はてなキーワード: 1926年とは
オールアンラーッキーデイズでは基本的に1日に1件しか挙げていないが、3月20日には以下の出来事も起きていた
おそらく増田はオウムだからサリンを採用し、イラクは前日から作戦開始ということで3月19日に採用したんだろう(同日は甲山事件、フォークランド紛争、東電OL殺人事件、名古屋大空襲などがある)
スコッチウイスキーは瓶詰め時に40%以上のアルコール 度数であることが求められる。大量生産される製品は水が加えられてアルコール度数が均一化されているが少量で販売されるボトルは加水せず樽から出されたそのままの度数であることも多い。この樽から出されたそのままの度数のことをカスクストレングスという。カスクストレングスであっても長熟のボトルは度数が低めであることが多い。
ウイスキーの製造に使う大麦麦芽は成長を止めるためと貯蔵のために乾燥させられている。この乾燥に用いられる燃料のうち伝統的な燃料がピート(泥炭)である。このピートを燃料とするとピートの香りが麦芽に移りこの麦芽を使ったウイスキーにはピーティと言われる香味(燻製のようなスモーキーさとヨードチンキや正露丸のような薬品香)がもたらされる。その香りはピートを燃焼させたときの燻煙に含まれるフェノール化合物によるものであるが、その麦芽に含まれるフェノール化合物の割合をフェノール値と言いppmを単位として示される。このピートはスコットランドに広く存在するがアイラ島のピートには海藻由来の成分が多く含まれ特に薬品香を強くもたらすと言われる。このピートで乾燥させた大麦麦芽を使った原酒は程度の差こそあれアイラのみならず多くのスコッチウイスキーに使わている。また日本のウイスキーにも広く使われている。
ウイスキーがどれくらいピーティかは実際にはフェノール値だけでなく蒸留のどのタイミングの蒸留液をどう使うかや熟成に使う樽によっても変わるのであるが便宜的にフェノール値を用いてほぼ0の場合をノンピーテッド、それから順に(人によって違うが)10ppmぐらいまでをライトリーピーテッド、25ppmぐらいまでをミディアムピーテッド、50ppm台までをヘヴィリーピーテッド、その上をスーパーヘヴィリーピーテッドとしてウイスキーを区分することがある。ただ特にフェノール値が非常に高いような場合、例えば150ppmのウイスキーを飲んでも50ppmの3倍スモーキーだと感じるようなことは(増田の経験上は)ない(多分それを目指して作っていないと思う)。フェノール値はあくまで目安である。
ウイスキーには様々な成分が溶けているがその中には冷却すると目に見える澱や白濁の原因となるものがある。この原因となる成分を除去するためにウイスキーを冷却して濾過するのだがこの成分にウイスキーの香りや味わいの成分が含まれるとして香味が薄くなるのを避けるためにこの冷却濾過をしないウイスキーがある。このような冷却濾過しない製法もしくは冷却濾過していないウイスキーそのものをノン・チルフィルタードと言い、一般にラベルにNon-Chillfilteredと書かれている。冷却濾過は大量生産するウイスキーの味の均一化という側面があるとも言われる。
スコッチウイスキーの蒸溜所は地域別(ハイランド、スペイサイド、ローランド、キャンベルタウン、アイランズ、アイラ)に分類されることが多い。ここではスペイサイドとアイラの蒸溜所の一部を紹介する。ここに挙げた蒸溜所はすべてモルトウイスキーの蒸溜所である。
日本のウイスキーはスコッチウイスキーから大きな影響を受けている。そのため法律に基づく部分を除き日本では用語等はジャパニーズウイスキーとスコッチウイスキーで同じ意味で使っていると言えるのであらためて説明しない。日本のウイスキーについてオーセンティックバーで見ることが多い銘柄のうちいくつかを紹介する。
もともと日本のウイスキーの定義は酒税法で定められたものだけで非常に緩く輸入した原酒を日本で瓶詰めしただけのウイスキーがジャパニーズウイスキーと称されて販売されたり、酒税法上の焼酎が海外でジャパニーズウイスキーとして販売されたりしていた( https://toyokeizai.net/articles/-/216248 )。その問題への対処として業界団体である日本洋酒酒造組合が「ウイスキーにおけるジャパニーズウイスキーの表示に関する基準」でジャパニーズウイスキーを定義した( https://www.yoshu.or.jp/files/libs/550/202303291553482719.pdf )。この基準の施行前に販売していたウイスキーについては経過措置により従前の表示が認められているが2024年3月31日で経過措置の期限となるためもしかすると一波乱あるかもしれない。
その3へ続く
トップ10に昭和(1926年~1989年)のコンテンツが5本、天保のコンテンツが1本
もう終わりだよこの合衆国
1 | Barbie (バービー) | $636,236,256 | 1959年(昭和34年)発売の玩具 |
2 | The Super Mario Bros. Movie (ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー) | $574,934,330 | 1983年(昭和58年)登場のゲームキャラ |
3 | Spider-Man: Across the Spider-Verse (スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース) | $381,311,319 | 1962年(昭和37年)登場のアメコミキャラ |
4 | Guardians of the Galaxy Vol. 3 (ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3) | $358,995,815 | 1969年(昭和44年)登場のアメコミキャラ |
5 | Oppenheimer (オッペンハイマー) | $326,691,820 | 2005年(平成17年)の伝記の映画化 |
6 | The Little Mermaid (リトル・マーメイド) | $298,172,056 | 1989年(平成元年)のアニメ映画の実写化 原作は1837年(天保8年)のおとぎ話 |
7 | Ant-Man and the Wasp: Quantumania (アントマン&ワスプ:クアントマニア) | $214,504,909 | 1962年(昭和37年)登場のアメコミキャラ |
8 | John Wick: Chapter 4 (ジョン・ウィック:コンセクエンス) | $187,131,806 | 2014年(平成26年)の映画の続編 |
9 | Sound of Freedom | $184,178,046 | |
10 | Taylor Swift: The Eras Tour (テイラー・スウィフト: THE ERAS TOUR) | $180,756,269 |
出典: Domestic Box Office For 2023 - Box Office Mojo https://www.boxofficemojo.com/year/2023/?grossesOption=totalGrosses
「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた
おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる
結論から言うと、明治元年(1868年)ごろから急速に地震鯰信仰は失われたと思われる
オランダの辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した
鯰絵が大流行した
しかし「鯰絵が流行した=民衆は地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……
というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化けや妖怪の実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる
お化けや妖怪の実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚は21世紀に生きる人間の感覚だろうか
『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまり読まれなかったのだろうか?
