はてなキーワード: 教職員とは
とか
東京都立七生養護学校(現在の東京都立七生特別支援学校)で、知的障害を持つ児童に対して行われていた性教育の授業内容が不適切であると非難を受け、東京都教育委員会が当時の校長及び教職員に対し厳重注意処分を行った事件の通称である[1]。
裁判では、いずれも原告側(七生養護学校校長・教員ら)の勝訴となった。2008年に都教委の裁量権の乱用が認められたほか、2009年に都議3名らに対する賠償請求も認められた。
七生養護学校の在校生同士が性的関係を持ったことが発覚した。これを受けて教員と保護者が協議を重ね、知的障害を持つ児童に対する同校独自の性教育プログラムを開発した。「こころとからだの学習」と名付けられたこの授業は男性器と女性器の部位や名称を織り込んだ歌や人形を使った授業方法で注目を集め、同様の悩みを持つ他地域の養護学校からの研修も積極的に受け入れていた。
「君が代」は正式な国歌ではなかったが、実質的な国歌として扱われていた。
学校教育、軍隊行事、儀式、国際大会(オリンピックなど)で演奏・斉唱された。
昭和11年(1936年)に文部大臣・平生釟三郎が、歌詞の意味を理解していない子どもが多いことに気づき、小学校教科書に掲載を指示。
教科書には「君が代」の意味を明記:「天皇陛下の万歳を祝ひ奉り、皇室の御栄を祈り奉る心で一ぱいになります」
「君が代」は「天皇の治世の永続」を祈念する歌として、国民的義務感を伴って歌われるようになる。
学校では「教育勅語」「修身」とともに重視され、起立・礼と共に斉唱される。
併せて「海行かば」や「紀元節の歌」なども準国歌的に使われた。
終戦後、GHQ(連合国軍最高司令部)は「君が代」斉唱を一時禁止(特に初期には日の丸掲揚も制限)。
昭和21年(1946年)11月3日、日本国憲法公布記念式典では例外的に「君が代」が斉唱された(昭和天皇・香淳皇后が出席)。
昭和22年(1947年)憲法施行記念式典では「君が代」が演奏されず、代わりに新国民歌「われらの日本」などが使用。
当時は「君が代」が旧体制の象徴とされ、GHQや日本国内の一部では批判的な見解があった。
しかし、半年後の1947年(昭和22年)5月3日に開催された憲法施行記念式典では「君が代」でなく憲法普及会が選定した国民歌「われらの日本」(作詞・土岐善麿、作曲・信時潔)が代用曲として演奏され、天皇還御の際には「星条旗よ永遠なれ」が演奏された[46]。「君が代」の歌詞について、第二次世界大戦前に「国体」と呼ばれた天皇を中心とした体制を賛えたものとも解釈できることから、一部の国民から国歌にはふさわしくないとする主張がなされた。たとえば読売新聞は1948年(昭和23年)1月25日の社説において、「これまで儀式に唄ったというよりむしろ唄わせられた歌というものは、国家主義的な自己賛美や、神聖化された旧思想を内容にしているため、自然な心の迸りとして唄えない」とした上で「新国歌が作られなくてはならない」と主張した[47]。
また、「君が代」に代わるものとして、1946年、毎日新聞社が文部省の後援と日本放送協会の協賛を受けて募集・制作した新憲法公布記念国民歌「新日本の歌」(土井一郎作詞、福沢真人作曲)がつくられ、1948年(昭和23年)には朝日新聞社と民主政治教育連盟が日本放送協会の後援を受けて募集・制作した国民愛唱の歌「こゝろの青空」(阿部勇作詞、東辰三作曲)がつくられた。前者は日本コロムビアより、後者は日本ビクターより、それぞれレコード化されるなどして普及が図られた[46]。1951年1月、日本教職員組合(日教組)が「君が代」に代わる「新国歌」として公募・選定した国民歌として「緑の山河」(原泰子作詞、小杉誠治作曲)もつくられた。しかし、1951年(昭和26年)9月のサンフランシスコ平和条約以降は、礼式の際などに、再び「君が代」が国歌に準じて演奏されることが多くなった
サンフランシスコ講和条約(1951年)によって主権回復後、公式行事で「君が代」が再び演奏されるように。
法的根拠はないが、「事実上の国歌」として扱われる慣習が確立。
ただし、特に教育現場では教職員組合(日教組)などが反発し、「起立・斉唱を強制するな」との議論が起きる。
1950年代には日教組が新国歌の公募を行い、「緑の山河」などが制作される(普及は限定的)。
一部の学校で「不起立運動」や「歌わない自由」を主張する教職員と教育委員会の間で摩擦が激化。
国旗国歌法(正式名:「国旗及び国歌に関する法律」)が制定。
大きく分けて2つについて常々疑問を持っているがみんなはどう考えるだろうか
受験がある学校(高校、大学、一部の小中学)は受験の結果入学できたのだから、喜びやめでたいという気持ちは理解できる(それでも②の疑問は残るが)
よほどの事情じゃない限り、ほとんどの子供は入学できる。そのような物について何をどうおめでたいと祝うことがあるのか。
成長?普通に進学できたこと?そんなん学校で祝わなくても、身内で祝っておけば十分だろ。
事前準備に多大な労力をかけ、式自体にも1時間程度という決して短くない時間を取る。
来賓を集め、祝電を頂戴し、親の出席を促しておきながら、やっていることは何十年も変わっていない。
よくわからない校長の話、生徒一人一人の名前を呼んで立たせる、校歌披露。
全てを否定するつもりはないし、厳かな雰囲気の式典を経験するのは無駄ではないと思うが、卒業式だけで十分ではないのか。(卒業は誰でも出来るものじゃないので、入学式より意味はあると思う)
一番疑問なのは親が出席しないと駄目だという風潮。
嫌なら出なきゃいい。それも道理だ。ただし、欠席を選択した親自身が眉を顰められるのであればそれでいいが、親が出ないことによって子供への影響もあり得る点が欠席へのハードルを爆上げしており
平日にやるものどうかと思う。大半の社会人は有休が必要だぞ。同調圧で出席が半ば強制なのであれば政府として公休制度に採り入れろ。
批判ばかりではあれなので、代案も示していきたい。
校長の話はフランクに短く。新入生代表の言葉は賛否あるが、まあやってもいい。この2個で完結すれば入学式典として十分ではないか。
教職員の紹介なんかも別に要らない。ビラ配りでも動画配信でもしてくれ。
渡邊芳之 @ynabe39
15年1月5日
ああなるほど認知スタイルか。場依存型と場独立型。なんと今は亡き指導教官の研究テーマではないか。「左右識別困難と認知スタイルの関係」www.jstage.jst.go.jp/article/cogpsy...
