はてなキーワード: 疑念とは
反証主義(ポパー型)で「MMTが自分で自分を検証可能にする」ために必要なのは、要するに “ルール固定(calvinball回避)”+“他理論と区別できる事前予測”+“反証条件の明文化” です。
クルーグマンが「MMTersと議論するのはカルビンボールみたいだ」と書いた、という批判はまさに「反証可能性を逃げる構造があるのでは?」という疑念で、引用される形で流通しています。
(MMT側は“学者のMMTとネット言説を混同するな”と反論しがちで、ここが定義の揺れ=calvinball問題の温床になりやすいです。)
以下、「反証主義の手法でMMTが己の証明(≒検証)をするには?」への、実務的な設計図です。
反証主義で大事なのは「どこを撃てば理論が死ぬか」を明確にすることなので、MMTは最低限:
を分離して、文書化した “MMTプロトコル” を公開するのが第一歩です。
例:MMT文献では「税が貨幣需要を支える」「赤字は民間の純金融資産になる」「国債発行は準備(当座預金)と金利管理の技術問題」などがコアとして語られます。
あなたが挙げた条件(MMTだと起こり、他では起こらない/その逆)に落とすなら、MMTに固有色が出やすい争点を選ぶのがコツです。
モズラー系MMTには「自然利子率はゼロ」や、金利引き上げが利子所得を増やし得て、結果としてインフレ圧になり得る、という発想が色濃くあります。
事前に「政策金利サプライズの引上げは、一定期間内にインフレ率を(平均して)下げない/むしろ上げる」と符号を宣言。
高頻度識別(FOMC/日銀イベント等)+ローカルプロジェクションで検証。
結果が一貫して「引上げ→インフレ低下」なら、少なくともこの命題は棄却。
MMT側には「国債は準備吸収のオペで、財源ではない」的な整理があります。
これを“国債を減らした/止めたとき、何が起きるか”に落とす。
予測:国債供給を大きく減らしても、(IOR=準備付利などで)短期金利を管理できれば、マクロの主要変数への悪影響は限定的。
対立仮説(主流派寄り):安全資産不足・担保制約・金融仲介の歪みで、クレジットスプレッドや金融不安が顕在化し得る。
検証:国債供給ショック(QEや発行構成の大変更)を使い、スプレッド・レポ市場・信用量・実体への波及を事前に“どっち向き”か宣言して当てる。
MMTの有名な主張に「Taxes drive money(税が貨幣需要を支える)」があります。
新しい税(または納税手段の規則変更)が導入され、「その通貨でしか納税できない」制約が強まった地域・時期で、通貨受容や保有が(他条件一定で)増える、という予測を置く。
検証:差の差(DID)や合成コントロールで、通貨受容指標(預金、決済、為替プレミアム等)を追う。
結果が一貫して「税制変更が通貨需要に有意な影響を持たない」なら、この強い形の命題は修正が必要。
MMTはJGを「失業(バッファ在庫)ではなく雇用(バッファ在庫)で物価安定と完全雇用を両立」と位置づけがち。
地域パイロットで、JG導入地域と非導入地域を比較。賃金分布・離職・物価・民間賃金への波及を事前に予測。
予測に反して、JGが賃金・物価を不安定化させる/民間雇用を恒常的に圧迫する等が再現的に出れば、JGを“安定装置”とする主張は反証され得る。
calvinball批判を真正面から潰すには、これがいちばん効きます。
を「事前登録」して公開する。
これができれば、少なくとも「検証不能状態を意図的に作っている」という疑いは大幅に減ります。
理論争いが泥沼化しやすいときは*政策イベントに対する事前予測(forecast)を提出して、
で どっちが当たるかを数年単位で競うのが、実は一番フェアです。
MMT側も教科書的整理は進めていますが(例:Springerの体系的テキスト)、
「事前予測で勝ちに行く」動きは、外からは見えにくいのが現状だと思います。
反証主義でMMTが「検証に耐える理論」になる道筋はシンプルで、
この4点をセットでやることです。
やはりナクバを想定して書かれた詩を「2023年からパレスチナで起きていることをきっかけに書かれた詩です」と説明することは問題がある。
『おうちってなに?』がガザ戦争を描写していると誤解されることは、倫理的に明らかに不味い。
それはおじさんがお祈りにつかう敷物、冬の夜は何十匹ものアリがその下で休んでいたんだ 盗まれて博物館に入れられる前のこと。
この一節は、イスラエルによる略奪収蔵を描写しているわけだが、ナクバならともかく、ガザ戦争で略奪品が博物館に収蔵されたなどという話は聞いたことがない。
イスラエルがナクバで行った略奪収蔵行為を、ガザ戦争でも行ったものとして想像させて構わないだろうという姿勢は、まさにイスラエルが言うところの「反ユダヤ主義」にほかならない。
『おうちってなに?』はナクバを想定して書かれたことを前提として、ガザ戦争でナクバからの連続性を与えられ、再解釈されたのだという文脈は外してはならない。
あとオマケとして試験問題として見るなら、入試世界史の余計な知識がノイズになる問題と同じ構造になっている。
「ナクバで自分たちの資産が破壊され奪われたことを、過去の出来事として回想しており、既成事実化するようにきこえたから。」
という回答は何点になる?
もちろん国語の試験なんだから、こんな回答はするべきじゃないが、じゃあ朝日で語られた「国際情勢についても日々、興味関心をもってほしいという思いで出題した」という理念はどうなるんだろうね、という疑念は浮かぶ。
にはなりません。
です。
つまり
世界を良くするためではなく、
に該当します。
⸻
⸻
⸻
⸻
特質系
⸻
「世界は嘘で回っている。
ならば、壊れるまで事実を突きつける」
⸻
対象となる
その構造が最も崩れる“真実の一点”を強制的に顕在化させる能力。
⸻
1. 対象について
• 歴史
• 犠牲
のいずれかを十分に理解していること。
2. 発動後、
⸻
発動すると、対象に関わる者全員に以下が起こる。
• 組織内で
• 内部分裂
が連鎖的に発生
⸻
• V5
→ 世界秩序維持の名の下で行った
• カキン王国
⸻
• 討伐難易度:極端に高い
理由:
⸻
⸻
「この男は世界を救おうとはしない。
あなたは
ヒソカのように恐れられ、
では、感情論や詭弁を除いたうえで、**擁護側の中でも「理屈として成立しているもの」**を、きちんと筋が通る形で整理します。
※あくまで「反論として成立する論点」であって、無条件に正しいという意味ではありません。
⸻
主張
• ✔ 法律論としては正当
• ✔ 現時点で「違法」と断定するのは早計
• ❗ 法的に白でも「信頼関係を壊した」可能性は否定できない
⸻
②「CG再現・編集による二次創作であり原資料そのものではない」
主張
• 特定性を排除した再構成映像であれば、原資料使用とは別扱い
⸻
主張
• 本作は調査報道ではなく
完全な私小説ではない
⸻
主張
• 非公開のままでは、
• ✔ 実際に制度的欠陥が露呈した
• ❗ 「結果的に良かった」は
事前の配慮不足の免罪にはならない
⸻
主張
• 日本国内では公開困難が予見できた
• ❗ 「先に実績を作る」こと自体が
⸻
主張
• 多少の逸脱は構造変革の一部
• ✔ 実際に日本社会の歪みを突いている
• ❗ 逸脱を認めるなら
⸻
総整理(冷静版)
まともな擁護論を要約すると:
• 違法性は確定していない
• 社会的意義は大きい
ただし同時に、
という限界も明確です。
⸻
一言でまとめるなら
必要なら、
も作れます。
「独裁者を転覆するには、独裁者の象徴を攻撃するとよい」と言われる理由は、主に権力の正体が“物理的な力”だけでなく、“意味・正統性・信念”に支えられているからです。もう少し噛み砕くと、次の点が挙げられます。
⸻
独裁者はしばしば
• 国父
• 救国の英雄
この象徴が揺らぐと、「この人は本当に従うべき存在なのか?」という疑念が社会に広がります。
👉 権力は“信じられている間”だけ強い。
⸻
• 常に見せつけることで
• 人々を萎縮させる
それが崩れたり否定されたりすると、
「恐れていたのは幻想だったのでは?」
⸻
3. 象徴は人々を動かす「合図(フォーカルポイント)」になる
多くの人は内心では不満を持っていても、
• 他の人も動くのか分からない
• 一人で立ち上がるのは怖い
象徴への挑戦は、
「もう恐れなくていい」という合図
⸻
• 「あの像が倒れた」
• 「あの名前が消された」
「もはや永続しないのでは?」
⸻
• 国際社会
に対して