江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?
当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?
鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査は図書館か本屋で資料を入手してからになる
小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物
地震の原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている
こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか
西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする
明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた
これによって明治に生きた若者は地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう
「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……
また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?
民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?
M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ
この地震を体験したジョン・ミルンというイギリス人が地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した
濃尾地震
科学者が地震調査のため派遣された、のような記事が新聞に載っている
ただ「鯰絵が描かれた=民衆が地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう
『江花叢書』第1巻
当時のエッセイ的な読み物
関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある
一部引用する
鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、
「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る
「おじいちゃんが子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ
科学とか西欧合理主義が流行った結果、地震鯰信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ
ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい
先に読んだ方が民俗学的視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない
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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない
あるいは調べ方が悪いのか……
幕末の日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?
もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか
見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない
儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい
日本の儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸の民衆のその説をどの程度認知していた?
あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か
日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方は観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない
調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史を選択しておけばよかった
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また、火山、雷雨、地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある
ナマズが俗説ってそういうこと?
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しかし本来は本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事と関係ない本ばかり買って読んでしまう
悲しいね
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トラバやブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率で不毛なので)、今回は必要を感じた
鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感
ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズが地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……
これに強い疑いを抱く
しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロの研究家が思いついていないわけがない……
なにか根拠があるはずと信じる
清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない
追加調査は資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い
追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある
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先行研究
神や仏に敬虔に祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる
この庶民の信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治に来日したアメリカの女性教育者、アリス・ベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘で不可思議な事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感を私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。
