近鉄田原本線1・西田原本駅
奈良県田原本町の「西田原本駅」と、奈良県王寺町の「新王寺駅」を起終点とする「近鉄田原本線」の各駅を途中下車して探索してみる。
この路線は、どの線路とも合流しない独立した路線である。
先ずは、「近鉄橿原線」の西側にある「西田原本駅」である。
「近鉄橿原線」の「田原本駅」で下車し、ロータリー脇を西へと進むと、「西田原本駅」がある。
乗車は後程にして、ロータリーの「西田原本駅」側を南へと進む。
そして駅の南を西方向へと進む。
県道を南下し、直ぐに右折し、街中の道路を西へと進む。
「薬王寺」と云う住所地である。
古代から室町時代にかけて、大きな集落があったとされているところである。
途中から北へと進むと、「蓮休寺」と云う寺院がある。
江戸時代後期の開基ではあるが、かつてこの場所で「蓮如上人」が休息したとの標柱も建っている。
北西方向へ少し行くと「八幡神社」がある。
大きな楠が目印である。
「拝殿」の裏側は「本殿」である。
神社名は不明であるが、小祠も祀られている。
そして大楠である。
胴回り約6m、樹高約30m、そして樹齢は約550年とのことである。
大楠を後に、北へと進む。
途中、県道渡り、北へと進む。
この道路は、「聖徳太子」が飛鳥と斑鳩を往復した「筋違道」とされている。
神社の杜があり、手前には濠が形成されている。
「保津」の環濠集落である。
環濠集落の中の道を辿ると、神社の鳥居が見えて来る。
神社は「式内社(論社) 鏡作伊多神社(保津)」である。
鳥居を潜ると左手に「拝殿」「本殿」が祀られている。
「本殿」は北本殿と南本殿の2棟ある珍しい構成である。
祭神は、「石許利止売命(いしこりどめのみこと)」とされている。
そしてこの神社は、物部姓の「保津氏」が祖神を祀ったと推測されている。
集落内を北へと進む。
環濠集落の北側の道路の向こうに神社の玉垣が見える。
そして右手に池がある。
池畔の道路を回り込むと、北向きに神社の社頭がある。
「式内社(論社) 鏡作伊多神社(宮古)」である。
鳥居を潜ると正面は西向の「拝殿」である。
背後には「本殿」が祀られている。
祭神は、先の保津の神社と同じ「石凝姥命(いしこりどめのみこと)」とされている。
この神社は、古代、この地の氏族である「三宅連」が祖神を祀ったものとされている。
境内社がある。
覆屋の中に、「水乃神社」、「住吉神社」、そして「稲荷神社」である。
神社を後にして、南下する。
池畔を通り、保津の環濠の東側の道を進む。
途中、西側に先ほどの保津の「鏡作伊多神社」の杜が見える。
そして進んで行くと、「薬王寺」との間の県道へと出る。
県道の北側には「県立磯城野(しきの)高校」がある。
そして、県道は右にカーブして、駅へと近づく。
「西田原本駅」の改札を入り、えきの外を眺め、始発の「新王寺」行きの電車に乗ったのであった。
この路線は、どの線路とも合流しない独立した路線である。
先ずは、「近鉄橿原線」の西側にある「西田原本駅」である。
「近鉄橿原線」の「田原本駅」で下車し、ロータリー脇を西へと進むと、「西田原本駅」がある。
乗車は後程にして、ロータリーの「西田原本駅」側を南へと進む。
そして駅の南を西方向へと進む。
県道を南下し、直ぐに右折し、街中の道路を西へと進む。
「薬王寺」と云う住所地である。
古代から室町時代にかけて、大きな集落があったとされているところである。
途中から北へと進むと、「蓮休寺」と云う寺院がある。
江戸時代後期の開基ではあるが、かつてこの場所で「蓮如上人」が休息したとの標柱も建っている。
北西方向へ少し行くと「八幡神社」がある。
大きな楠が目印である。
「拝殿」の裏側は「本殿」である。
神社名は不明であるが、小祠も祀られている。
そして大楠である。
胴回り約6m、樹高約30m、そして樹齢は約550年とのことである。
大楠を後に、北へと進む。
途中、県道渡り、北へと進む。
この道路は、「聖徳太子」が飛鳥と斑鳩を往復した「筋違道」とされている。
神社の杜があり、手前には濠が形成されている。
「保津」の環濠集落である。
環濠集落の中の道を辿ると、神社の鳥居が見えて来る。
神社は「式内社(論社) 鏡作伊多神社(保津)」である。
鳥居を潜ると左手に「拝殿」「本殿」が祀られている。
「本殿」は北本殿と南本殿の2棟ある珍しい構成である。
祭神は、「石許利止売命(いしこりどめのみこと)」とされている。
そしてこの神社は、物部姓の「保津氏」が祖神を祀ったと推測されている。
集落内を北へと進む。
環濠集落の北側の道路の向こうに神社の玉垣が見える。
そして右手に池がある。
池畔の道路を回り込むと、北向きに神社の社頭がある。
「式内社(論社) 鏡作伊多神社(宮古)」である。
鳥居を潜ると正面は西向の「拝殿」である。
背後には「本殿」が祀られている。
祭神は、先の保津の神社と同じ「石凝姥命(いしこりどめのみこと)」とされている。
この神社は、古代、この地の氏族である「三宅連」が祖神を祀ったものとされている。
境内社がある。
覆屋の中に、「水乃神社」、「住吉神社」、そして「稲荷神社」である。
神社を後にして、南下する。
池畔を通り、保津の環濠の東側の道を進む。
途中、西側に先ほどの保津の「鏡作伊多神社」の杜が見える。
そして進んで行くと、「薬王寺」との間の県道へと出る。
県道の北側には「県立磯城野(しきの)高校」がある。
そして、県道は右にカーブして、駅へと近づく。
「西田原本駅」の改札を入り、えきの外を眺め、始発の「新王寺」行きの電車に乗ったのであった。