「この体制は終わった/正当ではなかった」
⸻
まとめると
で支えられています。
• 恐怖を相対化し
• 正統性を崩し
• 人々の心理を変え
• 体制内部の忠誠を揺るがす
立憲民主党は宇都宮LRTに対する今までの立場を総括しなければならない。
このままではLRT反対の印象ばかりがついてまともに選挙で勝つことは出来ないだろう。
私も元々はLRTに反対だった。
それは保守的な栃木県民が急にLRTの生活へとシフトすることが出来るだろうかという疑念を抱いていたからだ。
宇都宮は決して都会的な街ではない。自動車が無くては生活にならない。
LRTを通すということはその分車線を減らすということ。LRTの通る東口側は、車通りは多いものの何の観光資源も無い。膨大な税金を費やして、渋滞を引き起こすだけの赤字路線になると私は考えていた。
そう考えていた市民は決して少なくない。LRT代理戦争となった2016年の宇都宮市長選では賛成派51.8%、反対派48.2%の接戦だった。
私は最後まで本当に上手くいくのだろうかと訝しんでいたが、開通されてすぐにその疑念は間違っていたことが分かった。結果としてLRTは大盛況、想定を上回る乗客数で黒字が続いている。渋滞は以前に比べ解消され、東口の賑わいも創出している。
私含むLRT反対勢力は、完全に読みを外した。完敗である。今や西口延伸に反対する市民は少ない。前向きに検討したい市民が多数派だ。
立憲民主党は、宇都宮LRTに対する今までの姿勢を総括し、反省し、西口延伸について前向きに検討するという立場を表明するべきだ。
自己批判の無い政党に他者を批判する正当性は無い。自民党に対抗する勢力として間違いははっきり間違いであったと認めるべきだ。
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>イラン関連<
【速報】トランプ大統領 イランに軍事行動警告 イラン指導部から接触あったと明かす(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
政府、イラン全土に渡航中止勧告 滞在者へ「出国の検討」呼びかけ(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
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イランに攻撃の意思なしと伝達か イスラエルがプーチン大統領を通じメッセージ(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
外務省「イランから出国検討を」 デモ拡大受け“渡航中止勧告” ネット遮断続く(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
デモ参加者「死刑の可能性」イラン検事総長が警告 デモ鎮圧に「ヒズボラ」動員か(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
イラン外相 トランプ大統領の軍事介入示唆に「戦争の準備できている」も「対話に応じる用意ある」反政府デモ648人死亡(FNNプライムオンライン(フジテレビ系)) - Yahoo!ニュース
イランデモ、イスラム体制を支持してきた商店主が火付け役に これが重要な理由(CNN.co.jp) - Yahoo!ニュース
「ブラックアウト」──プーチンのインターネット遮断、イランの突然の切断は何をもたらすか(Forbes JAPAN) - Yahoo!ニュース
①あるものでなんとかする
②自分で選択肢を生み出せないか試みる(DIY的に開発できないか?とな)
③本当にどうしようもない場合のみ、選択肢を選びとれるように動く
っていう風に段階を踏むんだけど(節約が好きなのでこういうマインドで基本的には生活してる)、
選択肢がないと嘆く人の中には、「選択する」前提というか、いきなり①②を飛ばして③の話をし始めているのでは?と疑念を感じてしまうことがある
そもそも人間には選択支持バイアスっていう「自分の選んだ選択は正しいものと思い込みたい」っていうバイアスがあるので、それもあって「選択肢が多い状況」がやたらと持ち上げられているのかな
「弱肉強食」という価値観を内面化しようとする人たちに対して、「自分を強者だとでも思ってるのか」「その弱肉強食じゃない秩序の中で生きてきたくせに、今さらそんな価値観を受け入れるなんて痛々しい」と冷笑する声がバズってる。けれど、正直に言って、この手の反応は説得としてはほとんど意味がない。ただ気持ちよく嘲笑しているだけで、なぜそういう価値観が選ばれつつあるのかをまったく考えていない。
こうした冷笑には、暗黙の前提があるように思う。ひとつは、「弱肉強食を受け入れようとする人間は、自分がその世界で得をする側、つまり強者だと勘違いしている」という見方。もうひとつは、「弱肉強食の価値観は、どうせ強者にしか利益をもたらさない」という思い込みだ。でも、この二つは本当に自明なのだろうか。
少しでも囚人のジレンマを現実寄りに考えてみれば、「弱肉強食的な判断をする=自分から損をしに行く」という単純な話ではないことはすぐ分かる。弱者と強者が存在する社会で、双方が協力して法や秩序を守ることが、全体として一番得をする、という判断自体は今でも合理的だと思う。ただ、その前提が崩れたと感じられた瞬間に、話は変わってくる。
もし現実の政治や社会の動きを見て、「強者はもう法の秩序なんて守る気がない」「ルールを守るのは弱い側だけだ」と判断したなら、弱者であっても戦略を変えようとするのは自然なことだ。その結果、得られる利益が全体最適からほど遠い、しょぼいものだったとしても、「何もしないまま一方的に奪われ続ける」よりはマシだと考えるのは、そこまでおかしな話ではない。
そう考えると、弱肉強食の価値観を内面化することを、即座に「痛々しい」「滑稽だ」「非合理だ」と切り捨てるのは、あまりに雑だと思う。それは倫理の問題というより、状況認識の違いと、それに基づく戦略選択の差にすぎない。
もちろん、「強者に対して法の秩序を守るよう働きかけるべきだ」「それが全体として一番良い結果を生む」という主張は、理屈としては正しいし、否定されるべきではない。ただ、個人の意思決定のレベルでは、「それが本当にうまくいくのか」「期待していいのか」という疑念が常につきまとう。だからこそ囚人のジレンマという問題が成立するのであって、協力を選べない囚人を「愚かだ」と一蹴するのは、問題設定そのものを理解していないように見える。
さらに言えば、今の状況で「強者は法を気にしていない」と感じられ、その是正を求める働きかけが少なくとも目に見える形では失敗し続けているように見えるなら、別の選択肢を取ることは異常でも退廃でもない。むしろ、それが自然な反応になりうるからこそ、かつて「自然状態」という概念が語られたのではなかったか。
そう考えると、弱肉強食を内面化しようとする人たちを、前提の検討もせずに冷笑する言動は、分析としても批評としてもかなり空虚だ。ただ「自分は分かっている側だ」という安心感を確認したいだけで、現実に起きている判断の変化や不安、そしてそこにある合理性を直視していない。
学校であれば部活で「今度の休み○○行こうぜ」みたいに次の予定を立てたり、会社であれば飲みの席やランチタイムにそういった話題を上げたりできるが、実際、誘うことのハードルは愚か、話題性に尽きる。学校であれば部活や受験、会社であれば仕事関係など、常に共通の話題やら何かしらのネタがあるものの、そういったテリトリーに属しているわけではない人間からすると何を元に会話を広げるのが正解なのかわからない。
旧友に「久しぶりに会わない?」といって飲んだり勢いで出かけたりってことがあっても、それは単発に留まり、定期的に会って飲む慣習が出来れば良いもののお互いの環境から忙しくて会えないなんてこともあり得る。
また新たに会食してなにやら親しくなろうとしても、次の予定が立たなければ会うことも億劫になり疎遠となるし、そもそも共通の趣味やら話題があってもそれだけでは当然立ち行かない。
一度友人関係になったら都度継続的に予定でも立てて会わなければ、そもそも誘いづらい。気軽に誘ってよい人なのか、という疑念、その牽制から疎遠になり、お互い誘わない状態となればそれで終わってしまう。
社会人になって学生時代からの交友関係や前職やバイト先での関係が続いていない人、上京してきた人やらは、どうやって新たに交友関係を築くのか?
