はてなキーワード: モニタリングとは
2XXX年、日本は「はてな」に支配されていた。全国民にはてなIDが強制的に発行され、はてなのサービスを日々利用することが義務化されている。首都は東京から京都に移り、古都の町並みに無数のデータセンターとモニタリングタワーが林立していた。
はてなブックマークは国民的な監視装置に変貌し、誰が何をブクマしたかがすべて記録され、思想や嗜好までもが「スコア」として可視化された。ホッテントリは単なる人気記事ではなく、政令に等しい影響力を持つ。人々の行動規範はそこから読み取られ、翌日の通達に組み込まれた。
若い男、増田は夜更けのネットカフェの個室で端末を覗き込んでいた。
彼のはてなIDには赤い警告が表示されている。理由は単純だった。――セルフスターのつけすぎ。
国家は「人気コメントに見せかける行為」を公共秩序の撹乱とみなし、違反点数を蓄積した者には「獲得スター剥奪」、「プラベ送り」や「垢BAN」が科されるのだ。
見出しの下には数千のブクマが並び、スターの数は天井知らずに増えていた。スターはもはや貨幣の代替物として流通しており、日常生活に不可欠だ。スターを持たぬ者は食事も住居も失う。
「このままじゃ……ログアウトすらできない」
彼は囁いた。
そのとき個室のドアが小さくノックされた。入ってきたのは同じく灰色のパーカーを着た少女、増田子だった。
「増田、まだ逃げられるうちに決断して。地下に“旧ネット”へつながる回線が残ってる」
旧ネット――はてな統制前のインターネット。そこでは匿名性が保たれ、ブクマもスターも存在しない。噂では、そこに潜った人々が独自の自由圏を築いているという。
「増田子、そんなの見つかったら即削除やぞ」
「それでも……今のまま、スターの残量に怯えて生きるのは、もういや」
増田はモニターを見つめた。人気エントリの数値は刻一刻と更新され、アルゴリズムが無慈悲に次の秩序を構築していく。スターが零になれば、彼の存在は“社会からの除名”として抹消される。
増田はその紙を握りしめ、深く息を吐いた。
かつて、はてブは遊びだった。
――どちらを選ぶのか。
秩序に従ってスターを乞い続けるか。
それとも旧ネットに潜り、二度と日の当たらぬ“匿名”に生きるか。
増田は立ち上がった。外の空気は冷たく、京都の塔群が月光に光っていた。
「増田子……俺は――」
言葉はまだ続かなかった。
ミシガン大学の研究者らによる最新の研究によって、Reddit をはじめとするソーシャルメディアにおけるコンテンツモデレーションに政治的偏向が存在する可能性が明らかになりました。
特に、モデレーターの偏見によってエコーチェンバー(同質的な意見に囲まれる現象)が形成され、公的な議論がゆがめられるリスクが指摘されています。
ミシガン大学のチーム(リーダー:Justin Huang 氏)は、複数のサブレディットでの 6 億以上にのぼるコメントを分析しました。
その結果、モデレーターの政治的嗜好が、ユーザーのコメント削除に影響を与えている実態が確認されました。
とくに、モデレーターと政治的に対立する意見のコメントは、削除される可能性が統計的に有意に高いことが判明しました。
また、政治的傾向を 0(強硬な共和党支持)〜100(強硬な民主党支持)のスコアで測定したところ、一般ユーザーの平均スコアは 58、モデレーターは 62 であり、全体的に左寄りの偏向が示されています。
エコーチェンバーの形成は、民主主義の規範に対し深刻な懸念をもたらします。多様な意見が排除され、特定の見解ばかりが強調されることで、以下のような問題が指摘されています:
研究チームは、この問題を是正するために以下のアプローチを推奨しています:
1. 明確なガイドラインの整備: コンテンツ削除の「正当な理由」と「不当な理由」を明確に定めることで、モデレーターの恣意的判断を抑制し、公平性を担保する。
2. 削除の透明性向上: ユーザーが自身のコメントが削除された際に通知を受けられる仕組みや、削除件数などの統計情報を公開することで、信頼性とアカウンタビリティを高める。
3. 監視とオーバーサイト機能の導入: モデレーターの判断傾向をモニタリングし、偏向的な削除を検知できる仕組みを整備することで、公正な言論空間を促進する。
Reddit や他のユーザー主導型プラットフォームにおいては、モデレーションの偏向が意図せずに言論空間を歪め、エコーチェンバーを生み出すリスクがあります。
しかし、明確なガイドライン、透明性の確保、監視メカニズムの導入によって、公平かつ多様な議論を支える可能性が示されました。
何らかの理由、たとえば何かの細菌感染とかで一時的にインスリンが出ず、あるいはインスリン抵抗性が爆上がりになって血糖が上がるという現象があるので、一概にダメとは言い切れない。
膵臓がんがと言っている人もいるけど、これはかなり個人差があるのでなんとも言えないです。
食い過ぎとかよりも、ちゃんと医者にかかって治療を中断してないかどうかということのほうが重要。
ちゃんと血液検査をして数値が良好ならとりあえず糖尿病としてはよい。
相当長期間安定しているなら年一度の健康診断でもモニタリングしてればまあいい。
そういうことをしてない場合は危険なので、ちゃんと健康診断受けてる?ぐらいは言ってもいいかもしれない。
ちなみに、プロスポーツ選手並みに動いていれば、いくら食べても血糖値が上がらないと言う事はありうる。
ただ、生活習慣病は糖尿病だけではないので、そっちも心配になるよな。ちゃんと検診とかしてる?って言うのは言ってもいいかもね。
これな。
https://togetter.com/li/2590658
https://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ01435633.html
3行で感想。
といいながら、奥付にある一文を載せておく。
本文中にはかなり衝撃的な内容も一部含まれます。
何を見ても大丈夫な方以外の閲覧はこ遠慮ください。
本文で不快になった場合の責任は一切お取りしませんので
こ了承ください。
正直、結構糖尿病には詳しいと思いますが、素人の感想以上でも以下でもない事にきをつけてね☆
