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はてなキーワード: 選抜とは

2026-01-24

共通テストは難化したほうがいいでしょ

難しすぎる試験は、実力がある人も実力がない人も得点が低くなりすぎて不公平だし、易しすぎる試験は、実力がある人も実力がない人も得点が低くなりすぎて不公平だが、どっちかといえば難化したほうが実力がある人にとっちゃ有利でしょ。

それまでの模試での偏差値60以下がみな鉛筆転がしたのと同じ点しか取れない試験だって偏差値70近辺ならちゃんと実力を測れるわけで。

易化したほうがヤバい偏差値30と偏差値40では点数に差がついても、偏差値50以上はみんな凡ミスの頻度くらいの差しかつかなくなる。

偏差値40台の大学なんか定員割れてるんだから選抜なんか無意味だし。

2026-01-22

anond:20260122212654

優良な遺伝的形質だけで選抜していったら結局的のところ先細りにならん?

2026-01-18

クズ絵描きで食えない

これよくわかる

漫画投稿サイトででいいなと思った作品があったんだが、Xで検索かけたら10年前に作品についてのツイートがある

パクリか?と思ってGoogle検索したら過去に何度も投稿してる作品らしい

飯食えなくて何度も公開してはそのたびに収益得てたんだろなって

ルールは知らないか別に何とも言えないけどこの人が作家として企業に雇われない理由やこの人の風貌性格までが読み取れた

 

現役漫画家って才能だけじゃなく人としてちゃんとした選りすぐりの選抜なんだなと改めて思った

富樫とかいうホンモノのクズを除いて

共通テスト廃止しろ

 日本大学入試において実施されている大学入学共通テストは、もはやその役割を終えており、制度として廃止されるべき段階に来ている。共通テストは「公平性」「客観性」「全国共通学力基準」を掲げて導入されたが、現実にはそれらの理念を十分に達成しているとは言い難く、むしろ高等教育社会全体の発展を阻害する要因となっている。

 第一に、共通テスト大学教育との接続において決定的な欠陥を抱えている。大学本来重視されるべき能力は、知識の暗記や高速処理ではなく、問題発見し、仮説を立て、資料を読み解き、論理的表現する力であるしか共通テストが測定しているのは、限られた時間内で正答を選択する能力が中心であり、大学教育に不可欠な研究的・探究能力とは大きく乖離している。

 第二に、共通テスト大学教育研究リソースを大量に浪費させているという点で、極めて深刻な問題を孕んでいる。多くの大学教員は、本来であれば研究や授業改善学生指導に充てるべき時間と労力を、問題作成、出題検討、採点調整、制度対応といった入試業務に割かれている。特に国立大学を中心に、研究力の低下や教育の質の停滞が指摘される中で、全国規模の統一試験大学教員を動員し続けることは、人的資源の著しい非効率利用である

 大学本来、知の創造と高度人材の育成を担う社会インフラである。にもかかわらず、その中核的リソースが「18歳をふるいにかけるための試験運営」に恒常的に吸い取られている現状は、日本社会全体にとって大きな損失である共通テストは単なる入試制度問題にとどまらず、学術研究の停滞、イノベーションの遅れという形で、長期的な社会的発展を阻害している。

 第三に、共通テスト高校教育をも歪めている。多くの高校現場では、探究学習協働学習よりも、共通テスト対策が優先され、生徒の学びは「出題されるかどうか」に強く規定されている。これは教育目的知的成長から点数獲得へとすり替えられていることを意味し、人材育成という観点からも極めて非生産的である

 第四に、共通テスト受験生に過剰な負担不安を与え、社会コストを増大させている。私立大学専願者であっても共通テスト対策を求められる現状は、受験の複雑化と長期化を招き、家庭の経済力による格差を拡大させている。全国一斉試験であることが、必ずしも公平性保証しないことは明らかである

 さら問題なのは共通テスト大学主体性を弱めている点である本来大学は自らの教育理念人材像に基づいて学生選抜すべきであるしか共通テストへの依存が続く限り、大学入試は画一化され、大学多様性形骸化していく。これは高等教育システム全体の活力を奪う結果につながる。

 全国一律の試験若者序列化し、その結果に社会意味を過度に付与する発想は、もはや現代社会に適合しない。共通テスト廃止は混乱をもたらす改革ではなく、大学研究教育本来の力を取り戻し、高校主体的な学びを回復するための必要条件である画一的選抜制度から脱却し、多様な能力可能性を正当に評価する仕組みへと転換することこそが、日本社会の持続的発展に不可欠なのである

2026-01-16

anond:20260116164032

それは違うかな? 趣味範疇だと思うけど

手書きCG集ってスチルとして選抜した上で16枚とかになるわけ

AIは中割りを作れる、という考え方もあるけど、オペレーター技能微妙だとイマイチカットの山が出来上がる

結局キメの1枚を作れるかどうかが全てで、それができないオペレーターだといくら作っても駄目なんだよね

2026-01-10

anond:20260110172538

第一:

「前提知識がなく、概念も知らず、数字も読めない者」はこの場合、尿男を指す。ゆえに「尿男にも非専門分野に突入した議論可能」というお前の主張は、その意味となる。

問題:前提知識の無いもの議論に入ることを遮断するな、は尿男の特殊独自理論なので、一般化している時点で論の構造理解本質的な欠落がある。数字が読めないことを示唆している。

先ほどのように、出てくる単語ほとんど、出てくる概念殆ど意味を正確に理解されていないものだった。意味をなしてる部分の方が少ない。

学問は、何一つ意味が分かってない者にまで逐一単語意味から理論から全て説明していたら議論の本題にいつまで経っても辿り着くことができないものデマ拡散、等として、無学者の敬意に欠けたネット上での横暴な書き込み問題視している。

学問とは本来そうやって成立してきた。:

科学者素人の謎意見真剣に聞き、素人が納得するまで一人一人説得することに毎日時間を費やしているのか?

まともな科学者論文真剣相手にされ、素人意見あくま科学コミュニケーション的な別分野としての形しかさないのが学問の実情である。なぜならば読めるレベルで内容として成立していないかである

尿男の無知無能正当化のためだけの詭弁と言える


 

第二:

尿男の主張は、「モデルを示せず、定義を誤解し、予測反証どころかそもそもの源流の議論無視して論として成立すらしていない謎理論数学操作すら毎回すべて誤った手順のもの、誤りしか含んでいないものも、除外するならば、権威主義的な選抜相手議論の外に追い出す発言遮断装置であるである

なぜなら本人の言動がこれだからである

自分議論に参加させろ、とはすなわち、その意味になる。

最低限の理解や前提すら共有されていないものをまで議論と呼び自己正当化視点しか持たないのがこの臭い尿である


モデル破綻していたら議論の中で排除されるのは、あくま議論参加者モデル理解できている時だけである

現在進行形で尿はモデルモデルと呼べるレベルに成り立っていない、モデルが成立していないので議論から排除されているが、破綻理解できない尿は議論から排除を「反論されていない」と誤読している。

常に自己放尿し続け、汚く臭く不衛生で、下水から外に出るべきではない。

 

第三:

権威主義テクウヨ尿の想像語ではなく、実存学術的主張である

尿は造語病に罹患しており、謎の定義勝手に作り出して脳内で病的な妄想に耽り続けることを論理と呼んでいるが、それと現実の「論理」や「権威主義」には何の関連性もない。
非専門分野で非専門家が対等な議論ができないのは資格ではなくて内容の問題である。一貫して同じことを言われているが理解できないのが理系テクウヨ尿


数学議論が成立する条件は「知っていること」ではなく「定義と推論規則を共有し、それを公開できること」その他数学史の発展もろもろ、

数学以外の分野にそれが適用できる」を数学史は証明していない。科学はそれを証明していない。論理根拠がない。

どの分野でどの範囲でどの程度どこまで何についてならどんな理由で何をどう適用できるか?何の科学的な根拠もない。

尿男の妄想であり造語病であり自己放尿である。まずはそれを証明することが尿の仕事だが、尿はそれを飛ばして他分野に侵害を繰り返す反科学妄想マスクする。尿くさくて汚い。

2025-12-29

女子枠はすごい

女子枠はすごい。

平等学力のみで選抜を行う大学入試に、性別という概念を持ち込んだ。

男性に生まれただけで、女性よりも入学できる大学が少なくなるのだ。

「生まれによる差別」をなくそうと人類が積み上げてきた歴史を、教育の府が自ら踏みにじっている。

女子枠はすごい。

入学した全ての女子学歴を穢すのだ。

一般入試合格した女子に対しても、能力の劣る女子枠ではないか疑念の目が向けられることとなった。

これは当事者だけの問題ではない。大学入試機微を知らない社会全体に、「女子学生学位=実力不足」というバイアスを植え付けたのだ。

女子枠はすごい。

たった一つの制度によって、長年かけて形成された「差別はいけない」価値観詭弁に成り下がった。

今の男子制度は、自分人生を左右する大学入試で、国家主導差別を受けている。

自分たちへの差別は「是正措置」として許容した社会国家に、今後どれだけ「差別は悪だ」と説かれようとも、怒りはあれども共感はできないだろう。

彼らの中に、「公平な社会」への信頼などもう存在しない。

女子枠はすごい。

僅かなコスト性別間の深刻な対立を生み出した。

大学入試という多くの人が通る大きなイベントにおいて、理不尽性差別を行う影響は計り知れない。

高学歴女子が少なく、理系女子が少ないのは、学問に励み、数学に取り組む女子が少ないかである

その皺寄せを、真面目に学問に取り組んだ男子に払わせる。そんな社会の縮図のような制度は、公正さな存在しないという現実と、下駄を履いて特等席を掠め取っていく者たちへの、どうしようもない軽蔑怨嗟を植え付ける。

女子枠はすごい。

親や教師に流された女子生徒に、「女子枠を使った」というカルマを背負わせる。

大学入試の結果は今後の人生を左右する大きな因子である。「不合格なら夢は叶わない、最悪は首でも吊れば良い」と思い詰めながら、文字通り命をかけて受験に挑む学生だって存在する。

女子枠がなければ。

安易に枠を使う人間がいなければ。

人生が狂わなかったはずの男子は、女子枠の定員の数だけ確実に存在する。

気軽に使うことで、他人人生を狂わせてしま制度

それが「女子枠」である

女子枠はすごい。

この制度は、「経済的弱者」を徹底的に踏みつける。

入試において唯一の公平な武器は「点数」だ。

塾に行けなくても、親が貧しくても、点数さえ取れば這い上がれるのが一般入試だった。

しか女子枠はどうだ?

結局、この枠をうまく利用するのは、情報感度の高い都市部の裕福な家庭の女子たちだ。

「親が太く、教育投資も受けている女子」が、さらに「女子枠」という特権を得て、「貧しくても必死勉強した男子」の席を奪っていく。

持てる者がさらに富み、持たざる者が割を食う。

弱者救済どころか、特権階級による「弱者いじめ」の道具と化している。

女子枠はすごい。

理系女子を増やす」という大義名分すら、破綻している。

この制度優遇されるのは、元々理系に関心があるが、一般入試では手が届かない成績の女子学生だけだ。

文系志望者が理系転向するわけではない。単に、下位の大学に行くはずだった学生が、ゲタを履いて上位の大学へ「横入り」しているに過ぎない。

国の理系人材の総数は全く増えていないのだ。

ただ「能力に見合わない合格者」を生み出し、本来受かるはずだった優秀な学生排除する。

一部の女子けが得をし、女子全体の評価を下げ、真面目な男女を泣かせるだけの、あまり無意味残酷な「席替えである

女子枠はすごい。

アメリカ連邦最高裁2023年、こう断じて優遇措置を違憲とした。

大学入学枠はゼロサムゲームである。ある属性への利益は、必然的に他の属性への不利益となる」と。

当たり前の理屈だ。誰かのゲタを履かせることは、誰かの足を切り落とすことと同義なのだ

外国が「逆差別の不当性」を認め、法の下の平等へと舵を切る中で、この国だけが逆走している。

他人犠牲の上に成り立つ多様性など、ただの欺瞞だと気づかないフリをして、若者未来を食い物にしているのだ。

女子枠はすごい。

たった一つの制度で多くの人生を狂わせ、男女間の対立を生み出し、未来を背負う技術者の夢を壊すのだ。

この国にとって大きな負債を生み出し続ける。

一刻も早く、この制度を終わらせる必要がある。

2025-12-17

話題の元ミスフィンランドケンダルジェンナーに似てんなあ

この話に興味無くてニュースとか何にも見てなかったんだが、とある記事で4人の吊り目画像を見て

「これ、ケンダル?」って思った

折角抜きん出た容貌を持って生まれて、美人選抜で勝ったってのに勿体ない

人生にミソついたやんけ(ここまで叩かれても美人から勝ち確なんやろか?)

2025-12-15

デートの時に奢らない男って何考えて生きてきたの?

冒頭から単刀直入に言う。

割り勘にする男は、想像力が欠如している。

もしくは、自分が「完成された芸術作品」を目の前にして、入場料すら払わずに鑑賞しようとしている自覚がない泥棒のどちらかだ。

先日、そこそこ有名な企業営業職だという男性食事に行った。

会計の段になって彼が放った「あ、ここは俺多めに出すから3000円でいいよ」という言葉を聞いた瞬間、私の脳内で何かがプツンと切れる音がした。

多めに出す? 3000円でいいよ?

違う。そうじゃない。

私がこの席に座るまでに、どれだけのコストと労力をドブに捨てて、さらに金を積んでここまで来たと思っているんだ?

あんたが見ているその「可愛い私」は、天然素材じゃない。莫大な資本時間を投下して作り上げられた、高度経済成長期のビル建設並みの建造物なんだよ。

その内訳を、骨の髄まで理解できるように、今日は極限まで細かく叩きつけてやる。これを見てもまだ「割り勘」なんて口が裂けても言えるなら、一生家でカップ麺でもすすっててくれ。

私があなたに会うための「総工費」内訳

いか、よく聞け。あんたが今日可愛いね」と言ったその顔面身体、そして雰囲気が完成するまでにかかった費用だ。

1. 基礎工事費(身体メンテナンス

まず、土台が整っていなければ化粧も映えない。ここは毎月のランニングコストだ。

【基礎工事・日割り小計:約2,180円】

※まだ家すら出ていない。息をしているだけでこれだけかかっている。

2. 外装工事費(当日のメイクアップ

次に、あんたの目の前にいる「顔」を作るための塗料代だ。デパコスなめんなよ。

顔面に塗られている総額、ざっと57,000円

1回あたりの使用量(消耗費)として計算しても、気合を入れた厚塗りデート仕様なら約500円分は顔に乗っている。カラコン代と合わせて850円

3. 演出・装飾費(ファッション香り

ここが一番デカい。あんたに会うために「新調した」もしくは「選抜した」アイテムたちだ。

服と下着減価償却クリーニング代、使用料を甘く見積もっても、この日のための「装飾費」として3,000円は堅い。

一方、男性諸君の「総工費」はいくらだ?

