はてなキーワード: 指定校推薦とは
自分は、色んなイラストを探すのが好きだった。で、気に入るイラストの条件として、「自分の創作の参考になるか」、もうちょっと下品な部分だと、「自分でもある程度それっぽく再現できそうか」ってのがあった。
しかし、冷静になって思い出してしまった。今まで自分、物事を上達させられたことが無いなと。創作もできるようにならないんだろうなあと。
だから、オタ活が急にできなくなった。先述したイラスト探しをはじめ、ちょっと悪い言い方をするなら創作の素材にするつもりでやっていたからである。
最初のとっつきは寧ろ他人よりちょっと早くて、褒められる。でも、それ以降上達させる方法が分からない。詰むタイミングが早すぎる花海咲季の下位互換みたいな感じである。
怠惰で上達させるほど継続できないってのもあるし、ちょっと継続できても上達のために次なにすればいいのかが全然分からない。PDCAを回す感覚を体感したことがない。
それでいて部活の経験はない。あと、一夜漬けで上辺だけ理解するのは得意だったので、定期テストの成績で指定校推薦を取れてしまった。だから受験勉強もしていない。
そんなんで大学生になったが、大学になると上辺の勉強では対処できないような難解な内容が増えてきて、勉強が追い付かなくなってしまった。
性行為中に考えることについて、自分だけなのか? と感じる習慣を文字にしました。
セックスをしている最中、相手が違う人間であると考えながらするのは、果たして一般的なのかということです。
悪い言い方をすると、相手の身体で自慰行為をするということです。
私の場合は、数回に一度やってる程度です。キスとかの目を閉じている場面、相手の背中が見えている体位の時、そういうことを考えたりします。
誰を想像しているかは恥ずかしくて言えないのですが、私にはそういう習慣があります。
皆さまはいかがでしょうか? 悲しいことは言わないでください。
大学生だった当時、京都市内の木屋町という歓楽街のクラブで、黒服(ボーイ)のアルバイトを約四年間してました。ほかにも付近の居酒屋などでアルバイトをいくつか。
今は跡形もありませんが、その名も『CLUB ZOO』という老舗でした。大手芸能事務所が経営母体のクラブです。繰り返しますが、今では跡形もありません。
当時の求人情報誌には「当店が木屋町で№1です!」と書いてありました。まさか本当だとは思わずに面接を受けに行きました。
あの頃は、まだ19才でした。世の中がなんでも楽しくて、初めて見るものがたくさんありました。夜のお店のお仕事だってそうです。刺激的でした。
日記については、「あの時は確か……?」と必死で記憶を思い出したり、当時のリアル日記を読み返したりして、まとめました。
若手社会人の頃、会社帰りにアパート近くにあるスーパーを利用してました。
都市部で働いていたのですが、ほかのお店に寄ることはなく、いつも其処でした。
いろんなお客さんがいました。平日夜の同じような時間帯に来店する関係で、"いつものメンツ"みたいになることが頻繁でした。肉弾戦闘で半額惣菜を奪い合っていました。
そのうち1人のお客さんが、日記に出てくる男性です(※彼は肉弾戦闘には参加してません)。
この頃はセルフレジはありません。お会計をする間、その男性は女性店員さんと話をしていました。
別に、店員さんとお話するのはいいと思います。ただ彼のよくなかったところは、違う店員さんともお話をするところでした。
「おい、あんた……そんな節操のないことをしてはダメなのでは??」と、若かりし日の私ですら感じました。
結局、彼がどうなったのかわかりません。ある日、スーパーの正社員と思しき人と夜の店内でバトルになっているのを見ました(※肉弾戦闘ではありません)。
それ以降に見ることはなくなりました。出入り禁止になったのかもしれません。
自宅を掃除していると、本棚に旧約・新約聖書があるのを見つけました。とんでもない分厚さでした。二千ページ以上はあります。
でもこれを、大学1回生だった頃の私は、半年以上かけて読み切ったのです。
聖書の中には、特に旧約の中には、素人ながらに「それは……ひょっとしてギャグで言ってるのか!?」と思わざるを得ない描写が多々ありました。放蕩息子など。後は、槍のひと突きで800人を刺し殺す凄腕の兵士がいて、今だったらFGOに参戦してもよいのでは!? というレベルです。
しかし、それを上回るほどの感動があったのも事実です。あれは壮大な文学書 兼 自己啓発本 兼 歴史記録なのだと思います。
聖書全体ですが、日本語が極限まで洗練されている中で、神秘的なエピソードや、示唆に富むエピソード――ひとつの例として、士師記の中でサムソンが活躍するあたりは、現代のエンタメに通じるコメディ要素を感じ取りました。
懐かしいという感慨とともに、19才当時の考えを日記にまとめました。
わけあって日付の間隔が空いています。
こちらの日記も、上にあるスーパーと同じ店でのことです。新卒で入ったリクルートで働いていた頃の思い出です。
会社帰りにあのスーパーに通っていると、見た目が瀟洒なサラリーマンの人が、大学生くらいの女子店員に話をしていました。お会計の時に。
上の人とは違って、この人はいつも同じ人のレジへ行き、話をしていました。
女子店員の方も、まんざらではなさそうでした。お菓子売り場に私がいて、まっすぐの位置にあるレジへ向かおうとすると、その子がレジの後ろからスッと、身体を覗かせてこちらを見るのです。
私の真後ろには、その男性がいました。「なるほど、そういうことか……」と気を利かせた24才当時の私は、空気を読んで違うレジに入りました。
それから悲しい出来事がありました。その男性がある日、違う店員のいるレジに入ったのです。あの子がいたのに!!
