はてなキーワード: センター試験とは
最近囲碁が強くなるためにやっている活動が昼寝。寝不足の時とよく寝た時で対局や詰碁の成績や勉強の効率が違い過ぎるから。ちなみに普段の睡眠時間は油断すると3時間を割りがちで、ふつうに辛いし危ない。夕方になると畳に寝そべった瞬間寝落ちするくらい。テレビ見てたら座った状態で寝てるとかもあるので、囲碁の勉強をするという場合ではない。
午前中と夜以外はわりあい暇な時間がある日常を送っているが、午前中と夜は暇でないがち(仕事)なので眠るっていうテンションになりづらいんだけど、アラームつけて昼寝するようにした。囲碁する時間は減ったし読書する時間も僅少だかやったつもりが寝てたとか記憶に残らないということは減った、たぶん。多趣味なので睡眠時間を確保すると囲碁か読書のどちらかが何とか出来るくらいしか時間がなくなるのがきついけれども。
無課金で囲碁クエストをしているので、詰めチャレを出来る回数が1日に3、4回なのだが、何とか時間をやりくりして毎日やってる。成績の折れ線グラフが日々のバイオリズムと完全に一致していておもしろい。1ヶ月に3日くらいものすごい馬鹿になる日があって、そういう日は実際調子が悪い。
1ヶ月くらい対人対局をしていない。囲碁クエストは詰めチャレだけだし東洋囲碁は全く触っていない。ずっと「みんなの囲碁」でコンピュータと対局している。10級からちまちまレベルを上げていって、今は4級と打っている。勝ったら次の急に上がるんじゃなくて、黒番・白番両方とも待ったナシで満足出来る勝ちができたら1級上がるという方式。
昇級した時はまずは「待った」と「ヒント」を使いまくって対局する。対局が終了したら、自動棋譜再生を何度かして振り返る。序盤で既に負けていないかという事に1番注目してる。その後棋譜をCOSUMIにコピペしてAIによる正誤判定をする。自分の気になった所とAIの✕判定の一致している所を終局に近い箇所からみん碁に戻ってやり直し、自力で打ち直したらどうなるか、「ヒント」を使うとどうなるかを試す。自力で正解に辿り着くっぽい事もあるが、「ヒント」が盲点で全然違う結果になることもある。
みん碁4級まで来たけど、これまで大体数十目の差で勝ち続けて来て負けたことはない。ただ、5級で自力で打ったらコミ分がなかったら4目負けていた対局はあった。でも自力100%でも5級までだったら勝てた。
自分の棋力が益々分からなくなる。東洋囲碁では16級でも負ける事の方が多いし、囲碁クエストや囲碁オンラインではボロカスに打ち負かされてちっとも昇級しないし、COSUMIにはレベル0で偶に辛勝するくらいの体たらくなのに、みん碁の5級には勝てるとは。みん碁のコンピュータが弱すぎるのだろうか。
何年か前にもみん碁攻略にハマっていた時期があって、その頃は8級が自分の限界だったものの、何となくコンピュータがレベルに合わせて悪手を打ってるのは分かっていて、それが今よりもだいぶ酷くこのコンピュータはそうとう弱いというのは感じていたけど今はどうなんだろう。みん碁のコンピュータの最強レベルはふつうに強いからそれに勝てたら全国のどこの碁会所に行ってもその段位で打てるって、どっかの知恵袋で見たのだが、本当かなあ? あるいは、級位レベルではユーザーを天狗にさせる強さ設定だが段位レベルは容赦ない強さに調整されているのか。
という疑問がありつつも数ヶ月前の自分よりはだいぶマシに打てるようになったと思うが。全然囲碁クエストをやっていないので9路と13路の腕が落ちていそうで心配ではある。落ちたところで大したレベルじゃないだろというのは、それはそう(子や孫にアカウントを乗っ取られたっぽい4段に偶に勝つ3級)。
最近になってやっと気づいたが、同じ詰碁集を繰り返し解くことは勉強にならない。なぜかというと答えを覚えてしまうから。対象棋力をそのままに、使い捨てるつもりで何冊も攻略していくのがよさそう。基本的には同じ様な問題がどの詰碁集にも載っているけど、問題図に目が慣れていないという事が大事なんだと思う。詰めチャレの変に凝ってる低級詰碁を解いていて辿り着いた境地。同時に、学生時代の自分が社会科の成績がいまいち良くなかった原因も分かってしまった。一冊の参考書をローテするだけだったからだ。この勉強法では一つの事項を別の角度から質問されると正解できなくなる。なんで今まで気づかなかったんや……。(国数英は授業の中で否応なしに沢山のセンター試験の過去問を解かされていたからだな。思い返せば歴史とかの授業でそれはなかった)
棋書は『碁の本質を読み解く 5つの考え方』(水間俊文)を数ヶ月ぶり2周目してる。棋書もKindleUnlimitedで何冊か読んでみて、何か特定の分野に特化した物でなければどれも似たような事が書いてあるけれど、言い回しや着眼点が違う。だから入門の頃に『ヒカルの囲碁入門』(石倉昇)を馬鹿みたいにヘビロテした時ほど執拗に読み込むことはなく、数を読んだほうがいいのかもしれない。が、もういい歳でそもそも読んだ物が記憶に残り難いし、それ以前に読んでいる風でただ画面を目が滑ってるだけだったりするので、3回くらいは読み返さないといかんなと思ったので読み返している。どのページを読んでも偉そうにそやなーと思うが実戦に生かされているのかというと……。
概略:中華後宮モノラノベのコミカライズ作業における不満を爆発させた漫画家を小学館の畑中雅美が説得する内容がマジで凄い。
「関係者全員が可哀想」中華風ファンタジーのコミカライズ担当になった漫画家が「原作者の対応」に不満…→相談を聞いた「編集者の回答」が重く鋭い - Togetter [トゥギャッター]
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のmondの前半がコミカライズ担当者の不満。後半が編集者の回答。
ぶっちゃけ質問部分は「面倒な人が怒ってる」で終わらせて回答だけ読めばいい感じ。
まず出だしのこの言葉がすごく的確ですね。
「そんなこと言わせてゴメンな……」の「本当に使える版」ですねコレが。
これぞ基本です。
これ以外の手は意図して行っても「奇策」ですし、意図してないなら「愚策」です。
定石は大事です。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!褒め殺しだ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
これをいきなり打たないで10行ぐらい相手を待たせるのが上手いですね。
まず「原作者にはこういう意図があったのでしょうね」と語って相手を焦らしています。焦らしなんですよコレは。
相手は既に限界状態なのでさっさと「よしよし……そんなこと言わせてゴメンな……ギュッ……」ってされたい気持ちしか頭にない。
でもいきなりこれをやってしまうと相手の頭がいよいよ赤ちゃんになってしまうから少しだけお預けする。
そのためにも初手で「分かるよ……みんな可愛そうだよね……」を入れて10行分程度エネルギーを回復せさえ手おくんですね。
