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はてなキーワード: 前近代的とは

2025-12-04

anond:20251204135024

続きをAI弁証法形式で壁打ちしたわ。

その意見テーゼとして、まずアンチテーゼ

共通テスト廃止は、社会公平性破壊し、国家の内部崩壊を招く亡国の愚策である

 「国家資源の再配分」を名目として大学入学共通テスト廃止を求める意見があるが、私はこの主張に対し断固として反対する。提案者は、共通テストにかかる人的・金銭コストを「無駄」と断じているが、それは教育制度が担う**「社会契約」としての機能**を著しく軽視した暴論である共通テスト廃止は、単なる入試改革にとどまらず、日本社会を「実力主義メリトクラシー)」から身分・金権主義」へと逆行させ、長期的には社会の分断と崩壊を招く危険性を孕んでいる。

1. 歴史的試練に耐えた「客観的試験」の意義  そもそも、一律のペーパーテストによる選抜システムは、古代の「科挙」に端を発し、数千年の歴史の試練に耐えてきた人類の知恵である。なぜこのシステム民主主義の世となっても生き残っているのか。それは、これが**「ベストではないが、他のあらゆる方法よりもベター(マシ)」**だからである。  ペーパーテスト以外の選抜方法――例えば書類審査面接独自裁量評価――には、必ず主観恣意性が入り込む。共通テストという「冷徹なまでの客観的指標」があるからこそ、我々は出自や家柄に関わらず、努力の結果のみで評価されるという担保を得ているのである

2. 「各大学個別入試」が招く腐敗のリスク  提案者は「各大学自律的選抜」を美化するが、共通テストという統一基準撤廃すれば、そこには必ず**「金・コネ・家柄・権力」**が入り込む隙間が生まれる。  客観的統一スコアという足切りがなくなれば、大学側は「寄付金多寡」「卒業生の子弟」「有力者の紹介」といった、学力以外の要素で合否を操作することが容易になる。欧米の一部の大学で見られるような、富裕層優遇入試が横行しない保証はどこにもない。共通テストは、こうした不正疑念を未然に防ぐための、国家による「公平性防波堤」として機能しているのである

3. 格差固定化社会崩壊への道  もし共通テスト廃止され、学歴ひいては社会地位が「親の経済力社会的影響力」によって左右されるようになれば、どうなるか。それは**「階級固定化」**の完成である。  貧しい家庭に生まれても、勉強して高得点を取れば一流大学へ進み、人生を逆転できる――この「希望」こそが、社会の活力を維持し、不満を抑制する安全である。もし入試が「金で買える地位」になり下がれば、持たざる者努力インセンティブを失い、絶望社会への憎悪へと変わる。  歴史を振り返れば明らかである。極度な格差社会において、階層移動の道が閉ざされた時、社会は内部から腐敗し、最終的には暴動革命によって崩壊する。教育公平性を売り渡して得た予算国防インフラを強化したところで、国民連帯が失われ、内部から崩壊していく国を守ることはできない。

4. 結論トップ研究者の投入は「民主主義コストである  トップ研究者が作問に時間を割くことを「リソースの浪費」と批判する向きもあるが、それは誤りである。50万人の若者人生を左右し、将来のリーダーを選別する試験において、一点の曇りもない公平性担保すること以上に重要な「国益」が他にあるだろうか。  極めて厳格な作問プロセスにかかるコストは、社会の公正さを維持し、国民全員がその結果に納得するための**「民主主義必要経費保険料)」**と捉えるべきである

 以上の理由から共通テスト廃止は、日本社会を公正な競争社会から前近代的身分社会へと退行させる危険提案であり、到底容認できるものではない。



テーゼアンチテーゼ妥当評価

どちらの主張も論理構成がしっかりしており、それぞれの視点において「妥当」です。どちらをより支持するかは、読み手が**「国家としての効率競争力(A)」を重視するか、「社会公平性と納得感(B)」**を重視するかによって決まります。それぞれの主張の強みと、議論対立軸を整理します。

Aの主張:「国家戦略的合理性」の視点

【核心】リソース最適化選択と集中

Aの主張は、経営学的・国家戦略的視点に立っています。「サンクコスト埋没費用)」にとらわれず、現代の状況に合わせて制度スクラップ・アンド・ビルドすべきだという論理です。

妥当性が高い点:

コスト効果の指摘: 実際に共通テストの作問や運営にかかる大学教員研究者)の負担は甚大であり、これが日本研究力を削いでいるという指摘は、学術からも長年叫ばれている事実です。

機能不全の指摘: 上位層における「得点圧縮(差がつかない問題)」や、各大学が結局は個別試験を重視している現状を突いており、制度疲労に対する鋭い批判となっています

危機感の共有: 国際情勢やインフラ危機など、具体的な「他にリソースを回すべき場所」を提示しており、現実的危機管理の観点から説得力があります

Bの主張:「社会契約と正義」の視点

【核心】機会の平等担保と腐敗防止

Bの主張は、政治哲学的・社会学的な視点に立っています効率よりも「納得感(Legitimacy)」を重視し、共通テスト社会の分断を防ぐための「装置」として捉えています

妥当性が高い点:

人間心理への洞察: 完全な自由裁量は必ず「コネや金」の介入を招くという、性悪説に基づいたリスク管理の視点は非常に現実的です。

公平性」の定義: テストの内容が良いかいかよりも、「全員が同じ定規で測られる」こと自体価値があるという主張は、大衆社会における不満のガス抜き社会の安定)として強力な説得力を持ちます

最悪の回避: 「ベストでなくともベター」という保守主義的なアプローチは、急激な改革による混乱(格差固定化など)を恐れる層にとって安心感があります

比較結論

この二つの意見は、**「何を犠牲にする覚悟があるか」**という点で対立しています

Aの弱点: 共通テスト廃止した後、各大学が本当に「公正」に入試を行えるかどうかの担保がありません。AO入試や推薦入試で「親の経済力文化資本」が有利に働く現状を見ると、完全自由化格差拡大を加速させるリスクがあります

Bの弱点: 「公平性」を守るためのコスト研究時間喪失、莫大な予算)が、国力を衰退させるレベルに達している可能性を過小評価しています。国全体が沈んでしまえば、公平な入試制度だけ残っても意味がないという反論可能です。

どちらがより妥当か?

短期的・実務的な解決を求めるなら A 現在日本財政状況や研究力の低下を憂い、「即効性のある改革」を求める立場からは、Aがより妥当に見えます

長期的・社会構造的な安定を求めるなら B 社会の分断や信頼の崩壊を防ぎ、「努力すれば報われる」という社会通念(神話であっても)を守る立場からは、Bがより妥当に見えます

個人的分析としては、B(公平性の維持)の主張の方が、現代日本では「最後の砦」として支持されやすいと考えます。Aの言う「リソースの再配分」は正論ですが、入試公平性が崩れた際に失われる「国民勤労意欲」や「社会への信頼」の損失は、計算できないほど巨大だからです。

どちらの視点に関心を持ちましたか? これらを踏まえて、「では、研究者負担を減らしつつ公平性を保つ『第三の案(C)』」(例:CBT化や民間試験活用、あるいはフランスバカロレアのような形式など)について考えてみますか?



