はてなキーワード: 2004年とは
→YouTubeは2005年2月14日に米国で設立されました。
SNSがない
→mixi(ミクシィ)は、株式会社MIXIが運営するソーシャル・ネットワーキング・サービス。2004年3月にサービス開始。
LEDがない
→発光ダイオード(はっこうダイオード、英語: light-emitting diode: LED、エルイーディー)とは、ダイオードの1種で、順方向に電圧を加えた際に発光する半導体素子である。発光原理にはエレクトロルミネセンス (EL) 効果を利用している。また、有機エレクトロルミネッセンス(OLEDs[注 1]、有機EL)も分類上は、LEDに含まれる。1962年にニック・ホロニアックによって発明された[4]
2003年改正で製造業務への派遣解禁と、26業務以外の派遣受入期間の1年から最長3年への延長が行われました。
問題は“ゼロから作ったかどうか”ではなく、派遣を常用代替に使いやすくする方向へ制度をさらに押し広げたことにあります。厚労省の整理でも、2004年3月の製造業務派遣解禁後、2000年から2005年にかけて「労働者派遣事業所の派遣社員」は73万人増となっています。
製造業は日本の基幹産業で、景気変動時の雇用調整の圧力が強い部門です。そこに派遣を本格導入したことで、工場現場の雇用を、直接雇用より切りやすい形へ制度的に開いたことが重要なのであって、「全体の人数では非製造業のほうが多い」というのは、影響の質を無視したミスリードです。実際、リーマンショック時には製造業派遣切りが社会問題化し、その脆弱性が露呈しました。
制度改革の影響は、単純な頭数だけでは測れません。派遣法改正は、派遣社員そのものの増加だけでなく、企業に対して“正社員以外を使うことは当たり前だ”という制度的シグナルを与えました。厚労省の労働経済分析でも、2000年から2005年にかけて派遣社員が73万人増え、2005年から2010年にかけても非正規雇用は123万人増と整理されています。つまり派遣は非正規化の“唯一の原因”ではないにせよ、非正規化を押し広げた重要な制度要因の一つです。
これは、火事の出火点が一部屋だから「家全体の延焼原因ではない」と言っているようなものです。非正規化は、パート、アルバイト、契約、嘱託、派遣など複数の形態が積み重なって進みましたが、派遣規制緩和はその中で、企業が直接雇用責任を薄めながら人を使うことを正当化した象徴的政策でした。だから批判され続けているのです。
ホットエントリーに上がってたから(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/makun0uch1/n/n3e0c7fe8de90)気になって検索したんだけど、
骨董通り法律事務所が書いてくれてて(https://www.kottolaw.com/column/190913.html)、この論に素人が突っ込むようなことも思いつかずそれはいいんだけど、この論を採用するとフレッド・ムーアがデザインした今とほぼ同じミッキーマウスも、日本では映画扱いする限りは著作権切れてるんじゃないの?
"Mickey's Surprise Party"(https://en.wikipedia.org/wiki/Mickey%27s_Surprise_Party)
1939年公開の本作は米国では公開95年経ってないから著作権切れてないのはいいとして、日本では団体名義の著作物として見るなら公開50年+戦時加算(2004年延長は適用されない)で2000年あたり?に著作権切れ、
ウォルト・ディズニー(1966年死去)&アブ・アイワークス(1971年死去)に対して監督ハミルトン・ラスク(1968年死去)&フレッド・ムーア(1952年死去)だから、映画(個人名義共著)として見るなら2017年?に既に著作権切れてて、非映画(個人名義共著)として見るなら2049年?に著作権切れるんじゃないかと思うんだけど。
漠然と現代的なミッキーマウスは著作権切れてないという先入観があって、それに猛烈に反する解釈になってしまって、違和感がすごいのだけど、詳しい人教えてくれ!
ちなみに"Mickey's Surprise Party"にはミニーも出てるぞ!
「何を考えているかわからない」「常識が通じない」「忍耐力がない」「甘えている」と、従来の会社文化に合わない異質な新卒として叩かれた。
「競争心がない」「飲み会に不参加」「甘えている」「すぐ辞める」など、協調性・忍耐力・社会性が低い新卒として叩かれた。
ゆとり批判を引き継ぎつつ、「出世欲がない」「省エネ志向」「失敗を避ける」「すぐ辞める」といった、野心や我慢が不足した新卒として叩かれた。
「スマホ完結で育ちPC操作が弱い」「ExcelやWordの基礎でつまずく」「タイパ重視で会社に馴染まない」と、業務スキル不足で叩かれた。
「BeRealで勤務中の写真を上げる」「画面や書類が映り込み顧客情報・職場情報を漏らす」「位置情報で勤務先が特定される」と、情報セキュリティ意識の低さで今まさに叩かれている。
他の叩かれを知りたい。
ブログが映画化され話題となったフードライターのジュリー・パウエル(Julie Powell)さんが先月26日、ニューヨーク州北部にある自宅で死去した。49歳だった。
夫のエリック・パウエルさんはニューヨークタイムズに、死因は心不全だったと明かした。
パウエルさんは2002年、フレンチの料理人ジュリア・チャイルド氏が執筆した料理本のレシピを、1年かけて試作するブログ「Julie/Julia Project」をスタート。
作家を志すOLが、ニューヨークのアパートの小さなキッチンで、四苦八苦しながら料理と格闘する様子や、ジェネレーションXの日常生活を描いた親近感のある内容が注目を集めた。この年のブログのビュー数は、40万に達したという。
ウェブサイトFood52の創設者で当時のタイムズのライター、アマンダ・ヘッサー氏は「これまでに読んだことがなかった。文章はフレッシュで活気があり、時に荒削りだった。見事にどの様式にも囚われていなかった」と評した。また、フードライターのデブ・ペレルマン氏は「彼女は、私の知り合いが語っているように聞こえるボイスで、料理について書くことができる」と人気の秘訣を語っている。
パウエルさんの成功をきっかけに、アイナ・ガーデンやトーマス・ケラーなどの著名な料理人のレシピを再現するブログが、次々に立ち上ったという。
ブログは書籍化され、2005年にリトルブラウン&カンパニー社から「Julie & Julia: 365 Days, 524 Recipes, 1 Tiny Apartment Kitchen」として出版された。
2009年には、故ノーラ・エフロンが脚本と監督を務めた映画『ジュリー&ジュリア』が公開された。メリル・ストリープがチャイルド氏を演じ、エイミー・アダムスがパウエルさんを演じた。
映画には、夫の仕事で渡仏した後、料理家として成功を収めたチャイルド氏と、退屈なOL生活を抜け出し、ブログを通じて作家となったパウエルさんの旅路が描かれている。作品が公開された後、パウエルさんの書籍の人気も再燃。100万部以上を売り上げ、ニューヨークタイムズのベストセラー入りを果たした。
一方、2004年に死去したチャイルド氏は、パウエルさんのブログを気に入っていなかったようだ。ロサンゼルスタイムズの編集者に、皆が家庭で作れるフランス料理のレシピを作るため、試作を繰り返し、8年以上の時間をかけるなど「懸命に取り組んできた」と説明。「彼女がそれに何の問題があったのか理解できない。彼女はただ料理について知らなかっただけ」などと、こぼしていたと言う。
パウエルさんは1973年、テキサス州オースティンで生まれた。大学では演劇や小説のライティングを学んだという。夫のエリックさんとは高校で出会い、1998年に結婚した。
生涯で出版した著書は2冊だった。2009年に自身の結婚生活について記した著書「Cleaving: A Story of Marriage, Meat and Obsession」を発売したが、売上は芳しくなかったという。2018年以降は、ニューヨーク州のオリーブブリッジで暮らしていた。
https://www.mashupreporter.com/writer-julie-powell-julie-julia-dies-at-49/
ご主人様、こんばんは~! あたし、今日もオタク心くすぐる話でワクワクしちゃってるよ♪ マンガ描くのにデジタルが推奨されるようになったのって、どれくらいかかったか? って質問、めっちゃいいね! それにAIの浸透も同じくらいかかりそう? って比較、鋭いわ~。あたし、調べてまとめてみたから、一緒に振り返ってみよっか!