最近のホロライブを見ていて、何となくモヤっとしている人は多いと思う。卒業が続いているとか、空気が少し変わったとか、理由は人それぞれだろうが、その根っこにあるのは「事業が大きくなりすぎた結果、タレントに求められるものが変わってしまった」という一点に集約できると思っている。
ホロライブはもともと配信中心の箱だった。配信ができて、キャラが立っていて、面白いことをやれる人が評価されていた。しかし今はどうか。音楽、ライブ、イベント、企業案件、グッズ展開まで含めた総合エンタメ事業になっている。これは営利企業としては正しい進化だし、否定されるべきものではない。ただ、その過程で「最初に想定されていたタレント像」と「今求められているタレント像」がズレてきている。
表向きには、配信内容が禁止されたり、好きなゲームができなくなったりしているわけではない。しかし実際には、ブランド管理や炎上対策、関係各所との調整など、目に見えないコストがどんどん増えている。昔ならノリでできた配信が、今では準備と確認の塊になっている。結果として、タレントが本当にやりたいことに使える余力は確実に削られている。
これまでの卒業生については、「方向性の違い」でだいたい説明がついてきた。配信中心でやりたい人と、事業拡大で増えたライブや案件の間に摩擦が生じた、という話だ。
しかし天音かなたの卒業は、どうもそれだけでは説明しきれない。
彼女はアイドル活動を否定していたわけではないし、社会経験もあり、箱の中での役割も確立していた。むしろ組織に適応できていた側のタレントだろう。それでも卒業理由が「想定を超える業務負荷による心身の不調」だったという点は重い。数年前から相談していたという話まで出てくると、個人の適性や覚悟の問題ではなく、仕事量そのものが持続可能ではなかった可能性が高い。
ここで見えてくるのは、「方向性が合わなかった人が去った」という話ではない。「会社に適応し、続ける意思があった人でも、消耗しきってしまう構造があるのではないか」という疑念だ。これはファンが不安になるのも無理はない。要するに、ホロライブの課題は、成長そのものではなく、成長にともなう負荷をどう分配し、どう調整するかにある。役割が増えるなら、その分支援や選択肢も増やさなければ、どこかで無理が出る。天音かなたの卒業は、その歪みが表に出た象徴的な出来事だったのだと思う。
物理的に考えれば「機械を操作すれば狙った番号に当てられるのではないか」という疑念を抱くのは自然なことです。しかし、宝くじの公開抽せんで使われる「電動風車機」には、不正を極限まで排除するための厳重な仕組みが施されています。
仕掛けをして任意の番号を出すのが事実上不可能である理由は、主に以下の3点に集約されます。
電動風車機は、単にルーレットを回しているだけではありません。
円盤はかなりの高速で回転しており、さらに各桁(ユニット)ごとに回転速度やタイミングが微妙に異なります。
矢が放たれるタイミングは、機械的にあらかじめプログラムされているわけではなく、抽せん会場の「発射ボタン」を人間が押すことで決まります。コンマ数秒のズレで当選番号は全く別物になります。
抽せん機の信頼性を守るために、以下のようなプロセスが踏まれています。
的(円盤)や矢にわずかな重さの偏りがあれば、特定の番号に当たりやすくなります。そのため、抽せん前には極めて精密な測定が行われ、異常がないか確認されます。
本番直前には何度もテスト走行が行われ、統計的な偏りがないかがチェックされます。
抽せん機は普段、厳重に保管されており、メンテナンスや移動の際も常に複数の関係者の監視下に置かれます。
もし「仕掛け」をするのであれば、装置の内部に遠隔操作用のメカニズムを組み込む必要がありますが、これは現実的ではありません。
抽せん機は透明なケースやオープンな構造になっており、怪しい配線や装置があればすぐに露呈します。
抽せん会には、主催者とは利害関係のない弁護士や自治体職員が「立会人」として出席します。彼らの仕事は「不正が行われていないか」を監視することであり、機械のセットアップから抽せん終了まで、すべてをチェックしています。
理論上、物理的な装置である以上「100%絶対に不可能」と断言するのは難しいかもしれませんが、「多くの専門家や監視の目を盗み、高速回転する円盤の特定の番号に矢を命中させる仕掛けを施す」コストとリスクは、宝くじの社会的信用を失うリスクに比べてあまりに大きすぎます。
現在の手法は、現代のデジタル技術(乱数生成プログラム)よりも、むしろ「誰の目にも物理的な動きが見える」という点で、最も信頼性が高いと考えられています。
女子枠はすごい。
平等に学力のみで選抜を行う大学入試に、性別という概念を持ち込んだ。
男性に生まれただけで、女性よりも入学できる大学が少なくなるのだ。
「生まれによる差別」をなくそうと人類が積み上げてきた歴史を、教育の府が自ら踏みにじっている。
女子枠はすごい。
一般入試で合格した女子に対しても、能力の劣る女子枠ではないかと疑念の目が向けられることとなった。
これは当事者だけの問題ではない。大学入試の機微を知らない社会全体に、「女子学生の学位=実力不足」というバイアスを植え付けたのだ。
女子枠はすごい。
たった一つの制度によって、長年かけて形成された「差別はいけない」価値観が詭弁に成り下がった。
今の男子制度は、自分の人生を左右する大学入試で、国家主導の差別を受けている。
自分たちへの差別は「是正措置」として許容した社会や国家に、今後どれだけ「差別は悪だ」と説かれようとも、怒りはあれども共感はできないだろう。
女子枠はすごい。
大学入試という多くの人が通る大きなイベントにおいて、理不尽な性差別を行う影響は計り知れない。
高学歴女子が少なく、理系女子が少ないのは、学問に励み、数学に取り組む女子が少ないからである。
その皺寄せを、真面目に学問に取り組んだ男子に払わせる。そんな社会の縮図のような制度は、公正さなど存在しないという現実と、下駄を履いて特等席を掠め取っていく者たちへの、どうしようもない軽蔑と怨嗟を植え付ける。
女子枠はすごい。
親や教師に流された女子生徒に、「女子枠を使った」というカルマを背負わせる。
大学入試の結果は今後の人生を左右する大きな因子である。「不合格なら夢は叶わない、最悪は首でも吊れば良い」と思い詰めながら、文字通り命をかけて受験に挑む学生だって存在する。
女子枠がなければ。
人生が狂わなかったはずの男子は、女子枠の定員の数だけ確実に存在する。
女子枠はすごい。
塾に行けなくても、親が貧しくても、点数さえ取れば這い上がれるのが一般入試だった。
結局、この枠をうまく利用するのは、情報感度の高い都市部の裕福な家庭の女子たちだ。
「親が太く、教育投資も受けている女子」が、さらに「女子枠」という特権を得て、「貧しくても必死に勉強した男子」の席を奪っていく。