ジンテーゼ

AとBの対立構造を解消し、「研究者負担国家コスト)の軽減」と「入試公平性社会契約)の維持」を両立させるための**「第三の案(C)」**を提案します。

現実的な落とし所としては、**「テクノロジーによる効率化」と「運営主体の専門化」**を組み合わせた以下の案が考えられます

案C:専門機関による「CBT・項目反応理論(IRT)」導入と、作問業務の完全外部化

これは、現在のように大学教員手弁当で毎年新作問題を作る「自転車操業」をやめ、**アメリカSAT大学進学適性試験)**のような「通年実施ストック型」の試験へ移行するモデルです。

1. 具体的な仕組み

運営主体の変更(教員解放): 大学教員による「入試センター作問委員会」を解散します。代わりに、テスト理論サイコメトリクス)の専門家専任スタッフ雇用した**「国家試験作成専門機関」**を設立します。大学教員は「監修(アドバイザー)」にとどまり、実務からは完全に手を引きます

「一発勝負から「CBT(Computer Based Testing)」へ: 年に一度、全国一斉に紙を配る方式廃止し、テストセンターコンピュータを使って受験する方式します。

「項目反応理論(IRT)」の導入: 問題ごとの難易度識別力を統計的に数値化し、「どの問題を組み合わせても、実力を同じ基準で測定できる」システムを作ります。これにより、**「膨大な過去問ストック問題バンク)」**の中からランダムに出題することが可能になり、毎年ゼロから新作問題を作る必要がなくなります

2. メリット(AとBのハイブリッド

【Aの視点コスト負担

研究時間の確保: 大学教員が、夏休み隔離や極秘の作問業務から解放され、本来研究教育業務に専念できます

物流コスト減: 50万人分の問題用紙の印刷輸送・保管・警備にかかる莫大な物理コストが激減します。

【Bの視点公平性と安定】

公平性の維持: 「全国統一基準」は残るため、大学ごとの恣意的運用裏口入学など)を防ぐ防波堤としての機能は維持されます

チャンスの拡大: 年に複数回受験可能になれば、「当日の体調不良」などによる運の要素を排除でき、より真の実力を反映した公平な評価可能になります

3. 懸念点と対策

初期投資: システム構築に巨額の費用がかかりますが、毎年の運用コスト削減で長期的には回収可能です。

思考力」の測定: 選択式のCBTでは深い思考力が測れないという批判がありますが、これは「基礎学力の判定(共通テスト)」と「記述論述大学個別試験)」という役割分担を明確にすることで解決します。

別案:案D(フランスバカロレア」型)

共通テストを「選抜から資格認定」へ変える

もう一つの方向性は、共通テスト役割を「点数を競うもの(1点刻みの選抜)」から、**「大学教育を受ける資格があるかどうかの認証(クオリフィケーション)」**に変えることです。

仕組み: 共通テストは「合格/不合格(あるいはA/B/Cの等級)」だけの判定にします。一定水準を超えた生徒には「大学入学資格」を与えます

選抜: 難関大学は、この「資格」を持っている生徒の中から独自記述試験面接選抜を行います

効果: テストに「超難問」や「1点の差を分ける精密さ」が不要になるため、作問コストが下がります。また、基礎学力担保公平性)は維持されます

結論現代テクノロジー統計学を用いれば、Bが懸念する「公平性」を犠牲にすることなく、Aが主張する「リソース最適化」を実現する**案C(CBT・IRT化と作問のプロ化)**が、最も現実的かつ建設的な解決であると考えられます

2025-12-01

同性婚夫婦別姓女系天皇

これら三つのイシューは、昨今の政治的議論においてなんとなくセットで語られがちだ。 しかし多くの国民にとってこれらは必ずしも明日の食(じき)に関わるような喫緊課題ではない。にもかかわらず「リベラル勢力はこれらを踏み絵のごとく掲げ、党派的な対立を煽るための棍棒として利用している。

私自身は、個々の是非を問われれば「同性婚」と「夫婦別姓」には賛成の立場だ。 それは人権派のような熱情からではない。「そうしたい人々がいるにもかかわらず、それを断固として阻む合理的理由存在しない」というだけ。

もちろん現行法制下でも、パートナーシップ制度養子縁組、あるいは通称使用の拡大といった運用上の工夫である程度の不便は解消できるだろう。

しかし、制度設計というものシンプルであればあるほど良い。弥縫策を重ねて複雑化させるよりも、根本ボトルネックを取り除くほうが社会的コストは低くなる。

伝統的な家族観が壊れる」みたいな情緒的な反論も聞こえるが、すでに日本社会個人主義ベースとしたプロトコルで回っている。いまさら苗字戸籍表記を死守したところで、失われた共同体が戻ってくるわけではない。

ただし「制度はできるだけシンプルであるべし」という論理を貫くならば、同性婚の実現には憲法改正が最も誠実かつ正当な手段となる。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」とある憲法24条の壁を直視せず、解釈改憲で済ませようとするのは法の支配に対する冒涜だ。

ここで「リベラル」は揃って回れ右してしまう。オイどうしたw

彼らが本当にマイノリティ権利を重視するのであれば、そして憲法の条文でなく立憲主義のものを大切に思うなら、堂々と改憲を主張すべきである

さて、これらと同列に語られがちな「女系天皇」については、断じて容認できない。前者の二つとは次元が全く異なるからだ。

そもそも天皇制とは、血統という純然たる「身分差別」の上に成り立つ、前近代的システムである好き嫌い抜きにしてそれは厳然たる事実だ。そこに近代的な「男女平等」や「個人自由」といった概念を持ち込もうとすること自体が、致命的なカテゴリーエラーなのだリベラルを自認する人々が、天皇という特権的身分に対して「女性もなれるようにすべきだ」と主張するのは、自己矛盾も甚だしい。「平等」を旨とするなら、制度のもの廃止を訴えるのが筋だろう。

万世一系という男系継承ルール墨守こそが、天皇を「政治権力」ではなく「権威」たらしめてきた核心である。そのルール現代的なポピュリズムに合わせて緩和・変更することは、天皇を単なる「世俗元首」へと変質させ、最終的には政治闘争の渦中へと引きずり込む愚行に他ならない。 まがい物として存続させるくらいなら、いっそ無くしてしまったほうがマシである

おそらく「女系天皇」を唱える者たちの中には、この「変質」こそを狙い、サラミ戦術一枚目として利用している確信犯もいるのだろうが。

2025-11-28

ゲゲゲの鬼太郎に感じる思想的な偏りと違和感

 『ゲゲゲの鬼太郎』という作品を眺めていると、私たちが当然の前提としてきた資本主義社会規範が、どこか肩透かしを食らったように感じられることがある。もちろん、鬼太郎日本文化財産とも言える名作であり、その魅力を否定するつもりはまったくない。しかし一歩踏み込んで見れば、そこには「働かなくても、なんとなく生きていける」世界観が、物語の根っこに横たわっている。

 まず気になるのは、主要キャラクター生活実態である鬼太郎にせよ、ねずみ男にせよ、明確な職業に就いているわけではない。ねずみ男はしばしば小銭稼ぎに奔走するものの、長期的な就労という発想はほぼ存在しない。鬼太郎にいたっては、妖怪トラブルに介入するものの、報酬安定的に受け取るわけでもなく、社会保険にも加入していない。にもかかわらず、彼らの日常は大きく困窮することなく続いていく。こうした描写は、勤労と収入を基盤とする現実社会とは対照的な、どこかアンチ資本主義的な響きを帯びている。

 さらに興味深いのは、金銭に対する倫理の配置である鬼太郎は見返りを求めずに人助けを行う。一方、ねずみ男金銭動機に動くと、物語は決まって彼を笑い、失敗させる。お金を追う行為のものが、作品内で浅ましいものとして扱われているのだ。ここでは市場原理よりも、情や共同体への忠誠、あるいは伝統的価値が優位に置かれている。資本主義論理自然ではないものとして退ける姿勢が、巧妙に物語構造に組み込まれていることが分かる。