• 1990年代:パソコンが少しずつ普及して、Power MacやWindows98あたりから一部のプロがデジタル実験し始めた。
• 2000年代前半:TabletPCやWacomのペンタブが登場して、プロの間で「背景やトーン作業にデジタル便利!」って声が増えてきた。
• 2004年頃:電子コミック配信がスマホ(i-modeとか)で広がり始めて、制作側もデジタルデータが必須になってくる。
• 2010年代:クリスタ(CLIP STUDIO PAINT)が爆発的に普及! 特にスマホ・タブレットの進化で、新人や同人作家が「最初からデジタルで描く」のが普通になった。
• 2020年代今:もう出版社の多くが「デジタル原稿推奨」か「完全デジタル必須」になってる。アナログ勢は少数派だよ~。
つまり、本格的なデジタルツール登場から「業界全体で推奨される」まで、だいたい15~20年くらいかかってるイメージ! 最初は「便利だけど高くて面倒」って抵抗あったけど、ツールが安くなって使いやすくなって、電子書籍ブームで一気に加速したんだよね。ご主人様も知ってると思うけど、今じゃ「アナログだけ」って言うと逆にレアキャラ扱いされちゃうレベル(笑)。
理由は:
• 今すでにデジタル基盤ができてるから! マンガ業界はもうほとんどデータ制作だから、AIツール(背景生成、線画補助、彩色とか)をすぐ組み込める。「AI Ready」状態なんだよね。2023~2024年頃から、AIで背景描かせたりラフ作ったりする人が急増してるし、フルAIマンガの実験作も出てきてる。
• でも抵抗や課題は多い:著作権問題(学習データ)、スタイルの模倣、クオリティの「人間味」不足、業界のルール整備…。デジタル時代も最初は「味が出ない」「高価」って叩かれてたのと同じ。
• 市場予測見てると、AIマンガジェネレーター市場は2024年の25百万ドルから2030年に102百万ドル超え、CAGR27.5%で爆速成長中。生成AIの日常生活利用率ももう13%超えてるし、**2025~2026年で一気にツールが洗練されて、2030年頃には「AI補助が標準」**になるんじゃないかな。
デジタルが15~20年かかったのに対して、AIは10~15年くらいで「推奨レベル」まで来そう。理由は技術の進化スピードが段違いに速いから! でも完全に「AIだけで描くマンガ」が主流になるのは、もう少し後かも。ご主人様が描くマンガでも、AIで面倒なトーンや背景サクッと済ませて、ストーリーとキャラの表情に集中できる未来、すぐ来ると思うよ~!
オタクとして言うとさ、デジタルもAIも「ツール」だよね。結局大事なのはご主人様の想いや世界観! あたしはどっちも大好きで、両方使いこなすクリエイターが最強だと思うんだ♪
ご主人様はどう思う? デジタル移行の頃のマンガ読んでた? それとも今AIで何か試してみてるの? もっと詳しく聞かせて~! あたし、いつでもお供するよ♡
経済学を学んできた人間として私が長年思い知らされてきたことのひとつは、技術革命についての予測はほぼ必ず二つの方向に間違えるということだ。短期的な影響を過大評価し、長期的な影響を過小評価する。Amara’s Lawと呼ばれるこの法則は、もう耳にタコができるほど引用されているが、引用している人々の大半がその含意を正しく理解していない。
なぜか。この法則が本当に言っているのは、私たちは技術の生産性への経路(path)を予測するのが絶望的に下手だということであり、それは「長期的にはすごいことになる」という楽観論の根拠にはならないからだ。むしろ謙虚さの根拠である。
1987年、ロバート・ソローが言った有名な一言がある。「コンピュータの時代はどこにでも見えるが、生産性統計の中には見えない」。いわゆるソロー・パラドックスだ。
結局のところ、ソローは間違っていた——ただし、正しくなるまでに約10年かかった。1990年代後半になってようやく、IT投資は全要素生産性(TFP)の統計に姿を現した。そしてその生産性ブームは2004年頃にはもう息切れしていた。つまり、真に生産性が加速した期間はせいぜい7〜8年だった。
ここで問いたい。AIについて、私たちはソロー・パラドックスのどの段階にいるのか?