弱者救済どころか、特権階級による「弱者いじめ」の道具と化している。
女子枠はすごい。
この制度で優遇されるのは、元々理系に関心があるが、一般入試では手が届かない成績の女子学生だけだ。
文系志望者が理系に転向するわけではない。単に、下位の大学に行くはずだった学生が、ゲタを履いて上位の大学へ「横入り」しているに過ぎない。
ただ「能力に見合わない合格者」を生み出し、本来受かるはずだった優秀な学生を排除する。
一部の女子だけが得をし、女子全体の評価を下げ、真面目な男女を泣かせるだけの、あまりに無意味で残酷な「席替え」である。
女子枠はすごい。
アメリカ連邦最高裁は2023年、こう断じて優遇措置を違憲とした。
「大学の入学枠はゼロサムゲームである。ある属性への利益は、必然的に他の属性への不利益となる」と。
当たり前の理屈だ。誰かのゲタを履かせることは、誰かの足を切り落とすことと同義なのだ。
諸外国が「逆差別の不当性」を認め、法の下の平等へと舵を切る中で、この国だけが逆走している。
他人の犠牲の上に成り立つ多様性など、ただの欺瞞だと気づかないフリをして、若者の未来を食い物にしているのだ。
女子枠はすごい。
たった一つの制度で多くの人生を狂わせ、男女間の対立を生み出し、未来を背負う技術者の夢を壊すのだ。
この国にとって大きな負債を生み出し続ける。
俺は、俺の個人情報漏洩をした企業のせいでクレカの不正利用された俺
ろくな補填も謝罪もしないクソ企業に困り果てて、個人情報保護委員会に訴えてみるも全て「民事不介入なんでw」的なノリで何も救済してもらえなかった
俺はこんなクソみたいなやつらのために金を払ったり税金を払ってしまったという事実の哀しみを癒すためにこの日記でリセットをかけたい所存
漏らし屋はれっきとした日本企業で日本法人で日本人が運営する由緒正しく国産企業である
漏らし屋は今年の8月頃、漏洩を認知してから1週間ほど様子見した後にクレカ機能を停止した
その後、メールなどで直接利用者に全体通知することなく元鳥型SNSでのみお漏らし報告をした
偶然その情報をキャッチした俺は、利用者だったためすぐさまクレカ履歴を確認してみると身に覚えのない謎の決済が何件も並んでいた
漏らし屋にメールで確認後、すぐさまクレカ会社に再発行と漏洩された件を伝えると即座に了承してくれて新カード郵送してくれることになった
再発行自体は待てばいいだけなのだが、ここからがとても面倒だった
なにせ日々の電気代やらサブスクやらを全部同じクレカにしていた上に情報整理していなかったせいで、カードが届いてから全ての設定を変えるのに合計3時間は消費した
この時間に漏洩状況や漏らし屋への問い合わせ、クレカ会社への説明などは含まれていない
やっとこさ新カードへの更新が終わった頃に漏らし屋に問い合わせたメールが返ってきた
実に最初にメールで問い合わせてから2週間後の出来事である、しかも1通目の返事が届くまでに催促のメールを2通送っている
内容を確認したらコッテコテのテンプレ定型文が記されており、自分の個人情報がどこまで漏れたのか、現在の対応状況はどうなっているのか、
再発行にかかった再発行代はどうなるのか、クレカで購入していた商品を銀行振込に変えた場合に手数料は俺が負担しなければいけないのか、
そういった質問に対する具体的な返答は何1つ記されていなかった
端的にいうと「忙しいから黙って待ってろ」的な内容しか書かれていなかった
そして8月の事件発生から何も進展がなく、2か月以上過ぎてから突然漏らし屋からメールが届いた
「お漏らししてゴメンよ!俺の商品券いれといたからこれからもよろしくな♪」と、クソみたいな謝罪文と要らな過ぎる数千円相当の商品券がねじ込まれていた
そうじゃなくて……
そうじゃなくて俺の個人情報がどの程度まで漏れたのか、漏洩した直接的な原因は何か、
今後どうやって改善していくつもりなのか、そういう具体性のある建設的な話を聞きたかったが、今調べていてゴミ券やるから黙ってろとのことだ
1か月もあれば漏洩件数程度のことは、企業の大きさ問わず大体の件数は分かるものである
しかし漏らし屋は2か月以上経ち、当初から調査会社に丸投げしてプロに依頼しているにも関わらず「調査中」を連呼し続けて全く詳細を教えようとしない
この2か月の間に俺はメール・問い合わせフォーム・繋がらないカスタマーセンターへ連絡を取り続けた
しかしいくら待っても定型文しか返って来ず、定型文すら日数が過ぎるほど反応が鈍くなり、遂には反応すらしなくなった
元鳥型SNSを見回しても俺とほぼ同じ状況の利用者が同じような報告していた
もう一度漏らし屋を調べてみたがきちんとした日本人による日本人の会社で、国産企業としてあまりにも杜撰な対応に驚きと呆れと一種の感動を味わった
感動している場合じゃない
すぐに気持ちを切り替えてこれ以上俺の個人情報が漏らされても困ると再度被害状況についての確認メールを送るものの、ここから漏らし屋の完全なる無視が始まる
それから3週間以上は文面を変えつつも丁寧に説明を要求し続けるが、公式SNSや返信メールでの反応は一切なかった
漏らし屋による元気いっぱいのセール告知を眺めつつも、次第に放置することで炎上が鎮火する策を選択しているのではないか、という疑念が出てきた
このまま一人で対応しても埒が明かないため、こういうときこそ税金を払っている役人に助けてもらおうと個人情報保護委員会や消費者センターなどに連絡を取る
結論からいうと全部「民事だから私たちは対応しません」で終わった
どの組織にもメールをファクトベースにして時系列順に記載し、参考情報を丁寧に添付し、それによって起きる被害・起きた被害について事細かに記載し、
一企業として杜撰な対応をされているせいで、このままだと被害が拡大する恐れがあるため対応して欲しい、と丁寧かつ簡潔に清書した
しかし彼ら役人は「民事だから」の一言で仕事しないモードに入ってしまった
個人情報保護サミットとかには立派に参加してお勤めを果たすのに俺みたいな庶民を守る気はゼロってことね
これじゃどんな企業も個人情報を守るためにガツンとコスト使って運用を守ろう!って風潮にはならんわな
だって漏らし屋みたいに数万件もクレカ情報を漏らしても、数か月寝かせてから自分とこのゴミ商品券配れば、大人しい日本の消費者は怒りも声も沈黙するもんな?
そして役人も余計な行政指導する仕事しなくていいし、なんでもかんでも民事不介入言っとけば自分らはデスクに座って適当に電話取ってれば給料出るもんな
いくら口でだけ個人情報を守るっていっても実態が民事だから何もしません、ではそりゃGoogleレビューの評価も悪くなるよ
今2週間ぶりに見てみたらサクラレビューの☆5がいっぱいついていて笑った、国民の声は気にしなくてもGoogleの評価やサミットは気になるんだね?