もうこれで相手は「あっ、この人は私の話をちゃんと聞いてくれるんだ。じゃあ私もちゃんとこの人の話を聞こう」になってますよ。
上手いですね。
現状の整理と褒め殺しを織り交ぜながらの話が続きますが、その中でも要石はここにあります。
「あなたの判断は、あなたの視点から見れば、たしかに妥当なものでした」と言ってあげるのです。
このあとに「でも、相手の視点から見れば、そこには簡単に首を縦に振れないものがありますよ」が続くのですが、まず先に「あなたの意見は確かに妥当でした」と言っておくんですね。
これ、結構難しいんですよね。
一歩間違えると「あなたが正しいです」と言った瞬間に相手が「そうでしょ?やっぱアイツが全部間違ってるんだよ!これから一緒に殴りに行こうか」となってしまいます。
そうしないためには相手のモードを脊髄反射モードではなく、傾聴モードにする必要があるんですよ。
ここで聞いてくるのが今までの焦らしです。
褒める→現実を受け止めさせる→褒める→現実を受け止めさせるのループを繰り返したことで相手はある程度の長さの話を聞けるだけのテンポが産まれています。
なので、「あなたは正しい」にすぐに飛びつかず、「相手も正しい」と続くまでを耐える余裕が出てくるんですね。
どっちを先にするかは難しいのですが、ここでビビって「相手も正しいんですよ。あなたも正しいですけど」という順番にしてしまわなかったのはこれまでの話術が効いているという自信があってこそでしょうね。
素晴らしい。今まで自分が稼いだポイントを自分でちゃんと計算しながら組み立てている。
素晴らしい責任転嫁。自家中毒で脳みそが弱りきった相手を説得するのってこうやればいいのか!と舌を巻くしかないです。
これね、「今回の件はあなたの頭や性格が悪いのではなく「知識」というものが力を持ちすぎてるからそれに飲み込まれちゃったんですよ。知識って怖いですよね~~~」という見事な責任転嫁なんですよ。
罪を憎んで人を憎まずとは言いますが、憎むべき罪と相手を切り離すのは結構難しいわけですが、これはもう見事にそれを切り分けてます。
人間は自分が裁かれたり攻撃されていると思うとどうしても気持ちが落ち着かなくなるし、防衛本能で敵意さえもみなぎってしまいます。本能って怖いですよね~~~。
その問題を「これもすべて知識って奴のせいなんだ」とすることで解決してます。
この文章が実際何に対して言ってるのかをちゃんと読み取れるの、日本人全体の半分もいないと思いますね。センター試験の現国にも採用できそうです。
これはですね……「原作者がコミカライズ担当者の意見に猛反対しないのは、原作者側が落ち度を認めているからなんだ」というコミカライズ側の慢心を諌めるためのものです。
拗れきった関係性を一刀両断ではなく丁寧に紐解いて軟着陸させようという心意気も凄い。
確かにここで上手くやらないと「でも原作者は自分の知識不足を認めてるくせに適当なおべんちゃらで逃げ続けてきた卑怯者だし……」とさえ思いかねないのがこのコミカライズ担当者ですからね。
ちゃんと対処しておくのは大事ですが、そのために頭捻って絶妙なバランスを取りながら表現しようって気持ちが凄いなあ。
説得というのはこうやってやるんですね。
相手の感情と認知状態をコントロールしつつ、一つ一つ丁寧に認識の齟齬を正しい状態へと変えていく。
状況認識そのものがおかしくなってしまった相手に対処するにはこういう技術が必要なんですね。
実に難しいということがよく分かりました。
正解を見ながらなら私もなんとなく何をしてるのか分かりますが、それを自分が出来るかと言われればぜひプロに丸投げしたいなあとしか……。
本当大変だなこういうの。
私には、小さいころからずっと憧れの存在がいる。それは、私より五つ年上の兄だ。兄のことを「お兄ちゃん」と呼ぶと、もう年齢的には少し恥ずかしいのかもしれない。それでも私は、昔からずっと「お兄ちゃん」と呼ぶのが当たり前だったし、その呼び方だけが私の素直な気持ちをいちばんよく表してくれるように思う。兄は細かいことを気にしない性格だから、「もういい加減に名前で呼んでくれ」と言われたこともない。むしろ何気なく「お兄ちゃん」と呼ぶたびに、少しだけ照れくさそうに笑って、「なんだよ」と返事してくれる。そんな兄の仕草が、私にとっては子どものころからの宝物のような思い出になっている。
私が物心ついたときから、兄は私を守ってくれる騎士のような存在だった。どんなに小さなことであっても、「大丈夫か?」と声をかけてくれて、一緒に悩んでくれる。小学校に入りたてのころ、友だちができなくて不安だったときも、兄は私の話をちゃんと聞いてくれた。「そっか、じゃあお兄ちゃんが放課後に一緒に遊んであげるからな。元気だせよ」なんて言いながら、一緒に公園に連れていってくれて、近所の子たちとも自然に遊べるように声をかけてくれた。あのときの兄の言葉や気遣いがなかったら、私はあの時期を乗り越えられずに、さらに内向的になっていたかもしれない。私の世界を少しずつ広げてくれたのは、ほかでもないお兄ちゃんだった。
そんな兄は、私よりはるかに行動力があって、友だちも多かった。学校のことから部活、さらには部活の大会や文化祭の準備まで、何でも積極的に参加していた。だけど家に帰ってくれば、私が宿題に苦戦しているときはいつも手伝ってくれた。特に理科の自由研究なんかは、兄が実験装置を手作りして一緒に試行錯誤してくれたのをよく覚えている。兄は私と同じ道をたどるように見えて、実はまったく違う場所を走っているようなところもあった。彼は勉強だけじゃなくてスポーツや音楽、さらに学校行事の運営のような活動にも興味を持ち、どんどん成長していくのだ。いつの間にか背も高くなり、どっしりとした声で話すようになった。そのころから、私は兄を「かっこいい」と思うようになっていた。家族や友人に言うのは少し気恥ずかしいけれど、「兄としての優しさ」に加えて「一人の人としての魅力」を感じ始めたのは、ちょうど私が中学生のころだったと思う。
しかし、中学生になると私も少し反抗期を迎えていた。別に兄が嫌いになったわけではない。ただ、いつも「お兄ちゃん、お兄ちゃん」とくっついてばかりの自分から、ちょっとだけ抜け出してみたくなったのだ。兄が何かと手伝ってくれようとしても、「いいよ、自分でできるから!」と口調を荒くして突き放してしまうことが増えた。そのたびに兄は少し寂しそうに眉をひそめるけど、それ以上は何も言わず、そっと距離を置いてくれた。子どものころは、すぐに私の手を引いてくれたのに。わざわざ私のために遊びを提案してくれたのに。今思えば、あのとき私は自分の世界を広げようと必死で、兄の優しさをないがしろにしていたのかもしれない。
そんな中学時代のある日、私はひどい風邪をこじらせて、高熱を出して寝込んでしまった。両親は共働きで忙しく、どうしても仕事を休めないタイミングだった。ところがその日、兄は学校の大事な行事を休んでまで家に残り、私の看病をしてくれたのだ。最初は「こんなことで大丈夫なのかな。お兄ちゃん、学校行かなくていいの?」と気遣い半分、苛立ち半分の気持ちでベッドの上から見ていた。しかし兄は、薬を飲むタイミングを覚えていてくれたり、氷枕を定期的に取り換えてくれたり、ポカリスエットをいつでも飲めるように用意してくれたり、とにかく何から何まで面倒を見てくれる。私は熱で朦朧とした頭のなかで「ここまでしてくれるんだ…」と申し訳なさと感謝で胸がいっぱいになった。気づいたら、ベッドの脇で眠ってしまった兄の寝顔を見つめながら、こっそり涙を流していた。
