近鉄奈良線10・額田駅
奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
今回は、「近鉄奈良駅」から9つ目駅の大阪府東大阪市の「額田駅」である。
「額田」と云う地名は、古代に、応神天皇の第一皇子の額田大仲日子命を祖とする額田一族が住んでいたところから名付けらたと云われる。
さらに、「万葉集」で知られる「額田王」もその一族であったとの説もある。
「額田駅」で下車する。
「額田駅」の標高は70m強である。
ホームから大阪市内の「あべのハルカス」を望むことができる。
そして駅の西側でと出る。
踏切を渡り、東側ロータリーから、集落内の道路を東進する。
かなりきつい上りである。
右手に、「政家住宅」がある。
明治中期の建物で、東大阪市の民族文化財に指定されている。
横や裏側を眺めてみる。
外観は、そう特徴のあるものでは無い。
「政家住宅」を後に、更に登る。
標高は100mを越え、大阪の風景が良く見えて来る。
阿倍野の「あべのハルカス」、そして「六甲山」を背景に、大阪北地区のビル群である。
そして陣は、「浄土宗 重願寺」である。
豊臣秀吉の本願で、1594年5月18日に岸譽雲海上人が開基したとされている。
「聖観音立像」は、藤原様式の優美な姿で、大坂三十三ヶ所観音めぐりの第17番札所として江戸時代以来信仰されているとのことである。
門前に、「境内にハスの花が咲いてます」との案内があるので魅かれてみる。
右手は「額田聖観音」が祀られている「多宝塔」である。
そして正面は本堂である。
そして横には参集所が連なっている。
境内には「十三重の石塔」もある。
「多宝塔」をもう一度眺め、寺院を退出した。
神社の南側は「枚岡公園」である。
2ヶ所の入り口が備えられている。
この辺りは、標高115mくらいである。
元の道へと戻り、更に登る。
右手に神社が見える。
「大石大明神」である。
大きな石を神体とする神社である。
少し下って、北へと進む。
鳥居が建ち、その先左手に、「楠木正行(まさつら)の首塚」が祀られている。
四條・縄手の戦いにて敗れた「正行」の首が石龕に安置されているとのことである。
また周囲には、「顕彰碑」、「法華経」、そして「山の神」が祀られている。
「額田駅」のミニ探索はここまでである。
駅の東口の改札を入り、やって来た電車に乗って、次に向かったのであった。
今回は、「近鉄奈良駅」から9つ目駅の大阪府東大阪市の「額田駅」である。
「額田」と云う地名は、古代に、応神天皇の第一皇子の額田大仲日子命を祖とする額田一族が住んでいたところから名付けらたと云われる。
さらに、「万葉集」で知られる「額田王」もその一族であったとの説もある。
「額田駅」で下車する。
「額田駅」の標高は70m強である。
ホームから大阪市内の「あべのハルカス」を望むことができる。
そして駅の西側でと出る。
踏切を渡り、東側ロータリーから、集落内の道路を東進する。
かなりきつい上りである。
右手に、「政家住宅」がある。
明治中期の建物で、東大阪市の民族文化財に指定されている。
横や裏側を眺めてみる。
外観は、そう特徴のあるものでは無い。
「政家住宅」を後に、更に登る。
標高は100mを越え、大阪の風景が良く見えて来る。
阿倍野の「あべのハルカス」、そして「六甲山」を背景に、大阪北地区のビル群である。
そして陣は、「浄土宗 重願寺」である。
豊臣秀吉の本願で、1594年5月18日に岸譽雲海上人が開基したとされている。
「聖観音立像」は、藤原様式の優美な姿で、大坂三十三ヶ所観音めぐりの第17番札所として江戸時代以来信仰されているとのことである。
門前に、「境内にハスの花が咲いてます」との案内があるので魅かれてみる。
右手は「額田聖観音」が祀られている「多宝塔」である。
そして正面は本堂である。
そして横には参集所が連なっている。
境内には「十三重の石塔」もある。
「多宝塔」をもう一度眺め、寺院を退出した。
神社の南側は「枚岡公園」である。
2ヶ所の入り口が備えられている。
この辺りは、標高115mくらいである。
元の道へと戻り、更に登る。
右手に神社が見える。
「大石大明神」である。
大きな石を神体とする神社である。
少し下って、北へと進む。
鳥居が建ち、その先左手に、「楠木正行(まさつら)の首塚」が祀られている。
四條・縄手の戦いにて敗れた「正行」の首が石龕に安置されているとのことである。
また周囲には、「顕彰碑」、「法華経」、そして「山の神」が祀られている。
「額田駅」のミニ探索はここまでである。
駅の東口の改札を入り、やって来た電車に乗って、次に向かったのであった。