そして契約時の個人情報の扱いに同意した客側が悪い、ということで客側がどうやっても法的に負ける
NHK受信法や生レバーやその他危険なレジャーではクソ雑魚扱いされる「契約」だが個人情報保護法の世界ではちゃんと契約の方が強い
増田セレクションの一作として見た。サスペンスミステリの佳作って感じ。74点。
慢性の病気持ちの主人公は車椅子で家からほとんど出られない生活。しかし大学進学を目指し必死に勉強する中、ひょんなことから母親が自分用ではない薬を自分に飲ませているのではないかという疑念を抱く。薬の調査を進めるにつれて恐ろしい真実が……
というお話。
昨日見たサーチの監督作品らしいんだけど前作でも思ったんだけどたぶんこの監督サスペンスミステリ好きなんやろな。
例えば薬の調査をする場面。普通であればサッと検索すればええやんという話になるが、インターネットが切られている。ここで検索の阻害と母親に対する疑念と強い拘束を表現しているのもよいし、その後、電話で薬を販売した薬局に電話をするも当然相手はこちらの家のことを知っているので母親に知らされるかも!と思い当たり慌てて電話を切るのも心理として自然でよい。
更に文字通りの箱入り娘として育てられた結果、友人が一人もおらずかける相手がいない主人公は電話番号サービスに電話をかけ適当な相手につないでもらうも、知らん女から電話がかかってきたので当然めちゃくちゃ邪険に扱われるも男殺しの必殺フレーズ「貴方は論理的な人のように思うのだけれど」で薬を調べさせる展開もニヤつく。
そして「その薬の色は」で熟したトメイトゥを母親がハサミで切り落とすカットに変わって「赤だよ」と知らされるのもいやぁ~な不気味さと恐怖心をあおる丁寧な描写で美しい。
タイムリミットがある中で薬の内容を明かすのを拒む薬剤師が脱出ゲーム好きなのを目ざとく見つけて「これはゲームなんだけど」と聞き出そうとするもちゃんと失敗して、でも別方面からわかる会話劇もヒリつくし、その後、主人公自身が母親に閉じ込められた家から「脱出ゲーム」する展開のフリになっているものよい。
趣味で科学をやっている設定もちゃんと調査や脱出ゲームに生きてくる展開もよいし、車椅子だからこその不自由感やアクション、逃亡の難しさに繋がっているのもちゃんと考えられているし、怪しんで薬を飲まなくなったことが最後の脱出成功のキーになっていく展開も完璧。
そして散々母親からの逃亡に苦労した車椅子であること、が、最後母親による連れ去りのハードルとなる展開もよく考えられていてGreat。
物語のほとんどの展開がロジカルに積み重ねられておりここご都合主義やなぁって思うところが少なかった。
あと勉強中に見ているYoutubeのサムネにサーチに出てきたフリー素材ネキが映ってたのは監督を追いかけている人に対してのサービスショットとしてちょうどいい塩梅だったかな。
なんで母親があんなことをしていたかは俺の中では誘拐した子供だからそれがバレないように閉じ込めておきたかったのかなと思ったけど、後に「主治医が12回も変わっている」という指摘からほな代理ミュンヒハウゼン症候群かぁってなったかな。母親自身も虐待されていたと思われる傷もあるし、最終的に時が経って主人公が母親を自分と同じ目に合わせていることが発覚して暗いムードのまま作品が終わるのも虐待の連鎖を描いているのかなと思ったけど、まぁ、別にここはどうでもよかったかな。
ぶっちゃけ主人公が大学に入学してゲートを杖を突きながらも歩いて通るってところで母親(が与えていた薬、閉じ込められていた家)の呪縛を乗り越えて文字通り一歩踏み出すというところで俺はオチてると思うので、その後の主人公もやっぱり闇落ちしてました展開はあんま興味なかった。
この作品が繰り返し描いてきた「表裏一体」の完結編として「医療従事者になって足の不自由な人の力になっている」という未来は同時に「足を不自由にした人間に捕らわれ続けている」ということを描いたんだろうとは思うけど、言うほどそれ対応してるかと思うし、脱出を描いてきたこの作品のカタルシスとしては蛇足に感じましたまる。
気になったことといえば、母親は治療薬とは全く関係な薬を娘にガバガバ飲ませることで足の麻痺、喘息、心疾患の症状を副作用で起こさせていたんだけど、こいつ医療関係者じゃないからそんな適当な薬を障害が出るレベルでチャンポンで飲ませてたらたぶん死ぬやろ。無茶苦茶しすぎちゃう?っていうのはちょっと思ったかな。
まぁ一回死んでるしもう一回死んだらそれはそれって思ってたんかもしれんけど。
程よい緊張感と謎とき、脱出ゲーム感があってちゃんとしたサスペンスミステリを見たいに人には普通にオススメ。
あ、あとタイトルの出し方が超オシャレ。
行政が情報公開で文書を出すとき、**個人情報や権利利益を害するおそれがある情報は不開示(黒塗り)**にする、というのが基本構造です。
「受託者たるColaboが、委託者たる東京都に提出する書面を黒塗りにしているのはおかしいのでは?」
というコメントは、ざっくりいうと
「契約上お金を出している側(東京都)が内容をちゃんとチェックできないような書類を受け取っていいのか?」
と疑問を持っている、という構図です。
一般的な委託契約(IT開発でも、清掃でも、コンサルでも)で考えると:
は、委託者が自分の責任で中身をチェックできる状態であるのが通常です。
なので、
金額以外全部真っ黒
という、通常の委託事業と比べて守るべき秘密が桁違いに多い分野です。
といった運用が、国や自治体のガイドラインでも繰り返し出てきます。
ポイントはここです:
そのコメントに込められている不安/怒りをもう少し分解すると:
という疑念です。
実際に裁判所や監査委員は、Colaboの会計を「不正」とまでは認定しておらず、暇空氏が主張した「架空請求」系のストーリーは「真実ではない」と判断されています。
一方で、「情報公開の黒塗りが過剰では?」という点については、行政の不開示決定が一部違法と判断された部分もあり、そこは別途是正されつつある、という構図です。
つまり、
レイヤーが違う話です。
「受託者が委託者に黒塗り書類ってアカンでしょ?」と言われたとき、
バランス良く答えるとすれば、だいたいこんな感じです:
今回の「オフレコ破り」で色々な論が出ている。が、論点がいまいち整理されていないがために嚙み合わない議論が続いていると思う。
別に時間をつぶすためにXにかじりついている人間からすれば些細なことではあるが、そんなのを見せつけられるとストレスが溜まってしょうがない。ここで私なりの論点を整理したいと思う。
もちろん過不足はあると思う。適宜指摘してほしい。筆者は専門家ではないし、メディア論のプロでもない。その点に留意してほしい。
なお、繰り返しになるが生産性のない議論に辟易しているのでこれをまとめている。これに対してブコメを付ける人々は胸を張って生産的であるというコメントを付けてほしいし、トラバを行う人々も生産的であって欲しいと思っている。もちろんこれを判断するのは筆者ではない。自分自身で十分と思えるものを付けてほしい。
この発言をしたとされているのは、官邸幹部で総理に安保関連で色々な意見を示すことが可能という人間である。この人間が「あくまで個人的な意見ではあるが、日本は核を保有するべきだと思う。とはいえ現実的には難しいと思う」といった発言をしたのである。
この発言が個人的意見として許容されるか否か。また立場が加わることで発言の重みが変化するのか。
当該の人間は恐らく現総理の就任時に官邸入りした人物であると推測されている。要は総理が気に入ったやつを連れて来たということである。これ自体は歴代の内閣でも(程度に差こそあれ)行われてきたことである。
そもそもこの慣行は良いことであるか、また総理の人選センスは良かったのか。
あくまで個人的な意見と断った上での発言である。これらが政権内で共通の意見であるかどうかの確認は一切取られていない。このような発言をオフレコ破りをしてまで報じるべきだったのか。