そのときに「やっぱり私、お兄ちゃんのことが大好きだ」と、心から再確認したのだ。反抗期真っ只中で、「兄の存在をうっとうしく感じたい」自分と、「兄を素直に好きだと言いたい」自分がせめぎ合っていたけれど、看病されているときに露わになった兄の優しさに触れて、私の中で答えがはっきりと見えた気がした。高校生になるころには、私はもう少し素直になろうと決心し、兄に対して必要以上の反発をしなくなった。そしてこれまで通り「お兄ちゃん」と呼んで、何かあれば一緒に笑って語り合う関係に戻っていったのだ。
高校生活が始まったばかりのころ、私は部活をどうするか迷っていた。兄は高校時代、サッカー部に入りながら生徒会の副会長も務め、さらに文化祭ではバンドまで組んでいた。とにかく「何でもやってみよう」と挑戦するタイプだったらしく、周囲からも頼りにされていたと聞く。そんな兄を近くで見てきた私は、「新しいことを始めるって、すごくエネルギーがいるけど、きっと楽しいんだろうな」とぼんやり思ってはいた。でも、私自身は見た目ほど行動的なタイプでもなく、どの部活に入るのかさえ決められずに日々が過ぎていった。兄に相談してみると、「やってみたいものがあるなら、迷わず挑戦してみなよ。すぐには決められなくても、とりあえず見学に行ってみるとかさ」と笑った。それまで頭でっかちになっていた私は、「そうか。とりあえずやってみればいいんだ」と目の前がパッと開けた気がして、週末にいくつかの部活を見学して回った。
結局私は合唱部に入った。そこには、中学の合唱コンクールで歌っていた自分自身の楽しさの記憶があったからだ。最初はそれほど力を入れるつもりもなく、「軽い気持ちで続けられればいいな」と思っていた。だが、合唱部の先輩はみんな本気で歌と向き合っていて、練習も厳しかった。気がつけば私も音楽室で遅くまで居残り練習をしたり、ボイストレーニングの動画を見ながら自主練したり、一生懸命になっていた。そういう自分に戸惑うこともあったが、同時に「こんなに打ち込めることがあるんだ」とわくわくしている自分もいた。
文化祭のステージでは、合唱部のメンバー全員で、思い切り歌声を響かせた。練習以上に声が震えてしまって、正直ベストコンディションとはいかなかったかもしれない。それでも、ステージを終えたときの達成感は大きかった。観客席を見渡すと、校舎の外からわざわざやってきた兄の姿があった。卒業生として招かれたわけでもないのに、私の初ステージを観に来てくれたのだ。「休みが取れたから、ちょっとだけ覗きに来た」とのことだったが、たぶんこっそり私の頑張る姿を見届けるために来てくれたのだろう。ステージを降りてから兄と目が合うと、彼は少し照れくさそうに親指を立ててくれた。その仕草を見た瞬間、緊張していた私の頬は、一気に熱くなった。
私は「これがお兄ちゃんなんだよな」と思った。大きな舞台に立つときであれ、苦しい状況に陥ったときであれ、兄はさりげなく私を見守ってくれる。困ったときには手を差し伸べてくれるし、何も言わなくてもただそばにいてくれる。それだけで、私は安心して挑戦したり、失敗してもまた立ち上がったりできる。兄の存在は、まるで日の光のようだ。直接私を照らしつつも、押しつけがましくはなく、ただ自然にそばにいて見守ってくれる。その温かさが、いつでも私を優しく包んでくれるのだ。
兄は高校卒業後、地元の大学に進学した。私が高校二年生のころだった。大学に入った兄はさらに多忙になったようで、ゼミやアルバイト、サークル活動などに時間を割くようになった。しかし家に帰ってくるときは、私が「合唱部でこんな苦労があってさ」と愚痴をこぼすのを、いつだって真剣に聞いてくれた。大学の勉強やアルバイトで疲れているだろうに、決して邪険にはしない。私が練習でうまくいかなくて落ち込んだときには、「悔しいなら、もうひと踏ん張りしろ。お兄ちゃんはお前の歌が好きだし、もっと上手くなると思う」と背中を押してくれる。簡単に「大丈夫」と楽観視するのではなく、どうすれば乗り越えられるかを一緒に考えてくれるところが、昔から変わらない兄の優しさだ。
そして私が高校三年生になるころ、兄は一人暮らしを始めることになった。大学の研究室に通うのに便利な場所へ引っ越すというのが理由だ。私としては、「お兄ちゃんが家を出るなんて、ちょっと寂しい」と本音では思っていたが、反対するわけにもいかない。兄が未来に向かって歩みだそうとしているなら、私は応援したい。きっと、私はもう以前のように一緒にゲームをしたり、兄の部屋に入り浸って話し込んだりはできなくなるのだろう。しかしだからこそ、「離れていても私たちはきっと大丈夫だ」と自信を持って言える。私と兄の間には、血縁という絆だけではなく、「お互いを信頼し、助け合ってきた記憶」がしっかりと刻まれているからだ。
兄が家を出てから、私たちはしばらく連絡が途絶えがちになった。私が大学受験で忙しくなったのも大きな原因だ。それでもLINEや電話で声が聞きたくなったら、いつでも連絡してくれと言われていたので、私はたまに短いメッセージを送っては近況を報告した。すると兄は、「いつでも聞くから、困ったら言えよ」と返してくれる。相変わらず、頼れるお兄ちゃんのままだ。私がセンター試験で失敗して意気消沈していたときも、さりげなく「次のチャンスがあるなら自分を信じろ。終わったことはくよくよしても仕方ない」とアドバイスをくれた。画面越しだったけれど、その言葉を聞いた瞬間、胸があったかくなったのを覚えている。
大学合格が決まってから、私は真っ先に兄に電話をかけた。メールやメッセージではなく、声で伝えたかった。電話の向こうで「よく頑張ったな。おめでとう!」という兄の声を聞いたとき、私は涙が止まらなくなった。今までなんとか踏ん張ってきた受験勉強の疲れが一気に噴き出したのもある。でもそれ以上に、「この喜びをいちばん分かち合いたい人が、誰よりもお兄ちゃんだったんだ」ということに気づいてしまったからだと思う。友だちに報告する前に、両親に言う前に、私は兄に連絡していた。それほど私のなかで兄は大きな存在で、どんなときでもまず伝えたい相手なのだ。
いよいよ私は春から大学に入学し、新しい生活が始まる。兄がいる町へ引っ越すかどうかは、まだはっきり決まってはいないけれど、同じ都内に通うことになるので、これまでよりは少し気軽に会えるだろう。「兄妹で仲が良すぎる」なんて冗談めかして言われることもあるけれど、そんなのは気にしない。お兄ちゃんと私は、長い年月をかけて共に成長しながら、お互いを支え合ってきた。私が自然と「お兄ちゃん大好き」と言えるのは、それだけの歴史があってこその言葉だからだ。