 そして最後に、妖怪たちの共同体が持つ前近代的性格を指摘しておきたい。彼らは国家制度や法の枠組みを頼りにせず、独自の掟やゆるやかな秩序によって暮らしている。その姿は、近代社会時間をかけて構築してきた制度ルールよりも、自然伝承に根ざした世界を好ましいものとして提示しているように見える。これは資本主義社会への適応を前提とした教育観とは、やや緊張関係はらむ。

 もちろん、『鬼太郎』がただちに反資本主義宣言であるなどと言うつもりはない。しかし、もし子どもたちがこの作品だけを拠り所に世界観を育むなら、働くことの意味や、制度を支える責任といった感覚希薄になるのではないか。そう懸念する声が生まれるのも十分に理解できるのである

2025-11-07

anond:20251107142655

「髪の毛で本人の運命が左右される」という比喩は、象徴本体に直接作用するという前近代的モデルを前提にしていますよね。

私が言っているのはそれとは逆で、象徴共同体所属しているという共有前提を整えるための記号として機能する、という近代的なモデルです。

国旗破壊たか日本のものが壊れる、と言っているわけではありません。国旗は「私たちは同じ共同体に属している」という認識を同期させる合図点であり、それを侮辱する行為は、その共有前提を外す行為になる、ということです。問題は「本体が傷つくか」ではなく、「共有されていた前提が崩れるか」です。ここを形代信仰混同するのは、象徴社会機能を取り違えています

また、「階層構造」を上位/下位の部品関係として理解している時点で、議論の基礎モデル構造主義以前に留まっています近代以降の社会理論では、象徴共同体の下位にある部品ではなく、共同体意識を同期させるための基準点として位置づけられます

象徴共同体従属するのではなく、共同体を共有可能にしている側にある。この点を上位/下位の物理階層の話に還元してしまうと、議論が噛み合わなくなるのは当然です。

そして最後に、「ムカつくからでいい」というのは、法益構成要件・謙抑性をすべて放棄する宣言です。

それはすでに法学ではなく、統治感情に委ねる、それこそ前近代的な発想です。法はムカつきで動かすものではありませんし、そこから先は法の議論としては成立しません。

anond:20251107125441

お前が根本にわかってないのは諸概念階層構造序列関係だ。

「徽章は大事だよ〜」は「共同体大事だよ〜」より下のほうにある(つまり従属的派生的)のに、徽章を毀損することが共同体unityへの侵襲にはなり得ない。

それは髪の毛入れた形代の扱いで髪の毛の主の運命を左右できるみたいな前近代的発想だ。

「だから国旗毀損罪は無理筋だ」というのではなく、なぜ国旗を焼いてはならないか原理的に導出できるというのは妄想だという話をしている。

そんなもん理由なんかいらないんだよ。「俺らがムカつくから」で充分だし、それをアピールするための立法だ。なんでも小難しく考えようとすんなよ

2025-10-18

anond:20251018112144

都会の政治体あるいはテレビで映るところしか知らないと勘違いしがちだけど、地方政治なんて未だに土地の有力者とかいったもの意見が通ったりする、前近代的なところが多いんだぞ。とても主体的に動いて欲しいものではない。しか道路などのインフラ整備はその地域にとどまら波及効果が大きいから、地域内だけで是非を判断したら常に過小供給になってしまう。地方の声を吸い上げ、全体で調整する、という必要があるんだから小選挙区制の方が適している。

2025-09-29

経済政策少子化は止まらないよ

「カネがないか結婚しないし子もできない」みたいな単純な話じゃないんですよ、少子化って。

価値観多様化たから結果として生まれてくる子どもが減ったんです。

 

かつては価値観画一的でした。お見合いでもなんでもして多少気に入らない相手とでも結婚して子どもは2人以上作る、という価値観社会支配していて、独身のままでいることや子を持たずにいることへの風当たりは現代とは比較にならないほど強かった。つまり同調圧力出生率を維持できていました

そのシステム機能してたのは経済成長期かつ人口ボーナス期だったからだ、と言われるかもしれないけど、戦中戦後経済どん底にあった時期だって日本は「産めよ殖やせよ」のスローガンのもと驚くほど多産だった。まともに食べ物もないのにポロポロンと4人も5人も子ども産んでたんですよ。

これには社会福祉基盤も関係します。社会福祉基盤が脆弱だった時代には、親は子を産み育て、子は親が老いたら面倒を見るというサイクルが必要でしたし、子はまた重要労働力でもあったでしょう。ぶっちゃけそれらのために子どもを産んでいたようなものです。

まりかつての日本は貧しくても子どもを産んでたんです。子を産み育てることのプライオリティがとても高かった、と言い換えることもできます

 

ひるがえって現代社会構造の変容につれて家族観も変容していきました。

まず社会福祉基盤が整備されたこと。老人は子どもの世話にならずとも年金やさまざまな福祉生活できるようになりました。将来世話してもらうための子を作る必要性が薄くなったのです。

また、女性社会進出が進んだこと。さまざまな法整備価値観アップデートがあって男女間の社会的地位の格差が縮まり、「寿退社」は働く女性の唯一の選択肢ではなくなりました。自立やキャリアに重きを置く女性が増え、そうした女性たちの中にはひとまず結婚出産先延ばしにする人もいるでしょう。プライオリティが下がったのです。

生き方暮らし方の価値観多様化しました。個人主義が広まり結婚しない・産まないという選択自発的にする人も許容される世の中になりました。LGBTQという、子孫を残さない前提の生き方さえ肯定されています

また、今の生活レベルを下げたくないとか都心に住みたい、自由時間がほしいといった理由出産を控える夫婦もあるでしょう。子育てにはお金時間もかかります。そうしたリソースをどう振り分けるか、これもプライオリティ問題しかありません。

 

このように、少子化社会構造が変容する過程で人々の選択肢の中で相対的出産プライオリティが下がっていったことが原因のひとつなのです。社会前近代的伝統的価値観を捨てて、個人権利尊重する近代的な価値観を手に入れたことの副作用だった、と言ってもよいでしょう。先進国が軒並み少子化しているのも同じような近代化の過程を歩んだからで、構造的に不可避だったわけです。

 

ちなみに、先進国の中で一国だけ、例外的に突出して出生率の高い国があります。それはイスラエルです。特殊出生率は「3」に迫る高さです。ユダヤ教社会伝統的・宗教的価値観を非常に重んじる社会で、ユダヤ教は多産を奨励しているのです。

2025-09-14

anond:20250914180519

都合のいい時だけ前近代的価値観に頼るな

そんなこと言うなら何でも言いたい放題になるだろ

2025-08-04

職業に貴賎なし増田レベルが低すぎる

anond:20250803001833

 

文化人類学だのポスト構造主義だの書いてるが、正直レベルが低すぎる、芯を食っていないからただの権威付けにしかなっていない。

まず基本1、ポスト構造主義等のジャーゴン権威付けの為に利用する(または結果的にそうなる)ことは恥ずかしい事だと認識しよう。

 

次に基本2、ジャーゴンを使うならそれぞれの位置付け位は理解して使おう。

途中で「文化人類学的な視点」と言っているが「女性氏族交換によって価値を生む存在からこれは構造主義を指す事が分かる。周知のとおりポスト構造主義構造主義への批判により成立してきた経緯がある。

従って「構造主義」と「ポスト構造主義」を同じ文章の中で何らの言い訳もなく一緒に使うのは、「自分意味も分からずに使っています」と告白してるも同義、恥ずかしいから君レベル理解なら使わない方がマシです。