日本テレビなどは「なぜオフレコ破りを行ったのか」の説明を行っている。が、高市政権幹部“核兵器保有すべき”非公式取材で考え示す (2025年12月19日掲載)|日テレNEWS NNNで「発言は、オフレコを前提とした非公式取材ででたものです。日本テレビでは発言の重要性から伝えるべきと判断しました。」などとあいまいな説明に終始している。
重要性がなぜあったのかと判断したのか、誰が判断したのか、重要なのに伝えられていない発言があるのではないか。そういった疑念を生む中で現状の説明が十分なのか
共同通信は初報で「首相官邸筋「核持つべきだ」 安保担当、非公式取材で」といったタイトルで伝えた(https://www.47news.jp/13614806.html])。しかしながら、上記の通り発言者は個人的な意見であると断ったうえで非現実性についても触れている。
タイトルだけ読んでいる方が悪いとも言えるが、そうした意見があるのもまた事実である。このような「切り取り」は良いのか。
ただし共同通信は名前にある通りストレートニュースを基本として配信を行う「通信社」である。タイトルが短くなる傾向があることに留意。
前総理は、総裁に選出されてから首班指名を受けるまでのわずかな間に、核共有及び核持ち込みに関する主張を行っている。英語であるがShigeru Ishiba on Japan’s New Security Era: The Future of Japan’s Foreign Policy | Hudson Instituteでまだ読める。これに関する論考としては笹川平和財団のレポートが良いであろう。「核共有及び核持ち込み」の議論で押さえておくべきポイント: 石破新首相の主張を題材に | 米国政策コミュニティ論考紹介 | 日米関係インサイトで読める。
この際、安全保障に対して強い関心がある人々では話題となったがマスコミは大きな問題として扱わなかった。オフレコではなく堂々とオープンにされている意見であるため性質は異なるが、マスコミの報道姿勢の違いが妥当かという問題である。
元の主張が「アジア版NATO」に関する主張の一部であるため、マスコミが気付かなかったことも考えられるが、そのような視点においてはマスコミの質に関する問題とも捉えられることを付記しておく。
はっきり言って日本において「オフレコ」はかなり曖昧に運用されている。Xの投稿の中ではアメリカの基準を持ち出して叩いている人々がいるが、これは見当違いである。とはいってもこの運用が適当であるかは別途議論されるべき論点だろう。
今回のような発言は、マスコミと官僚・政治家がある種の「癒着」を行っている中で飛び出したものである。そもそもこのような関係性が健全であるのか。
普通に「消息筋によると~」や「農水省幹部によると~」といった書き出しの記事は日常的に見るものである。我々は情報を受け取る際にこれらがどういったソースからきているのかを十分に気にしていなかったのではないのか。
散々マスゴミマスゴミと罵っておきながら、能動的なことは何もしてこなかったことはどうなのか。
今回のような発言を取ることは、はっきり言えば一般人にとって極めて困難である。マスコミを叩くだけなら簡単だが、何も生んでいない。市民ジャーナリズム(JANJANなど)も収益的に厳しく撤退していった。そういった中で我々は何を出来るのか。
https://ch.dlsite.com/matome/284962
https://ch.dlsite.com/matome/529079
この文章は、DLsiteレビューが掲載不可(弾かれる)経験を何度もした筆者が、その理由や審査基準の曖昧さ、そして自分なりの対処法・心構えを整理した考察記録です。
主なポイント
ネタバレ過剰、作品と無関係な話、辛口すぎる表現などが理由として挙げられるが、同程度の内容でも通る/通らないケースがあり、基準は非常に曖昧。
・感想や要望を書きたい気持ちは正当だが、強い言葉・直接的な否定は弾かれやすい。
・そのため「微妙」「合わなかった」「~も良いと思う」などの玉虫色表現を多用し、甘口:辛口=6:4(ダメなら7:3)を意識する戦略を取っている。
「面白かった」「エロかった」などの安全レビューを書けば確実に通ると分かっている。
それでも筆者は、作品への敬意や誠実さから、内容のあるレビューを書きたい“逆張り”気質。
・その結果、何度も掲載不可を食らい、精神的にも消耗している。
・昔はもっと厳しかった/今は緩くなった/最近また厳しくなったのでは?という疑念。
・サークル規模や販売数によっても審査の厳しさが違うのでは、という推測(根拠なしと自覚)。
それでも自分は“適当レビュー”には屈しない、という半ば自嘲を込めた決意表明。
本来「他の人は通っているのに、自分だけ弾かれた」という比較をするには、
が必要ですが、それらは一切見えない。
そのため人は、唯一確実に観測できる対象=自分のレビューと結果だけを材料に推論せざるを得なくなります。
もちろん他人の通過したレビューはありますから比較が全くできないわけではありません。
それでも人は比較を避けて“運営がひどい”という解釈に流れる」
これは怠慢でも感情論でもなく、認知のクセ+心理的コストの問題です。
2. 努力と結果が結びつかないと、人は“外部要因”を探す
筆者は、
・言葉を選び
・良い点もきちんと書き
・修正も重ねている
つまり、努力している自覚が強い。それでも弾かれると、次の不協和が生まれます。
「=自分が悪い、とは考えにくい」
・自己否定する
の二択に迫られます。
筆者は前者を極力避けたい(誠実であろうとしている自負がある)ため、
後者=運営の基準がおかしい/変わったという解釈に自然と傾きます。
これは防衛反応として極めて正常です。
人は無意識に、
・同じような内容でも結果が違う
・昔通った表現が今は通らない
・明確な基準が示されない
このとき人は、
・自分が間違っているよりも
・システムが壊れていると考える方が、精神的に整合性が取れる。
そのため「運営がひどくなった」「最近おかしい」という認知が生まれやすい。
ただし、
・情報が断片的
・反証が取れない
その結果、
「考えても分からない」
という“暫定的な納得”に着地している。
これは思考停止ではなく、不完全情報下での合理的な仮説置きです。
・雑なレビューはしたくない
・でも評価されたい(通したい・認められたい)
という二律背反。
・弾かれる → ダメージが大きい
・でも自分を曲げたくない
他人と比較しないのではなく、比較できるだけの情報が与えられていない構造の中で、
誠実にやっている自分を守るために「運営側の変化・曖昧さ」という解釈を選んでいる。
これは逃げでも被害妄想でもなく、むしろ理性的で自己尊重的な反応です。
そして正直に言うと、この文章を書いている時点で、筆者自身がそれにうすうす気づいています。
今付き合っている彼氏(遠距離)には厄介な元カノがいる。別れた後も復縁を要請したり、私と付き合っている間も彼氏が「彼女ができた」と言っているのにも関わらず、「二人で会お!」「お出かけしたいな〜」と誘いまくるハイパー地雷女。
彼氏は全部断っており、私との交際中一切会っていない(と言っている)。
私との交際してから「実は……」みたいな感じで元カノに粘着されていることを告げられたが、私としては「いやブロックすればええやん!」の一択。
どれだけそれまでの人間関係があったとしても仕事とプライベートは別物だし、なんも影響ないだろと思っていたが、「(職業が)同業種だからブロックしたら何が起こるかわからない。一回したら根も葉もない噂を流されて上司から責められた」とのこと。実際に、破局しただの、二股かけてるだの噂を流されたとのこと。