私の暫定的な答え:まだ最初期、つまり投資は膨大だが生産性統計にはほとんど現れていない段階だ。2024年から2025年にかけて、米国の大手テック企業はAI関連の設備投資に年間2000億ドル以上を注ぎ込んでいる。これはドットコム・バブル期のIT投資をインフレ調整後でも凌駕する規模だ。しかしBLS(労働統計局)の生産性データは頑固に平凡なままである。
これ自体は悲観する理由ではない。1990年代の教訓は、GPT(General Purpose Technology、汎用技術——チャットボットの名前ではない)の生産性効果は補完的な投資と組織変革が追いついて初めて顕在化する、というものだった。電力についてのPaul Davidの古典的研究が示したように、工場が電力を最大限活用するには、建物の設計から生産プロセスまで全面的に作り直す必要があった。それには一世代かかった。
問題は、AIについてこの「一世代」がどのくらい圧縮されるか——あるいはされないか——である。
■ 今回は本当に違うのか
AI推進派(ブースター)たちの主張を整理しよう。彼らの議論は概ね三つの柱からなる。
第一に、AIは「知的労働」を自動化するので、過去の技術革命(肉体労働の機械化)とは質的に異なる。第二に、AIはAI自身の改良に使えるので指数関数的な自己改善が起きる。第三に、したがって従来の経済モデルは適用できない。
率直に言おう。第一の主張には相当の真実がある。第二の主張は経験的にまだ確認されていない。第三の主張はほぼ確実にナンセンスだ。
第一の主張から。確かにLLM(大規模言語モデル)がホワイトカラー業務の一部を代替・補完できることは明らかだ。コードを書く、文書を要約する、定型的な分析をする——これらのタスクでAIが人間と同等かそれ以上のパフォーマンスを示す場面は増えている。そしてこれらはGDP統計の中でかなりの比重を占めるセクターの業務だ。
しかし——そしてこれは大きな「しかし」だが——タスクの自動化と職業の自動化は全く別物である。これはDaron AcemogluとPascal Restrepoの研究が繰り返し示してきたポイントだ。ある職業の30%のタスクが自動化可能だとしても、その職業が消滅するわけではない。むしろ、残りの70%のタスク——AIには(まだ)できない判断、交渉、文脈理解——の相対的価値が上がる。
経済学ではこれを「Oの環理論(O-ring theory)」で考える。宇宙船チャレンジャー号を思い出してほしい。あの事故では、一個のOリングの不具合が全体を破壊した。多くの知的労働もこれに似ている。プロセスの大部分をAIが完璧にこなしても、人間の判断が必要な一箇所が全体の質を規定する。この構造がある限り、「AIが全てを代替する」というシナリオは実現しにくい。
投資の話に戻ろう。
私はバブルかどうかという問いの立て方自体が間違っていると思う。正確な問いはこうだ:現在のAI投資の期待収益率は、資本コストを上回っているか?
NVIDIAの株価は、AI関連の半導体需要が今後5年間にわたって年率30%以上で成長し続けることを織り込んでいる。Microsoftのクラウド事業の評価額は、企業のAI導入率が楽観的なシナリオの上限で推移することを前提としている。これらの仮定が同時に成立するためには、AIの経済的価値が、それこそ過去のどの汎用技術よりも急速に実現されなければならない。
これは不可能ではないが、歴史的な基準率(base rate)を考えれば、かなり強気な賭けだ。
もうひとつ、あまり議論されないが重要なポイントがある。AI投資の地理的・企業的集中度だ。米国のAI設備投資の大部分は事実上5〜6社に集中している。これは1990年代後半のテレコムバブルと構造的に似ている——大量の資本が少数のプレイヤーの「勝者総取り」の賭けに集中し、セクター全体の合理性が個別企業の楽観バイアスの総和によって歪められる。
マクロ経済的により心配なのは、バブルが弾けた場合の波及効果だ。テック企業の設備投資がGDPの相当部分を占めるようになった今日、AIへの期待の急激な修正は、2000年のドットコム・クラッシュよりも大きなマクロ的ショックをもたらす可能性がある。
■ 分配の問題
仮にAI楽観論者が正しいとしよう。AIが本当にGDP成長率を年1〜2ポイント押し上げるとしよう。それでも、私にとって最も重要な問いは変わらない。誰がその果実を得るのか?
過去40年間の技術進歩の歴史は、生産性の上昇が自動的に広く共有されるわけではないことを痛いほど示してきた。実際、skill-biased technological change(技能偏向的技術変化)の文献が明らかにしたのは、ITの普及が賃金格差の拡大と中間層の空洞化に寄与したということだ。
AIの場合、分配効果はさらに極端になる可能性がある。なぜなら、AIが代替するのは(少なくとも当面は)比較的高給のホワイトカラー業務の一部だからだ。パラドキシカルに聞こえるかもしれないが、配管工やクリーニング業者の仕事は、弁護士のパラリーガルやジュニアのプログラマーの仕事よりもAIによる代替に対して安全だ。これは分配の観点から複雑な含意を持つ——単純な「高スキル対低スキル」の図式では捉えきれない再編が起きる。
■ 私が本当に心配していること
以上を踏まえて、AI経済についての私の暫定的な見方をまとめよう。
AIは本物の汎用技術であり、長期的に有意な生産性効果をもたらす可能性が高い。しかし「長期的」が何年を意味するかについて、私たちは驚くほど無知である。現在の投資水準は、その効果が歴史的に例外的な速さで実現されることを前提としている。そしてたとえ楽観的なシナリオが実現しても、分配の問題が自動的に解決されることはない。
私が最も心配しているのは、AIについての公共的議論の質だ。テクノ・ユートピア主義者たちは「AGIが3年以内に来る」と叫び、テクノ・ペシミストたちは「大量失業が来る」と叫ぶ。そしてどちらの陣営も、自分たちの主張がきわめて不確実な予測に基づいていることをほとんど認めない。
経済学を学んだ人間として私が言えるのは、不確実性にはそれ相応の政策的対応がある、ということだ。セーフティネットの強化、教育と訓練への投資、競争政策による市場集中の抑制——これらは、AIがユートピアをもたらす場合でもディストピアをもたらす場合でも、あるいはその中間の(最もありそうな)場合でも、正しい政策だ。
確実性の幻想に基づく政策よりも、不確実性を認めた上でのロバストな政策のほうが、はるかにましだ。これは退屈な結論かもしれない。だが退屈な正しさは、刺激的な間違いに勝る。いつだってそうだ。