posted at 16:05:49 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月14日
仕事とはいえ普通の人たちが発達障害の子どもについてあれこれ語る場に身を置くと自閉症の子どもの親としては幾度か辛い瞬間がある。そりゃないだろう、アハハじゃないだろうと。仕事だから黙ってちゃんとこなしてきたけれど。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月15日
この20年くらいの間の日本人に「目的の正しい暴力」への嫌悪が著しく強まっていることは考慮しないとうまくいかないと思う。
posted at 04:01:07 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月15日
これは別に「日本人がよくなった」みたいな話でなくて、国家権力による暴力の独占が著しく進んだということ。学園紛争やそれに連なる学生運動の失敗、オウム事件などの影響がある。
posted at 04:03:39 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
「著名な心理学者の98%が血液型と性格には関係がないと言っている」と言われたって血液型性格判断をやめたりしないよね。
posted at 06:45:47 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
そのうちに実学の危うさも見ることになる。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
posted at 07:42:59 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
東大京大の文学部教育学部がなくなるわけないのだから,「文系学問の価値」の議論になっちゃってる時点で的外れだと思う。
posted at 13:30:46 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月16日
自分の学部がなくなる心配のない旧帝大文系の先生方が「自分の学問の価値が否定された」と思って反論しているのは間違いとまでは言わないとしても的外れだし地方の文系学部を守る力にもならない。むしろ文系の評判をますます落とすことを心配する。
posted at 13:36:26 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
けっきょく表現や言論の「意図や目的が正しいもの」には最大限の自由を与え「意図や目的が悪いもの」には自由は必要ない,くらいに考えている人が主流なのではないかと思う。
posted at 07:27:14 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
そうだけど「日本はダメだ」「日本は遅れている」という人がまさにそういう人権意識だったりするんだから。
posted at 07:34:09 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
為政者や宗教指導者が「よい」と認めることだったら中世のヨーロッパでも封建時代の中国でも全く自由だっただろう。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
自分はヘイトスピーチ規制も差別表現規制も性表現規制もすべて「ほんらい自由であるものを公共の福祉から制限するもの」という点では同じだと思うし,それぞれの規制を認めるかどうかはそれぞれ「規制が必要になるような実害がどれだけ著しいか」の判断によると思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
いくら「汚い自由」「悪い権利」であっても自由や権利を制限するんだからあくまでも限定的でなければいけない,むやみに拡大されないようにしないといけない。
posted at 07:54:00 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
よいか悪いかは時代を超えて決まっていて、昔それが容認されていたのは「遅れた社会」だったからだ、という考え。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
家庭でたいへんがっかりする出来事があってしょんぼりしている。
posted at 16:58:18 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
「表現とはよいものであるから自由にすべきだ」「言論には価値があるから自由であるべきだ」というなら,自分から見てよくないものや価値のないものは表現でも言論でもないから自由である必要はないということになる。
posted at 22:09:53 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
国立大学にももう「教官」はいません。われわれは教員。それどころか最近の国立大学法人では教員も事務職もまとめて(以前のように教職員とは言わずに)「職員」と呼ばれることが多いと感じます。
posted at 22:38:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
教官というのがまだいるのは文科省以外の省庁立の「大学校」などだけではないか。
posted at 22:39:16 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
大学教員の意見は「その先生は堀ちえみのファンだった」というところに収斂しました。
posted at 22:55:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
「定年」もむかしは「停年」と書いた。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月29日
一難去らずにまた二難。
渡邊芳之 @ynabe39
15年6月30日
教育と職業とのマッチングの問題だよね。大学進学率が高くて大卒に見合った待遇の仕事が少ない国で満足度が低いのだと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
「人文系の知識なんか大学で勉強しなくても独学で十分に身につくだろう」というのは半分本当で半分ウソ。
posted at 18:15:37 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
いっぽうでそうした知識全体を体系付けて俯瞰したり整理したりするメタな技術や能力は大学で専門教育を受けないとなかなか身につかない。
posted at 18:18:29 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
そういう意味では学問としての人文学というのは「人文学的教養」みたいなものに対してはメタな位置にあると思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
一連の「人文系学部の価値」「人文学の価値」についての議論では,こういう知識や教養の価値と専門の研究教育の価値とがごちゃまぜになってると思うんですよ。
posted at 18:53:52 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