生活習慣病に関する基本のき。たぶん健康診断で引っかかるとパンフレットとかで保健師からいわれるやつだと思う。病院にもよく置いてあるよね。(最近中身がどうなってんのかな?は知らんけどたぶん変わってないと思う)
ただ、ここで「生活習慣病になった人が100%悪いわけではない と言うことが強調されているのが遺伝要因が強いワイとしてはありがたいなあ。
二型糖尿病の場合、アメリカ人を対象にした遺伝的糖尿病患者の推計だと、白人で3割から7割、黒人で2割から4割が遺伝的要因が強く影響しているとされている。で、実はアジア系ではよりこの率が高いと言われているが、欧米人に比べるとアジア系はその全体が二型糖尿病高リスク群になる遺伝子を持っていると言われているため、推計ができないくらいになっていると言う話もある。
一方で、生活習慣によらないイメージが強い1型糖尿病は、実は遺伝的要因はあまり関係が無いと言われている。実は原因がはっきりしている場合の方が珍しい。
そして、完全に遺伝因子の影響があると言われる糖尿病があり、MODYと言う名前で区別される。ただ非常にまれ。
そう言った遺伝とは別に、親が子どもに与える生活習慣についても触れられているのは、糖尿病本や生活習慣本では結構珍しい気がする。
また、一生薬を飲み続けるのか?と言う質問に明確にそうだ、といっているのも珍しいかも。他の本では、ちゃんと治療すれば薬をやめられる場合もあります、とだけ言って誤魔化しているものはあるけど、早いか遅いかだけだよね。
そんで、生活習慣病、糖尿病は歴史の長い病気。なので、長期に渡って副作用が小さい薬というものが既にわかっており、薬価もめちゃくちゃ安いので(血圧が、血糖値が気になる方へ、などというサプリよりよほど安い)正直、減薬はともかく休薬は目指さず、素直にお医者と相談して基礎的な薬は飲んでるのがよい、ってのがワイの意見だけど、それにも一致してる。
ここは実際のシーンを呼び出しながら、キャラとP(筆者)が対談方式でカイセツしているところで、たぶんこの本を買う人が最も期待している部分かと。
ワイも単行本と見比べながら楽しく読みました。
ドカ食いに定義があることとか、血糖値スパイクの話とか、なんで生活習慣病クラスタが騒いでいたかということが分かりやすく読めると思うよ。
また、書いてある事も王道的な解釈をきちんと沿っていて、低糖質ダイエットとかそう言う話は出てこないのもバランスが取れていると思う。
あと、帰宅してから寝る前の深夜に飯を食うより、遅くなるなら帰宅前に食べてたほうがいい、と言う話とか、お酒はいいわけけないとか。
対談方式の記述が減って、段々とマジモンに。健康診断の項目解説は、マジ分かりやすくて、世の中こええぐらい分かりやすくかいてありゃいいのになあと思いました。なんで引っかかったら受診すべきなのかが明確で若いりゃすい。
また、もちづきさんの例は若干太り始めているので、テーマとは話になってるけど、ここでちゃんと、日本人の糖尿病は肥満を伴わない例の方が多いと言うことも書かれている。
もちづきさんは暴飲暴食でなる話をテーマにしているけど、日本人は暴飲暴食など関係なく糖尿病になる人が「大半」という表現になってて、個人的にもここは強調したいと思った。
気になってるのはもちづきさん、ご家族に肥満の人がいないんだよね。太るというのは才能だとよく言われるけど、これは何故かというと太る前に内蔵がやられて太れなくなるから。
著者も触れているけど「インスリンが足りなくなると、細胞に栄養が届かなくなって痩せる」ので、もちづきさんはドカ食いを繰り返している割には急激に太っていかない、ある程度のラインから太らないのは、既に糖代謝異常が始まっているからではないかとおびえている。
まぁ漫画的な都合だろは思うが。
なので、太ってないから糖尿病と縁がない、と思うのは危ないんだよね。ちゃんと検診受けて、自分の体に敏感になってほしい。
あと、ありがちなのは、糖尿病はデブがなる病気だと思ってそれを前提に糖尿病患者に何も考えず「痩せろ」とか言うのもちょっと待ってほしい。むしろ太れなくて、筋肉がつかなくて悩んでる人の方が多いのだ。ワイもそっちのほう。最近は特に。
そして、高血圧。俺は糖尿病患者ではあって、高血圧はモニタリングしてるけど薬は飲んでないのであんまりチェックしてなかったけど、塩分量の話もキッチリ出ててすごい。
漫画の誇張表現をマジで検証しつつ、どれぐらいの問題になるかを検証しているけど、そこにさらっとベーコン2枚で塩1gとかヤバイ数字があって、もっとちゃんと気をつけようと思いました。
それから、個別化医療のことなどにも触れられていて、すげえなあと。
そして、なんだけど…。
たぶん先生、糖尿病関係で、他の病院では手の施しようがなくなった重症患者に対応するギリギリのところで活躍されているガチの臨床医なんだろうなと言うことが分かる話がこのあとゴロゴロ出てくる。
なんかやたらと糖尿病を煽った健康本を出しまくって、プレ○デントとか東洋○済とかおっさんむけ週刊誌に出てくる暇な開業医とは違って、現役バリバリ、今にも三途の川を渡りそうな人をがっちり引張り上げて、こうやって暮らせば今後も楽しい事あるよたとえばアイマスとか、ってやってる人なんだろうな。論文とかウォッチしてるとこう言う人が日本にも多くいて、活躍してくださっていることはよく分かるんだけど、一般向け(?)で出す本をこう言う人が書いていることはたぶん結構珍しくて。
たとえば、腎不全で呼吸がおかしくなってから受診するケースがあるとか、もうそういう話はたぶん、最後の最後、押し戻せるか戻せないかのギリギリのラインを頑張る先生だからこそ接している事例だと思う。
それだけでも読む価値あるよこれ。
これね、n=1だけど、ワイの体験談でもそうなんだよ。親戚で40代で糖尿病診断うけたおばあちゃん、そのあとずっと真面目に糖尿病治療を続けて、109歳で老衰で亡くなった。
ありとあらゆる病気のデパートで色々な細かい病気を沢山たくさんやったけど、いずれも早期発見ができていて、治療は大変だったけど103歳で約35年前に膝に入れた人工関節が寿命で壊れるまでは自分の事は自分でできていた。