「なん……だと……」
と、BLEACHキャラ並みの衝撃を受けた私があの女子店員を見ると、残念そうに俯いていました。
嫌な思い出になりましたが、何らかの学びを得たのは間違いありません。
そのお店ですが、今ではウイルス除けの透明壁が付いて、店員さんと話をしにくい構造になっています☺
上記日記の冒頭にツイートが引用してあります。これが執筆の動機になりました。
先のマッチングアプリの記事紹介の際、異業種交流会の話をしました。商売が目的ではない緩めのイベントです。
この時、民間企業の人だけでなく、大学職員といった準公務員や、純粋な公務員の人も参加していました。
メルカリの中の人と楽しく話をしている最中、慶応義塾大学の事務職員が会話に入ってきました。
商売の繋がりが目的でない異業種交流会なので、できるだけ離れた業界の人との話が楽しみでした。
ところで、その彼が語ったのは……よく言えば赤裸々、悪く言えば守秘義務違反に等しいレベルの生々しいお話でした。それがずっと続いて、当時の私は辟易しました。
いや、悪い思い出だったとは言いません。実際、刺激的なお話でした。ただ彼にとって想定外だったのは、私がそれを日記としてまとめたことです。
前回株式投資のことを書いたため、今度は仮想通貨投資について書いてみようと思い立ちました。
これからビットコインなど仮想通貨を始めようという方は、しばらく待った方がいいかもしれません。この執筆時点と比べると、世界的に仮想通貨が受け入れられています。
日本でも、将来は税率が一律20%になったり、アメリカのように仮想通貨ETFが出てくる可能性もあります。それ以外にも金融商品がいくつも登場することでしょう。
今から買われる方は、積み立てタイプで毎月一定額を投資するスタイルがいいと思います。間違ってもレバレッジ取引には手を出さないように。あれはFXと同じく、投機であって投資では決してありません。
いつかやろうと思っていたとか、そういうのではありません。ある日、急にあのおじさんの思い出が蘇ってきたので、執筆に挑戦しようと思い立ちました。
こちらの日記に出てくる土木会社のおじさんですが、私が歓楽街でアルバイトをしていた居酒屋(木屋町にあったどんがまと言います。今はもうありません)で、よくしていただいたおじさんです。
気のいいおじさんで、会話が盛り上がると、お店のシフトが終わった後でお酒や食事をおごってくれるのです。私がお金を出したことは一度もありません。
ただ、こちらのおじさんですが、たまに反社会的なアレなんじゃないか……と感じる場面がありました。詳細は日記内にあります。
当時(約二十年前)の木屋町は、暴力団員や半グレが普通に闊歩しており、警察官と鉢合わせても動じることはありませんでした。深夜になると、酔客が高瀬川沿いの往来で取っ組み合いのケンカをするのが風物詩でした。大晦日になると、お酒に酔った若人が、友達を……小橋の上から高瀬川に突き落とすのです😭
悲しいことに、天下の往来での殺人事件も起きています。今でも犯人は捕まっていません。
現在の木屋町は、平和です。お巡りさんの待機人数が昔に比べると明らかに増えており、高瀬川沿いの街道をガラの悪い連中が闊歩することも(ほぼ)ないです。
今の会社で新人の頃、お世話になった先輩の思い出を綴りました。№4の先輩とは別人です。
今の仕事の詳細は言えませんが、現場が多い不動産の仕事です。最初の配属先は、不動産関係の商業登記を取り扱う部署でした。
同じ職場に、ある先輩がいました。その先輩は、私が中堅どころになる頃に退職したのですが、記憶が残っている時間もそう多くはないと思い、まとめてみようと考えました。
一言でいうと、モテる先輩でした。イケメンというよりは、気遣いができる人でした。
他人にマウントを取ったりしませんし、愚痴や泣き言も言いませんし、相手の話をずっと聞いてくれる人でした。
そこまでお喋りをする方ではありません。本当の優しさをもった先輩でした。今でも尊敬しています。
その頃の思い出を、ひとつずつ思い出しながら日記を書きました。
先輩視点の第一人称は、物語として大変難しかった記憶があります。
大学四回生の時のことです。不定期活動のイベントサークルに在籍していたのですが、そのメンバーの1人に、悪い噂が立ちました。
噂の証人が言うには、その悪いメンバーというのが、サークル活動の中では地味な役割だったにもかかわらず、とある企業面接の場で「リーダーをしていました!」と真っ赤な嘘をついていた、というものです。
これ自体、特に思うところはありません。就職活動の面接でどのように振る舞うかは、完全に自己責任です。
本人がやっていないことを「やっていました」と発言しても、入社後にどうにかできるのであれば、本人の責任で行えばいいと思います。
しかし……「真っ赤な嘘をついてまで入りたい企業があるのか?」が当時の私には疑問でした。今もそうです。
そんな疑問への答えに近づくために、サークルの噂の証人だった女性の視点に立って日記を書きました。
========================================
【閑話③】よくブクマしてくれる方 ※順不同
以下の表中のコメント回数(期間:2019.12~2023.3)ですが、概算になります。
データは整理していますが、専門的なスクレイピング・データ加工はしていません。ご理解ください。
コメント回数は、すべて「少なくとも」です。確実にこれだけの回数があります。
ブクマカ名 | 私個人の感想など | コメント回数 |
---|---|---|
おたまじゃくしの人 | いつも登録ありがとうございます☺ | 7 |
林檎の人 | 小説系によくブクマをされてますね | 0 |
青い目の女性 | 私の作風を完全に見抜いておられます笑 | 5 |
宮内女氏 | 恋愛ネタや、バイオレンス日記によくコメントされます。いつも感謝です笑 | 8 |
ピンク背景の女性 | 経済社会を取り扱った作品によくコメントされます(^^) | 2 |
メガネの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 1 |
エイリアンの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 2 |
ゆゆゆのキャラの人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 3 |
ピンク髪の女性の人 | 不愉快にさせていたら申し訳ありません( ;∀;) | 4 |
メガネおじさん社長 | 評論系をよくブクマされます。小説も。楽しんでいただけたなら幸いです | 1 |
スター数1位の人 | 実はほとんどブクマをいただいてませんが、ひとつトップブコメがあります | 4 |
たんじろうの人 | 昔から多くのジャンルにコメントをいただき、ありがとうございます😭 | 2 |
口紅の女性 | 感動系の日記や小説において、キリッと雰囲気を締めるコメントをされます | 3 |
マフラーの女性 | いつも含蓄のあるコメントをいただいております | 2 |
紫の女性 | いつも鋭いご意見をありがとうございます。釣りを見抜く天才です笑 | 3 |
ヘルシェイク | 最近はブクマをいただきません。熱量のあるコメント感謝です | 2 |
関内関外日記の人 | ほどよい絶望感のあるコメントをいただくことがあります😰 | 3 |
ハックルベリーの女性 | 感情がそのまま出ていて、よきブクマコメントです('ω') | 5 |
本に栞を挟む女性 | 社会問題を扱った作品にコメントされます。はてブ最高知性です | 2 |
すみっコぐらし | 私の作品が読めるのははてなだけです笑 | 1 |
あごひげ眼鏡のおじさん | 成熟した大人のご意見です。小説風の増田にコメントを書かれます | 2 |
ゆとりずむの人 | たまにコメントされます。スマートなご意見です。私と同じ年齢……? | 2 |
========================================
●●●の娘「入社してしばらくは暇でした」
年間休日=休み多いじゃないから、実態なんて働かなきゃわからん…
↓
早稲田卒
「朝の7時前には出勤して
夜の12時まで帰してくれない
本当の男女平等を味わう」
最初の指示
「お前
午後10時前に
家に帰ろうなんて思うなよ!」
tinyurl.com/shinsotsu
激務エピソード
月4回の休日出勤
bit.ly/3wbfA0I
朝3時まで狭いプロジェクトルームで作業して、次の日は6時から7時の間に出勤が当たり前
当時同期で入社した200人近い中途の仲間は誰もこの会社に残っていません
tinyurl.com/zangyou
良くて3時か4時くらい、下手すると6時くらいに終わる
tinyurl.com/gozen3ji
夜中1時、2時まで、朝はなぜか7時集合
同期は全員辞めてると思う
bit.ly/3l05Z86
bit.ly/3yA1mcy
bit.ly/3wHGJHp
三●物●が新社長を発表!私大出身者の社長”ゼロ”の壁は壊せたか?
bit.ly/3i2gSFU
bit.ly/2U7ojOR
帝大65円 早慶55円
bit.ly/2ryVtbO
tinyurl.com/idoujikan
深夜3時までは働きます
それでも、翌朝も午前中に会社にこなければいけない
日付変わって帰るとかざら
tinyurl.com/mrx8426y
デスクワーク本当に多い
tinyurl.com/3fpj9jys
朝だいたい6時半ぐらいに起きていました
tinyurl.com/2ccnuxyc
bit.ly/2Gbk4wd
tinyurl.com/nemawasi
bit.ly/3bXmzkn
商社の何が辛いって、
仕事量が多いとか、
飲み会が多いとかではなく、
基本決定権が無い点
商流的に真ん中にいるので
決めるのは、
無論、若手に
社内の決裁権はない
調整、管理、
書き物をひたすらやります
tinyurl.com/kakimono
誰でもできるような仕事を大量に任される
tinyurl.com/y8kw52x2
与えられた仕事を
bit.ly/2uwinCk
自分で大きな決定できるようになるまで、
うまくいっても制度的に
tinyurl.com/nijyuunen
71%のケースにおいて即決で融資を実行
bit.ly/3NbOQUK
銀行員を辞めたい銀行員へ贈る!銀行員を辞めてよかったこと100個!
ノルマを達成するために
よく休日出勤や
夜間営業
1枚巻物は2mほどの長さになり、書くのに大体30分
tinyurl.com/noruma
昼メシは座って食べるな!