それこそ「国立大学人文系学部が必要かどうか」という問題と「若い時に夏目漱石や森鴎外を読むべきか」みたいな問題はそもそも別だろうという話です。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
@AJSCT 学問について専門的な評価は研究者にしかできないと思います。文科省だって学問の専門的評価が必要な時には学者を雇ってやらせますから。ただ「学問の価値の評価」はおそらく学問の外側の問題だから、学問の専門性ではむしろ判断できないのではないかと思います。
posted at 19:40:45 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月1日
なにしろ人文学系の研究者が「人文系の学問や大学は大切だ」という自分の価値をきちんと相対化できなかったら「それでなにが人文学系だよ」ということになると思います。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月2日
教職や教養に限らず,いまいる大学で「自分の専門分野の心理学」だけを教えて暮らしている人なんてもともとごく少数だと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月2日
「大学の語学の先生」たちの多くだって大学院で「外国語教育」を専攻したわけではないだろうし。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月2日
この数年で大切な先輩や知人がさっさと亡くなってしまうのを何人も経験したな。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月3日
「津波からすぐ逃げた人」と比較できるのは「津波からすぐ逃げなかったが助かった人」だけで「津波からすぐ逃げずに亡くなった人」とは比較できないよね。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
アメリカンビューティーのレコードがなかなか手に入らない。アメリカ盤なんかずいぶんプレスされたはずだが。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
「ベルマークなんか集めないで募金を集めればいいじゃないか」と女房に言ったら「ベルマークは学校が集めて決まったやり方で送らないとお金にならないので,着服などの心配がない」と言われた。そういうことも大事なんだよね。
posted at 14:25:03 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
将来がどうなることが子どもたちにとって幸せかなんてことは親にはわからないよ。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
大人になってからの不幸なんて15歳の時には想像もつかない種類のものがほとんどだよ。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月5日
臨床心理学科を卒業して精神神経科病院に心理士として就職して主要業務は送迎車の運転,というのは昔よく聞かされた。
posted at 19:51:36 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
血液型性格判断を信じる医師や看護師には何度も会ったので「疑問の前提になる現状認識」の時点で異なる。
posted at 02:53:57 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
posted at 03:13:34 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
右に行っても左に行っても大混乱の時代には秩序が皆の憧れになる。
posted at 03:22:38 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
自分の気に入らない内容が報道されると「マスゴミを信じるな」みたいなことを言い,いっぽう自分に耳触りのよい報道は全く疑わないのは不徹底だと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
一難去らずにまた三難。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
長男去ってまだ二男。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
「自分の政治性は政治的だと思わない」というのはほとんどの人に共通する特徴だよね。どんなに偏っていても自分の政治的立場は「中立」にみえる。
posted at 13:53:59 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月6日
「政治的」に見えるのは自分より大きく右か左に位置するものだけである。
posted at 14:02:00 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
大人ワールドで起きる問題の半分くらいは原因が嫉妬や個人的怨恨。
posted at 06:27:54 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
posted at 07:52:38 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
足りなくならないと価値を感じない。
posted at 07:53:03 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
他人からは「不可解な動機」と思われるものでも当事者がおかれた文脈や状況から見ると必ずしも不可解とは限らない、という話なのだが。そのうえで「どんな動機であれ殺人は許されない」というのは言わずもがなだと思う。
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
この先生の気持ちもわからないでもない。毎日ルーティンで大量にやらされているとこうなる。だからこそ、学生生徒に簡単に「気持ち」を書かせて提出させたりしてはいけないと思う。
posted at 08:50:45 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月8日
たいへんなことほど目立たずに始まるのだ。
posted at 19:04:01 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
多くの人は「理由」と言うのを「行為の原因」「行為のきっかけ」といった客観的な意味ではなく「その行為について自分が納得できる説明」のような意味で考えているのだと思う。「そんなの理由にならないと思う」という言い方はまさにそういうことだ。
posted at 04:57:38 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
「そういう理由であれば自分もそうしただろう」「そういう理由であればそうしても不思議ではない」と思える時だけ、ある説明や経緯を「理由」として受け入れる。そうでない場合には「そんなの理由と言えない」「そんな言い訳は成り立たない」と考える。
posted at 05:00:06 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