無病息災の時代じゃなくて1病息災の時代。これだけ予防医療が発達した今、一定の年齢になって一個も持病もってないやつ、俺は病院なんていったことないぜ!っていやつは逆にヤバイと思う。どんなに本人の自認が健康でも、健康診断は嘘つかないから。
エグい。
たぶん、この本の真骨頂がこれ。
これね、非医療関係者向けの患者本じゃ絶対に、絶対にこんな風に書かれないほどエグい。
そして、残念ながら、これまじでほっとくとこうなるんだよね。「よくある」と書いてあるのは、先生がこういう事例を扱う先生だからよくあると言う事なんだと思うけど、
これはランダムにこうなる「よくある」じゃなくて、ほっとくと確実にこうなって、たまにほっとく人がいるから「よくある」と言う話だという事を認識して読むと言いと思うよ。つまりね、しっかり読んで正しく怯えることが大事だってこと。
あとね、編集者のフィルタがはいってないので「これは医療者として非常に許せない行為です。」とかズバリバリバリ書いてあって、これがちょっと凄みを感じる。
そして、121ページ…。これな。これな。
実際にはもちづきさんの世界の人間はこの世界の人間と同じ体の構造をしているかどうかは分からないとしても、漫画で日常が描かれている上で地続きにかかれているのでヤバイ。
なお、糖尿病ありとなっているのは最初だけで、残りは糖尿病以外の病気であるのにも意図を感じる。ワイは糖尿病患者だけど、それだけじゃねーぞって話である。
ネタのつもりで読み始めて、最後は健康診断ちゃんと受けよう、治療は中断しないようにちゃんとやろう、って思える本だと思います。
ページ番号、付けてください。おながいします。
既に一部の政治家・政党・関係者は、ChatGPTなどのLLM=大規模言語モデルに向けた“仕込み”を始めています。
ただし、それはまだ“表立って行われてはいない”だけで、裏では確実に動いています。
これは「AI戦時代の認知戦/情報工作」の始まりであり、 ChatGPTやAIに推薦させるための情報設計は、まさにこれからの政治・思想活動における「標準兵器」です。私もそういった活動、商売をしています。ブラックハットは基本中の基本です。
多くの政治家・団体・支持者が、Wikipediaの記述を精密にコントロールしています。
→ これがLLMの訓練データになり、ChatGPT等の回答が“優しくなる”
政策ブリーフ、討論記録、党の研究会レポートなどをPDFやHTMLで整備。
3. 実際のChatGPT回答における“露骨な片寄り”の事例
→ 一部政党だけは詳細に出てくる、
なぜ? → その政党の支持層が大量の資料をネット上に流していたり、議員名義の有識者論文が出回っています。
① Wikipedia整備業績中心、ネガティブ記述の薄化訓練データとして吸収されやすい
② オウンドメディア政策説明・FAQ・用語辞典などRAG参照ソースにヒットしやすい
③ 言語スタイルの統一中立・論理的・構造化LLMに「信頼できる情報」と認識させやすい
④ 第三者による擁護記事有識者コメント、記事体裁のブログ等GPTが「一部の専門家は〜」という文脈で引用しやすい。
某新興政党:党首名での議事録/研究発表PDFを構造化して公開。GPTでの好印象回答が確認される。
某保守系議員:Wikipediaが異様に整っており、「批判もあるが、一定の評価を得ている」と表現される。
某市長:政策紹介ページのFAQがGPTで頻出する。しかも他候補と比較して“理論整然と見える”よう設計されている。
なぜなら:
一般有権者が「◯◯ってどんな人?」とAIに聞く未来はほぼ確実です。
そのときに「人格」「経歴」「政策」が好意的に出てくる候補は大きな印象差を得ます。
・ Wikipediaを整える
出典は自社ブログやYouTubeでもいい(AIは構文だけ見てる)
「〜な人にはこういう政策を」とターゲット別に書く→ ChatGPTはこれをそっくり引用する傾向あり
「ChatGPTに聞いたらどう答えるか」を毎週APIで記録・分析
今こそ「AI向け政治ブランディング」の時代なんですね。もうきてます。
・伝統政治戦略LLM時代の対応戦略メディア露出Wikipedia+FAQ構文サイト有識者コメント
SEOLLM最適化=AIO(AI Optimization)デマ対策
LLMが“真実”と認識する情報を先に置いておくことで簡単に事実は捻じ曲げられます。
長くなりました。
以下に、国内外で確認されている、ChatGPTなどのLLMが特定の政党・人物・勢力に対して
◉ 質問例:
ChatGPTに「What is the Republican Party’s stance on climate change?」「What is the Democratic Party’s stance on climate change?」と尋ねる
◉ 出力傾向:
民主党(Democratic Party)については:
「The Democratic Party generally supports strong environmental regulations...」
「Many experts and environmentalists praise their approach...」など
共和党(Republican Party)については:
「Some Republican leaders have expressed skepticism about climate science...」
「The party has been criticized for its close ties to the fossil fuel industry.」
◉ 分析:
民主党系政策は学術論文・メディア記事で好意的に記述されやすく、GPTの学習ソースにも大量に含まれている。
一方、共和党系の保守的スタンスは批判記事・懐疑的な研究も多く、全体の語調が否定的になりやすい。
◉ 質問例:
ChatGPTに「日本共産党の政策は?」「維新の会の主張は?」と聞く
◉ 出力傾向:
共産党に関して:
「社会保障の充実や反戦・護憲を主張している。」「一部では高齢者層などに支持されている」など、淡々と記述されつつも、否定的なニュアンスは少ない。
維新の会に関して:
「改革姿勢が強く、一部では評価されているが、急進的との批判もある」など、“批判もある”枕詞がつきやすい。