夜中3時ぐらいまで仕事するじゃないですか
bit.ly/39aQDuv
朝4時32分
tinyurl.com/ypsdcshz
多分200連勤ぐらいしたりとか
50人いて一人ぐらいしか5年後には残ってない
bit.ly/3wf8rg9
bit.ly/3FyoaLq
銀行員 同期100人いた場合50才で銀行本体残るのは1人の例も
bit.ly/3yt3Eu0
出向
年収は半減
bit.ly/3whuTVY
8時に出社して、21時に退社
9割の取引が、コンピューターによる高速では無い物を含めた自動取引
bit.ly/3N9jKNL
bit.ly/3vHDsc6
bit.ly/3M1sSUd
bit.ly/37y18aV
夜中の2時、3時で
朝7時とかに出社しなきゃいけなかったり
6年目以降は入ってこない?
bit.ly/3krr3SN
他にもスーツ、お節、家電、食料、ケータイ、弁当等、ありとあらゆるものを年中購入させられます
多分歯切れの悪い反応をすると思います
bit.ly/3v3WZ7D
車やスーツを自腹買い
bit.ly/3S30Fis
本社勤務の時には、
土日も出勤
支社や営業所で
朝8時には会社にいる?
忙しいと22時まで残業?
bit.ly/3nwjrS6
tinyurl.com/3774hs3y
tinyurl.com/vfjtpjw4
キャンピングカーワーク
日が昇る前に海へ出かけて早朝から車内で仕事をして、昼前にサーフィン
tinyurl.com/campingcarwork
bit.ly/3wfSrdD
tinyurl.com/ycxak3uz
tinyurl.com/5n8hmhka
dailymotion.com/video/x5jufm0
949日÷365日=生涯通勤は2.6年
tinyurl.com/tsuukinjikan
ストレスは、
機動隊の隊員よりも高く、
ジェットコースターが落下する寸前の2倍以上と試算される」
bit.ly/3ersMdc
年収800万円以上のITエンジニアは95%以上がリモート勤務
ここ数年本当に生活が充実してる
年に約3週間、
生涯では約2.6年の
サバティカル休暇にしよう!
bit.ly/3ap8GtC
tinyurl.com/section-chief
朝の7時前には出勤して夜の12時まで帰してくれない
本当の男女平等を味わう
「意外と長時間労働の会社」実名公開!有名企業50社を総力調査
●●不動産
連日の徹夜勤務
tinyurl.com/zangyojikan
225社の36協定で判明
3代に渡り、
70年も
tinyurl.com/yrk4342n
報酬が7億8700万円
トップと社員(従業員平均年収647万円)の「年収格差」は122倍
tinyurl.com/2d7vf9ru
社内政治というのは
前者の人の言うことだけを聞いて判断できない
bit.ly/2ruvbHw
bit.ly/38lPel6
非常に嫌われていた
tinyurl.com/kamenronin
推薦・内部組のほうが
なるほどと思った
tinyurl.com/ryuunen
仮面浪人の成績が
フル単か
留年の
二極に分かれる現象
本学の学部全体で最も成績が良い層は
何らかの選択過程を通過した人・物・事のみを基準として判断を行い、
その結果には該当しない人・物・事が見えなくなることである
tinyurl.com/seizonsha-bias
爆撃機の装甲を厚くすべきなのは「対空砲火を受けた場所」と「受けていない場所」のどちらか?
tinyurl.com/sentaku-bias
常に分母は何かを考えよ
「早稲田政経は、短期間に簡単にAO合格可能なことを正直に暴露した勇気ある著者」
tinyurl.com/hensachi40
私、おバカですが、何か?―
【偏差値40の三流短大卒フリーター、25歳で早大に入学する!】
tinyurl.com/hensachi
tinyurl.com/goukakuline
偏差値も上昇したのです」
tinyurl.com/suisennado
日米の組織には大きな差がなかったのですが、ものすごく大きな差が出たのは
「信賞必罰」
bit.ly/2wyebne
これは陽キャ陰キャ問わず知らない(知ろうとしない?)人が多いんだけど、日本の社会って実は
「普段の学校の勉強を普通にやってると、少ない労力で凄くスムーズに就活まで進められる」ようにできてるんだよね。
①周りが馬鹿ばっかの公立中で普通に勉強してると、かなり良い内申点が簡単に取れて、内申点考慮の公立進学校に楽に入れる。
②1年から勉強してる人が異常に少ない公立進学校では、普通に学校の勉強してるとかなり簡単に早慶らへんの指定校推薦が取れる。
③大学はサボる人が大半だから、ちょっと勉強やれば楽にGPAが3超えて、トップゼミも交換留学も給付奨学金も意外と簡単に取れる。
④早慶あたりで良いゼミor留学の経験があって、あとはバイト代わりに適当な長期インターンでもやっとけば、就活ではほぼ困らない。
こんな風に、適当な公立中高で普通に勉強してるだけで、かなりスムーズに有名大も入れるし就活も強くなるようになってるんだよねw
都心の教育ママやガリ勉陰キャは気づかない、過酷運動部出身で飲み会依存の陽キャも知らない、冷静に社会を分析できた人だけが実践してる勝ち筋。
「中学受験の段階から超本気で勉強させて、私立&塾漬けで何とか有名大に入れる」
「3年の夏までは部活にフルコミットして、引退後は今度は全力で受験勉強する」
大学受験は大失敗し、私立文系Fラン大学(9.5割推薦入学)へ入学した。
当たり前と思うかもしれない。抽象的だから刺さらないかもしれない。
しかしメンタルをやられると、合格=志望校の試験に受かるという結果であることを忘れてしまう。
増田の敗因を挙げるならば、
・指定校推薦を取って遊んでいる友達が羨ましかった(遊びへの我慢)
・模試でいい成績をとる友達と比べては病んでいた(いい成績の人に囲まれて辛い環境の我慢)
・毎日睡眠時間4時間半で勉強していた(睡眠欲に耐える我慢)(10/11追記:嘘っぽいのここか。マジで睡眠欲に耐えてただけなので肝心な勉強は集中できてないということ。通学1時間半かけてたから毎朝6時起きなのに寝るの大体1時半だった。)
というところだ。
1つでも多くの問題を解けるようになることが大切なのに、
履き違えていた。
・遊んでいる友達を羨むのではなく、問題集を1ページ進めてから息抜きする
・人と比べて病むのではなく、1問でも多く問題を解けるように模試を1問解く
・睡眠時間を減らして眠気に耐えるのではく、ある程度寝てから集中して単語5個を覚える
たまに我慢と努力の履き違えをしたまま病むだけ病んで受検失敗した子を数人見た。
遊べないのが辛いなら、遊ぶべきだと思う。
実際に高校の先輩で、二年まで定期テストクラスで下から数番目、夏休みまで部活していたものの、
夏休み明けからは、日曜の午後は一切勉強しないというルールだけを徹底し、某公立大学に合格した先輩もいる。
もう一度伝えるが、受験においては志望校の試験に受かるということがゴールだ。
(人生では受験や大学入学は通過点であるべきだけどね。辛い人は今は考えなくてもいいかも。)
増田が入学した大学は、推薦以外の0.5割は同じ受験失敗組だった。
そのなかの2人と友達になった。
2人がいたので、1年次は傷を舐め合いながら生きていくことができた。
2人は、1年次終わったら休学して地方国公立へ再受験すると言って大学で見なくなった。
連絡が疎遠になってしまったが、2人目は再受験したのかどうかすらわからない。
この前連絡がきたが、今何をしているかは聞けなかった。
その子が言っていた「上ばっか見てるのは辛いから、たまには下を見てああはなりたくないと思うことも必要だよ」という言葉はずっと覚えている。
増田は仮面浪人も編入もせずそのFラン大学を卒業した。意外と大学の授業が面白かったのと、もう二度と苦しい思いをしたくなかったからだ。
大学で割といい成績を取り、教授にもそこそこ気に入られてたため、卒業式の卒業生代表挨拶に選ばれるかもと噂があった。