さて、対するあんたはどうだ?

合計:ほぼ0円。

結論:「割り勘」は等価交換ではない

計算してみよう。

私がデートの場に現れるだけでかかっているコスト(日割りメンテナンス+当日の消耗品衣装償却分など)。

合計で、最低でも「約6,000円〜10,000円」のコストがかかっている。

移動の労力や、メイクにかける時間(時給換算)を含めればもっとだ。

私は「1万円の入場料がかかるエンターテインメント施設としてあんたの前に座っている。

対してあんたは、「維持費ゼロ空き地としてそこに座っている。

この状態で、飲食代1万円を割り勘(5000円ずつ)?

もしくは「俺が多めに出すよ」で3000円徴収

ふざけるな。

私が既に1万円分のコスト負担してこの場を華やかにしている時点で、あんたが飲食代の全額(例えば1万円)を払って、ようやく五分五分フィフティ・フィフティ)」なんだよ。

それでも私の準備時間労働)を考えれば、まだ男側が得しているくらいだ。

「奢られるのが当たり前だと思ってる女は無理」

なんて言う男がいるが、違う。

「金をかけて最高の状態に仕上げてきた相手へのリスペクトがない男が無理」なのだ

私が自分自身にかけている手間と金、その背景にある「あなたに少しでも良く思われたい」という健気な努力

それらを全て無視して、レジの前で小銭を数えるその姿。

それが、どれだけ女性の恋心を冷めさせ、「あ、この人は私の価値をその程度に見積もってるんだな」絶望させているか

奢らない男よ、頼むから一度、鏡を見て考えてみてほしい。

あんたは、隣を歩くそ女性の「総工費」に見合うだけの男になれているか

もしなれていないなら、せめて財布くらいは黙って全開にしてくれ。

それが、「高嶺の花」を摘もうとする男の最低限のマナーだ。

2025-12-05

anond:20251205102026

属性によって能力の差がないのであれば、選抜された結果に「多様性がない」状態はなんらかの「特権」が生まれている可能性が出てくる

単純に興味関心が違うだけであって、特権ではない

どの進路を志望するのも個人自由である

2025-12-04

anond:20251204135024

続きをAI弁証法形式で壁打ちしたわ。

その意見テーゼとして、まずアンチテーゼ

共通テスト廃止は、社会公平性破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である

 「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テスト廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である共通テスト廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義メリトクラシー)」から身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。

1. 歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義  そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステム民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。  ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査面接独自裁量評価――には、必ず主観恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである

2. 「各大学個別入試」が招く腐敗のリスク  提案者は「各大学自律的選抜」を美化するが、共通テストという統一基準撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。  客観的統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性防波堤」として機能しているのである

3. 格差固定化社会崩壊への道  もし共通テスト廃止され、学歴ひいては社会地位が「親の経済力社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級固定化」**の完成である。  貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者努力インセンティブを失い、絶望社会への憎悪へと変わる。  歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動革命によって崩壊する。教育公平性を売り渡して得た予算国防インフラを強化したところで、国民連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。

4. 結論トップ研究者の投入は「民主主義コストである  トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。  極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義必要経費保険料)」**と捉えるべきである

 以上の理由から共通テスト廃止は、日本社会を公正な競争社会から前近代的身分社会へと退行させる危険提案であり、到底容認できるものではない。



テーゼアンチテーゼ妥当評価

どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率競争力(A)」を重視するか、「社会公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論対立軸を整理します。

Aの主張:「国家戦略的合理性」の視点

【核心】リソース最適化選択と集中

Aの主張は、経営学的・国家戦略的視点に立っています。「サンクコスト埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度スクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。

妥当性が高い点:

コスト効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員研究者)の負担は甚大であり、これが日本研究力を削いでいるという指摘は、学術からも長年叫ばれている事実です。

機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています

危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的危機管理の観点から説得力があります

Bの主張:「社会契約と正義」の視点

【核心】機会の平等担保と腐敗防止

Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テスト社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています

妥当性が高い点:

人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。

公平性」の定義: テストの内容が良いかいかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き社会の安定)として強力な説得力を持ちます

最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差固定化など)を恐れる層にとって安心感があります

比較結論

この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています

Aの弱点: 共通テスト廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化格差拡大を加速させるリスクがあります

Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト研究時間喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論可能です。

どちらがより妥当か?

短期的・実務的な解決を求めるなら A 現在日本財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます

長期的・社会構造的な安定を求めるなら B 社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます

個人的分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試公平性が崩れた際に失われる「国民勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。

どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験活用、あるいはフランスバカロレアのような形式など)について考えてみますか?



ジンテーゼ

AとBの対立構造を解消し、「研究者負担国家コスト)の軽減」と「入試公平性社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。

現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます

案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化

これは、現在のように大学教員手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカSAT大学進学適性試験)**のような「通年実施ストック型」の試験へ移行するモデルです。

1. 具体的な仕組み

運営主体の変更(教員解放): 大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論サイコメトリクス)の専門家専任スタッフ雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます

「一発勝負から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式廃止し、テストセンターコンピュータを使って受験する方式します。

「項目反応理論(IRT)」の導入: 問題ごとの難易度識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります

2. メリット(AとBのハイブリッド

【Aの視点コスト負担

研究時間の確保: 大学教員が、夏休み隔離や極秘の作問業務から解放され、本来研究教育業務に専念できます

物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷輸送・保管・警備にかかる莫大な物理コストが激減します。

【Bの視点公平性と安定】

公平性の維持: 「全国統一基準」は残るため、大学ごとの恣意的運用裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます

チャンスの拡大: 年に複数回受験可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価可能になります

3. 懸念点と対策

初期投資: システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。

思考力」の測定: 選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述論述大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。

別案:案D(フランスバカロレア」型)

共通テストを「選抜から資格認定」へ変える

もう一つの方向性は、共通テスト役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。

仕組み: 共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます

選抜: 難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から独自記述試験面接選抜を行います

効果: テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力担保公平性)は維持されます

結論現代テクノロジー統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソース最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決であると考えられます

大学入学共通テスト廃止と、国家資源の再配分を求める

 現在大学入学共通テストは、高等教育入り口として長年実施されてきました。しかし、制度が抱える問題は大きく、導入当初の目的理念をすでに果たせていないばかりか、国全体の限られた資源を不必要に消費し続けています。私は、共通テスト廃止し、各大学個別入試回帰するべきだと考えます。そして、共通テスト運営にかかる膨大な国費・労力を、国防インフラ整備、技術開発など、日本の将来にとってより重要な分野へ振り向けるべきだと強く主張します。