考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ
この引用箇所は別の文献からの孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……
該当箇所は『逝きし世の面影』という本からの引用……kindleあるじゃないか、買います
これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない
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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴンは実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか
(「実在」という言葉の定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)
同様に幕末の江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化けは実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある
トップ10に昭和(1926年~1989年)のコンテンツが6本
もう終わりだよこの合衆国
1 | Top Gun: Maverick (トップガン マーヴェリック) | $718,732,821 | 1986年の映画『トップガン』の続編 |
2 | Black Panther: Wakanda Forever (ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー) | $429,946,777 | 1966年登場のアメコミキャラ |
3 | Doctor Strange in the Multiverse of Madness (ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス) | $411,331,607 | 1963年登場のアメコミキャラ |
4 | Jurassic World: Dominion (ジュラシック・ワールド/新たなる支配者) | $376,009,080 | 1990年の小説および1993年の映画『ジュラシック・パーク』の続編 |
5 | Minions: The Rise of Gru (ミニオンズ フィーバー) | $369,500,210 | 2010年開始の映画シリーズ『怪盗グルー』のスピンオフ |
6 | The Batman (THE BATMAN-ザ・バットマン-) | $369,345,583 | 1939年登場のアメコミキャラ |
7 | Thor: Love and Thunder (ソー:ラブ&サンダー) | $343,256,830 | 1962年登場のアメコミキャラ |
8 | Avatar: The Way of Water (アバター:ウェイ・オブ・ウォーター) | $317,418,839 | 2009年の映画『アバター』の続編 |
9 | Sonic the Hedgehog 2 (ソニック・ザ・ムービー/ソニック VS ナックルズ) | $190,872,904 | 1991年登場のゲームキャラ |
10 | Black Adam (ブラックアダム) | $163,506,640 | 1945年登場のアメコミキャラ |
出典: Domestic Box Office For 2022 - Box Office Mojo https://www.boxofficemojo.com/year/2022/?grossesOption=totalGrosses
来年2023年の前期(4月から9月)朝ドラ「らんまん」も舞台の1つは練馬区である。
実際に練馬区が登場するかは分からないが、某区議会議員が自分のチラシにそう書いていた。
また、2022年9月に確認したが練馬区の保健所には「らんまん」のポスターが貼られていた。
「らんまん」の主人公のモデルは植物学者の牧野富太郎だが、1926年から1957年に逝去するまで練馬区に住んでいる。
そこは現在練馬区の施設「牧野記念庭園」になっていて一般開放されている。
当初は練馬区出身者として「らんまん」楽しみにしていたが、まだ放送が始まっていないのにも関わらず観ないことに決めた。
理由は「最近の朝ドラ視聴者は『反省会タグ』を付けて放送中の朝ドラをTwitterで叩く人、主演や脚本家などのキャストやスタッフを誹謗中傷する人が多いから」である。
木村隆志さんが「東洋経済オンライン」に書いた記事「沸騰する「#ちむどんどん反省会」批判かイジメか」にその実態が詳しく書かれている。
詳しい説明は省くので是非木村さんの記事を読んでいただきたい。
現在放送中の朝ドラをTwitterで批判あるいは誹謗中傷するとき、「○○反省会」(○○には作品名が入る)というハッシュタグを付ける視聴者が多い。
元々2chで「○○反省会」というアンチスレがよく立ち上がっていたらしい。
最初のうちは最終回まで終了した作品の悪かったところを批判するスレだったらしいが、やがて現在放送中の作品の反省会スレ、つまりアンチスレも立ち上がるようになったという。
この前(2022年9月末)に終了した朝ドラ『ちむどんどん』は不満を覚えた大勢の視聴者が「ちむどんどん反省会」などのアンチタグにドラマへの批判、キャストやスタッフへの誹謗中傷を書き込んだ。
私は『ちむどんどん』を全く見ていなかったが、偶然見てしまった誹謗中傷の数々は目に余るものだった。
上述の木村隆志さんが私の言いたいことを代弁してくれた。
私は、作品への批判がキャストやスタッフへの誹謗中傷に発展してしまうのはまずいと思っている。
絶対にやめてほしい。
放送中の朝ドラを気に入らない視聴者が同じタグに集まり批判や不満を言い合っているとすぐに陰口で盛り上がるようになるし、それが誹謗中傷に発展するのは想像に難くない。
リアルの仲間内なら嫌いな朝ドラの陰口で盛り上がるのもいいかもしれない。
しかしTwitterの公開垢でやる以上キャストやスタッフ本人達も見るものだ
(もしかしたらキャストは見ないようにしてるかもしれないが、NHK職員は朝ドラの反響を調べるために見ていると思われる)。
アンチタグが作られ、利用者も増えると発言がより攻撃的になるし、嫌いなドラマの感想を同じような顔ぶれで毎回毎回言い合うのはまるでイジメみたいだ。
嫌ならドラマを観なければいいと思うが、どうしても観てしまうならせめて反省会タグも公式タグもつけずにツィートしてほしい。
こういうことを言うと反省会民は「だったら反省会タグをキーワードミュートしろ」と反論するが、私はキーワードミュートしてもTLや「その他のツィート」に表示されることがあったし同様の報告をしているユーザーもいる。
反省会タグがトレンド入りしたときは「有害であるかスパム」の報告もしたが、それでもトレンドに入ってきた事もある。
放送中の朝ドラのアンチがTwitterに集まり攻撃的なコメントを繰り返すようになると作品のファンはTwitterを見なくなっていくだろう。