結局私より成績が良い人が1人いて、その人が代表挨拶だった。同じゼミのAO入学の子だった。最後の最後までプライドをへし折られた。
別に失敗したっていい。
大学名は就活に影響あるけど、ある程度大学での行動でカバーできるし、
何回か就活の面接で話題に出したし、ウケが良かったこともある。
社会人で強靭なメンタルで仕事できているのでこの大学に入ってよかったと思う。
受験の失敗経験を活かし、早めから就活対策して大手メーカーへ運よく就職することができたが、社内の新人賞も後少しのところで落とした。
人生こんなもんですよ。
小学校のときに物を隠したり、仲間はずれにしたやつ、それを許してやれと諭した教員、部活で竹刀で殴ってきた奴、高校で指定校推薦を取るなと言ってきた奴、大学でマルチに誘ってきた先輩、男に興味ないの?と俺のチンコを触ってきたゼミの教授、就職してパワハラしてきた上司、みんな男。みんな嫌い。
ネットでは男がわざわざ女に絡みに行ってギャーギャー騒いでいるが、これこれ、これが男。俺が嫌いな男の特性だわ〜って思う。
女が女を助ける活動をしているとキレる男がいるが、そいつ等は何故か男が男を助ける活動をしたがらない。意味不明。でもそれが男。
ちなみに俺に明確な加害をしてきた女はいない。
女だけの街が欲しい、という女の書き込みを見たことがあるが、その気持ちはすごくわかる。
俺は男だが男の加害性には辟易する。
前半→https://anond.hatelabo.jp/20240718232635
勉強なんてますますしてやるかボケとなり、母が理想としていた聡明で清楚な娘なんてぶち壊してやった。制服のスカートを短くして、私服も男っぽくして、寄り道買い食い、刈り上げにして、運動部で日焼けしまくって、口も悪くなった。母が嫌いなゲーセンにも内緒で行ってた。さすがに身売りとか夜の街とか借金とか法律に反するとかのやばいことはしなかったが、できる限りで親の理想と反対を行った。
学校の授業は楽しかった。一部の先生は母みたいな上から目線で嫌だったが、大体はみんな優しかった。上から目線でバカにする人はほぼいなかった。私立だったからだろうか。勉強以外で得意なことがあるならそれを伸ばそうという校風だったからだろうか。
そうなってからはカンニングなんて頭になかった。気が付けば追試の数が減っていた。追試になったときも同じ追試仲間と一緒に勉強するのは苦じゃなかった。学校で受けた全国模試では下から数えた方が早かったけど、得意科目は上から数えた方が早かったからそれでいいやと思ってた。小学生の頃は得意科目がよくてもメインの科目ができないといけないと思っていたがそんなんど〜〜〜〜〜でもよくなった。父と夜遅くまで遊び、兄弟と旅行や遊園地に行き、母に強烈に怒られた時は友人が「じゃお泊まりしよっか!」と友人宅に何度もお泊まりした。友人の母も「子供がいっぱい楽し〜!ふぅ〜!」なノリでよく花火をして、焼き肉に連れて行ってもらった。この友人の母は「留年しない程度に勉強すればいいじゃ〜ん。あそぼーぜ!」な考えで、影響されたと思う。
一度高校の頃、地学で満点近いテストを母に見せたが「学校の勉強なんだし当たり前じゃん。しかも地学って笑」と笑われた。それ以外覚えていない。くそな思い出。勉強しろ!とお小遣いで集めていた漫画やアイドルグッズを全部捨てられたときもあったが、それでも勉強なんかしてやるか!となった。
.
大学受験期に差し掛かり、母がまた中学受験の時のようにテストの点数点数点数となった時期。入りたくもない塾にいれられ、難しすぎる授業を受けた。宿題・予習の量が尋常じゃなく、難しさも相まって何もわからない。学校の点数も口うるさく聞いてくる。親が金を払っているからさぼる事はしなかった。塾の授業も遅刻せずに真剣に聞くが授業スピードはかっとんでいくのでわからない。
その時の塾の先生は優しかった。すっごく初歩的なことを聞いても「わからないの?」と責めて来ない。しかし優しすぎてずっと何度も質問するのがなんだか申し訳なくなってしまった。
せっかく中学で治ったと思った小学生の頃に身に染みてしまった質問は恥が邪魔して何度も質問に行けず悩んでしまう。
.
母は教えてくれない。教えないくせに「こんなの聞いていればわかる」「私はできた」と責めてくる。「あんたはやる気がない」「大金を払っているのに」「私は自力で大学に入った」と武勇伝も出てきて家では口を開けば喧嘩だった。点数点数偏差値偏差値検定検定順位順位ばっかりだった。当時の私の偏差値は34で高校3年でようやくギリギリ英検3級が取れた(一敗している)。バカなのはわかってた。学校のテストは大丈夫だが、受験となるとレベルが違う。全くわからない。
.
そんな中、塾で模試を受けたとき、ふと横の人をカンニングしてしまいそうになった。目が横に動いたと意識した瞬間に前に戻した。カンニングという選択肢が常に頭にあることに気が付いた。小学生の頃に常態化していたカンニングが邪魔をしてくる。
それから模試の最中は目の前の答案用紙ではなく、自分との戦いだった。駄目だ駄目だとペンを握る。時間を見ようと顔を上げたときに他の人に目がいってしまう。そして自分を責める。カンニングの文字が頭に浮かんでしまう。結局集中できずに模試が終わる。
自分はこんなにもカンニングがすぐ思い浮かぶ人間だったのか。最低だ。でも点数が悪いと怒られる。否定される。もう親は自分に関係ない!と言い聞かせても思い出すのはあの冷ややかな目。「あ、今から怒るな」とわかる表情。思い出すだけで耳が痛くなる甲高い声。早くこの受験戦争から脱しないとカンニングをしてしまう。絶対にしてしまう。早く脱したい。でもどうやって脱するんだ。だめだ、だめだ、だめだ、と模試を受けるのが怖くなった。その後も模試を受けたがカンニングしては駄目だという戦いをしていたことしか思い出せない。いつも終わった後はお腹が痛かった。
.
勉強してカンニングしないようにすればいいと勉強しても「カンニングしちゃえば楽なのに」と悪魔のささやきが頭にこだまする。勉強しても頭に入らない。覚えられない。勉強していると何故か頭が痛い。喉が苦しい。お腹に激痛が走る。自習室にいるのに母に怒られてしまうと怯える。母の視線が怖い。怒っていない時でも怒っているんだと毎日思う。あの耳が裂ける金切り声でキレてくる。突然来る。負けないぞと立ち向かおうとする。でも朝「おはよう」とあいさつするのも精いっぱいだった。「おはよう」から何に転じて怒られるかわからない。同じ屋根の下というだけで朝から晩まで、いや寝て意識が飛ぶまで怯えていた。「おはよう、そういえば模試の結果まだ届いていないの?」と言われるのではないか?「おかえり、今度テストだよね?」と言われるのではないか?眠くなって自室に戻ろうとすると「受験生なのにこんな早く寝るの?!」と怒鳴られることがある。母の気分次第だ。
.
そんな時、行きたいなと思った大学のAO入試を知った。自分は勉強と指定校推薦は無理だったので早急にAO入試にシフトした。論文と面接は楽しかった。自分の考えを丁寧に文と言葉として落とせばいいので、公式を覚えなくていい。面接も自分の会話ペースに引き込んで、延長するくらいには自信があった。
大学は有名どころに受かったので母は喜んでいた。「あんたはしゃべりがうまいからね!」とドやっていた。「何自分手柄にしてんだよくそが」と反抗期真っ只中の私はキレていた。今までさんざん「勉強できないあんたは大学なんか行けない。受験を舐めている」と言っていたくせに都合のいいやつと思っていた。私が成人した現在は「あの中学に行かせてよかった」とほざいている。お前のせいでカンニングしたという過去が存在しているのになと時たま思い出してしまう。
受かった後に、とある大学入試を本気で真面目に解いて、マーク試験なのに200満点中18点だった時は父は大爆笑、母は呆れていた。「択一式なのにwwwwwま、真面目にといて?wwwある意味天才だwwww」といった父の言葉。なんだかその時に呪縛が解かれた気がした。
母は既に大学に受かっているという体があったから呆れで済んでいたと思う。それか父と兄弟がその点数で大爆笑していたからか。怒られなかった。
.