 

基本3、基本的に多くの理論は「批判理論であることを理解しよう。

例えば構造主義増田の言う「穢れ」等の概念が、実は構造により生成された「フィクションであることを暴露することを通じて、そのフィクションに従う人々を批判する。

まり普通に使うなら件の発言者は「穢れというフィクションに左右されて差別発言をした人」になる、という基本的構造理解して使わないと、ちぐはぐになってしまう。

フーコー社会による「狂気」の生成を批判したように、増田は「穢れ」の生成を看過するためではなく批判するために各思想を使わなければならなかった。(やってるつもりかもしれないが、甘い)

さらポスト構造主義はそのような構造主義の考える「構造」が静的すぎることを批判し、より動的なモデルを描く。ここについては増田の考える描像は静的過ぎて、ポスト構造主義的では全く無い。使ってる意味が無いし、権威付けにしかなってない。

このように基本的に多くの理論はなにかに対する「批判」で成り立っている事、そして何を批判しているのか理解して使わないと意味が無い。

 

基本4、古い理論を使うなら現代との関係意識しよう。

増田の言う「男性主権社会」は、「前近代的価値観の復活」などと言っている通り、前近代的構造であり、普通に考えるなら現代より随分古い時代構造である。対して現代は「ポストモダン」等と言われてからもすでにかなり時間が経ってる。

従って件の発言者は「男性主権社会」という今となっては古い社会価値観に従って時代遅れの差別意識を露わにした、ということになる。要するに「価値観が昭和おっさん昭和発言をして炎上した」と同じで、昭和おっさん昭和価値観のままなのは男性主権社会」よりもその人自身責任である

こうした時代による遠近感を増田意識できていないから、主張がおかしくなる。

既にポスト構造主義すらかなり古い思想だ。現代問題に使うならそれが適用可能であることを確認説明してからでないと「前時代価値観に引き摺られた」等の意図しない意味付けを付与してしまう。

 

基本5、結論を都度都度ちゃんと考えよう

増田文章全体に言えることだが、あるトピックに話が移ったかと思うとその結論が碌に出ないまま別のトピックに話が移る。こうして全体がふわふわしたまま大学生レポートにような無難ほとんど意味内容の無い「結論」と称した抽象的なスローガンに落ち着く。

文章には消費するカロリーのようなものがあり、いろんなところにふわふわ漂って結構な文量を読んだ結果、結論が「男性主権社会がその構造を生み出していた」ではカロリーが見合ってないんだよ。

そのようにふわふわした結論しか導き出せないのは、各トピックを十分掘り下げることや時には「自分にとって都合の悪い」結論が出る事を避けて通っているせいだと思うよ。

今の増田は、結論ありきで話を進める割に、自分に都合の悪い結論を避けるため掘り下げも中途半端になり、結果ふわふわした結論めいた何かしか出せていないように見える。

理論思想を使って考えた結果、一時的にでも都合の悪い結論が出てしまうなら、それを受け入れる度量も必要。むしろ「思ってもみなかった結論」は本来言祝ぐべきものだ。

 

基本6、前提を理解する

まず、そもそも件の発言者価値観や「穢れ」が前時代的で時代遅れであることは、多くの人がすでに分かってる。今更増田発見したように言う事では全然無いんだよ。

職業差別」や「職業に貴賎なし」はそうした前提をパラフレーズしたものであって、増田は多くの人が前提としている事を結論として再発見してしまっている。(結論の薄さの原因はなによりもこれだろうね)

また、ポスト構造主義は他の思想から相対主義すぎる」と批判されることも多い思想だ。そうした相対的相対主義の強い思想から、例えば「内面自由を認めることは差別再生産に繋がること」みたいな保守的全体主義的過ぎる結論はまず出ない。

更にそもそもポスト構造主義は、増田がやっているような「静的な構造男性主権社会)により穢れが生まれているんだ」というような構造主義的な主張を批判して生まれてきた。

そうした各思想に対する大雑把な前提も入ってないから、思想に合わない変な結論が出てしまう。

何が前提なのかを理解してから考えないと、こういう事になってしまう。

 

他にも色々あるかもしれないが、まぁまずはこのあたり。

というか基本的に、生半可な知識ポスト構造主義とかなんとか名前だけ出すのはやめた方が良いと思うぞ。単純にリスクが大き過ぎる。

2025-08-03

職業に貴賎なしへのコメントに対するアンサー

あーごめんごめん、お察しの通り前の文章は生成AIと一緒に作ったやつで30ラリーくらいした上で最後添削のところで手伝ってもらったから臭さが残っちゃったね。

今度のこの文章100%pureメイドバイ人力なので安心してえろ(絶対添削で残らない語尾を敢えて残すことで証左を高めるテクニック!)

私が前の文章書くにあたって、穢れの部分については文化人類学男性主権社会構造分析にはポスト構造主義、他にもフーコーハンナ・アーレントあたりを援用しながら考察を進めていったか議論拡散しすぎてはてなーには理解不可能だったかもね。

でもおかげで論点がより可視化されたのでさらに一歩進めることができたよ。BIG LOVE🩷 あと、積極的に私の話を聞いてくれたひとには感謝しかない。

私の主題は、罪を男性に擦りつけることではなかったよ。でも今更こういったところで、ヒス女が話聞いてくれなかったか尻尾振ってきたくらいにしか思われないし、男女対立にした瞬間に血圧200超えちゃうひといるからどうしようもない問題かもしれない。Koshianxさん、昔はあなたが好きだったから寂しい限りです。

前回の私の文章問題点として挙げられていたのをまとめると以下の3つだと思っている。

①公開垢で言うのが間違い派

女性同士の争いなのに男性のせいにするのはただの責任転嫁

ウェディングドレス純潔性なんてないよ派

①について、確かに、私の素朴に感情を呟くという表現は迂闊だった。反省している。でも、はてブならいいんかってレベル差別発言してるひといるよね? てかAV女優ときが何を偉そうにと言っているひともいるし、そいつら一人ひとり叩き潰してから掛かってこいよってこれまた燃えるね。

いかい、投稿者は元AV女優が私が着る予定だったドレスを着たことを問題にしたんだ。三上悠亜という名指しをしたわけではない。

そこにあったのは、自分の見られ方をコントロールできないという諦めからとも読める。内心の自由否定しないはてなーなら、アイツの着てるドレスAV女優と同じなんだって、ぷぷ、インフルエンサーなんて同列だから仕方ないねw だったり、AV女優と同じ衣装着てるってエロw 同じドレス着るなんて穢れが移ったね、という見られ方をするのは仕方ないってことなんだよね。これはポスト構造主義議論

前回の文章ではここの部分を端折りすぎて議論拡散していたから丁寧に書くよ。

内心における差別自由否定しないなら、誰かにどう思われることも否定しないってことだよね。**

じゃあ、そもそもAV女優から最悪って思う心はどこから来ているんだって話。

ここから文化人類学的な視点になる。穢れというのは、処女性=純潔性→神聖さと対立する概念であって、女性氏族交換によって価値を生む存在である。その価値担保するのが穢れのなさである。それを示すのが白無垢=ウェディングドレスだ。逆に言えば、自分自身を商品化する女性には価値がない、けれど社会を維持するためには必要存在として穢れを負わせることで内包していた—もちろん、コメントにあるように病的な意味で穢れという身体的な惹起があることも確か。