実際には野放しになっているとはいえ、Twitterもヘイトスピーチや差別発言を禁止している。
「ちむどんどん」では沖縄出身の主人公一家が非難された事で沖縄出身者へのヘイトスピーチを行う視聴者もいた。
他のユーザーがTwitter社に違反報告するので従業員が報告通りのツィートかどうか判断しなければならないのだ。
「ちむどんどん」は一度も見たことがないが、アンチタグで誹謗中傷が行われている事については直接、NHKのお問い合わせ窓口あてに「何か対策を取ってほしい」と意見を言った。
もちろんアンチタグはNHKが作ったものではない事は分かっている。
しかし過去の朝ドラ(名前出すけど『なつぞら』がそうだった)では主演女優が誹謗中傷されたというのにNHKがこのまま傍観しているのはおかしいと思った。
このままだとリアリティ番組の「テラスハウス」で出演者の木村花さんが番組内での言動を理由に視聴者から誹謗中傷され、自殺してしまったあの事件と同様の事件が起きかねない。
俳優や脚本家に仕事を依頼したNHKとして、視聴者の目に見える形で何らかの対策をしてほしかった。
私の提案は
だったが、どちらも行われる事はなかった。
「視聴者ではない人間に分かるか」と突っ込まれるがあったら絶対にネットニュースになりTwitterでも話題になっている。
私が言っても説得力がないが、ある視聴者が「ちむどんどん」を炎上商法ではないかと指摘していた。
イライラする展開が立て続けに起きTwitterが度々炎上するからそう思ったらしい。
本当にNHKが炎上商法を狙っているのか分からないが、仮にそうだとしたら誹謗中傷される関係者がいるにも関わらず、沖縄出身者への差別意識を持ちヘイトスピーチをする視聴者が現れたにも関わらず、NHKは何の対策もせず傍観していたどころか炎上商法が成功したことを喜んでいるようにも見える。
2022年9月21日のNHKのメディア総局長定例会見では、「ちむどんどん」への厳しい意見について「どの番組にもいろいろなご意見が寄せられます。そのご意見の全てがエールだと思って、ありがたく思っています」とコメントしている。
NHK職員ではないキャストや脚本家への誹謗中傷に対して何もコメントしていない。
見て見ぬふりをしているように思えた。
「撮影現場に行きたくないと思う朝は一度も無くて、毎日ここに来て作品を作ることがとても楽しかった」
「これを聞いてありがたくうれしく思いました。俳優陣の皆さまやさまざまな形でこの作品に携わってくださった方々のおかげで、無事クランクアップまで走り抜くことができた。制作スタッフともども御礼申し上げます」
私は黒島さんが「ちむどんどん反省会」を見ていたかどうか知らない。けれども仮に見ていたとしたら、傷ついた心を隠して気丈なコメントをしたのかもしれない。
それなのに黒島さんが「ちむどんどん」放送中にTwitterで誹謗中傷されてきた事に一切触れなかった事に不信感を覚えた。
黒島さんのこのコメントを「ありがたくうれしく」思ったなら視聴者の誹謗中傷を止めようとするコメントをしてほしかった。
NHKはアンチタグに対応する気も、キャストやスタッフや沖縄出身者を守るつもりもなく、視聴率を得るために炎上商法を狙ったのかと失望した。
私が来年前期の朝ドラ『らんまん』を観ないことに決めた理由は上に書いたとおりだ。
朝ドラに関わってもらった事で誹謗中傷されるようになった関係者のことも、ドラマ内で描いたマイノリティのこともを守ろうとしない。
そんなNHKの姿勢に抗議するために私は出身地でもある練馬区も舞台になる「らんまん」を観ないことに決めた。
私のような一般視聴者がいくら抗議しようとNHKが態度を改めることはしないだろう。
私にできる事で最もNHKにとって困る事は「朝ドラを観ない」ことである。
第一、私には朝ドラを観るメリットも時計代わりにするメリットもない。
気に入らない朝ドラをわざわざ観続けTwitterで誹謗中傷を繰り返したり、そこまでいかなくても嫌味を言い続けるような視聴者はリアルでも似たような事をしているんだろう。
誹謗中傷をしなければそういう視聴者は性格が悪いとは思わない。
そうはいってもリアルの友人知人との会話でそういう、的を射た朝ドラ批判を聞きたいとは思わない。
大好きとまではいかなくても自分が不満なく見ている朝ドラを『ちむどんどん』みたいに酷評されたらモヤモヤする。
「私は面白いと思う」と素直に自分の意見を言っただけで、アンチは私を嫌う。
そもそもドラマ批評(しかも評論家でも有名人でもない人の)に興味はない。
少しでも朝ドラの展開や登場人物に不満を言おうものなら反省会民と誤解されてしまいそうだから、朝ドラ視聴を趣味や習慣にするのはリスクしか感じられない。
反省会民には朝ドラという枠に愛や思い入れが強いあまり、現在放送中の作品が気に入らない人が多いようだ。
そんな「ファン」が将来的に朝ドラ枠を滅ぼすことになるんだろう。
最後になりましたが、「らんまん」主演の神木隆之介さん、脚本家の長田育恵先生には申し訳ありません。
決してあなた方のせいではないんです。
「先行作品と比べたとき、リコリスが少女のみで構成される理由や、少女を前線に立たせる搾取構造に対する大人側の自覚とか罪悪感がすっぽり抜け落ちていてさすがに気味が悪い」(はてな匿名ダイアリー)
これは凄い同感。視聴者の多くは、予防拘禁問題の歴史(保安処の日本での議論)とか全く知らなそう
午後11:15 · 2022年8月9日·Twitter Web App
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https://twitter.com/kemohure/status/1557007707189972994
kemofure
@kemohure
リコリス・リコイルは、保安処分を行う特殊機関に主人公達が所属している訳ですが、これは先行作であるガンスリとかよりも、倫理的、また法制度的に問題が更に大きい。ガンスリは「テロ組織と戦う」という建前がある訳ですが、予防拘禁(保安処分)は「何もまだしていないものを処分する」ものなので
kemofure
@kemohure
戦後の日本にも予防拘禁(保安処分)を導入しようとする動きは何度もあって、何度も、あまりにも問題が大きいということで反対され未採用の歴史があるんですね。リコリス・リコイルの世界は予防拘禁(保安処分)を行う組織が無罪の人々を処刑している世界を『それが正しい』という形で描いているので危うい
kemofure
@kemohure
「(日本では)刑法上の法効果として保安処分は採用されていない(略)しかし、刑法に保安処分制度を導入しようとする動きは古くからあり、1926年、1961年、1974年にそれぞれ答申された「改正刑法草案」は、保安処分を刑法に盛り込むものであった」ウィキペディア
この辺の話
kemofure
@kemohure
リコリス・リコイル的な、保安処分(予防拘禁)により、無罪(犯罪を犯していない)の人々を処刑する国家機関が暗躍する物語は、漫画の「iメンター」もそうですが、iメンターの場合はその行為はディストピアとして提示されて、それに内部から抵抗する話な訳です。リコリスは萌えの名の元に従っているので..
kemofure
@kemohure
リコリス・リコイルの架空の日本世界の「保安処分(予防拘禁)により、無罪(犯罪を犯していない)の人々を処刑(もしくはそれに類する処分。薬物と電気による廃人化などの処理)する国家機関が暗躍する世界」っていうのは、ソ連などの旧共産圏諸国が行ってきた歴史があり、完全にディストピアなんですね...