AO入試を受けさせてくれた母には感謝している。大人になってから聞くと「AO入試なら受かると思った」と。「お前にとりえなんてない。おしゃべりがうるさい子。反抗期長すぎて親を何だと思っている」とキレていたくせに。母には感謝している部分とぶん殴りたくなる部分がある。
中学受験についても感謝している。受験させてくれたことには。小学生の終わりかけのころはいじめられていて、近所の公立に行ったらそのままいじめられ続けていたと思う。受験で救われることもあったから、受験を完全なる悪だとは思わない。むしろ受験をして出会えた素敵な人たちがたくさんいる。
当時、いじめられていると母に言ったら「あんたが弱弱しくするからだよ。勉強で見返せば?」と助けてくれなかったので、ま、いじめで受験させたのではなく、母の自己満だろう。それでも私は良かった。複雑な感情だ。
.
大学生時代の時は授業と勉強が楽しすぎて単位上限を超えたので聴講もしてずっと大学にいた。
そして検定を好んで受けた時、カンニングを意識することはなかった。自分のペースで勉強するのは楽しい。誰にも怒られず、自由に勉強して好きに試験を受けるのは楽しいので、カンニングなんて微塵も思わない。試験が楽しくて試験中は解くのに夢中になっている。落ちたって「あちゃー」と自己責任で終わるからプレッシャーもない。
検定で〇級受かったと母にいうと「まだその級なの」とバカにしてくる。そんなもんだ。
勉強以外では仲良くしている。受験も就活も終わったからか母は丸くなった。怒らなくなったが、勉強の話になるとこんな感じだ。
社会人の今は帰りに図書館に寄って気象の勉強をしている。今度は地震の勉強でもしようと思う。
.
カンニングしたというニュースを見るとカンニングをした子が心配になる。ニュースだから家庭環境は知る由もないけど、気になってしまう。カンニングをしてバレてしまい、退学、そして親から怒られるのだろう。思春期に親から怒られるあの形容しがたい恐怖と不安は自死すら考えてしまうだろう。詳細は分からないが、「この子がカンニングした理由が私と同じならかわいそうだな」と思う。カンニングは悪いことだ。悪いことだという大前提での話だ。金銭の取引をしているようなカンニングは知らん。
ましてやカンニングで責められて自殺、親が学校を訴えるなんて察するものがある。なんで子供がカンニングしたのか親はわかっているのだろうか。(処分の内容は一旦置いといて)
出来心だったとしても何でカンニングという行為をしてしまったのか。いじめとか、学校側がカンニングを仕向けて嵌めたのなら訴えるのはわかるが、そうでないのなら親がどんな思想で訴えたのか、何となくわかってしまう。子供の心情を察する。
定期的に話題に上がる教育虐待を受けて親を殺してしまった女性までは酷くないとはして、テストの点数によって怒鳴られ・責められる子はたくさんいるのだろう。バレていないだけでカンニングをしている子もいるだろう。
それを思うだけで辛くなる。私も反抗期がこなかったらカンニングを続けていたかもしれない。親に逆らえない性格だったらと思う事がある。勉強以外を認めてくれる人に出会わなかったらどうなっていたか。父、祖母や兄弟も私を勉強でいじめはしなかったという家庭環境も助かったと思う。
カンニングをする子は本人の意識の問題もあるかもしれないが、環境も強い気がする。カンニングが悪だとはわかっているが、少しでも点数を良くしないといけない事情がどこかにあるのではないかと思ってしまう。私はモラル<親の優先順位になっていた。悪だと思ってもやらなければいけない。そんな環境があるのだろう。
点数を気にしない人と出会うしかない。そんな環境にしないと抜け出せない。どうにかしてその環境から逃げ道を見つけてほしいと思う。カンニングをしてしまった事実を消すことはできないが、その子がカンニングを続けないという選択肢を選べる環境になってくれ。そう願うばかりだ。
.
カンニングした人、ごめんなさい。カンニングした私は最低です。カンニングだと気が付かずに点数を付けてくれた先生たち、ごめんなさい。
今は勉強をすることが苦ではないです。大学に入ってから勉強が楽しくて仕方が無いです。だから昔の分、大学生から今まで勉強しています。カンニングなんて、ニュースを見なかったら思い出さないくらいには存在を忘れています。今は勉強が楽しいです。自由に、好きに、勉強できるのが楽しいです。
.
大学4年生です。ちょうど就活を終えたので、周りの学生や親に対して思ってることを書きます。
俺は 公立小中→県立高→早慶→有名企業 ってルートだけど、学校の勉強のお陰で、人生がめっちゃスムーズに進んだんだよね。
地元の公立中は意識低い人ばっかで、少し頑張ればほぼオール5が取れた。県立高校入試は内申点が4割だったから、簡単に偏差値70のトップ校に入学できた。
高校入ったら、これまで必死に勉強して燃え尽き症候群状態の人ばっかで、内申点の余裕で気力を温存してた自分は一発目から上位に食い込めた。
3年間優等生で通して、指定校推薦で早慶に進むことができた。(私立と違って、公立は純粋に成績良い人に指定校渡すよ)
大学でもGPAはしっかり取って、お陰で交換留学選考を余裕で突破できた。半年留学しても100万以下で収まって、格安すぎた。そして成績優秀者だから給付奨学金40万の案内も来た。
就活でも、成績証明書の提示を求める企業は意外と多くて、「履修データセンター」なる専用サービスもある。
GPAが高い自分は好印象で、内定の決め手の1つだったと思う。
交換留学+GPA+バイトエピソードで、大手から3つ内定もらった。
ということで、世の中「学校の勉強」を軽視する人ってめっちゃ多いけど、少し頑張ると、こんな感じで人生前半がめっちゃスムーズに進みます。
去年3月、自分は内定無しのまま大学を卒業し一年間就職浪人してようやく今年初めに内定をゲットし、4月から働き始めて一週間が経過した。
なんだか、ここ数年間で自分のあらゆる能力が凄まじいスピードで退化していくのを日々実感している。これは一体どういうことだ。
自分でこんなことを言うのもアレだが、小中学生時代は100点以外ほとんど取ったことがない上、さらに夏休みの自由研究では小1〜中3まで毎年、学内選抜で市や県の科学展覧会に出展・表彰されるなど非常に成績優秀だった。高校は県内有数の進学校に入学できた上、卒業するまでの三年間、中間・期末試験では常に学年ベスト5に必ず入っていた。1位になったことも何度かある。
その後は有名私立大学に指定校推薦で入学したのだが、この頃から徐々に様子がおかしくなっていった。大学の講義は自分にとって興味深いものばかりで、毎日楽しく熱心に受講し、学内図書館に毎日何時間も入り浸って関連書籍を読み漁ったりと勉学に励んでいたにも関わらず、次第に学んだ内容が全く頭に入らなくなり(というか記憶できなくなり)、さらには講義を聞いても何を言っているのかサッパリ理解できなくなった。
文章力も極端に低下していき、レポート課題、小論文、定期試験の記述問題などを書くたびに物凄く時間がかかる上に内容も支離滅裂で意味不明なものばかりになってしまった。自分で後から読み返してみても、どれもこれも何が言いたいのか分からないようなグチャグチャでまとまりのない文章ばかり。そんなだから当然評価も低くつけられた。もともと自分は文章を書いたりレポートを上手くまとめるのが得意な方だったのに。大学4年間、レポートの評価も試験結果も本当に悲惨だった。よくこれで留年せずに済んだな、というギリギリのレベル。
自分がこの数年間で実感した能力低下は、こういった学業面だけではない。
周囲の人と喋る時もまるで思考が停止したかのように言葉が咄嗟に出てこない(他愛のない雑談ですら)、「うん」「そうだね」などの簡単な相槌すらもすぐに打てず、あはぁ、ふふ、などの辿々しい相槌とも言い難いような返事しかできなくなったり、ほんのちょっとした質問にもすぐに返答できなかったり、講義内で行われるグループディスカッションでも思考が停止し全く発言できない、そもそも何を話し合うのかも理解できないなど、コミュニケーション能力が著しく低下。さらには「おはよう」「こんにちは」「ありがとう」「すみません」など簡単な挨拶すら咄嗟に出てこず、「ありがとうございます」と言うべき場面で「いただきました」だの「おはようです」など意味不明なことを言ってしまう。
自分は子供の頃から社交的なタイプではなかったが、それでも対人関係で支障が出るようなことは今まで殆ど無かったのに。
就職活動でも面接時に全く言葉を発することができず、ようやく口を開いたと思えば質問された内容からかけ離れた支離滅裂な言動になったりして、結局どこにも採用されず、内定無しのまま大学卒業となってしまった。それから約1年間の就職浪人の末、ようやく今年の初頭に内定を貰い4月から働き始めたが。
日常生活においても、何かやろうと思ってもすぐに忘れる、しょっちゅう物を落としたり無くしたりする、食事の時にお茶碗やラーメンの丼をひっくり返したり落としたりする、ごく簡単な家事や作業すらまともに出来ず家族に叱られる、会話相手の言葉が理解できない、何に対しても気力が湧かない、1日のほぼ大半を寝て過ごす、イライラすると衝動的に自分の顔や頭を殴りつける(そのせいで奥歯が欠けたこともある)、自宅の住所や電話番号を忘れる、外出時に突然笑いが止まらなくなる、30分おきに歯磨きをする、意味もなく家族に電話をする、自分が今何をしているのか突然分からなくなる、など、ありとあらゆる面で異常な行動が出てしまう。
数年前の自分と比べても、明らかに知力や生活能力、社会性、人格などあらゆる面で退化していると感じる。
一体何故こんなことになってしまったのか全く分からない。日に日に様々な能力が低下し、異常行動が増えているのを身に沁みて実感する。そろそろヤバい領域に達していると思う。
4月からは新入社員として働き始めて一週間が経過したが、やはり失敗の連続。まず自己紹介の際は話す内容が全然まとまらず長々と話してしまい、ものすごく微妙な空気になってしまった。
その後は新人研修がありグループディスカッションや共同作業をする時間があったのだが、ディスカッションの時は自分の意見を全く言えなかったし(恥ずかしいから、緊張するから、とかではなく、そもそもディスカッションのテーマが理解できなかった)、共同作業の時は提出用プリントにうっかり折り目をつけてしまったり、少し破ってしまったり、記入欄に間違えて違う内容を書いてしまったり、とにかく失敗の連続でグループのメンバー達からも(この人さっきから何なの…)みたいな呆れている感じがジワジワ伝わってきて辛かった。
また研修が終わって部屋を片付けている時も、長机を運ぼうとして倒したり、ホワイトボードを運んでいる人に気づかずぶつかって転倒したり、会社側から貸し出されていたボールペンをうっかり持って帰ってしまったりと、もう本当にどうしようもない。別にボーッとしたり気を抜いていたつもりは一切なく、むしろ自分が無能だと分かっているので、入社後は全神経を集中させて仕事に研修に全力で取り組もうと思って臨んでいた。でもダメだった。
正直、入社5日目にして既に社内に自分の居場所が無いような気がする。あまりにもやらかし過ぎてしまった。