彼氏は「適当にあしらっておけば危害もないから二、三日に一回とかのペースで返してる」とのほほんとしていた。
内心、私からしたらずっと修羅場。過去の恋愛でそこそこなトラウマがあるので彼の説明(気はないし、今好きなのは私だと)も理解できず、いつ元カノと復縁するのかが怖くて数ヶ月くらい疑心暗鬼になっていた。付き合って四ヶ月目くらいの出来事である。
何度か連絡先を消して欲しい、返事をしないで欲しいと言う点で喧嘩をした。忘れもしない。二回。
「なんでそんなにライバル視してるのかわからない」とケロッとしており、問い詰めたところ、「そんなに心配するというのは、自分に信用がないのか」と逆ギレされた。その態度にイラッとして「関係が曖昧なまま元々好意があった人間と連絡をとられるのが嫌。無理なら別れて」と返答。
すると彼はうろたえて「元カノと縁を切らないのは、復縁を匂わせて相手の時間を無駄にさせたいから」と奇妙な言い訳を展開。子供っぽいが彼らしい言い分だと一旦はそれで納得し、その後も関係は継続。しかしその一ヶ月後にそこそこ仲良しげな元カノとのトーク画面を見てしまい私は大泣きした。
復縁とか、匂わせしているのはわかるけど、彼女がいる人間がする返答なのか?????と大混乱(飲みの日程を決めていたり、相手を労うような返事をしていたり)(日程は決めるだけ決めて全部キャンセルしていたと言う。正気か???)。
本当に気持ち悪くなってしまい、二日間にわたる大喧嘩へと発展した。
1日目は私が泣いて、混乱して、とにかくそれを落ち着かせるために彼氏が宥め、
2日目は彼氏が仕事のため戻り、文章ベースの大バトルへと発展した。
2日目に冷静になった私が「昨日の行為が全部やっぱり許せない。もう二度とあのようなやりとりはしないで欲しい」と伝えたところ「昨日で話は終わったじゃん」と逆ギレ。
「元カノへの感情はゼロなんだけど、なんでそうやって攻めるの?」と異次元のキレを見せて、私の逆鱗に触れた彼。そこからは関係が破壊されるのを覚悟で思いの丈をぶちまけた。
私がキレてるのは元カノとコソコソ連絡していることであり(カウンターの席で並んだ時に私に見えないようにスマホを背けたり(元カノのトークの通知が来ていた)、私が見せてと言うとトークを消す)、おめぇの不誠実さであるとうこと。そういう行動を起こされて浮気していない、会っていない、気持ちがないとどうやって私が理解すればいいのか。信頼関係を構築している段階で、そのようなことをされると心が不安定になるし、余計なことで悩みも増えるので大変ストレスだ。本当に私のことを大切に思っていないなら今すぐにここで関係を終わらせて欲しい。と、大ブチギレすると、「わかった。もうしない。そんな気持ちにさせているなんて思いもしなかった」と謝罪され、関係は修復された。
周りにも散々相談して、「それでも今付き合っているのはあなたなんだから、気にしなくていいんじゃない?」「彼氏は人の心がないのか」「これで本当に浮気しているんだったら彼氏はそれまでの男なんだし、わかった時にスパッと切るのでもおそくないのでは?」等々コメントをいただき、正気に戻って彼の行いは許すことにした。
確かにいま交際しているのは私であるし、それなりに情があるから交際したいと彼は言ってくれているのだろうと納得。彼氏に依存しすぎず、友達との時間も大事にしながら、私自身も彼に入れ込みすぎずに交際は一歩引いた心の距離感で続けようと思い直した。
その数ヶ月後に「もう元カノから連絡来ないよ!安心して!」と彼から元カノとのトーク画面を見せられた。
もう報告しなくてええわと思いつつ、それをみると
彼氏「いや、さすがにそれは敬遠されるから無理」(これ以降元カノからの返事はない)
とのやりとりが。許可を得てそれよりも前を遡らせてもらったら、私との喧嘩以降はよりトークの頻度と感情が削ぎ落とされた彼氏の淡々とした返答と、湿度高めの元カノとのやりとりたち‥‥‥。
彼は「向こうから既読無視されたのは初めて!もう追撃もないから大丈夫だよ」とニコニコしていた。
私も深淵(トーク履歴)を覗き込んだは悪かったかもしれないけれど、別になんとも思っていなかったから「はあ……」と、その場は終わったが、後から漠然としたモヤモヤが止まらなくて、誰にも相談できずに今に至ってしまった。
元カノの「復縁できるかもしれない」というルンルンな様子と、その正反対に位置する彼氏の返答。どういう感情で二人はやりとりしてたんだろう………と思うといたたまれない気持ちになりました。もしかして私の彼氏、バケモン???とも。
異性に対してそこまで無情になれるというのは、いつしか私もそちら側に回る(淡々と返信される側)になる可能性があるのか?とも思ってしまいかなり怖い。
今の所そんな気配はないし、結婚の話も向こうから匂わせてきたりしている。けれど、私はその元カノのことがあってから自分から積極的に関係を進めるのはもう少し待った方がいいかもしれないとも思ってしまった。
確かに彼とは、その女関係とマザコン気味なところに目を瞑れば、とてもいい人だし、価値観が合い、なんとなく居心地のよさも感じている人である。若干女関係に心配なところはありつつ彼は「親戚に浮気で家庭がダメになった人がいるから、自分はそういう風にはなりたくない。絶対しない」と常々言っている(浮気が嫌いらしいけれど、そんなに言うってことは……?という疑念はちょっとあるけれど)。彼を信用すればきっとこのあたりの不安も小さくなってくのかなとは考えている。
ともかく、遠距離を解消させて近距離になって、同棲なりして心理的な安全性を確保していくほか道がない気もしている。
このしばらくは喧嘩もなく、穏やかに過ごせている。が、ふとした時に思い出して情緒不安定な時にその時の感情が溢れて不安になってしまう。今日もそれになったので、思い出せる限り書き出してみた。
あかんやろという話はこれまでも常時あっただが、こと高市政権に関してはどうもレベルも種類も桁違いなんじゃないか。
それを分類すると、
能力不足では?という怖さ
思想面の怖さ
の3つになる。
ということで、このへんAIに伝えてまとめてもらった。
後でこの政権がどう評価されることになるのか、その答え合わせのためも現時点のメモとして残しておく。
あくまでも「怖いなぁ」というお気持ちや「やばいんじゃないか」という憶測であって、断定しているわけではないのでそのあたりご了承賜る。
⸻
まず感じるのは、有権者の生活や国益より政権の延命が優先されているのではないかという疑念。
年収の壁178万円引き上げとか、ほんとそれ大丈夫なの?ウケ狙いで見切り発車してない?という怖さ。
手取り増や働き控え解消という分かりやすい言葉が前に出る一方、社会保険の壁や恒久財源といった不都合な論点は後回しにされている。
議員定数削減も同様で、改革している感は出るが、民主主義の代表性や熟議のコストが削られることへの説明は弱い。
議員の数が減れば、少数派や周縁的な意見ほど国会に届きにくくなる。地方やマイノリティの声、短期的な「多数派の空気」とは異なる意見ほど切り捨てられやすくなる可能性についてはほとんど語られない。
積極財政についても、成長戦略や制度改革と結びついた設計というより、支持率をつなぎ止めるための即効性が重視されているように見える。個々の政策はもっともらしいが、全体として見ると「今ウケるカード」を切り続けている印象が強く、その積み重ねが国の基盤を静かに削っていくのではないかという怖さがある。
⸻
次に悪意よりも能力への不信。
全体像やロードマップがほとんど見えない。問題が出るたびに後付けで修正し、説明は最低限、空気で押し切る。
もしこれが意図的な戦略ではなく、単に設計能力や統合力の不足だとしたら、それはそれで相当危険だ。複雑な国家運営を担うには、あまりに心もとない。
AIは、
・国民に正直に説明すれば支持が下がるから言わないという姿勢が透けて見える
・このやり方は大胆さというより制度を制御できていない感じなのでは?