「理由なき反抗」だって映画を見れば主人公個人には反抗する「理由」が山ほどあるわけだが、それらが大人や社会から「理由」として認められなければ「理由がない」とされてしまう。
posted at 05:46:08 削除
渡邊芳之 @ynabe39
15年7月9日
犯罪やその報道、裁判などについて自分がもっとも違和感を持つのは「どうしてそんなに犯行動機を重視するのか」ということだ。警察もマスコミも「動機を追求する」ことに躍起になるのだが、いざ動機が語られ
・校長は年休をとって不在
・教師A(教職員の中で唯一の生存者)が校庭に出ろ山に逃げろと叫び、それを聞いた児童たちが裏山に駆け出す
・別の教師が怒鳴り無理矢理引き戻す
・「山さ上がろう」「俺たち、ここにいたら死ぬべや」「先生なのに、なんでわからないんだ」と教師に食ってかかる児童たち
・裏山は緩やかな傾斜でシイタケ栽培など児童たちも普段から登り馴染みがある
・遠方児童のためのスクールバスがエンジンをつけて待機している
・点呼を終えても余震の中で児童をグラウンドに座って待機させ続け議論する教師たち
・裏山に逃げる派(教頭・教師A)と津波は来ない学校は安全派で対立
・避難してきた周辺住民も加わり、津波は来ない川の堤防(三角地帯)に逃げる派(釜谷区長)も対立
・たき火の準備をする
・迎えに来た保護者たちに教師が「学校のほうが安全」「帰らないように」「逃げないほうがいい」と伝える
・「大丈夫だぞ」「こんなところで死んでたまるか」とグラウンドで励まし合う児童たち
・約50分もグラウンドに待機し、津波到達1分前に避難を開始する
・避難先はなぜか裏山ではなく三角地帯に教頭が決定、なぜか最短ルートではなく逆方向から出発
・避難中に津波に飲み込まれ、それを見て急いで山に駆けた後列の児童は助かる
・避難先の三角地帯は完全に津波に飲み込まれ避難が完了しても助からなかった
・地震発生から津波到達まで51分ありながら児童たちは1mも高い位置に移動できなかった
はじめに
近年、日本社会において「ヤングケアラー」という言葉が徐々に注目を集めつつある。ヤングケアラーとは、家族の介護や世話を担う18歳未満の子どもたちを指す。この問題は長らく表面化していなかったが、社会構造の変化や高齢化の進行に伴い、今後10年のうちに大きな社会問題として顕在化する可能性が高い。本稿では、ヤングケアラー問題の現状と背景、そして今後の課題について考察する。
---
ヤングケアラーは、家族の介護や看護、家事労働などを日常的に行う子どもたちである。彼らは親や祖父母、兄弟姉妹などの家族の支援を担い、大人が本来果たすべき役割を果たしている。しかし、その責任は子どもたちの成長や発達に深刻な影響を及ぼす可能性がある。
日本におけるヤングケアラーの正確な数は明らかになっていないが、2020年の政府調査によれば、中学・高校生の約5.7%が家族の世話を日常的に行っているとされる。この数字は約20万人に相当し、その多くが支援を受けられずに孤立している。
---
日本は世界で最も高齢化が進んだ国の一つであり、65歳以上の高齢者が総人口の約28%を占めている。今後も高齢化は進行し、介護を必要とする高齢者が増加する。この状況下で、家族内での介護負担が増大し、子どもたちがその一端を担わざるを得ないケースが増えると予測される。
都市化の進展に伴い、核家族化が進行している。また、経済的な理由から共働き家庭も増加しているため、家族の中で介護を担う人手が不足しがちである。その結果、子どもたちが介護や家事を引き受ける状況が生じている。
2.3 社会的認知の遅れ
ヤングケアラーの存在はまだ社会的に十分認識されていない。このため、支援制度の整備も遅れており、問題が潜在化している。子ども自身も自分の状況を「当たり前」と感じ、外部に助けを求めにくい傾向がある。
---
3.1 教育への影響
介護や家事に時間を割かれることで、学業に集中できない子どもが多い。遅刻や欠席が増え、成績の低下や進学の機会を失うリスクが高まる。また、進路選択においても家族の世話を優先せざるを得ず、将来の可能性を制限される場合がある。
3.2 心身の健康への影響
過度な責任とストレスは、子どもの心身の健康に深刻な影響を及ぼす。疲労や睡眠不足、精神的な不安や鬱症状など、健康問題を抱えるヤングケアラーは少なくない。また、友人との交流が減り、社会的な孤立感を深めることも懸念される。
3.3 将来への影響
幼少期や青年期に過度な負担を経験することは、人格形成や人生観に影響を及ぼす可能性がある。自己評価の低下や社会的不信感を抱くことで、将来的な社会参加や自立が困難になるケースもある。
---
4.1 労働力不足の深化
ヤングケアラーが適切な教育やキャリア形成の機会を失うと、将来的な労働力不足が深刻化する恐れがある。これは日本経済全体にとって大きな損失となり得る。
4.2 社会保障費の増大
ヤングケアラー自身が心身の健康を損なうことで、医療費や福祉費用の増大につながる可能性がある。また、適切な支援が行われないまま高齢者の介護が進むと、社会保障制度への負担も増加する。
ヤングケアラーの増加は、地域社会における人間関係やコミュニティのつながりを弱める要因となる。子どもたちが地域活動や友人関係を築く機会を失うことで、社会全体の連帯感や協力体制が希薄化する懸念がある。
---
5.1 社会的認知度の向上
まず、ヤングケアラー問題の存在を社会全体に広めることが重要である。メディアや教育現場を通じて情報発信を強化し、理解と共感を促進する必要がある。
行政やNPO、地域社会が連携し、ヤングケアラーを支援する体制を整えることが求められる。具体的には、相談窓口の設置、経済的支援、介護サービスの拡充などが挙げられる。
学校はヤングケアラーを早期に発見し、適切なサポートを提供できる場である。教職員の研修を行い、子どもたちの状況を理解しやすくすることが重要である。また、学業と介護の両立を支援するための柔軟な教育体制の構築も必要である。
5.4 法制度の整備
ヤングケアラーを保護・支援するための法制度の整備も検討すべきである。海外では、ヤングケアラーに対する支援を法律で定めている国もあり、日本も参考にすることで効果的な支援が可能となる。
---
おわりに
ヤングケアラー問題は、今後10年のうちに日本社会で顕在化することが強く予想される。その影響は子どもたち個人の人生だけでなく、社会全体の持続可能性にも関わる重大な課題である。私たち一人ひとりがこの問題に関心を持ち、子どもたちが健やかに成長できる環境を整えるために努力することが求められる。未来を担う子どもたちのために、今こそ具体的な行動を起こす時である。
そのむかしYahoo知恵袋に登録して、なにかわからないことがあったときにちょこちょこ除いて質問したり返信したりする、というのをもう20年ほどやっている。
そんなこんなで、知恵袋内を徘徊したり、エンジンから飛んだりしてるうちに、最近に限ったことではないが、「これステマじゃないか?」と感じることはたびたびある。
例えば下記に書いた16の質問は、すべて同じ登録番号の一人の人間がやっている。匿名投稿ができなくなったので、アカウントに飛べば登録番号がわかる。(はてな上の規制回避のため、最初の5件以外、URLから「http…」を削除してる。)
「早慶」で検索して似たような質問をざっと調べたら、11月末から12月半ばまでの短期間でこれだけでてきた。その前から、100や200ほどの質問を繰り返している可能性がある。
内容は決まって同じ。早慶と○○大学(名門国立大学か、医科大学)を比べ、早慶を同等かそれ以上のように誘導するのだ。回答者も似たような人たちが集まっていて、コピペのように早慶を礼賛してゆく。