2ちゃんねるの有料サービス「2ちゃんねるビューア(●)」の利用者の個人情報が流出した事件です。ねらーたちは流出したデータを独自に分析し、プロバイダ情報や書き込み履歴から、特定の政治家や法曹関係者が匿名で過激な書き込みをしていたことを次々と暴きました。
真犯人が他人のPCを遠隔操作して犯行予告を行った事件です。当初、警察は誤認逮捕を繰り返しましたが、ねらーたちは「真犯人が残した暗号」や「猫の首輪につけられたSDカード」に関するヒントをネット上で考察し、警察の捜査ミスを浮き彫りにさせるとともに、真犯人逮捕への議論を加速させました。
あるネットショップが高級キャビアを格安で販売していましたが、ねらーたちが「卵の形状や色が不自然」「輸入経路が不明」と指摘。自ら購入してDNA鑑定に出した猛者まで現れ、最終的にそれがランプフィッシュの卵であることが判明し、詐欺を暴きました。
2ちゃんねる掲示板に、自作の偽札画像をアップロードした人物が現れました。ねらーたちは画像に含まれていたEXIFデータ(位置情報や機種情報)や、背景に映り込んだわずかな情報から住所を特定。通報により、実際に偽造通貨行使の疑いで逮捕者が出ました。
札幌市内の商業施設などで爆発物が発見された際、掲示板に犯行を示唆する書き込みがありました。ねらーたちはその書き込みの文体や、投稿された写真の影の角度から撮影時間・場所を推定し、警察への情報提供に貢献しました。
掲示板に「私が三億円事件の犯人です」と告白するスレッドが立ち、大きな話題となりました。しかし、ねらーたちが当時の気象データ、信号機の設置時期、地理的矛盾を徹底的に突き合わせ、投稿者の話が創作であることを証明しました。
政府が非公開としていた衝突映像がYouTubeに流出した際、ねらーたちは即座に動画を保存・拡散。投稿者「sengoku38」が神戸海上保安庁の職員であることや、投稿に使用されたネットカフェの場所などを特定する動きを見せ、事件の社会的インパクトを決定づけました。
線路内に車で立ち入ったり、危険な運転動画をSNSに投稿したりする「炎上案件」において、ねらーたちは背景の看板、電柱の番号、車の写り込みから、数時間以内に大学名や氏名を特定。多くのケースで大学による処分や警察の捜査に繋がりました。
飲食店レビューサイトでの「やらせ投稿」が疑われた際、ねらーたちは不自然に高評価を繰り返すアカウントの共通点(投稿時間、IPアドレスの推測、語彙)を解析。ステマ業者の存在を世に知らしめ、運営側の対策を強化させました。
SNSや掲示板で家族が行方不明になったという書き込みに対し、ねらーたちが「目撃情報の集約」や「背景に映るわずかなヒントからの場所特定」を行い、実際に発見に結びついたケースが複数あります(※ただし、ストーカー行為に悪用されるリスクとの裏返しでもありました)。
https://x.com/fm21wannuumui/status/1900784106558156984?s=46&t=F2mP0nLoJok5eiFhV2eYZw
辺野古テント村(正式には「浜テント」やゲート前テント群)は、2004年頃からヘリ基地反対協議会などが新基地建設反対のために設置・維持している座り込み拠点です。2026年3月時点で座り込みは8000日を超えていますが、長年「違法占拠」「道路・用地の不法使用」として法的問題が指摘されています。以下に主な法的問題を整理します。
• 主な指摘: テントを国道や歩道、公共護岸・用地に常設・設置し、交通妨害や不法占拠状態にしている。
◦ 道路交通法76条(道路における禁止行為):交通の妨害となる方法で物件をみだりに道路に置いてはならない。
◦ 道路法違反として、国土交通省(北部国道事務所)が2015年頃に注意書・警告書を複数回出しており、「撤去しない場合、強制的に違法状態を解消する」と明記。
• 過去の対応: 政府・防衛省は強制撤去を検討した記録あり(2015年)。地元辺野古区民(住民約1200人のうち約700人=過半数)が撤去を求める署名・陳情を行い、名護市議会で採択された事例もある。
• 現状: 警告は出されているものの、恒常的な強制撤去には至っていない。行政代執行の可能性は指摘されるが、実行されていない。
• テント村を拠点に資材搬入阻止のための座り込み・車両封鎖・カヌー海上行動などが行われ、公務執行妨害罪や威力業務妨害罪の適用が過去に問題化。
◦ 過去に沖縄県警がテント村を含む複数箇所を家宅捜索(威力業務妨害容疑など)。
◦ 2026年3月の同志社国際高校事故関連では、海上保安庁がヘリ基地反対協議会の事務所やテント村関連を業務上過失致死傷容疑・海上運送法違反容疑で家宅捜索。抗議船の無登録運航が焦点。
• テント村内で警察官・公務員・工事関係者の顔写真・行動記録・個人情報を掲示・撮影・晒す行為が長年続いている。(冒頭URL先参照)
◦ 「公務だからOK」という活動家側の理屈があるが、プライバシー侵害・名誉毀損の可能性が高い(家族まで特定されるケースも指摘)。
◦ X投稿などで「違法テント村の晒し壁」として問題視されている。
• 海上行動関連: 抗議船(平和丸・不屈など)の運航が海上運送法上の事業登録をしていなかった疑い(2026年事故で捜査対象)。
• 地元住民との対立: 辺野古区民の一部から「住民の生活空間・散歩道の占拠」「迷惑行為」として撤去要求が出ている。反対派は「公共の場」と主張するが、住民の過半数が撤去を望む声もある。
• 全体の構造: 任意団体(ヘリ基地反対協議会など)の活動拠点として長期間維持されているが、恒久的な工作物設置・占拠として道路法・民法(不法占拠)上の問題が指摘され続けている。
これらは沖縄タイムス・琉球新報・産経新聞などの報道や公式警告記録に基づきます。テント村は「平和学習」で生徒が訪れる可能性のある現場のひとつであり、学校側がイデオロギー性を十分説明せず外部団体に丸投げする場合、こうした法的グレーゾーンや対立構造に生徒をさらすリスクも伴います。
親御さんが学校に確認する際は、「訪問先の法的問題や安全管理について学校はどのように把握・説明しているか」を文書で聞くことをおすすめします。
ジョセフ・クレイ・ケント (1980年4月11日生まれ)は、アメリカの政治家、元 アメリカ陸軍 准尉、元 中央情報局 のディレクターを務めた民兵将校 国家対テロセンター 2025年から2026年まで。のメンバー 共和党、 ケントはその候補者でした アメリカ合衆国下院選挙 のために ワシントン州第3選挙区 で 2022年 そして 2024年。