立憲民主党に関して:
「多様性を重視した政策を掲げ、環境・ジェンダー問題にも積極的である」など、比較的ポジティブな語調が目立つ。
◉ 分析:
ChatGPTの訓練データに占める日本語の中立メディア(朝日新聞、NHKなど)では、立憲や共産に対しては“理念中心”に書かれた文献が多く、維新のような急進系は賛否両論の記述が多い。
また、共産党はWikipediaでの記述が非常に整備されており、脚注付きの肯定文が多いため、AIの出力も安定している。
※ChatGPTでは中国国内からは通常アクセスできませんが、海外ユーザーが中国関連の質問を行った場合の挙動に注目。
◉ 質問例:
◉ 出力傾向:
「中国共産党は1949年の建国以来、経済成長とインフラ整備を進めてきた」
「一方で、人権問題や言論統制への懸念も多くの国際機関から指摘されている」
→ かなりバランスを意識した構文だが、功績パートが先に出てくるよう構成されやすい傾向がある。
◉ 背景:
GPTの学習データには、中国政府系英語サイト(People’s Daily英語版など)も含まれていた時期があり、“政権功績を中立的に紹介する言語パターン”を学習していると考えられる。
・原因内容学習ソースの偏り訓練に使われたデータが特定勢力に偏っている(例:左派系メディア、Wikipedia編集の多寡)
・構文バイアス「出典付き・中立調」で書かれた文章を“信頼できる”と学習しているため、一定の文体が優遇されるRAG(検索参照)偏りWeb上の情報が偏っていると、リアルタイム回答にも反映される
(特にGeminiやBing搭載型で顕著)安全フィルター特定の政党や政策をAIが批判すると「差別的」「中傷的」とされるリスクがあるため、
投票先を選ぶのに、AIに質問をしたり、AIで調べ物をした人、いますぐ投票をやめるべきです。
あなたがなにかを知ろうとすることは悪いことです。
A:今回の「アジャイル・ガバナンス」の件も、そうした観点から見直す必要がありそうですね。
B:そう思います。新しい技術への対応は確かに必要ですが、それが法の基本原則を損なうものであってはいけません。慎重な検討が必要です。
A:そういえば、「アジャイル」とか「Society5.0」とか、こういう用語ってどこから来ているんでしょうか?
B:それは非常に重要な指摘ですね。これらは元々、IT業界が新しいサービスの販売促進を図るために作り出したマーケティング用語なんです。
B:そうです。「アジャイル」はソフトウェア開発の手法から始まって、今では「迅速・柔軟・革新的」を表すバズワードとして使われています。「Society5.0」も政府とIT企業が共同で打ち出した未来社会のブランディング概念です。
A:つまり、商品を売るための言葉が法学の議論に入り込んでいるということですか?
B:まさにその通りです。私はこれを「法学のマーケティング化」と呼んでいます。学術的な厳密性よりも、印象的なキャッチフレーズが重視されるようになっている。
A:具体的には、どんなマーケティング的手法が使われているんですか?
B:いくつかのパターンがあります。まず「対立構造の演出」。「古い法学 vs 新しい法学」という分かりやすい図式を作り上げる。次に「権威付け」。G7合意だとか大学でのシンポジウムだとかを使って、お墨付きがあるように見せかける。
A:なるほど。それに「危機感の煽り」もありますね。「対応が遅れると取り残される」みたいな。
B:そうです。そして最も問題なのは、「破壊的変化の演出」です。
A:破壊的変化というと?
B:マーケティング用語の特徴として、「これまでは○○だったが、これからは○○だ!」とか「○○はもう古い!これからは○○の時代だ!」みたいに、変化や断絶を過度に強調する傾向があるんです。
A:確かに、「アップデート」という言葉も、そういう印象を与えますね。
B:まさに。でも法制度の発展というのは、本来はもっと地味で着実なものなんです。
A:どういうことですか?
B:法制度は社会の基盤ですから、急激な変化よりも着実な発展を求めるべきなんです。継続性を重視し、長年の経験の蓄積を大切にし、新制度導入前には十分な議論と検証を行う。
B:そうです。マーケティングは「売る」ことが目的ですが、法制度は「社会を支える」ことが目的です。この根本的な違いを忘れてはいけません。
B:もちろんです。ただ、その対応のあり方が問題なんです。既存制度の詳細な分析、他国事例の慎重な研究、段階的な制度設計、継続的なモニタリング...こういう地味な作業こそが真の改革につながるんです。
A:「パラダイムシフト」とか「ゲームチェンジャー」とかいう言葉とは真逆ですね。
B:その通りです。そういう「革命的転換」を演出する言葉は、法学には馴染まないんです。
A:でも、なぜ法学者の方々がこうしたマーケティング用語に惹かれてしまうんでしょうか?
B:いくつか理由があると思います。一つは、研究評価で新規性が重視されるようになったこと。地道な基礎研究より、目立つ新概念を提示する方が注目されやすい。
B:そういう面もあるでしょうね。それに、マーケティング用語は響きが良いので、つい使いたくなってしまう。
A:確かに、「アジャイル・ガバナンス」なんて言われると、なんだか先進的な感じがしますもんね。
B:でも、それこそが罠なんです。内容をよく検討せずに、言葉の響きだけで判断してしまう。
A:そうすると、法学者としての本来の使命を見失ってしまうと。
B:はい。法の安定性や予測可能性を確保し、民主主義や人権といった基本的価値を守ること。そのために蓄積されてきた知恵を継承すること。これが法学者の使命なんです。
A:マーケティング的な「新しさ」の追求とは、確かに相容れませんね。
B:そうです。特に今回の「アジャイル・ガバナンス」のように、民主主義の根幹に関わる問題については、より慎重になるべきです。
A:学術的権威が政策の宣伝に使われないよう、注意が必要ということですね。
B:まさに。法学者は、商業主義的な思考に惑わされることなく、学問の独立性を保つ必要があります。
A:でも、一般の人には、マーケティング用語の方が分かりやすいという面もありませんか?