kemofure
@kemohure
あと、リコリス・リコイルで、よく分からないのは、先行作のガンスリと同じくチャイルド・ソルジャーの話な訳ですが、チャイルド・ソルジャーは残虐行為の実施で精神が壊れてゆくので、ガンスリはそれを薬物と担当官のサポートで騙し騙し使っている訳ですが、リコリスはその葛藤が見えないのが...
kemofure
@kemohure
リコリスの組織が保安処分でばんばん無罪の人々を処刑していることは1話から明らかで、処刑人であるチャイルド・ソルジャー達に物凄い精神的負担が掛かっているはずなんだけど、その辺が描かれていないのが、どうしても誤魔化しているように見える。その点で、ガンスリは良くできていたなと改めて評価
kemofure
@kemohure
余談ですが、チャイルド・ソルジャーは精神が壊れてゆくという話では、漫画の「機械仕掛けのジュブナイル」とか良くできていましたね。チャイルド・ソルジャーとして精神が壊れている主人公(シリアル・キラーの性質が強く出ている)が、それでも倫理的に生きられるか、幸せになれるかが題材になっている
kemofure
@kemohure
当たり前なんですけど、リコリス・リコイルみたいなチャイルド・ソルジャー物で重要になってくるのは、残虐行為の実施は、行う側にも精神的打撃であり、特にその影響は子供兵に大きいということなんですよね...。ガンダムでアムロが最初は敵兵を撃てなかったり。リコリスからはこの辺が抜けている
kemofure
@kemohure
また余談ですが、チャイルド・ソルジャーについて描いた小説では、伊藤計劃さんの「The Indifference Engine」がお勧め。伊藤計劃さんは天才だと心底から感じたのはこの小説を読んだ時だったな...。現在は同題で出ているハヤカワ文庫JAの文庫で読めます
kemofure
@kemohure
「機械仕掛けのジュブナイル」とかのテーマ、人々の命を奪う戦闘により、完全にその中毒になってしまった兵士が、その後どう生きればよいのかは、凄く難しい問題ですね。機械仕掛け~は、デクスターの道を選んでいる。映画だと、アメリカン・スナイパーが傑作。リコリスはこの辺描く気なさそう...
kemofure
@kemohure
リコリス・リコイル、子供兵に保安処分に基づく戦闘行為をやらせる特殊機関が、どう考えても邪悪の権化なんだけど(テロも勿論邪悪だが、それを防ぐ組織もテロリスト以上に邪悪という構図)、その辺を一切加味しない形で話が進むので、作中の倫理的なことや社会的なことがどうしても気になって混乱する..
kemofure
@kemohure
リコリス・リコイルの保安処分は、AIが犯罪発生を予言したから未然に犯罪者になると予想される標的を始末せよという託宣に基づいている訳ですが、これだと、実際には作中で直接は描かれませんが、大量に無辜の人々の命がリコリスに奪われている訳なんですよね。iメンターはまさしくそういう話な訳で...
あれだけブルマーについて調べたのだから、しばらくはブルマーに対する知的関心も収まるだろう。そう思ってはいたものの、何となくツイッターでブルマーと検索したときに、ヨーロッパの女の子のブルマー姿を目撃し、疑問が再発した(画像はこちら。フェチの人のアカウントにつき注意)。結局、東欧のブルマーの普及っていつからだったんだ?
以前の調査でも、チェコやポーランドにもブルマーが存在していることまでは調べたが、言語の壁もあり画像検索にとどまっていた。ならば、まとまった時間が取れたことだし、しっかり調べてみるべきではないだろうか。元々チェコ文化には文学や音楽を通してなじみがあることだし。ドヴォルザークいいよね。
社会主義政権下では、制服を着て体育の授業に出るのが義務であった。
体操服としての制服は、第一共和国時代(1918-1938)にはすでに一部の学校やソコル(後述)で必要とされていたが、社会主義の時代になって初めて一斉に普及し、広く統一されたものとなった。
男子は白いタンクトップに赤い短パン、女子は短い袖に青いスエットパンツだった。この強制され対象は階級のない社会主義の未来の象徴だった。これは1965年、チェコの3回目のSpartakiada(東側の体育祭、後述)のためにデザインされ、70年代から80年代にかけてが最盛期であった。1985年のSpartakiadaではチェコ国旗の三色を再現するため、赤いブルマも導入されたようだ(ここは誤訳かもしれない)。
女子の短パンはお尻の周りゴワゴワとまとわりつき、ウエストは高く、太ももにはゴムが入っていた。ブルマーによく似ているが、体育の授業のたびに太ももに跡がつくくらいきつかったという。
ちなみに、この時代の運動靴は後に普段使われたり、バレーダンサーがはくようになったりしたそうだ。のちに、ポーランドなどに輸出もされたらしい。
Jednotný cvičební úbor: noční můra děvčat za socialismu - ExtraStory
https://www.abczech.cz/Jednotny-cvicebni-ubor-P7035300.html
プラハで創設された民族的体育運動協会。現チェコの国民性の形成に重要な役割を果たしたと言われる。元々はハプスブルク家からの独立を目指す意図を持っていた。
ソコル設立の動きは他のスラヴ系民族にも波及し、1908年にスラヴ・ソコル連盟が設立された。チェコ以外にもスラヴ諸国の連盟が加入し、1912年にはプラハで全スラヴ・ソコル祭典が開催される。1926年には180,000の観客を収容可能なマスゲームの上演のためのGreat Strahov Stadiumが完成。
両大戦間にソコルはより発展するが、ソビエト連邦では活動を禁止された。ナチス下では解散させられるが、戦後協会は再建される。しかし、共産党政権下では東欧諸国のソコルは事実上活動を禁止され、協会は国外で活動を継続した。1948年にプラハで開催されたソコル祭典の集団演技には98,000人の学童と273,000の会員が参加し、2週間にわたって行われた大会の中で共産主義政権への反発が露にされた。