なおこの「ID非公開」氏は、東京外大に通っていると言ったり、医科大学に行きたいと言ったり、工学部を受けると言ったり。この人の立場はころころ変わる。
そもそも東京外大に通っていたらほかの大学、それも私立なんて目に入らない。あそこは外国語系の大学・学部のトップなので、非常に誇りの高い人たちの集まりなのである。
私立との評判を比べたりしない。
やたら敵対視されている阪大はじめ、他の国立大もしかりだ。阪大と早慶を盛んに比較しているが、大学の所在地が大阪と東京なんだから、まじめに併願を考える人なんていない。受けるとしても肩慣らしである。阪大受ける人は、大抵同じ地域にある京大か神大を見ている。同様に、北大や九大のひとが「北大と早慶どっちにしよう」なんて考えない。そもそも国公立のほうが科目数が多くて大変なんだから、受ける層と志向が違うのだ。
阪大受ける人が早慶受けるとしたら、滑り止めと肩慣らし兼ねたもの。逆に、科目数が少なく記述問題もない、早慶の人が阪大を滑り止めにすることはない。共通テスト対策だの科目だの必要な対策が増えるし難しい。比べても意味がない問題である。
つまりこの人の言っていることはほぼウソなのだ。外大通っているも嘘、今から受けるも嘘。
じゃあ何のために?早慶の評価を高めるためにしか見えないのである。早慶より明らかに難易度が下がるマーチなどとは比べない。「格上」とされる大学だけがターゲットである。
この人の立場はわからない。早慶生なのか、卒業生なのか。しかし早慶生も大学生活満喫しているので、ほかの地方の国立大の評価なんていちいち気にしないだろう。よくわからない。コンプレックスなのか、精神病なのか。
下手すると、教職員の可能性もある。それだとすればこれは工作員によるステルスマーケティングの疑いさえ出てくる。
そう。Yahoo知恵袋は、なかみはトンデモ質問&トンデモ回答ばかりなのに、やたらSEOに強い。検索トップ上位に出てくる。ステマするのに格好なのだ(私は実際に、東京・銀座にあるあるジュエリーショップがYahoo知恵袋の匿名投稿を利用してステマをしていたことを知っている。本人が話していた。そのときはまだステマ規制が始まる前だったが…)
私は2日前に、ほかの回答者の指摘でこのアカウントの存在に気付いた。なので、いくつかのこの人の質問を「報告」し、返信で矛盾を指摘した。するとどうなったか。なんと、私がYahoo知恵袋の使用を制限されてしまった。規約違反されたと(どの規約に違反したかは教えてくれない)。
私はこの20年間の間に制限されたのは2度目である。1度目は、「慶応大学は多くの国立大学より入学するだけならたやすい」ということを書いた。その返信は削除され、その後一週間ほどアカウントを使えなくなった。それ以外、映画や音楽や旅行やスポーツなど、無数の質問・回答をしてほかのユーザーと喧嘩したこともたびたびあるのだが、20年間でこの2回だけである。もはや、Yahoo知恵袋自体が、ステマを容認・推進して早慶を宣伝しているのではないか、特定の私立大学からお金を受け取っているのではないかという疑惑さえ出てくる。
そもそも1,2科目のマークのみの一般入試あり、各種推薦有り、内部進学有りで地域就職先重視の私立大学と、研究者・公務員志望の多い国立大学は受ける層も目的も違う。比べても意味がない。
なんにしても、国の研究を担っている国立大学を毀損して国民にとってプラスになることはあまりないと思うのだが。
疑惑の枠を出ないが、Yahoo知恵袋はステルスマーケティングの温床。とくに大学入試版は、魔窟である。
ID非公開さん
https://chiebukuro.yahoo.co.jp/user/1053117439
東京外国語大学に通ってるのが、バカにされて悔しいです。 確かに旧帝早慶には負けますが、そんなに下ですか? なんかやるせない思いです。2024/12/8
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11307771916
早慶一般と阪大はどっちが難易度高いですか?2024/12/14
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12308032912
早慶を確実に蹴れる大学は 東京一科のみだと言われました。 阪大でも蹴れないですか?2024/12/11
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12307881442
早慶と阪大含む地方旧帝大ってどっちの方が就活において価値ありますか?2024/12/11
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10307881135
大阪大学工学部を受験したいと考えております。併願早慶理工は落ちますかね?2024/12/14
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11308008596
なぜ阪大は早慶より難易度高いのに 就活になると、社会的評価が逆転するのですか?2024/11/21cc
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11307003251
知恵袋にて、京大は地方旧帝に括られるから、早慶の足元にも及ばないという回答者を見つけました。 早慶が勝てるのは阪大までですよね?2024/11/22
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10307062220
知恵袋で毎回のように早慶を推す回答者が湧いてくるのですが 結局のところ、東大京大には負けるけど 阪大以下の旧帝には勝ってるってことでいいですか?2024/11/22 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14307062094
早慶って結局阪大含む地方旧帝よりも就活強いですか?2024/12/11
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11307881426
早慶ってのは一流大学って呼んでもいいですか? どのへんから、一流大学って呼ぶのに違和感覚えますか?2024/12/12
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10307924965
早慶ブランドってどっちが上とかないですよね?2024/12/14
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10308032485
早慶がもしも合併しても どっちも得も損もしないですよね?2024/12/11
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11307881231
早慶ブランドより価値のあるブランド大学を教えてください。2024/12/14
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14308041804
早慶理工一般に受かる実力があれば、 川崎医科大学医学部はイケマスカネ? できれば久留米か福岡、近畿の医学部に行きたい。2024/12/14
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12308007692
早慶理系よりも確実に難しい私立医学部は 御三家と順天堂くらいですかね? 2024/12/11
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11307890546
「女の賃金を下げれば少子化解決」などと考える愚か者どもは、こういう不都合な真実は徹底的に無視するよね。