もう本当に嫌だ。
何でこんなことになってしまったんだ。
移転先
[東大][慶應][早稲田][学閥][企業][IT][コンサル][商社][外資]
●●●の娘「入社してしばらくは暇でした」
早稲田卒
「朝の7時前には出勤して夜の12時まで帰してくれない
本当の男女平等を味わう」
「お前、午後10時前に、家に帰ろうなんて思うなよ!」
映画・テレビ・広告・出版・芸能・女優・アイドル・タレント・モデル・アナウンサー・ミスコン・ミス〇〇大学・インフルエンサー
w.wiki/5F35
不適切な人事は組織の敗北につながる■勝てない提督や卑怯な司令官をすぐさま更迭した米軍
tinyurl.com/hikyouna-shireikan
内集団ひいき
synodos.jp/opinion/economy/10828/
自分も相手も互いに同じグループに属していることが周知されているときには、内集団ひいき的な行動が観察されますが、
自分は相手が同じグループであることを知っていても、相手が自分のことを同じグループの一員かどうかわからない状態では、内集団ひいきは観察されなくなります。
つまり、自分と同じグループの人に対してひいきするのは、見返りが期待できると思うからであって、同胞に心から同情するせいではないということです。
https://cleartetsugaku.ame-zaiku.com/shakai/saishousyuudanjikken.html
このご時世に学閥つくって群れてるくせに、
都合のいい時だけ
利用しようとして協力しろとか言って来て、
どんだけ自分勝手やねん。
twitter.com/divivid/status/842745448464973825
twitter.com/abc3aki/status/629696671115444224
tinyurl.com/kamenronin
推薦・内部組のほうが
なるほどと思った
tinyurl.com/ryuunen
仮面浪人の成績が
フル単か
留年の
二極に分かれる現象
tinyurl.com/toudaigoukaku
本学の学部全体で最も成績が良い層は
何らかの選択過程を通過した人・物・事のみを基準として判断を行い、
その結果には該当しない人・物・事が見えなくなることである。
tinyurl.com/seizonsha-bias
爆撃機の装甲を厚くすべきなのは「対空砲火を受けた場所」と「受けていない場所」のどちらか?
tinyurl.com/sentaku-bias
常に分母は何かを考えよ
「早稲田政経は、短期間に簡単にAO合格可能なことを正直に暴露した勇気ある著者」
tinyurl.com/hensachi40
私、おバカですが、何か?―
【偏差値40の三流短大卒フリーター、25歳で早大に入学する!】
2007/7/19
深田 萌絵 (著)
tinyurl.com/hensachi
偏差値も上昇したのです」
tinyurl.com/goukakuline
成績が最もいいのはAO入学者 東北大、早稲田大の内部資料で判明
b.hatena.ne.jp/entry?url=https%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Fedua%2Farticle%2F14540038
去年、自分は内定無しのまま大学を卒業し1年間就職浪人してようやく数日前に内定をゲットした。
なんだか、ここ数年間で自分のあらゆる能力が凄まじいスピードで退化していくのを日々実感している。これは一体どういうことだ。
自分でこんなことを言うのもアレだが、小中学生時代は100点以外ほとんど取ったことがない上、さらに夏休みの自由研究では小1〜中3まで毎年、学内選抜で市や県の科学展覧会に出展・表彰されるなど非常に成績優秀だった。高校は県内有数の進学校に入学できた上、卒業するまでの三年間、中間・期末試験では常に学年ベスト5に必ず入っていた。1位になったことも何度かある。
その後は有名私立大学に指定校推薦で入学したのだが、この頃から徐々に様子がおかしくなっていった。大学の講義は自分にとって興味深いものばかりで、毎日楽しく熱心に受講し、学内図書館に毎日何時間も入り浸って関連書籍を読み漁ったりと勉学に励んでいたにも関わらず、次第に学んだ内容が全く頭に入らなくなり(というか記憶できなくなり)、さらには講義を聞いても何を言っているのかサッパリ理解できなくなった。
文章力も極端に低下していき、レポート課題、小論文、定期試験の記述問題などを書くたびに物凄く時間がかかる上に内容も支離滅裂で意味不明なものばかりになってしまった。自分で後から読み返してみても、どれもこれも何が言いたいのか分からないようなグチャグチャでまとまりのない文章ばかり。そんなだから当然評価も低くつけられた。もともと自分は文章を書いたりレポートを上手くまとめるのが得意な方だったのに。大学4年間、レポートの評価も試験結果も本当に悲惨だった。よくこれで留年せずに済んだな、というギリギリのレベル。
自分がこの数年間で実感した能力低下は、こういった学業面だけではない。
周囲の人と喋る時もまるで思考が停止したかのように言葉が咄嗟に出てこない(他愛のない雑談ですら)、「うん」「そうだね」などの簡単な相槌すらもすぐに打てず、あはぁ、ふふ、などの辿々しい相槌とも言い難いような返事しかできなくなったり、ほんのちょっとした質問にもすぐに返答できなかったり、講義内で行われるグループディスカッションでも思考が停止し全く発言できない、そもそも何を話し合うのかも理解できないなど、コミュニケーション能力が著しく低下。さらには「おはよう」「こんにちは」「ありがとう」「すみません」など簡単な挨拶すら咄嗟に出てこず、「ありがとうございます」と言うべき場面で「いただきました」だの「おはようです」など意味不明なことを言ってしまう。
自分は子供の頃から社交的なタイプではなかったが、それでも対人関係で支障が出るようなことは今まで殆ど無かったのに。
就職活動でも面接時に全く言葉を発することができず、ようやく口を開いたと思えば質問された内容からかけ離れた支離滅裂な言動になったりして、結局どこにも採用されず、内定無しのまま大学卒業となってしまった。それから約1年間の就職浪人の末、ようやく先日内定を貰うことが出来たが。
日常生活においても、何かやろうと思ってもすぐに忘れる、しょっちゅう物を落としたり無くしたりする、食事の時にお茶碗やラーメンの丼をひっくり返したり落としたりする、ごく簡単な家事や作業すらまともに出来ず家族に叱られる、会話相手の言葉が理解できない、何に対しても気力が湧かない、1日のほぼ大半を寝て過ごす、イライラすると衝動的に自分の顔や頭を殴りつける(そのせいで奥歯が欠けたこともある)、自宅の住所や電話番号を忘れる、外出時に突然笑いが止まらなくなる、30分おきに歯磨きをする、意味もなく家族に電話をする、自分が今何をしているのか突然分からなくなる、など、ありとあらゆる面で異常な行動が出てしまう。
数年前の自分と比べても、明らかに知力や生活能力、社会性、人格などあらゆる面で退化していると感じる。
一体何故こんなことになってしまったのか全く分からない。日に日に様々な能力が低下し、異常行動が増えているのを身に沁みて実感する。そろそろヤバい領域に達していると思う。
4月からは内定貰った会社で働く予定だが、こんなことで務まるのだろうか。
ここに書いても仕方のないことだが、ストレスを吐き出す意味で。
少しだけ荒んだ心が和らいだような気がする。
指定校推薦って評定平均いくつ以上、の条件があるわけでしょ
(カンニングはそれすら底上げしている感じがするけど)基本的にはそれをクリアしているから
受けるのであって、枠に収まっているならそれはまあ普通に通してあげれば感はある
こいつの評定を上げましょうみたいなことをしていたら割とクソだなとは思う
自分の地元ではそういう謎ブーストによって目標とする高校に内申点が届くように
あれは本当にクソだったと思う
愚痴を聞いてほしんだよ。
先日勤務先の私立女子校で推薦入試判定会議があったのだけれど。
大学から学部学科ごとに推薦枠(定員)と推薦のための最低基準をいただいているので,
各生徒の希望と成績を照らし合わせ,競合が起こりそうな場合は担任面談を行い
志望校を誘導しながらパズルを組み上げるように推薦希望の生徒全てにどこかしらの大学の推薦を与えられるよう
管理職,高3担任,進路指導部,生徒指導部,教務部が集まっての判定会議。
「制服スカート丈について再三指導してきたが,改善が見られず。会議前日の全校朝礼でも見咎められ,指導を受けた」
などなど,推薦して良いものかとのご意見が集まる生徒が複数あった。
最終的には全員希望通りに推薦を与えることになった。
モヤモヤするのは
校長が「要するに問題はスカートの丈なんでしょ?そんなことで推薦取り消しだなんてなったら,絶対もめるわよ」
とか
担任が「厳しく指導できなかった私のせいで,生徒が成長できなかった,申し訳ない,生徒側に罪はないので認めてやってほしい」
とか
「推薦してほしいと生徒保護者が言えば,学校は推薦しなければならない」空気があったこと。
欠点を補って余りあるほどの活躍をした生徒なんですよ,といったようなアピールは誰からも出ず。
だから慰めて欲しいとかそういうのではなく、本当にずっとできる人になったことがなかった。
幼稚園の運動会では走らず、見に来ていた祖母がおばあちゃん恥ずかしい!と母に小言を言ったらしい。
母は優しいので、この件でいまだに祖母に怒っているが、我ながらそりゃ恥ずかしいだろと思う。
私が髪を解かされるのを嫌がるのでそのまま私を登校させていた両親は、学校から虐待を疑われ面談を受けたことがあるとか
6年生までずっと仲良くしていた女の子は、2年生のとき私の100点のテストをビリビリに破いたことがあるとか(全く覚えていない、マジで)それが原因で、父は私がその女の子と仲良くするのを嫌がっていたとか、そういう人伝に聞いた話を覚えているくらい。どうでもいいことだが6年の最後の方でこれまた全く覚えていないがなんかしでかしてずっとその子にはハブられていた。それを見た別の子に一人で可哀想〜!と廊下で叫ばれ、あ、一人で可哀想なのかぁ…となんとなく思ったりした。
中学はギリギリ受かった私立中に入った。何をしでかしたかこれまた覚えていないが、私が入る予定の公立中の学区内で私は悪い意味でやばい人として有名になっていた(これは、ずっと仲良くしていた子から聞いたのと、知らない小学生に話しかけられたことで知った)ので、
なんとなく公立中に行きたくなかった、それだけでギリギリ受かってしまった。歴史の点だけで多分補欠合格を勝ち得てしまった。案の定中学ではみるみるうちに落ちこぼれ、拾ってもらった美術系の高校に滑り込んだ。しかしここでもまったく目が出ず、指定校推薦で関関同立に滑り込んだ。当然大学でもうまくいかず(個人的には楽しかった。1人でも楽しかったし、友達もできはしたから)就職も無理矢理決め、ギリ生きている
私もそう思う