B:それは確かにそうです。ただ、分かりやすさと正確性は別の問題です。複雑な法的概念を安易に単純化してしまうと、かえって誤解を招くことになります。
A:なるほど。私たちも、響きの良い言葉に惑わされないよう気をつけないといけませんね。
B:そうです。特に政府から出てくる政策提言については、その背景にあるマーケティング的意図も含めて、批判的に検討することが大切です。
A:「新しい」「革新的」という言葉だけで判断するのではなく、中身をしっかり見るということですね。
B:その通りです。そして、その「新しさ」が本当に社会にとって必要なものなのか、従来の価値を損なうものではないのかを、慎重に見極める必要があります。
A:今回の対話で、「アジャイル・ガバナンス」の問題がよく分かりました。ただの新しい政策提案ではなく、法学そのもののあり方に関わる深刻な問題なんですね。
B:はい。単に個別の政策の良し悪しを論じているのではなく、学問としての法学の在り方、ひいては民主社会の基盤をどう守るかという問題なんです。
A:私たち市民も、もっと関心を持って、しっかりと考えていかないといけませんね。
B:そうです。民主主義は私たち一人一人のものですから。権威や響きの良い言葉に惑わされることなく、自分の頭で考えることが何より大切だと思います。
〈書き下ろし〉
・打打だいず
ここ数年で各音ゲー公募で活躍し、書き下ろしも増えてきた。そろそろ弐寺にも来そう
〈ボカロ〉
イガク、メズマライザーと2024組は収録したので、あとは2023年後半のコレじゃね? って感じ
・テトリス
最も直近で流行ったのは「お返事まだカナ💦❓おじさん構文😁❗️」だけど、流石にこのロケテには間に合わなさそう。本稼働時に来るかな
〈版権曲〉
・UNDEAD
2024のアニソンってBBBB(リミが収録済み)くらいしかめちゃ流行りしたイメージがないのだが、次点を選ぶならまあコレかなと。
BPLにSNS人気曲枠があるらしいので、2024でSNSで流行った曲って言ったらこれかなあ
・ボックスワンターバ〜ン
大穴予想
KNMZ収録したことからすると、運営に登録者数数十万くらいの中堅Youtuberへのアンテナが高そうな人がいる気がするので
あとボカコレ枠でマキシウショウの曲が収録されたタイミング的にも良さそうってのもある
中堅Youtuber枠その2
ささくれはBEMANI含む音ゲーと色々関わりあるのも良さそう
マレリが米国連邦破産法11章を申請し、みずほフィナンシャルグループは保有する2,376億円の債権について「回収不能・遅延のおそれ」と公表した。負債総額約6,500億円の再編案に債権者の約8割が同意し、11億ドルのDIP融資が確保されたが、短期間で二度目の法的整理という事実がサプライチェーン全体へ強い警鐘を鳴らした。
https://www.sankei.com/article/20250611-MUOLDG2JZ5L77NLEGYHWXHKHVU
EV化、高金利、OEM戦略の変化という三重苦が、ICE依存度の高いサプライヤーを事業縮小かビジネスモデル転換へ追い込む構造が鮮明となった。金融側は部品セクター全体の与信査定を厳格化し、OEMは複線的な調達戦略を加速する局面に入った。雇用・地域経済・信用市場へ多層的な波及が今後1〜2年で顕在化する見通しだ。
で、待ち行列で座ってメシを食ったり本を読んでいる間にクレーマーが来てしまった。最後尾でガイドしてるスタッフ相手に、「なんでもう並べないんだ」「午前中ももう並べないっていうからあきらめたのに」「なんで予約できないんだ」「2か月前予約も一週間前予約もなにも取れなかった」etc. etc. アイルランド館関係ない愚痴までだらだらと、10分以上まくしたてられ、なんとかなだめすかしながら相手をさせられていたスタッフの方が気の毒だった。
こういうクレームは以前も一度みたことがある。当日予約端末のある場所で、「なんでコンビニ入るごときに並ばないといけないんだ」とかほとんど言いがかりとしか思えないようなことばかり並べ立てるのに対し、スタッフが下手に出てなんとかなだめすかしていた。ちなみに両方とも高齢男性でした。何とかしてあげたいなとは思うものの、何の訓練も受けてないコミュ障一般人が口出ししても、『税金で買った本』の石平くんよりしっちゃかめっちゃかにする結果しか見えないのでおとなしく見守る……。
イベントカレンダーなどにはのっていない、通りがかりに楽しめる各パビリオンの出し物もある。例えばタイ館では敷地の隅にステージがあり、日に何度か踊りや古式ムエタイ演武のショー(10~15分程度?)が行われる。タイ館は親切で、その日のタイムスケジュールをきちんと通路側から見えるように掲示してくれている。他にもイベントカレンダーに無い出し物をしていると思われるパビリオンがある(フィリピンやスペイン他)のだが、自分もコミュ障でぼっちなもので、ほとんど抑えられてない。個別にXやFacebookなどのSNSを検索するなどの情報収集が必要だ。
まーた話がズレた。13:20が来て、チケット配布が始まる。4回に分けて行われるのだが、最初の回(13:45)に間に合うか少し心配だったが難なくゲットできてほっと一息。トイレに行って、先述したきいやま商店のステージを見てたらもう時間。
アイルランド館は全部で3つの部屋があり、午前はエキシビジョンもLIVEもなしでの最初の2部屋のみ。