と言うてるが、確信まで持てないがわかるような気もする。
⸻
そして一番怖いのがこれ。
高市政権の背後には、日本会議に代表される国家主義的な思想が透けて見える。
日本会議が目指している国家観は、ざっくり言えば「戦後日本以前」への回帰に近い。とくに明治期の国家観との連続性が指摘されることが多い。もともと神道は地域共同体の中でゆるやかに存在していた宗教だったが、明治政府はそれを国家統合の装置として再編し、天皇を中心とする国家神道へと変形させた。宗教というより、忠誠と道徳を国民に内面化させるための政治的イデオロギーだった。
その延長線上にあったのが、国家のために個人が奉仕するという発想であり、家族もまた「国家を支える最小単位」として位置づけられた。家父長制は単なる家族形態ではなく、国家秩序を末端まで浸透させるための仕組みだったと言われている。戦後憲法、とりわけ憲法24条は、そうした発想を明確に否定し、婚姻や家族を個人の尊厳と平等の上に置き直した条文だった。
日本会議がこの24条を変えたがるのは、単なる家族観の違いというより、「個人より国家を上位に置く秩序」をもう一度取り戻したいという思想的欲求に近いように見える。国旗損壊罪のように、国や象徴を「自然に敬われるもの」ではなく「罰によって守らせるもの」と捉える発想も、同じ文脈にあるのではないか。
選択的夫婦別姓の議論がなぜ噛み合わないのも、たぶんこのあたりが理由だろう。合理性や不便の解消といった現代的な議論をしようとしても、彼らはまったく別の宗教的価値観に近いものに重きを置いているのではないか。
男系男子へのこだわりに関しても、歴史的・制度的理由を装ってはいるが、実際には「そうでなければならない」という宗教的、あるいは霊的な固執に近いものではないかと思える。
血統や系譜が断絶すると、目に見えない何か、たとえば霊的な正統性や象徴的な力が継承されない、などという考えが前提にあるのだとすれば、合理的な議論が成立しないのも無理はない。
話を戻すと、これは一気に社会を軍国主義に戻す、ということではないかもしれないが、制度を少しずつ、価値の優先順位を少しずつ動かしていくことで、気づいたときには「戻れない位置」に来ている、というタイプの怖さがある。制度以上に、こうした思想が政治の中心に近づいてくることのほうが、本当はずっと危険なのではないか、という感覚が拭えない。
⸻
誰も本気で日本を壊そうとは思っていない。ただ、政権を維持するためにその場しのぎを重ね、制度も思想も一貫性を失っていった結果、気づいたときには元に戻せないラインを越えている、ということは十分あり得る。今感じているヒヤヒヤは、その手前に立っている感覚だと思う。これが杞憂で終わるならそれでいい。だが、もしそうでなかった場合のために、現時点の記録として、ここに残しておく。
追記:
4番目の「怖さ」もあったので追記。
それは上に書いた3つをよく知らないまま、70%近くの人がこの政権を支持している点。
正確には70%のうちの数%は世論誘導する立場だろうが、ほとんどの人は、「なんとなく」「初の女性総理だから」「SNSでいいねがいっぱいついてるから」「スパッと決断力があるのが良いリーダーだ」と思い込んでるとか、そんなところじゃないだろうか。
「私にだけ優しい殺人鬼」理論と同じで、その「強さ」が中国に向いてたらかっこいいのかもしれないけど、それがこっち(国民)に向くとわりと切り捨てられかねないんだけど・・・というのもあるが、ともかく、とくに3番目の「怖さ」を補足すると以下のようになる。
まあ我々、空気のように当たり前に民主主義は続くものだと思っている。生まれたときからそうだったから。
しかしどうやら、この政権ではそこが揺らぎかねないということ。
単なる右寄り・保守寄りという話ではなく、日本会議的な価値観では、表現の自由や個人の尊厳、少数意見が守られることが「当たり前」ではなくなり、国家や秩序がそれらに優先するという方向を目指してるらしいので。
憲法9条はよく言われるけど、日本会議が24条変えたがってるのもわりとまずい。
なるべく早く、そこに気づく人が増えるいいなと思う。
あかんやろという話はこれまでも常時あっただが、こと高市政権に関してはどうもレベルも種類も桁違いなんじゃないか。
それを分類すると、
能力不足では?という怖さ
思想面の怖さ
の3つになる。
ということで、このへんAIに伝えてまとめてもらった。
後でこの政権がどう評価されることになるのか、その答え合わせのためも現時点のメモとして残しておく。
あくまでも「怖いなぁ」というお気持ちや「やばいんじゃないか」という憶測であって、断定しているわけではないのでそのあたりご了承賜る。
⸻
まず感じるのは、有権者の生活や国益より政権の延命が優先されているのではないかという疑念。
年収の壁178万円引き上げとか、ほんとそれ大丈夫なの?ウケ狙いで見切り発車してない?という怖さ。
手取り増や働き控え解消という分かりやすい言葉が前に出る一方、社会保険の壁や恒久財源といった不都合な論点は後回しにされている。
議員定数削減も同様で、改革している感は出るが、民主主義の代表性や熟議のコストが削られることへの説明は弱い。
議員の数が減れば、少数派や周縁的な意見ほど国会に届きにくくなる。地方やマイノリティの声、短期的な「多数派の空気」とは異なる意見ほど切り捨てられやすくなる可能性についてはほとんど語られない。
積極財政についても、成長戦略や制度改革と結びついた設計というより、支持率をつなぎ止めるための即効性が重視されているように見える。個々の政策はもっともらしいが、全体として見ると「今ウケるカード」を切り続けている印象が強く、その積み重ねが国の基盤を静かに削っていくのではないかという怖さがある。
⸻
次に悪意よりも能力への不信。
全体像やロードマップがほとんど見えない。問題が出るたびに後付けで修正し、説明は最低限、空気で押し切る。
もしこれが意図的な戦略ではなく、単に設計能力や統合力の不足だとしたら、それはそれで相当危険だ。複雑な国家運営を担うには、あまりに心もとない。
AIは、
・国民に正直に説明すれば支持が下がるから言わないという姿勢が透けて見える
・このやり方は大胆さというより制度を制御できていない感じなのでは?
と言うてるが、確信まで持てないがわかるような気もする。
⸻
そして一番怖いのがこれ。
高市政権の背後には、日本会議に代表される国家主義的な思想が透けて見える。
日本会議が目指している国家観は、ざっくり言えば「戦後日本以前」への回帰に近い。とくに明治期の国家観との連続性が指摘されることが多い。もともと神道は地域共同体の中でゆるやかに存在していた宗教だったが、明治政府はそれを国家統合の装置として再編し、天皇を中心とする国家神道へと変形させた。宗教というより、忠誠と道徳を国民に内面化させるための政治的イデオロギーだった。
その延長線上にあったのが、国家のために個人が奉仕するという発想であり、家族もまた「国家を支える最小単位」として位置づけられた。家父長制は単なる家族形態ではなく、国家秩序を末端まで浸透させるための仕組みだったと言われている。戦後憲法、とりわけ憲法24条は、そうした発想を明確に否定し、婚姻や家族を個人の尊厳と平等の上に置き直した条文だった。
日本会議がこの24条を変えたがるのは、単なる家族観の違いというより、「個人より国家を上位に置く秩序」をもう一度取り戻したいという思想的欲求に近いように見える。国旗損壊罪のように、国や象徴を「自然に敬われるもの」ではなく「罰によって守らせるもの」と捉える発想も、同じ文脈にあるのではないか。
選択的夫婦別姓の議論がなぜ噛み合わないのも、たぶんこのあたりが理由だろう。合理性や不便の解消といった現代的な議論をしようとしても、彼らはまったく別の宗教的価値観に近いものに重きを置いているのではないか。
男系男子へのこだわりに関しても、歴史的・制度的理由を装ってはいるが、実際には「そうでなければならない」という宗教的、あるいは霊的な固執に近いものではないかと思える。
血統や系譜が断絶すると、目に見えない何か、たとえば霊的な正統性や象徴的な力が継承されない、などという考えが前提にあるのだとすれば、合理的な議論が成立しないのも無理はない。
話を戻すと、これは一気に社会を軍国主義に戻す、ということではないかもしれないが、制度を少しずつ、価値の優先順位を少しずつ動かしていくことで、気づいたときには「戻れない位置」に来ている、というタイプの怖さがある。制度以上に、こうした思想が政治の中心に近づいてくることのほうが、本当はずっと危険なのではないか、という感覚が拭えない。
⸻
誰も本気で日本を壊そうとは思っていない。ただ、政権を維持するためにその場しのぎを重ね、制度も思想も一貫性を失っていった結果、気づいたときには元に戻せないラインを越えている、ということは十分あり得る。今感じているヒヤヒヤは、その手前に立っている感覚だと思う。これが杞憂で終わるならそれでいい。だが、もしそうでなかった場合のために、現時点の記録として、ここに残しておく。