チェコスロバキアではソコルの活動が停止した後、社会主義的な演出を施した「Spartakiada」というマスゲームを中心とした体育大会が1955年から5年ごとに行われるようになった(後述)。
なお、もともとは同じユニフォームの着用、マスゲームの参加は過去には民族主義による開放感をもたらしていたが、関心が多様化した社会ではそれらの行為は拘束として受け止められているそうである。現に、上から国民を教育しようとしたこの運動はあまり成果が出ず、徐々に管理主義的になっていったという。民族の自由を求める戦いも、完全にクリーンというわけでもないらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%AB_(%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%8D%94%E4%BC%9A)
ソビエト連邦がスポンサーになったスポーツの大会である。ソビエト連邦はもともとオリンピックに対抗し、これを補完しようとしていた。国際Spartakiadaは1928年から1937年に5度開催されたが、のちにこれは東側ブロックの国ごとのイベントになった。名前はスパルタクスから来ており、プロレタリア国際主義を象徴する。貴族的・資本主義的な(古代)オリンピックとの対比になっている。
その後、チェコでは大規模場マスゲームを指す言葉にも転用された。これは先述のGreat Strahov Stadiumで5年に一度開かれた。規模は非常に大きく、1960年は75万人が国中から参加し、200万人がイベントを目にしている。
1955年から5年ごとに開かれたが、1970年はプラハの春で中止、1990年はビロード革命で中断され、小規模な形で再開した。
1994年以降ソコル祭典は6年ごとに開かれているが、祭典のマスゲームやパレードに参加する会員の多くは過去のソコルに馴染みが深い高齢者で占められているらしい。
https://en.wikipedia.org/wiki/Spartakiad_(Czechoslovakia):title]
「史上最低の遊園地としまえん」などと中傷する画像を自らのブログに掲載していたとして、
警視庁練馬警察署は1日、37歳の会社員を偽計業務妨害の容疑で逮捕したと発表した。
練馬署によると男は画像を掲載したことは認めているものの「なぜ逮捕になるか分からない」と供述しているという。
としまえんは東京都練馬区にある遊園地で、西武グループにより1926年に営業開始。
1990年のエイプリルフールに出した新聞広告が大きな話題を呼んだこともあった。
警察の担当者は取材に対し「結果として警察の業務を妨害した以上、
偽計業務妨害罪になるのは当然のことだ」と話している。
増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。
同種の百選としては2005年の新建築・臨時増刊『日本の建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。
https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/
2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。
■古代 592-1180
法隆寺西院伽藍 | 飛鳥時代 | 奈良 |
新薬師寺本堂 | 奈良時代末期 | 奈良 |
榮山寺八角堂 | 763年 | 奈良 |
平等院鳳凰堂 | 1053年 | 京都 |
浄瑠璃寺本堂 | 1107年 | 京都 |
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) | 平安時代後期 | 鳥取 |
高蔵寺阿弥陀堂 | 1177年 | 宮城 |
■中世 1180-1543
浄土寺浄土堂 | 1194年 | 兵庫 |
東大寺南大門 | 1199年 | 奈良 |
長寿寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
西明寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
熊野神社長床 | 鎌倉時代初期 | 福島 |
法界寺阿弥陀堂 | 鎌倉時代初期 | 京都 |
厳島神社社殿 | 1241年 | 広島 |
永保寺開山堂 | 1352年 | 岐阜 |
東福寺龍吟庵方丈 | 1387年 | 京都 |
正福寺地蔵堂 | 1407年 | 東京 |
吉備津神社本殿・拝殿 | 1425年 | 岡山 |
慈照寺東求堂 | 1485年 | 京都 |
■近世 1543-1853
妙喜庵待庵 | 1581年 | 京都 |
園城寺勧学院客殿 | 1600年 | 滋賀 |
園城寺光浄院客殿 | 1601年 | 滋賀 |
妙法院庫裏 | 1604年 | 京都 |
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 | 1607年 | 宮城 |
三渓園聴秋閣 | 1623年 | 神奈川 |
二条城二の丸御殿 | 1626年 | 京都 |
西本願寺飛雲閣 | 1628年 | 京都 |
西本願寺書院 | 1633年 | 京都 |
延暦寺根本中堂 | 1640年(再建) | 滋賀 |
三渓園臨春閣 | 1649年 | 神奈川 |
曼殊院書院 | 1656年 | 京都 |
桂離宮 | 1663年 | 京都 |
慈光院書院 | 1672年 | 奈良 |
江川家住宅 | 江戸時代前期 | 静岡 |
閑谷学校講堂 | 1701年 | 岡山 |
東大寺大仏殿(東大寺金堂) | 1705年(再建) | 奈良 |
大峰山寺本堂 | 1706年 | 奈良 |
大国家住宅 | 1760年 | 岡山 |
岡山後楽園流店 | 江戸時代後期 | 岡山 |