もちろん、これから先の人生で、兄と私の道が大きく別れる瞬間がやってくるかもしれない。結婚するにしても、仕事のために遠くへ行くにしても、人はそれぞれの未来へ進んでいく。だけど私が歩む先にいつでも兄の姿が見えたように、兄の歩む道の先にも私の姿が小さく映っていると嬉しい。物理的に離れていても、心が通じ合っていると感じられるような、そんな兄妹でいたいと願う。だからこそ、日々のなかで「大好きだよ」と面と向かって言えるのは、いまだけかもしれないと思い、恥ずかしさはあっても声に出して伝えたい。後になって「あのとき言っておけばよかった」と後悔したくないから。
思えば、妹としての私は、ずっと兄に何かをしてもらう立場だった。小さな頃は、けがをすれば助けてもらい、泣いていれば隣に座って肩を抱いてくれた。宿題でわからないところがあれば教えてくれたし、進路に迷えば「やってみたいならやってみろ」と背中を押してくれた。今度は私が、お兄ちゃんの力になりたいと思う。まだ何もできていないかもしれないけれど、少しずつでも兄にとって頼れる妹になりたい。もし兄が苦しくて立ち止まってしまう日が来るなら、私が「大丈夫、きっとできるよ」と笑顔で言ってあげたい。そして、いつか心底困ったときには、私がまた彼を助けてあげられるようになっていたいのだ。
でも、もしかしたらお兄ちゃんは、そんな私の気持ちをとっくに見抜いているのかもしれない。だって彼はいつも私より先を見ているようなところがあるから。私が高校の合唱部で頑張っていたときも、実は自分が忙しい中、ライブハウスでアルバイトをしてボイストレーニングの動画を集めたり、声の出し方に詳しい知り合いに助言をもらったりして、それとなく私にヒントを与えてくれたりもしたらしい。そんな話を本人から聞いたことはない。私が後から友人づてに聞いたのだ。そういうところが、本当に優しくて、かっこよくて、私が世界でいちばん尊敬している兄の魅力だと思う。
これまでも、そしてこれからも、私のなかで「お兄ちゃん」はずっと特別だ。自分が子どもっぽく感じられるときもあるし、「こんなに人を好きになるって、兄妹だからこそなのかな」と考えるときもある。でも、家族という形を抜きにしても、私はきっと同じように兄を大切な存在だと思うだろう。どんなときでも私を認めて支えてくれたあの瞳と声と背中は、私が人生のなかで何度も思い返すであろう宝物なのだ。
今日も私は、兄にメッセージを送ろうか迷っている。大学のオリエンテーションで少し戸惑うことがあったから、軽く相談したい気分なのだ。けれど、また忙しい思いをさせるのではないかと気が引けてしまう。それでもきっと、兄は「そんなこと気にすんな」と言って笑ってくれるだろう。だって私がお兄ちゃんの立場でも、きっと同じように思うから。困っているなら、何も言わずに助けたい。それが家族だからとか、妹だからとかいう理由だけじゃない。私にとって、お兄ちゃんはそういう存在であり、私自身もまた兄の力になりたい。そんなふうに自然に思えることが、嬉しくて仕方がない。
大人になったら、もっとお互い別々の生活を送る時間も増えると思う。だけど私の心の真ん中には、いつでも「お兄ちゃん」がいて、私はいつでも「お兄ちゃん大好き」と思っている。その気持ちを言葉にするのは、やっぱり少しだけ恥ずかしいけれど、それでも私の素直な思いだ。だからこれから先、何十年たっても、私にとってのいちばんのヒーローはお兄ちゃんだし、私はその事実を胸を張って言える。小さかったあの日からずっと変わらない、私の本当の気持ち――
「お兄ちゃん大好き。」
今年の大学共通テストがいよいよ目前に迫ってきました。この試験は、日本全国の多くの高校生にとって、大学進学への大きな第一歩となる非常に重要なイベントです。私は受験生として、このテストに向けて努力を重ねてきましたが、直前の時期に感じていることや、これまでの準備のプロセスについてお話ししたいと思います。
まず、今年の大学共通テストは、従来のセンター試験に代わる新しい形式の試験としての位置付けが明確になり、試験問題の傾向や内容について多くの議論がされてきました。昨年度の共通テストでは、思考力や応用力を重視した問題が増え、単なる知識の暗記では太刀打ちできない部分が強調されていました。今年もその傾向が続くと予想されており、特に英語のリーディングや数学の問題では、高い分析力が求められることが予測されています。このため、私を含めた多くの受験生が、単なる問題集の繰り返しだけでなく、文章読解力や論理的思考力を鍛えるための工夫を凝らした勉強を進めています。
私自身は、特に英語と数学に力を入れてきました。英語では、過去問を解くだけでなく、長文読解に慣れるために英字新聞や海外の記事を読む習慣を取り入れました。これにより、試験問題以外の文脈で英語に触れる機会を増やし、語彙力や文法知識を総合的に向上させることができました。一方、数学では、基礎問題を徹底的に復習することを優先しつつ、模試や練習問題集を活用して応用問題にも取り組んできました。特に新傾向の問題に対応するため、問題を解く過程でどのようにアプローチすれば効率的かを自分なりに分析するよう心掛けています。
また、試験本番に向けては、体調管理も非常に重要です。昨年の受験生の体験談を聞くと、試験直前に体調を崩してしまい、本来の力を発揮できなかったという話を多く耳にしました。これを教訓に、私は規則正しい生活を心掛けるとともに、栄養バランスの良い食事や適度な運動を取り入れるよう努めています。特に睡眠は大切で、勉強が忙しくても夜更かしを避け、十分な休息を取るようにしています。
加えて、メンタル面のケアも忘れてはなりません。大学共通テストは受験生にとって一大イベントであるがゆえに、プレッシャーを感じる場面も多いです。私も時折、「本当にこの努力が報われるのだろうか」と不安になることがあります。そのようなときは、家族や友人に相談したり、リラックスできる趣味の時間を作ったりして、気持ちをリセットすることを心掛けています。また、これまでの努力を振り返り、「ここまで頑張ってきた自分を信じよう」と自分を励ますことも大切だと感じています。
さらに、試験当日の対策についても計画を立てています。まず、試験会場までの交通手段や所要時間を事前に確認し、当日は余裕を持って会場に到着できるように準備を進めています。また、試験に必要な持ち物をリスト化し、忘れ物がないように注意しています。具体的には、受験票や筆記用具、時計、そして軽食や飲み物などが挙げられます。これらの準備を怠らないことで、試験当日に余計な不安を感じず、試験に集中できるようにしたいと思います。
今年の大学共通テストは、私だけでなく全国の多くの受験生にとって大きな挑戦です。しかし、この試験を乗り越えることで、次のステップに進むための新しい扉が開かれると信じています。試験直前のこの時期、焦りや不安を感じることもありますが、自分を信じて最後まで努力を続けるつもりです。
最後に、同じく受験に挑む皆さんへエールを送りたいと思います。どれだけ困難に感じても、共通テストは一つの通過点に過ぎません。この経験を通じて成長し、未来への道を切り開いていけることを願っています。一緒に頑張りましょう!