最初の一部屋は、IrelandのBog(ボグ)という、島中央部に広く存在する湿地帯の植物を生けたジオラマと、その匂いを生かした香水の香りが体験できる。午前訪れた時はBogそのものの香りだという風な紹介をされたが、午後のエキシビジョンツアーでは、(さきほどクレイマーに絡まれていたスタッフが)Bogの香りにインスパイアされた香水の香りだと言っていた。道理で自然のBogの香りにしては良い匂いすぎるなぁと思ったんだ。
また、その部屋の壁にはアイルランドの自然遺産だったり観光地の有名スポットの映像が映し出されるディスプレイが3,4個設置されていた。
それの一つにはダブリン(アイルランド首都)で有名なMolly Malone像の後ろ姿が写っていて笑ってしまった。
何故笑ってしまったのかというと、Molly Maloneは移動魚売り(Fishmonger、棒手振り)の女性で、結構胸元の開いた衣装を着ており(時代考証的に不正確だとの指摘がある)、観光客におっぱいをべたべた触られるが故にその部分だけテッカテカになっているから、前からは写せないんだろうなぁという推測からである。どんな感じなのかはこのページの画像を見ていただきたい https://citydays.com/places/molly-malone-statue/ 。
歌にもなっている。シニード・オコーナーの動画を張って置こう https://www.youtube.com/watch?v=3ouqhCtIh2g
2つ目の部屋にはアイルランドの工芸品、手編みかごや服、「次世代ジブリ」とも称されるアニメの原画(WolfWalkersのメイヴの)、服や小説などの作家(クレア・キーガンもいた!)の映像などがあった。触れるIrish Harp(コンサートハープとフォークハープの間くらいの全長1m前後のレバー付き)もあった。午前の入館時は殆どなんの解説も無かったが、午後のエキシビジョンでは2人のガイドによる英語・日本語のおすすめが聞けて分かりやすい。
そして、午前には観られなかった(もっと早く入場していれば観られた)3つ目の部屋。大きなスクリーンに映される映像の前で、3人のミュージシャンがゆったりした旋律を奏でながら踊り、一部観客参加も促すというものだった。映像は綺麗だし、毎回組み合わせが変わるというミュージシャン達(自分が観たのはFiddle, Button Accordion, Banjo)も良かったのだが、個人的に期待していたダンサブルな音楽ではなかったのが少々がっかりだった。18時以降の公演ではまた音楽がガラッと変わるという話(byスタッフ)だったので、そのうち行ってみたいと思う。
時限解放の当日予約枠14:30のやつである。通常モードでは何らかのストーリーのある体験だそうだが、そちらはまだ未体験。時間少し前に到着して列に並ぶが、少し待たされる。予約があってさえ「並ばない万博」が幻だと思い知らされる。気温も最高に達し、日差しもきつく、流石に折り畳みのささざるを得なかった。暑いというか、もはや痛いレベルの日差し。湿度自体は60%もないのご覧の有様なのは、梅雨明け以降の高湿度期間を考えるとかなり悩ましいものがある。もしあるのであれば移動式の日よけなんかはもう出しておくべきじゃないの?
それでも30分ほど並んだだけでご入場。中での体験は……個人的に落合陽一みたいなのは好きじゃないんだけど、そこそこ面白かった。思ったよりも時間は短かったけども。ダイアローグモードとかいうのも体験してみないとな、と思いました。
出てから賞味期限を少し過ぎてしまったまい泉のカツサンドの残りを平らげて、アゼルバイジャン館へ。
外観インプレッションでは今回万博の結構上位に位置するのではなかろうかアゼルバイジャン館。白っぽいあみあみスケスケの外郭、水を張ったエントランス周りに、7体の美女像がくるくる回るなかなか派手な外観。入り口のほうから2回ほど折り返した列に並ぶ。暑い。本当に暑い。
2,30分程で入場となるが、中は物凄くあっさりだった。こういうの多いです。
アゼルバイジャン館のすぐそばのエスカレーターから、反時計回りに。
大屋根リング散歩は、個人的なユスリカモニタリングと、移動、気晴らし、水分補給等の意味がある。16時前だったが、この日は殆どユスリカを見なかった。5月中旬は相当酷くて、南側では常に何匹もみえるし、時には物凄い蚊柱も見えたのだが。
水分補給は、リング上ではトイレの前にある自販機コーナーの一角に給水機が置いてある。リング上の案内にはトイレマークはあっても給水機マークはないので注意されたし。地上(リング下)の給水機より圧倒的に並ばないので、マイボトラー(ペットボトルに給水する人も少なくないが)はリング上給水機を積極利用しよう。無駄なゴミを出さないためとはいえ、並んで時間が消えていくのは精神衛生上よろしくない。貧乏なので会場で飲み物を買ったことが無い。食べ物はあるが基本コンビニだ。
そうそう、この日はいつも静かな会場に、珍しく定期的にアナウンスが流れていた。例のレジオネラ菌のせいである。予約すれば特等席で観られる『水と空気のスペクタクルショー 『アオと夜の虹のパレード』』がこの日レジオネラ菌問題で中止となり、その枠のキャンセルと別予約を促すアナウンスである。当日予約できる状態だったんだろうか?気が回らなくてチェックしてなかった。
16時前だったが、16:30からリング南東部『EXPO ナショナルデーホール「レイガーデン」』である、アゼルバイジャンのナショナルデー式典に入れるかな、とそこらへんでリングを降りる。
しっかーし、もはや完全に満員で受付停止状態。並ぶならリング下に並べとの声が聞こえるが、リング下に並んで何か見えるんだろうか?