栗林公園掬月亭 | 江戸時代後期 | 香川 |
角屋 | 1787年 | 京都 |
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) | 1796年 | 福島 |
大徳寺孤篷庵忘筌 | 1799年 | 京都 |
渡邉家住宅 | 1817年 | 新潟 |
羽黒山三神合祭殿 | 1818年 | 山形 |
旧高野家住宅 | 江戸時代後期 | 山梨 |
旧金比羅大芝居(金丸座) | 1835年 | 香川 |
岩根沢三山神社本殿・庫裏 | 1841年 | 山形 |
柏倉家住宅座敷蔵 | 1866年 | 山形 | |
旧大明寺聖パウロ教会堂 | 1879年 | 愛知 | ブレル、大渡伊勢吉(棟梁) |
宝山寺獅子閣 | 1882年 | 奈良 | 吉村松太郎(棟梁) |
旧風間家住宅 | 1896年 | 山形 | |
旧武徳殿 | 1899年 | 京都 | 松室重光 |
旧花田家番屋 | 1905年 | 北海道 | |
吉島家住宅 | 1907年 | 岐阜 | 西田伊三郎ほか(棟梁) |
古谿荘 | 1909年 | 静岡 | |
高松城披雲閣 | 1917年 | 香川 | 清水組 |
住友ビルディング | 1926年 | 大阪 | 住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造) |
聴竹居 | 1927年 | 京都 | 藤井厚二 |
旧大倉精神文化研究所本館 | 1932年 | 神奈川 | 長野宇平治 |
軽井沢 夏の家 | 1933年 | 長野 | アントニン・レーモンド |
※両関第二工場酒蔵 | 1933年 | 秋田 | |
旧日向別邸 | 1936年 | 静岡 | ブルーノ・タウト |
近江神宮 | 1940年 | 滋賀 | 角南隆、谷重雄 |
旧前川國男邸 | 1941年 | 東京 | 前川國男 |
旧吉田五十八邸 | 1944年 | 神奈川 | 吉田五十八 |
神奈川県立近代美術館 | 1951年 | 神奈川 | 坂倉準三 |
斎藤助教授の家 | 1952年 | 東京 | 清家清 |
コアのあるH氏のすまい | 1953年 | 東京 | 増沢洵 |
南台の家(吉村順三邸) | 1957年 | 東京 | 吉村順三 |
八幡浜市立日土小学校 | 1956年 | 愛媛 | 松村正恒 |
香川県庁舎 | 1958年 | 香川 | 丹下健三 |
スカイハウス(菊竹清訓邸) | 1958年 | 東京 | 菊竹清訓 |
※ホテルオークラのメインロビー | 1962年 | 東京 | 谷口吉郎 |
日本生命日比谷ビル(日生劇場) | 1963年 | 東京 | 村野藤吾 |
国立屋内総合競技場 | 1964年 | 東京 | 丹下健三 |
大学セミナー・ハウス | 1965年 | 東京 | 吉阪隆正 |
旧千代田生命本社ビル | 1966年 | 東京 | 村野藤吾 |
白の家 | 1966年 | 東京 | 篠原一男 |
塔の家(東孝光邸) | 1966年 | 東京 | 東孝光 |
※虚白庵(白井晟一邸) | 1970年 | 東京 | 白井晟一 |
KIH7004 | 1970年 | 東京 | 鈴木恂 |
中銀カプセルタワービル | 1972年 | 東京 | 黒川紀章 |
※大分県医師会新館 | 1972年 | 大分 | 磯崎新 |
※プロジェクトマグネット | 1973年 | 店舗模型 | 倉俣史朗 |
阿部勤邸 | 1974年 | 埼玉 | 阿部勤 |
北九州市立中央図書館 | 1974年 | 福岡 | 磯崎新 |
幻庵 | 1975年 | 愛知 | 石山修武 |
上原通りの住宅 | 1976年 | 東京 | 篠原一男 |
※中野本町の家 | 1976年 | 東京 | 伊東豊雄 |
小篠邸 | 1981年 | 兵庫 | 安藤忠雄 |
弘前市斎場 | 1984年 | 青森 | 前川國男 |
SPIRAL | 1985年 | 東京 | 槇文彦 |
※バーオブローモフ | 1989年 | 福岡 | 倉俣史朗 |
海の博物館 | 1992年 | 三重 | 内藤廣 |
豊田市美術館 | 1995年 | 愛知 | 谷口吉生 |
ウィークエンドハウス | 1998年 | 群馬 | 西沢立衛 |
せんだいメディアテーク | 2000年 | 宮城 | 伊東豊雄 |
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル | 2002年 | 神奈川 | アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ |
金沢21世紀美術館 | 2004年 | 石川 | 妹島和世、西沢立衛 |
せっかくなので次の元号について統計的なアプローチで予測したいと思う
飛鳥時代の大化から平成まで元号は248種類あるが使われた漢字は72種類しかない
一覧にするとこんな感じ
大化白雉朱鳥宝慶雲和銅霊亀養老神天平感勝字護景応延暦同弘仁長承嘉祥寿斎衡
安貞観元寛昌泰喜徳康保禄永祚正治万久文建福禎乾亨中武興国授至明享吉政昭成
そして室町時代の文安(1444年)から大正(1926年)までの500年弱の間、
「寛政」を除く全ての元号が今まで元号で使われてきた漢字の中から選ばれている一方で
「昭」と言う漢字は昭和まで「成」と言う漢字は平成まで使われたことがなかった
「昭和」以降は既存の漢字だけでは組み合わせがそのうち枯渇するため
一方で「平」は今までに12回、「和」は今までに19回元号に使用されたことがある
参考までに元号に使われた回数の多い漢字ランキングも貼っておく
1位 永 29回
2位 天、元 27回
4位 治 21回
5位 応 20回
これを踏まえると新しい元号も、「今まで元号で10回以上使った事のある漢字と
使った事のない漢字から1文字ずつ取るのではないか」と素人ながら予測できる
これに加え、イニシャルが被らないとか画数が多すぎないとかの条件を踏まえて
「 光 文 」 で す ! ! !