浪人かつ目指していた大学が国立だったこともあって毎日朝から晩まで缶詰状態で勉強していた。
そんな時楽しみだったのがTwitterで、勉強の合間に見るのを楽しみにしていた。
色々アカウントを持っていた中で絵を見るためにほぼ絵師のみを数千人フォローしていたアカウントがあった。
今こそ減ってきているような気がするが絵師をフォローしているとコミケの時期にほぼ必ずと言っていいほどオフパコのツイートが流れてきたり、それを匂わすような文章やブース内で後ろからレイヤーの尻を撮影したみたいな写真が上がるのだ。
現役高校生の時代はそもそも高校が楽しかったのも彼女がいたのもあってそれを見てもいいな~くらいにしか感じていなかった。
しかし浪人生となり、彼女と別れはしなかったものの会う回数も減らし、たいして何も楽しみがない中勉強をし続けていた。
浪人生になって初のコミケ時期である夏コミの時期には、まだ浪人生生活始まって4か月というのもあって恒例のオフパコ匂わせのツイートなどにもちろん現役生時代と比べてイラつきはしたもののまだ平静を保っていた。
しかしその後秋ごろに、とある有名絵師同士がTwitter上で喧嘩をし始めてお互いのオフパコ事情を暴露しあう事件があった。
その内容が生々しく有名とはいえこんなにもレイヤーとしてるものなのかと無関係な身にもかかわらず自身の状況と比べて怒りが止まらなくなった。
今でこそそんな事思っていないので時効だと思うのだが、その件に本物の殺意が沸いてしまった。
そのころからその絵師二人を含めて"必ず〇すリスト"を作り始めた。
絵師だけでなくそれを匂わすレイヤーも対象として徐々に追加されていって最終的には数十
そして迎えた冬コミの季節
この時期は受験生にとって最もしんどい時期と言っては過言ではない時期なのだ。
私自身見なければいいもののTwitterを合間合間に見てしまった。
例年通りオフパコやその匂わせツイート等が目に入ったのだがその時覚えた殺意は計り知れないほど強いものだった。
続々とリストに絵師が追加されていき、既にリストにあった人物には強調するようなしるしを加えた。
そこまでならよかったのだが受験生のこの一番気を張る時期ということもあって殺意がそれだけでおさまらず、次に武器を調べ始めた。
コミケに一度行ったことがあったので正直持ち物検査がザルなのは知っていた。
真似されても困るので詳しく何かは書けないが複数持った状態でもほぼ確実に持ち物検査を突破出来て、テーブルをはさんだ相手を素早く〇傷でき、逃げることができる凶器を調べて見つけ、実際に複数本購入した。
アリエクで買って税関で止められて諦めたり、別口で買って届いた後母親にバレて問いただされたりしたが入手することができた。(もちろん何年も前に処分したため今は所持していない)
そして前回開催のコミケの地図を広げできるだけ多くの狙いの人物を〇すためのルート等を考え始めた。
ここまで読めばわかると思うがその当時は本気で実行しようと考えていたのだ。
そして1月終わり頃。
この時点でセンター試験は終わりその結果は大して悪いものでもなかったのだが、殺意はとどまらず正直なところ勉強と〇人の事しか考えていなかった。
今考えれば受験で生まれるストレスをすべてぶつけていたのだろう。
その時点ですべてが報われた気がして、その殺意もどこへやらと飛んで行ったのだ。
ただ今でも思うことがある。
自身のこれまでの人生での行動力と思い込みの強さを考えると、もしあの時落ちていたら春コミで絶対に実行していただろうなと。
私の病んだ理由が受験という一過性かつ未来があるものであったからよかったものの、もしこれが40超えてリストラにあって等といった絶望的かつ一過性ですらないものだったら
私が言いたいのは、顔も身分も隠したネット上での有名人だからといって本体が何をしても恨まれない訳ではないということ、そして誰から恨まれてるかわからない状態でリアルイベントに出てネット上の誰かを逆なでするかもしれないような発言はすべきではないということだ。
ただ正直この二つに関しては、最近ではそのたぐいのツイートは減っているように見えるので問題はないように感じている。
しかしコミケの手荷物検査のザルさに関しては今でも改善されているように見えない。
去年コミケに参加したが、私が何年も前に立てたあの計画を今でも実行しようと思えば余裕で出来そうなレベルのザルさであった。
私が立てた計画はサークルとして参加して~のものだったがもし誰かが同じようなことを考え実行したとして、それを止めることができるだろうか
コミケの運営や参加する絵師、レイヤー、客として参加している人、そのすべてがネット上で活動している人間を一堂に会させるという事の危険性を今一度考えた方がいいのではないかと考えている。
重ねてになるが今はそんな殺意は全く持っていないしその凶器も全て処分しているし楽しく過ごすことができている。
しかし世の中には行動力と思い込みの強い攻撃性のある人物がいる事は間違いなく、その人物が今もどこかで同じことを考えている可能性は正直低いとは言えないだろう。
その人物がもし次の開催を予定日にしていたら……。
世の中に絶対はないのだ。
面白いアイデアですが、いくつかの点で改善できる部分があります。以下の観点で見直すと、さらに良い投稿になると思います。
投稿のテーマが複数あり、読者が混乱する可能性があります。「2005年広島の守備と失策のヤバさ」や「坂本勇人の評判」、「日本シリーズでの歴史的試合」など、それぞれ個別に魅力的なテーマですが、1ツイート内に多くを詰め込みすぎている印象です。
→ 提案: 1つのツイートでは1テーマに絞る。例えば「2005年広島」の話に集中し、「センター試験風」のネタを絡めると読者に強い印象を与えられます。
野球ファン向けの内容ですが、「パワプロで覚えてしまうと~」のくだりや「坂本勇人」の部分は少しジャンルがずれている印象です。これが原因で、投稿全体がぼやけて見える可能性があります。
→ 提案: センター試験というテーマに沿って「野球あるある」や「歴史的事実」をもっと直接的に絡める。
センター試験という設定は面白いのに、それを活かしきれていない印象です。「問題形式」でツイートを始めるなど、センター試験っぽさをもっと押し出してみては?
