった。
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 「真田庵」の東隣には、古民家を改装した「幸村庵」と云うそば処がある。
 「幸村」が和歌山に伝えた信州そばが味わえるところである。
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 「幸村庵」から住宅街の小路を東へと進む。
 「六文銭」をあしらった「九度山提灯」も吊るされている。
 強靭な紐の「真田紐」の工房もあり、体験型だそうである。
 そして、その先に「真田古墳」が見えて来る。
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 「真田古墳」は、「真田の抜け穴」ともされている。
 古墳時代の円墳と推察されているが、この形状から、真田の大坂城への抜け穴との伝説が生まれたものであろう。
 そして「真田古墳」の北側には、「真幸地主大神」、「白龍大神」の石碑が祀られている。
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 そしてこの地点で、「九度山駅」のミニ探索を終了したのであった。

南海電鉄高野線35⑵・学文路駅⑵

 「南海電鉄高野線」の起終点の「汐見橋駅」から「岸里玉出駅」、「河内長野駅」を経由し、「高野線」の各駅を探索することにしている。
 「南海電鉄高野線」は「橋本駅」から単線区間に入り、「紀ノ川」を渡って、先ずは川の左岸を西進し、そして山間部へと入って行く。
 今回も、「橋本駅」から2番目の駅で、橋本市にある「学文路(かむろ)駅」であるが、その2で、駅の東の少し遠いところにある「学文路天満宮」を訪ねることにする。

2304c学文路

 前回は「学文路駅」で下車し、駅の南の「高野参詣道(高野街道)」を訪ねたが、今回は駅前の県道「和歌山橋本線」を東へと辿る。
 そして途中で右折し、踏切を渡り、「学文路天満宮」へと向かう。
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 「天満宮」への参道を進む。
 参道には「社号柱」が建てられている。
 そして石段を昇る。
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 石段の先には「鳥居」が建っている。
 「鳥居」を潜ると、右手には「鐘楼」がある。
 神仏習合の名残かと思われる。
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 参道は更に続く。
 左手には天然記念物の「ネズの木」、右手には「梅林」が広がる(撮影は3月10日)。
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 そして左手に「八幡神社」が祀られ、更に参道を進むと、境内に至る。
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 左手には「舞殿」、右手には「社務所」、正面の石段の上は「随身門」である。
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 「随身門」の下には、かつての一の鳥居の「神額」、そして、一対の「狛犬」が祀られている。
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 「随身門」の先は更に石段で、両側には「玉垣」、その先に「拝殿」が祀られている。
 そして左手には「撫で牛」が祀られている。
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 背後には「本殿」が祀られている。
 本殿の祭神は、本殿中央に「天満大自在天神(菅原道真公)」、左手に「天穂日命」、父君の「菅原是善卿」、母君の「園文字姫(そのもしひめ)」の3柱、右手に旧学文路村内の55柱が祀られている。
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 この「学文路天満宮」は、京都の「北野天満宮」の創建に呼応して、「村上天皇」の勅命により、この「紀ノ川」南岸の地に勧請されたとされ、当時は「河南天神」と呼ばれたとも云われる神社である。
 現在は、「学文路」と云う名称から、学問(文)の道(路)に繋がるとのことから、合格祈願に訪れる受験生が多いとされている。

 境内社が祀られている。
 本殿右手には、「稲荷大神」、「山の神社」、「恵比寿神・大黒天」、「大黒天」、「弁才天・毘沙門天」、「福禄寿・寿老人」、「布袋尊」の「七福神」などが並んでいる。
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 他にも、「天照皇大神社」、「紅梅社・白梅社」が祀られ、
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 そして、「御霊神社」、「白太夫社」が祀られている。
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 最後に神社の裏手へと出てみる。
 穏やかな「ため池」があり、道路からは「紀ノ川」の風景もある。
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 そしてこの地点で、「学文路駅」のミニ探索を終了したのであった。

南海電鉄高野線35⑴・学文路駅⑴

 「南海電鉄高野線」の起終点の「汐見橋駅」から「岸里玉出駅」、「河内長野駅」を経由し、「高野線」の各駅を探索することにしている。
 「南海電鉄高野線」は「橋本駅」から単線区間に入り、「紀ノ川」を渡って、先ずは川の左岸を西進し、そして山間部へと入って行く。
 今回は、「橋本駅」から2番目の駅で、橋本市にある「学文路(かむろ)駅」である。

2304b学文路① (2)