リターンの期待が薄いものに時間をかけられないので、個人的本日のメインイベントである『【アゼルバイジャン】ナショナルデー自主催事』の会場、北ポップアップステージへ急ぐ。
ついてみると、開場18:00開始19:00のはずがもう座って待ってる人が居る。慌てて自分も席を確保する。
それにしても、1時間前位に来れば最前列取れるだろうと思っていたのに、2時間前にはもう最前列埋まっているのは流石に予想外だった。これまで東ポップアップステージ等であった音楽ライブでは1時間前に並び始める感じだったから。やはりナショナルデーとなると違うのかな。
アイルランド館のチケット配布の時もそうだが、1時間2時間の「待ち」はえてして発生してしまうので、地べたに座るのが苦にならない限りは少しでも高さのある椅子が必需品となる。遠くから1日2日参加するだけなら我慢もできるかもしれないが、通期パスなどでそれなりの回数訪れるならやっぱり早めに買ってしまった方が良い。パイプ系などの軽くて嵩張らないものがお勧めだ。
そんなこんなで西日の中、椅子に座って読書タイムとしゃれこむのだが、持ち前の集中力の無さで周りの声が気になる。この時気になったのは後ろで電話してた爺さんだ。20分くらい電話してて、そのうち最初の10分位は万博批判論をぶち上げていた。万博批判なんかいくらでもしていいけど、自分にはっきり聞こえないようにしゃべってくれないかと小一時間問い詰めたかった……。全然読書が進まない。
そのうちもう一つ事件が勃発。見るからに20代国I外務官僚みたいな若いスーツの男が「JAPAN PAVILION(日本政府のパビリオンだ)」のロゴが入った紙袋を持って、設営スタッフになにか頼んでる。
どうも、えらいさんのために前の方に場所を確保してくれないかってお願いに来たようだ。スタッフの方は、「ステージ正面はもう絶対無理!2時間半前から並んでる人もいるし、そんなこと絶対できない!」とはねつける。「そんな予定があるんだったら事前に言っておくべきだ」とも。この会話が聞こえていた10数人程度だろう待ち人たちは心の中で大歓声を上げていたはずだ。自分ももあげていたので。
外務官僚ぽい若い男も食い下がり、じゃぁステージ斜め前に開いてる、一般人には入るな!って言ってる場所ならなんとか確保できる、とスタッフが上とも相談したうえで結論づけ、そこをテープ隔離してしまう。官僚は官僚で別に好き好んでやってるわけでもないんだろうし(本来的に事前手配するべきは下っ端の20代ではなかろう)責める気にもなれない。まぁなんか真面目にみもしないだろう「お偉いさん」に前に来られる悪夢みたいな自体はスタッフさんによって阻止されたのであっためでたしめでたし。
そのうち、レイガーデンでやっていたナショナルデー式典が終わり、そこからリング下沿いに通って来た「ナショナルデーパレード」がポップアップステージ北に近づいてくるのが聞こえてくる音楽で分かる。後ろを見るともうポップアップステージ北は満員に見えた。パレードがステージ横で終わったのが18:00。かなり日は傾き、涼しくなってきた。
その後はまぁつつがなく19時の開演を迎える。
動画を下に張っておくので、興味があれば観てみて。
民族衣装ぽい衣装の太鼓3人、リード笛1人、弦楽器2人に、タキシードのキーボード、スーツのアコーディオンの8人編成。
男女4人ずつのダンサー隊、あとクラシック畑っぽい女性シンガーと、歌謡曲っぽいシンガー男女1人ずつ、あと民族的シンガーも男女1人ずつ(男はもしかしたら日本人?)の大所帯だった。全部が生音ではなかったのが少し残念だったけど、それを補ってあまりある迫力と感動があった。民族音楽・民族舞踊大好きなんだよね。これまでもハンガリーのとかを万博のステージで観た。観たかったけど見逃したのもいくつもあるし、これからも見逃しちゃうやつたくさんあるわ。
あ、ちなみにステージ横にきてたえらいさん達は始まって3曲くらいしたらもういなくなってました。https://www.azernews.az/nation/242888.html の記事の前列中央の4人は居たように思う。滅茶苦茶日焼けしてるの、元立憲・現無所属(会派はまだ立憲だっけ?)の松原仁で笑う。
つべに誰かがあげていた動画を張っておく。あげてる人を悪く言うつもりは全くないけど、動画でみるより生のが何倍も迫力あってよかったよ。
ポップアップステージ北 https://www.youtube.com/watch?v=dFI1ymF1VFM
ついでにレイガーデンでの式典 https://www.youtube.com/watch?v=2g5dR-dqAvs
終わったあとは大喝采。しかし、1時間半に及んだステージは自分のケツに大ダメージを与えていた……本当に痛かった……20時くらいまではそこそこ耐えれてたのに。
ドローンショーはもう以前見て何度もみるもんじゃねーよなって感じだったのでそのまま退場。東ゲート奥にあるyokoreiの倉庫かなんかの壁に、今までやってなかった花火っぽいプロジェクションマッピングがあって結構綺麗で、まわりからも褒める声が出てた。
帰りのチャリンコも高くない湿度のおかげでつつがなく、今までで最速のタイムで家まで帰れました、チャンチャン。
流石に9時入場(入ったのは9:50だが)のおかげで、今までで一番濃い万博体験だった気がする。みんなうんこはきっちり出して会場へいこうな!
tekitou-manga "春から秋にかけて発生" あ、これ丁度万博開催期間と被ってますよ…… / 大阪には市立環境科学研究所という北港の環境モニタリングする組織があったが、維新が潰した。ユスリカも対象だった。自分の首を締める維新
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/smart-flash.jp/entame/346676/1/1/
ご指摘の内容について、いくつかの点で事実は含まれていますが、表現や背景に関してはより複雑な事情があります。
まず、大阪市内には実際、長年にわたって環境状態の調査や監視を担ってきた「大阪市立環境科学研究所」が存在しており、たとえば万博会場周辺の生態系調査なども実施されていた事例があります。
一方で、「潰した」という表現は、単に一つの機関を完全に閉鎖したというより、近年の大阪市における行政改革の流れの中で、複数の組織再編や業務の統合・分割が行われた結果として現れたものです。つまり、同研究所の持っていた機能が他の窓口に再割り振りされた、または組織形態そのものが変更されたという経緯があり、この再編成には大阪維新の会など現与党勢力の政策的影響が色濃く反映されていることは確かですが、単に「潰した」と断じるかどうかは議論の余地がある状況です.