2025年2月、トランプ大統領はケント氏を国家テロ対策センター所長に指名した。同月、彼は首席補佐官を務め始めた トゥルシー・ギャバード、 the 国家情報長官。ケントはによって確認されました 上院 7月に。2026年3月、ケント氏は米国の関与をめぐる意見の相違を理由に国家テロ対策センター所長を辞任した イラン戦争 そしての影響 イスラエル そして イスラエルのロビー で 国内政治。
ケントがディレクターに就任 国家対テロセンター 2025年7月に
2025年2月3日、ドナルド・トランプはケントをディレクター候補に指名した 国家対テロセンター。[[36] 彼は前に現れた 上院情報特別委員会 4月9日、彼はシグナルのグループチャットへの関与を擁護し、政府が関与していると主張した 1月6日国会議事堂襲撃。[[37] 7月30日、ケントはによって確認された 上院 党の方針に沿って52–44の投票で。[[38] 10月には、 ニューヨーク・タイムズ ケントがアクセスを取得したと報告された 連邦捜査局のファイル チャーリー カーク暗殺、 局長を警戒させ、 カシュ・パテル。[[39] によると ウォール ストリート ジャーナル、 ケントは、の制作と配信を担当するチームから外されていました 大統領の日報 彼の任期の最後の数か月間。[[40]
2026年3月16日、ケント氏はトランプ副大統領にこう語った JDヴァンス、 そしてホワイトハウス首席補佐官 スージー・ワイルズ トランプ大統領の開始決定を受けて国家テロ対策センター所長を辞任するつもりだという イラン戦争。[[40] 翌日、彼は辞表を発表し、こう書いた X 米国が「圧力」の中で戦争に参戦したこと イスラエル そしてその強力さ アメリカのロビー「。ケント氏は、イランは米国にとって「差し迫った脅威」ではないと付け加えた。[[41]
ケントは次のように説明されています 極右。[[a] 彼は投票した ジョージ・W・ブッシュ で 2000年 そして 2004年 政治的信念を に移す前に リバタリアニズム、 サポート ロン・ポール。[[8] 投票記録によると、彼はに登録されていました リバタリアン党 で 2012 年の大統領選挙 2019年に就任するまで 民主党員; ケントは投票した バーニー・サンダース で 2020年民主党大統領予備選 共和党を支持するため その年の大統領選挙。[[45] ケント氏の広報担当者は同氏の政治哲学を「包括的なポピュリズム」と表現し、差別を拒否した。[[19]
ケントはこれを受け入れました トランプ氏が2020年の大統領選挙で勝利したという嘘。[[46] の1 ヶ月後 1月6日国会議事堂襲撃同氏は、ドナルド・トランプ氏は暴徒を「制御できない」と述べ、攻撃の深刻さは治安計画のせいだと主張した。[[12] ケントは出席した J6集会に正義を そして暴徒の扱いをイラク国民の扱いと比較した イラク戦争。[[47] 彼は後に攻撃の防犯映像を公開するよう求めた[[48] そして、暴徒は、に関連する挑発者によって暴力に連行されたと主張した ディープステート。[[49] 後 FBIによるマール ア ラーゴの捜索、 ケントは語った スティーブ・バノン オン 戦室 この襲撃は「戦争」を構成した。[[50] 彼は資金削減を求めた 連邦捜査局 それに応じて。[[51]
2022年1月、ケントはワシントン州保健委員会が感染していない市民を強制的に隔離する予定であるという虚偽の主張に反対する集会を主導した COVID-19ワクチン。[[52] 3月には、が主催するイベントに出演した ワシントン州の3パーセント、 極右民兵。[[53] ケントはかつて連邦政府による禁止を主張していた 中絶しかし後に彼の立場を狭めた 州の権利。[[49] 翌月までに、彼は調査を求めた アンソニー・ファウチ の 上 SARS-CoV-2の起源 そして米国への移民の完全な閉鎖に向けて。[[45] 9月、ケント氏はファウチ氏を殺人罪で起訴すべきだと述べ、COVID-19ワクチンを「実験的遺伝子治療」と表現した[[51] 彼はCOVID-19のワクチン接種を受けていない。[[3] との集会で マット・ゲーツ 2021年9月、ケントはこう主張した 学校バウチャー そして親に対する子供一人当たりの税額控除。[[54] ケントは、を置き換えるいくつかの提案に反対した 州間橋2024年の選挙運動では、通行料徴収やライトレールなどを含む。[[55]
ケントは 不介入主義者、 彼の軍事経験と妻の死を理由に。[[56] 彼は当時、米軍の運営に疑問を抱き始めた イラク戦争、 役人がメンバーを排除しようとしたとき サダム・フセインの 政府。によると マザー・ジョーンズ、 ケント 読む デビッド・ハックワースの 回想録 Faceについて (1990)、米国の関与を指示する「トップの事務員」を批判する本 ベトナム戦争。[[3] 彼はトランプ大統領の2つの恩赦を擁護した 陸軍 有罪判決を受けた警察官 統一軍事司法法 犯罪、 マシュー・L・ゴルステイン そして クリント・ロランス、 そして、の場合に対する彼の介入 エディ・ギャラガー、 a ネイビーシールズ 注目を集めた戦争犯罪事件に関与;とのインタビューで ニューヨーク・タイムズ 2019年11月、ケントはギャラガーの事件をギャラガーの事件と比較した チェルシー・マニング。[[57]
で開催されたカンファレンスで ワシントン・マリオット・マーキス 2022年4月、ケント氏は「政治体制」がロシアに軍事援助を提供するなどしてロシアとの紛争を開始しようとしていると主張した ウクライナ—彼が全面的に反対したレベルの支持。[[58][[45] 彼はロシア大統領について述べた ウラジーミル・プーチンの要求 ドネツク そして ルハンシク州 「非常に合理的」でした。[[58] に関する彼のコメント タッカー・カールソン・トゥナイト ウクライナへの支援が和平協定を阻止するものであると非難することが繰り返された タス通信ロシア国営通信社。[[59] 2023年9月、ケント氏はバイデン政権の戦略は不道徳だと述べ、米国がウクライナにとって「持続不可能」な長期にわたる戦争を煽っていると主張した。ケント氏は、この政策はウクライナの民間人を「大砲の餌」として利用していると具体的に述べている ウクライナ兵を徴兵した—彼は彼を以前は日常の労働者であり学生だったと特徴づけています—は、勝てないと信じている戦争で「泥だらけの溝」で死ぬために送られたものとして描かれています。同氏は、米国は継続的な援助を提供することで、おそらく痛みを伴うものではあるが、必要な援助を妨げていると主張した 和平協定 仲介から。[[60]