公開が古くてフィルムが現存しない映画でも、映画サイトでは点(星)が付けられているものがいくつもあります。
殆どはイタズラ投稿だと思いますが、中には公開当時実際に鑑賞した人による評価もあるのかもしれません。
あったとしても見抜くことは出来ませんが。
※はてなにリンク数制限があるため直リンクを行っていません。「h__ttps」「h_ttp」の「__」を削除してください。。
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%A9%9A%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80
4.1
h__ttps://filmarks.com/movies/18734
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%88%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%93
3.8
h__ttps://filmarks.com/movies/20802
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BA%BA%E5%93%80%E6%84%81
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=63840
平均評点 70.0点(1人)
観たひと 2
観たいひと 5
レビューの数 0
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E3%81%AF%E5%BE%A1%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E3%81%8B%E3%82%89
h__ttps://filmarks.com/movies/17416
3.6
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1%E5%85%A5%E5%A8%98
h__ttps://movies.yahoo.co.jp/movie/%E7%AE%B1%E5%85%A5%E5%A8%98/131208/
2.50 点 / 評価:2件
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8B%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E8%A8%98
本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[6]、マツダ映画社も同様である[7]。大阪藝術大学の玩具映画プロジェクトもフィルム断片を所蔵していない[8]。現状では、いずれも鑑賞の不可能な作品である。
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=62239
平均評点 70.0点(1人)
観たひと 2
観たいひと 1
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h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E4%BC%9A%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%A5%BD
本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[9]、マツダ映画社も所蔵していない[10]。現状、観賞することの不可能な作品である。
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=63113
平均評点 0.0点(0人)
観たひと 1
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レビューの数 0
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%88%BF%E7%B4%9B%E5%A4%B1
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=62241
平均評点 70.0点(1人)
観たひと 2
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h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E3%81%AB%E3%81%95%E3%81%AF%E3%81%A4%E3%81%9F%E5%A5%B3
本作の上映用プリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されておらず[5]、マツダ映画社も所蔵していない[6]。現状、観賞することの不可能な作品である。
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=41814
平均評点 0.0点(0人)
観たひと 1
観たいひと 5
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h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E3%81%AB%E8%A7%A6%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%B9%B8%E9%81%8B
シナリオは現存しており、1993年(平成5年)刊行の『小津安二郎作品集 1』(井上和男編、立風書房)および、2003年(平成15年)刊行の『小津安二郎全集 上』(井上和男編、新書館)に収録されている[3][4]が、ネガ原版・上映用フィルムは現存されていない。
h__ttps://filmarks.com/movies/38460
3.6
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E3%81%AF%E5%BE%A1%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E3%81%8B%E3%82%89
h__ttps://filmarks.com/movies/17416
3.6
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%87%BA%E6%82%94%E3%81%AE%E5%88%83
h__ttps://filmarks.com/movies/15024
3.9
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E5%93%A1%E7%94%9F%E6%B4%BB
h__ttps://filmarks.com/movies/29206
3.8
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A4%A2
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=62179
平均評点 70.0点(1人)
観たひと 2
観たいひと 3
レビューの数 0
h__ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BE%E3%81%9F%E9%80%A2%E3%81%B5%E6%97%A5%E3%81%BE%E3%81%A7
h__ttps://filmarks.com/movies/16783
3.7
h__ttp://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=64450
平均評点 70.0点(1人)
観たひと 2
観たいひと 4
レビューの数 0
練習用に使われたっぽい船のうち、港でやられたというとコレだろうか?
れっきとした「練習艦」は軒並み「練習じゃない用途」に借り出されちゃって作戦中に沈んでる。
富士 (戦艦) - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB_(%E6%88%A6%E8%89%A6)
1926年(昭和元年)より横須賀吉倉海岸に繋留、定繋練習艦となった[18]。
(略)
8/16 16:00
訂正、鹿島だけは生き延びたんだったわ。
https://twitter.com/koudenh/status/897212859796529152
能登島の入り江に隠してたんだとか