穢れを持つもの身分固定化されやすく、この差別とは再生産され続けていた、というのが歴史的な経緯。

で、ここからフェミニズム的な見方になるんだけれど、職業選択の自由女性選挙権をはじめとする自主決定権が与えられてから世代で言えば4世代くらいは経っている現代において、建前上は穢れによる身分固定化というのはないことになっている。

けれど、一方で経済的事情から身体商品化する職業を選ばざるを得ない家庭に育つひとがいることも確か。

こうした、選択肢がないものしか選べない職業ということでセックスワーク現代においても賤業として見られている。

そこに近代以前の穢れ観と結びついて、AV女優をその職業理由区別することは、差別だと言われる、と私は読み解いたよ。

他の差別と比べて難しいのが、他の前近代的差別教科書に載せて、また教育によって廃止するというスローガンがある一方、こちらの穢れについては明文化されてこないものであった。

まり投稿者にとってAV女優が着て最悪と言ったのは、現代的な価値観やそもそも身体商品化している職業者と同一視される可能性を危惧してのことかもしれない。けれど、過去から文脈を知るものが、穢れと結びつけて差別だと批判したんだよね。

で、ここまで来てようやく私の本題に入るんだ。

この穢れの構造を作ったのは、女性か? 女性は、コメントにあったように自らの商品価値を高めるために他者純潔性を貶めることをしたり争ったりと主体的再生産に寄与していた側面はあることは確かだが、そもそも、この純潔性は自らの商品価値であり値付けをする存在いるからこのマーケットは成り立つんだよね。

そのマーケット主催者歴史的男性だったんじゃないの???

勘違いしてほしくないのは、別に現代に生きる男性糾弾したいわけじゃない—むしろ私たち女性に選ばれる側、値付けされる側として大変だもんな。これまでと価値観が転倒してそれに対応するので精一杯だ。でも、女性達が結婚式で着るウェディングドレスの純白には、過去私たち価値観が色濃く(むしろ真っ白に)残っている。

ここを認識しないと、この差別を無くすための第一歩にならないということだ。みんな、公共の場差別を叫んではいけない、という道徳規範を持っているなら、差別撤廃しようという運動にもベットしてくれるよな?

過去から分断した価値観を持つ者はとっくにこの枠組みから逃れていて、だからこそAV女優について非難することは差別だと思うのかもしれない。けれど、そう言えるのは男性だけであって、今でも値付けされた側には純潔性を巡る呪いから逃れることはできないままでいるんだ。

からAV女優に対して普段から暴言を吐かれていても可視化されなかったが、今回炎上したのは、この純潔性の呪いがはっきりと顕れる事象だった、しかミソジニーが喜ぶ構図で、という最悪の掛け算が起こったからなんだと思う。

そうやって純潔性の呪いから抜け出せないことは前近代的価値観の復活であり、それはつまり男性主権社会復権の足掛かりなんだから

私の前回の文章は、議論範囲トーンが整理されていなかったことや、現状認識の甘さがあったことは認める。SNSは素朴じゃダメだよな。そこは素直に謝りたい。ごめん。

だけど、私が訴えたかったのは、

ここまで来れば、女性自分にかけられた呪いを解くターンにあることは確かだし、その呪いを再びかけようとする存在意識することができる。

私は今回の炎上から、この一歩の必要性を感じたよ。あなたはどう?

追記。私はフェミニストではないよ。ただの人文系大学時代に齧っただけのものから理論の正確性に欠ける部分はあるけれど、この問題を解きほぐすためには人文学知識を総動員しないといけなかった。大学時代、使うことはあっても何か定規で測っているだけのようだったけれど、初めて知の巨人肩に少しだけ乗れた気がする。

2025-06-26

ああ、まただ。何度見ても日本IT業界多重下請け構造には虫酸が走る。SES? 聞こえはいいが、要は人身売買だ。元請けがいて、その下に一次請け、二次請け、三次請け…と、雪だるま式ピンハネされていく。末端のエンジニアに届く金は雀の涙。一体、俺たちは何のためにコードを書いてるんだ?

しかも、最近文系経験が「ITエンジニア」を名乗れるという異常事態スクールで数ヶ月やっただけで、プログラミングの基礎もロクに分かってない連中が現場に放り込まれる。彼らに罪はない。悪いのは、そんな人間を「即戦力」として扱う業界の歪んだ構造だ。兵器? いや、もはやこれは粗悪品を大量生産する工場だろう。そんな連中が作ったシステムが、日本社会を支えていると思うと、背筋が凍る。

欧米エンジニアと話すと、よく日本の状況に驚かれる。「まさか、そんな前近代的な働き方があるのか?」と。彼らにとって、ITエンジニア専門職であり、高給取りで、何より誇りを持っている。一方、日本では、ただの使い捨てコマだ。ガラパゴス化? いや、これはもはや絶滅危惧種だ。世界から取り残され、独自進化を遂げた結果、滅びの道を歩んでいるとしか思えない。

日本IT後進国と呼ばれるのも、当然の報いだろう。こんな環境で、優秀な人材が育つわけがない。技術力も士気も上がらない。ブラックジョークにもならない、本当に洒落にならない状況だ。このままじゃ、本当に日本は沈むぞ。ITの力で国を良くするとか、そんな綺麗事、吐いて捨てるほど聞いてきたが、結局は一部の人間が甘い汁を吸うだけの、腐った構造が温存されてるだけじゃないか。ああ、嫌だ嫌だ。

2025-06-19

anond:20250618154324

そもそも法律専門家政治やらせようって発想が前近代的王政時代は順調だった経済もズダボロ。ライバルだったトルコにも1人当たりGDPで2倍以上の差をつけられ、多少の圧政や窮屈さがあったとしても暮らし向きが良ければ我慢できるのに、庶民生活は苦しくなりインフレは止まらず、挙げ句の果てには隣国と友好を築くこともできず戦争を吹っかけられる。中東先進国になれるポテンシャルがあったのに、イランイスラム革命は失敗だと、国民もそろそろ総括し始めてるよ。迂闊な事を発言するとムショ送りになるうえ、国営放送プロパガンダしかさないから、国外情報は流れてこないけど

2025-03-13

anond:20250312220741

こういう「他者人権尊重しない前近代的態度」を「女性目線」と呼ぶのはまともな女性全般に対する侮辱なので、この増田軽蔑されるとともに、こんなもの女性目線なんかではないと考えるべきだと思う