→ 例:
「次のうち、2005年広島が達成した記録を選べ。A. 失策114個 B. 失点リーグ最下位 C. 堀内巨人を上回るD. すべて」
→正答率10%。これは覚えづらい。
一つのツイートが長すぎて情報量が多いので、読者が途中で離脱してしまう可能性があります。
→ 提案: テーマごとにツイートを分割し、スレッド形式にするといいでしょう。
冒頭ツイート例
「もしもセ界史にセンター試験があったら…こんな問題が出そう。」
「問題: 2005年広島がリーグ最下位になった理由として正しいものを選べ。
D. すべて
正解は…D!」
「もしもセ界史にセンター試験があったら」ってタグで野球あるあるネタを語ってみたら絶対にバズる!って思ってこういうツイートをしてみた。
リリーフと守備がひどすぎて堀内巨人よりも失点して最下位に沈んだ05年広島。
広島のヤバさは暗黒ベイ、堀内巨人の影に隠れがちだが…このシーズンだけはガチヤバでした。
堀内巨人が最下位と思って読んだら、過去の記録見返したら広島がグロすぎて「そんな事になってたの!?」と驚きましたよ…。
「この時の広島は打てる人多くて強いはず」
女性スキャンダルがあると選手キャリアの終わりのようにネットがざわつきますが…坂本勇人さんはむしろ特ダネ以外の欠点がない人です。
ネットの評判を真に受けないで
今年の日本シリーズ6戦目でソフトバンクのボロ負けが話題になりましたが…実は98年の方がさらにすごかったです。
打ちすぎてシリーズ最長の試合時間。新谷投手にシリーズワースト失点をお見舞いした試合です。
有原滅多打ちもすごいけど、こっちは大記録です
なにが良くなかったと思う?
公務員試験はセンター試験で偏差値50ちょっと出せるレベルで通る簡単な試験です。
面接のレベルはもっと低くて、面接の試験があったら偏差値40でも通れる程度だと思います。
ハッキリ言えば、ニッコマに入れるレベルの人なら200時間も勉強すればまず通れるでしょう。
面接の練習も大卒者が一般企業に浮かれるレベルを想定すれば簡単です。
総合職の場合は一回り難しくなりますが、それでも士業に比べればありえないほど簡単です。
高卒の場合は言うまでもなく、普通にニッコマに受かるのと同じぐらいの難易度でしかないです。
基本的に旧帝大クラスの人が来たら「あの人マジで勉強できるらしいぜ。勿体な」と話題になります。
誰それが京大卒だとかいった話も研修などではあっという間に広がっていきます。
もしも公務員が高学歴ならその程度のことで話題になったりはしないはずですよね?
公務員なんかやっても単にブルシット・ジョブを延々と処理するだけでしかないことは志望者の間では知れ渡っています。
その上で受けに来る人達の中に本気で日本を良くしたい人なんていません。
世の中に不満があってなにか行動を起こしたいと思っている人は、不満のあるものを変える技術に携われる民間企業や、活動に関われるNPOに行きます。
お金を稼いでそういった人達を支援するという方向を目指す人達もいます。
彼らの「世の中を良くしたい」という情熱に比べたら公務員の「まあなんとなく世の中の役には立ってるんじゃないの?」という消極的な態度はカスみたいなもんです。
新しく入ってきた人が3年持つかどうかは普通に注目されるポイントですね。
若い子は第二新卒カードがあるからアッサリ消えますし、他の公務員試験を受け直したりも普通にあります。
ベテランの人が家族の都合などで辞めることも少なくありません。
それもこれも何とか中央値程度な給与でありながらサビ残や休日呼び出しが当たり前のように存在する待遇の悪さに起因しています。
「親の介護が必要なので実家の近くでしか働けない」と言っても、容赦なく特に飛ばされることが決まったりするから「自分の人生を考えたら辞めるしか無くなった人」がちょこちょこ生まれますね。
全国転勤になりがちな国家公務員は特にその傾向が強いと思います。
都心部以外ではこの傾向が強いです。
わざわざマイナスイメージを口にすることは少ないので、ググったりした場合は都心の「デジタル化したぜ!」という自慢話ばかり出てくるかもしれません。
・年功序列が基本
・血や空気の入れ替わりが少ない
この2つの要素がバッチリ聞いてくるせいでザ・JTCといった空気です。階級社会的な要素が非常に強く、どんな人でも偉くなるに従ってボス猿みたいな態度で働くようになります。
お金や時間を上手く使うという感覚は、民間の感覚から見れば皆無と言ってもいいレベルだと思います。
決められたルールと予算の中に縦割りな業務を上手く収めることしか考えてません。
自分の狭い観測範囲内での効率化は考えられますが、それが広い視野で見たら逆効果になるような状況について脳がバグって「そんなことはない!俺の見えてる範囲では確かに効率化されているんだ!俺は正しいんだ!」と知能崩壊を起こすことが非常に多いです。
経済的な本能が壊れきった社会主義的な生き物しかいない組織ばかりなので、資本主義的な観点から見れば役立たずばかりと断じてもいいまであります。
私が知ってる範囲だとこんな感じですかね。
公務員はクソみたいな仕事ですが、給料は安定しているし、公文書偽造っぽいことに巻き込まれてもなんだかんだ庇いあう空気がるから民間で横領案件の巻き添えを食うよりはマシだと思ってます。
世の中を良くする気なんて全くないくせに半端なプライドだけは高くて「俺の仕事が社会において一切価値のないような仕事になるのだけは嫌だ。押し売り営業をしたり売れない商品を開発したりの人生だけはゴメンだ。トイレ掃除や缶詰工場みたいなあまりにもみみっちい仕事も嫌だ」と感がてしまっているような真面目系クズと極めて相性の良い仕事だと思います。
まあ、人間なんて9割は自己中心的なゴミクズなわけですから、そんな中で自分を社会に組み込まなければ生き残れないという状況になれば、こんな仕事でもやりたいと思う人間が出てくるわけですよね。
今シーズン、巨人は4年ぶりの優勝を成し遂げたが、CSで3位横浜に敗北して日本シリーズに出られず。
そして勢いそのままに、横浜が絶対王者ソフトバンクホークスを倒し、日本一に輝いた。
彼らの歓喜の瞬間を見届けていたとき、胸に2つの大きな感情が渦巻いていた。
そしてもう一つは、ハッキリ言葉に表すことは難しいけれど、おそらく"虚しさ"のようなものだと思う。
"日本一"というタイトルに対する、今の巨人ファンの執着は物凄く強いものがあると思う。
最後に日本一になったのは、ちょうど干支が一周する前の2012年。
そこから12年連続での逸日本一自体が球団ワースト記録を更新中…というのもあるんだけど、ことはそう単純ではない。
日本一の翌年、2013年の日本シリーズは楽天と歴史的な戦いを繰り広げた末、3勝4敗で敗北。
シーズン無敗の主人公・田中将大に唯一負けを付けたりとか良い場面もあったし、まあここまではまだ良かった。うん。
問題は次の2014年からの11年間、ここからが苦難の始まりだった。
もちろん、巨人よりも長く日本一から遠ざかっているチームも広島・中日・ロッテ・西武と4つくらいはある。(もう4つしかないとも言えるが)