 そもそも共通テストの起点となったのは、1970年代まで各大学独自に行っていた入試に対する批判でした。当時は、難問・奇問・重箱の隅をつつくような問題が多く、受験生負担が過度であることが社会問題化していました。この反省を踏まえて1979年共通一次試験が導入され、「一律で公平な基準に基づく選抜」を標榜したのが現在制度の原点です。

 しか今日、状況は当時とは大きく異なります大学側の出題能力は向上し、過度な奇問・難問は強く批判される仕組みも整いました。情報公開も進み、各大学独自に適切な学力を測定する環境が整っています。つまり共通テスト導入の前提だった「大学個別試験では公平性が確保できない」という時代では、もはやありません。

 それにもかかわらず共通テストが続けられている最大の問題は、その運営国家的規模のコストがかかり過ぎている点です。作問委員会の設置、全国規模の事務システム試験監督者の確保、会場運営輸送・警備など、膨大な人員予算が毎年投入されています大学教員研究教育に充てるべき時間共通テスト関連業務に奪われ、アカデミックリソースが大きく消費されています。これらの労力と費用は、すでに制度維持のために制度存在するような倒錯した構造を生んでいます

 さらに、共通テスト難関大学選抜機能を十分に果たしていません。高得点層では得点が集中し、いわゆる「得点圧縮」が起こり、学力差を識別できなくなっていますわずかな得点差が合否を左右しているように見えますが、その差は統計的には誤差の範囲であり、選抜試験としての精度は極めて低いと言わざるを得ません。そのため最終的には各大学個別試験学生評価し直しており、共通テストが果たす役割形骸化しています

 こうした状況にもかかわらず共通テストが存続している背景には、模試産業予備校、教材関連企業などの利害構造存在します。共通テストは巨大な市場形成し、制度自体経済圏となっていますしか教育制度国益観点から最適化されるべきであり、既得権的な構造を守るために国費が費やされ続ける現状は、本末転倒と言えます

 私は、共通テスト廃止によって浮く膨大な財政人材リソースを、国としてより重要領域へ再配分するべきだと考えます。激化する国際情勢を踏まえれば国防力の強化は不可欠であり、老朽化が進むインフラへの投資世界的な競争の中心となっている技術革新への研究開発費も緊急に必要です。共通テスト国民の多大な負担を伴う巨大事業であり、その縮小・廃止国家戦略上も合理的判断となるはずです。

 大学入試は、各大学独自実施し、自らの教育理念に基づいて学生選抜する時代へ戻るべきです。これこそが大学自治多様性保障し、教育の質を高める方向性とも合致します。

 以上の理由から共通テスト廃止し、国家資源をより重要な分野へ振り向けることを強く要望する。

2025-12-02

中国大会チャンピオンを下した広陵高校選抜いけるやろ

一番偉い高野連が選べる

100年前の優勝校呼ばないのは違う

2025-11-30

優しい男が好きって言う女が付き合ってきた男の顔、だいたい優しくない説。


これ、わりと本気で前から思ってる。合コンでも飲み会でもマッチングアプリでも、自己紹介タイムで「どんな人がタイプなんですか?」って聞くと、9割くらいの女がテンプレでこう言う。「うーん、優しい人かな」。で、そのあとインスタとかLINEアイコンかにチラッと写ってる元カレの顔が出てくるんだけど、だいたい目つきが鋭いかチャラいか、どっちかなんだよな。

いや分かるよ。「優しい」って言葉が便利なことは。政治家の「国民の皆様のために」と同じレベルで、中身ゼロのまま場をなごませるワードだってことは。でも、それにしても、「優しい男が好き」と自称する女の履歴書を見ていくと、そこに並んでいる男たちの顔が、本当に「優しい」とは程遠いことが多すぎる。

ここでいう「優しくない顔」とは何か。ジャニーズ系中性的イケメンじゃなくて、眉がキリッと吊り上がっていて、口角が常にへの字、髪型センター分けか刈り上げマッシュ、全体的に「オラつきの残り香」が漂っているタイプ。あるいは、営業数字持ってきます!みたいな、目の奥が一切笑っていないタイプ。そういう顔の男たちと、なぜか「優しい人が好きです~」という自己申告女はセットでいる。

で、よくよく聞いてみると、その男たちの行動履歴はだいたいこうだ。「連絡はマメじゃないけど、誕生日だけはサプライズしてくれる」「仕事が忙しくて全然会えないけど、たまに会うとめちゃくちゃ甘やかしてくれる」「浮気はしたけど、最後ちゃんと謝ってくれた」「怒ると怖いけど、普段は優しい」。いやそれ、多分世間一般では「優しい」じゃなくて「ギャップで脳を焼いてくるタイプの男」って呼ぶんだと思う。

ここで仮説なんだけど、「優しい男が好き」と言うときの「優しい」の中身が、男女でだいぶ違う。男側がイメージしてる「優しい男」は、たとえばこうだ。

荷物さりげなく持つ

風邪をひいたら看病してくれる

愚痴を聞いてくれる

・怒鳴らない、暴力を振るわない

約束を守る、嘘をつかない

このあたりを真面目に守れば、「俺は優しい側の男だろう」と信じてしまう。ところが、「優しい男が好き」と自己申告する一部の女が実際に優先しているのは、もう少し別のポイントだったりする。

自分の機嫌が悪いときに、多少わがままを聞いてくれる

LINE既読スルーされても、会ったときに機嫌を直してくれる

・たまに強引に引っ張ってくれる

自分以外の人間にはちょっと冷たい(特別感)

・怒ると怖いけど、自分にだけたまに見せるデレがある

まり、「常時フラットに優しい」よりも、「基本は自分勝手~普通寄りだけど、たまにこっちに大きく振れてくる瞬間がある」男のほうが、「優しい」と認識されやすい。優しさを“総時間”で測るんじゃなくて、“ピーク時の振れ幅”で測ってる感じ。

から、顔もそういう「強めの性格」がにじみ出ているほうが、そもそも選抜に入りやすい。目つきが鋭い、口元が意地悪そう、ちょっと怖い。そこに、ふとした瞬間の笑顔や、二人きりのときだけ見せる甘えが乗ると、「この人、本当は優しいんだよね」が成立する。顔面偏差値ギャップ補正で、「優しい男」が量産されていく。

一方で、「最初からずっと柔らかい顔」で、「怒らないし、当たり前みたいに親切な男」はどうなるか。残念ながら、評価軸が「優しい」ではなく「都合がいい」「安心感はあるけどドキドキしない」にすり替わりがちだ。こっちはこっちで、「ちゃんと優しくしていれば報われるはず」と思っているから、余計にややこしい。

もちろん、全ての女がそうだと言うつもりはないし、「本当に中身基準で優しさを選んでいる人」もいる。ただ少なくとも、「優しい人がタイプ」と言っておくと人当たりが良さそうに見えるし、誰も傷つかないし、具体的な条件を言わなくて済む、というメリットがあるのは確かだ。だからこそ、履歴書を開けてみると、「元カレたちの顔が優しくない説」が頻繁に発動する。