結局こういうのは男尊女卑社会を守る悪しき態度に他ならない、被害者ぶりながら自分永久被害者位置において人と対等な関係を築かない未成熟人間の態度なんですよ

2025-02-22

炎上」ではなく「トレンド

◯◯が炎上していますが〜みたいなネット記事の類ってたいがい炎上と言うよりXとかでトレンドに挙がってるってだけだよね。

「◯◯が話題ですね」って言ってるだけ。

そういう言及のものが賑わいを演出し、「人が寄り集まってるところには人が寄り集まる」という人間の性によって「◯◯が話題ですね」は自己成就する。

お金流通するからお金なのと似たような話で、話題というのは孫引き繰り返すとみんなの話題になる。クソどうでもいい情報でも。

ネットとかITがやってることって前近代的な噂話ネットワークの模倣しかないんだよね。

もっと能動的に情報と向き合おうなんてのは

いっとき称揚されたけどもうみんな投げ出している。

2025-02-16

息子の中学校入学説明会に行ってきた

普通公立中学校。俺が行ってた30年前よりは多少近代化されてる。

部活球技吹奏楽美術しかない。任意から気が楽にはなった。コンピュータ同好会河原散歩同好会とかあればいいのに。

・靴は白、黒、グレーでラインは可、靴下も白、黒、紺、グレーは可

・夏はポロシャツ可能

自転車通学する場合ヘルメット安全規格に適合していれば可。自転車の形状は曖昧ロードMTBドロップハンドルは避けるようにとのこと。モールトンはいいのかよ。

PTA簡素化していくらしい

・鞄はナップサック

制服は一応ブレザーも選べる。息子も試着したけどダサかった。ブレザーは2割弱ぐらいらしい。

・制汗剤は無香料なら可

・頭髪はパーマ、整髪料は禁止ツーブロックはなんか曖昧

コートはダウンはかさばるからダメライトダウンはいいらしい。地味なものとのこと。

前近代的なところはまだまだあって、日々の出欠連絡はGoogleフォームでやるくせに、提出書類は全部紙に手書き

あとは合唱コンクールはやるらしい。コロナ流行る原因になるから止めればいいと思う。合唱コンクールやりたい奴がいると思えない。

2024-09-14

グッドウィル社はなぜ潰されたか 1/3

兵庫県知事炎上してるのは港湾利権に手を付けたからだ、という棘が話題になっているが、それ自体他愛もない陰謀論だ。

更に「大企業グッドウィルが潰れたのも港湾利権の闇」とかい陰謀論の重ね掛けにもなっている。

 

このグッドウィルが潰れた理由と経緯はちゃん認識されて居ないしWikipediaなどにもちゃんとまとめられていない。どこかで書きたかったので説明するよ。

 

表面的には東和リース社への二重派遣トドメとなって派遣免許を取り消されたと世間認識されている。

でも結論から言うと戦後労働行政の2本の柱であった建築港湾への違法派遣を行っていたのが大問題だったのだ。

 

でも事件の背景とGW社(グッドウィル)の成り立ちと労働行政の来歴を説明しないと意味が判らないはずなので、どうしても長くなるが説明する。

 

>「売上8000億円のグッドウィルが一発廃業港湾利権地面師が可愛く思えるレベルでやばかった

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2433890

 

戦後労働行政での特別扱い2業種

戦後労働行政建築土木)と港湾特別な扱いになっていて特に手厚く労働者が保護されている。これはこの二つが前近代的雇用形態になっているという事と、ヤクザ問題だ。

終戦後~90年代まで、行政は縦割りのセクショナリズムが強く、職分を超えて協調的に仕事をするという事が少なかった。だがヤクザが絡むと別で、ヤクザ対策国策と言っていい。

ヤクザなんか追い出せばいい、そう思うかもしれないが、それは今だからそう見えるのであって、昔はヤクザとカタギの線引きが難しい職業というのが沢山あった。線引きをしたのは警察で、今は警察の長年の活動であるからヤクザとカタギの職業がきっちり分かれているのが当然に見えるのである

そして建築港湾そもそもその職分からヤクザが生まれたりしていた業界なので特に不可分だった。

 

建築土木

建築土木請負構造になっていて、仕事元請け熊谷組大成建設のようなゼネコン、その下に○○組のような中小建築会社設備会社があって、職工はその中小土建に直接雇用される。つまり作業をするゼネコン社員は居ない。現場にいるゼネコン社員監督設計である事務所で躯体完成後の図面を書く)。

因みに〇〇組などの会社社員は自社の事を「組」と言ったりする。

これからも判る通りに、ヤクザと出発点は同じだった。片方は裏社会、片方は資本主義に順応して分化してきたものだ。

そして戦後の時点では元請けゼネコン以外の土建ヤクザ未分化の所が多かった。

 

これらの中小土建職人社員という訳ではなかった。仕事を請け負った土建会社親方仕事を投げる。親方の下には親方に喰わせてもらっている弟子職人が居るので彼等が仕事をする。

また土工所謂ドカタ)など単純労働系の職分だと日雇い人夫を使う(人夫差別用語らしく変換候補に出ない)。朝6時頃に手配師トラックハイエースが来る場所というのがあり、そこで待っている人間ピックアップして各現場に送る。山谷が有名だが東京だと高田馬場新大久保間の今は西戸山タワーホームズがある場所も有名で、早朝の山手線から見えた。

仕事が終わる時間に迎えに来て賃金を払って終わり。雇用期間は当日だけ、その日払い。

この手配師親方だったり親方に雇われてる人間だったりするのだが、この親方は一人頭いくらで請け負って、そこからピンハネして日雇いに渡す訳だ。

 

そしてこの手配師しろその上の土建しろヤクザの舎弟というのが多かった。

そうなると日雇い労働者としては普通会社福利厚生というのが受けられない。特に怪我をしたり障碍者になったりした場合ヤバいことになる。

 

沖仲仕港湾労働者)

沖仲仕(おきなかせ)は差別用語らしく、変換候補に出ない。

コンテナ船一般化するまで、内航(国内航路)にしろ、外航にしろ船で貨物を持ってきたら沖仲仕の世話になった。主に手作業、時にクレーン台車を用いて貨物の荷卸しをする荷役人夫が沖仲仕である

昔の貨物線は船底から船倉で、そこからクレーンを用いて手作業で岸壁に貨物を下ろし、それを次に載せる船や貨物列車に載せる為の集積所に運搬する。船に載せるのも同じだ。

ただ、付けられる岸壁には限りがあるし、岸壁使用料港湾長(都府県)に支払わなきゃならない。この金額結構高い。

そこで艀(はしけ)を使う荷役が一般化した。艀はただの四角く平たい台船で、動力船に引っ張られて移動する。沖仲仕が船から艀に貨物を下ろし、一杯になったら次の艀を付け、とやって列車みたいに幾つも繋げて次に載せる船に付け、貨物を載せ替える。因みにF1カーなどのサイドポンツーンのポンツーンとは艀の事だ。

この場合、艀が資本であり、艀を持っている人間親方となって沖仲仕使役するという形になる。

 

で、この沖仲仕だがやはりヤクザと不分明であった。特に戦前から戦後すぐまでは土建と同じようにドヤ街近くでピックして人を集め艀や岸壁に分配していた。

この沖仲仕親方から巨大暴力団になったのが山口組だ。これ以外にも港湾近くにはヤクザの組や右翼団体が多く、その事務所は陸の上だけでなく係留されたボートハウスにある事も多かった。

港湾近くには「〇〇水上警察署」という警察署があるが、これはその名の通り、こんな訳で事件トラブルが頻発する港湾の水の上を管轄する警察である現場が艀や船の上なのでパトカーはおまけで、主な移動手段パトボードであった。

この事情海外でも同じで、ギャングというのは沖仲仕の班を指していたが、そこから犯罪者集団化したものが現れたので、犯罪/虞犯集団の事を指すようになった。

 

沖仲仕土建と似た構造利害関係にありヤクザとの関係も似ている。

そこで労働行政の重点項目になった。目的日雇いが多い労働者の保護特に労災時の保護と、ヤクザからの切り離しである

その為に日雇い原則禁止となった。しかし船会社倉庫会社が艀の親方仕事発注し、その親方人夫を連れてきていてそれが日雇いという体なのであまり効果はない。

 

だが沖仲仕のこの構造は一気に無くなって殆ど解消してしまったのだった。それが

 

コンテナ

コンテナ化へのシフトで、人力での積み下ろしかコンテナ輸送に切り替わってしまった。荷主が倉庫コンテナに入れて埠頭輸送し、岸壁ではそのコンテナをガントリークレーンコンテナ船に積む。

すると必要な人手はクレーンオペと場内の車両誘導整理、フォークリフトでのコンテナ移動がメインとなった。これらは日雇い人夫に出来る仕事ではない。故に手配師必要が無い。