今まで何かができなかったとき
ずっと
どうしてダメだったか、ではなくどうして私はこんなにダメなのかを先に考えるような
そういう生き方をしていた
そうすることで自分はできないんだから仕方がない、だって私は幼稚園の運動会ではしらなかったし、よその小学校でがいじってあだ名されてた女だ!諦めろ!と自分を鼓舞していた。
なんなんだ?これ
みっともなすぎるだろ
なんか、他の考え方をしたい
今日食べたものが美味しいとか、今日見たこれが面白かったが、私はなんてダメな人なんだに勝った日がずっと来ない。もうずっと待っているのにずっと来ない。待っているからダメなんだ、またダメだと思ってしまった。自分のことを可哀想だと思いすぎている。だから人とうまくいかない、分かっているのになぜ変わらないのだろう。
東工大は2024年から総合型選抜に女子枠を導入し、143人の定員を設ける予定。
東大は、2027年までに300人の女性教授・准教授を採用する予定らしい。
結論から言って、これらの施策は好ましいものであり、他の大学もならうべきである。
そもそも、人類の男女比はほぼ1:1であるのに、大学教員に占める女性の割合はこれより低い。
特に、日本の高等教育機関の女性教員の割合は3割未満であり、准教授は25%、教授は18%と、いずれも先進国で最も低い水準である。
これは、全人口の半分の人材をみすみす逃しているということであり、国家的な損失である。
東大のような日本を代表する教育機関が、積極的に女性を採用するのは、他の学校の模範となることであり、歓迎すべきである。
まず、女性枠の設置が逆差別であるとか、男女雇用機会均等法に反するとかいう意見があるが、これは明らかにおかしい。
女性枠を設置したところで、男性の雇用機会は失われていないからだ。
むしろ、女性枠がすべて埋まったとしても、東大教員に占める女性比率は25%にしかならない。
そもそも法人の採用には、外国人雇用や障害者雇用などがあるし、入試にも留学生試験や指定校推薦などがある。
これらは一部の人しか応募できないが、それを差別だという人はいない。
こう言うと、「女性には言語や障害などのハンデがないのだから、一般公募で受ければいい」などという人がいるが、この人は根本的な勘違いをしている。
外国人枠や障害者枠があるのは彼らのハンデを補うためではなく、組織の多様性を確保するためである。
(そもそも、もし言葉の壁や障害がハンデとなるならば、それは組織の問題であって、採用を受ける人の問題ではない)
組織の経営者が、男女比に偏りがあるのは問題だと判断したら、女性の採用枠を設けるのは、至って合理的な判断であり、何ら非難すべき点はない。
女性枠の設置は
「企業が一般公募をしたら、特定業種からの中途採用者しか応募してこないので、新卒採用を開始する」
とか
「新卒採用をしても東京の大学の文系学部からしか応募がないので、名古屋と大阪にも支店を作り、理系の人も積極的に採用する」
というのと何ら変わりはない。
「入試に女子枠を設置することで、男子が合格しにくくなる」というのも間違いだ。
たとえば、定員300人女子枠100人の入試があったとしよう。
仮に、上位300人がすべて女性であった場合、彼女らのうち100人は女子枠で合格する。
つまり、本来合格しないはずの男子100人が合格することになるので、男子は合格しやすくなっているのである。
女性枠を設置することで、「大学の偏差値が下がる」とか「水準未満の人材を採用することになる」という意見もあるが、全く無根拠であり論ずるに値しない。
最近Twitterでたまーに見るけど、意外とみんな知らないんだなと思った
Fランばっかじゃなくてマーチ以上や地元で評価高い大学とかもある
俺今28歳なんだけど
中学で体調崩す→通信制高校なら行けるかなと進学→別に頭は良くないけどギャル・ヤンキー多数の中ではかなり上位になる→高三の時に教師に「君の成績ならどこでも推薦できるから言ってね」と言われる→指定校で偏差値55くらいのそこそこ大学行く→JTCホワイト企業就職できてまったり
みたいな感じでめっちゃ良かった
それに俺が行ってた高校では東大とか行く子もいた、通信って登校日数めっちゃ少ないから無理せず塾や受験勉強に全振りできるんだよ
語学留学したりダンスやスポーツに全振りしてる子、アイドルなんかもいた
下手に進学校行って遊ぶ時間なくなったり病んだりするより通信制高校行くって手もあるよね
就活の時もなーんも言われなかったし
あと、高校の時に「やること全部自分で決めて自分でやる」みたいな習慣付いてたから
大学でもかなり成績いい方だった
どこに吐き出せばいいのかもわからない自分の気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分の人生を増田に投下したい。
要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。
就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。
ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかったから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。
中学に入学したあたりでクラスもバラバラになり、小学生の頃のグループは自然消滅してしまった。
誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。
部活にも入らなかった。正確には入れなかった。
聞こえてくる話を聞く限り、中学に入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。
特にスポーツの経験もなく、かといって文化的な素養もない俺にそのようなものはなかった。
「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。
未経験の部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。
友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。
最初の入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校の出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。
中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。
親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。
中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。
みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。
親にねだってPSPとモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校にPSPとカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。
国語の先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。
今にして思えば、ポケモンに詳しかったことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。
勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部のクラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから、勉強を理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。
勉強の甲斐あって、地元で1番の公立高校に合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。
合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEをインストールした。
中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。
失敗した。
出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。
3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後のメンバーであった。
私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。
同じ塾での繋がりから、合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。
結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債に高校生になっても苦しめられるのかと思った。
部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。
2ヶ月で辞めた。
私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。
先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベルと自分の立ち位置があまりに乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。
自分だけが初心者だという引け目から、同級生ともろくに話せずに終わってしまった。
ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。
同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分を正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。
幸いだったのは学校に自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室で勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。
中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。
何も言わないでいてくれた親の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
高校でTwitterが流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生をフォローした。