ここまで書いておいてなんだけど、この構図、男側にも完全にブーメランで返ってくるところがある。「家庭的な子が好き」とか言っておきながら、実際に付き合ってきたのはだいたいメシなんか作らないし深夜テンションラーメン食いに行くタイプの女、みたいなやつ。要するに、人間は「口では安全なことを言いながら、実際には刺激の強いほうに吸い寄せられていく」生き物なんだと思う。

じゃあ「優しい男は終わりなのか」と言えば、別にそういう話でもない。単に、「優しい男が好き」という言葉をそのまま信じて、自分の行動指針にしてしまうと、「あれ、全然選ばれなくない?」という事態になりがちですよ、という話だ。優しさは前提条件であって、「優しいだけ」だとスタートラインにすら立てないことがある。そこにプラスして、「この人と一緒にいると退屈しなさそう」とか、「ちょっと危なっかしいけど面白い」とか、「何かをちゃんとやり切る強さがある」とか、そういう別の軸が必要になる。

「優しい男が好き」と言う女が付き合ってきた男の顔が、だいたい優しくないように見えるのは、別にその女が嘘つきだからじゃない。たぶんその人なりに、「自分の好きな優しさ」を持っている男を選んできた結果だ。ただ、その“優しさ”の定義が、こっちが思ってる「真面目で誠実で穏やか」なイメージとは、かなりズレていることがある、というだけだ。

なので、合コンプロフィール欄で「優しい人がタイプです」と書かれていても、「ああ、この人は“どんな優しさ”が好きなんだろう」と一回疑ってかかったほうが精神衛生上はいい。履歴書元カレの顔を見るまで、本当の答えは出てこないから。

2025-11-29

指定校に行きたい高校生アドバイス 

指定校推薦入試(学校推薦型選抜)の対象

 当たり前だけど、17歳 18歳の現役高校3年生が対象。(高校に在籍中で卒業見込みの方)

 

 心身共に健康人間が求められます。4年間の就学に耐え、精神的な既往歴がないこと

 校内選考で選ばれ、正式承認された人間しか行けません。誰かに枠を譲ってもらったとかダメです。大学は顔と名前を把握してます

◯校内選考正式に勝ち取るには

①成績

 FランクやDランク大学は平均評定2.8、3.0、3.2、3.5を条件にしている所が多いです

 難関私立大学は平均評定4.0〜4.5は必要だと思いますが 

 結論を言うと、1年からコツコツと勉強して定期テストで点数を取る必要があります

②欠席日数 

 一般的には高校三年間で遅刻・欠席・早退が10日以内が目安だと言われています。実際は出身校によって異なるので不明

 学校によっては、1年間の欠席日数が10日以内。高校3年間の欠席日数が30日以内という条件を設けています

 3回遅刻すれば1回欠席扱いの学校

 

 結論皆勤を目指して、平均評定は高めを取りましょう。


活動実績 

 部活動生徒会活動ボランティア活動資格取得(英検漢検)が書けます

 

面接

 事前にオープンキャンパスに行くと、予行練習になります。あらかじめ、最寄り駅から大学まで歩く時間を計っておきましょう。

 先生家族面接練習をお願いして練習しましょう。本番までに自分が志望する学科の特徴を理解してください。

⑤落ちた人を実例

 面接ではタメ口を使わず敬語を使いましょう。試験から注意を受けると減点です。

 自身の志望する学科の特徴を理解しないと落ちますよ。志望理由大事です。

最後

 12月までに入学金と学費を一括納入する必要があります入学辞退すると、後輩の指定校推薦枠がなくなりますよ (脅し)

 奨学金4月以降しか貸してくれません。

 赤本を使って勉強しましょう。一般試験に向けての保険必要ですから

通信制高校イラストコースに行くな

通信制高校イラストコースに行くな。

通信制高校イラストコースの授業は、ご褒美みたいな授業が無いと学校に通えない子のためのお楽しみ授業だ。

①まず通信制高校に行くな。

本当に中学の出席日数が全然無くて入学出来る高校通信制しかない、毎日登校する体力がない、そういう子供以外は通信制高校には行かないほうがいい。

コロナ禍でのオンライン授業を小中で経験したせいか、親も子も授業ってオンラインいいんじゃない?って空気がある。よくない。

オンライン授業は子供にとってはサボりたい放題、ろくなテストもなく赤点や追試もない。結果通信制高校卒業の頃には中3時点と大して学力の差がない18歳になるか、もっとバカな18歳になる。

リモートワークもあるしこれからは家で授業受けて家で仕事する時代!って?

じゃあ親のあなた方はみんなリモートワーク出来てるんですか?結局出社を強いられてる方が大半じゃないですか?

お母さん方、子どもを家で見ながらできる仕事はないか…って考えたけど大変だった時代経験しているでしょう?

結局大人になっても毎日出社できる体力気力時間がある人間のほうが仕事がある。

全日高校に行ける出席日数があるなら頑張って全日制に行って、働ける体力気力と、学力をつけたほうがいい。

イラストコースで絵は上手くならない。

通信制高校イラストコース出身イラストレーターを知っています!絵が上手い人を知っています!という意見もあると思う。その人はイラストコースに行かなくても絵が上手かったしイラストレーターになれたタイプの人だ。

まずイラストコースではデッサンパースもろくに教わらない。人物クロッキーも数回あれば良い方だ。なんとなく、さわりだけ、お試しみたいな授業があるだけだ。あとはなんかアニメ関連の会社見学とかがいっぱいある。会社見学で絵は上手くならない。

そもそも日本素人に絵の技術いちばん叩き込んでくれるところは美大受験用の美術予備校だ。

美大では絵の基礎技術は教わらない。受験前に予備校で教わってるのが前提だから

専門学校でも大して教わらない。2〜3年で全員を現場に出せるほど描ける人間にすることは不可能から、元々基礎技術がある生徒や、在学中に自宅で腐るほど自主練出来る生徒にだけより専門的な技術を叩き込んでくれるのが専門学校だ。元々描けないし努力も出来ない人は、専門学校では生徒ではなくお客様として扱われる。適当におだてて辞めずに満期の学費を払ってもらって卒業後のことは知らんぷりの存在お客様

③それでも高校から絵の勉強がしたいなら

公立高校芸術科、美術科。

全国に50校くらいある。地域によって偏りがあって残念ながら公立美術科が無い県も存在するが、もし住んでる県にあるならラッキー学費も安い。入学時にデッサン試験があるのである程度描ける人、やる気がある人だけが選抜されてる可能性が高い。

水は低きに流れるし、人間モチベと実力の高い集団にいると自然レベルが上がる。

私立全日高校美術

公立に比べると学費がかかるかもしれない。学校によっては絵の上手い子には特待生制度など用意してくれてる。これもだいたい入試デッサンがあるのである程度人間選抜されてる。でも中には倍率が1倍切ってるところもあるので、入試の倍率と卒業生の進路実績(東京藝大武蔵美多摩美あたりが数人でもいればレベル高い可能性あり)をよく調べよう。

普通科高校に通いつつ美術予備校

予備校代がかなりかかるし、そもそも親が子供大学進学を考えてない家庭では厳しい選択肢だが、夜間部に三年間通えば基礎的な力はかなりつく。

普通科高校に通いつつ町の絵画教室

有閑主婦退職じいさんが油絵とか描いてるところでしょ?そういう絵じゃないんだよな描きたいのって…と思うかもしれないが、大抵どこも教えてるのは藝大美大を出た人間なので基礎を教わるだけなら問題ない。