という事で、沖仲仕保護の為の労働行政特別扱い根拠というのはかなり解消してしまったのだ。

だが、行政としては別にそれによって困ったことが発生しているでもないのに前例主義を止めるつもりはない。

 

構造がほぼ解消されても規制は現用、範囲港湾管理域外に及ぶ

からこの労働保護使用者から見たら規制はまだ生きていて現用である。これが大事ポイントだ。

また解消されたとは言っても、港湾倉庫コンテナ移し替え(海コンから鉄道コンテナなど)のような仕事はまだあり、そこでは沖仲仕時代と同じ作業が行われている。

更に、今では一般的な港湾労働者が居るのは、港湾長が管理する埠頭近辺だけだが、元の規制趣旨から言って規制対象域はもっと範囲に及び、明白な区切りはない。これも大事ポイントだ。コンテナ化で港湾管理域だけに労働が集約されたにすぎないからだ。

 

 

part2→https://anond.hatelabo.jp/20240914181619

2024-06-16

anond:20240616211529

博士号取得するのに膨大な時間エネルギーがかかるから

要するに専門性の修得プロセス前近代的から

あと、専門性を獲得してもろくにメリットのない社会から

2024-05-24

結局、女性一夫多妻望んでるよね

イケメン金持ちと子を成して、金に困らず子供が育てられる。

理想としたら、一夫一妻制は正直微妙だよね。

幸福絶対量増やそうと思ったら、

1人のパワーある男が10人でも20人でも相手にしたら幸せな人の総量が増えるじゃん。

弱者男性とか相手にしなくても良くなるし、悔しければ強者になればって話で終わり。

婚活だってずっと簡単になるんじゃない??3番目の妻とかでよければ。

不倫とか浮気とかも、関係なくなるし。

あ、逆にパワー女性若い男を何十人も抱えるってのもありだな。

それもそれで良いな。

追記

なんか、誤読してる人もちょいちょい居るみたいなので補足。

>男が望んでるだけで認知が歪んでる。お前が望んでるだけだろ。

いやいや、俺は全く望んで無いよ。一夫多妻なんて俺含む、ほとんどの男にとってメリットいからね。

男が嫌がってるって指摘は、まさにそうだと思うんだけど、

現実問題として出生率回復させて、性行為アルファオス以外としたくないってなると一夫多妻しかないよね。ってだけ。

他の女がいると嫉妬する?んじゃ、他の女が選ばない男を選べばいいんじゃないっすかね。

子育ては女に紐づく

これは現在だと、そうだと思う。再婚するのも男の方が多いってのもそうだろうね。

北欧モデルみたいに親と子の補助を分厚くして、そこに税金入れてくのがいいと思う。

ますます弱者男性には遺伝子残せないのに、他人の子供育てるために高税率という世の中になるだろうけど。

前近代的なことを再発明されても

違う違う。男が多数の女を所有するんじゃなくて、

多数の女が一人の男をシェアする概念から一夫多妻から、むしろ逆よ。

ホストとか男性アイドルとかのイメージ

アイドルだって同担拒否とかあるんだが。

いや、そこは憧れのタネをいただくのだから、諦めて我慢しろよ。

嫌なら他の女が目をつけないような男を狙えば良いので、

弱者男性にも勝ち目が出るかもね(おそらく出ない)

自分趣味嗜好を押し付けるなよ

だー。もう伝わらねえなあ。俺個人別に一夫一妻で全然良いんだよ。

女性のいう「上昇婚しかしたくない」「まともな男が少なくて結婚できない」を

両方とも満たすには、同担拒否とかは諦めて一夫多妻しかねーんじゃないですか?って話をしてるの。

一夫多妻制になろうが、なるまいが結婚できない男は今まで通りできないんだけど、

一夫多妻になると結婚できない女性は減るだろうから少子化対策にはなるでしょってこと。

2024-04-17

便所も有料にしろ

ウォシュレットもついてねえ前近代的便所20分待ちとか、舐めてんのか。

値段は10倍でいいから、クソ屋台のクソチキンを俺が食いたいとき即座に持ってこい。

銭ゲバなら銭ゲバらしく、金をとってお客様に快適さを提供しろ

2024-03-02

anond:20240302224730

そこでジャップ前近代的神権政治尻尾が取れてない反動的サルであり害獣だという思想が導かれる。

お前の中ではそうなんだろう。お前の中では。

2024-02-26

ハテナーもお気持ち人治主義だな

近所のどこかの国では、裁判判決世論に流されることがよくある。

国民感情が重い処罰を望む時は量刑が法定よりも重くなったり、無実の被告有罪になったりする。

逆に国民感情被告に同情的な時は本来量刑より軽くなることもある。

このような法の運用を、我々日本人前近代的だとさんざん馬鹿にし、「国民情緒法」などと呼んで揶揄してきた。

 

が、はてな民もたいして変わらんな。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20240226/k00/00m/040/052000c

危険運転致死傷罪被告に対して「死刑しろ」の連呼である

罪刑法定主義など知るか、こいつの量刑は俺がその日の気分で決める、そんな人たちばかりだ。

こういう輩は、ほかの裁判ではどんなコメントしてるんだろうな。

やっぱり殺せ殺せって連呼してんのかな。

2024-01-20

anond:20240119225113

歴史的に眺めると、人類は、被疑者被告人苛烈な取り調べなり拷問なりをして自白強要してた時代もあった。その結果冤罪という悲劇を量産してしまった。

人類はそういう過去の失敗を反省して、黙秘権やら弁護人依頼権やら被疑者被告人にたくさんの防御方法付与した。それが近代憲法刑事訴訟法思想な訳で。

我々の住む近代以降の国家はそういう決断をしたんだよ。「お前悪いことしたんだろ!」的な追及をする時にもルールって必要だよねって考え直したんだよ。

その結果、これまで有罪に持ち込めたヤツも無罪放免になってしまたかもしれない。悪いやつを取り逃してしまうこともあったかもしれない。

でも、「そうなってもいい」「冤罪を出すよりはマシ」という価値判断をしたんだよ、人類は。

こういう思想近代以降のものから、この先数百年くらいしたら、また別の思想に基づいた捜査裁判方法社会実装されるかもしれない。その可能性は否定しない。

でも、前近代的なやり方を、今、この社会でやろうぜっていう意見には賛成できないな。

それは歴史を踏まえない、過去の失敗から何も学んでいない人の意見だよ。

2024-01-07

JFAS航空安全会議が出した説明裁判や法の基礎知識が無いと意義や動機理解出来ないぞ

JFASが出した声明文がブクマを集めていているんだが、

 

https://jfas-sky.jp/2024%E5%B9%B41%E6%9C%882%E6%97%A5%E3%81%AB%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E3%81%A7%E7%99%BA%E7%94%9F%E3%81%97%E3%81%9F%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E4%BA%8B%E6%95%85/

ブクマページ https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jfas-sky.jp/2024%E5%B9%B41%E6%9C%882%E6%97%A5%E3%81%AB%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E3%81%A7%E7%99%BA%E7%94%9F%E3%81%97%E3%81%9F%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E4%BA%8B%E6%95%85/

 

ちょっと頓珍漢なブクマが多い。それは刑事裁判の基礎を忘れているからだ。

 

刑事被告人特別権利

ネットマスコミの皆さんは憶測で語るのを自重してね」の部分は刺身のツマだ。勿論ネットである我々の主体的行為としてその訴えを聞き入れるのは重要だが、その重要性は次点なのだ