この11年間でシーズン優勝4回、Aクラス8回、残り3年も僅差の4位…と、12球団全体でみてもソフトバンクに次ぐ戦績を残していること、
そしてこれだけシーズンで安定して好成績を残していながら、この11年間、日本シリーズでたったの1勝も出来ていないことである。
4回優勝したうち、2回は日本シリーズに出ることすらかなわず、CSファイナルで2位以下のチームに敗北。
そして残り2回は、ファンのトラウマでありアンチの笑い種…どこらかもはやアンチ巨人すらドン引きさせた感のある、
2019-2020の伝説的な対ソフトバンク連続被4タテ(計0勝8敗)だ。
特に2020は、間違いなく史上最悪の日本シリーズと言っていい、あまりに一方的なやられ方だった。
2005年阪神の"33-4"がネットミーム化で目立ってるおかげでちょっと隠れられてるけど、
あらゆる面で2020巨人の方が情けなく、惨めで、恥ずかしい、史上最低のチームだったと思う。
(どこがどう酷いのかを語りだすとキリがないので、ここでは割愛するが…)
そもそも、あの2020年はコロナ特例で例外的にCS開催無しで日シリに進出出来ちゃったため、
あの年CSが通常通り開催されてれば、チーム状態のマズさ的にCS時点ですでに敗退してた説が濃厚だったりする。
とすると、1勝+本拠地開催のアドバンテージがある首位の立場でのCSファイナルで、実質3/4年も敗退していたような体たらくということに。
首位チームのCSファイナル突破率が80%(巨人除くと85%)なことを踏まえると、驚異的な弱さといえる。
なお。逆に巨人が2~3位だった4年間では、CS1st(2位vs3位)は3/4回と高確率で勝っているものの、
首位球団とのファイナルでは、1勝3敗、0勝3敗、0勝3敗とあっさり返り討ちに合っており、下克上の予感など微塵も感じさせてくれない。
つまるところ、この11年間我々は、
ポストシーズンの短期決戦になったとたん、嘘みたいに激弱チームになってしまって、
143試合で積み上げて熱量を、その後のたった数試合ですべて無に帰されてしまう。
そういう絶望を、ずっと味わい続けているわけだ。
普段の模試では高得点をとれるのに、センター試験や2次試験の本番で大失敗する浪人生を、毎年見守っているような心境だろうか。
ずーっとパリーグ(というかほとんどソフトバンク)の連覇が続いていただが、
2021にヤクルト、2023に阪神と、ようやくセリーグ他球団にも先を越され始めてしまった。
それももちろん悔しくはあったけど、彼らはその年のリーグ優勝チームだったため、まだ気持ちの整理がついた。
特に去年の阪神なんかは、シーズン中もずっとボコボコにやられており、
近年の巨人のどの優勝年よりも強いと感じるチームだったため、
「ここまでシーズンで強いチームを作れれば、日シリでもやっぱ勝てるんだな」と、ある種救いを感じもした。
しかも、シーズン中も割と早くに首位争いから脱落しており、終盤にカープが歴史的失速で一気に4位まで転落したため、ドサクサ紛れでAクラスに浮上したような感じだった。
巨人視点でも、シーズン中は16勝8敗と最もカモにしていたお得意様であり、正直とても日本一になるような気配を感じるチームではなかった。
そういうチームですら、日本一になれてしまったというのは、かなり精神的にくるものがあった。
一応言っておくと、別に横浜の日本一にケチをつけたいわけではない。
シーズン成績がどうだろうと、ルールの範囲内で勝ち取った栄光だし、
シーズン中は弱点だったはずの守備力と投手力が良化していたポストシーズンの横浜は、シーズン中とは別物の強いチームだった事実。
何より、巨人ファンにとっては絶望の象徴でしかないソフトバンクホークスに勝ったんだから、素直に素晴らしいと思う。
CS制度についても…まあ、個人的には巨人関係なく、首位同士の日シリが見たいので一貫してあまり好きではないのだけれど、
シーズン中の消化試合を減らせるうえに臨時収入も入る、興行的には優れた制度なのは理解しているし、
だいたいは首位が勝ち上がれるようにできているアドバンテージのバランスも、絶妙に上手くできている良い制度だと思っている。
…というか、贔屓球団が負けたタイミングで文句を書くのは単純にカッコ悪すぎるので、このタイミングでは触れたくないね。
廃止論もそうだけど、特に、毎回「貯金の差に応じてもっとアドバンテージ増やせ~」みたい言論が出てくるのは、正直惨めすぎて見るに堪えない。
巨人はCS制度で一方的に損しまくってるけど、制度自体はまあ平等なんだから、結局「負ける方が悪いでしょ」という正論には適わないのよね。
2位3位から勝ち上がれるチャンスもこれまで結構もらってる方なのに、横浜と違って全くそれを活かせてないわけだし。
昔はホークスもポストシーズンに弱くて、秋の風物詩とか言われたらしいけど、2018-19の2位から日本一連発で、その風潮を完全に亡き者にしちゃったわけだし。こちらもそうあってほしいものだ…。
ちょっと脱線しちゃったけれど、要は何がキツかったかというと、
うちの贔屓球団は何回優勝しても、シーズンで勝ちを積み上げ続けても、日本一に手が届く気配すらまるでないのに、
余所はシーズン貯金2でも、その日本一になれちゃうんだ…という落差なんだろうなと思う。
巨人も近年、優勝できない年は決まって貯金・借金が±0~5の範囲内程度なので、貯金2くらいのシーズンの空気感は非常に身に覚えがあって、
じゃあその空気感のまま、うちの贔屓が横浜みたく下克上日本一を勝ち取れるかというと、残念ながらその予感は全く感じられない。
微妙なシーズンを10月の数試合ですべてチャラにした横浜を見ていると、
逆に、どうせ10月で毎回全部台無しにしちゃうようなチームを、143試合応援し続けてることが、猶更虚しく思えてきてしまったわけだ。
今年のポストシーズンが始まる前は、かつてないほど「今年こそ日本一に」という、縋るような思いを抱えていた。
あの惨敗の2020年以来の優勝シーズンだったというのが一つと、
「今年はちょっと違うかも…」と、淡い期待を抱かせてくれるような要素が、以下のようにいろいろあったのが一つ
・長らく、FAで大物が獲れた時にしかV奪還出来なかったチームが、FA補強無しで前年4位→首位に変わったこと
・監督が長年勤めていた原監督から阿部監督に変わり、良くも悪くもチームカラーがガラッと変わっていたこと
・最近お決まりだった序盤ダッシュ→後半失速パターンと違い、8月9月の終盤に調子を上げていたこと
・最終盤ギリギリまで続いた優勝争いを勝ち抜き、ポストシーズン同様の「絶対に負けられない試合」を勝つ経験をすでに積めていたこと
加えてそこにもう一つ乗っかってきたのが、エース菅野が35歳の高齢ながらに、来季MLB挑戦することがCS直前にスクープされたこと。
1つは、最後の日本一達成とちょうど入れ替わりで入ってきた選手であるため、
キャリア12年間ほぼずっと一線級で働き、おそらく今年含めて3度もMVPに輝きながら、一度も日本一を味わえていないこと。