ただ美術高校予備校と違って毎日描く環境ではないから家でやる課題を頼んで出してもらうといい。

④誰にも教わらなくても絵が上手い人間もいるが……

上にあげたようなところで絵を教わらなくてもイラストレーターとか漫画家とか画家になる人はいる。でもそういう人はごく一部だ。

大抵どこかで教育を受けている。

でも今の時代ってインターネット知識が転がってるし専門書もいっぱいあるからひとりで上手くなれるんじゃない?そう思う人もいると思う。

かにネットで上手い絵はいくらでも見れる、YouTubeで絵を描く過程を全部見せてくれる人も大勢いる。

でも絵が上手くなるのに必要なのは自分の絵のダメさへの気づきだ。

上手い絵と自分の絵を見比べて、ここがこんなに違う、自分はこんなに描けてない、そう気づけることだ。

美術予備校とか美術高校で繰り返しやってもらうのはこれの訓練だ。

毎日あるいは毎週講評で並べられて比較される、点数をつけられる、先生が指示棒で指差しながら「ここ形狂ってない?」とか言ってくる。そういう経験がど素人を気づける人にする。

自分で気づけるようになってようやく絵が上手くなり始める。

みんなそのために絵を習う。

あとインターネットに転がってるイラストハウツーってまじで実際ヘタな人がしょうもないハウツー描いてバズったりしてるから自分がある程度描けるようになるまで無料ハウツーは信用しないほうがいい。

しょうもなハウツー描いてる絵師は滅びてください。いたいけな小中学生に変なこと教えないで。

⑤親御さんへ

絵を描くのが好きで将来に夢もあって中学はそれなりに通えてた、そういう子が通信制高校イラストコースに行って、たいした鍛錬もされずに本人も不完全燃焼を抱えながら貴重な高校三年間という時間けが過ぎていくのを見てきました。あれは見ていて大変きついものがあります

子供の言う「プロ指導も受けれるんだって!」「ここならやりたいことが出来る、楽しく通える!」をあんまり信じないでください。

15歳はまだかなり子供です。世間を知りません。楽ができるのと楽しいのとの区別も知りません。

子供が行きたがってる学校の評判はよく調べて、可能なら実際に目で見て、社会経験のある大人の目で判断してあげてください。

あと、美術業界イラスト業界の人の言う「子供の頃から絵が好きで、好きだから頑張ってこれた、プロになれた」みたいなのの「好き」のレベルって、朝起きたらご飯の前に絵を描いてる、授業中も絵を描くのがやめられなくてノート落書きだらけ、放課後友達と遊ぶよりゲームするより絵を描くのが好き、絵を描きすぎて夜更かしする、そういうレベルです。

学校の授業の中じゃ音楽体育よりも図工や美術が好きとか、ゲームiPadも取り上げたら暇つぶしお絵描きしてるとかじゃないです。

お子さんが一度絵を描く道に進むと競争相手はそれくらい絵にガチ人達ってことも知っていてください。

子供簡単に夢を見るので、保険をかけてあげるのも親の役目かと思います

2025-11-26

ストレス下における人間のふるまい(メモ

他人ストレスを与えられ続けた人の行動を列挙する。

ストレッサー暴言を吐く

仮説:ストレッサーからストレスで、前頭葉機能が弱まって攻撃性が上がっている? 闘争・逃走反応によってストレッサーを敵視している?

ストレッサー以外の陰口を叩く

仮説:ストレッサーの矛先を自分以外に向けるための行動? 自分ストレスを間接的に弱めるため?

抑うつ状態になる

仮説:他人から受けたストレスの矛先を外部に向けず、自分の中で解消しようとしている?

ストレッサー暴力をふるう

仮説:継続的ストレス(命の危険)を与えられたことによって、ストレッサー排除しようとしている?


人はストレスを避けたがる生き物だ。

から、高ストレス環境においてはストレスのはけ口になる人を用意するのが合理的に見えてしまう。これを限定合理性(=認知できる情報限定された状況において、もっと合理的に見える選択)と説明することができる。

ストレス環境下において孤立すると、反撃コストの低い人と見なされて集団から攻撃されやすくなる。そのような光景を見るたびに、人は猿の延長線にいる生き物だと痛感する。

高いストレス意図的に与えることでストレス耐性を高めようとする試みがある。警察官学校営業職などはその筆頭だろう。ゾス! 体育会系とされる職場ありがちな文化だ。

けども、実態は周りに嫌がらせしてでもいか自分ストレスから耐え抜くかを試験しているようなものだ。選抜型の教育、とも言える。それは営業マンとしては理にかなっているが、使命感を身につけさせるために必要な“倫理のある”競争だろうか?

からしたら、「他人に嫌な思いをさせてでも組織にしがみつける人間養成してる組織」にしか見えない。そういう環境ではむしろ他人のために何かをしようとする行為限定合理性を帯びる。良貨が悪貨を駆逐する、というやつだ。

おれは罪の意識に苛まれて狂っちいそうになったよ。

無知幸福だ。脱落させた人達はきっと辛い思いをして生きてるよ。あるいは、もう…

お前たちが殺したようなものだ。

2025-11-09

日本人カス

日本は衰退し続けている。

このような反論が返ってくる

「衰退していない、緩やかに成長している」「ゼロ成長でマイナスにはなっていないのだから衰退ではない」

たいていの人はこのような認識

 

そして原因は「政治が悪い」。99.9%はこのように答える。

 

いやいやいやいや、民主国家主権国民にあるんだから国民責任でしょ。

成長を導く政治家を選抜する知性が不足しているだけだ。

政治家に騙されたと言うが、何年騙され続けてるの?やっぱりバカじゃねぇか

かつ、毎回騙されてるのにちっとも反省しない、記憶力がヤバい

 

小学生が急に成長が止まったとする、

「緩やかには成長してる、縮んでないか問題ない」

とは言わない、諸外国が成長し続けてる、世界平均で年4-5%成長してて自国だけ30年間ゼロ成長なんだから

なにかが間違えてる、病院にでも連れて行くのが普通だが、お薬を飲もうとしないのが日本人。

 

そもそも日本人は自信過剰だ、我々民族は優秀、このような幻想を抱いている。

 

いやいやいやいや、自力産業革命民主化も成せなかった程度でしかない。そこらの土人と変わらん。

ギリ中世までは到達できたが、そのほとんどが中国朝鮮からの盗用

独自文化が花開いた、的な枕詞で賛美するが、江戸時代科学的な成長や成果は皆無だ。

 

明治維新後に奇跡の成長した日本優秀の証拠、というが

金銀銅、当時のレアメタル三種セットと主要エネルギー石炭が廉価な労働力無尽蔵に採掘できる国で

成長しないほうがおかしい、成長というても、余りある金で西洋から文化科学を買ったにすぎない

金を払うならまだしも多くは寛容な西洋に甘えた剽窃

しかしそんな黄金時代も長くは続くない

大正から昭和初期、世界中で鉱山開発が進み、主要エネルギー石油に転換し秒で斜陽

 