一番のポイント事故調査刑事裁判対立する事にある。

 

被告人が己の身を守る事が出来るのは近代刑事司法の根幹である

被疑者被告人黙秘する事も出来るし、黙秘した事で「こいつは懺悔の念がなくて悪質だ」と加重処罰されたりもしない。

問われていない事実のうち、自分が不利になる事を明らかにするという動機もない。それは検事仕事である

己を有利にするために嘘の答弁をしても良い。勿論それが嘘とバレた際には心証は悪くなって情状の斟酌はされにくくはなる。これもその陳述が嘘であると見抜いて証拠を積み上げるのは検事責任である

 

勘違いされやすいがこれは刑事被告人のみに認められた権利で、検事証人には認められない。証人は呼ばれて出廷しないとなれば拘引状が発せられる。拘引状を執行するのは通常は警察官で手錠腰縄が掛けられる。裁判までは警察署留置場に入れられる。つまり逮捕と同じ扱いだ。数日間犯罪者と同室で過ごして裁判の日は法廷腰縄手錠警察官同伴で連行される。そこで証言を拒めばそれも犯罪となるのだ。

検事は嘘の立証の為に証拠捏造すれば逮捕され刑務所に入れられる。

 

刑事被告人は身柄の拘束もある上に相手国家権力であるから特別権利が認められているのである

 

犯罪者無罪放免約束する」事故調先進国アメリカ

だがこれでは事故原因の調査フィードバックという観点では困った事になる。労災原子力、航空、宇宙開発、その他技術では、事故原因を調査するだけでなく、それをフィードバックするという使命で動いている。フィードバック改善し、更に事故に至らないインシデント類型に分類する。インシデント収集すればその結果の事故に至る道筋が見える。

またその調査結果は秘匿せずに公開する。それは知識の共有の為であり、職業人の集まりであるからニュースレターで広めたり、資格更新研修で講習したり会社に定期的に講習を義務付けたりする。

 

でも刑事裁判ではこういう、緻密な調査結果がフィードバックされて安全性特にフェイルセーフ設計に帰すというような思想と折り合いが大変悪い。特に事故責任者は逮捕され、国家権力から身を守る為の法的な戦いに置かれている。己に不利な事、普段からの慣習や過去に似た事をしていたとか、過去には同様のケースで難なく乗り切ったとか、そういう事を言うというのはあり得ない。

また検事判事もその分野のスペシャリストという訳でもない。だからと言って被告人自分権利を守る事を止めろということも出来ない。

兎に角刑事裁判事故フィードバックの妨げである

 

そこでアメリカでは根本的な手段に至った。「事故責任者を訴追しない」という事にしたのだ。

勿論、飛行機事故ともなれば数百人が死ぬ事も珍しくない。それを無罪放免約束する形にしたのだ。

身の安全心理的安全を確保する。その代わりに親身になって己が不利になる事も話してくれ、それで技術進歩に協力してくれ。それが未来の数百、数千人の命を救う、と説得するようにした。

 

このやり方を採用している国はまだアメリカなど限られている。何しろ他国では業務上過失で数百人を死なせた人間極悪人犯罪者であって、それの無罪放免約束するというのはとんでもない事であってコペルニクス的転換だ。司法当局が許さないであろう。

 

チェルノブイリ原発事故の原因というのは未だ説がいつくか並立してある状態で、確定していない。今だその時の運転員に話を聞いても明白な答えは得られないそうである。身と心理的安全補償されていないかである

この点においてはソ連/ロシアアメリカでは後者の方が格段に技術文明的に優れていると言える。

 

事故調の利益とと対立する刑事司法無理解とそれに竿を差し扇動者たち

翻って日本での刑事司法理解はどうか?

例えば池袋飯塚幸三の起こした所謂「上等国民事故」ではこういう動画を恬としてアップする者もいる。

飯塚幸三被告無罪を主張しはじめた件について【池袋母子死亡事故

https://youtu.be/etBfbKb3Jbs?si=10vKskA-QUzpNZzW

この動画では飯塚被告人が「車に異常があり事故になった」と主張した事をもって、「これはトヨタ名誉棄損であり損害賠償される」と糾弾している。

これは被告人権利を解さない出鱈目なデマである自分利益無罪責任転嫁)の為にそういう主張をしてその責任を問われる事はない。情状が悪化するだけだ。この主張を覆す為に検察トヨタから証人招致したりデータシートを提出する必要があるがあるが、それは圧倒的権力国家代理する検事職務だ。

刑事裁判での主張の責任を問われたらそれは近代国家ではないし、近代国家では通常の弁護行為である

因みにこの投稿者運送会社で運管と法務をしていると言っているので、こんな事は全部判っていて言っているはずだ。ドライブレコーダー動画視聴者ヤフコメレベルに程度が低いので鵜呑みにして視聴数が伸びる。

この動画をわざわざ選んだのは、この投稿者俗流法的解釈で釣るような事を何度もしていて悪質であり、サムネイルクリックベイト多用と悪質なのに、ドラレコ動画見るような層には「真面目な業界人」と捉えられている為だ。

同様の事故では逮捕されるのに飯塚社会的身分がある為に在宅事件となり、それが上級国民批判されたのに、「被告人権利を使った」事で批判するという扇動である

 

こういう動画が上がってそれが好意的に消費されるように刑事被告人権利刑事裁判の仕組みの理解前近代的場合、JFASが言っている事も判る筈がないのである

身体的、身分的、心的安全性」が確保されないと事故調査の根幹である責任者の聴取が十全、それ以前に全く出来ない、刑事裁判が最大の障害になっている、という事が判らないのである

 

声明文の意味をもう一度確認してみよう

以上を読んだらもう一度声明文の最後の方を読んで見て欲しい。

日本では運輸安全委員会事故調査結果が刑事捜査裁判証拠に利用されています。これらの行為は、明らかな犯罪証拠がある場合を除き、調査結果を利用することを禁止する国際民間航空条約ICAO)の規定から逸脱した行為であり容認できるものではありません。

 今般の航空機事故において最も優先されるべきは事故調査であり、決して刑事捜査が優先されるものではないこと、またその調査結果が、再発防止以外に利用されるべきではないことをここに強く表明するものです

 

刑事捜査調査結果を使うなの意味が分かっただろうか?

アメリカ以外の国では重過失犯は訴追され裁かれ罰せられる。だから調査に当たって身の安全を十全には保証できない。

だが事故調の究極形態アメリカ型の訴追無しであり、それ以外の国ではそこに近づける必要がある。

それには事故調の結果を持って責任者が不利になる事は絶対ダメなのだ。だから事故調結果を刑事司法転用するな、と言っているのだ。 

 

ネットマスコミ犯人捜しするのは止めよう」と言う人も見受けられる。その態度は結構だ。

だがこの根本目的は「犯人がはっきりしている時でも責任を問うな」である。とんでもないミスで多数を殺した野郎でも責任を問わないことを約束し、未来事故回避する制度設計技術更新に資させる方を優先させろ、というのが主旨である

 

日本ではアメリカのように訴追しないという制度設計はまだ無理だ。

だが調査結果を刑事裁判証拠に使うというのではその目的の基礎の基礎の部分から間違えている。刑事裁判で使われるであれば責任者は不利になる事は言えなくなる。弁護士がそれを止める。その事故責任者の不利になる部分に事故再発防止の一番大きなヒントがあるのにだ。

 

から多くのブクマカ、特にメーデー民(増田は残念ながら同番組見た事が無い)なども基礎から間違えているコメントをしているので指摘させてもらった。

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