本人もインタビュー等でよく「自分が入団してから一度も日本一になれていない」と、強く意識していることを語っていた。
そしてもう1つが、色々複雑な背景から「巨人以外は入団拒否宣言」という手法を使った最後の選手であり、
かつ、強硬指名してきた日本ハムへの入団を実際に拒否→一年浪人してから巨人入りした経緯があること。
こういう手を使ったことで、球界の嫌われ者になったこと自体は選択の結果なのでまあ良いとして、
問題なのは、「あのとき日本ハムに入団していたら…」というifストーリーが出来上がってしまったことだ。
少なくとも2016年に一度、大谷翔平らとともに日本一を達成できていただろうし、
しかも日ハムの体質的に、その後すぐ、ポスティングでMLB挑戦させてもらえていた可能性が高い。
パフォーマンスの最盛期だった2017-18辺りで渡米できれば、本人としても後悔の無い野球人生を送れたのではないかと。
しかし、現実には選択した球団がポストシーズンクソザコナメクジだったため、
日本一には一度もなれず、2年連続沢村賞の最盛期をチームの低迷期に浪費し、
旬を逃したせいで一度MLB挑戦を諦めるような形になってしまった。
となると当然、「あの時日ハムに入ってりゃ全部うまくいったのになー」と憐れまれ、嘲笑われ、"自業自得"みたくしたり顔で語られる。
批判や誹謗中傷を浴びながら巨人に入った選手が、その巨人自身の至らなさのせいで、そういう立場に追い込まれているというのが、非常に悔しくて心苦しかった。
そして去年までは巨人も、菅野自身も年々下降線をたどっており、
チームはしばらく低迷するし、菅野もこのまま巨人一筋で引退に向かうだろうという空気感が漂っていた。
…がしかし今年、意外にもチームは盛り返し、まさかの菅野自身もMVP受賞濃厚といわれるほどの大復活を遂げた。
「自身の活躍でチームを日本一に導き、日本でやり残したことがなくなってから、満を持してのMLB挑戦…」という、現役のプロ選手なら誰でも憧れているであろう成功ルート。ファンからしても、最も理想的な送り出し方。日ハムじゃなくて巨人を選んでせいで、一度は途絶えたかに思えたその道が、再び繋がる最後のチャンスがやってきた。
だからこそ、何としても今年、このタイミングで…と願わずにはいられなかった。
…しかし、待っていたのは日本シリーズに挑むことすらかなわず、挙句最後には菅野自身が負け投手になって終わるという、あんまりな結末だったとさ。
しっかり調べたわけじゃないけど、なにせ12年連続逸日本一で球団ワースト記録というくらいだから、
これまで、長らく主力を張っていた巨人の看板選手というのは、たぶんキャリアで一度くらいは日本一を経験できてるはず。
そのルートから外れた第一号が、他でもない菅野になっていしまったというのはホント報われないなぁと。
たぶんもうこれで、菅野がNPBでの日本一を味わえることは無いだろう。(MLB挑戦が頓挫して残る可能性も0ではないけど、それはそれで残念)
そして数年内のMLB挑戦が噂されている4番の岡本や、新エースの戸郷も、同じく日本一になれないままチームを離れちゃうんだろうなあ…。
まあ、今年シーズン優勝してるチームのファンがこんなにネガると嫌味みたいになっちゃうかもしれないけど、
ことポストシーズンに限ってはそんな思考を巡らせざるを得ないくらい、見えている景色がグロテスクすぎるのだ。
(もちろん、シーズン中から万年下位、ずっと優勝できていない…ってチームのファンとかにも、こちらが想像する以上のしんどさはあるだろうけど。
正直、今のこのチーム応援するのはうちより辛いだろうなあと思う球団も2つほどあるし。)
いやしかしほんと、なんで毎年毎年、10月になった途端、こうも呪われたように急激に弱くなっちゃうんだろうねー……。
このチームの首脳陣はまともに機能してるのかって文句言いたくなることもあるけど、
これだけずっと同じ失敗を重ねてるんだから、流石に現場のプロが無策だとは思えない(思いたくない)。
余所と比べて選手のメンタルが弱すぎるんじゃないのって文句言いたくなることもあるけど、
意外にも今の主力には、もっとプレッシャーがかかるWBCの舞台で躍動した選手もけっこう多かったりして、
ところがそんな選手たちでも、巨人のユニフォームを着た状態で短期決戦に入ると、パッとしなくなっちゃうのだ。
きっと、フロントもスタッフも選手もやれることはみんな尽くしてて、それでもどうにもならない状態なんだろうなあと思ってて。
だから見てるこっちも、このチームどうしたらいいんだろうなあ…っていうビジョンを見いだせない。八方塞がりの絶望感。
今年のソフトバンクみたく、貯金42でぶっちぎれるほど圧倒的な力を付ければ、ポストシーズンのデバフ込みでも勝てるかも…って思ったけど、
SBと違って、大物のFA選手や主力助っ人を金で引っ張ってくるほどの力が無い今の巨人じゃ、そこまでのチームはさすがに作れない。
(今年大型補強無しで前年4位→1位に押し上げただけでもかなりよくやった方だと思う)
というかそもそも、そんなシーズン無敵のSBですら今年日シリで負けちゃったので、いわんや負け癖がしみ込んだ巨人をや…という感じだ。
過去最高潮に日本一を願っていたところから、いつも以上の落差の結末を見せられた今年の秋は、ほんとにしんどすぎた。
こんなものを見せられてしまうと、来シーズンからは今まで以上に、
「どうせ今頑張っても、10月になったら余所のチームに全部持っていかれちゃうんでしょ」って思いが頭を離れず、シーズンを虚無に感じてしまいそうな、そういう怖さがある。
巨人のファンなんて基本ネット社会では嫌われ者のいじめられっ子だし、
リアルでどこの球団が好きかって聞かれた時も、答える時になんか後ろめたさあるし、
もうSBみたいに"強い"ヒールじゃないただの小悪党なのに、現地の敵応援団にも煽られまくるし、
プロ野球11球団が興行的に成長している中、巨人だけは強さ的にも人気的にも全盛期に勝てるわけがないから、相対的に一人だけ伸びしろのない落ち目感あるし、
開き直って「別に弱くてもいいじゃん」ってスタンスで気楽に見るには、本気で優勝を目指す球団体質とか、弱くなると全方面から叩かれる環境とか、あらゆる面で相性が悪いし、
何より、球団側は「強い伝統球団であれ」みたいな感じだけど、その中身がここ一番の短期決戦でクソザコ化する集団ってあまりに噛ませムーブがすぎて見てらんないし。
……ってな感じで嫌な思いをすることが多くて、総量的には損の要素が上回ってるくらいの印象があって。
我ながら応援する球団を、趣味の選び方を間違えてしまったなあという感なのだけれど。
それでもCS敗退数日後のドラフトで、楽しみな選手が獲れてちょっと気を持ち直したりしちゃってるし、ファンであることから簡単には抜け出せない。
かの村上春樹(ヤクルトファン)がかつて、「お気の毒です。読売ジャイアンツのファンなられてしまったというのは、きっと前世のカルマが祟っているのでしょう」と冗談めかして記していたが、年々この言葉をまさにその通りじゃないかと感じてしまっている。うっかり良くない新興宗教にはまってしまって、気づけば抜け出せないみたいな…。