かろうじて残っていた社会資本軍事力他)をフル回転させアジア周辺国から搾取して生き延びていたわけだが

西洋から「そーゆーの、えー加減にせぇよと」、フェアにやろう、非人道的不条理不合理な弱者から搾取はもうやめよう。

植民地とかもうやめよう、ってかつて植民地フィリピンをとっくに独立させていたアメリカ日本に突きつけたのがハルノート

 

ハルノートを強欲なアメリカ理不尽要求日本を追い詰めた、という図式で解釈している奴がいるが、

中身読んだ?歴史勉強した?どうみても真っ当で妥当正当性のある要求しかない。

 

だが、国内で3500万人程度の食料しか自給できない国土にもかかわらず、無計画人口増やし続けた結果、7000万人。

輸出して稼ぐにも天然資源はすでに国際競争力を失い、第二次産業、加工産業も長らく西洋模倣しかしておらず

独自技術先端技術は無いので西洋製品価格も性能も敵わない、外貨を稼げない。

消費地中国に近く、西洋に対して輸送コストのみが競争力だった。

かつ大昔の日清戦争でゲットした最恵国待遇デカ

だが、第一次世界大戦船舶輸送技術が大幅に進歩し、地の利を失った。

そこに追い打ちのハルノート、戦勝利権、大昔の最恵国待遇かいい加減に戻せ、フェアにやれという要求にすぎない

 

日本はヤケクソのブチギレで太平洋戦争

アホかと。

問題人口なんだから外国に頭下げて引き取ってもらいながら人口減らすしかない。

なんのプライドかしらんが日本はできなかった。

 

だが、日本人は賢くて優秀、なんだそうだ。

 

戦後奇跡焼け野原から復興、優秀な証、だと

そもそも焼け野原になどなっていない。ありゃアメリカが諸外国から手を引かせるためのプロパガンダにすぎない。

実際には工業力はさほど毀損していない、米軍ちゃんと狙って攻撃していたのだ。主要都市の主要施設重要な橋や製鉄所は外していた。

かつ、アメリカは太らしてから弁済させる、計画だったのだろう。他の大国から賠償権を放棄させ、小国には雀の涙賠償を承諾させ、

全ての戦勝利権と国家制御権を手にしたのがアメリカで、経済成長全振りの社会政策ハレーション矛盾無視

ドル優遇まで与えて、そりゃ急成長するわw

で、いまだにチューチューされてるのに、低知能の日本国民アメリカにべったり、

短期経済成長全振りを80年やって社会矛盾が出まくりなのに認知できない。

挙げ句賠償権を放棄してくれた中国仮想敵とか言うてるの

中国が正当な戦後補償を求めていたらそもそも日本はとっくに消えて無くなっているのにね。

ぶっちゃけ払える金額ではない、

日清戦争日本が被った被害と得た賠償金を調べてから日中戦争日本が与えた被害を比べてみ、無理ゲー

 

「もうええよ、こんどから悪いことすんなよ、ゼロでええよ」

 

どんだけ神だよ

尖閣諸島が欲しい?

上げろwくれてやれ、差し上げなさいw

 

が、優秀な国民で輝かしい我が国は、領土は1平米も譲らん、なんだそうだ。

 

日本人ってアホなのか?計算できないの?

南京大虐殺捏造とか言うてるの、それ以外で4,500万人殺してるのは事実だろうがよ

 

そんな簡単計算もできない、認知もできないアホだから

経済成長が止まり

国民幸福度も下がり続け

子供自殺先進国

中国には経済力ダブルスコアで完敗、と思って調べたらすでにトリプルスコアだったw

 

それでも、日本人は優秀、政治が悪い、なにも変えない、変えたくない、省みることはない、正しい歴史認識

 

言っとけカス

2025-11-07

anond:20251107005909

なるほど。前半は同意してくれてたんか。

性別人種、肌の色、国籍による差別と弱さ、見た目による差別って質が違うと思うんよね。

結論から言うと、目的となる選抜合理的か?って話。

例えば、サッカー選抜試験があったとしてさ。

強さ(上手さ)/弱さ(下手さ)が判断基準になるのは納得がいくじゃん。

技の習熟度や練度、体力、知力などが争点になっていて、その点において優れている人間を選別するのは理に適っている。

でも、肌の色とか国籍サッカーにおける強さに相関はあるかもしれないけど、それはあくまで傾向の話であって、日本人より下手くそブラジル人だっているじゃん。

なのに、こいつは日本人からって理由で落とすのは良くない差別でしょ。

それは個人を見て判断していない。

属性で一緒くたにしてるだけ。

女性への危害に話を戻すと、弱い個体を選んで襲うことには合理性あるじゃん

と、ここまで書いて思ったんだけど、自分反論を思いついてしまった。

弱さを判断する材料には結局「見た目」「雰囲気」「服装」などの非直接的な要素を総合するしかないわけで。

「こういう服装の人はきっと弱いだろう」というのも、傾向の話でしかないといえばそうだな…

実際は組手してみるまで、本当に弱いかはわからない。

大学受験みたいに試すことは出来ないからな。

人は結局、対象の具体的な情報が得られない状況下において、小さな差別の組み合わせによる判断に頼るしか方法はないか…うーむ

人が「経験から何かを判断する」ことには、多くの場合差別が付きまとうのかもしれないな。

個人と向き合う機会が与えられない以上、過去帰納法的に導いた自分判断基準に委ねるしかないわけで。

分類による世界理解差別の温床である以上、個人経験における帰納法理解差別と言えるか…

2025-11-06

anond:20251106153744

犯罪被害者がある属性を持つ人間に偏っている。

犯人女性を狙って犯行に及んでいるなら、それは差別だろうか。

「女なら誰でもいい」そう思ってるなら差別だろう。

しかし、もっと具体的な条件で相手選抜しているならばそれは差別とはいえない。

例えば「かわいい」「弱そう」「服装エロい」。これは就職活動恋愛などにおける選抜と同じだ。

差別とは、特定属性のみを根拠として一律に扱いを変えることだ。

その点、自分加害行為をした人間から「男」という属性を引っ張り出して、男全般を警戒する行為。これは、れっきとした差別だ。

しかし、仕方のないことだと思う。

情状酌量に値する。

加害をされ、傷付き、恐怖を植え付けられたのだ。

どういう人間が自らに危害を加えるか判断がつかないのであれば、とりあえずまとめて警戒しておくほうがリスクは低い。

ただ、この差別肯定するなら、同様の条件の元に行われる人種差別も当然に肯定されるだろう。

性別が逆転した場合も同じことだ。

2025-11-03

anond:20251103123450

大学入試女子枠をなんだと思ってるんだと言わざるを得ない

そんな一般枠と同じ入試を受けて点数が数点たりなかったけど復活させるなんて制度ではない

女子枠は女子枠で、推薦やAOに近い学力にとらわれない幅広い力をとう選抜一般入試とは別に行うのが一般

選挙でやるなら女子枠比例選挙区を新しく建てるなどのやり方が相当するはず

2025-10-31

民間クマ撃ち養成支援すべき[訂正3]