 「学文路駅」は、難読駅の一つであると共に、「学問(文)の路に通じる」とのことから、受験生に人気を博し、入学試験シーズンが近づくと特別の入場券が販売される駅である。
 また、駅の東方向には、学問上達に御利益があるとされる「学文路天満宮」も祀られている。

 「学文路駅」で下車する。
 駅ホームは、2面2線の相対式である。
 また、駅ホームには、「祝合格」の花壇も敷設されている。
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 「学文路駅」は一段と高いところにあり、この付近は「高野参詣道」の入り口でもある。
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 駅前には、地車庫もあり、県道も通っている。
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 県道から南方向へ「高野参詣道」を辿る。
 途中に「大畑才蔵」の墓の案内標が建っている。
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 「大畑才蔵」は、この地の生まれの土木技術者で、「井澤弥惣兵衛」と共に、「紀ノ川」やそれに流れ込む河川の改修や新田開発に功のあった人物として知られる。
 この様子は、拙作の小編に書かせていただいているので、ご興味の方はご参照いただきたい。
 https://fujishirorei.com/2018/07/28/%e7%b4%80%e4%bc%8a%e8%97%a9%e4%b8%bb%e5%be%b3%e5%b7%9d%e5%90%89%e5%ae%97/
 
 更に進む。
 「学文路駅」が望める踏切を渡り、更に進む。
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 進んで行くと、左手に、「学文路八十八地蔵」の内の3体が祀られている。
 更に進んで行くと、左手からの道路が交わり、そこには2体の地蔵が祀られている。
 そして、その先に「歴史街道」の案内柱も立っている。
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 更に「高野参詣道(高野街道)」の坂道を上って行く。
 右手に、「石童丸物語 玉屋宿跡」の標柱が立っている住宅がある。
 この後に訪れる「苅萱堂」と関係してくる史跡である。
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 この先の細い道路を上る。
 路面には「高野街道」と刻されている。
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 この細い坂道を上り詰めると、寺院の境内に達する。
 「高野山真言宗 西光寺」である。
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 「本堂」は左手にあり、「本尊」は「阿弥陀如来」である。
 そして、手前には、七福神のレリーフも祀られている。
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 その隣には、「水子地蔵」、そして「地蔵堂」、また境内中央には「人魚像」が祀られている。
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 そして境内正面には、「苅萱堂」が祀られている。
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 この「苅萱堂」の物語は以下である。
 筑前国の武将「加藤左衛門尉繁氏」は出家し、苅萱道心(かるかやどうしん)」と号して、「法然上人」の下で学び、高野「山に登った。
 その息子の「石童丸」は、14歳の時、母(千里ノ前)と共に父親探しの旅にて高野山へと向かう。
 しかし、高野山は女人禁制のため、「石童丸」は母を麓の宿(先ほどの「玉屋」)に残して一人で山に登り、偶然出会った僧侶に父親の行方を尋ねる。
 この僧侶こそは父親の「刈萱道心」その人であったが、親子の関係を名乗らずじまいであった。
 その後、父親であると確信した「石童丸」は出家し「道念」と名乗り、父について修行をし、父の没後にこの「苅萱堂」に祀り、
供養したとされる物語である。
 尚、母のお守りは、「人魚像」とのことで、「苅萱堂」内に祀られているとのことである。

 そして、「高野七口押印帳」に印を頂き、「苅萱堂」の右隣の句碑を見て、「高野山」へ通じる街道を眺めたのであった。
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 駅へ戻る方向へ戻り、途中に東方向の「かむろ大師」への参詣道があるので、少し入ってみる。
 そこには、沿線に数体の「八十八地蔵」が祀られている風景があった。 
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 この地点で、「学文路駅」の「高野参詣道」付近のミニ探索を終了したのであった。
 そして、この後は、「学文路天満宮」へと向かうことにした。

南海電鉄高野線34・紀伊清水駅

 「南海電鉄高野線」の起終点の「汐見橋駅」から「岸里玉出駅」、「河内長野駅」を経由し、「高野線」の各駅を探索することにしている。
 「南海電鉄高野線」は「橋本駅」から単線区間に入り、「紀ノ川」を渡って、先ずは川の左岸を西進し、そして山間部へと入って行く。
 今回は、「橋本駅」の次の駅で、橋本市にある「紀伊清水駅」である。
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2304a紀伊清水駅