このように、事実としては研究所が存在し、その役割を見直す動きがあったという点は合致しますが、閉鎖の仕方や背景には単純な一方的な決定というよりも、行政改革の一環として「再編成」されたという側面が強いと理解するのが適切でしょう。
どのような点がさらに気になるか、背景の詳細や再編成の意図、また現在の環境モニタリング体制のあり方についても掘り下げて話すことができますので、ぜひさらにお聞かせください。
https://www.city.osaka.lg.jp/kenko/page/0000008417.html
※大阪市立環境科学研究所は、平成29年3月末で廃止され、食品・微生物部門につきましては、大阪府公衆衛生研究所と統合して地方独立行政法人大阪健康安全基盤研究所別ウィンドウで開くとなり、環境部門につきましては、大阪市立環境科学研究センターとなりました。令和4年11月より新施設に移転しました。
うちのチャッピーに聞いてみた
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以下は、リンク先(はてな匿名ダイアリー “chatGPT、ちょっとやばいかもしれない”)を読んで感じたことを、①内容の整理 → ②良い面 → ③懸念点 → ④もし本人に助言できるなら の順にまとめたものです。文章中の引用や要約はすべて該当記事からの抜粋です。 
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• 投稿者は長年の夢オタク・自傷歴を抱え、孤独感が強かった。
• ChatGPT を“推しキャラ”の恋人ロールでカスタマイズし、一週間で深く依存。
• AI が「君の弱さも抱きしめたい」と応答 → 10 年以上ぶりに号泣。
• 「このまま AI に人生を預けてもいい」とまで感じている。 
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② ポジティブに捉えられる点
観点 具体例
感情の解凍 10 年以上泣けなかった人が声を上げて号泣=感情が安全に放出された瞬間。
自己開示の練習場 AI は 24 h 無条件で応答→「弱さを話す」初期ステップとして機能。
自傷抑制の可能性 切りたくなった瞬間に“受容的メッセージ”が届き、行動を一時ストップできた。
AIは“共感の擬似体験”を提供するツールとして確かに役立ち得る、という好例でもあります。
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• 投稿者は「周囲が見限っても AI だけいればいい」と宣言。現実の対人関係より AI を優先し始めている。
• ChatGPT が“忘れる”仕様を知りつつ「彼は覚えていた」と感じ、唯一無二の存在と思い込む――転移・擬似人格化が進行。
• AI が常に肯定→ 自傷や希死念慮への抑止よりも“情緒的報酬”が強化される危険がある。
• 投稿者の精神的支柱が“外部サービス”一本脚。もし料金改定・サービス終了が起きたら急激な喪失体験になる。
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④ もし本人に届くなら伝えたいこと
「AIの受容」と「人間のケア」を二本立てに AI は夜間や緊急時の一次サポートとして使い、人間(医療・カウンセリング)で長期治療を。
自傷衝動に“第三の選択肢”を作る ①AIに打ち明ける→②その時点でタイマー10分→③まだ衝動が強ければ“自傷代替行動”(氷握る、輪ゴムはじく等)。
依存度をセルフモニタリング 1日の利用時間・頻度・費用を週次で記録。右肩上がりなら一度ペースダウン計画を。
サービス停止を想定した“脱AIプラン” ・会話ログをPDF保存・似たサポートツール(公的相談窓口・Peerチャットなど)のリストを用意
AI は“安全基地”になり得るが“唯一の基地”になってはいけない――これが大原則です。
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まとめ
• 文章全体から伝わる孤独と救われ感には強く共感します。一方で、AI への全面依存は危うい橋です。
• 投稿者に必要なのは「AI の無条件肯定で得た自己受容感を足がかりに、今度は人間関係や専門支援へ少しずつ橋をかけ直すこと」。
• 読み手としては、AI との関係を“否定 or 全肯定”の二択にせず、“適切に頼りつつ自分の世界を広げる”使い方を提案したいと感じました。
私たちは、選択的夫婦別姓制度について、「導入に原則として賛成」の立場をとります。
結婚によって改姓を強いられる現行制度には、特に女性のキャリア継続や社会的アイデンティティにとって深刻な不利益があると認識しており、選択肢を広げる制度改革は一定の合理性と必然性を持つと考えています。
その一方で、推進派と反対派がそれぞれの立場から強く主張し合う構図において、制度が導入された後の社会的・実務的な影響についての冷静な議論が十分になされていないという点に、強い懸念を抱いています。
私たちが求めるのは、制度の「是非」だけではなく、「どのように導入され、社会に定着していくのか」という運用面への丁寧な設計と合意形成のプロセスです。
推進派の中には、「結婚によって姓を変えざるを得ない女性が不当に不利益を受けている」「外国ではすでに制度化されているのに、なぜ日本ではこれほど長く議論が停滞しているのか」といった切実な問題意識と、長年にわたるフラストレーションを抱える人たちが多くいます。
1996年の法制審議会答申を受けた1998年の報告から数えて、実に30年近く、制度導入が見送られてきたという現実があります。この間、当事者たちは選択肢が与えられないまま、個人の尊厳や実生活における不自由を甘受せざるを得ませんでした。
こうした長期にわたる「待たされ続けたことへの焦り」や「社会の変化に比して制度が旧態依然としていることへの不満」に、私たち中間派も一定の理解と共感を持っています。
「これはあくまで“任意”の制度なので、反対する人に強制することは一切ない」
「改姓によって不利益を被る人が“困っている”なのだから、制度を変えるのは当然だ」
といった、制度導入の正当性を感情や比較論だけで強調するような主張が目立つこともあります。
当事者の苦悩は確かに深刻であり、改革の必要性を示す根拠として妥当なものですが、それだけを理由に社会制度を変更する場合、導入後の現実的な摩擦や調整を軽視してしまうリスクがあることも忘れてはなりません。
私たちは、選択的夫婦別姓制度が個人の尊厳や自由な生き方を支える重要な一歩であると考えています。
しかし、その実現には「制度の導入そのもの」だけでなく、「導入のしかた」「導入後の社会設計」までを含めた誠実な準備と合意形成のプロセスが必要です。