フォローバックも多少はしてもらえたと思う。
しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。
一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。
LINEを交換しているもの同士でスコアがランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。
その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。
3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為が自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なものを選択して口からアウトプットするという一連の行為が自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。
その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。
ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。
当たり前だが、次の機会は来なかった。
高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記が限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。
今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。
講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校も予備校も基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。
サークルの新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。
先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。
新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。
自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。
テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。
授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。
しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。
ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学のゼミを志望したが、人気ゼミの面接に通るはずもなく落ちた。
結局、不人気な統計学のゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。
自分の存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。
そして就活の時期を迎えた。
講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものにエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。
志望動機や経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。
奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。
その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後に儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。
同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーダシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手の企業で内定を得て働いるのだろうなと思う。
昼休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦で大学に入ったらしい。
学業にしか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。
後日講義室で聞こえてきた「1dayインターンは意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。
そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。
就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。
他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。
あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。
無職で世に放たれるよりは学生の身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮で留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。
結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。
勉強だけは出来たのだから、学業で勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。
予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかったことを覚えている。
筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。
周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活の面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。
いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。
無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。
あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。
どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。
どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。
1年引きこもってもその答えは出せずにいる。
何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。
ここまで育ててくれて、何も言わずに無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。
こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれた人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。
せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
ご想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。
その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。
ブクマ先が消えていたので、Googleキャッシュにあったものをコピペしました。
高校野球部への人材あっせんで飯食えるどこらかベンツ乗れるくらい稼げてるおっちゃんと知り合って、マジで色んな裏話教えて貰ったけど、
たとえ人材不足の代であってもプロのスカウトが挨拶がてら必ず顔を出す、
こういうレベルの高校の野球部で監督が清潔なところがあまりに少なすぎる
→レギュラー獲得順当な実力があることが大前提でそこからさらに親が監督に少なくとも100万円包まないとレギュラーには絶対にしてもらえない、
みたいな高校
日本人の大半がその名を知る、甲子園の歴代名勝負に登場する某名門校もこのパターン
→これもめちゃくちゃある。結果出てるのに唐突に謎の辞任をした有名校の監督はこっちパターンが多い。
監督が母親に「あんたの子はレギュラー(あるいはベンチ入り)当落選上だよ」と伝えて、監督が肉体関係を強いるパターンも、母親が言外の意味を察して自ら抱かれに行くパターンもある。
きっしょい世界だなあと思った。
そんで一番クソだなと思ったのが、
そういう泥水すすって家族も巻き込んでレギュラー獲得して上手いこと甲子園出られるまでいったとしても(本人の実力あっても奇跡みたいに薄い確率。甲子園出るためのハードルがシビアすぎてたとえ田舎県の名門校であっても運の要素がデカすぎる)、
高卒プロ確定くらいのズバ抜けて実力がなければ野球なんかに秀でても全く潰しがきかないという現実。
3年に1回は甲子園出られるレベルの野球名門校レギュラーの進路実績見てみ?
MARCH、特に六大学くくりの明治立教法政はめちゃくちゃシビアで、ここらへのルート自体がない名門校が凄く多い。
大阪桐蔭で甲子園優勝した正捕手の主将ですらAOで慶応SFC受かったとき「大阪桐蔭野球部史に残る快挙」って扱いだったからな。
しかも恐ろしいことにこんな人材でもAOの1期も2期も不合格食らって3期でようやく12月に合格できたって経緯だから野球枠で早慶合格はマジで日本中の名門校でその名を轟かす球児であってもほぼ全員実質ノーチャンス。
(特に慶応野球部はAO入試の合否の下馬評が全くあてにならないのが昔からでリスクが高すぎる。
文武別道野球超名門校において、勉強特化型の一般生徒たちがせっせと稼いだ指定校推薦枠を高校側に出来レースとして回して貰って早慶に入るのが野球部的には一番確実。
しかし、それでも野球部レギュラーで指定校で早慶に行けるのは早稲田と慶応それぞれ足し合わせても例年0~2人程度しかおらず、そこから漏れたら4番だろうがエースだろうが一気にE~Fラン私大行きの確率が跳ね上がることを付け加えておきたい)