 「紀伊清水駅」で下車する。
 駅ホームは地上で、上下線列車の交換ができるように、2面2線の相対式となっている。
 駅舎は、ホームの北側にのみある。
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 駅舎を出て少し行くと、「紀ノ川」の左岸を和歌山市内へと向かう県道の「和歌山橋本線」に出る。
 その「和歌山市」方向、「橋本駅」方向の風景である。
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 県道を渡り、北方向、東方向へと進む。
 「高野街道」の一部である。
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 東方向へと進んで行くと、左手に堂宇が見えて来る。
 「西行庵」である。
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 この「西行庵」は「高野街道大地蔵 第一」とも云われる。
 高野山参詣道には、この「第一」から「第六」までの「六地蔵」が祀られているとのことである。
 平安時代末期の歌人「西行法師」が、一時滞在したとされ、堂内には「西行法師像」が残され、ゆかりの地として、正式には「正覚山永楽寺西行庵」と呼ばれる。
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 「西行庵」の斜め前に小学校の裏門がある。
 「清水小学校」である。
 そして、先ほど横切った県道まで出て、小学校の正門を確認し、「紀伊清水駅」のミニ探索を終了したのであった。
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南海電鉄高野線33・橋本駅

 「南海電鉄高野線」の起終点の「汐見橋駅」から「岸里玉出駅」、「河内長野駅」を経由し、「高野線」の各駅を探索することにしている。
 「南海電鉄高野線」は「河内長野駅」を過ぎ、大阪府南部の山間部へと向かい、和歌山県との府県境を越えて、高野山へと向かう。
 今回は、和歌山県に入った4番目の駅で、「河内長野駅」から8番目の駅の、橋本市にある「橋本駅」である。

2303p橋本駅 (2)

 「橋本駅」で下車する。
 「橋本駅」はこの「南海電鉄高野線」と「JR和歌山線」との共用駅で、「南海高野線」の部分は1面2線の島式である。
 また、ホームには、「難波駅」からの電車だけでなく、「極楽橋駅」へと向かう専用の列車も停車している。
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 「南海高野線」の改札は橋上にある。
 そして橋上の通路を進み、階段を降りて、南側の出口となる。
 駅前は、バス停を含むロータリーとなっている。
 そしてロータリー先の道路を西方向へと進む。
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 最初の交差点を右に曲がり、「JR線」、「南海線」の線路を渡る。
 少し進み、右手へ取り、丘へ登って行くと、公園の入り口がある。
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 公園は後程にして、そのまま公園の横を登って行く。
 左手に鳥居が建っている。
 そして公園「丸山公園」の外れまで進み、公園内へ入る。
 住所地は「古佐田(こさだ)4丁目」である。
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 坂道を上り詰め、「丸山公園」の東の入り口から入ると、先ずは寺院がある。
 「紀伊西国第十三番 庚申寺」である。
 「本堂」には「庚申像」が祀られている。
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 「丸山公園」にはサルの檻がある。
 また、遊具も設置されている。
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 公園の北半分には古墳がある。
 「陵山(みささぎやま)古墳」と云う「円墳」である。
 この古墳は、古墳時代中後期の5世紀末~6世紀初頭の築造と推定され、紀の川流域の首長の墓とされているものである。
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 古墳の周囲には、石造りの「石神」が多数集められている風景もある。
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 「公園」に入った所まで戻る。
 その隣は、学校の正面校門である。
 「和歌山県立橋本高校 和歌山県立古佐田丘中学校」の中高一貫校である。
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 校門から内部を眺めてみる。
 体育館や校舎の風景である。
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 学校の周囲を東に向いて進む。
 右手眼下に橋本の市街地が見える。
 そして東の校門までやってきて、ここから丘を下る。
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 下ると「橋本駅」の裏側(北側)へと出る。
 そして駅のホームから「橋本高校」・「古佐田丘中学」を見上げ、「橋本駅」のミニ探索を終了したのであった。
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南海電鉄高野線32・御幸辻駅

 「南海電鉄高野線」の起終点の「汐見橋駅」から「岸里玉出駅」、「河内長野駅」を経由し、「高野線」の各駅を探索することにしている。
 「南海電鉄高野線」は「河内長野駅」を過ぎ、大阪府南部の山間部へと向かい、和歌山県との府県境を越えて、高野山へと向かう。
 今回は、和歌山県に入った3番目の駅で、「河内長野駅」から7番目の駅の、橋本市にある「御幸辻駅」である。

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 この駅は以前は、「高野辻駅」と名づけられていたが、天皇、上皇が高野山に参詣した道であることから、大正12年に、現在の「御幸辻(みゆきつじ)駅」と改称されたとされている。