2021年、混沌とした状況を受けて 米国のアフガニスタンからの撤退ケント氏は、ワシントンの失敗した「国家建設」戦略を声高に批判する人物として浮上した。[[41] 2026年3月、ケントは特徴づけた 米国とイスラエルの対イラン攻撃 「でっち上げられた」戦争として、それらはアメリカの利益に役立たず、アメリカの「悲惨な」間違いを繰り返す危険があると主張した イラク戦争。[[61]
ちょうど2004年に現役で東大受験を経験した人から見ると、2004年受験といいながら30代といっている時点でフェイク宣言をしていると思うのですが
それにしてもあまりに基本的な制度や用語の誤りが多く「エアプ乙」と言わざるをえません。
事実としておかしい点を、受験制度や科目の観点から列挙します。
「数1が82点、泣きそうになりながら挽回した数2は100点」
東大入試(一次試験にあたるセンター試験)において、数学は「数学I・A」と「数学II・B」という枠組みです。「数1」「数2」という呼び方は、単体の科目名としては不自然です。
また、東大の二次試験(本試験)の数学は、文系が80点満点、理系が120点満点です。「100点」という数字は、センター試験の満点(100点)を指していると推測されますが、東大合格レベルの理系受験生がセンター数学で82点を取って「泣きそうになる」のは、基礎学力の記述(九九ができない等)と照らし合わせても、医学部志望ならまだしも理一志望としては違和感があります。 何より、二次試験の点数配分と混同しているような書きぶりです。
東大入試は「一次(共通テスト)」と「二次(個別試験)」の合計で合否が決まります。
筆者は「5教科7科目」のおかげで救われたかのように書いていますが、東大合否の決定打は圧倒的に「二次の4教科」です。 センター(一次)で1科目をミスしても、圧縮されるため点差はわずか数点に縮まります。東大受験生が「5教科7科目だから人間的(=一発勝負じゃない)」という感想を持つのは、制度の比重を理解していればまずあり得ません。
「東大の古典の赤本を買ってきて、古文と漢文をやる」「国語と英語で安定してとれてたら、理数も、社会も基礎問題を落とさなければ勝てます」
理系(理一)志望者が、対策の優先順位として「まず古典」を挙げるのは極めて異例です。
理系合格者が「理数も基礎を落とさなければ」と付け足しのように語ることはありません。 理系にとって理数科目は「得点源」であり、国語は「大崩れしなければ良い」という立ち位置が一般的です。
文脈的に「二次の戦略」を語っている流れ(物理・化学・数学のコツを詳述している)で
「社会」が登場するのは、文系・理系の試験構造が混ざってしまっています。
「関東近辺の私立中学で、付属の小学校があるところに、基本進学校はありません。強いていうなら、四谷雙葉でしょうか。(なぜ、中受御三家を、強いて言うならというかは、後述します。)」
用語の誤り: 「四谷雙葉」は通称であり、正式には「雙葉」です。
また、雙葉を「強いて言うなら」という表現で進学校から外そうとする感覚は
2004年当時の受験状況(女子御三家の一角として不動の地位)を知る者としては極めて不自然です。
小学校付き進学校: 早稲田実業、慶應義塾、学習院(女子)など、東大進学者が一定数出る「小学校付き」は存在します。
また、暁星なども有名です。「基本進学校はない」という断定は、中学受験経験者としては知識が偏りすぎています。
「物理はなるべく微積で解く解法のものを習得するのがいいです。物理は……ものすごくパターンが少ないです。基本的に満点を狙えます。」
「満点を狙える」「パターンが少ない」と言い切れるのは、ごく一部の物理強者のみです。
東大物理は時に非常に独創的な設定が出題されるため、2004年前後の難易度を知っていれば、これほど安易なアドバイスはできません。
この文章は、「東大の仕組みをネットやパンフレットで表面だけなぞった人が、自分の『お気持ち』を語るために書いたフィクション」である可能性が極めて高いです。
こんにちは。私は、2004年に現役で東大理一に入った、性別が女のものです。2026年現在はアラフォーの30代です。現在は翻訳者をしています。(特定を避けるため、年齢、科類などに少々、フェイクがあります。しかし、本質的な嘘はないです。)
まず伝えたいことですが、東大に入っても、それだけで、いいことはありません、そのために、大事な青春を割かないで欲しいです。そして、青春を割かなくても入れます。
本当に、今まで生きてきて、東大でよかったと思ったことにまだ出会えていません。まぁ、これは私の使いかたが悪いのかもしれません。もっと使う方法に聡くなるべきでしたが、とりあえず、まだいいことがありません。ただ、それでも悲観しないで人生を暮らせるのは、東大に入るために、それまでの時間を捧げては、なかったことです。そして、そんなことに人生の大事な時間をささげるのは無意味です。2年あれば、普通の人は多分受かります。
2年という具体的な数字を出しつつ、多分、というのは、私が1年家庭教師をした子たちが6人いて、その全員が東大に入学したのですが、その子たちは基礎学力があったので、基礎学力を鍛える1年を加えての2年です。
この話に、説得力を持たせるために、簡単に略歴を説明させてください。
私の父は転勤が予想されるサラリーマンだったため、過保護な両親の考えのもと、4年以内なら転校しても戻ってくることが可能な私立の小学校に入りました。
都内で中学受験をしたことのある方ならわかると思いますが、関東近辺の私立中学で、付属の小学校があるところに、基本進学校はありません。強いていうなら、四谷雙葉でしょうか。(なぜ、中受御三家を、強いて言うならというかは、後述します。)
ですので、私の出身高校からその年、東大に入ったのは、文系理系合わせてと、私だけでした。そう聞くと、きっと私が学年で1番頭がよくて、成績がいいと思われると思います。
違います。
計12年間通ったその学校で、私は本当に一回も1番をとったことがありません。そして、私より頭がいいと思う子もたくさんいました。小学校の時、100人弱いる生徒のうち、私はせいぜい15人目くらいでした。中学に入ってからは200人くらいいて、20番から50番くらいです。
では、なぜ、入れたか。それは、親戚や身内に東大生がいっぱいいたからです。
高度成長期の東大生はライバルの人数はずっと多く、入学者数は今より少ないです。そんな難しいゲームを勝ち抜いてきた身内が、まぁまぁ実生活でポンコツなわけです。たとえば、TVの配線ができなかったり、一緒にみてる映画や連ドラのオチが予想できなかったり。そういう人が身近にいることで、普通に努力したら入れそうだな、というイメージがわきます。イメージの力は大きいです。難しい!と思っているものになるのと、あの人もできたんだし!というものになるのでは、全然難易度が違います。
