近鉄奈良線14・河内花園駅
奈良市の「近鉄奈良駅」と大阪市の「近鉄難波駅」を起終点とする近鉄奈良線」の各駅を途中下車で訪問してみる。
今回は、「近鉄奈良駅」から13番目の駅の大阪府東大阪市の「河内花園駅」である。
「河内花園駅」で下車する。
駅ホームは高架で、階上の改札から駅舎を北側へと出る。
駅舎の中を潜り、南側へと出る。
住所地は「花園本町」である
駅の南東側へと進む。
通りを南下し、花園北小学校の前を通過し、回り込むと神社の社頭へと到着する。
「式内社 津原神社」である。
社頭は南面している。
その社頭から南へと延びている道は、かつての馬場で、約600mもあったと云われている。
社号柱が建ち、注連縄柱を潜ると社殿の手前に一対の狛犬が配され、そして拝殿である。
そして本殿である。
本殿は覆屋に包まれている。
本殿の祭神は、天児屋根命、玉櫛の荘の祖神である天玉櫛彦之命(あめのたまくしひこのみこと)、天櫛玉命である。
この神社の創建に関わる謂れは、奈良時代の終り頃、この河内郡一帯の風水害がはなはだしく、村人は極度に窮迫していた。
そこに、加美村の八幡宮の祀部に、「大和川の上流より橘の枝と櫛笥の流れの止まる所に神を祀ったなれば、風水の禍は自ら治まるであろう……」と神託があった。
それに従い、橘の枝と櫛笥を大和と河内の国境より流したところ、流れに乗った櫛笥が、津原の池の澱みに流れ着いて止まったと云われる。
そこで玉櫛之荘の人々が相談し、この池の傍に社を建て、天児屋根命並びに玉櫛之荘の祖神天玉櫛彦之命、天櫛玉命を併せて祀ると、風水たちどころに治まったとされている。
神社には多くの境内社が祀られている。
本殿の左には、「若宮神社」、「一葉神社」、「白峰神社」である。
そして、「白瀧大明神」、「瀧姫大明神」、「白玉龍王」を祀る末社、「水神社」、さらに「石榎龍王」、「道明大神」、「丸津田神」を祀る末社である。
最後に、「八幡宮」と「稲荷神社」の合祀殿、社殿の奥にある「津原池」である。
池の中には数羽の鴨が遊んでいたのが印象的であった。
そしてこの地点で、「河内花園駅」のミニ探索を終了したのであった。
今回は、「近鉄奈良駅」から13番目の駅の大阪府東大阪市の「河内花園駅」である。
「河内花園駅」で下車する。
駅ホームは高架で、階上の改札から駅舎を北側へと出る。
駅舎の中を潜り、南側へと出る。
住所地は「花園本町」である
駅の南東側へと進む。
通りを南下し、花園北小学校の前を通過し、回り込むと神社の社頭へと到着する。
「式内社 津原神社」である。
社頭は南面している。
その社頭から南へと延びている道は、かつての馬場で、約600mもあったと云われている。
社号柱が建ち、注連縄柱を潜ると社殿の手前に一対の狛犬が配され、そして拝殿である。
そして本殿である。
本殿は覆屋に包まれている。
本殿の祭神は、天児屋根命、玉櫛の荘の祖神である天玉櫛彦之命(あめのたまくしひこのみこと)、天櫛玉命である。
この神社の創建に関わる謂れは、奈良時代の終り頃、この河内郡一帯の風水害がはなはだしく、村人は極度に窮迫していた。
そこに、加美村の八幡宮の祀部に、「大和川の上流より橘の枝と櫛笥の流れの止まる所に神を祀ったなれば、風水の禍は自ら治まるであろう……」と神託があった。
それに従い、橘の枝と櫛笥を大和と河内の国境より流したところ、流れに乗った櫛笥が、津原の池の澱みに流れ着いて止まったと云われる。
そこで玉櫛之荘の人々が相談し、この池の傍に社を建て、天児屋根命並びに玉櫛之荘の祖神天玉櫛彦之命、天櫛玉命を併せて祀ると、風水たちどころに治まったとされている。
神社には多くの境内社が祀られている。
本殿の左には、「若宮神社」、「一葉神社」、「白峰神社」である。
そして、「白瀧大明神」、「瀧姫大明神」、「白玉龍王」を祀る末社、「水神社」、さらに「石榎龍王」、「道明大神」、「丸津田神」を祀る末社である。
最後に、「八幡宮」と「稲荷神社」の合祀殿、社殿の奥にある「津原池」である。
池の中には数羽の鴨が遊んでいたのが印象的であった。
そしてこの地点で、「河内花園駅」のミニ探索を終了したのであった。