 「御幸辻駅」で下車する。
 駅ホームは高架で、2面2線の相対式である。
 駅の西口へと出る。
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 西口の駅前は、ロータリーとなり、国道のバイパスが通っている風景がある。
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 駅の東側へと出る。
 駅舎に続いて線路の下には、地車庫が設けられている。
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 駅舎の北側の向かいには神社が鎮座している。
 「蔵王権現社」である。
 しかしながら現在は改修中で、ご神体はこの後に訪れる「牛頭天王神社」に遷宮されているとのことである。
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 「蔵王権現社」の鳥居前を東へと進む。
 朱塗りと鳥居に突き当たる。
 「高野街道」との交差で、神社には「弁財天」が祀られている。
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 「高野街道」南へと進む。
 趣のある町屋が建っている。
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 そして、進んで行くと白壁に囲まれた神社の地へと出る。
 「牛頭天王神社」である。
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 参道は東側にある。
 白壁を南へとつたい、参道へと入る。
 突き当りは地域の公民館「御幸辻区民会館」である。
 そして神社の鳥居は右手に建っている。
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 鳥居を潜ると拝所である。
 拝所の両側には、一対の狛犬が祀られている。
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 境内の右奥には「連理の枝」と云う、樫の木の枝と枝が結ばれているものがある。
 そして境内右手からの社殿の風景である。
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 右側から境内社に順に訪ねる。
 1番の右は、「愛宕権現社」である。
 その左隣に、右から「丹生明神」、「八幡宮」、「弁財天」の3社の集合社が祀られている。
 その隣は「本殿」であるが、後程として、「本殿」の左側の集合社である。
 右から、「蔵王権現社」、「八王子権現社」、「弁財天」、「弁財天」の4社である。
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 その隣は社殿の中心で、「本殿」である。
 「本殿」の祭神は、「素戔鳴命」とされている。
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 そしてこの地点で、「御幸辻駅」のミニ探索を終了したのであった。

南海電鉄高野線31・林間田園都市駅

 「南海電鉄高野線」の起終点の「汐見橋駅」から「岸里玉出駅」、「河内長野駅」を経由し、「高野線」の各駅を探索することにしている。
 「南海電鉄高野線」は「河内長野駅」を過ぎ、大阪府南部の山間部へと向かい、和歌山県との府県境を越えて、高野山へと向かう。
 今回は、和歌山県に入った2番目の駅で、「河内長野駅」から6番目の駅の、橋本市にある「林間田園都市駅」である。

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 「林間田園都市駅」は、約40年前に南海電鉄が、橋本市域の北方の南向きの丘陵地に、5万人規模のニュータウンを計画して開設した駅である。

 「林間田園都市駅」で下車する。
 駅ホームは、2面3線の島式で、難波方面へのUターン電車が中央のホームを利用することになっている。
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 駅の正面である西側の風景は、バス停を含むロータリー、そして駅前の広場となっていて、その向こうにはマンションも建っている。
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 また、駅の北側の風景、南側の風景、そして東側には駅に直結するマンションが見える風景がある。
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 駅構内を東へと進む。
 マンションの中の通路を経て、表側へと降りる。
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 その東側の風景は、谷底に「橋本川」が流れ、向こうの斜面には、元からの集落の風景がある。

 先ずは右手(南側)である。
 遠くに寺院の堂宇が見える。
 「高野山真言宗」の寺院「大福寺」である。
 本尊は「不動明王」とされている。
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 今度は左側(北側)である。
 神社が祀られている。
 「慶賀野蛭子神社」と云う。
 祭神は、「事代主命」で、この村の産土神とされている。
 尚、この神社は、平安時代に「平将門」がこの北東の山中に城を築き、9代目の子孫の「牲川(にえかわ)将房」がこの城に軍を構え、戦いに勝利したことから、地名も「慶賀野」と名付けられたとされている。
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 尚、神社前と寺院前を通っている街道は「高野街道」である。

 そしてこの地点で、「林間田園都市駅」のミニ探索を終了したのであった。

プロフィール

藤白 怜

Author:藤白 怜
気まぐれに各地の城跡、神社仏閣、路端や公園の草花、街角の風景などあっちこち出掛けては写真を撮ったり、その土地の歴史遺産を訪ねたりしています。
よろしかったら覗いてみて下さい。
よろしくお願いします。
最近、小品集を別ページにてアップしました。
右側リンクの「悠々紀行あっちこち」です。
併せてよろしくお願いします。

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