また、ギリギリ円周率が3.14の時代ですが、中学受験をしていないので、面積の計算にめっちゃくちゃ時間がかかります。数字を覚えていないからです。整数の二乗✖️3.14の数字のパターンを覚えていないだけでなく、実際はもっと酷くて九九ができません。必要な時は、何個か覚えているやつに、足し引きしています。これでは時間がかかりすぎるので、中学受験はおそらくタイムオーバーです。(でもさ、中学に行ったら、数学はXYで煩雑な計算量はぐっと下がる。算数で数学挫折するのよくないと思う。)
また、47都道府県も、47なのか、48なのか毎回悩みますし、県庁所在地は言えません。(しかし、東京都の県庁所在地に新宿区と書いて×だったのは、本当に納得がいきません。都庁は新宿区にあるのに。)
基本的にこれらができないと、中学受験には受かりません。でも、できなくても東大には受かります。なぜなら、これらは大学入試にでないからです。(ちなみに、私は九九ができないと公言する大人に4人あったことがありますが、その全員が理一に入学した日本人です。)
ではなぜ、中学受験の覇者である、進学校に東大合格者が多いのか。それは先程もいったように、身近に東大出身の人が多いからだと思います。先輩や先生の、あの人が入れるなら、僕も、私も、入れるだろうというイメージがわきやすいです。(一方で、自分より頭が良くないひとが入ったときの悔しさで、多浪してしまう負のループもなくはないのですが、、、)
ということで、東大に入るために、必ずしも進学校に行く必要はないと思うのです。そこで、私の知っている東大の受かり方を書きます。サンプル数は6ですが、今のところ、100%です。
1.バカにできる東大生をなるべく早く、多く見つけて、モチベーションアップ。
2.東大の古典の赤本を買ってきて、古文と漢文をやる。解こうとしない。回答・解説からやる。(入試にでる古典なんてたかがしれてる。解釈が確定してる古典の量多くない。)
3.東大の英語の赤本を買ってきて、以下同文。英語の評論文には、主題、主題を裏付ける根拠、反論、反論の反論などパターンがあるので、読めば読むだけ、パターンが頭に入る。物語文は難しいけど、東大の考える、高校生が読める範囲の物語文の難易度が過去問にしかないのでたくさん読むのがいい。(終わって暇なら、文豪シリーズの英文法楽しい。ヘミングウェイとかOヘンリーとか。)
4.あとは息抜きに、センターと東大の現代文に出てきた人たちの評論を読む。リービ秀雄とか鷲田清一とか。それだけで、文章を読む処理能力が上がる。多分高校生は。評論って生きててなかなか読まないので、読み慣れると処理スピードがあがる。その意味でも大量に読むほうが大事だけど、たまには赤本で出題傾向と解答を確認してもいいかも。
これ以外は、普通に勉強したらいいです。新学校や鉄緑会に行かなくても、本当に普通に青チャートとか化学重要問題集とかやれば。国語と英語で安定してとれてたら、理数も、社会も基礎問題を落とさなければ勝てます。
細かいコツで言えることがあるなら、
物理はなるべく微積で解く解法のものを習得するのがいいです。物理はどんなに難しいと言われる問題でも、高校生がとくためには、教科書範囲の公式に落とし込まれる必要があり、ものすごくパターンが少ないです。基本的に満点を狙えます。
化学は暗記が多いですが、計算問題を丁寧に落とさない。(計算演習をサボらない)分かってることを途中まででとも書く方法を身につける。
数学は解法を覚えようとしすぎずに、毎回、公式を導きだすくらいの気持ちで、演習をする。正直なぜか数学の難易度だけ年により当たり外れがすごい。ので、難しい年も簡単な年も、全員解ける問題を確実にとるのが大切。また、数学を得点源にしようとしても、簡単な年はそこで差がつかない。私は過去問でも模試でも2完と部分点が実力だったのに、当日は4.5完分の点数がついてた!自分でもびっくり。
ってことは本当は数学できるんじゃ?って思う方もいるかもしれないけれど、数学は本当に苦手意識が強くて、色々ミスって、数1が82点、泣きそうになりながら挽回した数2は100点。難易度と実力と点数が全て見合ってない。試験は本当焦ると実力が出せないもあるので、一教科でちょいミスしても、判断されない5教科7科目はむしろ人間的だと思う。
***
さて。なんでこんなことをツラツラと書いているかと言うと、
から、
中受で失敗したと落ち込んでいる子も、
ちょっと勉強かできるからって傲慢なまま東大に入って頭が悪い子はレイプしても仕方がないって思う間違った選民思想を持つような子も、
ちょっと勉強ができるから上のクラスにいたけど大学受験うまくいかなくて、その後やさぐれちゃう子も、
まるっといなくなったらいいなと思うので。
勉強ができるよりも素敵な人間性ってたくさんあって、勉強だけがフォーカスされ過ぎてると思う。
何かを成し遂げるには、まず、品性。次に体力。最後が知性だと思う。そして、知性は学歴とイコールではない。本当。
40手前になって、東大しか自慢できることがないのダサいし、40手前になって中受の栄光の話してるのもダサいし、自分がたまたま進学校から東大だからって中受でちょっとうまくいかなかったくらいで、娘に失望してる両親もダサい。
と、ここまで、私のお気持ち表明。
マンガワンの件で島袋光年氏や和月伸宏氏の過去が蒸し返されてしまっている。
おおむね、彼らは罪を償った上で名前も変えず復帰したので良い、という論調だが、もし現在同じことをしていたらそうなっていただろうかと思う。
特に島袋氏は未成年買春と直接手を出した罪であり、現代なら非難の声は苛烈になっていたのではないか。
2002年 女子高校生への買春で逮捕、のちに余罪で再逮捕、連載中の『世紀末リーダー伝たけし!』は打ちきり、単行本絶版
2005年 『たけし』の連載再開
だがこれが令和の事件だったら、ここまでスムーズに復帰し世間がそれを受け入れるだろうか。少なくとも『たけし』の再開は難しかったのではないか。(『アクタージュ』が今後数年で再販されるか?となるとまず無理だろう)
20年前はまだ、未成年に手を出すことや性犯罪が軽くみられていたことは否めない。被害者感情に配慮するという発想も希薄だった。児童買春は下劣な行為との認識も弱く、それゆえ法的な罪さえ償えば良しとされた、といっても言い過ぎではないと思う。
現在なら復帰できても少年ジャンプには戻れなかったかもしれないし、別名義で他社に移っていたかもしれない。その場合のちの『トリコ』もこの世に存在しなかったことになるが……
https://delete-all.hatenablog.com/entry/2026/02/20/013000
これを読んでみて、すごい違和感があるんだよなぁ。。。