どう見ても、金のない女よりも金のある女の方が産んでるのに。
https://www.dir.co.jp/report/column/20230414_011026.html
是枝 俊悟
政府は、次元の異なる少子化対策の実現に向けて、3月31日に政策メニューの「たたき台」(※1)を取りまとめた。「たたき台」では、児童手当の拡充や保育士の配置基準の改善など現金・現物給付の拡充が大きく取り上げられているが、働き方と出生率の間にも強い関係があり、労働政策にも注目したい。
下の図表は、各医療保険制度の被保険者女性について合計特殊出生率(以下、出生率)を推計したものである。民間企業(健保組合・協会けんぽ)の出生率は上昇傾向にあるが、2021年度現在およそ1.1だ。民間の被保険者の出生率は、過去10年ほどにわたって女性が就業継続しやすくなるとともに改善してきた。女性の就業継続率が高い公務員の出生率は1.6~1.9程度である。民間企業も公務員並みに就業継続できるよう職場を整備すれば、出生率が上昇する余地はまだある。
公務員の中でもとりわけ出生率が高いのは公立学校の教職員だ。公立学校共済の被保険者女性の出生率は2017年度から2019年度にかけて1.9前後であった。だが、2020年度の制度改正に伴い非正規教職員が公立学校共済に加入すると、状況は一変する。加入者が大幅に増えた一方で出生数の伸びは鈍く、新たに加入した非正規教職員の出生率の推計値は0.3程度となった。女性の非正規教職員は極めて子どもを持ちにくい状況となっているのだ(※2)。
公立学校の教職員については、正規採用を希望しながら非正規で働く「不本意非正規」の者が多いとみられる。同様に、(結婚後に家事や育児等を優先すべく非正規雇用で働いている者はともかく)「不本意非正規」で働く民間の女性雇用者についても、不安定な身分であることや所得の低さなどが子どもを持ちにくくしている可能性が高そうだ。出生率改善のためには非正規教職員を含めた非正規雇用者の待遇改善も必要だろう。
東大教授のごにょごにょが話題だが、千葉大学の学長のごにょごにょも話題にして欲しい。
2023年11月に千葉大学学長が急死したため、新学長の選考が急遽行われることになった。
全体の流れを簡単にまとめると次のような感じ。
③結果、人文系の教授が最多得票(554票)。2位は446票で医学系①氏、3位は350票の医学系②氏となった。
④教員や学外の委員で作る選考会議で、聴取の結果を踏まえた学長選考が行われた。
⑤選考の結果、「学内意向聴取」で2位だった医学系①氏が学長に決定した。
⑥複数の学部・大学院がキレて、声明や意見書、質問書を出した。
⑦大学側はだんまり。回答期限を過ぎてからようやくしょぼい説明っぽいものが公表された。
⑧風化される←イマココ
今、新大学長になった医学系①氏はコミュニケーションの一環として、1ヶ月に1回のペースで全教職員・学生宛に一斉メールを送っている。(メールの内容は小学校とかで配られるような「学校だより」みたいな感じ。まぁまぁ長い)
本当におかしいと思う。
[B! 大学] 東京電機大学生、生協で取り寄せたらどんな本も1割引きになると凌辱物のエロ漫画を購入→大学「学内で調査を行っております。調査後、大学として厳重に対処いたします。」
いちいち引用しないが、事実を誤認した大量のゴミブコメがトップに並んでいる。
「生協でエロ本を買うのは制度の悪用であり、お目こぼしがなくなりルールの厳格化を招く」? 全くのデマである。
書店でなぜ原則本を値下げできないのかというと、日本には「再販制度」、製造元である出版社が決定する定価を書店は変えてはならない、という業界慣行があるからだ。
だが、この形態の取引方法は、独占禁止法において明示的に禁止されている。
第二条⑨ この法律において「不公正な取引方法」とは、次の各号のいずれかに該当する行為をいう。
四 自己の供給する商品を購入する相手方に、正当な理由がないのに、次のいずれかに掲げる拘束の条件を付けて、当該商品を供給すること。
イ 相手方に対しその販売する当該商品の販売価格を定めてこれを維持させることその他相手方の当該商品の販売価格の自由な決定を拘束すること。
ロ 相手方の販売する当該商品を購入する事業者の当該商品の販売価格を定めて相手方をして当該事業者にこれを維持させることその他相手方をして当該事業者の当該商品の販売価格の自由な決定を拘束させること。
我々の生きる資本主義社会というのは、市場での公正で自由な競争を大原則とするものであって、価格決定権は小売業者が持つべきものである。価格統制を行い、小売業者同士の競争を禁止するなぞ以ての外である。
このような掟破り行為が出版業界でおおっぴらに行われているのは、独禁法の23条4項に、著作物の発行事業者による正当な行為であれば、独禁法を適用しないという例外が定められているからだ。
なぜこのような特権が認められているのか? 独禁法の教科書を開いてみよう。
著作物に係る法定再販制度の趣旨は,必ずしも明らかではないが,戦前からの定価販売の慣行を追認したものとされている。また,著作物の種類ごとに,例えば,新聞については戸別配達の維持,書籍・雑誌については多様な出版物の発売や書店での展示販売の確保といった説明が後付け的になされているが,再販行為の必要性とは必ずしもつながらないと思われる。(『条文から学ぶ独占禁止法 第3版』p271)
「趣旨は必ずしも明らかでない」「戦前からの定価販売の慣行を追認したもの」「説明が後付的になされているが、再販行為の必要性とは必ずしもつながらない」なかなかボロクソな書きぶりではないか。
当然「商慣習の追認」なる貧弱な理由で、大原則を曲げていいはずがない。再販制度廃止の動きはこれまでも何度もあった。今もなお現存しているのは、廃止の動きがあるたびに既得権益を守りたい新聞業界が大々的に抗議キャンペーンを行い揉めに揉めたからである。政治的駆け引きの末の「お目こぼし」によって成り立っている制度なのだ。
新聞業界という第四の権力がバックにある以上、既得権益を廃止するのは難しい。されど、お目こぼしをいいことに既得権益を拡大しようとする、出版業界のイキり行為には公正取引委員会は否を突きつけ続けてきた。
1990年代を通して喧喧諤諤の大戦争となった再販制度廃止論争は、2001年公正取引委員会による「当面再販制度を存置するのが妥当」という停戦宣言により一応の終結を迎えた。
事実上の勝利にイキった出版業界が次に目をつけたのがポイントサービスの禁止である。
確かに、再販価格維持契約で定価販売を義務付けても、ポイント還元がOKであるならば、事実上値引きと言っていい。「本はどの本屋でも同じ価格」というカルテルを侵す存在であり、再販制度に当面のお墨付きを得た出版業界が禁止を目指すのは当然の成り行きであった。
されど原理原則に戻れば、現状の再販制度さえ、政治的判断による苦渋の決断として認められているにすぎないのである。
出版業界の舐めた振る舞いに激怒した公正取引委員会は、ポイントサービス禁止運動を行う業界団体に対し、「事業者団体による共同行為を禁止する」独占禁止法第8条違反を宣告。
結果、業界団体の会長は責任をとって辞任、クビを差し出して詫びる羽目になった。
ポイントサービス禁止論争で争点となったのは、1%程度のごく低率のポイントサービスであったが、
現在では、アマゾンやヨドバシなどの大手通販サイトを見れば、条件付きではあれど12%ポイント還元だとか10%ポイント還元だとか、大幅な値引きを行っている。再販価格維持契約?なにそれおいしいの?の域である。
しかし再販制度自体がお目こぼしの例外である以上は、再度「ズルいからやめろ」とヤブをつついて蛇を出したくないというのが業界の考えだろう。
再び公正取引委員会の逆鱗に触れ、今度はアマゾンの政治力を背後に一気に再販制度廃止まで持っていかれるかもしれないのである。