前提

人口減少社会森林面積は増大しており、熊の人里への進出は止め難い。

しばらくは、我々は捕食対象として襲われ続けるだろう。

熊は人のつくる農作物果物の味をおぼえると、ドングリ食に戻れなくなる。

肉の味を覚えて完全肉食と生態を変えた個体確認されている。

熊は、高度の知的能力適応能力を有した生物であり、手強い競争相手

人に慣れ街に出る「都会っ子」の熊は、不可逆な変化・成長を遂げたとみるべきだ。

公的対処

現行法下では対処法は限定されている。

自衛隊有効銃火器使用禁止され、多勢を持って熊を威圧するために出動した。

罠を仕掛けるのに必要時間マンパワーを稼ぐためだ。

弓や槍の携帯も許されない、圧倒的に不利なフィールドだ。

300年前、「生類憐みの令」が猟銃を取り上げた時も、長槍兵が囲んで討伐していた。[訂正1]

から、熊と対峙する人間に対して、これほど貧弱な装備で派遣するのは古今に例がない。

縄文人よりも不利な条件なのだ

ただ、自衛隊銃火器を持っていたとしても、退治できるかは怪しい。

体力と精神力という資質の部分が大きなウェイトを占めている。

警察自衛隊クマを撃てる人間養成するためには、選抜し、教育しないといけない。

それには時間金もかかり、予算必要だ。[訂正3]

クマ撃ちを育てるまで

猟師クマ対峙して有効武器は猟銃のみ[後注、誤記2本文ではライフル銃のこと]。

猟銃の許可を取るためには、散弾銃許可を得てから基本的10年の要件期間を必要とする。

散弾銃は貫通力が弱く、熊の皮膚を抉るにとどまる。

クマ撃ちができるまでには、一般的には数年の経験必要

複数猟師指導し狩りに同行させて経験を積み、山を知り熊を知り対峙可能になるまでに三年。

高度の体力と精神力という資質と、正しい指導、そして経験が備わって初めてクマ撃ちが可能になる。

逆に、資質があり罠や散弾銃許可をえていても、猟銃の携帯までは時間がかかる。

提言

自分は、散弾銃所持猟師にも条件付きで猟銃の携帯を認める仕組みにすべきと思う。

猟銃は、先輩猟師が所有して狩の時に徒弟たる猟師に貸し出す形の登録制がよい。

先輩猟師指導員及び身元保証人になるわけだ。

徒弟は猟銃の訓練及び緊急避難の時のみ発砲を許可する。

見習い期間3年で特例による猟銃所有の許可を認めるという感じ。

熊撃ちの技術継承されるためのキャリアパスをつくるべきだ。

もちろん手当の増額なども必要だ。

しばらくは苦しいが、「巻き返し」をしなければ、未来世代負債を残すことになる。

自然保護というお題目のために、自らの子孫の命を危険晒した罪は我々にある。

将来世代へ出来る償いとして、まず自衛可能法制度を整えることが必要だ。

[訂正1]

ソースを見返したところ、誤認があったので訂正する。他にも誤解があるかもしれないので、仮に[訂正1]とする。https://www.wwf.or.jp/activities/opinion/2006.html

https://www.wwf.or.jp/activities/opinion/2005.html

江戸時代の「生類憐みの令」のもとでも、熊の被害が起きた場合藩兵は猟銃の使用限定的に許可されていた。熊以外の殺傷をしないという誓約をしてことに臨んだ。一方、猟師は槍一本を携帯していた。

生類憐みの令により民間の猟銃運用能力伝承は途絶えたようで、民間猟師の猟銃を用いた熊退治が記録されるようになったのは1721年将軍が死亡してから10年余後のことだった。

[誤記2] 銃の区分

本文中、猟銃をライフル銃の意味で用いていた。正しくは、猟に使用可能な銃の総称が猟銃であり、空気銃散弾銃ライフル銃が含まれ概念。一方、江戸時代の銃も猟銃と表記しているが、種類としては火縄銃に相当すると思われる。

そして、今年2025年3月規制されるまで、ハーフライフルという「法律上散弾銃区分されるがライフルに準じた運用可能な銃」が多く運用されていた(一部特例により運用継続地域あり)。ライフル銃の銃身内側には螺旋状の溝があり、弾丸を回転させて射程距離と直進性を高めている。これをライフリングとよぶ。ハーフライフルは、ライフリングを一部省略するなどして散弾銃扱いで運用できるように加工した日本独自の改造銃だ。ほとんどが北海道運用されてきた。

ライフルには及ばないもの、専用スラグ弾を詰めたハーフライフルは100m近くの射程距離がある。「平筒銃」と呼ばれる散弾銃は40-50mで命中精度も低い。

北海道銃砲火薬組合は「ヒグマの走る速さは秒速約16メートル」とし、単弾を用いた平筒銃で50メートル先のヒグマを撃って外した場合は3秒以内、30メートル先だと2秒以内で反撃されると試算。「自身の身を守るためにも新人ハンターハーフライフルは必要」と訴えていた。

https://www.asahi.com/sp/articles/ASS2245W0S1VIIPE025.html

ハーフライフ規制により新人ハンター経験を積む機会は決定的に減少したと思われる。

[注記3] 公務員への狩猟許可

これについては「時間を要する」と記述したのみで、公務員狩猟可能制度改正を行うことを否定しておらず、むしろ賛成の立場である。。ただし、法を改正し、公務員から適正のあるものを選び、教育を施して実用にいたるまでには、5年は最低でもかかると考える。

公務員は急に増やせないし、急に減らすことも難しい。地方公務員だと管轄問題も発生する。急に現場に駆けつけて、熊だけ退治して去っていく。これが法律上可能なのは現状で民間猟師しかいない。そのため、まずは民間猟師の参入を増やし、ノウハウ継承を途絶えさせないことが大事と考える。育った人材特別公務員として任用する流れがあれば、より望ましい。猟師公務員登用が、カリキュラム作成へつながると期待する。

2025-10-30

「強さ」を選ぶ社会──ポケモン優生思想の影

ポケモンという作品は、表面上は友情冒険物語であるしかし、その奥底には、選抜進化・淘汰といった構造が脈打っている。プレイヤーは常に「強いポケモン」を求め、「弱い個体」をボックスに送り、やがて忘れる。この行為は、ゲーム的な最適化であると同時に、無意識のうちに「価値のある命」と「そうでない命」を峻別する思考模倣でもある。

もちろん、ポケモン優生学意図した作品であるわけではない。しかし、そこに描かれる“選び”“育て”“戦わせる”構造が、近代社会優生思考と響き合うのは事実だ。美しく描かれた「進化」は、能力主義と完全主義寓話として読むこともできる。強くなることが正義であり、進化きぬ者は置き去りにされる――それは、20世紀の暗い歴史が示した思想の萌芽と重なる。

今日、我々の社会もまた「進化できない者は淘汰される」という空気を強めている。教育就職SNSの人気――あらゆる場所で「強くあること」「効率的であること」が求められる。ポケモンはその風潮を象徴する鏡であり、「楽しい遊び」として社会競争倫理内面化させる装置でもあるのだ。

この構造意識しないまま遊び続けるとき私たちは“進化”という言葉の下に、どれほどの命を見捨てているのか。

「捕まえる」ことの快楽と「選び捨てる」ことの正当化――その境界線を問い直すときポケモンという現代神話は、無邪気さを越えて、倫理臨界に立っているのかもしれない。

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