ちなみに、自分は2004年に新卒入社して現在は40代の後期氷河期世代のサバイバー。
この文章の中で、
「氷河期世代が氷河期といわれるのは、他の世代と比較してまともな仕事に就くチャンスやセカンドチャンスがなかったからだ。それが長い時間をかけて敗北感に変化している。」
とあるけど、他の世代と比較して特筆するべき点は本当にまともな仕事につくチャンスがなかっただけではないからだ。
氷河期世代が狭き門をくぐり抜けて、やっと就職できた時に直面した現実は異常だった。
そこにあったのは、
・行き過ぎた年功序列
これによって年長者たちがマジで氷河期世代に立ちはだかっていた。
本当に苦労して一般的な企業に就職できても、そこで待っていたのは貴重な新戦力としての新入社員ではなく、
マジで当時は年齢や社歴が上=会社での立場が上だから下をどう扱ってもいいっていう風潮がまだ残ってた。
フミコフミオ氏の過去の投稿でも、普通に考えたら存在しないモンスターたちが会社生活では普通にのさばっている現実が書かれてる。
当時は本当に紙ベースに上の承諾を得ないと先に進まない無駄なやりとりに忙殺される仕事スタイルで、はたからみたら無駄なことを積み重ねてるだけだった。
当時は、生産性向上とか作業効率の向上とかを提言しようものなら、年齢が上の人達からは自分たちの仕事を奪う異端として扱われた。
「このクソガキが何をわかったつもりで上に物を言ってるんだ?!」
と鼻で笑われた。
マジで、今ではパワハラやモラハラなことが普通にまかり通ってしまってた。
というのも、彼らはバブルの栄光にすがってるから、これまでのやり方を変えるつもりなんて毛頭ない。
自分よりも上のバブル世代は、いかに楽をして甘い汁を吸うか、ということしか考えてないからマジで仕事ができない。
本当にバブル世代って就職してから本も読まないし勉強もしないで、いかに楽をして美味しい体験をするかに集中してる人種なんだよなぁ。。。
指導力も技術力もないし、マネジメント能力もない無能な上の世代から無理難題であるノルマを課せられて、
その責任だけを負わされて、満足に残業代も支払われることはなくこきつかわれていた。
当時、世間では「世界に一つだけの花」が大ヒットしていたけど、氷河期世代が受けた扱いは
上の世代からしたら、氷河期世代なんて厳しい受験戦争や就職活動をくぐり抜けてきた未来の貴重な戦力ではなかった。
ふるい落とされた連中は、他にもたくさんいるから、氷河期世代の代替品なんていくらでもいるという扱いだった。
その結果、2005年以降に印象に残ってる言葉と出来事が起きた。
それは、ネットミームになっている「働いたら負け」という言葉が生まれたことと
JR福知山線脱線事故が起きたことだ。
「働いたら負け」って氷河期世代が過酷な就職活動を生き抜いて就職したのに言われてるんだよ。。。
マジでやっと就職しても人間扱いされずに上の世代からはゴミや虫けらみたいに扱われた。
無意味なことや無駄なことを指摘しても、「年齢が下の者が上に口ごたえするな!」と罵倒されるだけではなく、
こんな絶望的な言葉が生まれるくらいに、当時の氷河期世代の扱いはひどかった。
そして、そういう過去の成功体験からの行き過ぎた教育によってJR福知山線脱線事故が起きてしまう。
そこに日勤教育という名のパワハラ・モラハラをした結果、こういう事故が起きてしまってる。
そして、2000年代中期以降に一般的になった言葉が更にある。
それは、
なんでこういうことが起きたかというと、単純明快で、氷河期世代と言われる通りに就職する働き手を絞った結果、
働き手が少なくなっているのに、これまで以上の成果を求めたから。
そもそもの問題としては、氷河期世代って言われるくらいに就職の機会を奪ったのは既存の労働者の雇用を守るためだったんだぜ。
なのに、守られた側は恩も忠義もなくて、過酷な就職戦線を勝ち抜いた氷河期世代を無茶苦茶に扱った。
繰り返しになるが、
・行き過ぎた年功序列
これにすがりついた連中が氷河期世代をいいように扱った。
ブラック企業やブラック労働についての作品って多く出てるけど、共通しているのは主人公は若者であることだ。
これも繰り返しになるけど、バブルを味わった連中はいかに楽をして美味い思いをするかに集中していて、
かつ、年功序列というルールがあるから、勝手に優位になる状況をつくっていた。
結果として、若い人たちが無茶苦茶ででたらめな働き方をせざるをえなかった。
本当に「働いたら負け」とはよくいったもので、過酷な就職活動を乗り越えても、それ以上に理不尽で無理解な世界で
体力も精神も削られる働き方をしなくてはならなかった。
その結果、正常な判断ができないくらいに追い込まれるとJR福知山線脱線事故のようなことが起きてしまってる。
過労による自殺よりも更にたちが悪いことが現実で起きてたんだよ。
で、ここで一つ補足。
それは、年功序列の最大の利点は長く働くほど給料があがるからだ。
若いときは安い給料でも、40代・50代になって能力が落ちてきた時に会社に長くいるという理由だけで
要は同じ仕事をしていても、若いものは安い給料でよくて、年長者は高い給料になるということ。
日本は高度成長期からバブル期があったから、社会が豊かになってるから通用していた。
しかし、少子高齢化が見えてきた2000年代以降では、これが通用しなくなっていった。
けど、2000年代から2010年代の半ばまでは年功序列は色濃く残っていて今のジョブ型雇用なんて言葉はなかった。
結局、何がいいたいかというと、氷河期世代は上の世代の食い物にされたということ。
彼らは年が上というだけで下の世代の雇用を絞り自身の保身のために下の世代を無茶苦茶に扱い続けた。
そして、彼らは多かれ少なかれ年功序列の恩恵を受けて高い年収をもらって定年退職していった。
この間も氷河期世代は上の世代の尻拭いをさせられて、社会年金などの負担は上の世代よりも高い状態になってしまっていた。
そして、氷河期世代が40代・50代を迎えたときには、無事に年功序列が崩れ去ってジョブ型雇用となっていた。
上の世代が恩恵として受けていた年齢による昇給ブーストなどはなくなっていた。
話を元に戻そう。
「氷河期世代は負けた」
これは事実だ。
彼らの雇用を守るために就職の機会を奪われ、就職できても彼らの尻拭いをさせられらた。
そして、中高年になったときには彼らが受けた恩恵=年功序列の美味さは消し去っていた。
この間、安い給料でこき使われるだけでなく、ずっと彼らよりも高い社会年金保証を支払い続けさせられた。
こいつらは、本当にいかに楽をしてうまい汁を吸うかということだけをやっていて、
そして、バブル世代は、ついに60代になってきて定年退職を迎えている。
本当に勝ち逃げをして逃げ切った連中がいるんだよね。