この事例からわかるように「イキり行為」に気をつけなければいけないのは消費者である大学生ではなく、売り手である出版業界側であって、ブクマカの認識はまったくあべこべなのだ。
ここまで述べた再販制度の縛りを、大学生協は負っていない。これは独禁法第23条5項が生協を例外の例外の1つとして指定しているからである。
つまり、書籍は例外として再販売価格を拘束する契約を結んでよいが、その例外として生協には通常の取引と同様に、再販売価格の拘束契約を結んではならないということである。
ブクマカが勝手にでっち上げていう「学業目的の特例」とかそんなものではない。実際、書籍の割引は一般の生活協同組合(例えばコープこうべ)でもおこなわれていることだ。
再販制度という大本の例外が設けられた理由を再確認すると「商慣習の追認」が定説である。ただこの理屈では再販制度は生協のみならずすべての事業者において廃止すべきという結論しか導かれない()。
なので百歩譲って少数説である出版業界のポジショントークを参照すると、再販制度なしには、書店が理念を見失い利益至上主義に陥り売れ筋の俗悪本のみが蔓延る世界になるから、らしい。
しかしこの捏ねくりだ出した理屈ですら生活協同組合に適応することはできない。生協は、利益を目的としない消費者どうしの相互共助団体であるからである。
利益の追求のために消費者に不利益を与える行為は法律で禁止されており、また組合員が持つ平等な議決権及び選挙権によって効果的に阻止される。再販制度の容認などという副作用の大きな例外を認めるだけの意義はどうあがいても見出すことができない。
前節では、大学生協で書籍が割引が「可能」である理由を述べたが、愚かなブクマカは「大学生協は学生の学業を支援するためにあるのだから、制度上可能であってもエロ本については割り引くべきではない」などと言うかもしれない。
しかし大学生協の目的なぞをでっちあげたいならば、まず定款を見るべきだ。
第1条 この消費生活協同組合(以下「組合」という。)は、協同互助の精神に基づき、組合員の生活の文化的経済的改善向上を図ることを目的とする。
(事業)
第3条 この組合は、第1条の目的を達成するため、次の事業を行う。
(1)組合員の生活に必要な物資を購入し、これに加工し又は生産して組組合員の生活に必要な物資を購入し、これに加工し又は生産して組合員に供給する事業合員に供給する事業
(2)組合員の生活に有用な協同施設を設置し、組合員に利用させる事業
というか名は体を表すというように、大学生協とは生活、「大学に属するすべての人つまり大学生/大学職員/教職員の生活」を共助する団体である。役割は学業に限られない、当然娯楽を提供することも含まれるのである。
書籍の割引販売は、それが教科書であろうと、学術書であろうと、コミックであろうと、エロ本であろうと
に一律で含まれるであろう。
(追記:id:worris 氏のブコメより、誤りの指摘があった。書籍は第3条第1号「組合員の生活に必要な物資」である。つまるところ、生協の言う「生活に必要な物資」とは日常用語の生活必需品より広い概念であり、娯楽を含むのだろう。論旨の変更は必要ない。)
もちろん、娯楽の提供は大学生協の役割に含まれると言っても、程度問題は存在する。
生協の資金力にも労働力にも限界は存在するのだから、何にリソースを投じれば「組合員の生活の改善及び文化の向上」を達成できるか、取捨選択が必要になる。
決めるのは、一人ひとり議決権あるいは選挙権を持つ、組合員である。
ブクマカは「イキるとお上のお怒りを買うぞ」という論調であるので、決定権が生協のおえらいさんとか大学経営陣とかにあるように勘違いしているように見受けられるのだが、事実は全くの逆なのだ。
組合員自治の原則を念頭に置いた上で、なぜ本が一律割引されるのかを考えてみよう。
大学生とは多くの人にとって人生で一番本を読む時期である。これは今年『何故働いていると本が読めなくなるのか』という新書がベストセラーになったことでもわかることである。
そして生協は再販価格拘束契約で縛ることのできない例外的な存在として、彼ら組合員に独自の価値を提供できる。
そう考えると書籍の一律割引販売で、組合員の合意がまとまるのは、ごく自然ななりゆきである。
仮に「娯楽本は除外」とか「教科書のみ割引」とかいう制度になったならば、利益を得る層が組合員の中で偏ってしまう。みんながWin-Winになる制度こそが、民主主義的な議論で選ばれるものである。
紙の本をほとんど買わない組合員からすれば、事業資金は「書籍を10%引きで売る」ことより「生協食堂のメニューを1品増やす」方に費やしてほしいことだろう。
「学術書読んでる同級生は応援したいけど、エロ本はな……」と彼らの票が離れることは、あり得る展開ではあるかもしれない。
しかしエロ本を割引販売することで、大学生協は何ら損をしていないことにも留意が必要である。むしろ、大学生協は新たな顧客層を開拓することで利益を得て、他の事業へ投資可能な資金を増やしたと言える。
「割引率が10%であるべきか5%であるべきか」は難しい経営判断であり組合員間での真摯な議論が求められるところであるが、割引中止とか販売停止とかになると誰のトクにもならない論上に上げるまでもない愚論なのだ。
なお大学生協に客を取られなければ、定価でエロ本を1冊売ることができたであろう一般書店は損をしたといえるが、再販制度というお目こぼしに守られているものが「ズルイ!」なんて言える立場にないことは先に述べたとおりだ。
大学生の行為を「バカッター」とか「バイトテロに等しい」だとか意気揚々と名誉毀損行為を行うブクマカたちは、
実際は、自分たちがこそが大学生協の役割を勝手にでっち上げたイキりバカブクマカであり、はてなというプラットフォームの名誉を大いに傷つけるブコメテロであることを認め、真摯に謝罪すべきである。
そして、大学生協の役割を学業目的だと誤解する人がここまで多いという事実は、「生協ではどんな本でも割引される」ということを声高く啓蒙する意義を証明している。
2024年6月に成立した日本版DBS。学校や保育園などの職員や職員希望者の性犯罪の前科を調べることを義務付ける制度です。
性犯罪者が子どもたちに近づけないようになる。なんかすごくいいことのように聞こえる。
でもふと疑問に思った。
「日本版DBSって本当に児童への性犯罪を減らせるの?というか他人が前科を調べられるような制度を作っていいの?」
一応言っておくと、私自身は性犯罪の前科前歴はない(というか前科自体ない)。だから日本版DBSができたとて、メリットはあれど困ることは一切ない。
でもどうしてもモヤモヤするので、そのモヤモヤの原因も含めて色々と思うことを書いていきたい。
※実際書いたらめっちゃ長くなったので、モヤモヤの原因は別の日記にまとめました。
そもそも再犯率が低ければ、対象者も少なくなります。当然、日本版DBSの効果も期待できなくなります。
ところで性犯罪全体については、すでに↓である程度議論しつくされています。
ちなみにデータはほとんど平成27年度 犯罪白書がソースです。なぜ平成27年度かというと、この年に性犯罪の特集があって、色々なデータが公開されているから。
https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/mokuji.html
性犯罪、特に子供に対する性犯罪は何度も何度も繰り返し行う、いわば依存性のある犯罪であるというイメージはないだろうか。
もし依存性のある犯罪であるならば、再犯率は当然高くなる。そこで再犯率を確認したい。
小児強姦型…約5.9%
https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_4_4_2.html
最も再犯率が高いのは痴漢型で36.7%にもなる。他の性犯罪類型と比較しても、子供への性犯罪が再犯率が高いとは言えない。
残念ながら性犯罪以外の犯罪の再犯率のデータは見つけられなかった。
だが子ども家庭庁の「「性犯罪の再犯に関する資料」で下記の記載があったから、おそらく他の犯罪と比較しても、子供への性犯罪の再犯率が高いとは言えないだろう。
「一般的に、再犯を繰り返すことが多いと認められる他の犯罪として、薬物犯や窃盗犯が主に挙げられる。これらの犯罪より再犯率が高いわけではないとしても…」
つまり再犯率は「犯罪者が未来において、犯罪を行うか?」を見る指標です。繰り返し同じ犯罪を行うと、再犯率は上がります。
それに対し再犯者率は「犯罪者が過去において、犯罪を行ったか?」を見る指標です。再犯率が高い場合や初犯が減ると、再犯者率は上がります。
日本版DBSは再犯を防ぐ目的なので、本来は再犯率を見るべきだと思います。
一方でもし性犯罪の再犯者率が高い(=初犯が少ない)とするならば、再犯防止に力を入れるのは合理的であると言えるでしょう。数の多いところに対して、対策を打つというのが最も効果的だからです。
では再犯者率はどうか。
小児わいせつ型…14.6%
https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_4_3_3.html#n2_6_4_3_3_2_03
85%以上は性犯罪の前科がなかったようです。再犯者率は高いとは言えません。
ちなみに刑法犯全体の再犯者率は47.9%なので、他の犯罪と比較しても高くないです。
https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/70/nfm/n70_2_5_1_0_1.html
いくら再犯率が少ないといっても、再犯者のうち教職員の占める割合が高いなら、日本版DBSは効果的かもしれない。
ところが性犯罪者の教職員の占める割合なんてデータは見当たらなかった。せめて子供がどういう経路で犯罪の被害を受けたのか(SNS、親、見ず知らずの人、教員)というデータがあればよかったのだが、見つからない。それに、そろそろ探す気力もそろそろ尽きてきた。
一応、公立の小学校~高校までの教職員の懲戒処分等の状況はあった。
「児童生徒等に対する性犯罪・性暴力により懲戒処分を受けた者は96人」
https://www.mext.go.jp/content/20221222-mxt-syoto01-000019570_00.pdf
……いや結構多いやんけ。
まあ全教員数のうち0.02~0.01%くらいなので、割合としては少ないのですが。教員だけが再犯率が高いとは考えにくいから、小児わいせつ型で約10%の再犯率になるだろう。96人の内、10%なので約10人。
日本版DBSで防げるのは、この10人の内、再び教員に就こうとした者のみ。ということは、防ぐことができる再犯者の数は数人程度ということになる。
ちなみにこの懲戒免職は「強制性交等、強制わいせつ、児童ポルノ法第5条から第8条までに当たる行為、公然わいせつ、わいせつ物頒布等、買春、痴漢、のぞき、陰部等の露出、青少年保護条例等違反、不適切な裸体・下着姿等の撮影(隠し撮り等を含む。)、わいせつ目的をもって体に触ること等」をした人が対象になっています。肌感覚でしかないですが、盗撮と痴漢が多そうな気がします。
再犯の9割は20年以内に起こっています。だから日本版DBSで確認できる前科の期間も20年なんですよね。
再犯率を調べる時に、5年ではなく、調査期間を20年まで伸ばすとどう変化するのか分かれば、もっと性犯罪の再犯実態が見えてきそうな気がしました。
残念ながら、20年まで伸ばしたデータはついぞ見当たらなかったのですが、5年未満でも、5年以上10年未満でもほとんどその割合は変わらないから、おそらく再犯率は20年まで伸ばしても変わらなさそう。
以上、調べたデータたちでした。
理由①そもそも再犯率が低いから、性犯罪の前科者を弾いても、犯罪は減りにくい
理由②小児への性犯罪は再犯者の占める割合が低い。つまり初犯の方が圧倒的に多いから、たとえ日本版DBSで性犯罪者の前科のある者を弾いたとしても、効果は薄い
↑に加えて、日本版DBSの対象者は「教職員」に限定される。これでは対象者が少なすぎて、効果を出しようがない。
日本版DBSは水が下に落ちるの止めるために、ザルを使っているようなものだ。目が粗すぎて、ごく一部しかふるいに引っかからない。
ちなみに「だから再犯防止策を講じなくていい」とか「日本版DBSはいらない」とか言うつもりはないです。子供への性加害は深刻な被害をもたらすので、根絶を目指した方がいいと思っています。
ただ日本版DBSが再犯防止策である以上、再犯率の低い犯罪に対しては効果的ではなく、相変わらず教育現場では性犯罪が起き続けることになるだろうなあと。
冒頭に書いたように性犯罪者が子どもと関われないようにする、という意見は一見すごく正しく聞こえます。だから日本版DBSのような法律を作ることに誰も反対しない。むしろ、この法律を作った政治家の評判は上がり、親や学校経営者は喜ぶ。その正しそうという感覚こそが罠で、効果がないのにやっている感、対策している感が出てしまう。
でも相変わらず性犯罪は起き続けるから、子どもたちだけは苦しむことになる。
世知辛いなぁ…。
この日記では「小児」に対する「強制わいせつと強姦」のみ検討している。
13歳~17歳以下については、その年代を抜き出したデータはないので、詳しく調べることは出来ない。調べるとするなら、大人の女性も含めたデータで再犯率・再犯者率を調べる必要があるだろう。
圧倒的に再犯率が高いのは痴漢型であるが、通常、教育現場において痴漢型の犯罪が発生するとは考えにくい。なので日本版DBSについて考える時には痴漢型は考慮する必要はないだろう。
その次に再犯率が高いのは盗撮型で、これは教育現場でも発生し得る犯罪だろう
※ここでいう盗撮型は条例違反のみが対象。学校のトイレや更衣室で盗撮をして裸体が映っていた場合、児童ポルノ法違反になるのでここではカウントされない。
確かにこの部分については日本版DBSが一定程度効果を発揮するかもしれない。
だが盗撮を防ぐために、性犯罪の前科を調べるという手法は合理的であるとは思えない。教室内に防犯カメラを設置するというやり方の方がよほど効果は高いだろう。
教室内で着替えをする場合は、そこを狙われやすくなるだろうから、更衣室での着替えを徹底する、更衣室とトイレの入口に防犯カメラを設置するというやり方が学校・学習塾などにおける盗撮型の犯罪防止には効果的ではないか。
まずFラン大が職業訓練校というのは概ね同意。真面目な学生は国家資格や公務員試験の勉強に4年間の大半を捧げる。
しかし資格取得に懸ける学生達の熱意はハンパじゃない。なぜなら彼らの過半数は奨学金を受け取っており、卒業後に手堅い職業に就かなければ返済の目処が立たないからだ。
大学側は国家試験合格率◯%をウリにして入学生を募っているので、教職員も休日返上で補講や特別講座を組み、一人でも多く合格者を出そうと必死である。
もちろん部活のスポーツ推薦を利用し、中高とまったく勉強してこなかった学生も入学してくる。彼らは本当にびっくりするくらい一般教養が身についていない。
しかしもし村上春樹を知らない、WordやPDF文書が印刷できない、自分の考えを順序立てて説明できない、ですます調で文章が書けない学生が、このまま新卒として社会に進出したらいったいどうなるのだろうか。想像しただけでゾッとする。
Fラン大学は≒職業訓練校であると同時に、親や教師に守られ甘やかされてきた学生を最低限使える人材として育て上げ、社会に放流する場である。
(なお私大の創業者一族が私服を肥やしているのは本当。理事会のお友達にはお金をばら撒くくせに、教職員の給与は雀の涙である)